式場の入り口で、受付の女性は冷たい目を私に向けた。名前を伝えても、リストにないと言う。それどころか、話しかけても無視された。ああ、これはただの間違いじゃない。これは意図的に私を外そうとしている。そう悟った瞬間、背後から聞き覚えのある声がした。
「すみません。今日の結婚式は関係者以外お断りなんです。なので部外者はさっさと帰ってもらえますか」
振り返ると、そこには弟の婚約者、玲奈さんが立っていた。
「こんにちは、玲奈さん。部外者と言いながら、その部外者に連絡してきたのはそちらですよね。ずいぶん矛盾してると思うんですが」
「知り合いと関係者は別でしょ」
「それなら言わせてもらいますけど。私は人狼の姉で、あなたの義姉になる人間です。それを部外者扱いするのはどういうことですか?受付で名前がないって言われて驚いたのに、話しかけても無視して」
「いやいやいや。さすがに厚かましすぎますよ。エリート一家の結婚式に紛れ込んだこのゴキブリ目が」
「きり」
さすがにそれは言い過ぎではないだろうか。この家の人たちが私をよく思っていないのは知っていた。高卒だから偏見を持たれることには慣れている。しかし、ゴキブリ呼ばわりされたのは初めてだ。
「わあ、初体験おめでとうございます」
「全然嬉しくないわよ。とにかく、式に参加できない正当な理由を教えてください。大体私は弟からきちんと招待されています」
「え、招待が来たから来たって何それ?そんなの社交辞令に決まってるでしょ。高卒はそんなことも知らなくてかわいそうですね」
「なんですって?」
「はっきり言ってあげるわ。低学歴の女なんて誰も相手にしないのよ。話しかけないで。匠は優しいから言えないだけ。本音ではお姉さんが低学歴のバカで恥ずかしいと思ってるわよ。かわいそうに。きっと今までずっと白い目で見られてきたんでしょ。バカな姉のせいで恥をかかされたんだわ」
「弟がそんなこと言うはずありません。あなたに私たちの何がわかるっていうんですか」
「本音はそうに決まってる。低学歴のバカなんて、親戚にいるだけで恥ずかしいじゃない。とにかく、いるだけで人に迷惑をかけてるのよ。さっさと消えてくれない?私は忙しいの」
「忙しいのに連絡してきたのはそっちじゃないですか」
その時、玲奈さんのスマホが震えた。彼女は画面をチラリと見て、ニヤリと笑った。
「あら、お義母さんから连絡が来たわ。あなたのことを相談したら、『外で騒がれても迷惑だから会場には入れてあげなさい。ただし控室で待機させなさい』って。式には出させないようにって」
「これはこれは、お母さん、また随分なご要望ですね。せっかく式場に来たのに、結婚式には参加するなと?私は新郎の唯一の親族ですよ。親族席を空ける方がおかしいと思うんですけど」
「あなたみたいな人はいない方がいいのよ。低学歴の人が親族席にいたら、うちのゲストに笑われるもの。高卒なんて、この時代にありえないわ」
「お母さんが生きてきた時代は、そんな世界線だったんですね。片身が狭くて大変だったでしょうね」
「同じ時代を生きてるわよ。失礼ね」
「同じ時代ですか?それはおかしいですね。実際、高卒で社会に出てる人はいますし、学歴に関係なく成果を出している人は大勢いますよ。逆に、あなたたちのように学歴主義のくせに、その学歴を生かさず小さなプライドにしがみついている。そんな惨めな人もいるんですよね。現に、お母さんもその類いですよね」
「そういう安い挑発には乗らないわよ。低学歴だから、そういうことしか言えないのね。どうせ頭が悪くて、努力できなくてやめたんでしょ。恥ずかしいわ」
「恥ずかしいと思われるような生き方はしていません。匠だって今は立派に成長しましたし」
「あら、何?弟の成功は自分の成功だと思ってるの?なんて浅ましいのかしら」
「いえ、そんなつもりはないです。あの子が頑張ったから今があるんです」
「そう。匠が頑張ったの。そして、私たちのおかげよ。匠が成功したのは、私たち名家の教育のおかげなの。あんたみたいな低学歴の女が何かしてあげたって本気で思ってるの?傲慢すぎるわ」
「何言ってるのか、さっぱりわかりませんね」
「そうね。直接教育したのは私じゃないし、自分の手柄のように言うのは違うわね。頑張ったのは匠よ」
ますます意味がわからない。この人たちは、なぜ私が弟のためにしてきたことを、こんなにも簡単に消し去ろうとするのだろう。
「それなら聞きますが、匠の成功が匠の努力だけじゃないという根拠は?」
「私は彼と高校から一緒なのよ」
「ええ、知ってますよ。家に遊びに来たこともありましたし。つまり、彼を支えたのはこの私。相談ごとにも乗って、彼の将来を一緒に考えてきたんだから」
「確かに、その点ではあなたが支えになっていたのは認めます。家族の私には打ち明けにくいこともあったでしょうし。ですが、私が何年も働いて弟を支えたのは事実です。あの子は私が育てたようなもの。それなのに、結婚式で部外者扱いされて不愉快です。匠とも連絡がつかないし」
「匠の携帯は今、私が預かってるの。後で写真を撮りたいから。彼は準備が遅れたっていう前科があるから、取り上げるのは楽勝だったわ」
「そこまでするなんて」
「匠は優しいから。あなたに泣きつかれたら、どうにかしないとって思うに決まってるわ。本当いい人よね。だからはっきり言わせてもらうけど、あなたの弟は自分の努力で成功したの。あなたの自己満足に感謝する必要なんてないし。それに、面倒を見てふんぞり返るなんて性格悪いわ」
「自己満足?私の人生を賭けた覚悟が、自己満足だって?」
「そう言ったけど、何が見えなかったの?てか、弟の学費を出したって言ってるけど、それって当たり前じゃん。家族なんだから。それなのに彼の努力を自分の手柄みたいに言うとか、人間終わってるわ。さすが低学歴」
「確かに、家族なら支え合いは必要です。でも、支え合いは当たり前じゃない。助けて当たり前だって考えも傲慢ですよ」
「いやいや、当たり前よ。常識ないわけ?子供はお金を稼げないんだし。稼げる奴が養うんでしょ。それを今更恩に着せるなんて、本当に品がないわね」
「あなたとは話が通じない。弟に合わせてください。どこにいるんですか?」
「匠は今、準備で忙しいから会えないわ。今支度中だし、空気を読んでくれない?あんたみたいな恥晒しと話したら気分が悪くなって、式が台無しになるじゃない」
「弟と直接話させてください」
「彼は今大事な時間なの。あなたみたいな非常識な人間に邪魔される筋合いはないわ。今、スタッフにも事情を話しておいた。非常識なお姉さんが無理やり会おうとするから止めてほしいってね」
「非常識?会うことのどこが非常識なわけ?」
「あのさ、あんた今日どんな服を着てきたの?」
「ドレスですけど」
「それは知ってるけど、まさか安物のドレスとか着てないよね。うちのゲストはみんなハイブランドしか着ないから、恥ずかしい格好で来られたら困るんだけど。その安っぽいドレス、どこの?」
「普通の百貨店で買いました」
「百貨店でもピン切りよね。あなたみたいな奴が買える範囲のものは、所詮その程度。そもそも恥ずかしい格好で来てる時点で、TPOもわからない非常識な人ってことよ。挙句、掃き出して来てるし。非常識って呼ばれたくないわね」
「うわ、こわ。そんなんだから結婚できないんでしょ。ていうか彼氏もいないくせに。弟は立派に結婚するのに、お姉さんは独身。惨めねえ」
「わかりました。もう結構です。そこまで言うなら、式には参加しません。あなたと話すのは疲れました。正直、顔も見たくありません」
「やっと理解したの?じゃあおとなしく控室で待っててよね」
「いえ、スタッフの人にも迷惑になりますし。じゃあ帰りますね」
「報告しなくていいわよ。さっさと消えて」
式開始三十分前。匠がようやくスマホを返してもらえた。
「玲奈、さすがにスマホ没収はひどくないか?」
「前にスマホをいじって電車に乗り間違えて、私を一時間も待たせたのは誰だっけ?」
「う、それはそうだけど、昔の話だし」
「前科があるんだから、没収されても仕方ないでしょ」
「わかったよ。もうしないから、没収は勘弁してくれ」
「そういえばさ、姉さんはもう式場に来てると思うんだけど。スマホを見たら着信があったんだよ。けど、メッセージが消えてるんだ」
「ああ、ごめん。それ私。操作ミスで消しちゃったの。本当ごめん」
「マジかよ。携帯は見てもいいって言ったけど、消すなよな。姉さんにちゃんと謝っとけよ」
「謝ったわ。もう一回送信してくださいって。『わかった』って言ったのに送信してないってことは、きっとどうでもいい用事だったのよ」
「そうなのか。にしては姉さんの姿が見えないんだよな」
「トイレじゃない?」
その頃、匠の母がこっそり玲奈に話しかけていた。
「ちょっと玲奈さん、あなた匠の姉に意見したそうね。いいわ。外で騒がれても迷惑だから、会場には入れてあげなさい。ただしあなたは控室で待機よ。式には出ないでちょうだい」
匠のスマホが再び鳴った。玲奈は一瞬ためらったが、匠がシャツを直している隙に、姉からのメッセージを確認して、そっと消した。
匠が姉からのメッセージを消されたことに気づき、玲奈に詰め寄る。
「姉さん、今どこにいるんだ?着信くれてたのに出られなくてごめん。玲奈にスマホを預けててさ。要件何だった?あいつがメッセージを消しちゃったから見られなくて」
「ごめんね、匠。もう式場にはいないわ」
「え?いない?どういうこと?もう式が始まるんだよ」
「低学歴はいるだけで恥ずかしいから参加するな。部外者は消えろって言われたの」
「へ?誰に?なんでそんなひどいこと?」
「これが全てよ」
匠の画面には、玲奈のメッセージのスクリーンショットが映っていた。それは、玲奈が姉に向けて送ったはずの、侮辱の言葉の数々だった。玲奈は必死に取り消し操作をしていたが、匠が画面を録画していたことを知らなかった。
「なんだよ、これ。本当に玲奈なのか?」
匠は玲奈に問い詰める。
「玲奈、聞きたいことがある。姉さんに何をした?」
「お姉さん?何もしてないけど」
「姉さんが帰ったんだって。どういうことだ?説明してもらおうか」
「え?なんで?スクショ?そんなはずないわ。私、メッセージを消してるのよ。消したメッセージのスクショなんて取れるはずない。これは偽物よ」
「動画だよ。送った画像は、動画を切り抜いて撮ったものだ。スクショじゃないんだよ」
「動画?あいつ、そんなことしてたの?」
「とにかく説明してくれ。これは何だ?姉さんを侮辱して式場から追い出すなんて」
「あ、あれは冗談っていうか。私がお姉さんのこと嫌いなの、知ってるでしょ。だからちょっと当たりがきつくなっちゃったっていうか」
「冗談で人をゴキブリ呼ばわりするのか。大体、メッセージを消しているのだって、後ろめたい気持ちがあるからだろう。姉さんがどれだけ傷ついたと思ってるんだ」
「だって低学歴だし。匠だって、恥ずかしい思いをしてきたに決まってる」
「恥ずかしい?むしろ俺は姉さんを誇りに思ってるよ」
「なんで?」
「姉さんが高卒なのは俺のためだ。姉さんは十八歳で就職して、自分の大学を諦めて俺の学費を全額出してくれた。四年間で一千万円だぞ。大人になってよくわかる。そのお金を稼ぐのがどれだけ大変だったか」
「それは聞いたことあるけど、昔の話でしょ」
「昔の話?そのお金がなければ、今の俺はいないんだぞ。お前は匠は自分の努力で成功したって言ってたみたいだな。それは違う。俺の大学の学費、さっきいくらか話したよな。十八歳の高校生が自力で用意できる金額か?できないよな。俺は努力で成功なんてしてない。姉さんのおかげで努力できる環境をもらっただけだ」
「でも、家族ならお金を出すのは当たり前でしょ」
「じゃあ玲奈は、自分の兄弟のために一千万円出せるのか?そこまで家族に尽くすことができるのか?」
「う、それは極端っていうか。私だってボーナスが出れば、大きな金額を出せるわよ」
「姉さんは毎月十万円、四年間欠かさず俺の口座に振り込んでくれた。ボーナスとかそういうの関係なしにだ。俺が困らないようにって、自分のことは後回しにして。姉さんは働きながら働いて俺を大学に行かせてくれた。自分は恋愛も遊びも全部諦めて。それを自己満足で恩着せがましいって、よく言えたな」
「でも今は関係ないじゃん。結婚式なんだよ。もう終わった話をされても」
「終わった話?俺の今の全ては姉さんのおかげなんだぞ。休みもほとんどなく、自分のために使う金もなく、全部俺のために働いてくれた。それをお前はゴキブリ扱いして追い出したんだぞ。許せるわけないだろう」
「落ち着いてよ」
「落ち着けるか。お前は姉さんに何の恨みがあったんだよ。あれだけ侮辱して、人間として最低だ」
「だって、エリート一家のイメージがあるし。それに見るからに苦労してますみたいな人が来たら、結婚式の雰囲気が悪くなるじゃん」
「イメージ?雰囲気?そんなもののために姉さんを傷つけたのか」
「でも実際そうじゃない。確かにそんなにお金を支援したのはすごいけど。それだって、低学歴で頭が悪かったから肉体労働しかなかったんでしょ」
「姉さんのこと、低学歴ってバカにしてたよな。でも姉さんは高卒で、IT企業の営業部長まで昇ってるんだぞ。今では年収千二百万円以上だ。それくらい活躍してるし、姉さんは会社になくてはならない人なんだよ。それに比べて、君の年収って確か三百五十万円だったよな。それでエリートなら、姉さんは超エリートだよ」
「それは、えっと。でも私だって最近成果が上がってるのよ。この前、大きな会社と取引が成立して、私のおかげだってめちゃくちゃ褒められたの」
「そうやって努力してるのに、ならなんで姉さんを否定したんだ?学歴しか誇れるものがない人が、実力で成り上がった姉さんを馬鹿にするとか、笑えるな。それにさ、ずっと思ってたんだ。一体何を持ってエリートって言うんだ」
「う、それは有名な大学に入っていい成績を収めることでしょ」
「でも君が自慢してた有名私大卒って、偏差値五十の私大だろ。有名なのは、その地域に大学が少ないからだ。よくそれでエリート気取れたな」
「やめて、馬鹿にしないでよ」
「他に誇れるところがないから、学歴にしがみついて、大した学歴じゃないって認められないんだろう。俺は玲奈に感謝してたんだ。家族は姉さんしかいなくて、相談相手もいなくて、でも俺のことずっと支えてくれてたから。結婚するなら、人を思いやれて、俺も支えたいと思える人がいい。だから、もう君とは結婚できない」
「ちょっと待って」
「式は中止だ。婚約も破棄してやる」
「婚約破棄?なんで?」
「今理由を言っただろう。そこで『なんで?』って出てくるのが、不思議で仕方ないんだけど」
「だって、お姉さんを追い出したからって、婚約破棄まで言われるなんて」
「ああ、そういう認識なのか。もういいよ。わかった」
「待って。匠、謝るから。お姉さんにも謝るから」
「今更遅い。姉さんをあれだけ傷つけておいて、謝れば済むと思ってるのか」
「お願い。結婚式中止なんて、ゲストや親戚がいるのに恥ずかしいって」
「自業自得だろ」
「匠、お願いだから考え直して」
「もう二度と関わらない。君と一緒に未来を歩めないのが残念だ。ゲストはほとんど玲奈の関係者だから、君から説明してくれ。俺は俺のゲストに説明するから」
その頃、玲奈の母が匠に詰め寄っていた。
「ちょっと待って、匠君。玲奈から聞いたわ。婚約は考え直して。玲奈ちゃんは悪気があったわけじゃないの」
「黙ってください。言っておきますが、あなたも同罪ですよ」
「え、私?」
「『弟は自分の努力で成功した。あなたの自己満足に感謝する必要なんてない』。あなたも言いましたよね。それは言い方が悪かっただけで」
「言い方の問題じゃない。姉さんの今までの努力と思いやりを完全に否定したんだ。絶対に許しませんから。とにかく結婚式は中止します。後のことは後日話し合います。お金の問題とか、色々ありますから」
「待ってちょうだい。匠、お願いだから」
翌日。姉の家のドアが鳴った。開けると、玲奈が立っていた。
「お姉さん、お話があります。あの、その、本当にごめんなさい」
「これはこれは玲奈さん、今更何のようですか?」
「あの時は本当に申し訳ありませんでした。許してください」
「すみません。高卒の低学歴には、何の話かわからないので失礼します」
「えっと、すみません。高卒と馬鹿にして申し訳ありませんでした。だから許してください」
「許す?あなたは私に何をしたか、本当に理解していますか?」
「調子に乗ってひどいことを言ってしまいました。反省してます」
「では、もう一度あなたが私にしたことを確認しましょうか。どう送り付けてもいいんですよ」
「それは、あの、本当に反省してます」
「私に何を言ったか覚えてないんですか?どの発言に対して謝ってるのか、わかりませんね。一言一言、動画から文字起こしして送りましょうか?エリート様なので、会話も覚えてると思ったんですけどね」
「すみません、本当にごめんなさい。許してください」
「それ、聞き飽きました。もういいですよ。ああ、そうだ。私はあなたより社会人経験があります。ですので、今から勘違いや思い込みで大きな失敗をすることを教えてあげますね」
「へ?」
「実は私の会社、この前大きな取引が成立したんですよ。えっと、確か大掛け商事って、あなたの勤め先ですよね」
「そ、まさか」
「あなたの取引を最終的に決定したのは、私なんですよ。しかし、高卒はいるだけで恥をかかせてしまうのですよね。そんな偏見を平気で口にするような方が取引担当というのは、本社の社員を危険にさらす危険性があります。ですので、本日あなたの会社に全てご報告した後、担当を変えていただくよう依頼しました」
「待って。本当にごめんなさい。お願いします。この取引に全部かかってたのに」
「ああ、あなた会社で大きなミスをして、地方に左遷されそうになってたんですよね。それで今回の取引で成果を上げて、なんとか本部に残った。でも、その大きなミスも、取引相手に失礼なことを言って怒らせたからですよね。同じことをまた繰り返したんです」
「もう左遷は勘弁して。そんなことって」
「あなたは私を『低学歴女、誰も相手にするか』と言いました。確かに私は高卒です。でも、今のこの現状で、どちらが社会的に評価されていると思いますか?学歴と収入は別ですけどね。でも、別に学歴で人を見下すのはおかしいですよね。矛盾していませんか?」
「は?」
「大掛け商事との取引、私が提案すれば通ります。あなたの部署、大打撃ですよね。でも、それでは会社の迷惑になります。それくらい私の発言というのは影響力もあることを理解していますから、しません。でも『低学歴女、誰も相手にするか』とおっしゃっていたのに、その低学歴女があなたの生活を左右する立場にいるなんて、皮肉ですね」
「本当にごめんなさい。もう二度としませんから」
「二度としない?そもそも一度でもしてはいけないことでしたよね」
「お願い、許して」
「あなたは私をゴキブリ、低学歴女と呼び、存在しないことにすると言いましたね。私がどれだけ傷ついたか、想像したことありますか?十八歳から弟のために働き続けました。大変じゃなかったと言えば嘘になります。でも、あの子が自分のしたいことを、お金がないからという理由で諦めさせたくなかった。そのためなら、何だってできました。何の権利があって、あなたはそんなことが言えたんですか?」
「本当にごめんなさい」
「謝罪で済むなら、誰も傷つきません。あなたのしたことは、私の人生そのものを否定したんですよ。もう何を言っても、私の決心は変わりませんよ」
数時間後、姉の家のインターホンが鳴った。今度は玲奈の母だった。
「みささん、この度は本当に申し訳ありません。娘のことで謝罪させてください」
「今度はお母さんですか?でもちょうどいいです。あなたにも言いたいことがありましたから。あなたは『あなたの自己満足に感謝する必要なんてない』とおっしゃいましたね。さあ、そんなことは言い訳しても無駄です。証拠もあります」
「あ、えっと、それは言葉が過ぎました」
「言葉が過ぎた?あなたは私と弟の努力を完全に否定したんですよ。あなたは私が学費を出したのは知っていましたよね。知っていて、それでも『私たちの教育のおかげ』とおっしゃった。面白い理屈ですね。でも、匠は立派に育ちました。立派に育ったのは、私が必死に仕事をし、そしてそんな私の思いを受けて、弟がやりたいことのためにしっかり努力した結果です。あなた方は何もしていません」
「それは、あなたは私のことを調べもせずに低学歴と決めつけました。あなた方が自慢していた『エリート一家』って、具体的に何がエリートなんですか?いい大学に入ることがステータスで、確かにそういう考えで言うところのエリートでは、私はないですね。私はあの子のためだけに働き続けました。自分の青春も恋愛も、あの子を幸せにできるなら私には必要なかったからです。それを自己満足で恩着せがましいと言いましたけど、あなたは自分の子供のために一千万円出せますか?自分の人生をかけて、大切な人を支えられますか?できないですよね。口では『家族なら当たり前』と言いながら、自分ではできない。それなのに私の犠牲を否定する。どれだけ傲慢なんですか?」
「ごめんなさい」
「本当に謝ったところで、何もかも遅いんですよ。それに、本当に謝罪したいなら、LINEではなく直接来るのが筋では?つまり、謝罪したい気持ちもその程度なんですよね」
「そんなつもりは」
「まあ、家に来られても迷惑だったので、来ないでもらえた方がありがたかったです。弁護士の打ち合わせで忙しかったので」
「弁護士?」
「匠の弁護士は私が探しました。婚約破棄に強くて、かなりの凄腕ですよ」
「どういうことですか?なんで弁護士が?」
「婚約破棄の慰謝料を請求するからですよ。もちろん、原因を作ったあなたにも」
「そんな、私が原因って」
「あなたと玲奈さんが私を侮辱し、式場から追い出したことが、全ての原因です。証拠もあります。逃れられませんよ」
「お願いします。それだけは」
「結婚式費用の全額返金と、婚約破棄に対する慰謝料、合計三百五十万くらいですね」
「勘弁してください。そんな額、払えません。たでさえ、近所や親戚にも全部ばれて、『娘の結婚を台無しにした母親』って陰口を叩かれてるのに。お願いします。許してください。匠にも謝ります。土下座でも何でもします。だから慰謝料だけは」
「『いちいち報告するな』と言われたんですよ。ええ、あなたの娘さんから、報告は不要だと。ですから私もいちいち報告しません。弁護士が全て対応しますので」
「お願い、話を聞いて」
「それと、『存在しないことにした』と言われましたので、私もあなたを存在しないことにします。これ以降の連絡は、全て無視させていただきます」
「待って。本当にごめんなさい」
「エリート一家の結婚式に紛れ込んだゴキブリでしたっけ?でも知ってます。ゴキブリってすごくしつこいんですよ。何度でも、気づいた時にはそこにいる。そのゴキブリに人生を壊されるなんて、すごく惨めですね。かわいそうに」
その後。玲奈さんは会社から問題行動を指摘され、今回の件も含め、最終的には解雇されたという。さらに婚約破棄の慰謝料三百五十万円を請求され、母も共同責任として百万円の支払いを命じられた。玲奈さんは母に「ママのせいで全部めちゃくちゃになった」と攻め、冷たくする日々。二人は必死に匠に泣きついたそうだが、匠は聞く耳を持たなかった。最終的には二人揃って借金をし、本人たち曰く「誰でもできる」と言っていた肉体労働を強いられる日々を送っているという。
一方、私は今、静かに暮らしている。弟のためにとがむしゃらに働いた日々を後悔はしていない。しかし匠から「もう少し自分の時間を大事にしてほしい」と言われたので、今は少しだけ、趣味と言えるものを探している。仕事ばかりだった私の人生だが、これからは私個人の生活も大切にしていきたいと思った。
