リリカはスマホを握りしめたまま、義母の家のインターホンを押した。新幹線を乗り継いで、わざわざ来たのに、産まれたばかりの我が子を一目見せてくれないという。玄関先で立ちふさがったのは、夫のエトだった。
「どうして赤ちゃんに合わせてくれないの?わざわざ新幹線で来たのに」
「リリカが嫌がってるんだ」
「追い返すくせに、お祝いだけは受け取るのね」
「せっかく持ってきてくれたんだし、もらわないのも失礼かなと思ってさ」
「一目だけでいいから、孫に合わせてよ」
「無理だって言ってんだろ」
「どうしてなの?私が何かしたなら謝るわ」
「謝ったところで、合わせることはできないから」
「じゃあ、私が行くって言った時に、そう言ってくれなかったの?会えないなら、わざわざ来ることなかったわ」
「お祝いだけ持ってきて欲しかったんだ」
リリカは唇を噛んだ。この男は昔からこうだ。自分の感情をまるで出さない。エトが不機嫌になる理由なんて、きっと一つしかない。嫁の入れ知恵だろう。
「なんて子なの?」
「嫁に言われて気づいたんだよ。おばあさんが、今後よぼよぼになった時に、世話することになるのは嫌だなって」
「は?誰が世話してくれなんて頼んだ?」
「先の話かもしれないけど、あり得ることだろう。だから今のうちに絶縁するって」
「あ、嫁はそうしたいって言ってる」
「素晴らしい奥さんと結婚したものね」
「それ、嫌味?大なしな子だと思ってたけど、飛んだ猫かぶりだったみたいね」
「ハキハキしてて、俺は一緒にいて楽だよ」
「そう、あなたが幸せならいいわ。じゃあ帰る。元気でね」
数分後、リリカは夫の実家を出た。携帯の画面には、夫の母からメッセージが表示されていた。
「孫に会いに、勝手に貧乏人が来ちゃったか」
リリカは深呼吸をした。もっと早く気づくべきだった。姑はこういう人間だ。金持ちだとは思っていたが、まさか息子にすら隠しているとは。リリカは自分がどれほど無礼なことをしたのか、その時はまだ理解していなかった。
その後、リリカは夫の母を訪ね、詰め寄った。
「息子の言ったことは本当なの?」
「うん」
「何か怒らせるようなことをした?どうしても理由が知りたいの」
「別に、私は年寄りっていう全種が嫌いなだけ」
「あなたのご両親だってそうでしょ?それに、あなたもいずれ年を取るわ」
「身内は別だし。私だってエトにとっての身内じゃない。私からすれば他人だね」
「初孫なの?一目だけでいいから合わせてよ」
「汚い手で赤ちゃんに触るな。とっとと帰れ」
「そこまで言うの?」
「今後、あんたと付き合っててもメリットがなさそうだもん」
「は?」
「何万もするブランドのベビー服、買えないでしょ」
「子供服なんて、すぐに着れなくなるわよ」
「うっとい。そういう古臭いところがマジで無理。とにかく消えてほしい」
「……あなたが人だなんて思わなかった」
「改めまして、こんな感じの嫁です。二度と関わりたくないので、さっさと帰宅しろ」
「そう、じゃあ帰るわ。さようなら。今後は、孫も含め、あなたたちとも一生関わらない。そういう解釈でいいのね」
「もちろん。前言撤回はなしよ」
「するか」
「分かった。息子にもよろしく伝えて」
数日後、リリカの夫エトの母、宇美の下に、ある連絡が入った。
「宇美さん、毎月お貸しいただいていた分が、入金されておりませんが。弁護士から連絡が来ていませんか?」
「貸し付け終了の通知をお送りしたはずですが」
「そんなものを見てませんが。手続きが遅れてるのかもしれません」
「急に貸し付けを止めるなんて、あんまりです」
「うちの息子が、あなたの娘さんと結婚して親戚になったというだけの理由で、貸し付けをしていました。期限は決めず、私の権限でいつでも終了できると、契約書にも明記してありましたよねえ」
「娘はエト君と離婚したんですか?」
「いいえ。二人は仲良くやってるようですよ」
「では、なぜ?」
「私は絶縁されたんです」
「え、あなたはお孫さんに会いましたか?」
「はい。生まれたその日に病院に行きました」
「抱っこできました?」
「もちろんです。エト君に似た可愛い男の子でした。私は新幹線で会いに行きましたが、お祝い金だけ取られて、合わせてもらえませんでした。なぜ?」
「汚い手のババーに触られたくない、そうです」
「誰がそんなひどいことを言ったんですか?」
「リリカさんですよ」
「娘がひどい言われようでした。あんなに傷ついたのは、生まれて初めてです」
「それは大変申し訳ございません。ただ、公式に混動されるのは困るんです」
「先ほども言いましたが、関係がなければ私は、貴社に貸し付けはしなかったと思います」
「それはそうですが」
「逆恨みだと思われても構いません。心情的に、あなたたちとはお付き合いできないんです。申し訳ありません」
電話が切れた。数分後、エトの実家にリリカが乗り込んだ。
「このドアホ、いきなり何なのよ。子供が寝てないんだから、イライラさせないで」
「お前のせいで、うちの会社は終わりだ」
「はあ?私が何したって言うのよ」
「エトの母を怒らせただろう」
「あのばあさんね。わざわざ赤ちゃんを見に来たのを、追い返してやった」
「なんてことを。そのせいで、うちは終わりだ。来月には資金が尽きて潰れるだろう」
「どういうこと?ちゃんと説明してよ」
「エト君のお母さんは資産家なんだ」
「え、そうなの?あの地味なばあさんが?」
「普段はベンチャーなどに積極的に投資をしてる。知る人ぞ知る金持ちだからな」
「でも、エトとは普通の会社で普通の稼ぎよ」
「金持ちの息子だと知られれば、リスクが大きい。連れ去られたり、狙われたりするからな」
「確かに」
「だから、我が子にすら言ってないそうだ。実家も普通の一軒家だったし、騙されたわ」
「本来なら、あの人は成長を見込める企業にしか投資しない」
「すごいじゃん。認められたんだ」
「違う。うちは、お前が嫁だから特別に金を貸してもらえてたんだよ」
「へえ」
「この投資があるから、銀行への支払いもできてたんだ。でも、もう無理だろうな」
「やばいじゃん。パパから社長って肩書きを取ったら、何もなくなる」
「うるさい。お前のせいで、こうなったんだろ」
「は、逆切れやめてよ」
「とにかく、すぐに謝罪してこい」
「え」
「大体、目上の方に向かって、ブレーが過ぎるだろう。そんな風に育てた覚えはない」
「だって仕方ないじゃん。嫌いなもんは嫌いなんだから」
「お母さんに、何か言われたのか?」
「別に」
「それなのに拒絶したのかよ。そりゃ怒りもするぞ」
「だって、姑とか全員悪者だと思ってたし」
「あの方は、俺たちに手を差し伸べてくれたんだ。パパもママも、借金返済に追われることになれば、孫じゃなくなるんだからな」
「それは困る」
「だったら、すぐに謝ってこい」
「たるいなあ」
翌日、リリカは義母の家を訪れた。顔を合わせるなり、頭を下げた。
「お母さん、先日は本当にすみませんでした」
「お父様に、何か言われたのね」
「さて、何の話でしょうか。父とは連絡は取っておりませんが」
「そうですか。で、何の用?」
「産後でハイになっていたんだと思います。子供を産んだ私が、世界で一番偉い気分でおりました」
「そう」
「履歴を見返してみて、震え上がりました。大好きなエトさんのお母様に向かって、何という口を聞いてしまったのかと。大変申し訳ございませんでした」
「遅いわよ」
「え?」
「謝れるのは、子供まで。大人の世界では、取り返しのつかないことは多々あるの」
「大人でも、謝りはありますよね」
「そうね。ただ程度によるし、私は頑固だから、一度決めたことは絶対に覆らない」
「お母さん、私の子を抱っこしてください」
「今更、何を言ってるの?」
「息子には、おばあちゃんが二人もいるんだよって伝えなきゃならないのに、私は愚かなことをしました」
「伝えることはできるじゃない」
「会いたくないんですか?」
「もう結構よ」
「強がるんじゃないよ」
「はい?」
「孫に会いたくないなんてババーはいないんだよ。演技だとは分かってたけど、数分も我慢できないのね」
「うるさい。エトの前でも、そんな感じなの?」
「わけないだろ。女が本性を表すのは、女の前だけなんだよ」
「まあ、確かにそうかもしれないわね」
「パパに聞いたよ。あんた、金持ちなんでしょ?」
「だったら、何?」
「息子にまで、金持ちだってことを隠すなんてね。あの世には、お金なんか持っていけないのに」
「私には私なりの理由があって、そうしてるの」
「毎晩、札束数えて、その汚い顔でニヤニヤ笑ってそう」
「汚さでは、あなたに負けるわね」
「孫に会いたくてたまらないくせに、強がっちゃって。私から見たら、超痛々しいわ」
「そう見えるのね」
「別に、父の会社がどうなろうと、知ったこっちゃない」
「白々しい娘さんだこと」
「それよりも、私はあんたのあの世が楽しみで、仕方なくなってきたわ」
「どうして?」
「その莫大な資産は、全てエトが相続するからよ。まあ、私がいなくなった後のことは知らないから、好きにすればいいわ」
「なるべく早く、召されてくださいね」
「長生きできるよ。頑張るわ」
翌日、エトが妻に問い詰めた。
「どうだった?ちゃんと仲直りできたか?」
「どちらかといえば失敗。むしろ関係悪化って感じ」
「はあ。何をやってんだよ。父さんたちがどうなってもいいのか?」
「うん。ぶっちゃけ、関係なくない?」
「なんだと?」
「私はエトと一緒にいる以上、必ず大金が転がり込んでくる運命だよ。親の小さな会社がどうなろうと、知ったこっちゃないし」
「お前……」
「大体、自分だって卑怯者のくせに、よく偉そうに言えるね」
「俺のどこが卑怯なんだよ」
「娘の結婚に乗じて、姑の目を利用したじゃない」
「それは……」
「私は家を出るわ。これ以上、迷惑かけないで」
「親を見捨てるのか」
「お金のないじじばばなんて、用なしでしょ」
「こういうことを、エトの母さんに言ったんだな」
「もっとひどいこと言ったけどね」
「そりゃ切れられて当然だ。こんな娘に育てた俺たちが悪いんだもんな」
「だね」
「もういい。勝手にしろ」
翌日、リリカの父がエトの母のもとを訪れた。
「この度は、大変申し訳ございませんでした」
「今更、そんな必要はありません。私も、娘から縁を切られてしまいましたよ」
「そうでしたか。娘の無礼な態度は、全て私どもの子育ての失敗が原因です。不愉快な思いをさせてしまい、すみませんでした」
「それを言うなら、私も同じです。嫁と一緒になって、実の親を追い返すような息子に育ててしまった自分を、悔んでも悔みきれませんよ」
「子育てとは、何とも難しいものですね」
「はい。本当に、娘は宇美さんの資産を期待してるような発言をしていました。さすがに危険なことをするアホだとは思いたくありませんが、十分、気をつけてください」
「ありがとうございます。ただ、心配には及びません」
「そうはいかないでしょう。相当な資産をお持ちなのは、間違いないんですから」
「私は、お金を残すつもりはありません」
「はい?」
「私は夫を早くになくし、息子を育てながら、こう考えていました。父から受け継いだ資産を、託せる子に育ったら、全額を譲ろうって」
「そうだったんですね」
「でも、ダメでした。だから、あの子には残さずに、使い切ります」
「私が口を出すことではありませんが、それがいいですね」
「期待をさせたくないので先に言っておきますが、貴社への融資はしません」
「はい、分かっております。子育ても会社経営も、私には才能がありませんでした。もう、会社を畳むことにします」
「私が融資をしないのには、理由があります」
「何でしょう?」
「あなたの会社、ワクワクしないんですよ」
「え?」
「従業員の目も曇ってるし、誰も楽しそうじゃない」
「そう言われましても、事業を立て直すつもりで……いや、違うな。もう一度、出発してみませんか?事業計画書に、私がワクワクしたら、お金を出します」
「本当ですか?」
「ええ、実は私、昔からやりたい事業がありまして。ただ、儲ける自信がなく諦めたんです」
「いいですね。そういう話、大好きなんです。少しお時間ください。すぐに計画書を作ります」
「一つだけ、こちらからもお願いがあります」
「何でもおっしゃってください」
「私たちの子育ての失敗の責任を、一緒に取って欲しいんです」
「と言いますと?」
「次回、お会いした時にお話ししますね」
翌月、エトがリリカに電話をかけてきた。
「絶縁しておいて、ちょっと頼みにくいんだけど、十万くらい振り込んでくれない?」
「何を言ってるんだ?」
「あの時は調子に乗ってた。ごめん。会社は潰れた」
「え?」
「母さんはパートに出てる。俺も弁当屋に就職した」
「はあ。六十手前で、そんなことになってんの?かわいそすぎんだけど」
「俺は辛くないぞ。むしろ、毎日が楽しい」
「そんなわけないじゃん」
「そういうわけで、金は稼がない」
「これってさ、元をたどれば、義母さんのせいだよね」
「いや、義母さんのおかげだな」
「どうしたの?なんか宗教にでも入った?」
「本心でそう思ってる」
「会社さえ潰れなきゃ、私は今もお小遣いもらえてたし、今後も実家から援助してもらえたのに。あのばあさんのせいで、台無しよ」
「そうやって、何もかも人のせいにするな。自業自得だろ」
「遺産も、まだまだ先になりそうだし。早くあの世に行ってくれないかな」
「いい加減にしろ」
「百万でいいんだけど、どうにかならない?」
「三食後、家にいるのになんでそんな金が必要なんだ?」
「色々あんのよ」
「大体、絶縁したのによくも金の無心ができたな。今度こそ、本当に縁を切る」
「あっそ。社長でもないし、金もない。役立たずの親なんて、こっちから願い下げよ」
「そうか。お前にとって、親はもう不要なんだな」
「うん。その言葉に、後悔はないか?」
「ないない」
「分かった。じゃあな。幸せになれよ」
「はーい」
数日後、今度はリリカの母のもとに、息子から連絡があった。
「母さん、ちょっと頼みがあるんだけど」
「縁を切った息子から連絡が来て。ああ、嬉しいわ」
「わざとらしいな。あの時は悪かったよ。本当に言いすぎたなと思って、反省してるんだ」
「で、いくらは?どうせお金でしょ」
「ありがとう。十万でいいんだ。必ず返すから」
「出産祝いで百万も渡したのにもうないの?」
「ちょっと入り用っていうか」
「あなたの稼ぎで、十分生活できるはずよ」
「出費が重なる時くらいあるだろう。大体、多額の資産を持ってることを隠してたくせに、偉そうに説教すんじゃねえよ」
「は?リリカに聞いたぞ。人に施すほど、金持ってんだろ」
「それが何?」
「なんで俺に言わなかったんだよ。言ったら、どうなってた?」
「ゲームも服も、我慢せずに買えたじゃないか。今だって、安い給料で苦労せずに、遊んで暮らせてたかもしれない」
「そんなくだらない大人になって欲しくなかったから。私の選択は、改めて正しかったと確信したわ」
「なんだよ、それ」
「お金は怖いものよ。人を変えてしまうものなの。実際に、私の資産を知ったリリカさんは、目の色変えてお金の話をしてるんじゃない?それは、私の存在すら疎ましく思ってるはずよ。早く消えろってね」
「そこまでは、ないと思うけど」
「いえ、あなたもそう。私が亡くなれば、多大な遺産を相続できると思ってるんじゃない?」
「そりゃ、まあ、いずれは俺が継ぐことになるだろうけど」
「そうかもしれないわね。その日を、どうかお楽しみに」
「いや、十万は、さすがに手持ちがないの。ごめんなさいね、母さん」
数ヶ月後、リリカが再び義母のもとを訪れた。今度は、一人ではなく、夫エトも連れて。二人は深々と頭を下げた。
「今回は、本当の謝罪です。お母様、数々の無礼、誠に申し訳ございませんでした」
「あら、久しぶりね。お子さんは元気?」
「お母さんの孫です。どうか会って、抱っこしてあげてください」
「結構よ」
「そうおっしゃらず。孫に会うためだけに、いくら取られるか分かったもんじゃない」
「お金なんて……と言いたいところですが、実は生活に困窮しておりまして」
「らしいわね。息子の稼ぎではやっていけないなんて、どんな無駄遣いしてるのかしら」
「父からの援助を当てにして生活していた部分があり、そのせいでクレジットカードの支払いが苦しくなりました。分割払いやリボ払いにして、何とかしてきたんですが、支払い額がどんどん増えてしまいまして」
「分割にするほど苦しいのに、まだカードを利用していたってこと?」
「給料は支払いに消えますし、それを補填するために、仕方なく……」
「それは大変ね」
「またいい環境で子育てをしたくて、注文住宅を買おうと思ってるんですが」
「嘘でしょ?その状態で、ローンが通るわけないわ」
「今、審査中です」
「だったら安心ね。まず審査に通らないから」
「実家の援助があると思ってたんです。でも、潰れてしまったみたいで」
「前の会社はね。今は、新しく会社を起こして頑張ってらっしゃるわ」
「知らないんですけど」
「そりゃそうでしょう。絶縁したんだから」
「儲かってるんですか?」
「最初に聞くのはそれ?どんな会社なのかとか、そういうことは気にならないの?」
「はい。利益がいくらなのかが知りたいです」
「本当に、救いようのない人ね」
「ミルクも買えないんです。切羽詰まってるんですよ」
「ずるいわね」
「何がですか?」
「孫がお腹を空かせてるのに、一文も出さない祖母みたいな悪者にしようとしてる」
「そんなんじゃありません」
「じゃあ、カード明細を見せて。ちゃんと生活費に消えてるなら、ミルク代くらいあげるわ」
「それはちょっと、プライベートなことなんで」
「やましいから見せられないんでしょ」
「……分かりました。送ります」
翌日、エトが母のもとに現れた。
「母さん、リリカからカード明細が来ただろう。俺も、こんなに生活が苦しくなってるなんて知らなかったんだ。助けてくれよ」
「どこかの政治家塗りの明細ね。これで、何を判断しろって言うのよ」
「俺も知らなかったんだけど、結婚前からクレジットカード五枚くらいを、限度額まで使ってたらしいんだ」
「ええ」
「母さんが出資して、リリカの親父さんも新しい会社を立ち上げたんだろ。親同士が仲良くしてるなら、俺たちのことも許してくれるってことだよな」
「違うわ。私たちはビジネスの関係よ。理念に共感したから、お金を出した」
「それだけか?いつまでそうやって意地を張るんだよ。本当は孫に会いたくて仕方ないんだろう。いい加減、素直になれよ」
「何を言ってるの?私は、単に孫に会いたいだけじゃなかったのよ」
「嘘つけ」
「あなたが家庭を持てるまで立派になって、出産という辛くて尊い業を成し遂げたリリカさんに、感謝と祝いを伝えたかっただけ。孫なんて、二の次よ」
「じゃあ、もう和解したっていいじゃないか」
「私は、子育ての失敗の責任を取らないといけない。ここで甘やかせば、あなたの子供が不幸になる」
「ミルクが飲めないことが、不幸だろう」
「まずは、黒塗りしてない明細を見せなさい。話はそれからよ」
「分かったよ」
翌日、明細が届いた。母はため息をついた。
「明細を見たわ。子供を託児所に預けて、二人で飲み歩いてたみたいね」
「ストレスのせいで……」
「便利な言葉ね。ストレスといえば何でも通用するなんて、今の人たちは羨ましいわ。お酒を飲むから母乳が上げられなくて、ミルク代がかかるんですって?普通の母親は、酒を飲まずにミルクを買うのよ」
「でも、ストレスが……」
「見知らぬ人に預けられてる、我が子のストレスは考えたことないの?今は、どうせ何も分かってないし?」
「違う。子供はちゃんと分かってる。ママに触れられた分だけ、安心してスクスク育つの」
「子供が生まれたら、こんなに不自由だなんて思わなかったんです」
「そうやって愚痴って泣きつけば、誰かが助けてくれると思ってるわね」
「父の連絡先を教えてください。携帯も変わって、連絡も取れないんです」
「教えてもいいけど、助けてはくれないわよ」
「どうしてですか?」
「出資の条件は、娘に手を貸さないことだから」
「そこまでやる?こんなの、ただの嫁いびりじゃない」
「そう思うなら、思ってればいい。そして、私たちがここまで厳しく接しているか理解できる日まで、恨み続ければいいわ」
「お願い。今月でカードが使えなくなるんです。支払いができないと、ブラックリストに乗っちゃうの」
「おめでとう。その方が、あなたのためよ」
「十万でいいから、貸して」
「あなたに貸すお金はない。ミルクが買えないなら、今すぐ働きなさい」
「ケチ。早くあの世へ行け。そしたら、あんたの遺産で豪遊してやるんだから」
「言い忘れてたんだけど、お金はもうほとんどないわよ」
「は、嘘でしょ?」
「数え切れない企業や芸術家、各種団体に寄付してる」
「何やってくれてんのよ。私のお金でしょ」
「どこでどう勘違いしたのか知らないけど、私が父から相続した私のお金よ。どう使おうが、あなたに文句を言われる筋合いはない」
「どうしよう。あと数年も生きるわけないと思って、これも買おうって夢見てたのに」
「ごめんなさいね。お医者さんに褒められるくらい、健康なのよ。まあ、私が亡くなったとしても、遺産はほぼないけど」
「ひどい。訴えてやる」
「あら、退屈してるから、裁判なんてワクワクしちゃう。楽しみにしてるわね」
「ねえ、お願い、助けてよ」
「たかるんじゃない。金は稼ぐものなの。遺産で遊んでる奴に言われたくない」
「私も若い頃は、夫と二人で働いてたわ。貧しかったけど、毎日笑って楽しかった。夫が亡くなって父の遺産を相続したけど、あの大変だった日々の方が幸せだった」
「それでも、お金がある方が幸せよ」
「どうかしらね。それは自分で確かめなさい」
「お願い。見捨てないで」
「汚いババーは消えるわ。綺麗な世界でお幸せに」
数ヶ月後、リリカの父が宇美に連絡を入れた。
「宇美さん、おかげ様で事業は順調です。本当にありがとうございました」
「障害者を雇用したお弁当屋さんのフランチャイズが、素敵な事業だと共感したからです」
「はい。私の弟はダウン症でした。料理はすごく得意なのに、仕事につけなくて、ずっと辛い思いをしてきたんです。今は、弟も生き生きと働いてくれてますよ」
「素晴らしいことですね」
「野菜を切るなどの単純作業ならできるという障害者は、少なくないんです。先日、お店に行ったら行列ができてて、諦めました」
「来てくださったんですか?お弁当くらいなら、いつでもお届けしますよ」
「いいえ。ちゃんと並んで買います。ありがとうございます」
「娘さんや、お孫さんに会いたくなりませんか?」
「いいえ、と言ったら嘘になりますが。あいつが大人として、親として一人立ちできるまで、手を貸してはいけないんだと、妻とも話しています」
「親ですもの。心配ですよね」
「私だってそうです。たった一人の身内ですから。でも、私は思うんです。私たちは、愛情を込めて子育てをしてきましたよね」
「ええ、もちろんです」
「それは、きっと次の世代にもつながるんだと、信じたいんです」
「そうですね。私もそう思います。今頃は、きっと親子三人で笑ってる。そう信じましょう」
その後、息子夫婦はあれから五枚分のクレジットカード、合計三百万ほどの借金を返済するために、子供を保育園に預けて、夫婦共働きで働いているそうだ。夜は一日おきに、互いが子供の面倒を見て、エトは夜間の建設現場、リリカはスナックでダブルワークまでしているらしい。ミルクは買えているだろう。
しかし、最近の若い人は、こうして私生活を赤裸々にSNSに投稿するものなんだね。私は宣言通り、様々なところへ寄付や出資をし、あとは年金で細々と暮らしていくのみとなった。たまに寄付した全国の方々が、お礼の品を送ってくれるのが、密かな楽しみだ。我が子や孫に会えなくても、元気で笑顔でいてくれたらいい。お金を手放して、心からそう思えるようになった。
さて、今日もお気に入りのお弁当を買いに行くとしよう。
