もう、あんたに用はないって言ったでしょ。離婚届、出しとくから。あの日の昼休み、同僚たちの前で元夫にそう言い放たれた。私たちは同じ会社で働いていたから、言い争いが終わった後も、彼が職場のすぐ近くの席に座ってる。三年間、毎日一緒に昼食を食べてきたのに、その日の彼は「お前がつまらない女だったからだ」とだけ言い残して、喫煙所へ消えていった。指輪がまだ外せなくて、机の上で転がしてた。「じゃあ、俺のせい…

もう、あんたに用はないって言ったでしょ。離婚届、出しとくから。あの日の昼休み、同僚たちの前で元夫にそう言い放たれた。私たちは同じ会社で働いていたから、言い争いが終わった後も、彼が職場のすぐ近くの席に座ってる。三年間、毎日一緒に昼食を食べてきたのに、その日の彼は「お前がつまらない女だったからだ」とだけ言い残して、喫煙所へ消えていった。指輪がまだ外せなくて、机の上で転がしてた。「じゃあ、俺のせい...

それじゃあかずや、明日の昼休憩にでも出してくるわね。離婚届けだ。好きにしろ。

好きにしろって。急に離婚を突きつけてきたのはそっちなんだが。

お前も納得した上での離婚だろう。財産分与の話もあったし、慰謝料はなし。今さらごたごた言うな。

まあ、そうだけど、正直離婚まで発展するとは思わなかったのよね。

何がだ。私だって、多少の不満はあっても問題はなかったでしょ。

お前はそうかもな。けど俺はお前との生活には飽き飽きしてた。お前は仕事ばかりの仕事人間だし、休みが一緒でもつまらないし、愛嬌もないし。正直ここまで続いたのが奇跡だと思ってる。

確かに私は愛嬌もないつまらない女よ。けど、私がそういう女だってことは分かってたでしょ?

ここまでとは思ってなかったんだよ。

それなら私だってここまでとは思ってなかったわ。

はあ、何が?

急な飲み会で帰ってこないわ、家事も一切やらないわ、お母さんが子供子供ってうるさいわ。

それはお前も承知の上だっただろう。

承知の上で、ここまでとは思ってなかっただけ。あなたの言い分と、何か違うところはある?

それは……

ああ、やっぱり駄目ね。これから離婚しようって時に、夫婦で言い争っても何にもならないわ。

確かに私とあなたは部署は違っても同じ会社の同僚。円満とはいかなくても、悪い形で離婚はしたくない。これはお互いに共通してるわよね。

分かってる。

変に突っかかるようなことを言って悪かった。

私も意地悪な言い方だったわ。ごめん。

はい、これでお互い様、終わり。

分かった。水掛け論はやめる。ところで、LINEはこのままでいいんだよな? 一応同じ職場の同僚だろう。私たちが直接連絡を取り合うことはもうないと思うけど、念のため連絡先は残しておいた方がいいわ。

了解。にしても、あれね。

あれって?

悪いことは重なるって言うじゃない。今度、うちの後輩も退職するって言うし。人が離れるタイミングも重なるものなのね。

後輩? もしかして、前に企画書がかぶったとか言ってた?

そうそう。私と似たような企画書を出しててね。かぶったのは偶然だろうけど、これからって時に、もったいないわ。

何か事情があるんだろう。最近、体調を崩しがちだったから、病気かもしれないって。

病気って、なぜ?

仕事中も体調が悪くて、席を外すことが多かったのよ。確か年配の女性の方が、何か気づいてたみたいだったけど。

おい、やめろよ、そういうの。

何? 急に何か気に触るようなこと言った?

変な噂を流すような真似をするなって言ってるんだ。俺たちの離婚だって、変な噂を流されたら嫌だろう。

それはそうだけど、過剰に反応しすぎじゃない?

いいから、そういうのはやめろ。

分かったわ。確かに噂なんて、所詮は噂だしね。

そういうこと。本当に気をつけろよ。せっかく円満に離婚したんだから。

大丈夫よ。それじゃ、さようなら、かずや。

――一ヶ月後。

ねえ、かずや。あの、やめてくれる?

何がだ?

今日の昼休憩中、うちの部署に乗り込んできたでしょ。お前がさっさと電話に出ないのが悪い。

そうじゃなくて、あれのせいで噂になってるのよ。

どんな噂だ?

離婚のことで、かずやが納得してないとか。大げさにしたくないって話だったよね。なら、さっさと電話に出ればよかっただろう。

ああ、だからそういうことじゃないって。というか、あれだけ慌てて来て、何の用だったの?

そうだよ、そのことだ。お前、慰謝料を払え。二百万だ。

はあ? なんで? 慰謝料はなしって話だったよね。

気が変わった。

はあ? 寝言は寝てから言ってくれる? そもそも請求される理由は? 私、何もしてないわよね。

自分で言ってただろう。自分はつまらない女で愛嬌もないから、離婚されても仕方ないって。

そこまで自分を卑下したつもりはないけど、似たようなことは言ったわね。でも、あの時は「こちらにも非があるけど、そちらにもあるよね」って言ったはずよ。

俺は認めてない。子供の喧嘩じゃあるまいし、そんな理由で請求できるわけないでしょ。

お前、確か今の仕事は学生の頃からの夢だって言ってたよな?

急に何? そうだけど。この会社に入るために、随分と努力したんでしょ?

だからそれが何? 今はその話は関係ないでしょ。

退職はしたくないよな?

そりゃそうでしょう。

じゃあ、慰謝料を払え。

いや、意味が分からないんだけど。

お前が原因で離婚したことになる。例えば、お前が不倫してたとか、それとも家事もろくにせずに文句ばかりだとか。

さっきから何の話? そういう噂を流すこともできるって言ってるんだ。

はあ? ふざけるのも大概にしてよ。

それが嫌なら慰謝料を払え。今すぐにだ。

あのね、そんなことで払うわけないでしょう。というか、何をそんなに焦ってるの?

焦ってる? 何のことだ?

だってそうでしょ? 慰謝料二百万? そんな自分の立場まで悪くするような噂を流してまで、どう考えても割に合わないでしょう。

何のことか、さっぱり分からないな。

確かに、今すぐ二百万がもらえるなら私だって欲しいわ。けど、そのために今の職場での立場を悪くする? あなたは別に業績も悪くないはず。二百万のために、そのキャリアを捨てる気?

こっちだって、切羽詰まってるんだよ。

切羽詰まってる? 何か急にお金が必要になったってこと?

お前には関係ないことだ。

ねえ、かずや。確かにあなたは嫌なところはあるけど、そこまで考えなしの人じゃないでしょ。

だから、お前には関係ないって言ってるだろう。とにかく、さっさと二百万を払え。

理由も分からず、慰謝料なんて払えません。

じゃあ、噂を流すだけだ。

勝手にどうぞ。そんな噂程度で立場をなくすほど、私の人望は薄くないから。

――翌日。

あやかさん、あんた、慰謝料を払うって?

そうね。その慰謝料だけど、姑……じゃなくて、元姑の私にも払ってちょうだい。

あ、お母さん。いや、正確には元姑ですけど、ややこしいのでお母さんって呼んでもいいですか?

あんたに母って呼ばれる筋合いはないわ。

お母さん以外だと、「態度だけ大きいクソババア」になりますけど。

はあ?

嫌そうなので、お母さんで行きますね。それで、何用ですか? 頭でも打ちましたか?

売ってないわよ。本当に可愛げのない女ね。

お母さんに見せる可愛げは売り切れましたので。いいから、私にも慰謝料を払いなさい。

なぜですか?

あんたが私を傷つけた罰よ。そうね、月に百万上乗せで、勘弁してあげる。

あの、なんとなくで喋るのはやめてください。

なんとなくって何よ。

月に百万ってことは、継続的に払えってことですよね。

それが何?

そんな慰謝料の形態は、ほとんど聞いたことがありません。しかも百万って、切りがいいから百万にしたんですか? バカ丸出しですね。

なんですって?

そもそも、私が「傷つけた」とは? 具体的にお願いします。

あんたが嫁の頃から、私を見る目が気に食わなかったの。

見る目ですか?

そうよ。私を馬鹿にしたような目で見て。しかも、何かあるとすぐに正論。

ええ。正論って、分かってたんですか?

繊細な私の心が、どれだけ傷ついたか。

繊細って、お母さんとは対極の言葉ですよ。

はい?

あと、お母さんが訳の分からないことばかり言うからです。何でしたっけ? 「子供を産めない女に用はないから、離婚して消えろ」ですか。

言ったわよ。事実だもの。

それを聞いて、かずやはため息をついてましたけど。

それが何?

呆れてたんですよ。私たちは別に、子供欲しさに結婚したわけじゃなかったんで。

そんなの関係ないわ。嫁は子供を産むための機械みたいなものよ。なのに子供が産めない女はクズ。間違ってないわ。

なら、私が言った正論とやらも、間違ってないのでは? 私が傷ついたって言ったら、傷ついたの?

黙って慰謝料を払いなさい。支払い期限は来週までよ。

来週? 来週、何かあるんですか?

え? 一体、何のことかしら?

お母さん、本当に何なんですか?

何でもありません。そういえば、ずっと気になってたことがあるんです。

何?

私とかずやが離婚する三ヶ月くらい前でしたっけ。私のUSBが紛失しましたよね。

ああ、確か私が泊まりに行った時のことだったわね。

そうです。あの後、数日してからお母さんが見つけてくれました。

いいことじゃない。もう終わった話でしょ。

なぜ、お母さんがUSBを見つけられたんですか?

はい? どういうこと?

あれは、私が仕事を家に持ち帰った際に使うUSBです。企画書を書いてて、そのデータが入ってました。

そうだったの? 知らなかったわ。

そのUSBが、うちで見つかるなら分かりますけど。どうして、私が帰った後にお母さんが見つけることができたんですか?

それは、その……あれよ。私の荷物に紛れ込んでたのよ。

ええ、初めて聞きました。

今、言いました。もういいでしょ。それよりも慰謝料よ。慰謝料。

払いません。

は?

明確な理由を提示してくださるまで、払う気はないと言ってるんです。

あんたの言葉で私が傷ついたのよ。精神的苦痛を受けました。

私はお母さんの言動で、それ以上に苦痛を感じました。弁護士に相談したら、慰謝料取れるって言われたの。

だったら、その弁護士が適当なことを言ってるだけですね。他の弁護士に相談することをおすすめします。

私の知り合いを馬鹿にするの?

知り合いなら、お母さんに気を使ったんですね。なぜ弁護士が適当なことを言うと?

現状、特に証拠もないんですよね。それでもらえるほど、慰謝料は簡単じゃありません。お金が欲しいなら、他を当たってください。

――数日後。

なぜ慰謝料を払わないの? 早くしてくれないと困るわよ。

困るのはこちらのセリフです。私、今は勤務中なんですけど。

そっちの都合なんて知らないわよ。それよりも、早く入金しなさい。

もう銀行も終わってますよ。この間も思いましたけど、かずやもお母さんも、何をそんなに焦ってるんですか?

あんたには関係ないでしょ。

そうですね、関係ありません。関係ないので、慰謝料うんぬんも払う必要はありませんよね。

それは……それはこれよ。何でもいいから、急いでちょうだい。

そっちの都合なんて知りませんけど。

もう、減らず口ばかり。

なら、こうしましょう。

どうしましょう?

かずやは慰謝料二百万って言ったのよね。お母さんは月に百万の上乗せって言ってましたね。そのうち百万だけでいいわ。百万だけでいいから、先に払ってちょうだい。

それは、百万で手を打つって意味ですか?

そうじゃなくて、百万だけ先払いしろってこと。その代わり、残りは少しだけ待ってあげる。

却下です。なら、五十。

これ以上は無理よ。

ここは地面ですか? ここまで譲歩してるのに、なぜ駄目なのよ。

なぜは、こっちのセリフですが。

私はあんたのせいで傷つきました。繊細な私が心に傷を負ったのよ。慰謝料を払うべきでしょ。

証拠もなしに、本気で慰謝料が取れると思ってたんですか? 慰謝料というのはお小遣いじゃないんですよ。駄々をこねればもらえるってもんじゃありません。

なんですって?

というか、そんなに繊細なら、「要注意」の札くらい首から下げといてください。

冗談じゃないのよ。

というかですね。慰謝料を払うのは、あなたたちの方ですよ。

――翌日。

昨日の話は母さんから聞いた。その上で、もうこっちも手段は選んでられない。

手段は選んでられない? 最初から選んでないように見えるけど。

噂を流すというのは、今まではただの脅しだった。だが、この状況で慰謝料が払われないなら、その手段とやらはもう選べないわよ。

は? どういうことだ?

あなたが不倫をして、しかも相手を妊娠させていたから。

何言ってるんだ? そんなこと、俺はしてない。

最初の違和感は、あなたと離婚についてLINEした時よ。

本当に何言ってんだ? 違和感?

あの時のLINEのどこに違和感があった?

私は「後輩が退職する」としか言ってないのに、私の企画書とかぶった後輩――りん子が退職するのだと、なぜ分かったの?

それは、なんとなく言っただけだ。

あれだけなら、そうでしょうね。実際、我が家でもよく名前を出してた後輩だし。

だったら……

次の違和感は、りん子が体調不良じゃないかと言った時の、あなたの過剰な反応。人の体調の噂なんて、よくない。ましてや同じ職場の同僚相手なら、しない方がいいだろう。

それはごもっとも。でも、あなたが過剰に反応したのは、私が「何か気づいてる様子の同僚がいた」と言った後だったわよね。

それが何だ?

つまり、何か不都合なことがあったから、じゃない?

馬鹿馬鹿しい。そんなことで、俺が不倫してるだの言うのか?

違和感はまだあるわ。次は、急な慰謝料の請求。

請求できると思ったから言っただけだ。

いいえ。あなたは請求できると思ってない。勢いで行けると思ってる。お母さんとは違ってね。

なぜ、そう思うんだ?

唐突な手段で請求しても、払われない。そう思ってるから、柄にもなく脅してきたんでしょ。

それは……

前にも指摘したけど、あなたはバカじゃない。こんな無茶な方法で慰謝料を請求して、それこそ会社で噂が立てばどうなるか、理解してる。

それは聞いたよ。二百万と、今後の職場での立場。どう考えても釣り合わない。それでもやったのは、直近でまとまったお金が必要だから。

違う。

名探偵が何が言いたい? 言いたいことがあるなら、はっきり言え。

あなたは、私と離婚したりん子と再婚する気だった。大方、妊娠したことでお母さんが乗り気になったんでしょうけど、それができなくなった。

なぜ、そう思う?

再婚できるなら、別に私に慰謝料を請求する必要はない。りん子が退職したのは、再婚のためよね? 不倫して妊娠したのがばれれば面倒だから。

やっぱり隠しきれるわけないよな。

認めるのね。

お前のことだ。もう、すでにある程度の裏は取ってあるんだろう。

体調不良の原因に気づいていた同僚から話は聞いたわ。りん子が相談されてたそうよ。妊娠した時の体調不良の隠し方を。

お前には悪かったと思ってる。けど、こっちにも事情があったんだ。

不倫するのに、事情もクソもないでしょ。まあ、他にも気になる点はまだあるけど、それはあなたに聞くことじゃないわね。

母さんか。

理解が早くて助かるわ。じゃあ、これからどうされるかも分かるわよね。

慰謝料を請求するって話だろう。いくらだ?

三百万。

三百万? 不倫の相場より、だいぶ高いだろう。

ただの不倫じゃないからでしょ。不倫相手が妊娠してる。しかも、同じ職場の後輩が。

くそ。こっちはそんなことに金を使ってる場合じゃないのに。

ああ、それと。

なんだよ?

あなた、会社首になったでしょ。

――翌日。

あんたのせいよ。あんたのせいで、私たちはもう終わりよ。

あの、せっかくの休日に何ですか? 元嫁と元姑って、こんなに頻繁に連絡を取り合うものじゃないでしょう。

うるさいわね。あんたがさっさと慰謝料を払ってたら、こんなことにはならなかったんだから。

そうよ。

まず、認識が間違ってます。

は? 何が?

軽く整理しますけど、元を辿ればかずやが不倫をしなければ。そして何より、お母さんが余計なことをしなければ、ここまでこじれることもなかったと思いますよ。

え? 一体、何のことかしら?

無くなったUSB。あれ、盗んだの、お母さんですよね?

はあ? 何言ってるの? そんなわけ……

細かいことまでは分かりませんが、お母さんは、かずやりん子が不倫してることに気づいた。そしていつまでも子供ができない私よりも、若いりん子と結婚した方が孫ができると思った。

仮にそうだとして、USBを盗んだって話とどう関係するのよ。

りん子は出世のために、お母さんを利用した。私の企画書を奪うために、USBを盗ませて。もちろん、お母さんは私が邪魔なので、喜んで力を貸したことでしょうね。

言いがかりよ。そんなの事実無根だわ。

でも、問題が起きた。

問題って何よ?

りん子の妊娠ですよ。お母さんは喜んだでしょうし、かずやも再婚を決めた。でも、りん子はそうじゃなかった。

妄想も大概にしなさい。

その妄想通りだと、ご自分で証明してますが。

どういうこと?

私は会社に仕事を持ち帰る許可をもらってました。

それが何?

ですが、USBが盗まれ、その企画が通った。情報漏洩とまではいかなくても、大問題です。

そんなの、あんたの管理責任じゃない。

本来ならそうですね。けど、それが盗まれたのであれば、話が変わります。お母さんとかずやは、そのことでりん子に脅されてたのでは?

何を根拠に?

りん子に金銭を要求され、私への慰謝料請求で払おうとした。だから、支払いを早くしろと急いだのでは? 百万でも五十万でもいいから先に払え。そう言ってたのが、何よりの証拠ですよ。

そうよ。あの女に脅されてたの。あいつ、金を払わないと会社に全部言うって。

そうは言っても、かずやなら跳ね除けられそうなものですが。

ああ、子供の免罪符が問題だったんですね。

え? 何? どういうこと?

お母さんに配慮したんでしょう。孫を欲しがってたお母さんのために、免罪符は取ろうと。だから、跳ね除けられない要求を受けた。

そう、そうなのよ。あの女、子供の免罪符も盾にしてたの。

まあ、でも安心してください。りん子は、もうそんなことできませんから。

え? 子供の免罪符は知りませんが、りん子はうちの会社から訴えられてます。

そうなの?

ええ、私の方から今回の件を報告しましたので。

じゃあ、もうあの女に怯えなくていいのね? 金を用意する必要もないってこと?

そうですよ。その代わり、お母さんも訴えられますけど。

は? 訴えられるって、誰に?

うちの会社ですけど。

はあ? なぜ私が? USBを盗みましたよね。

この事実が原因で、あの企画は凍結となりました。結果として、我が社には一千万程度の損害が出てます。

なぜよ。元々はあんたの企画だったんでしょ。なら、あんたが後を引き継ぐなりすれば……

社会って、そんなに簡単じゃないんですよ。社内で起こったこととはいえ、盗まれた企画書です。そんな企画を通したとばれれば、信用問題になります。だから、企画は取りやめ。

その損害を私に請求するって……

りん子とお母さんにですね。一千万の半額ずつ、五百万がそれぞれ請求されます。

そんなの、私は知らないわよ。あの女に言われてやったことだから。

その手の言い訳が通じるのは、子供までですよ。

あんた、仮にも一度は私の娘だったでしょ。

義理のですけど。そうですね。

なら、こんなことはやめさせて。お願いよ。今までのことだったら謝るから。

お母さん、私は子供を産むための機械なんですよね? そういったことも謝るから。

すみません。私は人の感情とやらには疎いんで。なんせ、機械ですから。情に訴えられても、理解できないんですよ。

――数週間後。

なあ、あやか。頼む。母さんを止めてくれ。

あ? 止めるって、何を?

母さん、会社から損害賠償を請求されただろう。りん子と一緒にね。それで、りん子のやつが、その金を取り返そうとして。もしかして、あなた訴えられてるの?

不倫の事実を知らなかった。これは肖像権の侵害だって、慰謝料を要求してる。

最後まで、いじ汚いことで。というか、そんなの無理筋でしょ。

無理筋ではあるし、普通にやれば俺たちは負けない。けど、母さんが夜逃げしそうになってて。

もしかして、裁判でも始めたの?

そうなんだよ。ただでさえ母さんは損害賠償で五百万。俺はお前からの慰謝料で三百万、請求されてるのに。こんな風に裁判なんてしたら、金がいくらあっても足りない。裁判をするのだって、ただじゃないし。弁護士費用だって払い続けてる。俺は今、仕事も首になってるんだぞ。

身内が盗みに加担してたんだもんね。そりゃ首ですわ。

お前が会社に報告したせいだろう。

逆に、私が報告しない理由がないでしょ。

そうだけど……とにかく、俺と母さんで共倒れだ。二人とも、もう勝ち負けとかじゃなくて意地になってるんだ。お前の方から、なんとか言い聞かせてくれ。

いや、私が言っても逆効果でしょう。そもそも、なぜ私が助けないといけないの?

なぜって? 元を辿れば、お前が色々と暴露したせいだろう。

暴露されるようなことをしてたのは、誰?

俺たちだけど……

でも、でもって何?

私はね、かずや。あなたとの結婚生活、意外と気に入ってたのよ。前にも言ったと思うけど、多少の不満はあっても、離婚するほどじゃなかった。今の仕事だって、学生の頃からの夢だったし。同じ会社で働くあなたと悩みを共有できるのも、嬉しかった。二人ともそれなりに給料は高いから、裕福だったしね。

それは聞いた。

だったら、でも、あなたのせいで全部壊れた。私の生活を、自分勝手な理由で壊しといて。自分が困ったら「お前のせいだ」助けろ。あなたのせいで失った私の生活は、そっちは無視。それはもう、虫が良すぎるなんてレベルじゃないわよね。

俺は……

あなたに助けを求める資格なんてない。私はつまんない女で、愛嬌もないけどね。あなたは、そんな女にすら見捨てられた、つまんない男よ。

俺は、これからどうしたらいいんだ?

知らないわよ、そんなこと。ただ、あなたみたいな男には、二度と関わりたくない。それが、あなたの言う「つまんない女」の答えです。

――その後。

姑とりん子の、無駄な意地を張った裁判合戦は続行した。どちらもかずやの意見などには一切耳を貸さず、泥沼の裁判を、互いの資金が尽きるまで行い続けた。それはもはや裁判というよりも、ただの喧嘩。自分の正当性を主張し、相手の意見には一切耳を貸さない。どちらも金銭的な事情からそうせざるを得ないのは理解できるが、女の悪いところを煮詰めたような争いは、見ているだけで胸焼けがする。それを止めることもできず、見ていることしかできないかずやも、同様に。結局のところ、かずやも姑もりん子も、三人が三人とも欲をかいた結果、穴を掘り、この泥沼を生み出したのだ。

私と離婚しただけで満足すればよかった。弱みを握ったからと金銭を要求せず、素直に再婚しておけばよかった。孫が欲しいからと、不倫相手を担ぐような真似をしなければよかった。ああしていれば、こうしていれば、と後悔ばかりが積もる。今回の件は、まさにそういう話だった。

今の選択は正しいのか。こっちの選択ならどうなるのか。今回の件を経て、私は一度立ち止まって自分を見返す、そのことの大切さを改めて理解したように思う。これから先、私にもいろいろな選択があるだろうが、たらればにすがらずに済むよう、納得のいく選択をしていきたい。

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