「ねえ、仕事まだ終わらないの?予約したレストランの時間、そろそろなんだけど。」
「レストラン?何だっけ?」
「何だっけって…二十年目の結婚記念日でしょ?前から言ってあったじゃない。」
「ああ、そっか。……悪いけど、それキャンセルで。無理だわ。店にも迷惑かかるし。」
「記念日はどうするの?」
「いや、レストランだけじゃなくて、結婚記念日もキャンセル。……前から思ってたんだよ。四十過ぎの劣化した女は無理。新しい嫁にチェンジ希望。」
夫・翔平の言葉に、妻・リカ子は一瞬言葉を失った。
「本当に何なの?急にそんなことを言い出すなんて。」
「若い頃のお前は美人でスタイルも良くて、自慢の嫁だった。『座れば牡丹、歩く姿は百合の花』って言葉が似合ってたよな。」
「え……あ、はい。ありがとう。」
「あれから二十年。今のお前はカレーだ。座れば仏頂面、歩く姿はご老体。昔は肉好きで良かったけど、痩せちまって顔も白髪も増えて、一緒に歩いてるだけで気分悪くなるレベルだよ。」
「あなたがそこまで言うなら、私も言わせてもらうけど。あなたって『立てば横綱、座れば白豚、歩く姿は肉団子』って感じよ。」
「はあ?何だって?」
「しかもこれ、結婚当初から何にも変わってないからね。私はあなたの外見と結婚したんじゃなくて、中身と結婚したから文句はないけど。人の外見に文句つける前に、鏡でも見たら?」
「バカかお前。男は外見なんて別にいいんだよ。女はダメだ。中身が良くても外見が全て。美人以外は論外。」
「ルッキズムのクソ野郎かよ。呆れてものも言えないわ。」
「そういうわけで、カレーになったお前に興味はない。離婚だ。新しい嫁の目星はつけてあるしな。」
「目星?……ああ、もしかして、かおる子ちゃん?エリナの友達の。」
「うっ……なんで分かったんだよ。」
「これでもあなたの嫁を二十年もやってるからね。気づきたくなかったけど。あの子の見た目、あなたの好みのどストライクだし、やたら気にしてたもの。」
「ただ、そもそもあの子は……」
「いや、まあいいか。言いたいことがあるならはっきり言え。」
「娘の友達に一目惚れして離婚するのは、さすがにキモいって言っていい?」
「言葉をオブラートに包むってことを知らねえのか?」
「昔は誠実な人だったのになんでこうなったんだか。もういいわ。お幸せにね。」
「俺は新しい人生に行くんだよ。あばよ。」
数日後、会社で後輩のカオルが翔平に話しかけた。
「部長、聞きましたよ。奥さんと離婚したって本当ですか?」
「ああ。本当だけど。」
「それが……じゃないですよ。なんで離婚なんて?エリナも驚いてましたよ。」
「なんでって、リカ子に女としての魅力がないからだろう。」
「そんな言い方……そもそもリカ子さんって、年齢の割に美人だと思いますけど。」
「いやいや、お前さ、いくらリカ子が彼女の母親だからって持ち上げすぎ。あいつはカレー女で十分だろう。」
「だから言いすぎですって。」
「ああ、うるさいな。俺は新しい恋で忙しいんだよ。お前はエリナとよろしくやってろ。」
「新しい恋?もう相手がいるんですか?……不倫ですよ。」
「違う違う。まだ俺の片思いだ。ただ、俺には切り札があるからな。結婚しようと思えば簡単にできるんだよ。ああいう女の扱いにはコツがあんだ。」
「切り札とかコツとか……相手は一体どこの誰なんですか?」
「んー、まあカオルなら教えてもいいか。お前、コスプレとか興味ある?」
「は?コスプレですか?」
「ああ、うん。何だ、動揺してんの?お前から初めて聞いたぞ。」
「いや、あの……見る方なら多少は知ってるっていうか。」
「ああ、そうなんだ。やっぱ若い子は知ってるんだな。じゃあさ、最近人気のコスプレイヤーのオルカって知ってる?」
「え?オルカですか……あ、はい。見たことはあるかな、ぐらいで。」
「さっきから変なやつだな。まあ、そのオルカちゃんってのが俺の相手だ。」
「え?……そうなんすね。」
「リアクション少ないな。有名コスプレイヤーだぞ。」
「いやあ、すごいですね。」
「だろ。しかも本名も知ってるんだよね。かおる子ちゃんって言うんだよ。」
「へえ……お前の名前と似てて、偶然って怖いですね。」
「エリナの友達らしくてな。今まではSNSでDM送ってただけなんだけど。」
「DMですか?ちなみに部長のSNSのアカウント名って何て言うんですか?」
「そんなの聞いてどうすんだよ。」
「いや、会社の上司がSNSやってるのって、ちょっと興味があって。」
「気持ちは分かるけどな。まあ、別に教えてもいいぞ。減るもんじゃないし。名前は『飛べない豚』だ。」
「飛べない豚……」
「そう。『飛べない豚はただの豚だけど、俺はあえて飛んでないだけ』って意味だ。本名も素顔も知ってる俺なら一発だよ。SNSで暴露されたくないもんな。」
「さっき言ってた切り札って、そういう……ああ、最悪だ。体調悪くなってきた。」
「大丈夫かよ。明日も仕事だぞ。」
「大丈夫なんで、自分はこれで失礼します。」
一週間後、リカ子の家に翔平が怒鳴り込んできた。
「ああ、もう腹立つ。おい、リカ子。お前、かおる子ちゃんのLINE知ってるよな?」
「知ってるけど、それが?」
「何度もあいつのSNSにDM送ってんのに無視されんだよ。俺はあいつの素顔も本名も知ってんだぞ。なのに無視とかふざけやがって。」
「気持ち悪い……LINEで直接連絡取ろうって言うの?」
「そうだよ。SNSで媚び売ってる程度の女が、お高く止まりやがって。こうなったら直接口説いてやる。」
「LINEを知っても直接口説いても、あなたには無理でしょ。今の自分の発言を振り返ったら、百パーセント振られて終わりよ。」
「やってみないと分かんないだろう。それに最悪の場合は、あいつのプライベートって切り札があるからな。」
「うわ、本当に気持ち悪い。どうしてこんな化け物が人間界にいるんだろう。こんなの政府が責任を持って隔離しないとダメでしょ。」
「俺に離婚されたからって、しょうもない嫌味はやめろよ。」
「しょうもない嫌味じゃなくて、全人類の代弁よ。」
「お前には関係ないだろ。」
「元嫁だから、無関係ではないわよ。それに、あなたも昔は……あ、ちょっと待って。あなたがSNSにハマったり性格が変わったりしたのって、確か二年くらい前から?その頃からお金遣いも荒くなってったような気がするけど。」
「はあ?何言ってんのかさっぱりなんだけど。」
「ねえ、あなた、もしかして……」
「いいから、さっさとLINE教えろ。」
「ごまかし方下手ね。というか、私に聞かなくても知ってるでしょ?」
「知ってたらお前に聞かねえだろ。」
「いいえ、知ってるはずよ。だって、かおる子ちゃんって、かおる君だから。」
十分後、翔平がカオルに電話していた。
「カオル、聞いてくれよ。なんかリカ子のやつがつまんない冗談言ってきてさ。お前がかおる子ちゃんだって言うんだよ。あいつ、マジでセンスないよな。」
「えっと……部長、それ、マジです。」
「は?お前まで何言ってんの?」
「先日、部長から連絡もらった後にリカ子さんに相談したんです。で、これ以上隠してても余計に話がこじれるだけだって結論になって。」
「いや、リカ子の冗談に付き合う必要はねえから。そもそもお前、男じゃん。」
「趣味なんですよ。」
「趣味?何が?」
「女装が……エリナが趣味でコスプレしてて、その流れで。元々女顔なのもあって、最初はふざけて女装コスプレしたらはまっちゃって。」
「いや、でも、うちで会った時は全然別人だったし。そもそもリカ子は何も……」
「それにエリナも、俺、知らないんだけど。」
「エリナはリカ子さんにだけは趣味を打ち明けてたみたいです。部長に言ったら反対されるからって。俺がコスプレ始めた時も手伝ってくれたり、エリナにメイクを教えたのもリカ子さんなんですよ。」
「いや、知らんけど。っていうか、なんで俺には黙ってたんだ?」
「部長は彼女の父親で、前に会社の上司なんで。さすがに働きにくくなるかもしれないし、あえて明かす必要はないだろうって、リカ子さんとエリナと相談して決めたんです。前にご実家で会った時も、リカ子さんがとっさに『かおる子』って嘘ついてくれた形です。」
「ああ、そうやって俺をからかって楽しいわけ?」
「いや、からかってるわけじゃないんです。マジで俺がかおる子で、オルカなんですよ。」
「だったら、なんでオルカちゃんのSNSに男って書いてないんだよ?」
「いや、あの……書いてます。」
「書いてないだろ?」
「『男の娘レイヤー』って書いてありますけど。」
「男の娘?ああ、そういやあったな。……でも、あれって人類絶望的じゃないか?」
「あ?どういうことですか?」
「男がいないと子供生まれないじゃん。男女の娘じゃないと変じゃない?」
「……不勉強なんだなあ。確かにちょっと理解されにくい言葉ではあるんですけど、『男の娘』って書いて『男の子』って読むんですよ。簡単に言えば、女の子みたいな男の子って意味です。」
「てことは、え?マジなの?お前がかおる子ちゃんで、オルカちゃん?」
「そうです。騙すつもりはなかったんですけど、すみません。」
「じゃあ、何か……俺は男相手に恋してたのか?」
「そうなります。ちなみにですけど、俺はエリナと付き合ってるんで、無理です。」
「は?振られてんじゃん。男に!ふざけんな!」
「ふざけんなと言われても。俺、訴えますからね。部長が何かしてくるなら。」
「詐欺だろ!カオル、絶対に許さん!会社でも全部ばらしてやるからな!男の心情をもて遊びやがって!この変態女装男が!人生終了させてやる!」
三十分後、カオルがリカ子の家に相談に来ていた。
「どうしたらいいんですかね、リカ子さん。」
「一体どうしたの?」
「実は、部長がオルカの正体を知って、ぶち切れちゃいまして。」
「ああ、想像ついた。どうせ『詐欺だ』とか『会社にばらす』とか言ってるんでしょ?」
「そうなんですよ。訴えられるのはまあ問題ないとしても、会社のことは……」
「確かにね。私やエリナは受け入れられたけど、みんながみんなそうとは限らない。仮に首になったりしなくても、好奇の視線にさらされる可能性はあるわよね。」
「ですよね……ああ、もう明日の仕事行きたくないなあ。」
「んー……さすがにここまで来たら、翔平を放置はできないわよね。カオル君の仕事のこともあるし、私としても突然の離婚で腹が立ってるわけだし。一度、あの下品なことしか言わない口を塞いじゃおっか。」
「はあ?こんなの一体どうやって……」
「前に言ってたでしょ?翔平が『飛べない豚』ってアカウントで、DM送ってきてたって。」
「ええ……まさかあのおじさん、警告文全開のキモいアカウントが部長だったとは。ちなみにどんなDMが来てたんですか?」
「えっと……俺がオルカだってバレる前の直近のだと、『オルカちゃん、直接会えないかな?会えないなら正体ばらしちゃうかも』とか。」
「あー、はいはい。大体分かったからもういいよ。文字だけでこの気持ち悪さは、もはや芸術でしょう。」
「さすがに俺も背筋が凍りました。」
「おかしな成功体験を積み重ねた結果か。いい年して何してんだか。」
「リカ子さん、それってどういう……」
「あ、ごめん、こっちの話。それで、他のDMもあるんでしょ?もっとひどいのもある?」
「ありますよ。結構しつこく来てたんで、いくらでも。」
「それを使っちゃいましょうか。カオル君、今すぐ連絡が取れる上司って、以外に誰かいる?」
「え?一応、人事部の方とはすぐに連絡取れますよ。うちの会社はそういうの厳しいんで、社員全員が知ってる窓口がありますから。」
「いいじゃない。あとはカオル君、コスプレイヤーの知り合いっている?」
「ああ、はい。つながりとかイベントで知り合った方が何人か……」
「女性で、すぐに連絡がついて、カオル君に力を貸してくれる人、いる?」
「俺のっていうか、エリナの友達なんですけど……それが何か?」
「その人に、すぐに連絡入れて欲しいの。」
「ああ、それは構いませんけど……リカ子さん、一体何を?」
「明日、翔平が出社しちゃうとまずいでしょ?出社されて、会社で俺の趣味のことを言われるとさすがに。だから、ちょっと餌を巻いておこうと思ってね。」
翌日、翔平は有給を取って、デートの約束をしていた。
「部長、今日はお休みなんですね。」
「ああ、カオルかよ。こっちはこれからデートなんだ。わざわざ有給使ってんだから、邪魔すんな。」
「デートですか?一体誰と?」
「なんか昨日の夜にDMが来てな。お前みたいな偽物じゃない、本物の女コスプレイヤーだ。羨ましいか?」
「どうして急にそんなことに?」
「知らんけど。まあ、神様は見てるってことだな。俺みたいな真面目な男には、こうしてチャンスをくれんだよ。」
「神様じゃなくて、見てたのは元さんですよ。」
「は?どういう意味だよ。」
その時、翔平の携帯が鳴った。相手は来ないようだった。
「部長が待ってるコスプレイヤーは、来ませんよ。」
「あ?どうして?」
「あ、その人、エリナの知り合いで。DM送ってくれって頼んで、送ってもらったんで。」
「エリナの……そういやエリナもコスプレしてんだっけか。そのつながりか。っていうか、頼んでってどういうことだよ?」
「今日、部長を会社に出社させないためです。」
「はあ?」
「リカ子さんに言われた時は、さすがに俺も無理だろって思ったんですけどね。いきなりDM来ても怪しいし、会社休んでまで会わないだろうって。でも、こうなってみるとリカ子さんの予想通りで。部長の下心に感謝です。」
「ふざけんな!詐欺師ども!また俺を騙したのか!何のために?」
「部長が会社で俺の趣味を言い回る前に、対処するためです。」
「対処だと?無理だろ!そうじゃなくても、明日でもお前の正体をばらして、部長は首だ!」
「あ、人事部の相談窓口に相談しました。俺が趣味でやってるコスプレ関連で、部長に脅されてるって。」
「脅されてる?証拠は?」
「『飛べない豚』さんからのDM内容と、この前のLINEです。それらを見せて、個人的にも訴えるって伝えました。」
「訴えるだと?俺を?」
「LINEの方は立派な脅迫罪ですし、DMの方も俺が男じゃなかったら、男性不信になってもおかしくありません。いや、でも、そんなすぐに首に……」
「コンプライアンス上、迅速に処分せざるを得ない内容ですから、判断もすぐでしたよ。一応、明日は部長も交えて話し合いの場を設けるとは言ってましたが、人事部の方が言うには、首でまず間違いないです。」
「そんな……」
「ちなみに、俺から請求させていただく慰謝料は百万です。DMや脅しとも取れるLINEで、精神的苦痛を受けたので。」
「そんなバカな!元はと言えば、お前が俺を騙してたせいでしょ!」
「SNSには男だと記載してありました。世代的に単語を知らないのはしょうがないとしても、法的には騙してません。」
「嘘だ!こんなのってないだろう!」
「そうそう。それと、部長が鼻の下を伸ばしてたコスプレイヤーからのDMですが、あれ内容を考えたの、リカ子さんですよ。」
「は?リカ子が?」
「部長をおびき出すならこの文章で大丈夫って、乗り乗りで書いてました。つまり、部長は自分が馬鹿にしたリカ子さんに、誘い出されたんです。外見だけで人を判断してきた部長には、見抜けなかったみたいですけどね。」
一週間後、翔平がリカ子の家を訪れた。
「リカ子、俺がバカだったんだ。」
「うん。あなたがバカだったのは知ってるけど、急に何?」
「あんな女装野郎に騙されて、お前を捨てちまった俺を許してくれ。この通りだ。だから、俺とやり直そう。」
「どの通りかも分からないし、だからってそうならないでしょ。あと『女装野郎に騙された』って。あなたに他人の趣味を否定する権利はないと思うけど。」
「男のくせにメイクして、女の格好して、そうやって俺を騙してたんだぞ。」
「言っておきますけど、今時メイク男子なんて珍しくもないからね。それにSNSには男だって記載。あなたが勝手に勘違いしただけ。」
「知るか!俺は騙されたんだ!会社を首になったのも慰謝料も、あいつのせいだ!」
「いや、全部自分のせいね。そもそもさ、外見が大事だって言ったのはあなたよね。だから私と離婚したんじゃないの?」
「それが何だって言うんだよ。」
「矛盾してるって言ってるのよ。女性よりも美人なカオル君を否定するのは違うでしょ。それこそ、あなたがやり直したがってる私よりも美人よ。」
「でも、あいつは男だ。男が女装するなんて、論外だろ。気持ち悪い。」
「呆れた。今が多様性の時代だって気づいてないの?別に誰に迷惑をかけてるわけでもないんだから、本人の勝手でしょ。」
「俺が迷惑してる。」
「それはあなたが勝手に女だと思って、勝手に恋をして、勝手に暴走しただけ。勝手にした結果がこれなだけであって、カオル君を否定していい理由にはならない。ましてや、娘のエリナが認めてるのよ。親がとやかく言う権利ないわよ。」
「そんなのおかしいだろ!エリナもエリナだ!あんな男のどこがいいんだか!」
「少なくとも、勝手に被害者ヅラして文句言ってるあなたよりはましね。」
「ふざけんな!俺があんな女装野郎以下だっていうのか!」
「けなしてるその人に鼻の下伸ばしてたあなたが言っても、説得力ないわよ。」
「この……言わせておけば!」
「言わせてくれてたの?言い返せないだけだと思ってたわ。人様の外見に趣味に口を出す前に、自分をなんとかしたら?会社も首になって、慰謝料も百万。そんな人が誰かの外見をけなして、趣味をけなして、みじめだと思わないの?」
「分かった。俺が悪かった。お前への態度も、カオルへの態度も、全部謝る。だから頼む。もうお前しか俺には頼れる相手がいないんだよ。」
「つまり、何?反省してるって言いたいの?」
「そうだよ!俺は反省してるんだ!だから、やり直そう!」
「うーん。じゃあ、その反省は言葉じゃなくて行動で見せてもらおうかしら。」
「なんだ?何でもするぞ。」
「じゃあ、慰謝料五百万、払ってね。」
「はあ?五百万?なんで!」
「あなたがかおる子ちゃんに対して、どうしてそこまで強気なのか、ずっと疑問だったの。いくら本名や素顔を知ってても、あそこまでの自信がどこから来るのかって。」
「そりゃ、それだけ俺がいい男だからに決まってんだろ。」
「自分のSNSアカウントを『飛べない豚』なんて名前にしてる人が?名前くらい何でもいいでしょ。私に体型について言われたら怒ってた人が、自分で豚呼び。どう考えても、体型に自信があってつけてる名前じゃないわよ。でも、だからってあなたの収入は一般的。お金があるから自信があるわけでもない。一体、何が言いたいの?」
「二年くらい前から急にSNSにハマって、性格も変わった。加えてお金遣いも荒くなって、根拠のない謎の自信。それらを踏まえて、調査させてもらいました。『飛べない豚』さんをね。」
「まさかお前……」
「SNSにはいっぱいいるそうね。お金を出せば遊んでくれる若い女の子が。いわゆるパパ活ってやつ。あなたの謎の自信も、その成功体験のおかげってわけね。」
「いや、違うんだ!あれはその……ちょっと魔が差しただけっていうか!」
「魔が差しただけで、二年の間に二十人近くの女の子と遊んでたの?それは通りで金遣いが荒いわけよ。知ってる?パパ活って、不貞行為になるのよ?それに夫婦の共有財産の無断使用。離婚事由の暴言。五百万で済んでよかったと思ってくれないと困るわ。」
「五百万なんて無理だって!頼むよ!勘弁してくれ!」
「これは正当な権利による請求だから、そっちの都合は知りません。『飛べない豚』?笑わせないでよ。あなたは飛ばないんじゃなくて、飛べないの。空飛んで逃げることもできないんだから、諦めなさい。」
数日後、カオルとリカ子が、コスプレ衣装の話をしていた。
「リカ子さん、先日は衣装を作るの手伝っていただき、ありがとうございました。」
「いいのよ、別に。裁縫なんてただの趣味なんだから。まさか自分がコスプレ衣装を作るなんて思ってもなかったけどね。」
「すごい出来でしたよ。エリナも喜んでました。なんか、姉妹のキャラクターなんだっけ?」
「夫婦でコスプレって、素敵ね。」
「そうですね。元を言えばエリナの趣味ですけど、それでも俺が女装コスプレしても受け入れてくれるエリナに感謝ですよ。ああ、もちろんリカ子さんにも。」
「私へのフォローは別にいらないわよ。最初は確かに驚いたけど、エリナで慣れてたから、すぐに受け入れられたしね。」
「正直、はまっちゃった時は、かなり悩みました。エリナはまだしも、リカ子さんとかに引かれちゃうかなって。でも、受け入れてくれたおかげで自信が持てたんです。」
「ま、こういうのは人によるでしょう。コスプレ自体が嫌いな人だっているし、女装が嫌いな人だっているけど、それを好きな人だっているし。文句を言われる筋合いはないわ。だって好きでやってるんだから。」
「エリナも言ってました。自分の人生を他人の意見で左右されてたまるかって。」
「そういうことよ。他でもない、あなたの人生なんだから、好きにしなさい。」
「ああ、でも、もう俺だけの人生じゃないんです。」
「え?それって……」
「エリナが妊娠しました。子供が生まれる前には、籍を入れようと思ってます。」
「そうなの?おめでとう。え、初孫?嬉しい!」
「そんなに喜んでくれるなんて……」
「当たり前よ。エリナはもちろんだけど、カオル君だってもう息子みたいなもんなの。」
「ありがとうございます。こんな不出来な俺ですけど、これからもお願いします。そして、娘さんのことを絶対に幸せにします。」
「お母さん、もう幸せになってるわよ。でも、その言葉を忘れないでね。生まれてくる子供と、カオル君と、エリナと。三人で絶対幸せになりなさい。好きなことやって、好きな人と一緒に、あなたの人生を歩んでください。」
翔平の離婚騒動から一年が経った。
エリナとカオルは無事に結婚し、娘も出産した。エリナとカオルは、一人になったリカ子を心配して、同居してくれた。今はリカ子と娘夫婦、そして孫の四人で暮らしている。
娘夫婦は初めての子育てに奮闘し、リカ子は初めてのおばあちゃんという立場になった。変わったことは多く、慣れないことも多い。だが、娘夫婦が揃ってコスプレを楽しんでいる姿は変わらない。そんな二人の姿を見て、リカ子も孫もいつも笑顔を浮かべている。
その一方で、翔平は会社を首になり、慰謝料を合わせて六百万を請求され、支払いの目処は未だ立たない。SNS上でも今回のことが暴露され、女の子を捕まえることもできなくなったそうだ。お金の力で自分はモテると勘違いし、おかしな成功体験を重ねた末に、身を滅ぼす結果になった。
他人を外見だけで判断し、勝手に優劣をつけ、自分を省みない。身勝手にリカ子と離婚し、同じく身勝手にカオルを否定した翔平。そんな翔平は今、自分が勝手に選んだ道で苦しんでいる。
「飛べない豚はただの豚」とは言うが、ただの豚だって楽ではない。そのことを翔平は、ようやく理解している最中なのかもしれない。
