式は半年後、という話を聞いてから、私はずっと準備に追われていた。ドレス、会場、招待状、何を決めても次から次へと新しい問題が出てくる。そんな中で、彼の母、つまり義母になる人の一言が全ての始まりだった。
「結婚式は大事だけど、あなたも仕事を頑張ってもらいわね。」
私は大したことのない会社で働いている。義母は大手企業に勤める息子、サトシと比べて私を値踏みするように言った。
「うちの息子はしっかりと大手で働いているわ。それに比べてあなたはどう?全然大したことない会社で働いてるでしょ。」
その言葉に、私は思わず反論した。会社の大小で人の価値を決めるのは間違っている。私は自分の仕事に誇りを持っているし、実績だって残してきた。でも義母は聞く耳を持たなかった。
「女だってしっかりとしたキャリアを築かないとダメよ。あなたはサトシの妻にふさわしい結果を残しなさい。私は現状に甘える人だとは思わなかったわ。」
1時間後、私はサトシにこのことを相談した。けれど彼は仕事中だと言って、式のことは全部任せるからと話を聞こうとしなかった。
「お前が母さんを怒らせたからだよ。同居を断っただろう。」
そうだった。最初から私は同居はしないと宣言していた。でも義母はそれを根に持って、嫌がらせのように私に仕事で結果を残せと言ってくる。私は家で集中して仕事がしたいタイプだから、同居はできないと何度も説明してきた。それなのに、彼は私をかばおうとしなかった。
「誤解を解いてくれればいいのよ。」
「嫌だよ。めんどくさい。そんな争いに俺を巻き込まないでくれ。お前が母さんに直接言えばいいだろ。」
「味方はしてよ。」
「俺は中立だ。」
その言葉に私はがっかりした。夫婦なら、普通は妻の味方をしてくれるものじゃないのだろうか。でもサトシは俺は中立だと言い切った。
「それじゃあな。俺は仕事で遅くなるから飯は1人でよろしく。」
1週間後、兄から連絡があった。私の結婚式の招待状をもらった友達たちが、みんなで式に参加して盛り上げたいと言っているらしい。
「ありがたいけど、ちょっと式はなしにしたいの。その代わり食事会を開こうよ。」
理由を話すと、兄は分かったと快く承諾してくれた。式に呼ぶ人数が増えるとお返しも大変になるから、そういう形になるのは助かる。
結婚式当日、私は笑顔で参列者を迎えた。式は無事に終わり、会場にはたくさんの祝福の言葉が飛び交った。あの義母も、式の間は紳士的に振る舞っていた。でも私は分かっていた。彼女は私の仕事のことを、式の前にもまた聞いてきたのだ。
「この後、仕事のスケジュールはどうなってるの?サトシの妻としての自覚はあるの?」
場が悪くなるから、私は「今は結婚式に集中させてください」とだけ言った。それだけなのに、義母は私が冷たいと言い出した。
その日の夜、私は式場の片付けを済ませて新居に戻った。そこでサトシからのLINEが届いた。
「あかね、俺はそっちにはもう帰らないよ。式直後で悪いが、やっぱり離婚してほしい。」
何を言っているのか分からなかった。式の直後だというのに、どうしてそんなことを言うのだろう。電話をかけても、彼は淡々と理由を話し始めた。
「お前の態度に覚めたんだ。もう顔も見たくない。」
「母さんに対して冷たかっただろ。あんなことをする奴と結婚生活なんて遅れるわけがない。」
「私はただ、仕事のことを聞かれて集中させてくださいと言っただけよ。それの何が悪いの?」
「俺たちのことを心配して聞いてくれたんだろう。」
「違うわ。あの人は世間体を気にして、自分の息子の嫁はエリート社員だと自慢したいだけよ。同居を断られたことで嫌がらせをしてきてるの。」
「お前のそういう気の強いところも、俺はもう受け入れられないんだよ。地雷女に引っかかったぜ。」
その言葉に、私は何も言い返せなかった。私が地雷女?夫婦の苦労をかたくなに拒む私が?私はこれまでずっと、彼を支えてきたつもりだった。なのに彼は、自分の意思で私と別れることを選んだ。
「だったら離婚だ。こっちに離婚届を送るから、サインして役所に出しとけ。」
「信じられない。その程度の気持ちならプロポーズなんてしないでよ。」
「お前の本性を知らなかったんだからしょうがないだろ。」
電話は一方的に切られた。私はしばらく床に座り込んだまま、何も考えることができなかった。
10分後、義母から連絡が来た。サトシから離婚を突きつけられたことを知ったらしい。
「これもあなたの差し金ですか?」
「いいえ。サトシが決めたことよ。でも、式の当日に離婚なんてありえないことよ。ギネスに申請したら登録してもらえるんじゃない?式からの最短離婚記録としてさ。」
「不謹慎すぎます。こちらとしても、離婚は喜ばしいことではないですが、あなたと縁が切れるのは嬉しいことだと思ってます。これでもうあなたの嫌味を聞かずに済みますから。」
「私はこの世の真実を伝えていたのよ。あなたからしたら耳が痛いことかもしれなかったけどね。」
「私は真実なんて何も聞きませんでしたよ。偏った考えを押し付けられてただけです。もういいでしょう。」
どうやら義母も私と縁が切れて安心したらしい。私は一方的に離婚を受け入れさせられた。
それから2週間後、サトシが突然連絡をよこした。
「ちょっといいかしら。もう離婚は成立済みだぞ。俺たちは何の関係もないんだ。なのに慣れ慣れしく連絡なんてしてくんなよ。」
「こっちだってあんたと連絡なんて取りたくないわよ。でもせざるを得ない状況になったの。慰謝料を請求しようと思って。」
「慰謝料?」
「離婚の原因を作ったのがあんただから、慰謝料を払ってもらいたいのよ。」
「何をわけのわからないことを言ってんだ。俺たちは合意の上で離婚したんだ。どっちが悪いとかそういうことじゃない。」
「私以外に女を作ってたみたいね。」
その言葉に、彼は黙った。どうやら図星らしい。
「浮気相手の子って、ユカって言うんだって?会社の後輩さんなんだってね。3日前に突然ユカさんから連絡があったのよ。あんたの携帯を使って私のLINEを手に入れたみたい。あんたとどんな感じで会っていたかとか、自分の方が嫁にふさわしいだとかを自慢げに送ってきたわ。あのバカ、めちゃくちゃ勝ち誇った感じでマウントを取ってきてたわよ。私としては不倫の証拠をペラペラ喋ってくれてありがたいだけだったんだけどね。」
「ちょっと待ってくれよ。いきなりそんなことを言われてもさ。」
「私、あんたからいきなり離婚を申し出られても対応してあげたでしょ。だったら慰謝料くらいさっさと払ってよ。結婚もするって言ってたけど、おめでとうって言っておこうかしら。でもその前に私への支払いはきっちりやってもらうからね。」
3日後、私の兄がサトシの家に乗り込んだ。
「お前、とんでもないことをしてくれたな。」
「お兄さん、どうしたんですか?」
「お前がユカと不倫をしてたってことが分かったんだよ。人の妹を騙して、他に女を作っておいて、偉そうなことを言ってくれるんだな。」
「色々あったんですよ。母さんとあかねの仲が悪くて、俺はその間に挟まれて苦しかったんです。そんな時に俺に優しくしてくれたのがユカだったんです。見た目も可愛いし、好きだって言ってくれた。俺だって不倫したくてやったわけじゃない。でもあの時の俺には、どうしても必要だったんです。」
「ふざけたことを抜かすな。お前はあかねが困ってる時に平気で見捨ててたじゃねえか。何が間に挟まれてただ。関わらないように逃げてたくせに。適当なことを言ってんじゃねえぞ。」
「そもそもあいつが同居を断らなかったら、こんなことにはならなかったんだ。最初からお前が同居する可能性があると言っておけば、揉め事すら起きなかったんだよ。お前が説明をしなかったことが全ての原因だ。」
「人のせいになんてするんじゃねえ。もう終わったことだ。でも本当に終わらせるためには、お前は落とし前をつけないといけない。慰謝料だ。払う気があるのか?」
「給料も少ないし、金がないんです。払えないから無理だと言ってるだけです。」
「そんなのが通ると思うなよ。大人なら責任を取れ。」
「俺は何も悪くないのに。どうして金を払わないといけないんだよ。」
「てめえ、逆切れか。これ以上俺を刺激しないでもらえますか。俺は一度切れたら手がつけられないんです。」
「お前、妹に手を出すってのか?このままだとそうなりますよ。」
「分かった。今から俺の仲間を連れて、お前の家に行く。お前が妹に手を出すなら、どうなるか分からせてやるよ。安心しろ、大人数でやるなんて卑怯な真似はしねえ。あくまでもタイマンだ。ただ俺も、一度切れたら止まらないからな。間に入ってくれる仲間が必要だろ。だから連れてく。そいつらはお前のセーフティネットになってくれるからよ。」
「もしかして、お兄さんはヤンキーだったんですか?」
「ああ、そうだよ。喧嘩じゃ負けたことはないって感じだな。まあ、こんなの何の自慢にもならない。でも妹を守るためなら、俺は何でもやるぞ。お前はその覚悟を持ってるんだろうな。」
「すみません。もうこんなことは言いません。慰謝料についてもちゃんと話し合いをします。だから勘弁してください。」
「約束だぞ。必ず慰謝料を払え。そんでもって、妹に変なことをしようとするな。あと二度と俺の前に現れるな。お前のために言ってんだ。痛い思いをしたくなければな。」
1週間後、今度は義母が私の家に来た。
「あなた、本当にごめんなさい。うちの息子が不快な思いをさせてしまって。どうしても謝りたいと思って。」
「別にあなたに謝ってもらいたいとは思ってません。」
「でも謝らないと私の気が収まらないの。それに、慰謝料のことなんだけど、ちょっとだけ少なくしてくれないかしら。」
「やっぱりそういうことですか。どうせサトシに頼まれたんでしょ。」
「違うの。本当に、お金に困ってるのよ。実はユカさんが我が家に住むことになったのよ。結婚するにあたって。」
「良かったですね。念願の同居じゃないですか?」
「全然良くないの。突然仕事をやめて、もうわがまま放題で。こんなに変な子だとは思わなかったわ。金遣いも荒いし、勝手にカードで色々買っては私たちに払えって要求してくるの。無視したら暴れて手がつけられないのよ。」
私には彼女を気の毒に思う気持ちは芽生えなかった。むしろ、ようやく義母が自分の招いた結果に向き合っているのだと感じた。
「できればなしってことにしてもらえないかしら。」
「無理に決まってるでしょ。あなたも悪いんですからね。私はユカさんとサトシが不倫してたの、知ってたんでしょ?それも全部ユカさんから聞いてますから。大手に勤める息子が結婚できるって喜んでたみたいじゃないですか?まさかこんな人だとは思わなかったのよ。」
「そんなの知りませんよ。少なくともあなたは、内面なんて何も言ってなかったでしょ。エリートであればそれでいいって言ってたんですから。それに話を聞く限り、私はお似合いだと思うんですけどね。自分勝手でわがままなところなんて、サトシとそっくりですよ。本当にサトシにふさわしいお嫁さんだと思いますから、どうか皆さんでお幸せになってくださいね。もちろん慰謝料はしっかり払ってもらいます。」
また1週間後、今度はサトシから怒りの連絡が来た。
「やってくれたな。」
「あれ?何の連絡?慰謝料とか手続き系の話以外はしないって約束だったはずよ。」
「お前と一緒だよ。せざるを得ない状況ってやつだ。俺は、長年準備してたクライアントとの仕事をお前に奪われたんだよ。」
「ああ、その話。コンペで向こうサイドに選ばれないと仕事はもらえないんでしょ。コンペに参加しないかってお誘いは私ももらってたの。でもあなたが頑張ってるのを知ってたから、出さないようにしてたのよ。夫から仕事を奪うなんてしない方がいいからね。でもあなたとはもう夫でも何でもなくなったから、遠慮なく自分の作品を出させてもらっただけ。それに対して文句を言われる筋合いはないわ。」
「出世がかかってたんだぞ。」
「そんなの知らないわ。だったら採用されるように質のいいものを作ればよかったんじゃない?それができなかったのも、私のせいにするわけ?」
「俺には金が必要なんだよ。お前への慰謝料の支払いだってそうだし、ユカはバカみたいに金を使いまくる。」
「だったら他の仕事を頑張りなさいよ。仕事で結果を出せば出世だってできるでしょ。」
「簡単に言うなよ。」
「確かにそうね。大きな仕事は基本的に私がやっちゃってるから。あなたが必要とされることはないでしょう。」
「調子に乗りやがって。俺はお前のそういう偉そうなところが嫌いだったんだよ。仕事ができることを鼻にかけやがって。」
「出会った時は、そんな私のことを好きだって言ってくれてたのにね。いつの間にか180度変わっちゃったみたい。」
「お前が変わってしまったからだ。」
「変わったかもね。でもあなたも変わったわ。お互いに変わったんだから、そこはチャラでしょう。というか、変化も楽しめないような関係なら、どっちにしても長くは続かなかったわ。そもそもあなたは私に何を求めてたの?どうして結婚をしようと思ったのよ。それはどうせ深く考えずに、その場の思いつきで結婚しようと思っただけでしょ。同居のこととか、後からコロコロ考えが変わってるところから分かる。あなたは結局、何にも考えてないのよ。そんな無責任な人間だから、家庭がめちゃくちゃになってるの。」
「俺が悪いって言うのかよ。」
「そう言ってるの伝わってない。それと、お母さんに肩書ばかり求めてくるのは筋違いだって言っといてくれる?広告業界において、肩書とか役職は大した意味がないのよ。一番大事なのは実力とセンスだって言っといてね。」
「助けてくれよ。もう俺は限界なんだ。」
「何が?」
「母さんとユカの関係がもう最悪で。このまま最悪のことが起きるんじゃないかって思ってるんだ。相談に乗ってくれるだけでいいんだ。頼むから、俺の話を聞いてくれよ。」
「いやよ。私を巻き込まないで。私は中立だから。この『中立』って言葉の意味は、あなたなら分かるわよね。無関心ってことよ。自分でなんとかしてね。」
それから、サトシは他の仕事で成果を上げようとしたらしい。しかし、結果は出なかった。会社での立場もどんどん悪くなり、家庭でもお義母さんとユカさんがお金の使い方をめぐって激しくぶつかり合った。やがて、それは大げんかに発展し、警察沙汰になってしまった。サトシは同僚や部下に対して厳しい言動を繰り返すようになり、それが原因でパワハラとして解雇された。ユカさんとはその後の話し合いで離婚が成立したが、お義母さんは度重なるストレスで体調を崩し、今は通院と薬を飲んで暮らしているという。
全てを失ったサトシは、ある日私の職場の近くで待ち伏せをして、助けを求めようとした。その時、たまたま近くに兄がいてくれたおかげで、私たちは二人でサトシを撃退することができた。サトシは恐怖のあまり、泣きながらその場から逃げ出し、それから二度と姿を見せることはなかった。
私は今も、同じ仕事を続けている。一人暮らしになったことで、より仕事に集中できるようになり、結果も着実に残せるようになった。将来、また結婚したいかどうかはまだ分からない。ただ、もしその時が来たら、外側だけを見ずに、相手の本質をしっかり見定めて決断したいと思う。
