卒業式の朝、ちなつは父親と一緒に会場へ向かうと、振り返りもせずに私を置き去りにした。その瞬間、私の携帯が震えた。彼女からの着信だった。嫌な予感がして、私はためらいながらも電話を取った。「今どこにいるの?」という私の問いかけに、彼女は冷たく言い放った。「誰が教えるかよ。」私はすぐに、「私は夏の母親だから家族よね」と返した。すると彼女は、「何言ってんの?あんたはお手伝いさんでしょ?運転ご苦労様、…

卒業式の朝、ちなつは父親と一緒に会場へ向かうと、振り返りもせずに私を置き去りにした。その瞬間、私の携帯が震えた。彼女からの着信だった。嫌な予感がして、私はためらいながらも電話を取った。「今どこにいるの?」という私の問いかけに、彼女は冷たく言い放った。「誰が教えるかよ。」私はすぐに、「私は夏の母親だから家族よね」と返した。すると彼女は、「何言ってんの?あんたはお手伝いさんでしょ?運転ご苦労様、...

卒業式の朝、ちなつは父親と一緒に会場へ向かうと、振り返りもせずに私を置き去りにした。私はすぐにスマホを手に取り、彼女に連絡した。

「ちょっとちなつ、せっかくの卒業式なのに、来るなりお父さんと一緒に私を置いていくなんてひどいじゃない?今どこにいるの?もう教室?」

「誰が教えるかよ。」

「そんなこと言わないで教えて。」

「嫌だよ。」

「どうして?」

「私の卒業式に参加できるのは家族だけだから。」

「私は夏の母親だから家族よね。」

「何言ってんの?あんたはお手伝いさんでしょ?運転ご苦労様、外で待っててね。」

その言葉に、私は一瞬言葉を失った。それでも私は彼女の卒業式に参列するために来たのだ。

「私はあなたの卒業式に参列するために来たのよ。」

「あんたが母親なんて恥ずかしすぎるから参列しないで。」

「どう恥ずかしいの?どこか直して欲しいところがあるなら今直すわ。」

「そのふくれた顔は直しようがねえだろ。高校生の卒業式よ。そんなに若いお母さんはなかなかないと思うけど。」

「うるさいな。あとその古臭い服は何?もうちょっとマシな服はなかったの?こんなのが母親として参列するなんて私にとっては一生の恥よ。マジでお願いだから来ないで。」

「そう。そこまで言うなら私は帰るわね。卒業おめでとう。」

「お前に祝われたくない。」

「どうしてそんなに私を嫌うの?私が何かしたなら謝るわ。ごめんなさい。」

「謝って済む問題じゃねえんだよ。受験勉強中なのに何回も部屋に入ってくるし。」

「それはあなたがお腹空かせてると思って、おにぎりやコーヒーを持っていってあげただけじゃない。」

「彼氏ができたらすぐに根掘り葉掘り聞いてくるし。」

「それは相手が社会人だったからでしょ。体目当ての男だったらどうするのよ。」

「そんなこと気にしてたの?自分の体くらい自分で守れるから。」

「とにかく過干渉って言うのがいるんだよね。そういうタイプの毒親は子供のことは何でも把握しとかないと気が済まないわけ。」

「そんなつもりないわ。」

「私はあんたの所有物じゃないから。今友達と一緒だからもう連絡してこないで。」

「ちょっとちなつ。」

通話は一方的に切られた。私はため息をついて、駐車場の車の中でしばらく呆然としていた。すると、夫の高明から電話がかかってきた。

「高明さん、もう席に着いた?」

「ああ。ちなつには来るなって言われたけど、今近くの駐車場に停めたからすぐに向かうね。どこら辺に座ってるの?」

「は?来るつもりか?」

「そうだけど。」

「お前は家のことをやってるだけだ。それだけだ。」

「何が言いたいの?」

「他人だって言ってるんだよ。婚姻届けって紙切れ一枚だけで形式上家族になっただけ。俺とお前の間に血の繋がりはない。」

「確かにあなたとは血が繋がってないけど、私はちなつと血の繋がった娘よ。」

「半分だけだろうが。それはほぼ他人だよ。」

「あの子は私がお腹を痛めて産んだ子供よ。何より18年も育ててきた。それのどこが他人なの?」

「その割に、お前とちなつは仲が悪いじゃん。本当に血の繋がった親子ならそんな風にならないはずだ。その証拠に俺とちなつは仲良しだろう。」

「あなたとちなつは昔からよく二人で出かけてたものね。」

「そうだ。お前と違って俺はちゃんと父親やってんだよ。」

「私だってあの子の身の回りのことは何でもやったわ。弁当や洗濯物、学校の行事、PTA地域のこと。あなたはどれか一つでもやったの?」

「どれもちなつに直接向き合ってないじゃねえか。」

「そうね。でも陰でしっかり支えてきたつもりよ。」

「その結果がこれじゃあな。ちなつに母親と認められてないんじゃ。参加する資格はない。お前は駐車場で待て。もう始まるから。じゃあな。」

電話も切られ、私は駐車場に取り残された。涙が溢れてきた。私は自分の父親に電話をかけた。

「おはようお父さん。朝からごめんね。相談があるんだけど。」

「どうした?ちえみ、今日はちなつちゃんの卒業式じゃなかったか?」

「そうなんだけど、参加させてもらえなかったの。」

「どういうことだ?保護者なのに参加できないっておかしいだろ。」

「ちなつと高明さんに来るなって言われちゃった。前々から私に対しての態度は冷たかったけど、ここまで嫌われてるとは思わなかった。母親として情けないよね。本当に惨めだった。」

「ちえみ、お前は何も悪くない。よく頑張ってきたな。」

「お父さん、ありがとう。」

「ちなつちゃんももう高校卒業したし、もう無理しなくていいんじゃないか。」

「でも、これからだってやることあるし、家賃の支払いや大学の入学費の支払い、他にも色々な手続きがあるの。」

「そんなものはちなつちゃんにやらせておけばいい。もう18歳だ。成人した大人なんだよ。だからこれからのことはあの子に自分でやらせなさい。」

「そうだよね。お父さんと話して吹っ切れた気がする。私、そっちに帰っていい?」

「もちろん。ここはちえみの家でもあるんだから。」

「うん、私お父さんとお母さんがいる家に帰る。だってあの家に私の居場所はないから。」

「これまで母親としてよく頑張ってきたな。ちえみも母親を卒業して帰ってくるといい。この家ではずっと俺と母さんの娘だ。」

「お父さん、本当にありがとう。帰ることにするわ。帰る前に、前から用意してた離婚届を置いてから行くね。」

私は自宅に立ち寄り、テーブルの上に離婚届を置いた。それから実家へと車を走らせた。

二時間後、高明から電話がかかってきた。

「おい、待ってろって言ったよな。なんでいないんだ?」

「なんでって?私、他人なのよね。駐車場代もただじゃないし。帰らせてもらったわ。」

「ふざけんな。お前が帰ったせいで俺が家に戻れなくなっただろうが。」

「タクシーやバスなり交通手段はいくらでもあるでしょ。」

「無駄なことに金を使えるか。いいから今すぐ迎えに来い。」

「あの車は私の車よ。無駄なことにガソリンは使いたくないわね。」

「なんだと?」

「普通の他人はわざわざ他人を迎えに行かないわ。お金が無駄だと言うなら歩いて帰ったらどう?」

「ここから何時間かかると思ってんだ?」

「とにかく自分でどうにかして。それじゃあ。」

「待て、ちえみ!」

私は通話を切り、実家での新生活を始めた。

五時間後、今度はちなつからメッセージが届いた。

「ちょっとお手伝いさん、クラス会が終わったから迎えに来て。」

「なんで?」

「なんでって?あんたは私のお手伝いさんなんだよ。迎えに来るのは当たり前でしょ。」

「それならそれなりの報酬はあるのかしら?」

「は?報酬って何?お小遣いみたいなこと?あるわけねえだろ。」

「じゃあ迎えには行けないわ。」

「何それ?私のことが心配じゃないわけ?」

「私はただのお手伝いさんなんでしょ?そんな私に心配されても嬉しくないだろうし。自分でどうにかしなさい。それじゃあ。」

ちなつからの返信はなかった。代わりに、数分後に高明から電話があった。

「ねえ、お父さん聞いてよ。お手伝いさんに迎え頼んだら断られたんだけど。」

「何?ちなつか?俺も卒業式の後帰れなくて困ってたんだ。どうやら先に帰りやがったみたいでな。」

「何それ?本当に使えねえな。じゃあお父さんも帰ってないの?」

「そうだ。美加に迎えに来てもらって、今は美加の家にいる。」

「へ?自分だけ彼女とまったりデートとかずるい。じゃあ私のことも迎えに来てよ。」

「ちなつは本当に美加が好きだな。」

「当たり前じゃん。もう友達だもん。超美人で綺麗だし、最近の流行りも分かってるし。私ともすごく話が合うんだよ。あんなお手伝いさんより美加さんの方がいいだろ。早く離婚して美加さんと再婚しなよ。」

「でもなあ、怪しまれないようにうまいこと離婚しないと、下手したら慰謝料請求とかされるからな。」

「大丈夫だって。あの人ドン臭いじゃん。絶対にバレっこないよ。」

「それもそうだな。」

「あー、早く美加さんが私のお母さんにならないかな。」

翌日、高明が電話をかけてきた。

「おい、家に帰ったら離婚届が置いてあったぞ。正気か。」

「やっと気づいてくれたのね。正気じゃなかったら置かないわよ。」

「正気なんだな。分かった。別れるのはいい。許してやろう。」

「あら、案外あっさり認めてくれるのね。」

「母親の役割を果たさないお前にはうんざりしてたからな。」

「そう、じゃあ良かったわね。」

「だが財産分与はどうするんだ?」

「財産分与するほどの貯金なんてないわよ。あるのはちなつの大学の費用だけ。」

「ならそれを寄越せ。ちなつの面倒を見るのは父親であるこの俺だ。」

「あなたは自分が父親だと言うけれど、胸を張って言えるほど父親としてきたの?」

「当たり前だ。だからちなつは俺に懐いてるんじゃないか。」

「具体的に何をしたのかしら?」

「それはあれだ。毎日きっちり宿題を見てやったんだよ。」

「そばにいただけでずっとスマホをいじってたわよね。」

「分からないことを調べてやってたんだよ。」

「ちなつのそばなら怪しまれないと思ったからでしょ。」

「何のことだ?わけが分かんないことばっかり言うな。」

「それだけでよく父親面ができたわね。」

「他にもやってるさ。お前じゃ行けないようなところにも連れて行ったりな。」

「私じゃ行けないようなところね。そうね。確かにあそこは私じゃ無理だわ。」

「場所名言ってねえわ。どこか分かって言ってんのかよ。」

「少なくとも遊園地とか水族館とか、そういう楽しいところじゃないってことは分かってるわよ。」

「お前、さっきから何の話をしてるんだ?」

「ごまかすのはいい加減にして。そのせいであの子は変わってしまったのよ。」

「元々あんな感じだろう。」

「あなたはちなつのことをよく見てなかったのね。あの子は元々とても優しい子で、私と仲が良かったのよ。小学生まではお前の前では猫をかぶってただけだろ。」

「そうかもしれない。でもちなつがあんな態度を表に出すことはなかった。」

「我慢の限界が来たんだろ。」

「そのきっかけは何かしらね。」

「知らねえよ。その話、財産分与と関係ないだろ。離婚届、役所に出してくるわ。じゃあな。」

電話が切れた。私は離婚届を役所に提出した。

五分後、ちなつからメッセージが届いた。

「この毒親、離婚したのに私のこと迎えに来ようともしないなんて。」

「あら、卒業式に私のことお手伝いさんと言ってなかった?名前の話をいつまで引きずってるの。」

「しつこいな。普通、母親が真剣に受け取るもんでしょ。」

「18歳になったら親権は消滅するのよ。だから迎えには行かないわ。」

「は?何それ?わけわかんないこと言うなし。」

「それはちなつの方でしょ?お手伝いさんという割には、毒親だと攻め立てるなんて。まるで私にはちゃんとした母親でいてほしいみたい。本当は私にはどうあって欲しいの?」

「言わないと分かんないの?」

「母親としてできることはやってきたつもりよ。」

「どこがだよ。いっつも疲れた顔とだらしない格好で学校に来てさ。ご飯だってお店みたいな美味しいものが食べたかった。」

「あのね、私だって人間なの。こうして欲しいと言われても限界があるのよ。」

「子供のためなら何でもするのが母親だろ。たく、マジで親ガチャ失敗したわ。」

「ひどい。どうしてそこまで言うの?」

「本当のことだろうが。被害者面するな。」

「分かった。じゃあこれからはあなた一人で何とかしなさい。これからはもう本当に母親じゃなくなるから。何かあってももう二度と頼ってこないでね。」

「はいはい。言われなくてもそうしますよ。」

二日後、高明から連絡があった。

「ようやく離婚できたぞ。」

「おめでとう。パパは幸せでいいね。」

「ああ。」

「おばあちゃんちとはおさらばだ。」

「娘の私がついて行ってやろうかと思ったけど、あのお手伝いさん、何も変わってなかったよ。長年一緒にいてやったのにな。」

「おお。恩を仇で返すとはこのことだね。」

「ともあれ、浮気はバレなかったし慰謝料請求もない。結果オーライだな。」

「でも私はどうしたらいいの?」

「新生活が始まるまでは一緒に暮らしていいぞ。」

「本当?やっぱりパパがいればいいや。パパありがとう。」

「どうせもうすぐで二人暮らしだしな。気にすんな。お手伝いさんなんていなくても全然問題ないよね。むしろあいつが邪魔だった。これからの生活楽しもうな。」

「うん。」

一週間後、高明から電話がかかってきた。

「ちえみ。やっぱりお前がいないとダメだ。ちなつもそう言ってる。」

「何の用よ。私はあなたがいなくても大丈夫なんだけど。」

「お前がいなくなって痛感したよ。ご飯や掃除、家事がこんなに大変だったなんて。」

「十年以上も一緒に暮らして気づくのが遅くない?気づかせないように働いてくれたんだろう。そんなの気づけるわけがない。」

「あなたの目の前で料理や皿洗い、掃除機をかけてたのに。洗濯物を取り込んでとか、食器を棚にしまってとか、声かけもしたのに。」

「そうだっけ?お前の仕事ぶりに見とれてて聞こえなかったようだ。」

「よく言うわよ。新聞やスマホばっかり見てたくせに。とにかく誰もやってくれなくて困ってるんだ。」

「誰もって、ちなつ以外にも誰かがいるみたいな口ぶりね。」

「美加だよ。頼む。戻ってきてくれ。」

「嫌です。あなたたちに費やした時間は無駄でした。これからは自分のために使います。あなたもちなつももう大人なんだから、自分のことは自分でしっかりやってください。では。」

「おい、まだ話は終わってないぞ。おい!」

私は電話を切った。

十分後、高明は再び電話をかけてきたが、私は出なかった。彼はちなつに言った。

「ダメだ。戻ってこない。どうにか説得したんだがな。」

「どうすんの?美加さんと別れてから家めっちゃ汚いよ。まさか三日で振られるなんて思いもしなかったんだよ。」

「私、引っ越しの準備もできてないんだけど。」

「仕方ない。家事代行サービスでも頼むか。」

「お金ないんでしょ?」

「それについては当てがある。ちえみが溜め込んでた大学費用や貯金だ。あれは俺が渡してた生活費からちょろまかしてたんだよ。」

「泥棒じゃん。てか、それ私のお金でしょ?勝手にそんなことに使わないでよ。」

「そう言われてもな。てか、多分お手伝いさんが大学に振り込むでしょ。だから私のお金は使えないよ。」

「それもそうだ。いいこと思いついたぞ。」

「どうすんの?」

「ちえみの名義で金を借りればいいんだよ。幸いちえみの保険証が手元にある。」

「へ?なんで持ってんの?」

「俺の不要な書類の中に入ってたから郵便で返されたんだよ。これで金を借りれば、ちえみの方に請求が行くだろう。」

「私たちは返さなくていいってこと?」

「その通り。」

「何それ?めっちゃ頭いいじゃん。」

「大してちえみは世間知らずのアホ主婦だ。何のことかよく分からないまま払うだろうよ。」

「いくら借りるの?」

「そうだな。とりあえず一千万借りるか。」

「やば、めっちゃ贅沢できちゃうじゃん。」

「そうと決まれば借りに行くしかない。行ってくる。」

「行ってらっしゃい。」

三日後、ちなつは大学の学生課から電話を受けた。

「おい、どういうことなの?さっき大学の学生課の人から電話が来て、大学の入学金と授業料、それから寮の初期費用が振り込まれてないって。」

「ああ、それは当たり前よ。だって払ってないもの。」

「嘘でしょ?今まで母親らしいこと何一つできてなかったんだから。せめて娘の大学費用くらいちゃんと払えよ。」

「そうね。あなたは私の娘だから、何を言われても大学の費用は払おうと思ってた。でももう無理だわ。」

「何が無理なんだよ。」

「お手伝いさん呼ばわりしたこと。それから親ガチャ失敗って言われたこと。それが私の心を傷つけたのよ。」

「子供の反抗期に耐えてこそ母親だろうが。」

「都合が悪くなった時だけ私を母親呼ばわりしないで。」

「それはあんたが私をそうさせてんだよ。この毒親め。」

「親ガチャがあるなら、子供ガチャってのもあるんじゃない?」

「何が言いたいの?」

「私は子供ガチャ失敗したなんて思ったことはなかったわ。可愛くてリーダーシップがあって頭が良くて。何を言われても、私にとってちなつは自慢の娘だったのよ。私にとってはずっと可愛い娘で、みんなにもそう自慢してきた。」

「へ?」

「私の娘だったちなつは、もういないのね。さよなら。」

「待って、お母さん!」

一週間後、高明はちなつに聞いた。

「お前、本当に大学費用払わなかったらしいな。」

「だって私の助けはもういらないんでしょ?」

「それとこれとは別の話だ。お前が持ってるその大学の費用は元々俺の金だろ。お前が家計管理してたもんな。ちょろまかして自分のものにしてたんだろ。」

「違うわ。被害妄想もいい加減にして。」

「嘘をつくな。金返せ。ちなつが可哀想だと思わないのか?」

「何言ってるの?あなたから渡された生活費だったかしら?都合が悪いからって話をすり替えないで。」

「すり替えてなんかないわ。」

「大学の費用にも関わることよ。十万円だろ。」

「いいように記憶を改ざんしないでくれる?たった三万円よ。それでどうやって生活しろというの?」

「お前もパートしてただろ。その金はどうした?」

「もちろん生活費に当てていたわ。私が稼いだパート代、八万円全部。」

「それでなんで足りないんだよ。やりくり下手くそか。」

「家のローンが月十万円、光熱費が三万円、食費が七万円。これだけでも二十万円超えてるの。」

「そんな中、どうやって大学の費用を貯めたんだよ。」

「大学の費用は私が副業して稼いだお金を貯めたの。十年間コツコツとね。そして、その金を財産分与だと。」

「いいえ、このお金はお父さんに返します。」

「あ、なんでそこでお父さんが出てくるんだよ。」

「実は生活費はお父さんに援助してもらってたの。だから財産分与のお金はないわ。むしろ、お金を返して欲しいくらい。」

「そんなに欲しいならお父さんに頼み込んだらどうだ。」

「いや、それはちょっと。」

「そうよね。会社での立場が悪くなるかもしれないと思うと、怖くてできないわよね。だってあなたが今働けてるのはお父さんのおかげだもの。頼むから、専務には言わないでくれ。」

「もう遅いわ。覚悟しておいてね。」

「待ってくれ!」

五分後、ちなつは私に電話をかけてきた。

「お母さん、ごめんなさい。今回の入学はもう諦める。だから来年、学費を出してもらえませんか?」

「何がごめんなさいなの?」

「お手伝いさんって言ったこと?毒親だって言ったこと。それだけ。」

「他に何があるの?」

「どうやらあなたはまだ反省が足りないようね。」

「ちょっと待ってよ。ちゃんと謝るから。だから何が悪かったか教えて。」

「教えたら意味ないでしょ。自分でよく考えなさい。」

「だって、本当に分からないよ。お母さんが何に怒ってるか。」

「あなたがすることは謝罪の言葉を口にするだけ。それだけで全てが許されると思ったら大間違いよ。私がちなつのために今まで何をしてきたか。そんな私にあなたはどんな言葉をぶつけたのか。それをよく考えなさい。」

「お母さん、本当にごめん。ごめんなさい。お願いだから許して。」

「お母さん。」

一ヶ月後、私は高明に電話をかけた。

「あなた、私の名義を勝手に使ってお金を借りたでしょ。」

「なんだ、もうバレたのか。そうだよ。おかげで五百万円借りれた。ありがとうよ。返済はよろしく頼んだ。」

「それは無理ね。弁護士に債務不存在確認訴訟を起こしてもらったから。」

「何のための訴訟だよ。」

「支払う必要がないことを証明するための訴訟よ。この裁判にかかったお金はきっちり請求させてもらいます。あと、不貞行為による慰謝料もね。」

「は?俺、何もしてねえけど。」

「嘘つきね。私が何も気づいてないと思った?」

「何にだよ。」

「そんなの聞かなくても心当たりあるでしょ。ずっとおかしいと思ってたの。給料が安いからって三万円しか渡せないって言ってたけど、その割には収入に見合ってなかった。ブランドの高いスーツや腕時計をつけたり。」

「そりゃ当たり前だろ。俺は営業マンだ。相手に舐められないように身だしなみはきっちりしないと。」

「お昼ご飯や夜ご飯は私が作るものじゃなくて毎日外食。」

「取引先との付き合いのためには仕方ないんだよ。」

「職場から近いからホテルに泊まるって帰ってこない毎日。」

「早朝から深夜まで会社にいるなら、その方が効率いいだろう。」

「それだけじゃないわ。その頃からちなつとよく出かけるようになったわよね。それまで育児に関してはノータッチだったのに。」

「そりゃ俺だって父親なんだから面倒ぐらい見るだろう。」

「最初はありがたいと思ったわ。でもその頃からちなつが変わった。私のことババアと言ったり、高卒の低学歴と言ったり、私が作ったご飯もろくに食べなくなってしまった。」

「反抗期だろ。気にしすぎなんだよ。」

「あなたもあなたよ。私がちなつに関わることを異常に嫌がったわよね。まるで何かを隠してるみたいだった。」

「は?そんなもの何もないけど。俺の方が懐かれてるから嫉妬してんだろ。俺とちなつは他の親子より仲が良すぎるだけ。」

「それだけだったら、どんなに良かったかしらね。」

「何が言いたい?」

「ここまで言ってまだ認めないの?浮気してたことは?」

「俺が被害妄想もここまで来るとひどいな。お前の思い込みで浮気って決めつけられるなんて。こっちは何も面白くないんだけど。」

「彼女さんの名前、美加さんっていうのね。」

「は?誰それ?」

「一度だけちなつの口から聞いたことがあるわ。その時ちなつははっとして口を抑えたわ。言ってはいけないことを言ってしまったって感じでね。」

「ちなつの妄想の友達の名前だろ。」

「妄想だとしても友達をさん付けで呼ぶかしら。」

「そういう人もいるかもしれないだろう。」

「そうかもね。だからこの疑いを晴らしたかった。ちなつの高校最後の冬休み、二人が出かけた日にこっそり後をつけたの。」

「お前、こそこそと気持ち悪いな。」

「気持ち悪いのは浮気をしたあなたの方でしょ。後をつけたら見たわよ。家族のように三人並んで歩く姿を。」

「ちっ。ああ、そうだよ。彼女に会ってたんだよ。」

「恋人相手に自分の子供を合わせるだけでも最低なのに。」

「こっちが本当の母親と言って私を入れてやらないなら、そこで速攻離婚届を突きつければよかっただろう。」

「信じたかったのよ。それでも二人は私のところに帰ってくるって。でも、私たち、とっくの昔に家族じゃなかったのね。」

「気づくのが遅すぎなんだよ。あれだけ分かりやすく拒絶の態度を示してたのに、いつまでたっても妻と母をやるんだもんな。」

「そうやって私を下げた分、慰謝料を上乗せするわね。」

「何の名目で上乗せするんだよ。」

「長年に渡る浮気、そして私への精神的苦痛。合わせて四百万円請求するわ。」

「四百万円って、お前にその価値があると思ってんのか?」

「私自身の価値の話じゃないわ。気持ちの問題よ。」

「だとしても高すぎんだろ。」

「あら、弁護士さんは五百万円でも足りないくらいだって言ってたわよ。」

「なんだよ、その弁護士。ヤブなんじゃねえの?」

「ヤブって弁護士には使わないからね。ま、そう言われたわけだけど、一応結婚までした仲だから安くしてあげたのよ。」

「いやいや、そこまで言うならゼロ円にしろよ。」

「今はもう家族じゃないから無理よ。」

「俺、実はもう彼女と別れてんな。だからもう少し安くしろ。」

「別れたからって何?浮気した事実は消えないわよ。」

「金なんかねえよ。」

「一括でも分割でもいいからしっかり払ってください。それじゃあ、さようなら、他人さん。」

その後、高明は浮気していたことが会社にもバレ、信用を失い、取引も次々と打ち切られた。専務である父はこれを追求し、高明を懲戒解雇。会社の信用を失ったことによる損害賠償も請求した。父は「これですっきりした」と言っていた。

さらに高明は逮捕されることになる。私の名義を勝手に使用して借金した結果、有印私文書偽造罪という罪に問われた。そして懲役一年の判決を受けることになる。出所後は慰謝料に損害賠償、そして借金を支払う日々を過ごすわけだが、悪徳業者からまたお金を借りたらしく、今は行方が全く分からない。生きているといいのだが。

ちなつはと言うと、生活費を稼ぐためのバイトを見つけて働いているようだ。また大学を受けるつもりらしく、勉強しながら大学費用を貯金していると聞いた。ちなつはようやく気づいてくれたのかもしれない。私が色々やってきたことのありがたみに。

ちなつから手紙も届いた。そこには私への感謝と謝罪の言葉が記されていた。許すには時間がかかると思うが、心を入れ替えて謝罪したという事実は受け止めることにした。私は父が紹介してくれた会社に勤めることになった。これからは自分のために頑張っていく。またいつか、娘と笑って過ごすことを夢見て。

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