岐阜の葬儀が終わった翌日、夫は仏壇の前に立つ私に言った。働いてないなら介護しろ。家にいてもお前は家事しかすることないんだから、母さんの家でやればいい。夫の姉も当然のことのように続けた。お父さんの部屋が空いたんだから、そこに住めばいいのよ。家賃もいらないし、お母さんも安心でしょ。夫は今まで通り私たちの家から会社へ通う。私は義母の家へ移り、住み込みで世話をする。二人は私の残りの人生を、空いた部屋の使い道でも決めるように話していた。
前日の葬儀では、もっとひどいことを言われた。棺のそばに白い花を置こうとした私の腕を、夫の姉が掴んだ。ただの介護係のくせに、親族の一員ぶるんじゃないわよ。隣にいた夫は私を見なかった。今は姉貴の言う通りにしろ。
私は山中静。結婚して32年になる。7年前まで、私は介護施設で働いていた。人の暮らしを支える仕事が好きだった。忙しくても、利用者さんが食事を全部食べてくれたり、帰り際に「またね」と手を振ってくれたりすると、自分の仕事が誰かの役に立っていると思えた。
義父が倒れたのは、そんな頃だった。夫は病院の待合室で私に言った。外で赤の他人を世話するより、うちの親父を見ろ。私はシフトを減らせばいいと答えた。夫は首を振った。母さんのこともある。お前が家にいて親父を見ておいてくれた方が、みんな助かるだろう。その夜、私は職場へ退職の電話を入れた。最初は義父の状態が落ち着くまでのことだと思っていた。
けれど、義父の通院、食事、入浴の見守り、夜中の呼び出し、義母の買い物、掃除、薬の確認、夫の食事、洗濯、家事。いつの間にか私の一日は、誰かの予定だけで埋まっていた。夫は次第にありがとうを言わなくなった。お前は家にいるんだから、俺より時間あるだろう。姉貴は家が遠いんだから、お前がやれ。
夫の姉は電話でだけ優しい声を出した。あなたがいて本当に良かった。私じゃ何もできないし、家も遠いから。義母も言った。あなたがいないと困るのよ。誰も私が疲れているかは聞かなかった。昔の職場の人から食事に誘われても断った。夜中に電話が鳴るかもしれない。義父の朝の薬を誰かが間違えるかもしれない。
夫に、介護が終わったらまた働いてもいいかと聞いたこともある。夫はテレビを見たまま答えた。その時になったら考えればいいだろう。私は家族を助けているのだと自分に言い聞かせていた。でも違った。私が家にいることが、あの人たちには都合が良かっただけだった。
義父が亡くなった後、私は初めて思った。これで少しは自分の時間を取り戻せるかもしれない、と。その期待は、葬儀の翌日には踏みにじられた。
介護業者に頼んだら、お金がかかるでしょう。義母の家の仏壇を見ながら言った。見守りがあるところに入ったら、この家だって手放すことになるかもしれない。お母さんの実家なのよ。残したいじゃない。夫も頷いた。お前が母さんのところに住めば済む話だ。俺は今まで通り働く。週末には顔を出すから。
私は夫を見た。私たち夫婦じゃなくなるの? 夫は面倒そうに眉をしかめた。大げただな。母さんが落ち着くまでだ。夫の姉がため息をついた。長くてもあと何年かでしょう。家族なら、それくらい協力して。
あの人たちが守りたいのは、義母ではない。自分たちの暮らしだった。自分たちがいつか手に入れたい家だった。私の人生を使って、それを残そうとしていた。
私は何も言わず家を出た。夫の家にも戻らなかった。
翌朝、私は駅前の求人案内を見に行った。7年前、封筒に入れてしまった介護福祉士の資格書を、久しぶりに取り出した。手が震えた。7年も現場から離れていた私を雇ってくれる場所があるのか。それでも私は、地域の介護施設へ電話をした。
面接で、空白の7年間を聞かれた。私は答えた。家族の介護をしていました。でも、これからは自分の意思で働きたいです。面接をしてくれた女性は、少しだけ黙った。それから言った。週4日から始めませんか? また働こうと思えたなら、それだけで十分ですよ。
数日後、採用の連絡が来た。私は自分の貯金で小さな部屋を借りた。契約書に自分の名前だけを書いた。夫の許可も、夫の姉の顔色も気にしなかった。その瞬間、胸の奥でずっと止まっていたものが動き出した気がした。
義母のことは、ケアマネージャーに事情を伝えた。私は日常の介護者にはならない。夫と夫の姉が中心になり、必要な支援を整える。それだけを確認して、私は電話を切った。
49日の法要の日、親族が義母の家に集まった。夫の姉は湯呑みを配りながら、穏やかな顔で話し始めた。母のことは、弟の嫁がこの家で見てくれることになりました。私たち兄弟も、できる限り支えます。親族は、ほっとしたように頷いた。夫の姉は、私が黙っていると思っていた。
私は立ち上がった。私は、そんなこと決めていません。夫が小さな声で言った。おい、静。静かにしておけ。私は夫を見なかった。夫は今の家で、今まで通り暮らすそうです。私は義父の部屋に移り、義母と暮らすそうです。給料もなく、夫婦の生活も失って、介護だけを続けるそうです。
部屋が静かになった。夫の姉が声を荒げた。家族なんだから、当たり前でしょ。夫も私を睨んだ。働いてないんだから、介護くらいしろよ。家にいて、してるだけなんだから。
その言葉を、親族全員が聞いた。私はゆっくり息を吸った。私は働くことをやめたんじゃない。あなたにやめさせられたんです。私は夫の姉にも言った。私は義父を家族だと思ったから支えました。なのに、葬儀では「ただの介護係」と言われた。「親族の一員」ぶるなとも言われた。家族じゃないなら、私の人生もあなたたちの都合で決められる筋合いはありません。
義母が仏壇の前で俯いていた。しばらくして、かれた声で言った。私は静さんを、父さんの部屋に住ませてまで世話をしてほしいなんて頼んでいない。夫と夫の姉が母を見た。義母は続けた。私もあなたに甘えてきた。でも、嫁の人生を使ってまで残す家なんていらない。この家は、私が生きるために使う。私の老後は、私が決める。
親族の一人が夫へ言った。本人が嫌だと言っているのに、先に決めるのはおかしいだろう。夫の姉は何も言い返せなかった。
あの日、義母は見守りのある住まいへ移ることを決めた。義母の家は、義母自身の生活と必要な支援のために売りに出された。夫の姉が何度も相続のために残したいと言っていた家だった。
夫は私が出ていった家で、一人になった。仕事から戻れば、洗濯も食事も自分で用意する。義母の面会や手続き、夫の姉とのやり取りも、今度は自分でしなければならない。以前なら、全部私がやっていたことだった。夫は、ただそのありがたみに気づいていなかっただけだった。
だから今は、自分の名前で生きている。
