夫が「お前との間に子供ができないから」とつい作ったという、相手の女との十歳の息子。義母はその女に一億を遺すと遺言書に書き、私には「どんぐり」をくれた。十五年、寝たきりの義母を介護し続けた私に告げられた言葉は「介護要員としてに決まってるじゃない」。私は夫に離婚を突きつけ、家を出た。でも、私はこのまま黙って終わらせるほどお人好しじゃない。義母に近づき、浮気相手にも偽名で接近し、全ての真実を掴んだ…

夫が「お前との間に子供ができないから」とつい作ったという、相手の女との十歳の息子。義母はその女に一億を遺すと遺言書に書き、私には「どんぐり」をくれた。十五年、寝たきりの義母を介護し続けた私に告げられた言葉は「介護要員としてに決まってるじゃない」。私は夫に離婚を突きつけ、家を出た。でも、私はこのまま黙って終わらせるほどお人好しじゃない。義母に近づき、浮気相手にも偽名で接近し、全ての真実を掴んだ...

「私はもう長くないわ。今までよく世話してくれたわね」

義母の清子は、寝たきりになってから十五年、私に介護をさせてきた。下半身は動かないが、頭はしっかりしていると、いつも澄ました顔で言う。

「お母さん、そんな悲しいこと言わないでください」

「いいえ。いつ何があってもいいように、遺言書を書きたいの。今週中に弁護士を呼んでちょうだい」

「分かりました」

私が即答すると、清子は妙に感心したような顔をした。

「まあ、返事が早いわね。弁護士って言った途端にあっさりと」

「いや、別に意味はないです。言われたことをやるのはいつものことですから」

「もしかして、自分にも遺産のおこぼれがもらえると思った?」

「そんなことは考えていません」

「でもよくあるじゃない。義理の両親の介護をした嫁が多額の遺産をもらって、介護しなかった兄嫁は一円ももらえずに泣き崩れる、みたいなドラマ」

「そうなんですか。私には義兄の嫁もいませんし、おこぼれ目当てで介護してきたわけじゃありませんから」

「本当にそうかしら。好きで一緒になった人のお母様だから、大事にしたかっただけです」

「だからって、十五年も自分の時間を犠牲にして尽くす? 私には絶対に無理だわ。私しかお世話できる人がいなかったからです。それに、自分がお役に立てることが嬉しかったのもあります」

「嘘ね。お金のためだと思ったから、十五年も我慢できたのよ」

「決めつけないでください。というか、突然どうしたんですか?」

清子はため息混じりに窓の外を見た。

「私も色々考える年になったのよ。弁護士が来るまでに考えないとね。うちの土地はどんどん値上がりしてるから、相当な額になるわ。どう思う?」

「別に、ああそうなんだな、としか」

「ふうん。まあいいわ。弁護士と話してどうするか決めましょう。連絡よろしく」

「はい」

「私だって鬼じゃないんだから。世話してくれたあなたへの感謝の気持ちくらい、ちゃんとあるのよ」

「ありがとうございます」

「それなりのお礼はするつもりだから、期待してなさい」

「どうかお構いなく」

数日後、清子は弁護士と話し合い、遺言書を作成した。

「そうですか。お疲れになったでしょう。お茶でもお持ちしましょうか?」

「気にならないの? 自分がいくらもらえるか」

「私には関係のない話だと思っていますので」

「いい心がけね。その心がけに免じて、あなたにも遺産をあげようと思うの」

「え、いいんですか?」

「遠慮することないのよ。あなたは十五年も私の介護をしてきたの。堂々と受け取る権利があるわ」

「お母さん、ありがとうございます。お金じゃなくて、私の働きについてそう言ってくださることが嬉しいです」

「どうやらこの家の土地は、八億くらいで売れそうなの」

「それはすごいですね」

「都内の一等地だもの。今は相場も上がってるからね」

「そういうことは疎くて」

「まあ、私には一人息子しかいないから、本来なら高が全額相続することになるんだけど、遺言書を書いておけば、渡したい人に渡せるのよ」

「そうなんですね」

「で、決めたわ。息子に七億。あとは息子の元彼女に一億。で、嫁のあんたはどんぐり」

「はい。……どんぐり?」

「どんぐりよ。分かる? 木の実」

「木の実だとは分かりますけど、どういうことですか?」

「え、気に入らないの? どこの世界に、どんぐりをもらって喜ぶ四十三歳がいると思います?」

「じゃあ何が欲しいの?」

「私は何かを欲しいとは言っていません。お母さんが渡したいとおっしゃったんです」

「だから、うちの庭の木になるどんぐりよ。立派な遺産じゃないの? 取り放題よ。一粒と言わず、何粒でも持っていきなさい」

「あの、バカにしていますか?」

「何を怒ってんのよ。まさか、十五年間寝たきりの私を介護したから遺産よこせって? そんなこと言ってません。だったら、どんぐりだろうとありがたく受け取ればいいじゃない」

「私のことをからかっていますよね?」

「どこが。真面目に遺産について話をしてるだけじゃない」

「私が問題視しているのは、元彼女に一億というところです」

「ああ、さちちゃんのこと」

「私と夫は結婚して十五年経ちますけど、その前にお付き合いしてた方ですか?」

「ええ、まあ、そうなるわね」

「そんな昔の知り合いに一億もお譲りするなんて、私には理解できない話なんですが」

「息子とは別れたけど、私たち女同士気が合っちゃってね。たまに連絡してたの」

「そんなことがあり得るでしょうか。何を疑ってるの?」

「十五年ですよ。夫とも付き合いがあるんじゃないかと思うのが普通です」

「まさか高とさちちゃんが浮気だなんて」

「はい。私は付き合いとしか言ってませんが。え、本当のことを教えてください。夫は浮気してるんですか?」

「仮にそうだったとしたら、何?」

「ひどい裏切りです。あの人の親だからと思って、介護にも耐えてきました。そんな……」

「いやいやしてたんだったら、もういいわよ」

「え?」

「残りの人生は、さちちゃんに見てもらうわ」

「どういう意味ですか?」

「あんたの言う通り、高とさちちゃんはできてるわ。ただ、慰謝料どうのこうの騒ぎ立てたところで無駄よ。証拠なんかないんだから」

「夫は、いつから……ずっと?」

「あんたと結婚してからも、ずっとよ」

「じゃあ、なぜ私と結婚したんでしょうか?」

「分からないの? 介護要員としてに決まってるじゃない?」

「嘘ですよね」

「私が要介護状態になって、慌てて嫁を探させたのよ。だったら、そのさちさんに介護を頼めばよかったじゃないですか。可愛いさちにおしの世話なんてさせられないじゃない」

「ひどい。ひどすぎます。人を馬鹿にするのもいい加減にしてください」

「うるさいわね。十五年間気づかずに騙されてた、あんたも悪いでしょうが」

そうだ。本当に自分が哀れで情けなくて、吐き気がする。

「今更ごちゃごちゃ言ったって、時間は取り戻せないでしょ。喉が乾いたから飲み物を持ってきて」

「お断りします」

「何だって。あんたの仕事でしょ。やるべきことをやらないなら追い出すわよ」

「今日で出ていきます。どうぞ好きにしてください。高さんとは離婚して出ていきます」

「離婚はいいけど、私はどうなんのよ」

「さちさんという可愛い元彼女にお世話していただいたらどうですか?」

「なんて女なの? 責任感も欠片もありゃしないわね。さっさと出ていけ」

数分後、私は夫に電話をかけた。

「私、あなたと離婚して出ていくことになったわ」

「はあ? いきなり何を言い出すんだ?」

「お母さんから全て聞いた。さちさんとのこと」

「え……」

「十五年も裏切られてたなんて、気づきもしなかった」

「いや、違うんだ」

「三人で私のことを笑ってたの? 何も気づかずに介護だけさせてればいいやって」

「なんていうか、だらだらと……あいつが諦めないから、ずるずると」

「さちさんはおいくつなの? 私たちと年齢は変わらないくらいよね」

「二つ年下だ。隣の県に住んでる。ご結婚はしてない」

「あなたのことを思い続けて、独身でいたのね。もう涙が出ちゃうわ」

「俺は何度も拒絶してたんだ。でも本当にしつこくて、母さんまで味方につけてたから、どうしようもできなかったんだよ」

「言い訳なんて通用しないから、それ以上情けないこと言わないで。私は子供に恵まれなかったけど、あなたがいればいいと思ってた。介護のことも、いつも感謝の言葉をくれて、やりがいすら感じてたのに」

「本当にありがたいと思ってたよ。これからも支えて欲しいんだ。母さんだっていつどうなるか分からない。その時は二人でゆっくり旅行でもしよう」

「お母さんに言われたわ。さちさんには遺産を一億残して、私にはどんぐりですって」

「何だよ、それ」

「私、お金が欲しいわけじゃないけど、どんぐりって人を舐めるにも程があると思わない?」

「わざわざ私に言う必要ある? いいから話を聞いてくれ。今日で帰るから、話し合おう」

「介護要員が消えるとなったら必死ね。でも、もう無理。離婚届は置いていくから、サインして出しといて」

「家族だと思われていなかったことがショックなの。なんで分からないのよ」

「あみ、ごめん。謝るから」

「あみ」

翌日、私は家を出た。清子はさっそくさちに連絡したらしい。すぐに遊びに来てくれたそうだ。

「誰がそんな情報を知りたいと思うんですか?」

「遺産の件も喜んでくれてね。今後の介護も引き受けるって言ってくれたの」

「それは良かったです」

「さちちゃんがこんなに気持ちよく引き受けてくれるなら、もっと早くからこうしてればよかったわ」

「あの、自慢話なら別の人にしていただいてよろしいですか? 私は復讐の準備で忙しいんですが」

「はあ? 何よそれ」

「このまま黙って終わらせられるほど、お人好しじゃありませんので」

「お先短い老人を攻撃しようって言うの?」

「そういう時だけ可愛いお年寄りになるのはやめていただけます?」

「何をする気なのよ」

「怖いですか?」

「別に。ただちょっと気になるだけ」

「何をして差し上げましょうかね。何から始めようか、悩んじゃいます」

「待ちなさいよ。浮気してたのは高でしょ。私は関係ないじゃない」

「知ってて十五年も黙っていたのは同じじゃないんですか?」

「仕方ないでしょ。さちちゃんは特別なんだから」

「どういう意味ですか?」

「別に。まあいいです。全てを白日のもとにさらして、報いを受けさせてやりますから」

「恐ろしいこと言わないでよ。十五年一緒に暮らしていた仲じゃないの?」

「私を恐ろしい人間にしたのは誰か、よく考えてください。では、失礼します」

数日後、探偵の調査結果が届いた。さちという女には、十歳になる男の子がいた。

「それは俺の子じゃないな」

「探偵があなたの写真を見せて、『このおじさん知ってる?』って聞いたら、パパって言ったらしいけど」

「……悪かった」

「認めるのね」

「お前との間に子供ができないと分かって、母さんからうるさく言われて、つい」

「子供って、つい作るものなのね。知らなかったわ」

「俺は一人息子だし、後継ぎも必要だろう」

「そうね。一人も産めなかった私に、あなたを攻めることはできないかもしれない。でも、騙すのは違うわ。子供ができたから別れようって言えばよかったのよ」

「だって、そんなこと言ったら、母親の介護をする人間がいなくなるものね」

「小さな子供を抱えたさちさんにさせるわけにはいかない。そういうことでしょ」

「でも、俺も母さんも朝美には本当に感謝してるんだ」

「どんぐり一個分?」

「その件については、遺言書を書き換えてもらうよう俺から頼むよ。今までの頑張りに対して、いくらか払うから」

「いらない。でも、やっと理解できた」

「何が?」

「お母さんが、他人のさちさんに対して一億もあげるといった意味よ」

「一応、今は別れたとはいえ孫だからな」

「でも、お母さんは自由に動ける体じゃない。一体どこで、どうやって会ってたの? 少なくともうちに来たことはないはずよ」

「窓だよ」

「え?」

「母さんの部屋の窓から入ってたんだ」

「そんな、こそこそと。こんなことがバレて介護要員を失ったらアホらしいからって言ってた。それであなたも協力してたのね。あとは通院のついでに、四人で飯食ったりとか」

「ええ、それはさぞ楽しい時間だったでしょう」

「俺は常に罪悪感を抱えてたんだ」

「今更そんなこと言っても無駄よ。謝罪も言い訳も聞きたくない」

「じゃあ、どうしたらいいんだよ」

「あなたたちの苦しむ顔が見れたら満足。楽しみに待っててね」

「母さんにも復讐とか言ったらしいな。一体何をする気なんだ。おい、朝美。何とか言え」

一週間後、夫のもとに四千五百万円の慰謝料請求書が届いた。

「四千五百万の慰謝料請求って、何の冗談だ?」

「十五年間分の裏切りの代償だけど」

「高すぎるだろ」

「それは主観によるわね。私には安いくらいよ。ちなみに、浮気の慰謝料と財産分与を合計した額だから」

「俺のどこに、これだけの財産があると思ってんだ」

「立派なマンションをお持ちじゃないの。さちさんと子供のために、駅前の素敵なマンションを買ってあげたんでしょ。なんて優しい人なの? 素晴らしいわ。それは六千万もするんですって。私は月に六万しかいただけなかったけど、他のお金はそういうことに使ってたのね」

「なんでお前がそんなこと知ってるんだ?」

「あなたたちの泣き顔を見るために、色々と調べてる最中なの」

「俺が払ってる証拠はないだろ」

「あなたの給料が分かれば、収支が分かるわ。会社に問い合わせてもいいけど、どうされます?」

「そういうことはやめよう。ただ、何のことだか俺は知らないな」

「登記を見る限り、あなたの名義だけど」

「そんなものまで調べたのか」

「公開されてる情報だもの。見て何が悪いの?」

「くそ。マンションの三千万は分かったけど、残りの千五百万は何だ?」

「浮気の慰謝料。一年百万の十五年分。分かりやすい金額にしてあげたわ」

「ふざけんな。法外すぎるだろ」

「私の心の傷は、法的な根拠や過去の判例では測れないの」

「ふざけやがって」

「別に払いたくないなら、それでも構わないわ。でも、その時の私は、いろんな人に構わず泣きついちゃうかも」

「は?」

「あなたのお知り合いとか、ご近所さんとか、会社の方とか」

「やめろ。こんなことが知られたら終わりだ」

「だったら、私の要求は通りそうかしら」

「こんなの脅しだろ?」

「違う。私は弱い人間だから、人に頼らずにはいられないだけ」

「ふざけやがって。仕方ないが、今はこんな金ない。母さんが死んで、俺が相続してからでいいよな」

「初回にしてくれれば」

「分かった。サインするから送れ」

「よろしくお願いいたします」

数日後、私は清子のもとを訪れた。

「お久しぶりです。お母さん。ああ、もう母とは呼べませんでしたね。清子さん」

「あんた、随分と図太くなったじゃない。私に逆らえない無能な介護婦だったくせに」

「足が動かずストレスを抱える方に寄り添って、暴言も我慢してきましたが、今思えば間違いでした。もっと言い返しておけばよかったと後悔してますよ」

「で、今更何のようなの?」

「さちさんとはうまくやってるんですか?」

「そんなこと、あなたに関係ないじゃない」

「もし毎日が幸せだったら、そちらから自慢の連絡をしてくるくらい腐った性格をなさってるのに、LINE一つないから、もしかしてと思いまして」

「はあ?」

「一日二日顔を出したっきり、来てくださらないんですって?」

「そんなことないわ。しょっちゅう顔出してくれるわよ」

「トイレの介助の時に間に合わず、粗相をしてしまったんですよね。その際にさちさんから露骨に嫌な顔をされてから、会ってないんじゃないですか」

「なんであんたが知ってんのよ。ご本人から聞いたの?」

「はい。元嫁とは名乗っていませんが、実母の介護に苦労した独身女性という設定で接近しました。現在では、何でも私に相談してくるくらいの仲ではあります」

「身分を隠して会うなんて、汚いことをするんじゃないわよ」

「汚れ具合に関しては、あなたに負けていません」

「私のことを他人だと思ってるせいか、まあ何でもかんでも話してくれるんですよ」

「あなたが高の妻だって気づかれなかったの?」

「夫やあなたが徹底して私と彼女を遠ざけてくれていたおかげです。まさか浮気相手を合わせる人なんていませんし、私が偽名を使っていたせいもありますが」

「だからって、それを利用して近づくなんて」

「さちさんの本音、知りたいですか?」

「何て言ってた?」

「『無駄に長生きするゴミは』」

「何の話?」

「あなたのことですよ、清子さん」

「嘘よ。さちちゃんがそんなこと」

「粗相をした後の床を拭いてる時に思ったそうです。『金のために我慢しないといけないから、怒られない程度に顔だけ出そう。あとはヘルパーに丸投げすればいい』って」

「違うでしょ。子供の習い事で忙しかったり、お友達が経営してるカフェをお手伝いしてて忙しいだけなのよ」

「嘘ですね。習い事なんてさせてませんし、パートも十時から十四時の四時間だけです。お孫さんも、あなたのことなんて何とも思ってません。むしろ、おばあちゃんの部屋は臭いから行きたくないと言ってるそうです」

「嘘でしょ? 毎回お小遣いあげてんのに」

「あら、どんぐりじゃないんですか? 私より待遇が良くて羨ましいです」

「あなた、うちで働かない? 今度は私を金で雇おうと思ってるんですね。お話だけ聞きましょう。時給はおいくらで使っていただけます?」

「千二百円でどう?」

「冗談やめましょうか? 都内の介護士の時給は、最低でも千四百円を超えてます」

「じゃあ、同じ額払うわ」

「無理ですね。あなたの相手をするのは気が滅入りますから。時給二万はいただかないと」

「そんな介護師がどこにいるのよ。ふざけるな」

「私は介護師じゃありませんよ。ただただ家族のためにと、汚れが疲れていようが必死に介護してきた。ただの主婦であり、一人の女でした」

「もういい。あんたに頼んだ私がバカだったわ」

「良かったです。私も家を追い出されてから、仕事について忙しくしてるので、どちらにしろ無理でしたし」

「じゃあ、なんで聞いたのよ」

「今からさちさんとご飯の約束なので、失礼しますね」

「え、会うの? うちにも顔出すように伝えてくれない?」

「それはできません。私が元嫁だとバレてしまいますから。では」

翌日、私はさちと回転寿司屋で会っていた。

「朝美さん、昨日はご馳走さまでした。回転寿司も息子も大喜びでしたし、いつも本当にありがとうございます」

「気にしないで。たまたま偶然会ってから、本当に良くしていただいて、感謝してるんです。介護の実態も聞けて、私には本当に無理だって分かりました。目掛けとはいえ、一人で子供を育ててるんだもの。私でよかったら、息抜きくらい付き合うわよ」

「出掛けって……私、そんなこと言いましたっけ?」

「言わなくても、あなたのことならある程度知ってるわ」

「さすが朝美さん。私との会話からそこまで想像できちゃうなんて、すごいです」

「そうじゃないのよ。夫を奪われた立場だから知ってるの」

「え?」

「あら、ごめんなさい。お礼がまだだったわね。高が十五年もお世話になったみたいで、本当にありがとうございました」

「朝美さん?」

「私が義母の下の世話をしている間、あなたは買ってもらった綺麗なマンションで可愛い子供と、たまに来てくれる高と、美味しいとこ取りしてたのよね。ああ、羨ましいわ」

「嘘でしょ? あなたが高の奥さんだった人?」

「申し遅れました。高の元で介護要員をしていた朝美です。これからもよろしくね」

「冗談じゃないわよ。人を騙すなんてありえない」

「十五年も私を騙してたあなたが言う?」

「あんたが元妻だって知ってたら、話もしなかったわよ」

「聞いてもない愚痴をぺらぺらと話してたのはそっちよ。私もおしゃべりな方だから、つい清子さんに全部喋っちゃった。へえ、随分ショック受けてたし。プライドの高い方だから、怒ってると思うわ。遺産一億の話はなくなっちゃうかも」

「あんたね。私から奪ったんだから、責任持って介護でも何でもやりなさいよ」

「な、何なの? 追い出されたからって、復讐でもしてるつもり?」

「つもりなんかじゃない。きっちりと罰を下してやる。十五年分の恨みを舐めるな」

「私には子供がいるのよ。何度もあったでしょ。可愛いって言ってくれたじゃない。何かあれば、あの子が傷つくわ」

「一億もらえなくても、子供は傷つかないわ。あなたが絶望するだけで終わり。教育費だって、もうお金もらってるんでしょ? その上家賃もいらない生活してるくせに、何言ってるの? 余計なことを言ってないで、子供の教育費を稼ぎなさい」

「うるさい。説教臭い」

「頼りになる、いいお姉さんみたいってすり寄ってきたさちさんはどこ? あんたなんて、ただの愚痴吐き相手よ。声だめと同じだわ」

「あら、公営。あなたの声だめになれて嬉しい」

「お願い。私が言った悪口は、お母さんに言わないで」

「お断りするわ。全部録音してあるから、送り付けてあげる」

「だめ。絶対にやめて。お願いします」

数日後、清子から連絡が来た。土地の価格について話がある、と。

「土地の価格ですが、八億もなさそうですね」

「いきなり金の話なんて、何なのよ。あんたのせいで、うちはめちゃくちゃだわ」

「どうされました?」

「さちちゃんに私の悪口を言ってたのかって問い詰めたら、電話にも出なくなった。孫にもしばらく会ってないわ」

「そうですか」

「イライラして介護師に当たり散らしていたら、次々に交代して、うちに来れる人がいなくなったのよ。それから息子も朝早く出て夜遅く帰ってくるから、話し合いもないわ」

「うん、うん」

「トイレにはさすがに一人では行けないから、おむつが不快で仕方ないの」

「まあ、大変」

「あんたね、こっちは真面目に話してんのよ」

「私も真面目に応じてますが。で、土地がどうしたって。うちのことなんだから、出てったあんたには無関係でしょ」

「それが関係あるんですよ」

「さちさんから慰謝料は、お母さんの遺産で支払われるので」

「は? 何それ? 聞いてないわよ」

「一億を楽しみにしつつ、できるだけ近づかないようにしてる悪どい女もいますしね。清子さんの周りには、早く消えて欲しいと願ってる人が二人もいるんです。なんて寂しい老後なんでしょう」

「茶化すんじゃない。それより土地の話をしなさい」

「あなたが自慢してた都内一等地の八億の土地の件ですが、固定資産税台帳で評価額を見せてもらったところ、評価額は二億八千五百万円でした」

「え、そんなはずはないわ。前に聞いた時は八億って言われたもの」

「それ、いつ頃の話ですか? 十二年くらい前だったかしら。でも、固定資産税台帳は税金の話でしょ」

「十二年あれば変わりますよ。固定資産税評価額って、時価の七割くらいだから、一・四倍にしても、約三億九千九百万円ですね」

「なんでそんなに下がってるの?」

「あの頃は都市開発の計画が確かにあったそうですが、頓挫しています。それから数年前の大雨で浸水した地域が多くありましたよね。そんな土地を買って家を建てようなんて人は、そうそういません」

「そんなの知らないわよ。評価額も知らずに八億だなんて、大風呂敷を広げて、蓋を開けてみれば半額以下ですって」

「うるさいわね。別に四億だって、息子に残せれば十分だわ」

「どう計算したらそんなに残るんですか? 相続税払ったって、三億近くは残るでしょ」

「抵当権が設定されてますよね」

「え?」

「家と土地を抵当に入れて、三億ほど借金を重ねてるようですが」

「私、そんなことしてないわ」

「でも、債権額三億二千万と記載されています。抵当権者は怪しさファイナンスってなってますけど」

「私は三千万しか借りてない」

「そうなんですか。でも登記では三億の抵当権がついてますよ。おそらく、高額な極度額が設定されたんです。確かに借りたのは三千万かもしれませんが、年利を高く設定したり、遅延損害金や手数料を足せば、あっという間に膨れ上がります。おそらく三億までの抵当権を設定すると契約書のどこかにあったはずです」

「そんなもの見てないわよ」

「となると、遺産はほぼ残りませんね」

「嘘でしょ? そんなことになったら、誰も私に見向きもしなくなるわ」

「悲しい関係ですね。そう考えたら、あなたは違ったわね。何の期待もせずに、ひたすら私たちに尽くしてくれたわ」

「はい」

「人生、遅すぎるってことはないわよね。私は今、やっと過ちに気づいたの。また戻ってきてくれないかしら。今後は感謝を伝えるわ。遺産は残せないかもしれないけど、残りの人生、あなたと仲良く過ごしたい。清子さん、本当にひどいことを言ったわ。どんぐり一個なんて、馬鹿にするにも程があるわよね。目を見て謝りたい。私のできる限りの謝罪をさせてほしい」

「分かりました。お伺いします」

「え、本当にいいの?」

「どうしてもお渡ししたいものがあるんです」

「こんな私にプレゼントだなんて。あなた、どれだけお人好しなのよ」

「遠慮なく受け取ってください」

「どんぐり百個お持ちしますので」

その後、遺産が残らないと知った途端、さちは姿を見せなくなり、高は家を出たそうだ。老いた母といずれ銀行に売られる家には、興味も価値もないと言わんばかりに。人の醜さを目の当たりにした。

清子は年金で入居できる程度の特別養護老人ホームに入居が決まった。退屈な毎日の成果、私に連絡ばかりしてくるので、ついにブロックした。

高が請求した四千五百万は、本来ならもっと減額できたはずだが、少しは申し訳ないと思っているのか、分割で支払うと書面でサインしてくれた。一方さちの方は支払いを拒否したので裁判を起こし、最後は給与差し押さえまで徹底してやろうと思う。接近して聞き出した情報によると、実家は会社を経営しているらしく、しょっちゅう生活費や小遣いをもらっていると言っていたので、私の慰謝料請求が子供に影響することはないだろう。

さちと高は破局し、養育費だけを支払う関係になったと聞いた。案の定、高から数回復縁要請がありましたが、全力で拒否している。

全てを失ったように思い絶望し、復讐に燃えた私だが、今となっては一歩進むためのプロセスだったと思う。介護の資格を取り、今は高級老人ホームと言われる場所で働いている。皆さん品が良く常識的で、感謝してくださるし、非常に働きやすい環境だ。

第二の人生は、誰かのためじゃなく、私のために生きてみる。

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