「みさ、ちょっと、これどうなってるのよ」
昼休憩の喧騒の中で、スマホ越しに聞こえる母の声に、みさは眉をひそめた。職場の休憩室で、ようやく一息つけるかと思った矢先のことだ。
「お母さん、今、貴重な昼休みなんですけど」
「そっちの都合なんて知らないわよ。それより今月の仕送り、まだ届いてないんだけど」
「ああ、すみません。うちの家計はとやに任せてるので、私はちょっと」
「だから、そっちの都合は知らないって言ってるの。親への仕送りを忘れるなんて、ありえないわよ」
確かに、最近はとやのお腹もたるみ気味だ。それは事実だ。けれど、今はそれどころじゃない。
「お腹の話はしてないわよ」
「本当にすみません。とや、最近こういうことが多くて。この間も小春の給食費を払い忘れてましたし、先月なんて電気止まりましたからね」
「それは大変ね」
「でしょ? 本当にもう、あの人ったらちょっと抜けてて。というわけなんで、ちょっと待ってもらっていいですか?」
「どういうわけよ。私は今すぐお金が必要なの。待ちません」
「ダメですか?」
「ダメ」
「分かりました。それじゃあ、私の手持ちから出しますよ。仕送りって五万でしたよね。ちょうど昼休みですし、今から用意しますから」
みさが財布を取り出そうとした、その時だった。
「三千里さん、あなた何言ってるの? 仕送りの金額は毎月三十万よ」
「えっと、それは何の冗談ですか?」
「冗談じゃなくて本当よ。いつもとやが振り込んでくれるんだから」
「いや、え、三十万? それって私の月給まるまるってことですよ」
「あなたの給料事情なんて知らないわよ。ああ、あと、今月から仕送り三十万に二十万上乗せしてね」
「は? 五十万ってことですか?」
「三十万さえ意味分かんないのに、何言ってるんですか?」
「介護施設に入ることにしたのよ。それにかかる費用よ。私たち、家族だし。お願いね。みささんたちは共働きだし、五十万くらい余裕でしょ」
みさは深く息を吸った。失礼を承知で言わせてもらおう。
「お母さん、失礼を承知で言わせてもらってもよろしいですか?」
「何よ」
「冗談は寝てから言ってください。そんなの払えません。そもそも三十万の仕送りだって、私は許してませんから」
「そんなこと言っていいの? あんた、離婚させるわよ」
「占い師みたいな言い方ですね。というか、私たちの離婚を決める権利はお母さんにはありませんから」
「いいのね。あんたのせいで私が困っても」
「とにかく、三十万のこともとやに確認しないと分からないので、この話は持ち帰らせていただきます」
十分後、みさは家に戻ると、リビングで寛いでいたとやの前に立った。
「とや、話があるんだけど」
「うわ、みさ、なんか怒ってる?」
「ああ、もしかしてこの間の給食費のこと? それとも電気代? 謝ったじゃん」
「今はそれはいったん置いといて。お母さんへの仕送りのこと」
「仕送り? それはみさも承知の上だろう」
「三十万も送ってるのは承知してませんけど」
とやの顔が、みるみる青ざめていく。
「あ、ああ、ごめん」
「ごめんじゃなくてさ。なんで? 三十万って大金だよね。その大金を私に黙って仕送りしてたの、どういうこと? しかも何? 介護施設に入るから二十万上乗せしろとか言われたよ。これも黙って出す気だったの?」
「いや、母さんだって年寄りだし。って言っても、まだ六十代だし、特に病気とかもないけど……昨年父さんが亡くなって、一人だし」
「だからって、介護施設は早いでしょ。お母さんが死ねって言ったら死ぬの?」
「いや、死なないけど」
「なら、介護施設の支払いも断れたんじゃない? みさ、それは冷たいだろう。お前にとって義理の母親だぞ。親が困ってたら金くらい出してやるのは当然だろう」
「確かに、ちょっと冷たい言い方だったかもね。それはごめん。けど、あなたのやってることはいいの? お母さんを大事にするのはいいことだと思うよ。でも、あなたはもう私の夫で、小春の父親だよね。それが毎月黙って三十万も送って、さらに二十万も上乗せされてる。この二十万があれば、もっと小春に色々してあげられた」
「悪かった。悪かったよ。これでいいか?」
「何その投げやりな感じ?」
「お前がしつこいからだろう」
「しつこい? 仕送り自体は結婚してすぐに始めてたでしょ。私たち、もう結婚して八年だけど。その間、ずっと毎月三十万って、合計いくらになると思ってるの?」
「いや、三十万払い出したのは親父が亡くなってからだし」
「だとしても、二年は払ったんでしょ? それまでは何? 最初言ってた五万だけ?」
「そうだよ」
「五万の方は私も知ってたからいいとしても、上乗せ分の二十五万を二年間で六百万。黙ってこれだけのお金を使われて、怒ったらしつこい。どういう神経してたら、そんな発言ができるか教えてよ」
「いや、本当に悪いと思ってるって」
「思ってたら、あんな発言出ないでしょ。謝ってもお金は帰ってこないだろうけどね」
「そうだな……」
「けど、私の信頼は全然違ったわ。今、あなたへの信頼は最悪よ。言っとくけど、自分がクズだって自覚して」
「ちょっと待てよ。それって離婚ってことか?」
「お母さんへの仕送りは、今後一切しないで。それができないなら離婚。一発アウトじゃないだけ、まだマシだと思って」
翌日、とやは実家へ電話をかけた。
「母さん、ごめん。仕送りだけど、今後はもう出せない」
「はい? とや、あんた何言ってるの?」
「いや、みさにめちゃくちゃ怒られて……」
「ああ、なんか言ってたわね」
「だから、このままじゃ離婚するって言われてるんだよ」
「いいじゃない。離婚したら?」
「ダメに決まってんだろう。みさと離婚したくないし、小春のことだってあるし」
「じゃあ、みささんには黙って仕送りしてくれればいいわ」
「あのなあ、そんな簡単に言うなよ。そもそも毎月三十万ってのが、どうかしてたんだ。俺、みさに怒られて目が覚めたんだよ」
「三十万じゃなくて、今月からプラス二十万ね」
「だから、それがどうかしてるって言ってるんだ。毎月五十万って、冷静に考えてうちの月収全部だぞ」
「払えるって言ったのはあんたでしょ」
「どうかしてたんだよ。とにかく、もう仕送りはしないから」
「ああ、最低だわ。あんたの仕送りがないと、母さんは生活できません」
「いや、そんな堂々と言われても……」
「いいのね。あんたのせいで母さんが生活できなくて。母さんは明日のご飯もありません。すぐに電気も止まって、水道も止まって、気づいたら何もない部屋で一人でくたばっちまうのよ」
「いくら何でも、言い過ぎだろう」
「うるさい。この人殺し、親殺し。私はあんたたちのことを考えてるっていうのに」
「俺たちのことを考えてる? 考えてたら、こんな額の仕送りは要求しないだろう」
「こんなに早く施設に入るのを決めたのは、あんたたちのためよ。私ももう六十超えてるし、将来が不安な時期でしょ。でも、このままあんたたちの世話になるのは申し訳ない。だからこそ、今、施設に入ろうって決めたの」
「母さん、そうだったのか……」
「そうよ。あんたらが将来困らないようにって、決めたのに。こんな仕打ちはあんまりだわ」
「ごめん。まさか俺たちのことを考えてくれてたなんて」
「もういいのよ。私よりもみささんの言うことを聞くんでしょ。親である私を捨てて、幸せになればいいわ」
とやは、しばらく黙り込んだ。そして、低い声で訊いた。
「五十万だったよな」
「え?」
「介護施設代も入れて、五十万でいいんだな」
「そうだけど、まさか……」
「払うよ。ただし、みさには黙っててくれ」
「ありがとう、とや。さすがは私の息子だわ」
「そういうのいいから。本気でみさには何も言わないでくれよ」
「もちろんよ。息子夫婦が離婚なんて、悲しいもの。じゃあ、遅くとも明日の十時には振り込んでね」
一週間後、とやの実家から、今度はみさの携帯に着信が入った。
「もう限界だわ。これ以上は待ってられない。みささん、早く仕送りを送ってちょうだい」
「私が払うと思います?」
「だって、とやとはなぜか連絡がつかないし。でも、今日中にお金が入らないと困るの。というか、とやに口止めされてたんじゃないの?」
「そんなの、言ってられる状況じゃないのよ。あ、ちょっと、あなた、なんでそのこと知ってるの?」
「なんでって言われても、とやから聞いたからですね」
「何あの子、私に口止めしといて、自分で言ったの?」
「まあ、言わざるを得ない状況だったからじゃないですか?」
「どういうこと?」
「今もショックで寝込んでるから、連絡取れないんだと思いますよ」
「ショックで寝込んでる? 何が?」
「慌てるところ申し訳ありませんが、とやとは離婚したので、もう払いませんよ」
「離婚? ええ? 言いましたよね。ショックで寝込んでるって。それ、私との離婚が原因です」
「そうなの? まあでも、私としては好都合ね。あんたと離婚すれば、とやは一人きり。なら、今まであんたや小春に使ってたお金も、全部私に回せるわ」
「本当にそう思います?」
「何がよ?」
「冷静に考えてほしいんですけど、毎月三十万って、私の月給ですよ。それがとやの月給は、大体手取りで二十万前後です。ってことは、五十万どころか三十万も払えませんよ」
「は? あの子、私よりも収入低かったの?」
「今の時代、男とか女とか関係ありませんけどね」
「情けない。母親として恥ずかしいわ」
「とやの方が恥ずかしいと思いますよ。お母さんみたいな母親で」
「なんですって?」
「私、疑問だったんですよね。お母さん、二年間三十万もらってたんですよね。それなのに、生活レベルは結構普通じゃないですか? お母さん、働いてないけど、亡くなったお父さんの遺産も相続されてますよね。加えて三十万あっても、生活レベルが変わった様子もない。だとしたら、三十万って何に使ってたんでしょうね」
「それは生活費よ……」
「この後に及んで、そんな嘘はやめましょうよ。お父さんの遺産だけで生活費は賄えるはずです」
「私が何にお金を使ってたって、関係ないでしょ。プライバシーの侵害よ。詮索しないで」
「まあ、そうですね。私自身、お母さんのプライベートには興味ありませんし。なら、いいでしょ。ほっといて。ああ、すみません、そろそろ出かけないといけないので、失礼しますね」
「こんな時間に出かけるの?」
「はい。ちょっくらホストクラブへ」
翌日、とやがみさの実家の前に立っていた。雨が降っているというのに、傘もささずに。
「みさ、お願いだから帰ってきてくれよ」
「無理というか、離婚届にサインしたのはとやでしょ」
「したけど、でもさ……」
「私は今後一切の仕送りを禁止しました。それを破ったら離婚だって、事前に伝えてたよね。なのに、隠れて仕送りをしようとしたのは誰?」
「俺だけど……」
「つまり、そういうこと。以上」
「いや、ちょっと待ってくれって。そもそも、お前にも強引な部分はあったろ」
「強引な部分?」
「ほら、俺のスマホをチェックするとか、急に言い出して」
「それでお母さんとのLINEを見つけたんだよね。あれが決定的な証拠」
「そこだよ。いくら夫婦って言っても、あれはどうなんだ?」
「あのさ、自分が無条件で信用されてると思ってたの? 無断で三十万払ってたのが分かった後なのに。それは、お母さんのことだから、とやに相談するのは分かってた。そして、あなたがそれを断れないことも、可能性としては低くないと思ってたよ。実際、よく分かんない話にほだされてたわけだし」
「よく分かんないってことはないだろう。お前もLINE見て知ってるよな。母さんは俺たちのために介護施設に入ろうと」
「それ、ちゃんと裏取りした?」
「え? 裏取り?」
「介護施設を一緒に選んだの? 入居手続きはちゃんと立ち合った?」
「いや、してないけど」
「じゃあ、送ってた仕送り三十万の使い道は、領収書を毎月送ってもらったりしてた?」
「してない」
「なら、お母さんの言ってたことの根拠はないよね」
「なんでそこまで疑うんだよ。義理の母親相手だぞ」
「さっきも言ったけど、あんたら信用ないのよ」
「だからって、そんな裏でこそこそ探り回るような真似できるか?」
「しなかったから、騙されてんのよ」
「え? 騙されてる?」
「おかしいとは思わなかったの? 今月から介護施設に入るから二十万上乗せ。今月から入るなら、初期費用は事前に払うよね」
「それはまあ……」
「でも、月額として五十万必要って話なら、別に毎月三十万要求する人が初期費用を出せると思う? それに、初期費用を出せたとして、大体の場合は最初の月の金額はそこに含まれてる。あんなに焦って今月にお金を要求する必要ない」
「いや、きっと母さんにも何か事情があったんだと思うわ」
「ええ、男に貢ぐのに忙しかったみたいだもんね」
「は? 男に貢ぐって」
「あなたの渡してた仕送り、全部ホストに消えたんだって。お母さんの近所の人が、夜に男と出かける姿を見ててね。私も三十万ってお金がどこに消えてたのか気になって、少し前にお母さんの後をつけてみた」
「つけたって、お前……」
「で、行き着いた先がホストクラブ。私も店に入って、適当なホストに聞いてみたら、お母さんはそのホストの客だってさ。じゃあ急に五十万とか言い出したのも……今月、そのホストの誕生日らしくてね。お母さんがシャンパンタワーするって聞いたわ。確か百万だっけ? そのための金ってことか」
「ふざけんなよ」
「ねえ、本当にそう。これで分かったでしょ? あなたは騙されてたの」
「母さんにとって、俺は都合のいい財布だったんだな」
「財布ってか、ATM?」
「それはどっちでもいいだろう。でも、おかげで目が覚めたよ。やっぱり俺にはお前しかいない」
「ああ、無理です」
「え? というか、私、これからホストの人と会うんだよね」
「あ? へ?」
「なんかアフターってやつに誘われちゃって。これから会うから忙しいの。じゃあね」
数日後、みさの携帯に、とやの母から怒声が飛んできた。
「みささん、あんた、やってくれたわね」
「あら、お母さん、どうしました? そんなに怒ると血圧上がりますよ。もう若くないんだから、ご自愛ください」
「うっさいわね。人の担当に手を出しといて、何様のつもり?」
「手を出した? 人聞き悪いですね。あっちから誘ってきたんですけど」
「そんなのはどっちでもいいの。それよりも、あんたのせいで担当に切られたじゃない」
「私のせい? というか、お金がないからでは?」
「そのお金がないのを、あんたがばらしたんでしょ」
「シャンパンタワー百万でしたっけ? あれって、払えなかったらホストが自腹って聞いて。さすがにかわいそうだったんで」
「うるうるうる……とか、わざとらしいことはやめて。あんたが代わりに払うからとか言われたわよ」
「え? 言ってませんよ」
「はあ。でも、担当はそう言ってた。あっちが勘違いしちゃったみたいですね、ええ。私はただ、お母さんの身の上を説明して、お母さんが百万を払えないことを説明しただけです」
「なら、なんであんたが払うなんて話になったの?」
「まあ、私なら払えるけど、的なことは言ったかも。でも、払うとは言ってません」
「だとしてもよ……いやあ、かわいそうですね。自腹で百万。こりゃ大変だ」
「何を他人事みたいに。このこと、担当に伝えるからね」
「どうぞどうぞ。どうせもう二度と会う気はありませんし。あんなクソ雑魚ホストのこと、どうでもいいです」
「クソ雑魚って……」
「ああ、確かに失礼でしたね。あのホストさんの口の軽さには、私も助けられましたし」
「口の軽さ?」
「はい。全部教えてくれましたよ。お母さんが今までいくら使ったのか」
「それを聞いて、どうしようって言うのよ?」
「お母さんがホストに通い始めたのは二年ほど前。つまり、うちからの仕送り額が増えてからです。つまり、お母さんがホストで使ったお金は、全部うちの仕送り。その裏付けが取れれば、返還請求もできるんです」
「え? 返還請求?」
「近いうちに弁護士から連絡が入りますので、まるっと全部、返してくださいね」
翌日、今度はとやがみさの職場に現れた。
「みさ、母さんから聞いたよ。お前がホストに会いに行った理由」
「お母さん、どうだった?」
「かなりショックを受けてたみたいだな。それよりもだ」
「はい、何でしょう」
「お前が俺からの復縁を断ったのは、このためだったんだな。事情があったとはいえ、ホストに会うんだもんな。お前は俺と復縁した状態で、ホストに行くのは嫌だったんだろ。だから、一旦復縁を断った」
「あ、えっと、ごめんね。何言ってんの?」
「俺と復縁した状態でホストに行くのは嫌だったんだろう。だから、一旦復縁を断った」
「違うね」
「違うの?」
「うん、全然違う。そもそも、あなたと復縁する気とかないし。今、私かなり忙しいから」
「忙しい? ああ、そうか。母さんへの返還請求のことか」
「まあ、それもあるけど」
「なんだったら、俺も力になるぞ。母さんの気持ちが分かった以上、もう味方はできない。なら、お前に協力して仕送りを取り返すよ」
「なら、慰謝料請求もやる予定だし。だって、あなたへの慰謝料請求もやる予定ですから」
「え? 仕送り五万って聞いてたのが、三十万に増えたのよ。しかも無駄に使われてた。これって、経済的DVだからね」
「は? そんな大げさな」
「大げさじゃないから。実際、小春の給食費が払われてなかったり、電気代が払われてなかったりと、被害は出てたし」
「いや、でも、すぐに払ったろ」
「じゃあ、うちの貯金がないのはなんで? 夫婦合わせて給料五十万あって、貯金ゼロよ。小春はまだ小学生で、これからもっとお金がかかるのに。そう、あなたが無断で仕送り額を上げてたから。おかげで、これから私は大変よ。シングルマザーとして、小春の将来のために稼がないと。だから、あなたも協力してね」
「協力? 慰謝料か……」
「あと、養育費もね。慰謝料の方は、経済的DVの相場が百五十万だったかな。養育費は……まあ、あなたの収入なら月に六万くらい」
「いやいや、無理だろう。妻も失って、母親との信頼関係も失って、その上、金まで払えっていうのか」
「何、被害者ヅラしてんの? 元を言えば、あなたのせいでこうなったんだけど」
「俺のせい? 母さんのせいだろう?」
「お母さんから仕送りのことを言われても、断ればよかった。そうじゃなくても、一言私に相談すればよかった。それをしなかったのは、あなた自身じゃない」
「だからって、こんなの、さすがに無理だ」
「冷たいこと言わないでよ。小春はあなたの娘じゃない。娘のためにお金を出すのは当然でしょ。あなたは父親なんだから」
数日後、今度はとやの母が、勝ち誇ったようにみさに電話をかけてきた。
「みささん、残念だったわね」
「え? 何がですか?」
「私、リセ君との再婚が決まりました」
「リセ君? ああ、元担当ホストさんですか? え? でも、すぐ切られたってわめいてませんでした?」
「実は、あの後すぐに連絡があってね。やっぱりリセ君には私しかいないって。それもこれも、あんたのおかげよ。ありがとう」
「私のおかげですか?」
「あんたがリセ君を貶めたから、本当のリセ君の味方は私だけって気づいたみたい。ああ、なるほど。それはそれは、お幸せに」
「まさか、この年でこんな幸せになれるなんてね。あんたらからの仕送りはなくなったけど、結果オーライだわ」
「じゃあ、幸せのお裾分けをお願いしてもいいですか?」
「お裾分け?」
「ほら、前に言ったじゃないですか。仕送りの返還請求をしますって」
「ああ、言ってたわね。そんなことも。ちなみに、それっていくらくらい?」
「月五万の方は、私も承知の上でしたので省きます。問題は、無断で増えてた二十五万の方ですね。二年間で六百万です」
「そうよね。でも、あれでしょ? 全額じゃないわよね。だって、あれはとやの給料も入ってたわけだし」
「いや、三十万は私の月給なんで、純粋に私だけですよ」
「じゃあ、何? 六百万の請求ってこと? あ、いやいや、違いますよ」
「そうよね。さすがに全額なんて……」
「慰謝料も請求するんで、合計七百万です」
「は? ちょっと待って。慰謝料?」
「はい。私ととやの離婚の直接的な理由って仕送りなんで、言ってしまえばお母さんのせいで離婚したんです。なので、そのことへの慰謝料を請求しますね」
「いや、でも、だからってそんな大金……」
「リセ君と結婚するんですよね。夫婦二人で頑張れば、大丈夫ですよ」
「そうよね。私にはリセ君がいるわ。大変だろうけど、二人で力を合わせれば……」
「まあ、そのリセ君も、今は訴えられて大変みたいですけどね」
「へ? 知らなかったんですか? あの人、いろんな女性に結婚を匂わせてたんですよ。そうやって売上を上げてたみたいですけど、さすがに買った恨みの数が多すぎたみたいですね。複数人の女性から訴えられて、泥沼らしいですよ」
「はあ? そんなの嘘でしょ? だって、私、結婚してくれるって言うから、シャンパンタワーの百万を借金して払ったのに」
「お母さん、頭の中にシャンパンでも詰まってるんですか?」
「なんですって?」
「簡単にお母さんを切って、私に言い寄ってきた男ですよ。どうして信じられると思ったんですか?」
「それは、だって……今回は本気だって」
「あの手の男の本気は、小学生の一生に一度のお願いレベルで信用ないでしょう」
「嘘……こんなの嘘よ。私はこれから幸せになるって、いい夢見てたのに」
「残念ですけど、なりません」
「あんたのせいよ。あんたのせいで、私の人生めちゃくちゃよ。七百万請求されて、借金百万もあって、しかも男に騙されて、息子とも……私がどうなってもいいって言うの?」
「ああ。はい」
「え? いや、あの……あんたのせいで、私が路上で迷子になるかもなんだけど」
「どうぞ」
「お金もないし、頼れる人もいないし、ホームレスになっちゃうかもしれないけど」
「どうぞ」
「そんなの、冷たすぎる」
「それでも。嫁のせいでうちは離婚して、貯金もゼロですけどね。それはこの際、おいておきます。はっきり言いますね。私は、あなたの都合で失ったものがあるんです。それを全部返せとは言いませんが、小春のためにも、お金だけは全て返してもらいます。その結果、あなたがどうなろうと、知りませんから」
その後、とやは離婚と母の裏切りという二重の衝撃で、すっかり無気力になってしまった。今はまるでゾンビのように日々を過ごしているという。とはいえ、父親としての自覚は残っているようで、文句も言わずに養育費と慰謝料を払い続けている。
とやの母は、六十歳を超えて八百万もの負債を抱え、返済のために昼夜なく働き続けている。父から相続した遺産はすでに尽き、全てクソ雑魚ホスト、リセ君に貢いだ。結果として、嫁も孫もお金も全て失い、先真っ暗な人生を歩み始めた。
その二人とは対照的に、みさの人生は輝いている。可愛い娘の小春と共に実家へ戻り、両親の力を借りつつ、シングルマザーとして充実した日々を送っている。小春もとやのいない生活に慣れ、特に気にした様子もない。
この一件で、みさも多くを学んだ。差し当たり、小春が大きくなったら「ホストはやめとけ」と助言することだけは、肝に命じておこうと思う。
