私、小林まき子。二十四歳の会社員だ。夫の高一は海外で単身赴任中で、会えるのは年に三回ほど。今は夫の実家で義母と二人暮らしをしている。義妹の組は三つ年下で、去年家を出て近所のアパートで一人暮らしを始めた。
義母は優しくて理解のある人で、いわゆる嫁姑問題とは無縁だった。夫が子供の頃に離婚し、それからは母子家庭で夫と義妹を女手一つで育て上げた。義父は仕事ばかりで家庭を顧みない人で、義母の方から離婚を切り出したのだと聞いている。
義母は最近まで近所のジムで働いていたが、体の不調が続き今は仕事をやめて家で過ごしている。長年の疲れが出たのだろうと言っていた。私は仕事から帰るときは大体家にいて、できる限り家事を手伝った。しかし義妹は昔から家事を手伝わない子だった。実家を出てからも手伝いに来ている姿は一度も見たことがない。それどころか、一人暮らしを始めてからはお小遣いをもらいに来るだけだ。美容師をやっているが給料が良くないのか、いつも金がないと言っている。
私も義母も実家に戻るように言うのだが、義妹は聞く耳を持たない。それどころか「干渉するな」「この家が嫌い」と反発ばかりで、私たちを困らせる。義母はお小遣いは月に二万円までと上限を決めていたが、仕事をしている義妹が仕事をしていない義母からお金をもらうのは納得できなかった。親心だからと言う義母を心配に思いながらも、早く自立してほしいと願う毎日だった。
そんなある日のこと、義妹がまた仕事帰りに家に来た。そして当たり前のように夕飯は何かと尋ねてくる。その日は私がチャーハンを作るつもりだった。
「ええ、私、まき子さんのチャーハン好きじゃないんだけど」
台所でその声を聞きながら、私はうんざりした。リビングを覗くと、義母が洗濯物を畳む横で義妹はソファーにふんぞり返っている。
「組さん、お母さんのこと手伝ってもらえますか?」
私がそう言うと、義妹は面倒くさそうに起き上がり、ぶつくさ文句を言いながら畳み始めた。そしてすかさずお小遣いをねだる。
「お母さん、これ終わったらお小遣いちょうだいね」
「もう今月は二万円上げてるから、追加は無理だよ」
私は義母の反応を見守った。
「母さんね、これからは組にお小遣いをあげないことにしたの」
「え、なんで?」
私も驚いたが、義妹も信じられないものを見たような声を出した。そして予想通り、「そんなのありえない」と大きな声で反発する。すると義母が静かに話し始めた。
「私ね、癌になったみたいなの」
義妹は一瞬固まった。もちろん私もそんな話は聞いておらず、台所で手を止めた。慌ててリビングへ行き、義母の説明を聞いた。義母は家に届いた健康診断のお知らせを見て病院に行ったのだが、血液検査で引っかかったらしい。その後詳しい検査を進めるうちに、進行性の癌が見つかってしまったのだという。しかも、あちこちに転移していると言われたそうだ。
「どうも体の調子が悪いと思ったら、これだったのね」
もっと深刻になってもいいのに、義母は非常に落ち着いていた。そして私と義妹の手を握りながら、抗がん剤治療を頑張ると言った。しかし、あまり長くは生きられないかもしれないと感じているようだった。
「まき子さん、もしもの時が来たら迷惑かけるけどよろしくね。それと組は、私に頼らなくても生活できるようにならないとね」
あまりにも突然のことで、私は呆然とした。まだ六十歳を過ぎたばかりの義母が死んでしまうなんて、考えたくなかった。きっと回復できると信じ、私はただ頷くしかできなかった。しかし義妹の反応は全く逆だった。
「そっか。じゃあ生きている間にお金ちょうだい。自立なんて、死んじゃった後でもできるし」
思いがけない一言に私は言葉を失った。義妹は続けて「あれがしたい、これが欲しい」と言い出し、挙げ句には「自分の店を持ちたい」などと無謀なことを言い始める。さすがに義母も怒るだろうと思って見てみたが、義母は同じ表情のままだった。我慢できなくなった私は義妹に向かって怒った。
「いい加減にしてください」
「まき子さんうざいよ。私の勝手でしょ。病人の世話なんて私には無理なんだから。まき子さんがやればいいじゃん」
義妹は義母の手を振り払い、不機嫌な態度で家を出ていった。いつも身勝手な義妹だが、こんなに腹が立ったのは初めてだった。
「ひどいと思います。こんな時に金だなんて」
義母は「冷静になって」と私をなだめてくれたが、怒りは収まらなかった。
あの日から一年以上が経ったが、義妹はそれ以来、実家に来なくなった。義母の容態も徐々に悪化しており、最近は寝ている時間が多い。起きている間はどこか痛がっているか、ぼんやりとテレビを見たりしている。私は介護をしながら、義母との別れが近いことを感じ始めていた。
夫の次の一時帰国はまだ先で、時々テレビ電話で顔を見ながら話してはいるが、義母が生きている間に会えるのかどうか心配になる。義妹には何度か電話をしたが、電話に出ることはなかった。その後は電話番号を変えたようで、着信もつながらない状態だ。職場を尋ねても、すでに退職していてどこに行ったかは分からないと言われた。LINEも一向に既読にならず、メールも送っているが一度も返信がない。義母は義妹のことを心配しているから、生きているうちに一度でいいから顔を見せに来てほしいと願っていた。私にとっては迷惑な義妹だが、義母にとっては可愛い娘なのだから。
私は仕事を退職して、義母の介護に専念した。日に日に痩せていく義母を見るのは辛い日もあったが、一番辛いのは本人だと思い、少しでも支えになれればと頑張る日々だった。義母も随分と頑張ったが、年を越す前にこの世を去った。六十三歳という若さに悔しさが募るが、最後まで見届けることができたことは良かったと思う。結局、義妹は一度も姿を見せなかった。
私は一人きりで義母を見送り、本当に悲しくて寂しくて、孤独を感じる日々を過ごした。とはいえ、私は喪主として最後のお見送りをしなくてはならない。義母は遺言で、夫の帰国が間に合わない場合は私を喪主に指定していた。夫が帰国するのは二日後だから、私は責任を持って見送るつもりだ。
親切に声をかけてくれる親戚に感謝しながら、葬儀が始まった。参列者の中に、別れた義父の姿が見えた。義母から呼ぶように言われていたから呼んだのだが、本人はどんな気持ちなのだろう。一番後ろの席で誰とも話さず静かにしている義父を見て、私はまだ声をかけられずにいた。すると突然、会場に声が響き、その場はざわついた。
「お母さん!」
義妹が現れたのだ。私は返信がなくても、メールだけは送り続けていた。義母が亡くなったことや葬儀の日取りなども、逐一メールで知らせていたのだ。義妹はなんとかギリギリ間に合ったと思い、お母さんと最後の別れができると思い、少し安心したように見えた。義妹は泣きながら義母の棺に駆け寄り、すがりついている。しかしその次の瞬間、私を睨みながらこう言い出した。
「まき子さん、なんで今まで教えてくれなかったの?私をのけ者にして、家も遺産もあなたが独り占めするつもり?」
義妹はそう言いながら大声で泣き出す。さらに、私が義妹を実家から追い出したのだと、わけの分からないことを主張し始めた。どうしてそんな嘘をつくのか、私には理解できなかった。
義妹の主張を聞いて、親戚が何やらこそこそと話し始める。なるほど、義妹の狙いは親戚から同情を引くことにあるのだ。義妹の主張を信じた親戚たちは、私を疑うような目つきで見ている。私が弁解しようかと思った時、義妹はそれを遮るようにさらに続けた。
「私にだって法律で保障された権利があるのよ。まき子さんに遺産を独占なんてさせないわよ。親戚みんなのいるところで、きっちり清算してもらうわよ」
そこで私は義妹の狙いに気づいた。義妹は義母の遺産を目当てにここに来たのだ。親戚の前で私を悪者にして、自分の都合のいいように事を進めようとしている。分かってしまえば、もう呆れるしかない。
「お母さんのことはメールで教えたし、私もお母さんも帰っておいでって言いましたよね。都合が悪くなったからって、そんな嘘つくの?最低な人ね」
義母を見送る大切な日だから、争いを大きくしたくない。しかしどうすればいいのか分からず、私は義妹の悪態に正直参ってしまっていた。
「今日の葬儀はよろしくお願いします」
すると突然、義父の声が聞こえた。
「もうやめなさい」
さっきまで後ろにいた義父が、一番前まで来ていた。義妹は義父に駆け寄り、私を指さしながら「あの人は酷い人間だ」と訴えている。義父はそんな義妹に向かって、静かに話し始めた。
「見苦しいことはやめなさい。言っておくけどな、母さんに遺産はないんだよ」
義妹は「そんなはずはない」と反発する。「家もあるし、お小遣いもくれていたんだから、遺産がないわけない」と義父に食ってかかる。すると義父は喪服のポケットからスマートフォンを取り出した。
「母さんのメッセージを聞かせるから、よく聞きなさい。母さんが死んだらこれを聞かせるようにって、俺が預かっていたんだ」
そう言って義父はスマートフォンを掲げ、再生ボタンを押した。画面には生前の義母が映っている。
「お父さんにお願いしてメッセージを残します。お葬式が終わったら、まき子さんたちに見せてくださいとお願いしています。組も来てくれるといいんだけど」
義母の表情は少し寂しそうだった。私はその画面を近くで見たが、撮影されたのは今年の秋頃だと思う。そして義母は私に向かって話し始めた。
「まき子さんへ。私を大切にしてくれて本当にありがとう。高一とはなかなか会えず可哀想だけど、あなたにはこれからいっぱい幸せになってほしい。私はそう願っています」
画面の中の優しい義母の表情を見て、こらえていた涙が止まらなくなった。そして次は義妹へのメッセージだ。
「組へ。連絡が取れないで、来てくれているのか心配です。先日も話したけど、母さんはもうあなたにお金の支援ができません。お買い物ばかりせず、どうか現実を見てください」
義母は貯金は全て病院代と生活費で使い切るつもりだと話している。
「まき子さんたちにお金の無心はせず、自立できるように頑張りなさいよ」
義妹は言葉を失っていた。義母によって、自分のついた嘘がバレてしまったのだ。親戚たちはもちろん義母の言葉を信用するので、義妹を非難する声があちこちから聞こえてくる。そして最後に、義母は私と義妹に向かってこう言った。
「みんな、幸せになってください」
それだけ言って映像は終わった。二分にも満たない短い動画だったが、体調が優れない中で無理して撮ってくれたのだろう。自分が辛い状況なのに、義母は私たちの幸せを願ってくれていた。それが嬉しくて、また涙が止まらなくなった。
「まき子さんと母さんは、何度も組に連絡しても無視していたそうじゃないか。一度も見舞いに来なかったって、母さんが言ってたぞ」
義妹は不貞腐れた顔をしている。
「これでまき子を悪者にするっていうのは、卑怯で見苦しいことだ」
「うるさいよ。父親面しないで。もう他人なんだから」
おそらくどうでもいいと開き直ったのだろう。義妹は遺産がないなら家を売ればいいと言い出した。
「売ったお金を私にちょうだいよ」
すると義父が驚くべきことを言った。
「ああ、あの家はな、母さんが売り払っちゃったんだよ」
義妹は驚いているが、私も全く聞いておらず、同じく驚いて義父に尋ねた。義父は、家を売ったお金は治療費や生活費になったと答えた。
「え、本当ですか?」
私は今まで夫の実家だと思っていた家が、すでに誰かの持ち物になっていたのだ。驚きの中、「家賃は誰に払うのだろう」と現実的な疑問も浮かぶ。義妹は黙ってはいなかった。
「貯金もないし、家もない。母さんは何も残さないで逝っちゃったの?何ももらえないなんて最悪。マジでありえない」
「金金金って、恥ずかしくないの?あんたみたいな娘でも、母さんは会いたがっていたのよ」
私もこらえきれず、義妹に言いたいことをぶつけた。
「自分の美容室の開店資金が必要なのに、もうどうしたらいいの?お母さんひどいよ。どうしてそんなことするの?」
義妹はヒステリックに叫ぶ。誰も義妹に近づかない中、義父が外に連れ出し、葬儀は続いた。
その後、義父と共に戻ってきた義妹は、すっかり大人しくなっていた。当てにしていたものが全てなくなり、相当のショックを受けているようだ。しかしお金もないのに自分の店を開くなんて、義妹は何を考えているのだろう。今日義妹がここに来たのは、ただお金をもらいに来たとしか思えない。結局、葬式が終わった後、義妹は義父に引き取られることになった。
義父は今、県外の静かな場所で蕎麦屋をしているそうだ。家庭を顧みず仕事ばかりだった義父は、自分の人生をやり直すためにその土地に移住したのだという。義妹はその店の仕事を手伝いながら、自活できるようにしばらく義父が世話することになった。
葬儀の後始末が残っている私は、義父とは葬儀場でお別れだ。そこで義父から驚くべきことを聞かされる。
「まき子さん、家賃の心配はいらないよ。高一が帰ってくるまで一人で寂しいだろうけど、そのままそこに住んでほしい」
「家賃がいらないなんて、どういうことですか?」
私には意味が分からず困惑する。
「実はあの家を買ったのは私なんだ。もう一年以上前から、あの家の持ち主は私なんだよ」
驚く私に、義父は苦笑いしながら説明を始めた。義母に癌が見つかった頃、義父は義母から連絡を受け、「家を買ってほしい」と相談されたそうだ。治療費で色々とお金がかかるから助けてほしいとのことだった。義父は、赤の他人が家を買ったら二人とも追い出されてしまうかもしれないと思い、買うことに決めたのだという。
私の知らないところで、義母と義父はそんなやり取りをしていたのか。離婚後ほとんど関わりのなかった義父が、こんな風に心配してくれていたなんて、私にはとても意外だった。
「母さんの介護、本当にありがとう。高一と二人で幸せになってくれよな」
そして義父とのお別れの時が来た。義妹はすでに助手席に乗っているが、俯いたままでこちらを見ない。義父の運転する車が葬儀場から出ていく。義妹のことは義父に任せよう。夫の任期はあと一年の予定だ。私はこれから、自分たちの幸せを考えて生きていこう。
爽やかな空を見上げながら、私はそう決意した。
