「お前一人でどうにかしろ。俺は出張で忙しいんだから分かるだろう」。夫はそれだけ言い放つと、電話を切った。義母の意識が途切れがちで、もう会話もままならないと伝えた直後だった。あの冷たい声を聞いた瞬間、全身の血が引いていく感覚がした。結婚して十年、私はずっと夫の顔色を伺いながら生きてきた。浮気を繰り返され、使用人のように扱われ、それでも両親を心配させたくなくて耐えてきた。義母が倒れてからも、見舞…

「お前一人でどうにかしろ。俺は出張で忙しいんだから分かるだろう」。夫はそれだけ言い放つと、電話を切った。義母の意識が途切れがちで、もう会話もままならないと伝えた直後だった。あの冷たい声を聞いた瞬間、全身の血が引いていく感覚がした。結婚して十年、私はずっと夫の顔色を伺いながら生きてきた。浮気を繰り返され、使用人のように扱われ、それでも両親を心配させたくなくて耐えてきた。義母が倒れてからも、見舞...

「お前一人でどうにかしろ。俺は出張で忙しいんだから分かるだろう」
夫はそれだけ言い放つと、電話を切ってしまった。自分の母親が危険な状態だと言われて、まさかこんな態度を取るなんて。私は絶望のあまり、その場で固まってしまった。しかし、もう迷っている時間はない。夫が帰ってくるまで、あと数日しかないのだ。私は覚悟を決めて、ある人と今後のことを話し合うことにした。できることは全部やるつもりだった。

私の名前は園田みな子。自分で言うのも悲しいが、私はもともと異性にモテるタイプではなく、若い頃から奥手で、いつも誰かの後ろに隠れているような女の子だった。それでも二十代前半に恋人ができないこともなかったが、その後は縁に恵まれず、いつの間にか一人でテレビに向かって頷くような日々を過ごしていた。お金も時間も自分のためだけに使えると思えば幸せだったが、ふとした瞬間、漠然とした不安が胸をよぎることもあった。

そんな私に、突然の転機が訪れた。気持ちが貧しくならないようにと、好きなことをして独身貴族を気取る一方で、仕事は真面目にこなしていた私は、今の夫であるケントに目を留められたのだ。ケントは私より十歳も年下で、取引先の営業担当だった。どうしてこんなに素敵な人が私なんかを選んでくれたのだろう、という気持ちはもちろんあった。しかし、エリートで女性社員からも人気だった彼が自分を選んでくれたことは、純粋に嬉しかった。私たちは順調に交際を重ね、結婚に至った。

年の差は大きかったかもしれないが、両親も義両親も二人の結婚を祝福してくれた。きっと幸せな結婚生活が始まると思っていたし、最初はうまくいっていたと思う。結婚後のケントは一人暮らしの時よりも生活環境が整ったせいか、仕事に打ち込むようになり、しばらくすると会社で大出世した。それも同期の中でも一番という程度ではなく、先輩たちをも追い越す大抜擢だった。ケントは自信に満ち溢れていて、この調子ならまだまだ上を目指せるだろうと私は夫の成功を一緒に喜んだ。しかし、同時に少し不安もあった。どうも最近、私への態度が冷たい。というより、ないがしろにされていると感じていたのだ。

今までは休日に二人で料理をしたり、何でもない日に私が好きそうだからとプレゼントをくれたりしていたのに、最近はめっきりなくなった。結婚してしまえばそんなものかもしれないが、寂しさは払拭できない。さらにケントは出世して気が大きくなったようで、給料を湯水のように使うようになった。私が注意しようものなら「嫁なのだから金の管理ぐらいちゃんとしろ」と怒鳴られる始末で、反省の色は微塵も見られない。先月はギリギリだったと主張しても、今月は大きな出費があると言っても、ケントは高いスーツや時計に惜しげもなく金を使った。私も働いているので生活はできていたが、自分の給料は生活費に消えていくのに、ケントは好き放題しているようで、なんだかモヤモヤしてしまう。

こんなことを考えるなんて、私は器が小さいのだろうか。しかし事実として、ケントは給料が増えてからすっかり人が変わってしまった。ただの遊びだと言えばそうかもしれないが、何度も浮気を繰り返すし、私はまるで使用人のように扱われている。言動も冷たくなり、むしろ使用人の方がお金で雇われている分マシなのではないかと思うほどだった。私は徐々にケントへの信頼を失っていった。

そして今では離婚まで考えるようになっていた。しかし、私はすでに四十五歳になっているし、今更離婚なんて言い出したら両親が心配するだろう。ケントと結婚した時、あんなに喜んでくれたのに、今更離婚だなんて何と相談すればいいのだろう。私は年老いた両親を心配させないためにも、なんとか幸せな家庭を取り戻さなければと考えるようになった。

それからの私は、まず自分のことから見直した。十歳も年下で仕事もできる夫を持ったのだから、もっと夫に見合う女性になろう。そう決意した私は、自分磨きに専念した。平日はワンパターンだったメイクも、最近の流行りを勉強して改め、仕事の邪魔にならなければそれでいいとひっつめていた髪もセットするようになった。相変わらず夫には気づかれていなかったが、今に惚れ直させてやると強い意思を持って、ひたすら努力を続けた。少しだけ早く家を出て駅まで歩くようにし、休日はジムに行って体を引き締めた。こうして私は年齢の割にはプロポーションが良くなり、姿勢や表情にも気をつけるようになって、職場でも綺麗だと褒められるようになった。

私は失った自信を取り戻しつつあったが、一方でケントは何も変わらなかった。また浮気が発覚したのだ。もう結婚してから何度目だろうか。結局私が努力したところで、ケントがこのままでは幸せな家庭など夢のまた夢だ。初めて浮気をした時は、どうしていいか分からず、気づかなかったふりをした。二度目の時は、私が気づいていると知らせるために、ポケットから出てきたホテルのカードを机に置いた。それでもケントは誤魔化すだけで、私に何かを言ってくることはなかった。しばらくは目につくところでの女性とのやり取りを控えていたかな、と思う。しかし、それからも度々怪しいと思うことはあって、今回が結局何回目の浮気なのだろう。

私は仕事から帰ってきたケントに詰め寄った。しかし、面と向かって問い詰めても、ケントは反省どころか開き直って、私をけなした。

「お前はもっと努力して女を磨かないとな。ただでさえ豊島なんだからさ」

こんなに頑張っているのに、自分が私を選んだくせに。そう言いたいことはたくさんあったが、私は何ひとつ口に出すことができなかった。ここで大喧嘩をして離婚になったらどうしようと気後れして、悔しさと怒りを心に秘め、これからもケントの顔色を伺う生活を続けるしかなかった。

そんな時、不慮の事故で義父が突然この世を去ってしまった。義母はまだ六十四歳だが、もともと体が弱く、今も頻繁に通院している。一人で暮らすのは心配だ。私は義母と仲が良かったので、我が家で一緒に暮らしてもらおうとケントに提案した。最初は渋っていたケントだったが、自分が長男だし仕方がないと思ったのか、最終的にしぶしぶながら承諾して、我が家での同居が決まった。私はこれをきっかけにケントが少しは変わるかと期待を持った。

しかし結果は惨敗だった。それどころか、使用人が一人増えたとばかりに、ケントの私たちへの応対は悪化の一途をたどった。私たちは人を人とも思わないような彼の態度に、だんだんと嫌気が差していった。それでも義母は私に気を使って、時にはケントから私を守る盾となってくれた。私たちはお互いに協力し合って、なんとか生活を成り立たせている状態だったのだ。

そんな日々を送る中、ケントのつける細かい注文を守って日中の家事を引き受けてくれていた義母が、過労のために倒れて入院してしまった。私は義母の優しさに甘えていた部分があったと申し訳なくなり、体が弱い義母がこれ以上無理をしないよう心配して、毎日見舞いに通った。しかし実子であるケントは、手続きもお見舞いも私任せで、当然のように自分は何ひとつ関与しなかった。

「今日から出張に行ってくる。邪魔をするな」

ある日、仕事が一区切りした私は、スマホにケントからのLINEが届いていることに気がついた。また何か夕食のメニューに指定があるのだろうか。私はうんざりした気持ちでメッセージを確認した。すると、それはいつもの横暴な無茶ぶりリクエストではなく、今日からしばらく出張に行くという連絡だった。ケントは普段、泊まりの出張なんて滅多になく、あっても本社で行われる研修会など、自分で参加するかどうかを選べるものばかりだ。義母が入院していて大変なのに、こんな時に何を言っているんだ。私は驚きと怒りに駆られた。義母が過労で倒れたと伝えているのに、ケントには高齢の母を心配する気持ちや、自分が負担をかけていたことを省みる心はないのだろうか。

私は仕事を終えるとすぐに義母の病院へ向かい、義母に報告した。

「そうか……昔は優しい子だったのにね」

ケントがお見舞いに来ないのは忙しいからだとか、義母が倒れてしまったことで合わせる顔がないと考えているのかもしれないと、義母にはずっとごまかして伝えてきた。しかし、もう限界だった。このまま何もかもケントの言う通りにしていたのでは、悪い方向にしか変化しないだろう。私と義母は気を取り直して今後のことを話し合い、なんとかケントの私たちを馬鹿にした考え方や態度を改めさせようと意見を出し合った。考え方を変えれば、この出張こそがチャンスなのではないだろうか。そう考えた私たちは、その日、面会時間ギリギリまで二人で話し合った。

そして数日後、義母の病状が悪化した。今は意識も途切れ途切れで、会話がままならない。ケントはまだ出張から帰ってきていない。出張中は邪魔をするなと言われているが、やむを得ないだろう。私はケントに電話をかけ続け、六度目でようやく話をすることができた。

「しつこいんだよ。連絡してくるなって言っただろう」

ケントは電話に出るなり、そう言って怒鳴り散らす。私は一瞬ひるんだが、構わず焦った調子で義母の意識がないのだとケントに伝えた。すると、ケントの返事を聞いて、私は全身の血が引いていくような感覚がした。私は再び義母の状態を泣きながら訴えたが、ケントは相槌も打たずに無視を決め込み、やっと反応したかと思ったら、冷たい言葉を投げつけた。

「お前一人でどうにかしろ。俺は出張で忙しいんだから分かるだろう」

それだけ言い捨てて、電話を切ってしまった。ケントはその後、私を着信拒否したようで、何度電話をかけ直しても二度と繋がることはなかった。

あの電話から五日後、ようやくケントが出張から帰ってきた。ケントは荷物をその場に置いてソファーに座るなり、こちらを見もせずに命令した。

「主人が帰ってきたのだから、コーヒーくらい入れろ」

義母を見捨てておいて、私を着信拒否しておいて、よくもそんな平然とした態度を取れたものだ。私はイライラした気持ちを押し殺しながら、静かに口を開いた。

「母さん、息子にも会えず、寂しく亡くなったわ」

私の沈むような声に、ケントは驚いてようやくこちらを見た。

「え? もう葬式は終わったのか?」

私は泣き出したいような、笑い飛ばしたいような、何とも言えない気持ちになった。自分の親が亡くなったと聞かされて、この人はこんな反応しかできないなんて。そう思うと、自然と言葉がこぼれ落ちた。

「葬式か……あなたの葬式なら、たった今終わったみたいね」

「はあ? 俺の葬式?」

意味が分からなくて戸惑うケントの向こうで、隣の和室に続く戸が開く。そこから現れたのは、親戚一同だった。義母の弟夫婦である叔父叔母に義父の妹、さらにケントの弟と私の両親までもが、厳しい顔をしてケントを見下ろしている。私は慌てふためくケントを見て、ため息をついた。

「だから言ったでしょ。葬式だって。あなたの人生、もう終わったね」

義母は優しくて義理堅く、何事にもきちんとした人だったので、親戚はもちろん私の両親からの信頼も熱かった。それなのにその息子であるケントがこんなに自己中だったなんて、話だけではとても信じてもらえなかっただろう。ケントは義母を見放したことを全員から口々に攻め立てられた。すると、これだけの人数相手に普段の態度を取り続けることができないと観念したのか、仕事が忙しかったのだと苦し紛れの言い訳を始めた。普段は病院にも突っきりだったのだと、話を合わせるように私にアイコンタクトを送りながら必死で取り繕った。

「本当なんだよ。母さんの葬式がまだなら、絶対参加するからさ」

そうしてケントが冷や汗をかきながら親戚たちをなだめていると、先ほど私の母が閉めたはずの和室の戸が、今度は勢いよく開いた。そこに立っていた無表情の義母に、ケントの目は釘付けになった。実は義母はすっかり回復して退院しており、私たちはケントのために芝居を打ったに過ぎなかったのだ。ケントは顔色の良い義母を見て、間抜けな顔で言葉を漏らした。

「なんだ、生きてるじゃないか」

そして今度は、鬼の首を取ったように私が嘘をついていたことを攻め始めた。一度窮地に陥ったことで頭がうまく働いていないのか、得意になって私の両親にも「不謹慎な嘘をつく娘を持って恥ずかしい」などと暴言を浴びせた。しかし、先ほどまで全員が同じ部屋で待機していたことさえ忘れてしまったのだろう。その場にいた全員が呆れ返る中、私はケントに改めて説明した。義母が入院後、さらに重篤な状態に陥ったというのは確かに嘘で、そうでも言わないとケントは帰ってこないだろうと、私と義理の母で話し合って今回の芝居を決めたのだ。しかし、そうまでしてもケントは出張を優先させて帰ってこない。その時私は、もうこんな人の妻でいることに耐えられないと、ストンと腑に落ちるように納得でき、離婚の決意を固めることができた。

私がはっきりと離婚を突きつけると、ケントは驚き、脅しのような言葉を口にした。

「今更離婚したところで、これ以上の幸せな未来はお前には訪れないぞ」

「それはどうかな?」

私は皆が見ている中で、ケントが持って帰ってきた出張用のバッグからボイスレコーダーを取り出した。小さなリモコンのようなそれが何か分かったのか、ケントは焦って奪おうとするが、叔父や父がそれを許さない。私は家につけている義母のための見守りカメラも持ってきて、親戚一同にケントの浮気を暴露した。外面がいいケントのことだから、私たちが口頭で実態を説明するだけでは半信半疑に思う人もいるだろう。だから私たちは、ケントが出張と偽って浮気に行っていた今に合わせて、親戚をこの場に集め、実際にその目で見てもらうことにしたのだ。カメラに録画された中には、私たちが不在の間に浮気相手を連れ込んで旅行の計画を立てる様子が残っていたし、ボイスレコーダーの中身は言わずもがなだった。浮気の証拠がさらされていくたびに、親戚たちからはため息が漏れた。ついでに私と義母への普段の様子もたっぷりと公開すれば、誰もが怒りを抑えきれない様子だった。

私は慰謝料を請求すると伝えて離婚を突きつけたが、ケントは意外なことに、泣きながら謝り始めた。どうやら浮気相手の若い女性にたっぷり貢いでいるようで、今私と離婚になれば生活が立ち行かないというのだ。私たちを使用人のように扱って、あんなに偉そうにしていたのに、自分の生活費さえ賄えないなんて、呆れたものだ。仕事では出世しているのだから、次の支払いさえどうにかすれば、そして今から真面目に生活すれば、生きるのに支障はないだろう。私はそうアドバイスしたのだが、ケントは肩を落として答えた。

「クビになったんだ」

何でも、出世して気が大きくなったケントは、思い上がって取り引きに失敗し、大損害を出したらしい。解雇を私たちには隠していたそうだ。こんな遊びを始めたのも、失職後、仕事がうまくいかなくて憂さ晴らしをしたことがきっかけだというので、私はますます呆れて失笑した。

「うじうじするな。何もかも、自分の行動の結果でしょう」

ケントは今までの態度が嘘のように情けなく泣きながら謝っていたが、もうかわいそうだとも思えなかった。私は今までのひどさの数々を許すことができず、離婚できるまで調停でも裁判でもしようと、ケントの申し出を拒絶した。その後、結局すんなりサインをもらうことはできず、離婚調停を起こすこととなった。さすがに裁判まではと折れたのか、離婚に応じたケントと浮気相手に、私はしっかりと慰謝料の支払いを約束させた。

しかし、これだけでは終わらなかった。なんと義母も精神的苦痛を訴えたのだ。ケントは無慈悲だと突っぱねようとしたが、義母は日記やカメラの映像を証拠として提出し、実の息子から慰謝料を勝ち取った。私と義母の二人に慰謝料を支払うこととなったケントは、借金してなんとか金を工面したが、浮気相手には自身も慰謝料を払わされた上に、「貧乏な彼氏など必要ない」と別れを告げられたらしい。ケントは今頃、過去の行動を悔やんでいるかもしれないが、全ては自分が引き起こしたことなので、助けてくれる人はいなかった。

私は離婚して縁ができた義母と良い友人関係を築きながら、今は何でも自分で決められる自由な毎日を謳歌している。

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