義母の介護施設で、たまきさんが私を呼び止めた。「元子さん、いつも娘のお見舞いに来てくれてありがとうね。私の奢りでランチでもどう?」その優しさに、私は思わず涙ぐんだ。夫は私を「寄生虫」と呼び、専業主婦のくせに介護も家事も完璧じゃないと罵る。義妹は「離婚して捨てられても泣きつかないでくださいね」と笑った。でも、たまきさんだけは違った。彼女は八十歳で現役の契約社員として働き、SNSで五万人のフォロ…

義母の介護施設で、たまきさんが私を呼び止めた。「元子さん、いつも娘のお見舞いに来てくれてありがとうね。私の奢りでランチでもどう?」その優しさに、私は思わず涙ぐんだ。夫は私を「寄生虫」と呼び、専業主婦のくせに介護も家事も完璧じゃないと罵る。義妹は「離婚して捨てられても泣きつかないでくださいね」と笑った。でも、たまきさんだけは違った。彼女は八十歳で現役の契約社員として働き、SNSで五万人のフォロ...

スケジュールアプリに出張の日程を入れておいたから、いつも通り準備しておいてくれ。あと、今日は後輩を連れて家で飯を食うから、その用意も頼む。電話の向こうの声は、当然のようにそう言った。こっちの都合など一切考えていない口調だった。

「ちょっと待ってよ。いきなりそんなこと言われても困るわ。もう十七時よ。今から買い物して、準備して……それに、何人連れてくるつもり?」

「三人だ。家には二十時くらいに着く」

「無理よ、そんな……」

「お前も専業主婦なんだから、それくらい対応しろよ」

「専業主婦だからどうとか、そういう話じゃないわ」

「つうか、母さんを介護施設に入れて時間もあるんだから、文句言うなよ。金がかかるから嫌だって言ったのに、お前のわがままでこうなってんだぞ。せめて俺に尽くせよ」

「……それができないなら、パートでも何でもして介護施設代はお前が出せ。月額十五万円だぞ。専業主婦の前に、払えるわけないだろ」

「調子に乗るなよ、バカが」

その一言で、夫婦の空気はもう壊れていた。夜中、夫は後輩たちと外で飲み直すと言い出した。新築祝いの顔をしたら機嫌が悪くなったのだという。どうせまた、私のせいだと言われる。愛がない、料理も上手くない、母親の介護もしない、本当に要らない嫁だ、と。彼の言葉はいつもそうだった。

数日後、義母の介護施設で、姑のたまきさんが私を呼び止めた。

「元子さん、いつも娘のお見舞いに行ってくれてありがとうね。私も今日は行けそうだから、帰りに一緒にランチでもどう?」

「ありがとうございます。でも、私、自由にできるお金がそんなに……」

「私の奢りよ。うちのバカ孫がいつもごめんなさいね」

「お母さんにはよくしていただいたんです。信吾さんも夢香さんも誰も介護しない。お見舞いにも来ないなんて、お母さんがかわいそうだから」

「優しいのはいいことだけど、それで自分が損しちゃ元も子もないんだからね。でも、元子さんがいてくれて、私は本当に助かってるし嬉しいのよ」

「そうですか……」

「娘は認知症が進んで、私たちのことも忘れてしまった。信吾も夢香もあの調子でしょ。元子さんだけよ。穏やかに話ができるのは。私もたまきさんと話してる時が一番安心します」

「ランチ、楽しみにしてますね」

数日後、私は今月のお見舞いの写真をアルバムにまとめて、夫に見せた。彼は「ああ、どうも」とだけ言って、突然こう切り出した。

「てかなんで介護施設に入れたんだよ? 金もったいないだろ。もらえる遺産が減ったら嫌なんだけど」

「ただの認知症ならまだしも、お母さんは徘徊がすごくて、それで転倒して骨折して寝たきりになったの。私一人ではどうにもならないから、施設に入ってもらったんです。何度も説明したじゃないですか」

「家にヘルパーさん呼べとか、色々あるのに。元子さんがサボりたいだけでしょ。長男の嫁なのにありえないわ。家から追い出して施設で暮らさせるなんて、お母さんかわいそう」

「じゃあ、夢香さんが手伝ってくれるんですか? 実家に戻ってきて同居して、二十四時間サポートしてくれるんですか?」

「いや、大げさだし、寝たきりのお母さんの手伝いするだけじゃん。てか無理でしょ。私、働いてるもん。無職の専業主婦と一緒にしないでもらっていいですか?」

「とにかく、施設入りは大姑のたまきさんが決めたことです。文句があるなら、たまきさんへどうぞ」

「うっ……。うちらがおばあちゃんに言い返せないって知ってて、その態度なんでしょ。まあ、ちゃんも八十歳だし、そのうち死ぬっしょ。お兄ちゃんもこんな役立たずと結婚してかわいそうに。離婚して捨てられても、泣きついてこないでくださいね」

一か月後、たまきさんが私に告げた。

「元子さん、信吾さんから聞いた? 来月から単身赴任が決まったそうよ」

「そうなんですか? よかったじゃないですか」

「そうなの? やった。家に信吾がいないだけで気が楽ね。単身赴任の間だけ、うちで暮らしてもいいのよ。ああ、でも一人の方が気楽かしら」

「よかったら、お泊まりとか行かせて欲しいです」

「いいわよ」

こうして私は、たまきさんの家に泊まりに行くようになった。デリバリーでピザを頼んで、映画を一緒に見て、たまきさんは「若い子と一緒にこういうことがしたかったのよ」と笑った。私はその時間が、何よりの救いだった。そのうち、たまきさんに相談もするようになった。

二週間後、夫から連絡が来た。

「せっかくだから、一週間有休を取って向こうで観光することにしたからな。俺が単身赴任中は、お前から連絡してくんなよ。仕事の邪魔だ。俺は出世コースに乗ったんだ。お前の相手なんてしてる暇は一ミリもないんだよ。分かったか?」

「そうですか。頑張ってくださいね」

「それにしてもお前はいいよな。介護もしないで、家事も一人分しとけば、俺が金稼いできて生活できてんだから。寄生虫ライフが羨ましいわ。てか、もう俺ら夫婦でいる意味あんの? マジで離婚でよくね?」

「そうですね。単身赴任が終わったら、色々話をしましょう。でも、お母さんが生きている間は面倒を見る約束をしているので、その後、離婚できればと思います。もう疲れました」

「こっちのセリフだ。母さんの面倒もちゃんと見てないくせに、母さんを盾に使うんじゃねえよ。むしろ今まで養ってもらったことに感謝して、金でも払ってほしいくらいだわ」

「なんでそんなひどいことが言えるの?」

「だってお前さ、何年ヒモ生活してんの? 家事すら完璧じゃねえし、介護も丸投げ。一回施設に入れただけで面倒見てますって言い張ってさ。笑わせんなよ、マジで。ぶっちゃけ俺、女としても人間としても、お前に何の価値も感じてないんだよね」

「……そう。分かったわ」

それから一か月後、義母の容態が急変した。緊急の連絡を、私は夫に入れた。

「急ぎなの、早く出て。仕事の邪魔すんな。お前とは一秒も話したくない」

「そんなこと言ってられないから。お母さんの容態が急変したの。すぐ帰ってこられない?」

「そんなの施設に任せときゃいいだろうが。つうか、単身赴任中は俺に連絡してくんなって言ったよな。百万回言ったよな。次連絡してきたら離婚だぞ」

数分後、私はたまきさんに相談した。

「たまきさん、どうしたらいいですか? 信吾さん、話にならなくて」

「やり取りのスクリーンショット、送ってくれる? 読んだ方が早いわ」

数分後、たまきさんはため息をついた。

「これはもうどうしようもないね。話にならないよ。でも、このままじゃお母さんが……いや、何も言わなくていいわ。だって、向こうから連絡してくるな、一秒も話したくないって言ってるのよ。それなら、こっちからこれ以上何か言ってやる必要なんてないわ。さよだって、あんな白状な息子、どうだっていいでしょうよ」

「たまきさん……私でよければ、そばでお手伝いさせてください」

「元子さんには迷惑をかけるけど、一緒に踏ん張ってもらえる? 長生きなんてするもんじゃないね。娘を見送ることになるなんて」

「私でよければ、そばでお手伝いさせてください」

「ありがとう。元子さんがいてくれて、本当に良かった」

その数分後、私はもう一度夫に連絡を入れた。

「お母さんの容態が急変したから、介護施設に来られる?」

「へえ、何それ。具合悪いみたいなこと? 元子さんにお願いすりゃいいじゃん。あの人、普段から何もしてないんだし」

「あんた、それ本気で言ってるの?」

その時、たまきさんが孫娘の夢香に言った言葉を、私は聞いていた。

「元子さんはね、結婚して一年で介護生活が始まったんだよ。さよの認知症が始まって、二年は一人で面倒を見ていたんだ。その間も、辛いことはあっただろうに、私にも愚痴を吐かずに頑張ってたんだよ。あんたにできる? 血のつながらない他人から毎日怒鳴られて、手を上げられて、それでも風呂に入れて、トイレをサポートして、着替えも食事も無償で面倒を見るなんて」

「だって、それは長男の嫁の仕事じゃん。専業主婦なんだし、当然でしょ。他にやってることないんだから」

「ねえ、夢香ってSNSやってたよね」

「やってるけど、それが何?」

「そこでさ、夢香の思ってることとか、やってきたことが正しいかどうか、聞いてごらんよ。それで夢香に賛成してくれる人がたくさんいるなら、もうあんたにとやかく言わないわ。私と元子さんが間違っていたんだなって認める」

「……まあ、愚痴は溜まってるし、アンケート取るのはありかも」

その夜、夢香のSNSは大炎上した。たまきさんは穏やかに言った。

「夢香、結果はどう? 聞くまでもなく、大炎上してるみたいだけど」

「なんでおばあちゃんがそんなこと知ってんのよ」

「私だってSNSやってるもの。夢香のアカウントは知らなかったけど、私のタイムラインに流れてきたのよ。内容的に夢香だろうなとは思ってたけど、すごいあれよね。これが自分の義母だったらマジで罪。離婚しない理由って何? よっぽど義母さんにお世話になったとか。旦那もカスだし、義母とか救いがなさすぎる。お嫁さん今すぐ逃げて。っていうか、こんな人だと思わなかったんでブロックさせてもらいます。で、ここまで叩かれて、夢香の考えは変わらないのかしら」

「……お兄ちゃんが、元子さんが悪いからお母さんと仲悪いって」

「認知症はね、こっち側の事情なんて関係ないのよ。だって、どんどんことが分からなくなって、できなくなっていくんだから。元子さんが言ってたよ。さよが一人でトイレができなくなった時、大泣きしてたって。きっと恥ずかしかったり、悲しかったり、申し訳なかったりするんだろうって。でも、元子さんは、私も生まれた時は母親にお世話になったもんですよって、明るく返してくれていたんですって。どうしてそこまでできるのか。申し訳ない気持ちになって欲しくない、自分で笑って欲しいって。結婚してから一年、さよには本当によくしてくれた。大好きなお母さんだからって、さよの当たりにもなるべく笑顔で返していたそうよ。家を出るまで二十年以上世話になった実の娘は、一切世話なんかしなかったのにね」

「私だって働いてるし、実家まで電車で一時間もかかるんだよ。そんな頻繁に帰れるわけないじゃん。なんで攻められないといけないの?」

「おかしいのは、あんたの態度だよ。自分が何もしてやれないんだったら、せめて世話をしてくれている元子さんに、手伝いの連絡を入れるのはもちろん、金銭面のサポートを申し出るのが大人として当たり前じゃないか。それをせずに、ただ文句を言ってるだけの人間なんて、ろくなもんじゃないよ。さよがもうすぐ峠なんだ。そばに来るつもりがあるなら、早く支度しておいで。ただし、信吾には何も言うんじゃないよ。あいつには葬儀に参加する資格なんてない。分かったね」

「……はい、分かりました」

四十九日後、たまきさんから夫に連絡が入った。

「信吾、四十九日が終わったから連絡させてもらったよ」

「はあ? 四十九日って誰のだよ」

「さよのだよ。あんたの母親だ」

「いや、冗談きついだろ。何言ってんだよ。元子さんから連絡があったはずだぞ。さよの容態が急変したって」

「それは、仏壇はうちにあるから、挨拶に戻ってきなさい。単身赴任中でも休みはあるし、有給だって取れるでしょ」

数分後、夫が私に怒鳴ってきた。

「お前、何考えてんだよ。母さん、既得だったのか。なんで言わなかったんだよ。どうかしてんだろう」

「自分が何て言ったか覚えてる? 単身赴任中は連絡してくるな。次連絡してきたら離婚だって。だから連絡しなかったのよ。夫の言いつけを忠実に守っただけだけど」

「そんなもん、既得の時は関係ねえだろ。あ、そう。こんなLINEしてる暇があるなら、さっさと帰ってくればいいだろ」

数分後、夫は妹の夢香に電話をかけていた。

「おい、夢香。お前、元子とかおばあちゃんから母さんが死んだって連絡来てたか? 葬式行ったか? どうなんだよ。まさか俺だけ仲間外れにされたんじゃねえだろうな」

「私のところにはすぐ連絡が来たよ。お兄ちゃんにも連絡しようとしたけど、おばあちゃんに止められた。あいつはお母さんの葬式に出席する資格はないんだって」

「どういうことだよ」

「……私とお兄ちゃんが間違ってたってことじゃん。とにかく早く帰ってきなよ」

その日の夜、夫は実家に着いた。仏壇に挨拶を済ませると、彼は怒りをぶつけた。

「あのさ、たとえ俺に落ち度があったとしても、葬儀に呼ばないのはやりすぎだろ。お前、今どこにいんだよ」

「ホテルよ。実家も自分の家も、あなたと顔を合わせることになるでしょ。たまきさんが、今は一人で過ごしていた方がいいって言ってくれてね」

「あのな、俺はめちゃくちゃ混乱してんだよ。他の親戚からも連絡ねえし。こんなの集団いじめじゃん」

「それだけ、あなたに信頼がなかったってことじゃない? 参列してた人みんなに手紙が用意されていたから」

「どういうことだよ」

「お母さんが認知症になり始めたばかりの頃、親族に手紙を書いていたみたいなの。遺書とは違うんだけど、私が責められないように、立場が悪くならないようにっていう心遣いだったみたい。あなたと夢香さんにも一通ずつ残ってるから、読むといいわ。お母さんがあなたたちをどう思っていたか、それで分かるでしょう。あなたの部屋のテーブルに置いてあるから、読んできて」

数分後、夫の声が震えていた。

「なんだよ、これ。俺と夢香には遺産は残さないなんて、ふざけてんだろう。全部、元子さんに? いや、八十歳の寝たきりのババアが、何考えてんだよ。つうか、こんな神経衰弱に書いた内容なんか無効だろ」

「手紙とは別に、相続権利に関して遺言書が残されてるわ。ちゃんと弁護士経由で、たまきさんが受け取ってるから」

「ふざけんなよ。なんでだよ。意味わかんねえ」

「介護に一切ノータッチだったんだから、当然じゃない。ていうか、あなたが心配するのって、遺産の項目だけなのね。実母の介護は一切せず、嫁に任せきり。嫁の元子さんに対してひどい暴言を吐くこともあり、申し訳ない気持ちだった。でも、施設入りも許されず、どうすることもできない。あの子は私を施設に入れるお金が惜しいらしい。もう疲れた。早く終わりになればいいのに。そんな気持ちを綴った手紙が、親戚に渡ってるのよ。冷静に考えてみてよ。あなた、これから地獄になるんじゃない?」

「仏壇への挨拶が済んだなら、さっさと帰ってね。あんたと顔を合わせて話すのも嫌なんだから」

「ばあちゃん、どこ行ったんだよ」

「友達の家にいるわ。あんたが帰ったら、すぐ帰るわよ。鍵は玄関のお皿の上にあるから、閉めたらポストに入れておいて」

「もうわけわかんねえよ。どうすればいいんだよ」

「さっさと出て行って、一旦自分の家に帰ればいいでしょ。それで落ち着いたら、離婚に向けて話をしましょうか」

「待ってくれって。俺、もう疲れてんなよ。てかなんでばあちゃんにそんな話し切られなきゃならねえんだ。俺ら夫婦の話だろ。ほっといてくれって」

「じゃあ、元子さんも読んで、さっさと話を済ませましょう」

「勘弁してくれって」

「お母さんが亡くなったら、離婚の話をしましょうって約束だったわよね」

「お前だって、俺と離婚になったら困るだろ。ちょっと黙っとけよ」

「困らないわ。もう働き先も住む場所も決まってるし。あなたはたまきさんに興味がないから知らなかったんでしょうけど、たまきさんは今も大手企業の受付事務として働いてるのよ」

「は? はあ。冗談だろ。八十歳だぞ」

「正社員じゃなくて契約社員だし、週三回出社だけどね。でも、SNS担当として会社の様子を発信して、フォロワーも五万人を超えたところ。結構人気なのよ。たまきばあちゃんの日常ってやつ」

「嘘だろ? やたら元気だとは思ってたけど」

「百二十歳まで生きる予定だからね。水泳もターンして帰って来られるようになったわ。スイミングスクールにも通い始めて、クロールがいい感じだわ」

「怖えよ。マジで冗談に聞こえねえから」

「私からたまきさんに相談したの。離婚に向けて自立するために、仕事を始めたいって。そしたら、たまきさんが務めている部署でちょうど契約社員の募集があって、たまきさんの推薦で働けることになったのよ」

「たかが契約社員に決まったくらいで、お気楽でいいな」

「あら、あなただって、どうなるかわからないわよ」

「どういうことだよ」

「たまきさんに助けてもらって、単身赴任先でのあなたの行動を調査会社で調べてもらったから」

「は? いや、ちょ、待て、待てよ。どういうことだ? 何言ってんだよ」

「言葉通りの意味だよ。もし離婚することになるなら、証拠は多い方がいいからね。あんたみたいなモラハラ夫が単身赴任先で浮気だの不倫するのは、よくある話だから。だからって、そんなのあんまりだろう。俺のこと信用してなかったってのか」

「私たちの夫婦関係に、信頼なんてあったと思う? お母さんを介護施設に入れるよう進めてくれたのも、あなたや夢香さんのいびりから守ってくれたのも、全部全部たまきさんじゃない。たまきさんの助けになりたいから離婚を見送っていただけで、あなたに愛情なんて一ミリも残ってなかったわ。付き合ってる時はすごく優しくていい人だと思ってたけど、結婚した途端に豹変して、本当にショックだった。結婚詐欺ってこういうことなのねと思ったわ」

「彼女と嫁が同じわけねえだろ」

「もう何でもいいわ。どうせ他人になるんだし。ただし、浮気不倫の慰謝料はたっぷり請求させてもらうわよ。あと、結婚から毎日記録していた日記を元に、精神的DVの慰謝料もね」

「何が精神的DVだよ。何もしてないだろ。手を上げたことなんか一度もねえし。いい嫁になれるようにアドバイスしてただけじゃん」

その時、たまきさんが茶化すように言った。

「これが自分の孫だなんて、頭が痛いわね。優しさが半分でできてる頭痛薬じゃ足りないわ、これ」

「だって俺は、だって……減ったくれもないんだよ」

「あんたは、自分が良ければそれでいい。それだけの話だよ。あんたはね、本当は結婚しちゃいけない、一人で孤独に生きていかなきゃいけない人間だったんだ。夢香が目を覚ましてくれただけ、ましってもんだね」

「夢香をどう言いくるめたんだよ」

「言いくるめてなんかないよ。ちょっとSNSで自分が正しいかどうか聞いてみなって言っただけ。結果は散々だったみたいだけど、今も炎上してるから、信吾も検索してみるといいよ。義母の介護、長男の嫁の責任、でヒットするだろうから。今後のやり取りは、依頼してる弁護士を経由して。二度と私に直接連絡してこないで」

「待てよ。まだ話は終わってないぞ」

「何が? 私はもう終わったのよ。もし私に直接連絡してきたら、精神的苦痛の上乗せで慰謝料増額するからね」

一か月後、たまきさんと私は同じ職場で働き始めていた。彼女は苦笑いしながら言った。

「いや、離婚なかなか進まないね。あそこまでごねるとは思ってなかったわ。っていうか、なんでごねるのかね。離婚したいってあんなに言ってたのに」

「便利な家政婦を手放したくないんだと思います。あの人は家のことは何にもできないから。単身赴任も、あまり長く行くのは嫌だったみたいです。選択とか家事とかできないし。三十七の男が情けない」

「でも、別居して顔を合わせないだけでも、だいぶ楽かしら」

「本当に。あと、たまきさんと同じ職場で働けるのが、本当に楽しいです」

「それならよかった。ばあちゃん、百二十歳まで現役でいるからね」

その頃、夫の会社でSNSの炎上が発覚していた。

「やばい、会社にバレた」

「何? 急に会社にSNSの炎上がバレたって?」

「会社の後輩から、『これ先輩じゃないすか』って言われて。俺が酔っ払った時によく愚痴ってる男の話と、内容が似てるからって」

「あら、なんでバレたのかしら。身から出た錆だね。そのうち社内に満ちるよ。そういう噂って早いから」

「部長に呼び出された。やばい。マジで俺の会社、コンプラ厳しいんだよ。俺、営業だし、まずいんだって」

「あら、それは良かったわね。これからも社会の人に、自分の非常識をたくさん指摘してもらいなさい。今まで元子さんがどれだけ大変な思いをしてきたか。それでも足りないくらいでしょ」

「なあ、母さんの遺産、俺に分けてくれないか? 慰謝料百八十万なんて払えねえよ」

「貯金があるでしょ。それくらい、元子さんがちゃんと把握してるわ。慰謝料と財産分与、きっちり進めさせてもらいますからね。泣き言言ったって、一戦も負けたりしませんから。私の可愛い孫娘のためにもね」

「孫息子はどうなんだよ」

「ええ。ああ、ごめんなさい。目が悪くて、文字が読みにくくて。失礼いたします」

その後、信吾との離婚は時間がかかったが、なんとか成立した。その間に信吾は地方の営業所に移動となり、広告営業という扱いで給料も減額された。信吾の会社は広告を扱う会社で、介護施設も取引先にあったらしい。それで営業に残しておけませんよね。信吾は退職も考えたが、たまきさんが逃さなかった。SNSでちょっとした有名人というだけでなく、コミュニケーション力が高く、人脈も豊富な彼女はあっという間に情報を見つけ出し、知り合いが営む介護施設にお願いして働かせてもらっているそうだ。そこはマッチョで屈強な男性がメインの職場ということもあり、信吾は毎日マッチョに監視されている。つまり、逃げがないということだ。それに加えて、今まで逃げてきた母親の介護と向き合い、私の苦労を分かって欲しいという、たまきさんの思いもあったみたいだ。

ちなみに夢香さんは、SNSでの炎上がきっかけで友達からも縁を切られ、職場にも炎上が知れて居心地が悪くなり退職。今はコールセンターで派遣社員として働いていると、たまきさんから教えてもらった。クレーム部門に配属されたので、精神的に参っているそうだ。でも、必要な仕事なので、しっかり頑張っていただきたい。

最悪な時間の方が長かったけど、結婚して良かったことは、たまきさんと出会えたこと。そして、お母さんと出会えたことだ。お母さんは、変わっていく自分を先読みして、私に現金の入った通帳を残してくれた。そこには「一人娘になってくれてありがとう」というメモが残されていて、何もかも報われた気持ちだ。たまきさんも、相続人を私にして遺書を作ってくれるそうで、恵まれすぎなくらいだ。

これからは、たまきさんのSNS運営にも関わっていく予定なので、第二の人生を楽しみながら頑張りたいと思う。

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