はい。喜んで。
息を荒くしてそう言い放った義両親に、私は一瞬言葉を失った。とんでもないとは聞いていたけど、ここまでだとは思っていなかった。
でも私は心の中でにっこり笑って、こう返すことにした。
「わかりました。お二人の意見に従います」
私の名前は近藤まゆ。27歳。同じ年の彼、拓真と付き合ってもう3年になる。出会った頃から彼の優しさに惹かれて、気づけばお互いがお互いにとってかけがえのない存在になっていた。
何度目かのデートの夜、夜景の見えるレストランで彼がプロポーズしてくれたときは、嬉しさのあまり涙が止まらなかった。
「ずっと一緒にいたい。結婚してください」
「……はい。よろしくお願いします」
こうして私たちは晴れて結婚することになり、まずは両家への挨拶から始めることになった。
彼の希望で、最初に私の両親に会うことに。当日、実家の玄関に立った彼は、これでもかというくらい緊張していて、それがおかしくて思わず笑ってしまった。
「緊張してるの?」
「そ、そりゃあ……まゆの親御さんだし」
インターホンを押すと、私の両親は温かく彼を迎えてくれた。父がふざけて「娘はやらんぞ」と言ったとき、彼は本気で焦って、真っ青な顔で「娘さんをください!」と大声で叫んだ。それを見た父は吹き出して、私たちはみんなで笑った。
「冗談だよ、息子さん。まあ、ゆっくりしていきなさい」
そんな微笑ましい空気の中、なんとか私の両親への挨拶は無事に終わった。
帰り道、私は何となく安心して言った。
「次は拓真のご両親に挨拶だね」
すると彼は急に難しい顔をして、何かを考え込んでしまった。
「どうしたの?」
彼は口ごもりながら、しぶしぶと話し始めた。
「……覚悟しておいたほうがいい。俺の親、かなり変なんだ」
彼の話によると、義両親は昔から性格がひん曲がっていて、彼と姉は子供の頃から愛情を感じたことがないと言う。
「物心ついた頃から、家政婦みたいに扱われてた。お年玉も、郵便局に貯めた貯金も、全部取り上げられてた」
「え……」
「高校までは仕方なく出してもらったけど、大学は『自分で何とかしろ』って。奨学金とバイトで通ったよ。でもバイト代も、給料日になるたびに取り上げられてた」
彼は耐えかねて家を出て、今では全く実家に帰っていないのだという。
「そんな人たちなんだ……。それでも、挨拶はしないと」
「本当に大丈夫か?」
「うん。なんとかするよ」
そして、義両親への挨拶の日を決めることになったのだが、これがなかなか決まらない。
彼を通じてこちらの都合を伝えても、返事がもらえない。何度も催促して、ようやく日取りが決まった。
「大変だった。正直、心が折れかけた」
「よく頑張ったね。私がなんとかするから」
当日、私たちは義両親の家の前に立っていた。
彼から散々「強烈だ」と聞かされていた私は、どんな言葉をかけられてもいいように、何度もシミュレーションを繰り返す。
「まゆ、大丈夫か?」
「うん。行こう」
玄関を開けると、驚くことに誰も出迎えてはくれなかった。
彼に連れられて奥の客間に入ると、そこにはふんぞり返った義父と、テレビを見ながらお茶を飲んでいる義母がいた。
私たちが挨拶をして、手土産を差し出すと、義母はそれをひったくるようにして取り、中身を確認すると、
「……センスがないわね」
と、吐き捨てるように言った。
「すいません……」
私が謝ると、彼が怒りだした。
「失礼だろ!」
「何よ、親に向かってその言い草はないんじゃないの」
「俺たち、結婚するから」
「結婚? するならまず、同居が絶対よ」
思いもよらない突然の同居の話に、彼は混乱した。
「何言ってるんだよ、同居なんてするわけないだろ!」
すると義父が立ち上がり、彼の胸ぐらを掴んだ。
「親に向かって何て口の聞き方をするんだ!」
慌てて私が止めに入るが、義母は、
「嫁が夫の両親に尽くすのは当然のことよ」
と、涼しい顔で笑った。
「この条件を飲まないなら、結婚は認めないわ」
彼は「勝手なことを言うな!」と反論したが、私は一瞬で頭を切り替えた。
「わかりました。お二人の意見に従います」
「まゆ!?」
「いいの。それで、同居したら、仕事はどうすればいいですか?」
「仕事? そんなの、やめるのが当然でしょ。朝から晩まで嫁は私たちに奉仕してもらわないと困るからね」
「……わかりました。やめます」
彼は何とか言おうとしたが、私はそっと彼の手を握って黙らせた。
「これからお世話になります」
そう言って頭を下げる私の顔を、義両親は勝ち誇ったように見ていた。
その夜、二人きりになったとき、彼は私に詰め寄った。
「何で受けたんだよ! あんなの、おかしいだろ! 仕事をやめるなんて、まゆはキャリアウーマンだろ! 家族を養えるって、楽しみにしてただろ!」
「大丈夫。心配しないで」
「心配しないでって……」
「拓真が私を守ってくれて、私も拓真を守る。いい思い出になるよ、きっと」
「……意味がわからないよ」
「わからなくていいの。信じて」
私はその日、会社に電話して辞職することを伝えた。
同僚たちからは「もったいない」「すごくいい職場だったのに」と言われたが、仕方ない。拓真と結婚するためだ。
退職の引き継ぎをしながら、私は準備を進めた。
「そういえば、結婚式のプランだけど、親には派手な式をしろってうるさく言われてるんだ」
と、ある日彼が言った。
「でも、私たちは写真だけの式にしない?」
「……本当か?」
「うん。私は派手なパーティーより、二人の時間を大切にしたい。それに、あの二人にしてみろと言われたら、きっと高額な費用を出させるつもりでいるよ。それは絶対に嫌」
そうして私たちは結婚式は行わず、写真だけ撮ることに決めた。
義両親は「もったいない」「世間体が悪い」と文句を言ったが、これだけは譲る気はなかった。
そして、同居生活が始まった。
義両親は、想像以上の徹底ぶりで私を「嫁」としてこき使った。
「ご飯は何時でも私が決める。お米は毎日炊きなさい」
「掃除は隅々まで。洗濯物はここに干して、夜には仕舞いなさい」
「お前の実家に帰るのは、月に一度だけ。それも私たちが許可したときだけだ」
何を言っても、私はにこやかに従った。
「はい、わかりました」
「お母さん、お茶を淹れましたけど、どうですか?」
「ふん、こんな薄いお茶、飲めたもんじゃないわね」
「すいません。次は濃いめにしますね」
彼が仕事から帰ってくると、義父母は決まって彼に文句を言った。
「お前の嫁は本当になっていない。今日も言うことを聞かないんだ」
「そうだ。親をないがしろにするとは、教育がなっていないんじゃないか」
「……すいません、ちゃんと言って聞かせます」
私が笑顔で謝るのを見て、彼は何かを言いたそうで言えない、もどかしい顔をする。
でも私は、彼が言い返さないように先手を打つ。
「お父さん、お母さん、ごめんなさい。これから気をつけます」
「まゆ、お前は悪くないだろ」
「いいの。みんなのためにやってるんだから」
そんな日々が数週間続いた。
私は家事をこなし、義両親の気に入るように細かく動き、少しずつ彼らの「いいなりな嫁」を演じるようになった。
義両親は、友人や親戚に、口をそろえて言いふらしている。
「うちの息子の嫁は、本当にできた子でね。なんでも言うことを聞いてくれて、働くのもいやがらないの。本当にいい子を貰ったわ」
「そうなの! 実家のほうがいいって言われても、頑張って尽くしてくれるのよ」
それを聞いた親戚たちは感心して、私を褒めそやした。
でも、その裏で、私は静かに動き始めていた。
ある日、私はこっそりと行政書士の知り合いに相談した。
「よろしいですか? この書類なんですけど」
「大丈夫ですよ。準備してあります」
「ありがとうございます。これで向こうは何も言えませんね」
私は、義両親が私たち夫婦のために使ってもいいと約束した口約束が、何も形になっていないことを確認した。
そして、ある日、私は二人の前で静かに宣言した。
「お父様、お母様。実家の父が倒れました。少しの間、帰って看病してもいいですか?」
義母は嫌な顔をした。
「はあ? そんなの、自分の実家で好きにすればいいでしょ。でも、長くいられても困るわよ。こっちの世話もあるんだから」
「……ありがとうございます」
私は彼にだけ、本当のことを伝えた。
「拓真、私、ちょっと実家に帰るね。大事な話があるの」
「まゆ、何か企んでるだろ?」
「ふふ、やっぱりわかっちゃう? 信じて。すぐに全部うまくいくから」
実家に帰った私は、すぐに専門家のところへ足を運んだ。
そして準備を整え、一週間後に義両親と彼の前に現れた。
「お父様、お母様。話があります」
「何よ、改まって」
「同居を解消します。離婚届を出すこともできます。この書類を読んでください」
私が差し出した書類を困惑しながら見た義両親は、顔色が真っ青になっていった。
「な、なんだと……。これは何だ!」
「二度と私たちに干渉しない、という誓約書です」
「ふざけるな!」
「ふざけているのはそちらでしょう。あなた方は私の仕事をやめさせ、給料を取り上げ、毎日のようにこき使ってきた。これはモラハラです。弁護士にも相談済みです。裁判になっても構わないんですよ」
義母は震えながら、ヒステリックに叫んだ。
「息子に告げ口したの!? よくも!」
「いいえ、これは私個人の意志です。そして、拓真は何も知りません」
「まゆ……」
私は、持っていた書類をさらに机の上に置いた。
「この離婚届に判を押すか、この誓約書に判を押すか、選んでください」
義両親は、二人で顔を見合わせ、悔しそうにうつむいた。
「……誓約書で、いいだろう」
こうして私たちは、無事に義両親から離れて、二人の生活を始めることができた。
新しい家に移り住み、私は以前の会社に再雇用の形で復帰した。
「まあ、まゆ。本当に長かったね」
「うん。でも、信じててよかった」
「まさか、あんなにうまくいくとは思わなかったよ」
今では、義両親からも完全に自由になり、私たちは穏やかな毎日を送っている。
たまに連絡が来るけど、私たちは軽く流している。
「たまには顔を見せなさいよ」
「ごめんなさいね。今度時間があるときに」
そう言って、私はそっと電話を切る。
部屋に戻ると、彼がコーヒーを淹れて待っていてくれた。
「お疲れ様。今日もかわいかったよ」
「何言ってるの。まだまだ言い返されるのが怖いからね」
「大丈夫。もう何も怖くない」
結局、私は自分の人生を自分で取り戻す方法を選んだ。
どんなに人に尽くしても、尽くしすぎた人生は、誰も幸せにしてはくれない。
私は隣に座った彼の手を握り、今日も静かに笑った。
「ただいま」
「おかえり、まゆ」
これから私たちは、自分たちのペースで、自分たちの幸せを育てていく。
二度と誰かの「言いなり」になんてならない。
そう誓いを新たにした、のどかな日曜日の午後だった。
