玄関の鍵を開けた瞬間、異様な空気を感じた。リビングには誰もいない。心臓が嫌な音を立てて、寝室のドアをゆっくり開けると、義妹の雪が私の通帳を手に立っていた。「あ、どうしたのよ。今日は帰らないって言ってなかった?」明らかに動揺する彼女の声が、私の背筋を凍らせた。3歳の息子が入院して不安で仕方ない夜、夫は出張中、義母の介護を頼むしかなかった私は、この人を家に入れたのだ。5年間必死で貯めてきた、家族…

玄関の鍵を開けた瞬間、異様な空気を感じた。リビングには誰もいない。心臓が嫌な音を立てて、寝室のドアをゆっくり開けると、義妹の雪が私の通帳を手に立っていた。「あ、どうしたのよ。今日は帰らないって言ってなかった?」明らかに動揺する彼女の声が、私の背筋を凍らせた。3歳の息子が入院して不安で仕方ない夜、夫は出張中、義母の介護を頼むしかなかった私は、この人を家に入れたのだ。5年間必死で貯めてきた、家族...

私は名直美、33歳。完全在宅で事務職をしている。会社員の夫・聡と3歳の息子、海人と3人暮らしだ。聡は大学時代のサークル仲間で、大学2年生の時から交際が始まった。付き合い始めてからもう10年以上も一緒にいる。妊娠を機に元々働いていた会社を辞め、海人が1歳になったタイミングで完全在宅の事務職として社会復帰した。

私が完全在宅の仕事を選んだのには理由があった。義両親は結婚当初からとても良くしてくれていた。元々近くに住んでおり、私も可愛がってもらっていたのだが、5年ほど前、義父が他界してしまった。それから義母は1人で暮らしていたのだが、体調を壊してしまい、介護が必要になったため、2年前から同居を開始した。そのため私が家を開けるわけにはいかず、在宅でできる仕事に就いた。これまで散々良くしてもらった義母なので、できる限りのことはしたいと思い、私から申し出たことだった。

同居を始めてからも義母とは本当にうまくいっており、私は恵まれていると日々思いながら過ごしていた。

そんな私は貯金が趣味なのだ。元々お金を使う趣味があるわけでも、美容やファッションにお金を注ぎ込むタイプでもなかった。私はお金が溜まりやすい方だった。そうやって徐々にお金が溜まっていくうちに、預金される数字が大きくなるのが楽しくなって、貯金が趣味になったのだ。この貯金はいつか家族みんなで旅行に行ったり、海人の必要なことに使ったり、何か将来の自分たちに役立てばと思い貯めていた。もちろん、義母に何かあった時にもこのお金を使おうと思っている。とはいえ、これは私が趣味でやっていることなので、特に義母や聡にも伝えていない。これを知ったら、一緒にしなくてはと負担になってしまう気がしたからだ。あくまで私の趣味が貯金なだけのこと。大人になってからも趣味ができたおかげで充実した生活を送っている。

しかし、人間関係にも生活環境にも満足している私にも、1つ悩みがあった。義妹の雪だ。私の4つ下の雪は29歳で独身。元々実家で暮らしていたのだが、義母が私たちと同居を開始することになったタイミングで、2年前から1人暮らしをしている。しかし雪はフリーターなのだ。一応バイトはしているようなのだが、あまり長くは続かず、ちょこちょこ仕事を変えていた。にも関わらず彼女はブランド物も身につけ、いつも綺麗に着飾っている。彼女はお金もなく実家を出たがらなかった。実家を出るなら家賃は義母からもらって生活している。そんな彼女には、私は元々苦手意識を持っていた。あまり身なりに気を使わない私を馬鹿にするような態度を取ってくるようなところがあったからだ。

雪のように高価なものを身につけ、美容に時間とお金を注ぎ込むタイプではない私。それでも定期的に洋服は買い換えるし、美容品や化粧道具も値段や質を含め、自分に合うものを使っているつもりだ。しかし雪は、女としてそれではいかがなものか、いつまでも若々しく綺麗でいるべきだと。そして、そもそも自分よりもおばさんなんだから、もっともっと努力が必要なのだと言ってくるのだ。

このような理由から、私はできるだけ雪とは関わらないようにしたいと思っていた。しかし雪が1人暮らしを始めた家は、私たちの家から徒歩圏内だった。そして雪はしょっちゅう私たちの家に来ては、勝手に上がり込んで行くようになったのだ。彼女曰く、自分の住んでいる家は古くて居心地が悪いので、兄の家で休んでいるだけだとのこと。そんな言い分を押し通して、いつも突然やってくる雪。ただいるだけでも、忙しい時には良くない感情を抱くのに、彼女の行動はそれ以上だった。義母の介護を手伝うこともないどころか、ただソファに寝転がっている。その上、買っておいたお菓子を勝手に食べていたり、しまいには海人の飲み物までも勝手に飲んでしまう。そして自分が満足したら帰って行くのだ。

義母もなんとなく気づいてはいるようだが、基本は義母は部屋の中で過ごしているため深くは知らない。聡に相談することも考えたが、わざわざ伝えて変な心配をかけるのも嫌だったので、何も言えなかった。

そんなある日、海人が保育園で怪我をしてしまった。大した怪我ではなかったのだが、少し高いところから落下し、頭を打ってしまったそうで、検査のため1日入院することになってしまった。しかし、私が家を開ければ、介護が必要な義母が1人になってしまう。まず聡に相談しようと考えたのだが、運の悪いことに聡は2泊3日の出張中で、突然帰って来られるわけもなかった。どうしたらいいのかと悩んでいた時、私が思いついたのは雪の存在だった。そこで私は渋々雪に連絡をしてみた。すると、すぐに返事が来た。
「仕方ないわね。1日だけだからね。」
そう連絡が来て、自分の母親のことなのに、なんて冷たいんだと思いながらも、事情を詳しく説明するためすぐに電話をかけた。めんどくさそうに対応した雪は私に言った。
「家の中にあるものは何でも勝手に使わせてもらうわよ。」
「お願いします。何かあったら連絡ください。」
私はそう伝え、電話を切った。それから義母にも雪が来ることを伝え、私は海人の元へ急いだ。しばらくして海人が眠っていたので、必要な荷物を取りに一度家に戻った。リビングに入ると雪の姿はなかった。義母の世話をしているのかと思い部屋を覗きに行ったのだが、そこには義母しかいなかった。どこに行ったのかと思い不思議に思っていると、寝室の扉が開いた。そこから出てきた雪は、私の顔を見るなり慌てた様子を見せた。
「あ、どうしたのよ。今日は帰らないって言ってなかった?」
明らかに様子がおかしく挙動不審な雪に違和感を覚えた。こんなところで何をしているのかと尋ねると、雪はうつむきながらも言い訳をした。
「ちょっと部屋を間違えちゃったのよ。ここは寝室だったわね。ごめんなさい。」
ごまかすように言い放つ雪を見て、私はさらに不審感を抱いた。とはいえ、何か確証があるわけではないので、突然の依頼を引き受けてくれたことに改めてお礼を伝え、私は荷物を取って家を後にした。

私が家を出ていくまでの間、雪はずっと落ち着かない様子だった。何か後ろめたいことでもあるのだろうか。でも、そんなことを考えている暇はなかった。海人の入院に付き添わなければならないのだ。病院に着くと、海人は思ったより元気そうで、一安心した。検査の結果も異常がなく、念のため経過観察で1日入院することになった。私は海人のそばにいてやることにした。

次の日、海人が無事退院できることになり、私は嬉しくなって病院へ向かった。帰宅すると、玄関から声が聞こえた。家の中に入ると、雪がソファに寝転がってテレビを見ている。義母は部屋にいるようだ。私は海人を連れてリビングに入ったが、雪は一瞥しただけで、何も言わずにいると、突然立ち上がって帰り支度を始めた。
「じゃあ、私は帰るわ。介護、大変そうね。」
そう言って雪は帰って行った。何だったんだろう。もしかしたら、私が思っている以上に、雪は何かを知っているのかもしれない。もしかしたら、この家の中で何かあったのかもしれない。嫌な予感がしたが、海人の無事な姿を見て、それどころではなくなってしまった。

それから数日後、私は預金通帳を確認しようと思い、引き出しを開けた。すると、そこに通帳がないことに気づいた。私は貯金通帳を閉まった場所を思い出し、必死で探したが見つからない。まさか、雪がやったのか。あの日、雪が寝室に入っていたのは、まさか通帳を盗むためだったのか。急いで銀行に連絡しようとした時、私は思い出した。通帳は確か、別の場所に置いていたはずだ。そうだ、本棚の裏の金庫にしまっておいたんだった。そう思い出し、私は急いで金庫を開けた。すると、そこには何も入っていなかった。

金庫の中は空っぽだった。私はゾッとした。確かに貯金通帳をしまっておいたはずだ。でも、ない。雪が盗んだのだ。そう確信した。私は聡に相談しようと思ったが、帰ってくるのは明日だ。まずは証拠を集めなければならない。もしかしたら、雪が通帳を持っているかどうか、確認する方法はないか。私は冷静になるために、コップ一杯の水を飲んだ。そして、警察に届ける前に、雪の家に行ってみることにした。

雪のアパートは私たちの家から歩いて10分ほどのところにある。何度か遊びに行ったことはあったが、向こうから歓迎されている感じはしなかった。それでも、通帳のことを問い詰めるためには、行くしかない。チャイムを押すと、しばらくして雪が出てきた。私の顔を見た瞬間、少しドキッとしたように見えた。
「何?急に来て。何か用?」
「雪、聞いてほしいことがあるの。私の貯金通帳がなくなってるの。知らない?」
「貯金通帳?何それ。知らないわよ。」
雪はそう言ったが、目をそらした。明らかに挙動がおかしい。私は畳みかけた。
「雪、あなた、あの日、知らない?私が病院に行く前、寝室から出てきたでしょ。」
「別に関係ないでしょ。私は何もしてないわ。そもそも、あなた、仲間はずれにしてるからいけないんじゃないの。何も知らないわよ。」
雪は興奮した様子で声を荒らげた。この反応はやはり怪しい。私は一歩引いた。
「雪、もし持っているなら返してほしいの。お金は何も取らなくていいから。」
「うるさいわね!私は何も知らないって言ってるでしょ!出て行って!」
雪はそう言うと、私を押し出そうとした。そして、力任せにドアを閉めた。ここまでくると、間違いない。雪が盗んだんだ。しかし、証拠がなければ警察に届けることもできない。私は悔しさで泣きそうになりながら、家に帰ることにした。

家に帰ると、聡が帰ってきていた。私は雪のことを全て話した。聡も信じられないといった表情だった。
「まさか、雪がそんなことをするなんて。」
「事実、通帳がないんだから仕方ないでしょ。それに、あの日、雪が寝室から出てきたのを私、見たのよ。」
私はこれまでの経緯を詳しく説明した。すると聡は、ため息混じりに言った。
「わかった。明日、一緒に雪のところへ行こう。俺が話をするから。」
私は安心して、聡に任せることにした。

翌日、聡と一緒に雪のアパートへ行った。雪は私たちが来たことを悟り、ドアを開ける。
「お兄ちゃん、どうしたの?まさか、この人の言い分を信じてるの?」
「雪、正直に話せ。俺たちが困ってるんだ。」
聡の真剣な顔に、雪は押し黙った。しばらく沈黙が続き、雪は観念したようにため息をついた。
「わかったわよ。隠しても仕方ないし。確かに私が持ってるわよ、通帳。でも、別に盗んだつもりはないわよ。ちょっと借りただけよ。」
「借りた?雪、通帳は盗むものじゃないでしょ。それよりも、あなた、何に使うつもりだったの?」
聡が静かに、しかし鋭い声で問い詰めた。雪は急にムッとして言い返した。
「いいでしょ、お金に困ってたんだから。あんたたち、私にどうして何もしてくれないの?お母さんの世話を押し付けてさ!」
雪はそう言い放った。私は思わず言い返しそうになったが、どうやら雪が言いたいのは、お金ではなく、要は私たちに対する不満なのかもしれない。しかし、それにしても通帳は盗まれるものではない。私は口を挟んだ。
「雪、お金を返してほしいんだ。私たちはそれを待ってるんだ。勝手に使わせることはできない。」
「だって、あんたにはたくさんお金があるんでしょ!何も問題ないじゃない!私が借りたところで減るわけでもないでしょ!」
雪は全く悪びれる様子がない。聡がさらに詰め寄る。
「雪、いい加減にしろ。それは犯罪だ。警察に届けるぞ。」
その言葉に、雪は急に怯えた顔をした。
「警察なんて…大げさだよ。ただ返せばいいんだよね。明日にでも返すから、それで許してよ。」
「通帳だけじゃない。勝手に金を使ったりしてないだろうね?」
聡が静かに問う。雪は、明確に言葉を濁した。
「それは…使うつもりはなかったわよ。ちょっと見てただけ。」
明らかに嘘だ。しかし、聡も警察に突き出して騒動になるのは避けたかったのだろう。雪を説得していたら、雪は渋々、自分の部屋から通帳を持ってきた。
「はい、これでしょ。もう私も破りたいような気分だよ。」
雪はそう言って、私たちに投げつけた。通帳を確認すると、私のものを間違いない。一安心したが、雪に対する怒りは治まらない。
「雪、もう二度と勝手に私のものに触らないで。あなたにあげられる余裕なんて私たちにはないんだから。」
「わかったわよ。もう近づかないで。」
雪はそう言うと、部屋に戻ってしまった。私は通帳を大事に胸に抱え、その場を離れた。

家に帰ると、聡は何も言わずにリビングのソファに座った。私も隣に座り、言葉を待った。聡は深く息をついた。
「悪いな。俺の妹が迷惑をかけて。」
「いいえ、聡は悪くないわ。自分がこういう性格なんだなって思っただけ。」
「しかし、雪もフリーターじゃ安定的に稼げないのもわかるが、自分の力でどうにかしようとする気がないんだな。」
聡はそう呟いた。私は何も言えなかった。今回のことですっかり落ち込んでいたが、むしろ通帳が戻ってきて、私はホッとしている部分もあった。義母には何もなかったと言っておこう。きっと心配するだろうから。この話は、夫婦間でお互い大きな心の傷として残ったが、なんとか示談という形で収まった。しかし、雪は本当に謝る気があるのか。家に帰っても、雪からは何の連絡もなかった。それどころか、その後も雪は私たちの家に遊びに来て、何食わぬ顔でくつろいだ。さすがに、私は、雪を警戒して、家には入れないようにしている。雪も、あれからは、私のものを盗もうとはしない。

しかし、雪はそれを許されているわけではない。ある日、私が家にいると、聡が雪を連れてきた。雪は何の前触れもなく、突然謝ってきた。
お前、何だ。雪が俺のところに連絡してきて、自分が通帳を盗んだこと、そして、もう二度としないこと、反省してるって。だから、謝りたいんだと。
聡がそう言って、雪を見た。雪はうつむいたまま、ほとんど聞こえない声で言った。
「…ごめんなさい。もうしません。」
この言葉で、雪が本当に反省しているのかは、わからなかった。でも、このまま、私が怒ってばっかりいても仕方がない。何より、家族なのだから。
「わかった。でも、もう二度としないでね。次は警察に届けるから。」
私がそう言うと、雪は安堵したようにうなずいた。しかし、あんなことがあった後でも、雪が私の家に来ることはなかった。きっと、雪も何か気を遣っているのだろう。

そして、あれから数ヶ月が過ぎたある日、今度は雪が、今は家を買いたいんだよねって言い出した。やっぱり雪は、自分の家にたいしてしがみついているようなところがあるのかもしれない。独身女性が家を買うのに抵抗がないというのも不思議な話だが、雪にしたら、それだけの強い思いがあるのだろう。そして、雪は貯金のために高額なキャッシュカードを作って、将来の夢を実現する日を楽しみにしているようだ。私からの連絡を待っているようなそぶりはないが、きっと雪なりに今の生活を大切にしているのだろう。私も雪の幸せを応援したいとは思っているが、実際、雪がちゃんと稼いでいるかはわからない。また、無茶なことを言い出さなければい、と思っている。

何よりも私が大事にしたいのは、家族の平穏だ。私には夫の聡と息子の海人がいる。それに、介護が必要な義母もいる。私はこれからも在宅の仕事を続けていくつもりだし、家族を守るためにお金を貯めることだって、趣味の一つだ。何より、義母の介護に支障をきたすことだけは避けたかったし、そのために在宅の仕事を選んだのだから。こうして私は、今日も家族を守るために、ささやかな趣味の貯金を続けている。

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