葬儀場に着いたとき、義母はもう棺の中で眠っていた。「晃子さん、なんで今まで教えてくれなかったの?私をのけ者にして、家も遺産もあなたが独り占めするつもり?」義妹のその言葉が、静かな会場に響いた。私は必死で駆けつけたのに、間に合ったと思ったのに、彼女は私を睨みつけた。癌だとわかった日、私は台所でチャーハンを作っていた。「生きている間にお金ちょうだい」と義妹は言った。義母は静かに笑うだけだった。あ…

葬儀場に着いたとき、義母はもう棺の中で眠っていた。「晃子さん、なんで今まで教えてくれなかったの?私をのけ者にして、家も遺産もあなたが独り占めするつもり?」義妹のその言葉が、静かな会場に響いた。私は必死で駆けつけたのに、間に合ったと思ったのに、彼女は私を睨みつけた。癌だとわかった日、私は台所でチャーハンを作っていた。「生きている間にお金ちょうだい」と義妹は言った。義母は静かに笑うだけだった。あ...

葬儀場に着いたとき、義母はもう棺の中で眠っていた。私はギリギリ間に合ったと思った。最後の別れができる、そう思って少しだけ安心した。義母の容態が急変したと病院から連絡をもらって、私は必死で駆けつけたのだ。

義妹の組は棺にすがりついて泣いている。一瞬、妹思いの良い娘を演じているのかと思ったが、違った。組は涙を拭いもせず、私を睨みつけたのだ。

「晃子さん、なんで今まで教えてくれなかったの? 私をのけ者にして、家も遺産もあなたが独り占めするつもり? 」

あまりの言葉に、私は言葉を失った。葬儀の場で、実の母を失ったばかりの場で、いきなり遺産の話。組は泣きながらも、その目は笑っていなかった。

「組さん、今はそんな話をするところじゃ…」

私がそう言いかけると、組は声を荒げた。

「だっておかしいでしょ! 私だって娘なんだから!

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なんで晃子さんばっかりいい思いするのよ! 」

棺の中で眠る義母が浮かばれない。私はそう思いながらも、何も言い返せなかった。

――あの日々を思い出す。

義母が癌だとわかった日。私は台所でチャーハンを作ろうとしていた。義母の好きなチャーハン。たくさん作って、一緒に食べようと思っていた。

その日も組は突然家に来て、ソファでふんぞり返っていた。最近は月に何度も来ては夕飯を食べ、お小遣いをもらって帰る。義母の容体が悪いことを知っても、組の態度は変わらなかった。

「私ね、癌なの」

義母は静かにそう言った。台所で手を止めた私の耳に、その言葉は異様にはっきりと響いた。

「健康診断の案内が来てね。病院に行ったら血液検査で引っかかって。それから検査をして、進行性の癌が見つかったの」

「進行性…」

私は思わずつぶやいた。まさか。だって義母は先週だって、庭の草むしりをしていた。少し疲れやすいと言いながらも、しっかり歩いていた。

「しかも、あちこちに転移しちゃってるんだって」

そう言う義母の顔は、意外なほど穏やかだった。もっとショックを受けてもおかしくないのに、義母は私たちを気遣うように微笑んでいる。

「きっと治るよ。ちゃんと治療しよう」

私がそう言うと、組が口を挟んだ。

「治るの? 」

「さあ…でも、ちゃんと抗がん剤治療を頑張るつもりよ」

義母はそう言って、私と組の手をそっと握った。

「晃子さん、もしもの時が来たら、迷惑かけるけどよろしくね。それと組は、私に頼らなくても生活できるようにならないとね」

突然のことだった。義母がまだ六十代前半だというのに。私はまだ頭が追いつかなかった。でも、義母が長くないかもしれないと感じていることは、その眼差しでわかった。

すると組が言ったのだ。

「そっか。じゃあ、生きている間にお金ちょうだい」

私は耳を疑った。義母の言葉を聞いたばかりだというのに、組は何を言っているのだろう。

「だって死んじゃったら、お金使えなくなっちゃうじゃん。生きてるうちにもらえるものはもらっておきたいんだよ」

「ちょっと、組さん! 母さんが今、こんな話をしてるのに…」

私が怒りを込めてそう言うと、組はソファにだらりと体を預けた。

「だって、私お店を持つのが夢なんだもん。今、資金があればいいお店作れると思うんだよね。晃子さんはうざいんだよ。私の勝手でしょ?

病人の世話なんて私には無理だし。晃子さんがやればいいじゃん」

「組さん! いい加減にしてください! 」

思わず大声を出していた。今まで義母に怒られたことがないから、組は自分が何を言っても許されると思っている。でも、ふだんは我慢していても、こういう時に血の通った言葉を吐くのは、やはり組のわがまま放題の育てられ方ゆえだった。

組は義母の手を振り払うと、「もう帰る」と捨て台詞を残して出て行った。

「母さん…」

私は義母を見た。でも義母は呆れたように、あるいは悲しそうに、ただ静かに笑っていた。

「ごめんね。いつもいつも」

「いえ、そんな…」

あの日から、組は義母の家に来なくなった。私が電話をしても出ない。何度も連絡をしたが、着信すら拒否されているのだと思った。義母は既に会話ができる状態ではなく、本当に申し訳なかった。

おかしいと思ったのよ、と義母は言う。去年くらいから食べ物が喉を通らないことが増えて、体の節々が痛んだり、ひたすら疲れやすくなったりしていたらしい。長く続いた介護の仕事を辞めたのも、体調が悪くて動けなかったからだという。

「ごめんね。晃子さんにばかり負担をかけて」

「いいえ、そんな。私がやりたくてやってることですから」

そう言うのが精一杯だった。それから義母はどんどん痩せていき、ゆっくりと時を刻むようになった。

組は解散するように、これ幸いと家を出てからは、一切の連絡を寄越さなかった。私が何度メールを送っても、既読はつかない。絵文字さえも返ってこない。携帯の着信履歴を眺めては、もう二度と連絡が取れないんだろうなと思った。義母は何も知らない。

「お母さん、心配ですね」

「そうね…。あの子、ああ見えて、不器用なところがあるし。晃子さんが悪いんじゃないのよ」

義母はそう言ってぽつりと笑った。でも私は、組にもう少し義理の妹らしい気配りができていれば、と自分の行動を反省していた。義母に隠れてもっと強く組を叱るべきだったかもしれない。いや、きっと義母は、昔から仕事もせず家にいる組をいつまでも甘やかしてきた。高校生の頃から大学に行かず美容師を始めたのも、こういう気難しさのせいもあってのことだろう。

仕事がおろそかになり、ギャンブルと小遣い目当てに実家を出入りしては、せがんでいたに違いない。義母は毎月二万円まではあげると言って現金を握らせていたが、それももう終わりだ。私には止められなかった。

「あの子、私がいなくなったら、どうするのかしらね」

朝の薬を飲む時間に、義母はふと何の脈絡もなくそう言った。

「組さんならきっと、頑張りますよ。一人でも」

「そうだと信じたいわね」

その目に涙はなかった。もう、覚悟ができているような顔をなさっている。たちが悪いことにも、私はその先に続く言葉を見つけられなかった。

葬儀の朝。私は喪服に袖を通しながら、昨日のろうそくの残り火がどうして消えないのかと考えていた。納棺師の方が何度も直してくれた。組はその間もずっと棺のそばを離れなかった。

本当は、どうしても知りたいことがある。なぜ来なかったのか。なぜ、病室で母の手を握ってやらなかったのか。一人でベッドで苦しんでいる時に、化粧もできない娘が仕事がどうとか、お金がどうとか言っている場合ではないはずだった。それなのに、組は何も知らされなかったとは口にした。私のせいだとも言いたいらしい。私が独り占めしているとでも思っているのか。

会場には、ご近所の方々や、病院でお世話になったソーシャルワーカーさんが何人か来てくださった。義母が生前お世話になった方々だった。みんな口々に「お母さんは本当にいい人でした」と言ってくれる。そのたびに、ちがうんじゃないかと思うのだ。もっと、未練があってもいいじゃないか、と。

弔問客が途切れたとき、組が私の袖を引いた。

「ねえ、晃子さん。その遺産なんだけど」

「いい加減にしなさい」

言葉が出た。さすがに、今回だけは譲れなかった。

「お母さんが亡くなったばかりなのに、よくそんなことを平気で言えるわね。あなたは何もしてこなかったじゃない。お見舞いに行きもしないで、連絡もよこさないで。あの人がどんな思いをしてたか、わかってるの? 」

組は目を見開き、それから唇を噛んだ。

「だって…だって、晃子さんが教えてくれなかった」

「連絡したわよ!

何度も」

「それは…」

組は言葉を濁した。もごもごと言い訳を探すようにうつむいてしまう。

その顔を見たとき、私を呼びに来たときとおそらく同じような、怒りにも悲しみにもならない何かが胸の中を駆け抜けていった。

「ねえ、晃子さん。それって…」

「家もお金も、あなたには渡さない」

逆上ではなく、はっきり言った。ここ数年、私は組に会うたびに、いつかこの日が来るんじゃないかと不安だった。そしてその通りになった。

「あ、あんたに何がわかるの! ずっと私の母として家にいたんだから、何もわからないでさ! 」

組がついに泣き崩れた。その様子に、周りの参列者たちざわめきが広がる。私は動揺する気持ちを抑え、「出ます」とだけ告げて、その場を離れた。

彼女に最後まで渡さなかった。それが正しかったのかどうか、今はわからない。でも、これだけはわかる。義母を一番苦しめたのは、この家に寄り添うふりをして、実は何もしてこなかった私かもしれないのだ。

葬儀が終わり、職場が用意してくれた控え室でひとりになった。棺を閉じる最後の儀を見届け、手を合わせる組を見て、わずかに胸が痛んだ。

「晃子さん」

振り返ると、遠慮がちに奥から出てきた義母の古い友人だ。手には封筒を持っている。

「朝枝さんから、もしもの時にって預かってたんです。あなたに渡すよう言われてました」

封筒には「晃子さんへ」とだけ書かれていた。開けると、中には通帳と印鑑、そして手紙が入っていた。

「晃子さんへ。一度あなたを娘にできて、私は本当に幸せでした。少しだけ年が離れただけの義理の母ですが、あなたと過ごせて、あなたに看取ってもらえることは、私の望みの範ちゅうを超えています。組のこと、持つべき妹に恵まれず、申し訳なく思っています。あの子をどうか捨ておかないでください。どんなに大人になっても、あの子は私の子どもです。あなたから見れば情けない妹ですが、二人で生きていってくれると信じています。家はあなたに残します。でも、少しだけ組にも分けてやってください。なくなる額でいいのです。お願いします。本当に今までありがとう。」

私は手紙を胸に抱きしめた。あの日、病院で義母が震える手で、こんな文章を書いていたのか。そんな想像が頭の隅をよぎって、涙が止まらなかった。

私は気持ちを落ち着けると、外に出た。組がまだロビーに座っていた。どうしていいかわからず、棺にすがって誰かに当り散らすでもなく、ただ力なく、下を向いている。

「組さん」

組は顔を上げた。化粧の崩れた顔で、まっすぐ私を見ている。

「帰りませんか。食べましょう。何か」

「……私は」

「お母さんの好きだった、あのラーメン屋、まだやってるわよ。寄っていかない?

」

組は静かにうなずいた。それから二言三言、言葉を探すようにして吐き出した。

「…晃子さん、ごめん」

「いいえ。私こそ、もっとあなたの立場も考えて行動していればよかったと思う」

それは単なる思いやりではなかった。本当に、もう二度と帰ってくることのない実感。私は財布にしまった通帳のことを話すべきなのか迷った。でも、今はまだ。お母さんの遺志は、二人で手分けして守っていけたなら、それでいい。

精算を終えて外の光の中へ歩き出しながら、私は思った。義母はきっと私たちにできる限りの未来を残してくれたのだ。それを無駄にするかどうかは、私たち二人次第だ。組が隣を歩き始めると、誰の言葉かはわからないが、強くもない幼い二人分の足音が、並んで響いていた。