それじゃあかずや、明日の昼休憩にでも出してくるわね。離婚届けだ。好きにしろ。
好きにしろって。急に離婚を突きつけてきたのはそっちなんだが。
お前も納得した上での離婚だろう。財産分与の話もあったし、慰謝料はなし。今さらごたごた言うな。
まあ、そうだけど、正直離婚まで発展するとは思わなかったのよね。
何がだ。私だって、多少の不満はあっても問題はなかったでしょ。
お前はそうかもな。けど俺はお前との生活には飽き飽きしてた。お前は仕事ばかりの仕事人間だし、休みが一緒でもつまらないし、愛嬌もないし。正直ここまで続いたのが奇跡だと思ってる。
確かに私は愛嬌もないつまらない女よ。けど、私がそういう女だってことは分かってたでしょ?
ここまでとは思ってなかったんだよ。
それなら私だってここまでとは思ってなかったわ。
はあ、何が?
急な飲み会で帰ってこないわ、家事も一切やらないわ、お母さんが子供子供ってうるさいわ。
それはお前も承知の上だっただろう。
承知の上で、ここまでとは思ってなかっただけ。あなたの言い分と、何か違うところはある?
それは……
ああ、やっぱり駄目ね。これから離婚しようって時に、夫婦で言い争っても何にもならないわ。
確かに私とあなたは部署は違っても同じ会社の同僚。円満とはいかなくても、悪い形で離婚はしたくない。これはお互いに共通してるわよね。
分かってる。
変に突っかかるようなことを言って悪かった。
私も意地悪な言い方だったわ。ごめん。
はい、これでお互い様、終わり。
分かった。水掛け論はやめる。ところで、LINEはこのままでいいんだよな? 一応同じ職場の同僚だろう。私たちが直接連絡を取り合うことはもうないと思うけど、念のため連絡先は残しておいた方がいいわ。
了解。にしても、あれね。
あれって?
悪いことは重なるって言うじゃない。今度、うちの後輩も退職するって言うし。人が離れるタイミングも重なるものなのね。
後輩? もしかして、前に企画書がかぶったとか言ってた?
そうそう。私と似たような企画書を出しててね。かぶったのは偶然だろうけど、これからって時に、もったいないわ。
何か事情があるんだろう。最近、体調を崩しがちだったから、病気かもしれないって。
病気って、なぜ?
仕事中も体調が悪くて、席を外すことが多かったのよ。確か年配の女性の方が、何か気づいてたみたいだったけど。
おい、やめろよ、そういうの。
何? 急に何か気に触るようなこと言った?
変な噂を流すような真似をするなって言ってるんだ。俺たちの離婚だって、変な噂を流されたら嫌だろう。
それはそうだけど、過剰に反応しすぎじゃない?
いいから、そういうのはやめろ。
分かったわ。確かに噂なんて、所詮は噂だしね。
そういうこと。本当に気をつけろよ。せっかく円満に離婚したんだから。
大丈夫よ。それじゃ、さようなら、かずや。
――一ヶ月後。
ねえ、かずや。あの、やめてくれる?
何がだ?
今日の昼休憩中、うちの部署に乗り込んできたでしょ。お前がさっさと電話に出ないのが悪い。
そうじゃなくて、あれのせいで噂になってるのよ。
どんな噂だ?
離婚のことで、かずやが納得してないとか。大げさにしたくないって話だったよね。なら、さっさと電話に出ればよかっただろう。
ああ、だからそういうことじゃないって。というか、あれだけ慌てて来て、何の用だったの?
そうだよ、そのことだ。お前、慰謝料を払え。二百万だ。
はあ? なんで? 慰謝料はなしって話だったよね。
気が変わった。
はあ? 寝言は寝てから言ってくれる? そもそも請求される理由は? 私、何もしてないわよね。
自分で言ってただろう。自分はつまらない女で愛嬌もないから、離婚されても仕方ないって。
そこまで自分を卑下したつもりはないけど、似たようなことは言ったわね。でも、あの時は「こちらにも非があるけど、そちらにもあるよね」って言ったはずよ。
俺は認めてない。子供の喧嘩じゃあるまいし、そんな理由で請求できるわけないでしょ。
お前、確か今の仕事は学生の頃からの夢だって言ってたよな?
急に何? そうだけど。この会社に入るために、随分と努力したんでしょ?
だからそれが何? 今はその話は関係ないでしょ。
退職はしたくないよな?
そりゃそうでしょう。
じゃあ、慰謝料を払え。
いや、意味が分からないんだけど。
お前が原因で離婚したことになる。例えば、お前が不倫してたとか、それとも家事もろくにせずに文句ばかりだとか。
さっきから何の話? そういう噂を流すこともできるって言ってるんだ。
はあ? ふざけるのも大概にしてよ。
それが嫌なら慰謝料を払え。今すぐにだ。
あのね、そんなことで払うわけないでしょう。というか、何をそんなに焦ってるの?
焦ってる? 何のことだ?
だってそうでしょ? 慰謝料二百万? そんな自分の立場まで悪くするような噂を流してまで、どう考えても割に合わないでしょう。
何のことか、さっぱり分からないな。
確かに、今すぐ二百万がもらえるなら私だって欲しいわ。けど、そのために今の職場での立場を悪くする? あなたは別に業績も悪くないはず。二百万のために、そのキャリアを捨てる気?
こっちだって、切羽詰まってるんだよ。
切羽詰まってる? 何か急にお金が必要になったってこと?
お前には関係ないことだ。
ねえ、かずや。確かにあなたは嫌なところはあるけど、そこまで考えなしの人じゃないでしょ。
だから、お前には関係ないって言ってるだろう。とにかく、さっさと二百万を払え。
理由も分からず、慰謝料なんて払えません。
じゃあ、噂を流すだけだ。
勝手にどうぞ。そんな噂程度で立場をなくすほど、私の人望は薄くないから。
――翌日。
あやかさん、あんた、慰謝料を払うって?
そうね。その慰謝料だけど、姑……じゃなくて、元姑の私にも払ってちょうだい。
あ、お母さん。いや、正確には元姑ですけど、ややこしいのでお母さんって呼んでもいいですか?
あんたに母って呼ばれる筋合いはないわ。
お母さん以外だと、「態度だけ大きいクソババア」になりますけど。
はあ?
嫌そうなので、お母さんで行きますね。それで、何用ですか? 頭でも打ちましたか?
売ってないわよ。本当に可愛げのない女ね。
お母さんに見せる可愛げは売り切れましたので。いいから、私にも慰謝料を払いなさい。
なぜですか?
あんたが私を傷つけた罰よ。そうね、月に百万上乗せで、勘弁してあげる。
あの、なんとなくで喋るのはやめてください。
なんとなくって何よ。
月に百万ってことは、継続的に払えってことですよね。
それが何?
そんな慰謝料の形態は、ほとんど聞いたことがありません。しかも百万って、切りがいいから百万にしたんですか? バカ丸出しですね。
なんですって?
そもそも、私が「傷つけた」とは? 具体的にお願いします。
あんたが嫁の頃から、私を見る目が気に食わなかったの。
見る目ですか?
そうよ。私を馬鹿にしたような目で見て。しかも、何かあるとすぐに正論。
ええ。正論って、分かってたんですか?
繊細な私の心が、どれだけ傷ついたか。
繊細って、お母さんとは対極の言葉ですよ。
はい?
あと、お母さんが訳の分からないことばかり言うからです。何でしたっけ? 「子供を産めない女に用はないから、離婚して消えろ」ですか。
言ったわよ。事実だもの。
それを聞いて、かずやはため息をついてましたけど。
それが何?
呆れてたんですよ。私たちは別に、子供欲しさに結婚したわけじゃなかったんで。
そんなの関係ないわ。嫁は子供を産むための機械みたいなものよ。なのに子供が産めない女はクズ。間違ってないわ。
なら、私が言った正論とやらも、間違ってないのでは? 私が傷ついたって言ったら、傷ついたの?
黙って慰謝料を払いなさい。支払い期限は来週までよ。
来週? 来週、何かあるんですか?
え? 一体、何のことかしら?
お母さん、本当に何なんですか?
何でもありません。そういえば、ずっと気になってたことがあるんです。
何?
私とかずやが離婚する三ヶ月くらい前でしたっけ。私のUSBが紛失しましたよね。
ああ、確か私が泊まりに行った時のことだったわね。
そうです。あの後、数日してからお母さんが見つけてくれました。
いいことじゃない。もう終わった話でしょ。
なぜ、お母さんがUSBを見つけられたんですか?
はい? どういうこと?
あれは、私が仕事を家に持ち帰った際に使うUSBです。企画書を書いてて、そのデータが入ってました。
そうだったの? 知らなかったわ。
そのUSBが、うちで見つかるなら分かりますけど。どうして、私が帰った後にお母さんが見つけることができたんですか?
それは、その……あれよ。私の荷物に紛れ込んでたのよ。
ええ、初めて聞きました。
今、言いました。もういいでしょ。それよりも慰謝料よ。慰謝料。
払いません。
は?
明確な理由を提示してくださるまで、払う気はないと言ってるんです。
あんたの言葉で私が傷ついたのよ。精神的苦痛を受けました。
私はお母さんの言動で、それ以上に苦痛を感じました。弁護士に相談したら、慰謝料取れるって言われたの。
だったら、その弁護士が適当なことを言ってるだけですね。他の弁護士に相談することをおすすめします。
私の知り合いを馬鹿にするの?
知り合いなら、お母さんに気を使ったんですね。なぜ弁護士が適当なことを言うと?
現状、特に証拠もないんですよね。それでもらえるほど、慰謝料は簡単じゃありません。お金が欲しいなら、他を当たってください。
――数日後。
なぜ慰謝料を払わないの? 早くしてくれないと困るわよ。
困るのはこちらのセリフです。私、今は勤務中なんですけど。
そっちの都合なんて知らないわよ。それよりも、早く入金しなさい。
もう銀行も終わってますよ。この間も思いましたけど、かずやもお母さんも、何をそんなに焦ってるんですか?
あんたには関係ないでしょ。
そうですね、関係ありません。関係ないので、慰謝料うんぬんも払う必要はありませんよね。
それは……それはこれよ。何でもいいから、急いでちょうだい。
そっちの都合なんて知りませんけど。
もう、減らず口ばかり。
なら、こうしましょう。
どうしましょう?
かずやは慰謝料二百万って言ったのよね。お母さんは月に百万の上乗せって言ってましたね。そのうち百万だけでいいわ。百万だけでいいから、先に払ってちょうだい。
それは、百万で手を打つって意味ですか?
そうじゃなくて、百万だけ先払いしろってこと。その代わり、残りは少しだけ待ってあげる。
却下です。なら、五十。
これ以上は無理よ。
ここは地面ですか? ここまで譲歩してるのに、なぜ駄目なのよ。
なぜは、こっちのセリフですが。
私はあんたのせいで傷つきました。繊細な私が心に傷を負ったのよ。慰謝料を払うべきでしょ。
証拠もなしに、本気で慰謝料が取れると思ってたんですか? 慰謝料というのはお小遣いじゃないんですよ。駄々をこねればもらえるってもんじゃありません。
なんですって?
というか、そんなに繊細なら、「要注意」の札くらい首から下げといてください。
冗談じゃないのよ。
というかですね。慰謝料を払うのは、あなたたちの方ですよ。
――翌日。
昨日の話は母さんから聞いた。その上で、もうこっちも手段は選んでられない。
手段は選んでられない? 最初から選んでないように見えるけど。
噂を流すというのは、今まではただの脅しだった。だが、この状況で慰謝料が払われないなら、その手段とやらはもう選べないわよ。
は? どういうことだ?
あなたが不倫をして、しかも相手を妊娠させていたから。
何言ってるんだ? そんなこと、俺はしてない。
最初の違和感は、あなたと離婚についてLINEした時よ。
本当に何言ってんだ? 違和感?
あの時のLINEのどこに違和感があった?
私は「後輩が退職する」としか言ってないのに、私の企画書とかぶった後輩――りん子が退職するのだと、なぜ分かったの?
それは、なんとなく言っただけだ。
あれだけなら、そうでしょうね。実際、我が家でもよく名前を出してた後輩だし。
だったら……
次の違和感は、りん子が体調不良じゃないかと言った時の、あなたの過剰な反応。人の体調の噂なんて、よくない。ましてや同じ職場の同僚相手なら、しない方がいいだろう。
それはごもっとも。でも、あなたが過剰に反応したのは、私が「何か気づいてる様子の同僚がいた」と言った後だったわよね。
それが何だ?
つまり、何か不都合なことがあったから、じゃない?
馬鹿馬鹿しい。そんなことで、俺が不倫してるだの言うのか?
違和感はまだあるわ。次は、急な慰謝料の請求。
請求できると思ったから言っただけだ。
いいえ。あなたは請求できると思ってない。勢いで行けると思ってる。お母さんとは違ってね。
なぜ、そう思うんだ?
唐突な手段で請求しても、払われない。そう思ってるから、柄にもなく脅してきたんでしょ。
それは……
前にも指摘したけど、あなたはバカじゃない。こんな無茶な方法で慰謝料を請求して、それこそ会社で噂が立てばどうなるか、理解してる。
それは聞いたよ。二百万と、今後の職場での立場。どう考えても釣り合わない。それでもやったのは、直近でまとまったお金が必要だから。
違う。
名探偵が何が言いたい? 言いたいことがあるなら、はっきり言え。
あなたは、私と離婚したりん子と再婚する気だった。大方、妊娠したことでお母さんが乗り気になったんでしょうけど、それができなくなった。
なぜ、そう思う?
再婚できるなら、別に私に慰謝料を請求する必要はない。りん子が退職したのは、再婚のためよね? 不倫して妊娠したのがばれれば面倒だから。
やっぱり隠しきれるわけないよな。
認めるのね。
お前のことだ。もう、すでにある程度の裏は取ってあるんだろう。
体調不良の原因に気づいていた同僚から話は聞いたわ。りん子が相談されてたそうよ。妊娠した時の体調不良の隠し方を。
お前には悪かったと思ってる。けど、こっちにも事情があったんだ。
不倫するのに、事情もクソもないでしょ。まあ、他にも気になる点はまだあるけど、それはあなたに聞くことじゃないわね。
母さんか。
理解が早くて助かるわ。じゃあ、これからどうされるかも分かるわよね。
慰謝料を請求するって話だろう。いくらだ?
三百万。
三百万? 不倫の相場より、だいぶ高いだろう。
ただの不倫じゃないからでしょ。不倫相手が妊娠してる。しかも、同じ職場の後輩が。
くそ。こっちはそんなことに金を使ってる場合じゃないのに。
ああ、それと。
なんだよ?
あなた、会社首になったでしょ。
――翌日。
あんたのせいよ。あんたのせいで、私たちはもう終わりよ。
あの、せっかくの休日に何ですか? 元嫁と元姑って、こんなに頻繁に連絡を取り合うものじゃないでしょう。
うるさいわね。あんたがさっさと慰謝料を払ってたら、こんなことにはならなかったんだから。
そうよ。
まず、認識が間違ってます。
は? 何が?
軽く整理しますけど、元を辿ればかずやが不倫をしなければ。そして何より、お母さんが余計なことをしなければ、ここまでこじれることもなかったと思いますよ。
え? 一体、何のことかしら?
無くなったUSB。あれ、盗んだの、お母さんですよね?
はあ? 何言ってるの? そんなわけ……
細かいことまでは分かりませんが、お母さんは、かずやりん子が不倫してることに気づいた。そしていつまでも子供ができない私よりも、若いりん子と結婚した方が孫ができると思った。
仮にそうだとして、USBを盗んだって話とどう関係するのよ。
りん子は出世のために、お母さんを利用した。私の企画書を奪うために、USBを盗ませて。もちろん、お母さんは私が邪魔なので、喜んで力を貸したことでしょうね。
言いがかりよ。そんなの事実無根だわ。
でも、問題が起きた。
問題って何よ?
りん子の妊娠ですよ。お母さんは喜んだでしょうし、かずやも再婚を決めた。でも、りん子はそうじゃなかった。
妄想も大概にしなさい。
その妄想通りだと、ご自分で証明してますが。
どういうこと?
私は会社に仕事を持ち帰る許可をもらってました。
それが何?
ですが、USBが盗まれ、その企画が通った。情報漏洩とまではいかなくても、大問題です。
そんなの、あんたの管理責任じゃない。
本来ならそうですね。けど、それが盗まれたのであれば、話が変わります。お母さんとかずやは、そのことでりん子に脅されてたのでは?
何を根拠に?
りん子に金銭を要求され、私への慰謝料請求で払おうとした。だから、支払いを早くしろと急いだのでは? 百万でも五十万でもいいから先に払え。そう言ってたのが、何よりの証拠ですよ。
そうよ。あの女に脅されてたの。あいつ、金を払わないと会社に全部言うって。
そうは言っても、かずやなら跳ね除けられそうなものですが。
ああ、子供の免罪符が問題だったんですね。
え? 何? どういうこと?
お母さんに配慮したんでしょう。孫を欲しがってたお母さんのために、免罪符は取ろうと。だから、跳ね除けられない要求を受けた。
そう、そうなのよ。あの女、子供の免罪符も盾にしてたの。
まあ、でも安心してください。りん子は、もうそんなことできませんから。
え? 子供の免罪符は知りませんが、りん子はうちの会社から訴えられてます。
そうなの?
ええ、私の方から今回の件を報告しましたので。
じゃあ、もうあの女に怯えなくていいのね? 金を用意する必要もないってこと?
そうですよ。その代わり、お母さんも訴えられますけど。
は? 訴えられるって、誰に?
うちの会社ですけど。
はあ? なぜ私が? USBを盗みましたよね。
この事実が原因で、あの企画は凍結となりました。結果として、我が社には一千万程度の損害が出てます。
なぜよ。元々はあんたの企画だったんでしょ。なら、あんたが後を引き継ぐなりすれば……
社会って、そんなに簡単じゃないんですよ。社内で起こったこととはいえ、盗まれた企画書です。そんな企画を通したとばれれば、信用問題になります。だから、企画は取りやめ。
その損害を私に請求するって……
りん子とお母さんにですね。一千万の半額ずつ、五百万がそれぞれ請求されます。
そんなの、私は知らないわよ。あの女に言われてやったことだから。
その手の言い訳が通じるのは、子供までですよ。
あんた、仮にも一度は私の娘だったでしょ。
義理のですけど。そうですね。
なら、こんなことはやめさせて。お願いよ。今までのことだったら謝るから。
お母さん、私は子供を産むための機械なんですよね? そういったことも謝るから。
すみません。私は人の感情とやらには疎いんで。なんせ、機械ですから。情に訴えられても、理解できないんですよ。
――数週間後。
なあ、あやか。頼む。母さんを止めてくれ。
あ? 止めるって、何を?
母さん、会社から損害賠償を請求されただろう。りん子と一緒にね。それで、りん子のやつが、その金を取り返そうとして。もしかして、あなた訴えられてるの?
不倫の事実を知らなかった。これは肖像権の侵害だって、慰謝料を要求してる。
最後まで、いじ汚いことで。というか、そんなの無理筋でしょ。
無理筋ではあるし、普通にやれば俺たちは負けない。けど、母さんが夜逃げしそうになってて。
もしかして、裁判でも始めたの?
そうなんだよ。ただでさえ母さんは損害賠償で五百万。俺はお前からの慰謝料で三百万、請求されてるのに。こんな風に裁判なんてしたら、金がいくらあっても足りない。裁判をするのだって、ただじゃないし。弁護士費用だって払い続けてる。俺は今、仕事も首になってるんだぞ。
身内が盗みに加担してたんだもんね。そりゃ首ですわ。
お前が会社に報告したせいだろう。
逆に、私が報告しない理由がないでしょ。
そうだけど……とにかく、俺と母さんで共倒れだ。二人とも、もう勝ち負けとかじゃなくて意地になってるんだ。お前の方から、なんとか言い聞かせてくれ。
いや、私が言っても逆効果でしょう。そもそも、なぜ私が助けないといけないの?
なぜって? 元を辿れば、お前が色々と暴露したせいだろう。
暴露されるようなことをしてたのは、誰?
俺たちだけど……
でも、でもって何?
私はね、かずや。あなたとの結婚生活、意外と気に入ってたのよ。前にも言ったと思うけど、多少の不満はあっても、離婚するほどじゃなかった。今の仕事だって、学生の頃からの夢だったし。同じ会社で働くあなたと悩みを共有できるのも、嬉しかった。二人ともそれなりに給料は高いから、裕福だったしね。
それは聞いた。
だったら、でも、あなたのせいで全部壊れた。私の生活を、自分勝手な理由で壊しといて。自分が困ったら「お前のせいだ」助けろ。あなたのせいで失った私の生活は、そっちは無視。それはもう、虫が良すぎるなんてレベルじゃないわよね。
俺は……
あなたに助けを求める資格なんてない。私はつまんない女で、愛嬌もないけどね。あなたは、そんな女にすら見捨てられた、つまんない男よ。
俺は、これからどうしたらいいんだ?
知らないわよ、そんなこと。ただ、あなたみたいな男には、二度と関わりたくない。それが、あなたの言う「つまんない女」の答えです。
――その後。
姑とりん子の、無駄な意地を張った裁判合戦は続行した。どちらもかずやの意見などには一切耳を貸さず、泥沼の裁判を、互いの資金が尽きるまで行い続けた。それはもはや裁判というよりも、ただの喧嘩。自分の正当性を主張し、相手の意見には一切耳を貸さない。どちらも金銭的な事情からそうせざるを得ないのは理解できるが、女の悪いところを煮詰めたような争いは、見ているだけで胸焼けがする。それを止めることもできず、見ていることしかできないかずやも、同様に。結局のところ、かずやも姑もりん子も、三人が三人とも欲をかいた結果、穴を掘り、この泥沼を生み出したのだ。
私と離婚しただけで満足すればよかった。弱みを握ったからと金銭を要求せず、素直に再婚しておけばよかった。孫が欲しいからと、不倫相手を担ぐような真似をしなければよかった。ああしていれば、こうしていれば、と後悔ばかりが積もる。今回の件は、まさにそういう話だった。
今の選択は正しいのか。こっちの選択ならどうなるのか。今回の件を経て、私は一度立ち止まって自分を見返す、そのことの大切さを改めて理解したように思う。これから先、私にもいろいろな選択があるだろうが、たらればにすがらずに済むよう、納得のいく選択をしていきたい。
