夕べ、いつものように夕食を作って食卓に並べたのに、夫は一言「いらない」と言って、部屋にこもったまま出てこなかった。 「また残業だ」と彼は言った。でも違う。彼がそこで何をしているか、私はとっくに知っていたんだ。 「俺には真実の愛があるんだ」――彼はそう言って、家を出ていった。高校生の双子の娘たちを置き去りにして。…

夕べ、いつものように夕食を作って食卓に並べたのに、夫は一言「いらない」と言って、部屋にこもったまま出てこなかった。 「また残業だ」と彼は言った。でも違う。彼がそこで何をしているか、私はとっくに知っていたんだ。 「俺には真実の愛があるんだ」――彼はそう言って、家を出ていった。高校生の双子の娘たちを置き去りにして。...

「ご飯できたわよ。」

「また今日も一人で食べるの?悪いか?俺は忙しいんだよ。」

「部屋にこもって何してるのよ。たまには食卓で一緒に食べたらどう?」

「なんだよ。寂しいのか?今さら夫婦の会話なんていらないだろ。」

「家族としての会話は必要でしょ。私だけじゃなくて、まゆにもみゆにも、あなたほとんど話してないじゃない。」

「今プロジェクトを任されてるんだ。連日出張したり、会社に泊まり込むくらい忙しいんだよ。お前らのために働いてやってるんだから、ぐだぐだ文句言うな。」

「わかったわ。じゃあ今日も部屋の前に置いておくわね。」

「ああ。」

しばらくして、夫のテルオが部屋から出てきたかと思うと、こう言った。

「やっぱり飯いらないわ。」

「はあ?なんで今言うのよ。せっかく作ったのに、もったいないじゃない。」

「捨てればいいだろう。」

「食べ物だってただじゃないのよ。」

「飯うるせえな。頭の中それしかないのかよ。お前みたいな古臭い女にはうんざりだ。」

「主婦なんだから、食事のことを考えるのは当然でしょ。」

「もう限界だ。しばらく出ていく。」

「どこに行く気?」

「俺だってな、こういう時に止めてくれる女の一人や二人、いるんだよ。」

「何それ?浮気してるってこと?」

「浮気とか、そんな軽々しい関係じゃねえ。タイミングが悪かっただけで、これは真実の愛なんだ。」

「それを世間では浮気って言うのよ。」

「とにかく今から家を出るから。」

それから三十分後、テルオは戻ってきて、妻のエミに向かって言った。

「エミ、大事な話があるんだ。」

「家族との時間を捨ててまで家を出た人が、何の用よ。」

「ついさっき、俺は彼女にプロポーズした。だから、これは浮気じゃない。」

「結婚なんかできるわけないでしょ。」

「若い女と再婚するから、ばばあのお前とは離婚だ。だから今すぐ家を出て行け。まゆとみゆも連れて行けよ。」

「私一人で、高校生の双子の面倒を見ろってこと?無茶言わないでよ。」

「どうしても出ていかないっていうなら、ガキどもだけでも先に出て行ってもらうぞ。」

「あの子たちはまだ高校生よ。未成年を追い出せば、あなたは犯罪者になるわ。」

「だから、お前も一緒に出て行けって言ってんだろうが。とにかく、先にまゆに連絡するぞ。」

五分後、エミはまゆに電話をかけた。

「まゆ、話があるの。」

「何?直接会って話せないこと?」

「お父さんは今外にいるから無理なの。だから、ここで単刀直入に言うわ。お父さんとお母さんは離婚することにした。」

「ああ、そうなんだ。」

「驚かないの?無理しなくていいのよ。」

「別に驚いてないよ。むしろやっとかって思った。いつ離婚するのかなってずっと思ってたから。」

「なんだと?」

「顔を見れば小言か嫌味しか言わないし、遊びに連れて行ってもらった記憶もないしね。親の離婚を願ってたなんて、不孝なクソガキが。」

「そりゃ願うでしょ。この家にパパがいる意味ないもん。みゆもそう思ってるよ。」

「やっぱりあの女の娘たちだな。性格悪いところがそっくりだ。」

「パパに言われたくないんだけど。」

「俺だって、お前らみたいな娘なんて願い下げだよ。双子で俺の血が繋がってるはずなのに、懐かないなんて。」

「そういうことだから、お前が先に家を出て行ってくれよ。そうすりゃママも出て行くだろう。みゆにもそう伝えとけよ。」

「家を出るのはパパだよ。何勘違いしてるの?」

「は?なんでそうなるんだよ。」

「理由を知りたければ、ママに聞きなよ。」

「めんどくせえな。」

さらに五分後、テルオはエミに怒鳴り込んだ。

「おい、みゆに、出て行くのはパパだって言われたぞ。俺が世帯主だぞ。どういう教育してるんだよ。」

「どういうって、人に迷惑をかけない常識は教えたつもりよ。」

「なってねえんだよ。お前らを養ってやってるのに、この態度は何だ?」

「私だって働いてるのよ。養ってるのはあなただけじゃないわ。」

「在宅のくせにえらそうに。お前はいいよな、自由で。」

「頼まれた仕事はちゃんと納品しないといけないから、まあまあ多忙よ。」

「大して忙しくもないくせに、忙しいアピールすんな。」

「それはあなたも同じでしょ?」

「いいか、俺は世帯主なんだぞ。」

「だから何よ?」

「分からないのか?これだから世間知らずは。この家にいる権利があるのは俺の方なんだよ。」

「世間知らずはどっちなのかしら?世帯主ってのはね、家庭を共にする家族の代表者という意味であって、家の名義とはまた別なのよ。」

「あ、そうなのか。……いや、でも俺が代表者なんだろ。だったら俺が偉いんだから、俺の言うことを聞け。」

「『代表』っていう字が入ってるから勘違いしちゃうのかしら。この家の所有者は私よ。出るか出ないかは、私が決めることだわ。」

「所有者ってだけでえらそうにされちゃたまんねえな。名前がお前ってだけだろ。」

「全然違うわよ。何より、浮気するような人と一緒に暮らしたくはないわね。まゆとみゆにとっても悪影響でしかないわ。」

「もう高校二年生だろうが。大人の事情が分からん年でもないだろう。」

「成人すらしてないのよ。大人が守らないでどうするの?」

「色々言い訳して、出ていかないつもりか?」

「まだ分からないの?あなたに私を追い出す権利はないのよ。本当に出て行ってほしいなら、いろいろと手続きを踏んでもらわないと。」

「ああ、もう分かった。分かったよ。俺が出て行けばいいんだろう。今から戻って荷物を詰めるから、ちょっと家に入れろ。」

「それはつまり、もう戻らないつもり?」

「そうだよ。離婚届も今持ってくるからな。実は前から用意してたんだよ。」

「本気?」

「なんだよ。今さら別れたくないってか?言っとくが、俺の決意は固いぞ。」

「結構よ。むしろ大歓迎だわ。」

「今までありがとうな、あなた。」

「強がらなくていいぞ。まあ、泣かれても戻るつもりはないが。じゃあな。」

それから一か月後。エミの携帯にまゆから電話が入った。

「ママ、まだお仕事終わってない?」

「今スーパーよ。まゆは学校終わった?」

「うん。今家に着いたところなんだけど、大変なの。」

「どうしたの?」

「パパが玄関の前にいる。」

「パパって……元パパでしょ。」

「うん。なんで家の前にいるんだろう。私どうしたらいい?あいつと鉢合わせしたくないんだけど。」

「まゆは今どこにいるの?」

「外の物陰に隠れてるよ。」

「みゆは?」

「多分まだ部活。」

「まあまあ、どうしよう。あの人が何をするか分からないし。とりあえず、一旦学校に戻ってみゆと合流してくれる?その後は、学校か近くのカフェで待機してて。大丈夫そうなら、後で私が迎えに行くわ。」

「分かった。ママ、気をつけてね。」

「ありがとう。まゆたちもね。」

十分後、エミは家の前に立つテルオに向かって言った。

「あなたが家の前にいるのは分かってるわ。この家は、もうあなたのいる場所じゃないの。帰ってくれる?」

「なんだよ。夫が帰ってきちゃいけないのかよ。」

「あなたと私はとっくに他人になったわよ。」

「戸籍上、俺とお前は法的に繋がった夫婦だろう。」

「だから、離婚したって言ってるでしょ。あなたが家を出た翌日、すぐに役所に提出したわよ。」

「は?俺は悩んだ上であの離婚届を出したってのに、お前はあっさり離婚届を出したってのか。信じられねえ。なんて薄情な女なんだ。」

「黙って離婚届を用意していたあなたに、言われたくないわ。離婚したかったんでしょ?良かったわね。これで晴れて、私たち赤の他人よ。」

「そんなこと言って、本当は寂しいんだろ。」

「いいえ、ちっとも。むしろ快適だわ。」

「そうは言うが、やっぱり女だけの暮らしは不安だろう。やっぱり男の俺がいないと。」

「ご心配なく。ご近所さんとの繋がりもあるし、この周辺は警察のパトロール区域にあるから。」

「本当、エミは強がりが得意だよな。そうやってへらへら笑って、後で困るのはお前なんだぞ。」

「私が困ろうが、あなたには関係ないでしょ。大体、どうして戻ってきたのよ。彼女と再婚するんじゃなかったの?」

「あの女の目的は家だったんだ。庭付きの一軒家が欲しかったんだとよ。」

「なるほど。あなたが家を出たから、話が違うってこと?」

「それだけじゃねえ。あのクソ女、若い男と浮気してやがった。因果応報だな。俺は何も悪くねえだろうが。」

「あなたの倫理感、どうなってるの?とにかく、こうして帰ってきてやったんだ。浮気してたことは謝るからさ、全部水に流して家に入れてくれよ。」

「どの口が言うの?水に流すどころか、大詰まりよ。」

「いいから鍵を開けてくれ。玄関のドアが開かねえ。」

「それはそうでしょうね。だって鍵を変えたもの。」

「なんでそんなことすんだよ。」

「防犯のためよ。当たり前でしょ。」

「俺が不審者だって言いたいのかよ。」

「今となっては、そうね。」

「冗談じゃねえよ。俺たち家族だろう。まゆとみゆだって、俺がいなくて寂しいんじゃないか。」

「おかげさまで、あの子たちはあなたがいない方がいいみたいよ。」

「なんでそんなことが分かるんだよ。かわいそうだと思わないのか?」

「思わないわね。あなたがいた時は絶えずニキビに悩んでたみたいだけど、今はすっかり良くなって肌トラブル知らずよ。だから、あなたが家に戻る必要性なんて、どこにもないの。」

「お前の思い込みで勝手に決めつけるなよ。」

「客観的な視点で見た結果を述べてるだけよ。」

「もういい。独裁主義のお前に話を聞いた俺が間違いだった。とりあえず今日のところは、ビジネスホテルに泊まる。」

「どうぞ、好きにして。」

「ただ、あの子たちに危害を加えたら、その時は絶対に許さないからね。そのつもりで。」

翌日、エミのスマホが鳴った。まゆからの緊迫した声だった。

「ママ、やばい。助けて。」

「どうしたの?何があったの?」

「校門の前でパパが私とみゆを待ち伏せしてる。」

「何ですって?家が駄目だから、学校に来たのね。あなたたち、今どこにいるの?」

「教室だよ。みゆと帰ろうとしたら、窓から校門にいるのが見えたの。」

「そこで気づいてよかったわ。何も知らずに鉢合わせしたかと思うと……」

「私が気づいたから、あいつには会ってないよ。」

「よかった。じゃあ、すぐに迎えに行くから、そこにいて。」

「分かった。」

十分後、学校の前に車を止めたエミが、校門にいるテルオを見つけた。テルオはエミに気づいて、声をかけてきた。

「お疲れ。そろそろ学校終わりだよな。お父さんが迎えに来たぞ。」

「ママのことをバカにして、私たちを追い出そうとしてあれだけのことしておいて、よく父親できるね。」

「それは謝るよ。すまなかった。これからはちゃんとするから。」

「いやいや、どうせ口だけなの分かりきってるから。」

「そんなことはないぞ。父さんは約束を守る。もう一度家族に戻ってやり直そう。……みゆ。」

「あのさ、私、まゆなんだけど。」

「あれ?いや、違うんだ。打ち間違えたんだよ。ちゃんとまゆだって分かってたさ。」

「実の娘を間違えるなんて絶対駄目でしょ。友達だって間違えないよ。」

「だから、ごめんって。」

「とにかく、もう家族じゃないから連絡してこないで。みゆにも連絡しないでよ。」

三十分後、エミはまゆに連絡をした。

「仕事を終わらせてすぐに向かったけど、あの人はまだいるかしら?」

「いないみたい。一時間以上経ったし、さすがに帰ったと思う。」

「ああ、よかった。まゆとみゆに何かあったらと思うと……。」

「心配してくれてありがとう、ママ。やっぱり私たちの親はママだけだよ。」

「ありがとう。じゃあ帰ろうか。校門の前に横付けして待ってるわね。」

「オーケー。みゆと合流して向かうね。」

車の中で、みゆが言った。

「買い物してから帰ろうよ。今日は怖い思いしたから、高いアイス買っていい?」

「しょうがないわね。今日だけだからね。」

「とか言いながら、いつも買ってくれるじゃん。」

「わがままな双子を持つと苦労するわ。」

「いつもありがとうね、ママ。」

「さてと。今から向かうわね。」

一時間後、家に帰ると、リビングの明かりがついていた。エミは眉をひそめた。

「諦めたかと思ったら、なんで家の中にいるのよ。」

「あ、バレたか。なんで分かった?」

「車の窓から明かりがついてるのが見えたの。」

「ちっ、やっちまったな。もっと暗くして待つべきだった。」

「ふざけないで。どうやって鍵を開けたのよ。」

「ああ、それな。業者を呼んで鍵を壊してもらったんだ。この家の住人じゃないのに、どうやって免許証の住所がまだ変更してなかったからな。それを見せたら、いけたぜ。」

「信じられない。勝手なことをして、家の中に入らないで。」

「そうしなきゃ家に入れないだろう。よく考えたら、俺は一家の大黒柱だ。お前らにかかる金は、俺が稼いだものだぞ。」

「あのね、前も言ったけど、私も働いてるの。養ってるのはあなただけじゃないのよ。」

「俺がいなくなったことで収入は減っただろう。金がなくなって困ってるんじゃないか。」

「あなたみたいに無駄遣いしないから、困ってないわよ。」

「可愛げねえなあ。素直になれよ。お前らのために、再婚しようとしたのをやめて家に戻ってきたんだぞ。感謝こそすれ、文句を言われる覚えはない。」

「感謝もしてないし、文句しかないんだけど。」

「何回強がれば気が済むんだよ。」

「何?私が困ってたら嬉しいわけ?」

「俺を頼れって言ってんだよ。本当、可愛げのない女だな。」

「可愛げがなくて結構。あなたがいなくても生きていけるもの。」

「どうだか。ただの在宅に、そこまでの稼ぎと蓄えがあるのかな?」

「在宅は在宅でも、フリーランスよ。」

「フリーランスって言えば、かっこつくと思ってんのか?」

「別にかっこつけてるわけじゃないわ。あくまで自由な働き方を総称してるだけで、職業の形態としては個人事業主という意味にもなるわ。」

「あ、それってつまり、お前は社長ってこと?」

「個人で働いてるからそう呼ばれることはないけど……まあ、そういうことになるわね。」

「なんだよそれ。聞いてねえんだけど。」

「ちゃんと話したわよ。あなたがちゃんと聞いてなかっただけじゃないの。結婚してからずっと専業主婦で世間知らずのお前が社長?」

「あなたが専業主婦になってってお願いしたからでしょ。それに、結婚した後ちょっとパートもやってたわ。大した稼ぎもないパートを。」

「そうね。稼ぎのないあなたを支えるために、パートをやってたわ。」

「喧嘩売ってんのか。」

「先に売ったのはそっちでしょ。私はね、その傍らで資格の勉強をしてたの。一級建築士の勉強をね。」

「努力家のお前が、資格に受かるわけないだろ。」

「受かってなかったら、独立して在宅なんてやってないわよ。」

「は?じゃあ、お前本当に一級建築士の資格を持ってるのかよ。」

「だから独立したのよ。」

「独立したところで、どうせ大した稼ぎじゃないだろう。年収百万円とか、そんなところか。」

「それよりも、もっといいわよ。」

「はあ。いくらだよ。」

「今年は大きな案件をいただいたから、一千万円を超えたわ。」

「嘘つくんじゃねえよ。見栄を張りたいのは分かるけどさ。」

「嘘だと思うなら、通帳でも見る?証拠はいくらでもあるわよ。」

「本当なのか……。」

「だから、さっきからそう言ってるでしょ。」

「そうか。頑張ったんだな。」

「そうよ。だから、あなたの助けはいらないの。分かったら早く出て行ってくれる?」

「分かった。そういうことなら、再婚は諦めてやる。」

「よかった。やっと分かってくれたのね。」

「その代わり、財産分与をよこせ。この家を売った金を分けるんだ。」

「ああ、どこまで諦めが悪いの?言ったわよね。この家の名義は私。あなたにその権利はないのよ。」

「お前はやっぱり世間知らずでバカだな。家ってのは夫婦共同の財産なんだよ。だから離婚したらちゃんと分けなきゃいけないだろう。」

「あなたって人は、もう忘れたの?この家は私たちが買った家じゃないでしょ。」

「そうだっけ?確かに新築じゃなかったけど。」

「私のお母さんのお姉さん、おばさんがもう使わないからって譲ってくれたんじゃない。その家をリフォームしたのが、今の家でしょうが。」

「そう、そう、そう。や、そうだったな。二十年近くも前じゃ忘れるわ。でも、そしたらリフォーム費用は出してるわけだから、その分の費用は財産分与できるはずだ。」

「できないわよ。何言ってるの?リフォームの費用は、私の親族たちが出してくれたのよ。家を処分するつもりだったからって、その分のお金をリフォーム費用に当ててくれたの。」

「あれ?そうだっけ?」

「どこまで記憶を改ざんすれば気が済むの?」

「改ざんしてねえよ。お前が嘘ついてんだろ。都合のいい頭だこと。」

「いいわ。家もリフォーム費用も、私たちから出してない。だからこれは財産分与の対象にはならないのよ。あ、一つだけ言うなら、家にかかった修繕費は対象になるかもね。」

「じゃあ、それを半分よこせ。」

「いいけど、おそらく微々たるものよ。確か屋根の塗装費用が五十万円くらいだったから、あなたに入る金は二十五万円ってことね。」

「そうなるわな。俺だって長年住んできたのに、納得いかねえ。」

「そうだ。固定資産税は俺も支払ったんだから、共有財産になるんじゃないのか。」

「ああ、それは私の独身時代の貯金で支払ってたのよ。結婚当初、あなたに貯金がなかったから。仕方ないから私の口座から引き落としにしてたの。それからずっと口座を変えてないから、財産分与は無理ね。」

「なら、お前の貯金を半分よこせ。婚姻中に築いた財産は夫婦のものだからな。いくらあるんだ?」

「いいえ、八百万円ほどあるけど。」

「なら、四百万円は俺の分だな。」

「あなたがそんなこと言える立場だと思ってるの?」

「なんだよ。そんなに金を渡したくねえのか。」

「あなた、浮気してたでしょ。だから、その分の慰謝料を請求させてもらおうと思ってたの。」

「慰謝料?証拠もないのに。」

「証拠ならあるわよ。あなたが家を出た後、探偵に調査を依頼したの。浮気相手のところに通ってたでしょ。」

「探偵に依頼とか、卑怯だぞ。」

「プロジェクトを任されたとか、仕事で出張やビジネスホテルに行ってたのも、全ては浮気のためだったのね。」

「別れたんだから、いいだろうが。」

「浮気したことは事実でしょ。ということで、あなたに四百万円請求するわね。」

「待て待て。ちょっと高すぎやしないか。相場は二百か三百って聞いたぞ。」

「まゆとみゆの養育費込みよ。財産分与で相殺するなら、慰謝料と養育費の請求はしない。どうする?」

「……勝手にしろ。お前と結婚したのは、間違いだったわ。」

「そうね。私もそう思うわ。ただ、あなたのおかげでまゆとみゆに会えた。それだけは感謝してるわ。」

「……分かったらしいな。」

「さて、そろそろ家から出て行ってくれるかしら。」

「嫌だ。頼む。考え直してくれ。今まで家族として長く一緒に暮らしてきたじゃないか。」

「籍としてはね。まゆとみゆだってまだ高校生だ。子供は父親がいた方がいいだろう。」

「もう高校生よ。父親がいた方がいい時期は、とっくに過ぎたわ。」

「なんでだよ。子供にとって親は、いつだって親だろう。」

「そう思うなら、どうして私が助けてほしい時に助けてくれなかったの?私はずっと昔から、SOSを出してたわ。」

「何をどう助けろってんだよ。」

「まゆとみゆがまだ赤ちゃんだった頃。ミルクにおむつ、お風呂、着替え。他にも色々、助けてほしかったわ。」

「そんなの当たり前のことだろう。できなかったのかよ。」

「双子の育児よ。普通の育児とは訳が違うの。頭がおかしくなりそうだったわ。」

「情けねえな。」

「でも、おかげで今の絆があるんだと思うの。だから、私たち家族の中に、あなたがつける隙はないわよ。」

「なんでそんなこと言うんだ?俺だって身内だ。何より、血の繋がった親子じゃないか。」

「本当にそう思ってるなら、離婚した時、あなたについて行くはずよ。」

「それは、母親の方に愛情が行くのが普通だからだろう。」

「なら、どうしてあなたに面会したいって言われないのかしら。」

「年頃の娘だから、恥ずかしいんだろう。」

「違うわ。答えは簡単。あなたのことを、父親とも何とも思ってないからよ。」

「まゆもみゆも、俺のことパパって呼んでくれるぞ。」

「あくまで家族関係における役割の名称を呼んでるだけで、心の底からパパなんて思ってないわよ。」

「そんなことないだろ。」

「じゃあ、あなたが抱き締めてもらったことは? 『大好き』って言われたことは?」

「それは……ないけど。」

「ないでしょ?産んだだけじゃ親にはなれないの。どう関わるかが一番大事なのよ。」

「だって、俺は俺で忙しかったし。」

「とっくの昔から、私たちはバラバラだったのよ。」

「嘘だ。そんなはずない。だったら、なんで今まで一緒にいたんだよ。」

「いつか変わってくれるって信じてたからよ。でも、無駄な時間だったみたいね。」

「そんなことない。俺たちは仲良し家族だったはずだ。」

「いい加減、この事実を受け止めなさい。」

「嫌だ。頼む。もう一度チャンスをくれ。俺たちやり直そう。今度はちゃんと父親をやるから。」

「もう結構よ。どうしても出ていかないというなら、不法侵入として警察を呼びますよ。」

「大げさだな。俺だってこの家に住んでたんだ。だから不法侵入にはならないだろう。」

「もう離婚していて赤の他人なのに、何を言ってるの?そろそろ一百通目だから、LINEを終わりにするわね。」

「いやいや、それは待ってくれよ。」

「さようなら、夫にも父親にもなれなかった人。この家に住むのは、私たち家族三人よ。他人のあなたは、三秒で出ていきなさい。」

その後、警察に連れて行かれたテルオは、住居侵入罪に問われ、執行猶予付きの懲役三年という判決が下された。このことが会社にも知られ、テルオは当然のように即日解雇された。実家からも追い出され、元カノからも拒絶され、テルオはどこにも行く当てがなく、住まいも失った。

そんなテルオが行き着いた場所は、公園のホームレスだった。当然、お金もない。空腹に耐えかねたテルオは万引きに手を出してしまい、執行猶予中の再犯を犯したとして、執行猶予を取り消されて懲役刑となるのだった。

屋根のある住まいができたようで、良かったですね。ただ、皮肉にもそこは刑務所ですが。

一方、私はまゆとみゆと三人で、あの家で幸せに暮らしている。今回の件をきっかけに、まゆとみゆは進路が決まったようだ。まゆは困っている人たちを助ける弁護士に、みゆはたくさんの人たちに素敵な住まいを提供する建築士に、それぞれの道を歩んでいる。

あの子たちの親である限り、まだ道のりは続く。でも、私自身が設計したこだわりのあるこのリビングで、一段落した子育てにほっと一息つくことにする。

ああ、コーヒー、美味しい。

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