家に帰ると電気が消えていて、静まり返っていた。スマホで義母に連絡すると、すぐに返事が来た。
「家族で温泉旅行中よ」
「え、また置いてけぼりですか? 」
「まさか嫁の分際で連れて行ってもらえると思ったの? 」
これまでも嫁抜き寿司、嫁抜き焼肉はあった。しかし嫁抜き温泉は初めてだ。
「今度は嫁抜きハワイも計画してるのよ」
「温泉いいなあ。私も行きたかったです」
「どっちみち無理でしょ。土曜日だってのに仕事してるような人は誘えないわ」
「予定を聞いていただければ調整できましたけど」
「女のくせに仕事ばっかりしちゃって。そのうち髭でも生えてくるんじゃないの? 」
「お母さんこそ、頭から角が生えてないのが不思議です」
「誰が鬼よ」
「私は何も言ってませんが」
「夫と息子と娘と四人で楽しんでるんだから邪魔しないで」
お姉さんまで誘われていたらしい。離婚して出戻った娘。血の繋がった家族。私はいつだって輪の外だ。
「わかりました。私はそうめんでも食べて寝ます」
「私たちはご馳走いただいたわ。写真見る?

」
「イライラが倍増するので結構です。失礼します」
通話を切って数分後、夫の広道から電話がかかってきた。
「よく平気で温泉に行けるね。私のことは気にならないわけ? 」
「ああ、ごめん。よく飲みに温泉に使ってられるね」
「こういうことは過去にもあったけど、俺と離婚しないってことは、あまり気にしてないのかなと思ってた」
「はあ。我慢してるだけなんだけど」
「でも嫁は家族じゃないんだから仕方ないよな」
「完全に洗脳されてるじゃん」
「大体優香はわがまますぎるんだよ。俺の実家で家賃なしで暮らせてるのに偉そうだし、母さんに言い返すし」
「ちょっと待って。オタクの実家のローンを払ってるのは私たち夫婦よ。助かってるのはお母さんたちだよね。本来なら二件分払わないといけないのを一件分で住んでるんだぞ。少しは感謝しろよ」
「は? 私たちがローンを全額負担する理由なんてないはずよ。何が何でも同居してほしいって言ったのは自分でしょ」
「それは二人で決めたことだろう。ローンを完済して、その間に貯金して一軒家を建てようって計画だったのに、どうして全部押し付けられてんのよ」
「仕方ないじゃん。親の面倒も見ないといけないし。そのために共働きしてるんだから」
「親の介護に関しては異論はないわ。世話だけすればいい。でも毎回私だけ外されるのはなぜかって聞いてんの」
「なんでだろうね。わかんないや」
「じゃあ教えてあげるわ。気に入らない人間は輪の中から追い出せばいいという外道主義者ばかりの家族だからよ」
「今のはひどくないか? 俺の家族の根性が腐ってるとか言いすぎだろ」
「誰もそこまで言ってないんだけど」
「そういう考えだからどこにも連れて行ってもらえないんだぞ。少しは自分のことも振り返ったらどうだ?
」
「あなたには分からないでしょうね。家で一人留守番する人間の気持ちなんて分かるわけないだろう」
「今後はお前も態度を改めろ。もっと母さんや父さんに可愛がってもらえるような嫁になれ」
「私は嘘はつけない。間違ってることは指摘したいし、楽しくないのに笑いたくもない」
「じゃあ一生留守番してろ」
「結局、輪の中には入れてくれないんだね」
「お前次第だ」
数日後、私は長期出張に出ることになった。義母に伝えると、嫌味の応酬が始まった。
「家事を押し付けて。自分はのんびり九州旅行だなんて」
「仕事です」
「でも美味しいもの食べられるじゃない。羨ましいわ」
「先日温泉で堪能されたんじゃないですか? ご希望があればお土産を買ってきますけど」
「別にいらない。ついでにあんた抜きで九州旅行すればいいんだし」
「お母さん、私が嫁でいる意味ってあります? 」
「あるわ。家事要員でしょ。それと生活費も入れてもらわないと困るわね」
「それって私じゃなくてもいいですよね」
「そんなに嫌なら出てけば」
「それはね、やっぱり出ていくのは嫌なのよね。私知ってるのよ。あんたって幼少期、施設にいたんですって」
その言葉に、私は一瞬言葉を失った。確かに二歳くらいの頃、母が亡くなって、施設に預けられた。それから二年ほどして親戚に引き取られた。それは事実だが、誰にも話したことはなかった。
「別に隠すことではありませんが、どうして知ってるんですか? あえて言うことでもないと思って、夫にも話してないのに」
「結婚前に興信所使って調べたの」
「なぜそんなこと?
」
「金にがめついギャンブル好きな父親がいたりしたら困るじゃない。でもあんたは天涯孤独のみだった。だから結婚を許可したのよ」
「そうだったんですね。確かに私は幼少期から母が外で遊び回っていて、家で一人留守番することが多かったです。だからお母さんたちがいて賑やかな家庭は嬉しかったのもあります」
「でしょ。だからどんなに冷たくしたって出ていこうとしないのね。あんたはなんだかんだ言って家族に植えてるのよ。輪の中に入れなくても家族の愛を求めてしまう寂しい人間なのよ」
「そうかもしれませんね。帰る家があるというだけで安心できる部分はあります」
「私に言い返してくるのだって、反抗期に親に八つ当たりできなかったことを今取り返そうとしてるだけなんじゃないの? 」
「そんなつもりはなかったんですが、そうなのかもしれません」
「でもね、残念だけどあんたは先もずっと孤独なまんまよ。血のつがりのない人間に愛情は注げないの」
「はい。身にしみて分かりました」
「だったら私たちの笑顔を少しでも増やせるように働きなさい」
一ヶ月後、出張から戻ると、家がなかった。更地になっていた。
「あの、家がないんですが」
「あら、帰ってきたの? あんたの出張中に家は更地にしたから、帰る場所ないわよ」
「全く状況が掴めません。引っ越したってことですか? 」
「それ以外にある?
まさかの嫁抜き引っ越しとは驚いたでしょう」
「急に更地になんてできませんよね。もしかして前から計画してました? 」
「まあ古くなってたからね」
「夫はこの土地には愛着があるって言ってたのに。しかもローン残ってますよね」
「あんたが心配することじゃないわよ。それで、どこに引っ越したんですか? 」
「なんで聞くの? 」
「逆になんで教えてくれないんですか?
」
「教えるには条件があるわ。住所知りたきゃ、ローン全額払うと誓約書にサインしなさい」
「まさか家を買ったんですか? 」
「そうよ。新築だって。二年前から計画してて、やっと完成したのよ」
「何も聞いてないんですけど」
「言う必要がないから黙ってただけ。あんたの施設育ちの件も同じでしょ」
「私のは過去のことです。今回は違いますよね。私の生活にも関わることですよ」
「うるさいわね。ローンは払うの払わないの? 」
「なぜ私が立てた覚えのない家のローンを払わないといけないんですか? 」
「新築よ」
「だとしてもです。絶対に払いません」
「今まで払ってくれてたじゃない」
「流れでそうなっていただけで、納得していたわけじゃありませんよ。今回に関してはさらに納得がいかないので、一円も出したくないです」
「ちょっと待ってよ。そうなると話が変わってくるわ。あなたがローンを払うと思ったから奮発したのに」
「建築することも知らず、内装も外装も口を出せない家に出すお金は一円もありません。では、失礼します」
「待って。一度会って話しましょう。優香さん」
一時間後、喫茶店で夫と義母と会うことになった。
「出張お疲れ。更地になっててびっくりしただろう」
「うん」
「君を驚かせたくて、父さんや母さんと考えたサプライズなんだ。素敵な新築が立ったぞ。早く見に来いよ」
「契約書にサインしないと住所教えてもらえないらしいけど」
「それは母さんの冗談だって。当然一緒に住むつもりに決まってるじゃないか」
「ふーん。私の荷物はどうしたの?
」
「えっと、それはある程度勝手に処分させてもらった」
「は? なんで? 」
「新しい家に古いものって似合わないって母さんが」
「じゃあ自分たちの荷物も全て捨てたってこと? 」
「それはある程度運んだけど」
「おかしくない?
なんで私のだけが古いものと認定されるのよ」
「まあ、そこら辺は母さんの決定というか」
「そんな母さんも止められないのね」
「ごめん」
「夫婦でいる意味なんてないわ。新しい家で家族四人で楽しく暮らして」
「いや、待ってよ」
「さようなら」
「優香、違うんだってば。家を見たら気に入るから来てくれよ」
数日後、今度は義母から電話がかかってきた。
「息子から聞いたでしょ。本当にサプライズのつもりだったのよ」
「親子揃って必死ですね。何をそんなに焦ってるんですか? 」
「何が? 」
「ローンを払う人間が新築に食いつかないのがそんなに予想外ですか? 」
「そんな下心はないわよ。今まで仲間外れみたいにしてきたけど、今度からは新しい家で本当の家族としてやり直したいと思ってるの。本当よ」
「はいハンドル切りましたね。ローンを払わせるための芝居にしか見えません」
「違うわ。その証拠にあなたの部屋だって用意したんだから」
「一体どんな家を立てたんです?
」
「それはもう真っ白な豪邸って感じね。猫足の家具で統一してみた」
「真っ白な外観に猫足ですか。昭和の茶箪笥と茶の間から、真っ白に猫足ですか? 」
「あなたもきっと気に入るわよ。これから仲良く暮らしましょう」
「お断りします」
「は? 」
「ローン払うって言わないと住所教えてもらえないんですよね。結構です。払わないし、知りたくもありません。荷物は惜しいですが、幸い出張先に大事なものは持っていってたので諦めます」
「ちょっと待ちなさい。違うでしょ。一緒に住みたいんじゃないの? 」
「いえ」
「家族の愛に飢えてるのよね」
「いえ、全然。あなたがそんな風に言ってたじゃない。その方がお母さんが喜ぶかなと思って、ノリを合わせてみただけです」
「嘘つけ。施設育ちが強がるんじゃないわよ」
「言っちゃいますけど、二年間の施設は普通に楽しかったんですよね。職員の先生方も優しかったし、友達にも恵まれて、今でも仲良くしてますし。それからは亡くなった母の姉が引き取ってくれましたが、いびられて辛い生活でしたなんてこともなく、普通に幸せでしたし。施設イコール不幸って決めつけるのをやめてくれませんか」
「だって親がいなくて幸せなわけないでしょ」
「いない方がいい親もいますよ。私の場合、いつも家に一人でほったらかしにされてて、食べるのにも困ってたんで、母が亡くなって十二歳で施設が決まった時はラッキーって思いましたもん」
「ありえないわ」
「これ本当です。強がりとかじゃなくて、ご飯食べられるって純粋に嬉しくって」
「嘘よ。あんた辛そうな思い出みたいに語ってたじゃない」
「あれは演技ですね。辛そうにしていたら、嬉しそうに仲間から外すでしょう。まさかの嫁抜き引っ越しまでやるとは思ってませんでしたけど」
「今まであなた抜きで外食してたのも、何とも思ってなかったってこと?
」
「そりゃ最初の頃は少し応えましたよ。でも何を言っても無駄だと分かってからは、一人で近くのスペインバルでワイン飲んでました。今思えばあれが最高の時間でしたね」
「そんな家で悔し涙流してお茶漬けでも食べてるかと思ったのに」
「あれだけ私を排除しておいて、今更ローン要因として協力しろだなんて都合が良すぎるとは思わないんですか? 」
「思うから謝ってるんでしょ」
「え、どこで謝ってます? 見返しても見当たらないんですが」
「ごめんなさい。ほら、ちゃんと言ったわよ」
「私はすっかり夫への愛も覚めましたし、あなた方には情も残ってません」
「そんなこと言わないで。じゃあローンは誰が払うのよ」
「息子さんとパートのお姉様。あとはお母さんとお父さんで。四人も働き手がいるじゃないですか。余裕ですね」
「無理よ。新築だけで月々の支払いが二十五万くらいになりそうなの」
「はあ。どんだけの豪邸を立てたんです」
「実は元々あった家と土地を三億で買い取ると言われてね」
「誰に? 」
「家に営業に来た不動産業者」
「怪しい」
「新しい家を建てる土地も探してくれるって言うから、言われるがままに買ったんだけど、秘な場所でね」
「どこなんですか?
」
「隣町の劇場八丁目」
「うわ、ハザードマップ的にも絶対にお勧めしないところだ」
「そうなの? 」
「私、不動産営業やってるからある程度詳しいですが、浸水の可能性があったり、地盤が弱かったりで人気のない地域ですよ」
「嘘。でも元の家の引き渡しも新築が完成してからでいいですよとか、融通を聞かせてくれる優しい方だったのよ」
「その意図は分かりませんが、実際に三億は払われたんですか? 」
「それが騙されたんですね。連絡が取れなくなったの」
「騙されてますよ」
「息子が前の家の登記を見たら、もううちの土地じゃなくなってるし、新しい家のローンと古い家のローンが残った状態なの」
「それは大変ですね」
「警察にも相談するけど、初回の支払いが迫ってるから助けてほしいのよ」
「お断りします」
「なんでよ」
「もう離婚するからです」
「こんな状態の私たちを見捨てる気? 」
「お忘れですか?
私一人を見捨てて肉や魚や温泉を堪能したのは誰でしたっけ? 」
「反省してるって言ってるじゃない」
「それにあんたは何とも思わなかったって言ったわよね。無理やりそう切り替えただけですよ。あんなことされて誰が嬉しいと思います? 」
「だって今まであんたが受け入れてたから、ローンも払うだろうって」
「冗談じゃありませんよ。人をなめるのもいい加減にしてください」
「優香さん、お願いします。助けて」
「私は一人で生きていきます」
電話を切ると、義母の叫び声が聞こえた気がした。
「私、自由だ」
一ヶ月後、会社で驚くべき光景を目にした。うちのオフィスのトイレを、義母が掃除しているのだ。
「何の冗談ですか? 」
「何が?
」
「なぜうちのオフィスのトイレ掃除をお母さんがやってるんですか? 」
「仕方ないじゃない。働くしかないんだから」
「他にも山ほど会社はあるのになぜうちなのかと聞いてるんです」
「別に深い意味はないわよ」
さらに、午前中に配達に来た宅配便の男性は、どう見ても義父だった。行きつけの定食屋では、義姉が働いていた。
「なんで私の周りに集まってくるんですか? 」
「たまたまよ」
「何が目的です? 」
「ローンを払うために頑張って働いてるだけじゃないの?
」
「だったらいいんですが」
「日本は狭いんだもん。たまたま職場が同じになることだってあるわ」
「ないでしょ」
「広道も給料のいいところに転職しようと頑張ってるのよ。それはいいことですが、離婚にはまだ応じてくれないようです。それだけあなたのことを愛してるってことじゃない。羨ましいわ」
「今更ご機嫌とっても無駄ですよ」
「そんなつもりはないけど」
「では今後無用な接触は控えてください」
数日後、同僚から衝撃の話を聞かされた。
「お母さん、これが目的だったんですか? 」
「何の話かしら? 」
「職場の人に私の悪い噂というか、嘘ばかり吹き込んでますね。同僚が言ってたんです。宅配便のおじさんと定食屋のおばさんと掃除のおばさんから同じ話を聞いたって。義家族の財産を根こそぎ奪って離婚しようとしてる極悪女だなんて」
「何をどうしたらそんな嘘がつけるんですか? 」
「噂話は勝手に広がっちゃうから」
「私はあなた方から一円ももらってませんよね」
「ローンを払わないということが泥棒したのと同じことよ」
「やっぱり復讐する目的でわざと近づいたんじゃないですか」
「それの何が悪いの?
私たちを裏切った女には徹底して復讐するし、地獄に落ちてもらうわ」
「私が何をしました? あなたたちに仲間外れにされて、離婚を決意しただけですよ。ローンを断ったのは、相談もなく新築を立てて、しかも二重ローンだなんて無茶なことするからでしょう」
「それでも家族を裏切ったのは事実」
「あなたの口から家族なんて言葉が出てくるんですね。私のことを家族だと思ったことなんて一度もないくせに」
「他人は他人。それは事実よ」
「あなた方がこうやって邪魔をするなら、私は異動願いを出してこの町を離れます。そうなれば行き先は分からなくなるし、追いかけて来れませんよね」
「それは困るけど」
「入社すればその心配はいらないわね。先日、あんたの会社の中途採用の面接を受けたから」
「うち、それ本当ですか? 」
「うん。不動産経験もないのに営業じゃなくても仕事はあるでしょ。長いこと総務畑でやってきた経験を買われて、受かったらしいわ。採用になったわよ。同僚として仲良くしてあげてね」
「ここまでするなんてありえない」
「一生そばにいてあげる。だって家族だもの」
数日後、夫の広道が同じ会社に入社してきた。
「おお、今後は同僚としてよろしくな」
「あんたら家族どうかしてる」
「たまたま職場が同じなだけだろ」
「そんなわけないよね。狙ってないと異業種に転職なんかしないでしょ」
「不動産関係も前から興味あったんだ。事務的に君たち営業をサポートできるよう精一杯頑張るよ」
「やりづらい。廊下を歩けばお母さんが掃除してて、宅配業者の格好したお父さんが出入りして、行きつけだった定食屋にはお姉さんがいるのよ。その上あんたまで。なんか家族が集まったって感じだな」
「寂しくなったらいつだって戻ってきていいんだぞ」
「もしかしてそういう計画? あなたたちに会ってるうちに恋しくなるとでも思った?
」
「可能性としてはあるよな」
「ないね。そんなことより離婚に応じてよ。このままじゃ裁判になるよ。俺は別れたくない。ずっと一緒にいたいんだ」
「嫁抜きイベントを楽しんでた人が言ってるとは思えない」
「せっかくの新築も君がいないと何も意味がないんだよ」
「そういえばローンは払えてるの? 元の家が十万だったから、合わせて三十五万だよね。かなり厳しいと思うんだけど」
「家族で力を合わせて借金をして払った」
「力を合わせるポイントがずれてるし、借金増やしただけじゃん」
「新築の方は売ろうとしてるが全く売れない。どうやら土地が悪いらしい」
「私に相談してくれてたら、絶対にあんな場所には立てさせなかったのに。その前に詐欺不動産を見抜いてたけど」
「そう。お前がいないと俺ら家族はダメだってことが証明されたんだ」
「今更言い繕ったって遅いのよ。早く離婚に応じて」
「俺はお前の評判を落とすなんてことをやりたくないんだよ」
「やっぱりその目的で入社してんじゃん」
「お前のブスな顔とか恥ずかしい写真とか、偶然廊下で落としたらと思うとドキドキして仕事も手につかない」
「はあ。そんな低劣なことをする気だったの? 」
「俺ってうっかり野郎だからさ」
「そこまでして私に戻ってきてほしいのね」
「え、そうだけど」
「いいのか? 」
「いいよ」
「本当に?
」
「うん」
「やった。ローンはそのことも全員で話し合いましょう」
「言うか。ありがとう。やっぱりお前は優しい女だ。俺たちを見捨てるはずはないと俺は信じてたよ」
「明日には行くわ。後で住所教えて」
一週間後、私は新しい家に戻った。だが、二時間足らずで立ち去った。
「戻ってくるって言ったのは嘘だったの? 」
「戻ったじゃないですか。たったの二時間弱じゃない。しかもあれは単なる離婚の話し合いでしょ」
「話し合いをしに戻るという意味でした。言葉が足らずすみません。しかし立派なのに残念な家ですね」
「何がよ」
「猫足の高そうな家具に濡れっぱなしのバスタオルがかかってて、インテリアも何もあったもんじゃありません。あれはたまたまお父さんが風呂上がりだっただけ。立派なゴミ箱があるのに家中ゴミだらけだし、買う意味ありました? 」
「だから綺麗好きなあなたと一緒に暮らしたいの。戻ってきてくれると思ったから、私たちは仕事をやめたのよ」
「あら、もったいない。ただ嫌がらせ目的で就職してすぐにやめるような人は、もう二度と採用されないでしょうから。他の職場をお探しください」
「あんた、まさかこれが目的だったの? 」
「いえいえ。まさかすぐにやめるような無責任なことをするなんて思ってもみませんでしたけど、私の想像の何倍も無責任で驚いてます」
「息子も入社後一週間で退職なんて、履歴書に傷がついたわ」
「あれは退職じゃなくて解雇です。私の評判を落とす目的での入社は倫理的に許されません。しかも私たちの関係をあえて伏せているのも、上司の心証を悪くしました。試用期間内ということもあり、やめてもらうことになったそうです」
「お姉さんも、お客さん捕まえては見知らぬ女の悪口ばかり言ってるからって、不気味がられて首になったらしいじゃないですか」
「そうだけど」
「お父さんも、配達するふりして荷物を何個か捨ててたことがバレて首になったんですよね。新しい配達員さんからそう聞きました」
「なんで私の家族はアホばっかなのよ」
「問題なのはお母さんでした。仕事はきっちりこなすし、噂を流しただけじゃ解雇は厳しかったので、やめていて助かりましたよ。これで仕事がしやすくなりました」
「ふざけるな」
「弁護士も言ってましたが、私の私物を処分した件で、改めて内容証明を送りますね。私物の処分は違法です。損害賠償請求します」
「ちょっと待ってよ」
「あとは名誉毀損ですね。ありもしないことばかり言いふらされて、かなり精神的に来ました。がっつり慰謝料請求させていただきます」
「嘘よね」
「そもそも私は連帯保証人でもないし、ローンの支払いを強要される立場にいません。これ以上言うなら警察に相談しますので覚悟してください」
「え、えっと、あと何があったかな。ああ、離婚に関してはもう調停を申し立てることになりましたので、広道さんにそうお伝えください」
「自分で言いなさいよ」
「私の恥ずかしい写真を会社の廊下にわざと落として歩くような人とは、二度と話したくないので」
「あの子そんなことしたの?
」
「こちらも訴えるので、合わせてお伝えいただけると幸いです」
「そんな。私たちはどうしたらいいのよ」
「詐欺師は捕まらないし、二重生活なんて無理。真っ白な豪邸を売ったらどうですか? 」
「当然売りに出してるに決まってるでしょう。外観が時代遅れだとか土地が悪いだとかで、全く売れないのよ」
「じゃあ売り値を下げるしかないですね」
「そんなことしたらマイナスになっちゃうわ」
「それでも三十五万払い続けるよりはマシです。昭和の家が嫌で真っ白な家がやっと手に入ったのに」
「真っ黒な人たちが真っ白な家に住むなんて、何の皮肉ですか? 気に入らない人間は省いて、そいつが反論したら職場に押しかけて潰すなんて、真っ黒以外の何者でもないでしょう。ああ、ちなみに黒は三百色あるらしいですよ」
「どうでもいいわ」
「置いてけぼりで一人になるくらいなら、最初から一人の方が気楽です。だって次は誘われるかなって期待しなくていいじゃないですか」
「あんた、もしかして本当に一緒に行きたかったの? 」
「憧れってやつでしょうか。子供の頃家族で外食や旅行なんてしたことないですし、どんな感じなんだろうなと想像したことはありますよ。結果叶いませんでしたけど」
「ごめんなさい」
「謝るくらいならしないでください」
「悪かったと思ってる。今度よかったら一緒に焼肉行かない?
」
「お会計させられそうなので全力で断ります」
その後、私は義家族全員を名誉毀損で訴え、総額三百万の慰謝料を請求した。義母に対しては、私物を捨てた件で器物損壊で被害届も出した。広道との離婚は調停に持ち込まれたが、弁護士曰く「寝てても勝てる」という通りになった。
義父は六十を過ぎて漁船に乗ることになり、義姉は地味なバイトばかりに応募してるとか。広道は高所恐怖症なのに、ビルの窓ガラスを清掃する会社に就職したそうだ。大丈夫なのかな。
義母は「ここまで来たら絶対に家は売らない」と覚悟を決め、近くのスナックで無理を言って雇ってもらっているそうだが、客足が減ったとかで首になり、面接を受けまくっているとか。
数ヶ月後に地震があり、地盤が液状化して、家が傾いたらしい。保険に入っていなかったので、もう終了だ。正直、後はどうなろうと知ったことではない。
私は相変わらず忙しく、全国を飛び回っている。こんな自分でも、まだ温かい家庭への憧れは捨てきれない。いつか、一緒に旅行に行ける素敵な家族ができますように。