名古屋で所用を済ませ、久しぶりに義母の家を訪ねた。インターホンを押すと、見知らぬ女が出てきた。顔のパーツが中央に寄った不自然な顔立ちで、その後ろには同じ特徴の小さな男の子。「え、なんで来たの?」という冷たい一言に、私は一瞬固まった。引っ越しもしていないのに、なぜ知らない親子が義母の家にいるのか。義母は「親戚の子」だと笑ってごまかしたが、その場に漂う異様な空気は消えなかった。帰宅後、夫に電話で…

名古屋で所用を済ませ、久しぶりに義母の家を訪ねた。インターホンを押すと、見知らぬ女が出てきた。顔のパーツが中央に寄った不自然な顔立ちで、その後ろには同じ特徴の小さな男の子。「え、なんで来たの?」という冷たい一言に、私は一瞬固まった。引っ越しもしていないのに、なぜ知らない親子が義母の家にいるのか。義母は「親戚の子」だと笑ってごまかしたが、その場に漂う異様な空気は消えなかった。帰宅後、夫に電話で...

所用で名古屋まで来たついでに、久しぶりに義母の家を訪ねた。インターホンを押すと、出てきたのは見覚えのない女だった。顔のパーツが妙に中央に寄った、不自然な顔立ちの女。そしてその後ろには、同じく顔のパーツが寄った小さな男の子。

「え、なんで来たの?」

「だから、所用です。ここですよ。名古屋駅で降りたので場所は分かってます」

「連絡もせずに尋ねてくるなんて非常識でしょ」

「嫁の訪問とラブストーリーは突然なんですよ」

「意味の分からないことを言って歯ぐらかさないで」

「引っ越しされたなら教えて欲しかったです。まさか知らない人が出てくるとは思わなくて、びっくりしました」

「喋ったの?」

「いえ、一目見て『家を間違えました』って言って、ドアを閉めました」

「そうなのね。ならいいんだけど」

「それで、今はどちらにお住まいなんですか?」

「引っ越しはしてないわよ」

「じゃあ、あの顔のパーツが中央に寄った女性はどこの誰なんですか?」

「親戚の子に決まってるじゃない。というか、その『顔のパーツが寄った』って言い方、やめなさいよ」

「失礼しました。親戚の方だったんですね。見たことのない顔だったので驚いてしまって、挨拶もできず大変失礼をしました」

「構わないわ。気にしないで」

「では、またお伺いします」

「できれば、あまり来ないで欲しいの」

「なぜでしょうか?」

「まあ、なんていうか、色々あるのよ」

「そうですか。悲しいですが、分かりました」

私はそう言ってその場を離れた。数分後、義母は息子に電話をかけていた。

「まずいことになったわ。大変。どうしましょう?」

「母さん、どうしたんだ?」

「あんたの嫁がいきなりうちに来たのよ」

「え、まおが? なんで新幹線で1時間半もかかるのに」

「『所要用で』って言ってたわ。名古屋に行くなんて聞いてないんだけど」

「もしかして、バレたんじゃないかしら」

「そんなわけないだろう」

「でも、とみさんが玄関先まで出ちゃったらしいのよ」

「えっ」

「大した会話はしてないみたいだし、親戚だってごまかしておいたけど」

「なら大丈夫だろ。あいつ単純だし、信じてるよ。今、離婚できるように準備してる最中だから、あと少しの辛抱だ」

「早くして欲しいわ。心臓がいくつあっても足りないの」

「分かってるって。堂々としてりゃいいからさ」

「うん。分かった。もう来ないよう言っといてよ。あんたはまおさんの父親の会社で働いてるんだし、バレたらすぐに首にされるわ」

「あんな奴にバレないよ」

「まおさんはどうして父親の会社で働かないの?」

「『仕事とプライベートは分けたい』とか言って、どっかの女社長の会社で働いてんだよ」

「変な親子ね」

「だろう。でも、そのうち俺が社長になるから、それまでの辛抱だよ」

「楽しみにしてるわ」

その頃、私は夫に電話をかけていた。

「なんで実家まで行ったんだ?」

「ちょっと仕事で用事があったのよ」

「それが何かを聞いてるんだ」

「仕事だって言ってるじゃない」

「お前の仕事に出張なんかないだろう」

「社長にちょっとしたお使いを頼まれたの」

「さすが女社長だな。人遣いが荒すぎるだろう」

「別にいいでしょ。なんでそんなに気にするの? 私が義実家に行くことがそんなにダメなこと?」

「いや、いきなり行ったら母さんが驚くだろう」

「事前に連絡しなかったのは悪かったと思ってるわ。でも、お母さんだって突然東京の家に来るし、そういうの大丈夫な人なのかなと思ったのよ」

「もう2度としないでくれ。母さんの心臓が止まったら、お前に責任が取れるのか?」

「嫁が尋ねたくらいで、何をそんなに驚くことがあるの?」

「母さんは心臓が弱いんだよ」

「分かりました。いきなり尋ねるのはやめるわ」

「頼んだぞ」

それから一週間後、私はまた義母に連絡をした。

「お母さん、今日はご自宅にいらっしゃいます?」

「いるけど。何?」

「事前に連絡しろと言われたので、しています。今からお伺いしますね」

「え、今インターホン鳴らしたの、あなた?」

「はい」

「なんでLINEしてから3秒で来るのよ」

「『3秒の女』と呼んでいただいても構いませんよ」

「あのね、あまり来ないで欲しいと伝えたわよね」

「『あまり』という感覚には個人差がありますが、私にとっては今回は『あまり』ではありません」

「いいから帰りなさい」

「なぜですか? せっかく所用のついでに寄ったのに。しかも東京で2時間待ちの行列ができるスイーツを買ってきたのに」

「玄関先に置いといて」

「顔も見せずに土産だけ受け取ろうなんて、どちらが非常識か分かりませんね」

「あんた、しつこいわよ。名古屋で何の用事があるの?」

「所用です。今は帰路中ですので、今日はこれで」

私はそう言って電話を切ったが、その直後、また彼女の家の前に立っていた。外には小さな補助輪付きの自転車が置いてある。

「また顔パ中親子が来てるんですか?」

「は? 何それ?」

「毎回言うのが面倒なんで、『顔のパーツが中央によった』を略にしてみました。『顔パ中』とお読みください」

「あんたは人の顔をバカにできるほど、整った顔なの?」

「まあ確かに、顔のパーツが神様の無造作に配置されたお母さんと夫に言えるほど整った顔をしてるわけじゃありませんが、ここまでコケにされたなら、多少の権利はあるかと」

「は? 誰が神様の無造作よ。というか、いつ誰があんたをコケにしたって?」

「だって、愛人と隠し子をかまってるでしょ」

「えっ?」

「普通は『たまには実家に帰ってきなさいね』というところですが、お母さんがしょっちゅう東京に来てたのは、これを隠すためだったんですね」

「ちょっと、何を言ってるのか分からないわね」

「もしかして、私の勘違いでした?」

「当然よ。隠し子なんているわけないでしょ」

「ですよね。ありえないし、最低ですよね」

「そりゃそうよ。息子はそんな下劣な人間じゃないわ」

「だったら安心しました。いつ来ても顔パ中親子がいるので、もしかしてと、つい疑っちゃいました」

「あんた、ちなみにうちを尋ねたのは何回目?」

「5回くらいでしょうか?」

「そんなに来てたの? どうしてわざわざ名古屋まで?」

「所用です」

「その中身を言えって言ってんのよ」

「とにかく安心しました。隠し子疑惑が晴れてすっきりです。味噌かつ食べて帰ります」

私はそう言って、今度こそ本当に帰った。だが、その夜、義母はまた息子に電話をかけていた。

「また来たわ。あんたの嫁よ」

「またなんで?」

「『所用』としか言わないの。あの女、『隠し子』って言ってたわ。気づいてるのよ」

「あいつに分かるわけない」

「でも、すでに5回はうちに来てるって」

「嘘だろ」

「あれは確実に私たちを疑ってるわ。もう終わりなのかもしれない」

「まあ、でも、こんな生活が続くわけないよ」

「でも、目的はまだ達成してないんでしょ?」

「仕方ない。諦めよう。次のターゲットが見つかれば、そっちに乗り換えればいいし」

「そんなに簡単に見つかればいいけど」

「俺、こう見えて意外と持てるんだぜ」

「あと、あの女、私たちの顔を『神様のいたずら』とか言ってバカにしたのよ」

「言うわけないよ。あれは整形だろ」

「そうなの? あれ整形なの?」

「そうとしか思えないだろ。じゃなきゃあんなに整ってるはずがない」

「そうよね。これで納得したわ。また突撃されてごまかすのも疲れたでしょう?」

「そうなのよ。毎度ドキマギしちゃって」

「もういいよ。多分あいつも気づいてるから、こういうことしてるんだろうし、俺が認めるわ」

「でも、そんなことしたら慰謝料どうこう言われない?」

「言わせないよ」

「そんなことが可能なの?」

「俺に任せておけって」

翌日、私は夫に言った。

「あなた、最近よく名古屋に行ってるらしいわね。社長さんもお使いをさせるのね」

「あんた、所用が多くてまいっちゃうよ」

「見たんでしょ」

「何を?」

「女と子供」

「ああ、顔面にパーツが寄った親子のこと」

「何とでも言え」

「そうやって何かをディスってないと平常心を保てないんだろう。名前を知らないから特徴を言ってるだけよ」

「実家に元カノと隠し子がいたの。ショックだった?」

「あれ、元カノだったんだね。でも、こっちが本当の家族だから、両親も公認済みだし」

「もちろん、全部知ってたよ」

「えっ?」

「明らかに名古屋出張が多いし、最初から変だなとは思ってたけど、確信したのは2年前くらいかな」

「バレるはずないと思ってたのに、なぜ分かった?」

「あなたの出張カバンの中におしゃぶりが入ってたの。若い女と浮気してんのかなとは思ったけど、そういう浮気だったら悪いから、しばらくは放置してたの」

「そんなバッグねえよ。あれはカイトのだ」

「あの子、カイト君って言うんだ。母親そっくりね。見た感じ3歳くらいだったけど。あの女の人は、いつから義実家に住んでるの?」

「確か5年くらい前だったかな。うちらが結婚した年じゃないの」

「俺が結婚するって知った元カノが、復縁要請をしてきたんだ。『俺が他の人のものになると思ったら、いても立ってもいられなくなった』んだってさ。可愛いやつだろ」

「うん。可愛いね。地獄の沙汰みたいで可愛い」

「東京で社長秘書をやってたんだけど、社長と揉めて退職したらしくて、住むところもなかったから。名古屋の家に住ませてたら、子供ができたってわけ」

「ご両親は何も言わなかったの?」

「父さんは入院してて、そのままぽっくり行ったし。母さんはミサのこと気に入ってたから、むしろ喜んでたな」

「なんで私との結婚を取りやめなかったのよ」

「まあ、それは色々あってって感じ」

「もしかして、父のことと関係がある?」

「さすが、よく分かったな。このまま一緒にいれば、いずれ社長の椅子に座れるかと思ってたけど、親父さんピンピンしてるし、無駄に長生きしそうだから、諦めることにしたわ」

「うちの父は健康診断オールAだからね」

「社長の娘と結婚したからって、いずれ社長になれる保証なんてないのに。そうなんだよ。それに気づくのがちょっと遅かった。お父さんも俺のことあまり可愛がってくれないし」

「あなたが食事の誘いを全部断るからでしょ」

「年寄りとの飯よりだるいもんはないからな」

「まあ、そういうわけなんで、離婚の方向でよろしく」

「そんな風に簡単に逃げられるほど、大人の世界は甘くないの、知ってるでしょう。慰謝料とか言い出すんだろ」

「そりゃ、これだけ長い時間騙されてたわけだし、それなりの誠意は見せていただかないと」

「お前にそんなことを言う権利も資格もないと思うけどな」

「どういう意味?」

「俺はお父さんの会社に入ってから、ある秘密を握ってしまったんだよ」

「はっ?」

「業務上知り得たものだよ」

「何よそれ」

「お前は別の会社だから知らないだろうけど、あの狐親父はとんでもないぞ」

「父はそんなことする人じゃない」

「いくら社長だからと言って、会社の金を自由にしていいわけじゃないんだよ。俺はその証拠を握ってるんだ。お前が慰謝料請求してきたら、同時に警察に行くからな」

「脅してるの?」

「交渉だ。俺には確かに隠し子がいるが、犯罪ではない。でも、お前の親父は捕まる。どっちが悪人か分かるだろう」

「その証拠を見せなさい」

「やだね。でも、本物だぞ」

「もういい。慰謝料は請求しないから、余計なことをしないで」

「最初からそう言えばいいんだよ。じゃあな」

翌日、私は父に離婚のことを話した。

「お父さん、私、離婚することになったから」

「そうだろうと思った」

「なんで?」

「タケル君から退職届が届いたんだ」

「もう、まるで準備してたみたいね」

「おそらくそうだろうな」

「お父さんの会社に入れてもらったのに、ごめん。最後の挨拶なしに退職届を出すなんて、非常識にもほどがあるわ」

「魔王の旦那だからと特別扱いはしてないぞ。入社も一応試験は全てパスしてきたわけだし、決して無能というほどでもなかった。まあ、人間性に問題はあったらしいがな」

「え、何があったの?」

「『黙っておけ』と言ったのに、『社長の息子だ』とか『自分がいずれ社長だ』とか言って回ってたらしい」

「あ、アホすぎる」

「社員も俺の身内だってことで、なかなか言い出せず、困ってたらしいんだ」

「迷惑かけたね」

「俺は構わないが、社員には申し訳なく思ってるよ」

「本当、ごめんね。ところで、何があったんだ? 浮気でもされてたか?」

「実は、あの人、愛人と隠し子がいたみたいなの」

「はあ。なんてけしからん奴だ」

「しかも実家でお母さんがかまってたみたい」

「親までグルなのか。とんでもない家族だな」

「義実家まで行って本人たちの顔も見たし、証拠も掴めたんだけど、全然悪びれる様子がなくて」

「なんでだよ。さっさと慰謝料をもらって別れればいいだろう」

「それが、お父さんの横領の証拠を握ってるから、慰謝料請求なんかしたら告発するって言ってるのよ」

「おいおい、何の冗談だ?」

「分からない。確実な証拠を持ってるって言ってた」

「魔王は、父さんがそんなことをするように見えるか?」

「見えないよ。おそらくデマだろうとは思ってる。でも、この世の中、全て真実が勝つとは限らないじゃない?」

「そうだな。それでも、自分が正しいと胸を張って言えるぞ。父さんは何にも悪いことはしてない」

「曲がったことは大嫌いな体質だもんね」

「おお。20年社長やってるんだぞ。舐めるなよ」

「お父さんのことを信じるよ。生々堂々と慰謝料請求して、権利を主張してやる。このことは、母さんにはまだ言わないで」

「なぜだ?」

「名古屋まで飛んで行って暴れるに違いないから」

「あり得るな」

数日後、夫が私に詰め寄ってきた。

「俺の言ったことが理解できなかったか。慰謝料請求なんかして、無事で済むと思ってるのか?」

「うん。だって、父は潔白だから」

「ふざけんな。役員報酬とは別に、3000万振り込まれた形があるんだよ」

「それは役員貸付金だね」

「あっ?」

「返済契約書もあるし、利息も払ってる。取締役会も承認済みらしいわよ」

「なんだそれ? 3000万だぞ。大金だぞ」

「祖父が亡くなって、多額の相続税がかかったのよ。銀行に借りるより手続きが早いから、貸付を利用したの」

「そんな立派なことに使っていいわけないだろ」

「問題ないからやってるのよ。返済計画書もあるし、税務的にも何の問題もないの」

「マジかよ」

「それだけで父を刑務所にぶち込もうと思ってたの?」

「他にもある。会社名義の別荘を自分の別荘として使ってた」

「それは会社の福利厚生として、他の社員も利用できるわ。当然、社長である父にだって使う権利はある」

「そうなのか」

「まだあるの?」

「他にもあるはずだが、今は証拠がない。後で出す」

「何を掘り下げても無駄よ。父はクリーンだから」

「うるさい。人間は叩けば埃が出るんだよ」

「あなたみたいに?」

「俺の家族は埃じゃない」

「埃の方がまだマシかもね」

「なんだよ。どういう意味だ?」

「そのうち、全て分かると思うよ。じゃあ、離婚の手続きを進めるわ。慰謝料、よろしく」

「ふざけんな。俺は絶対に金なんか払わないぞ」

三日後、義母から夫に電話が入った。

「大変よ。ミサさんが捕まった」

「は? どういうことだ?」

「突然警察が来て、連れて行かれたの」

「何の容疑で?」

「窃盗だって」

「万引きか?」

「違う。前職の時に、社長さんの貴金属やバッグを2億円分くらい盗んで逃げたらしいのよ。ミサさん、東京の会社で秘書してたみたいなんだ」

「だからって、人のものを盗むなんて」

「秘書なら社長に一番近いし、やろうと思えばいくらでも」

「カイトは大丈夫?」

「『ママ、お出かけしたの』って、よく分かってないみたい」

「俺も、まおとの離婚で少し揉めそうで、弁護士とやり取りしたりで、今週は帰れない。カイトのこと、よろしく頼む」

「それは構わないけど、不安だわ。逃げてた期間が長いし、実刑にならないかしら」

「その時は、母さんに育児を頼むしかない」

「は? あんた、帰ってこれないの? まおさんのお父さんの会社は辞めたんでしょ?」

「そうだけど、俺は名古屋より東京の水が合ってるし」

「何言ってんの? 子供がいるのよ。そもそも、俺の子かどうかも怪しいよな。あまりにも俺に似てないし」

「今まで可愛がってたじゃない」

「それは、たまに会うから可愛いんであって、毎日ってなるとちょっときついよ」

「なんて親なのよ。私だってリスクを犯して、この子を守ってきたのよ。あんたがいつまでも『もう少し待って』って言うから待ってたのに、最後は押し付ける気?」

「うるさいな。孫なんだから、面倒を見れるのは嬉しいだろう」

「元気に走り回る3歳児を追いかける体力はないよ」

「じゃあ、ジムでも行けばいいだろ。金なら出すよ」

「ふざけてないで、一度帰ってきなさい」

「いいわね」

数日後、夫は別の女に連絡をしていた。

「お前、子供欲しがってたよな」

「数日後に離婚が成立する夫婦の会話じゃないわね」

「俺の息子の世話してみないか?」

「ちょっと飲みに行かないか、みたいな感覚で言わないでくれる?」

「そのくらい軽く考えてくれたらいいんだよ」

「父親が逮捕されたからって、私に押し付けるのは筋違いなんじゃないの?」

「なんでお前がそのこと知ってんだよ」

「通報したの、私だから」

「はあ?」

「言ったでしょ。所用で名古屋に出かけてたって」

「どういうことだ?」

「社長のお使いって言ったわよね」

「は? まさか、ミサが秘書してた会社の社長が、今の会社の社長ってこと?」

「そう。そんな偶然あるのよね。私も驚いたわ。社長は警察に被害届も出してたけど、全然見つからなかったみたいなの。それで痺れを切らして探偵を頼ったら、見つかったのよ」

「マジかよ」

「それで現場確認をしてきて欲しいって頼まれて、その住所に行ってみたら、まさかの義実家だったんだもん」

「そういうことだったのか。お前がいきなり実家に行くなんて、変だと思ったんだ」

「1度目はたまたまかと思ったけど、数回尋ねてるうちに、この親子は一緒に住んでるんだって確信したの。それで社長と警察に報告して、任務完了ってわけ」

「なんで、会ったこともないお前が、元秘書だって分かるんだよ」

「社長曰く、『顔のパーツが中心に寄ってるから、一目見れば分かる』って言われたの」

「お前のせいで、息子は母親と引き離された。母さんは今更、一人で育児をしなきゃならないんだぞ」

「何言ってんの? あんたの子でしょうが」

「お前こそ何言ってんだ? 俺は男だぞ」

「だから何? 子供の世話なんかしたことないし。たまに遊ぶ程度のことしかしたことないんだよ」

「何を堂々と恥ずかしいことを言ってんのよ。あんたが作った子なんだから、あんたが育てるの」

「母さんは了承してくれた」

「今、カイト君連れて東京に来たわよ」

「は?」

「さっき、新幹線に乗って帰ってったわ」

「カイトも一緒だよな?」

「いいえ。置いてったわ」

「なんでだよ」

「今は私が見てるけど、早く交代して」

「無理無理。俺には絶対に無理」

「今ここで投げ出したら、あんたは保護責任者遺棄で捕まるわよ」

「だって、ミサさんが逮捕されたんだ」

「今、この子が頼れるのは、あなただけなのよ」

「母さんの方がよっぽどマシだろ」

「一緒になって私を騙してたお母さんを擁護するつもりはないけど、子育てを終えて孫を可愛がっていればいいだけの老後だと思ってたのに、全責任がのしかかるとなれば、それはさすがに嫌になるんじゃないかな」

「俺が育てるの、マジで?」

「うん。手伝ってくれる?」

「無理。離婚するから」

「何すればいいの?」

「ネットにでも聞いたら、何でも教えてくれるよ」

「助けてくれよ」

そう言いながらも、私はカイト君の世話をせざるを得なかった。彼は元気があり余っている。リビングのソファはもうクレヨンでぐちゃぐちゃだ。

「止めろよ。俺はまだそこに住むんだぞ」

「一緒に謝ってくれる?」

「ダメが通じないんだから、仕方ないじゃない?」

「しつけがなってないんだ」

「誰が育てたんだか」

「あんた、いい加減にしなさいよ。作る時だけ優しくしといて」

「産んだら産んだで、育児も手伝わず可愛がるだけかよ」

「いや、その上しつけがどうとか、言える立場じゃないでしょ。だったら、自分で1からしつけてみろよ」

「子供なんて、思ったように育たないもんだろうが」

「どうした?」

「なんか無性にイラッとした。この世の育児しない全男性に怒ってるの」

「子供もいないくせに、よく怒れるな」

「そうね。こんなやんちゃな子でも、クレヨンで落書きされてもいいから、欲しかったよ。でも、どうやってもできなくて、諦めた」

「だったら、カイトはどうだ?」

「まだそんなこと言ってるの? いい加減にしなさいよ」

「すみません」

「お母さんからノートを預かってる。この子の好きなメニューとか、遊びとか、寝る時間とか、やること全部書いてあるから。頑張って」

「どんだけやることがあるんだよ」

「一瞬たりとも目を離せないわ」

「信じられん」

「でも、すごく可愛い。だから、頑張りなさい」

それから数日後、夫はまた私に連絡をしてきた。

「母さん、助けてくれないかな? なんで子供ってこんなに元気なんだよ」

「なんで既読にもならないの?」

「母さん、限界だよ。和室の畳もボロボロだ」

「保育園も見つからない。待機児童問題って、俺にも関係あったんだね」

「目をちょっと離したら、ガスコンロの火をつけて遊んでたんだ。本当に一瞬も目を離せないなんて思わなかった」

「地獄だ。どうしたらいいんだ? 助けてくれよ」

義母は、息子からのヘルプ要請を無視して老後の人生を謳歌しようと思っていたようだが、孫を見てくれているからと妻からもらえていた仕送りが止まってしまい、結局は年金で細々と暮らす毎日になった。息子がいずれ社長だと言いふらしていたせいで、外にも出づらくなった。

ミサさんは裁判の結果、懲役3年となった。秘書としての信頼を裏切った罪は重いと判断されたようだが、宝石などは一部返却したため、この年数になったらしい。出てくる頃には、カイト君は小学生だ。それまでタケルがしっかり育てていればいいのだが、今のところ彼は定時で帰れる仕事に就き、ボロボロになりながらも「ミサが3年後に出てくるまで」と、どうにかギリギリのところで育児を続けている。

子供は作ったら終わりじゃない。そんな当たり前のことが分からない人間が、多すぎる。今頃タケルは、それを突きつけられているのだろう。私もいつか我が家で可愛い子に会えるよう願いつつ、今は仕事に打ち込もうと思う。

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