「みーちゃん、ごめん。今日も仕事が遅くなりそうでさ。俺の分の飯は用意しなくていいから」妊娠八か月の私は、その電話を切ったあと、しばらく画面を見つめていた。何かが引っかかる。うまく言えない違和感。急な外泊が増えたこと、そして——私のあだ名を呼ぶ声が、誰か別の人を呼んでいるように聞こえたこと。「だめね、きっと考えすぎだわ」そう思おうとしたけど、兄に相談したら「その勘は、見て見ぬ振りしない方がいい…

「みーちゃん、ごめん。今日も仕事が遅くなりそうでさ。俺の分の飯は用意しなくていいから」妊娠八か月の私は、その電話を切ったあと、しばらく画面を見つめていた。何かが引っかかる。うまく言えない違和感。急な外泊が増えたこと、そして——私のあだ名を呼ぶ声が、誰か別の人を呼んでいるように聞こえたこと。「だめね、きっと考えすぎだわ」そう思おうとしたけど、兄に相談したら「その勘は、見て見ぬ振りしない方がいい...

「みーちゃん、ごめん。今日も仕事が遅くなりそうでさ。俺の分の飯は用意しなくていいから」

また電話の向こうから、謝罪とも言えない気の抜けた声が聞こえてきた。妊娠八か月の体をソファに預けながら、み咲はスマホを耳に当てたまま深く息を吐いた。

「またなの? 今月、やけに多いわね」

「職場が半営業態勢なんだ。ごめんな。本当は俺もそばにいたいよ」

「前に相談するって言ってたよね」

「うん。どうしても今は忙しいから無理だって。でも代わりに出産が近くなったら休ませてくれることになったんだ」

「そう。それならいいけど」

「ごめんな、みーちゃん。色々不安にさせて」

「こっちこそごめんね。仕事が忙しいのに無理しないでね」

電話を切ったあと、み咲はしばらく画面を見つめていた。何かが引っかかる。うまく言葉にできない違和感だった。我慢できずに兄へ連絡を入れる。

一時間後、兄の弁護士事務所で話を聞いてもらっていた。

「ってことがあって、ちょっとかに違和感があるの。兄さん的にはどう思う?」

「ああ、かず君の会社の反機って、まだ先の話のはずだろ。そりゃイレギュラーで忙しくなることもあるだろうけど、妊婦の家庭の男を一週間に三回も朝帰りさせるような会社じゃないと思うんだよな」

「そうだよね。やっぱり」

「やっぱり不安になることでもあるのか?」

「いや、あるからわざわざ連絡したんだけどね。最近の違和感って、急な外泊だけじゃなくて、呼び方なの」

「呼び方?」

「うん。なんか微妙に違うというか。私がみーちゃんのはずなのに、誰か別の人を呼んでるような感じがして」

「だめね。きっと考えすぎだわ」

兄は腕を組み、じっとみ咲を見た。

「その勘は、見て見ぬ振りしない方がいい」

「え?」

「俺の職業知ってるだろ。弁護士だ。しかも最近は離婚案件がやたら多い。依頼人が女性の時って、大抵なんとなく怪しいから始まるんだよ。それに、俺も、お前をほったらかしてるかず君に思うことがある。もし本当に会社に呼ばれてるなら、それはそれで問題だしな」

「それはそうだけど」

「念のためこっちで調べてみるよ。外の多い仕事だって聞いてたけど、職業柄にしては多すぎる」

「ごめんね。心配かけて」

「いいって。まあ、兄貴としてできる最後の手助けだしな」

三週間後、葬儀場でみ咲のスマホが震えた。LINEの着信音だった。慌てて開いた画面に、かずから届いた文字が飛び込んできた。

「おい、ふざけんな。息子の葬儀始まったのにお前、来ないつもりか? それでも母親か。今すぐ式場に来ないなら離婚だ」

み咲は一瞬、何を言われているのか分からなかった。けれど次の瞬間にはっとする。このメッセージは自分宛てではない。かずは「みーちゃん」というあだ名で、誰か別の女性にこの言葉を送ったのだ。そして、それを間違えて自分に送ってしまった。

「はい、ちょっと何言ってるの?」

「それはこっちのセリフだ。いい加減にしろよ。までも、メソメソしやがって。そんなことしても息子は帰ってこないんだぞ。最後くらい見送ってやれよ」

「子供はまだお腹の中だけど」

「え、あ、ごめん。これ、みーちゃんのLINEだった。仕事関係の連絡と間違えた」

「仕事関係? あなたの仕事って葬式関係じゃないわよね」

「その職場の人の息子さんが亡くなって、それで母親が来てないんだ。俺、知り合いだったから代わりに連絡しようと思ってさ」

「離婚って言ってたけど、それは友達の代弁で?」

「あ、マジでごめん。嫌な言葉をかけてしまって。今一番大切な時なのに」

「気が動転していたのね。でも、代わりに連絡してあげるって相当仲がいいわよね。それなら私も顔を出して、お悔みを申し上げた方がいいと思うのだけど」

「妊婦のみーちゃんが来たら気を使うだろう。それに二週間前に帰省するって、今は少し遠い地域にいるんだし、今は実家で安全にしといた方がいいって」

「そう。そうよね。ありがとう」

同時刻、み咲は兄に連絡を入れた。

「兄さん、あいつから連絡があったわ。事前に調べてなかったら、きっと気が動転して何も分からなかったと思う」

「連絡?」

「どんな息子が亡くなったのに葬式に来ないなんてどういうことだって、はあ、なんだそれ」

「実はな」

十分後、兄からの返信に、み咲は息を飲んだ。

「まじかよ。浮気して、よそで子供を作ってたまでは調べてたけどさ。誤爆して、み先に連絡するなんて。しかもあの男の息子さんが」

「三週間前に兄さんに調べてもらって、あいつの本心を知った時は、本当に悲しくて憎くてたまらなかった。でも、だからって相手のお子さんが亡くなったことを、点抜とは思わない。最近やたらに家を開けてたのは、息子さんの体調が悪かったからだったのね。なんか後味悪いな」

「そうね。でもだからって、み先にした集中をなしにするのは違うだろう」

「分かってる。人として最低だけど」

み咲は唇を噛み、兄に伝えた。

「兄さん、準備してた件を進めて。今このタイミングが一番いいと思うから」

「分かった。その件は動き出すよ」

「ありがとう。両親には心配かけるから、私から説明しとくね。必要な書類は実家に送ってもらえると助かるわ。浮気してるような人と、同じ屋根の下で暮らすなんてできないし」

「お腹の子に悪影響だからな。母さんたちが里帰り出産の準備を早く終わらせてくれて、本当に助かったよ」

「そうね。両親には甘えっぱなしで申し訳ないわ」

三日後、かずから電話がかかってきた。

「ねえ、かず。元気にしてる?」

「うん、元気だよ。まだ仕事が忙しくて大変だけど」

「そう。何時に帰ってるの?」

「朝帰りとかしょっちゅうだよ」

「それは大変そうね。そんな中、奥さんの連絡もあったんでしょ? 随分仲のいい職場の人みたいだけど、どんな人なの?」

「どんなって?」

「えっと、あ、普通っていうか後輩なんだ」

「後輩なのに、奥さんの連絡先も知ってるってすごいわね」

「ああ。いや、奥さんは俺の元同僚なんだよ。子育てで退職して」

「え、じゃあ後輩さんと元同僚さんがお付き合いして、結婚したんだ。すごいご縁だわ」

「おい、やめろよ。向こうは今色々大変なんだ。同僚も休んでさ、そのせいで仕事も余計忙しいんだ」

「え、奥さんが元同僚なんでしょ? 休むなら後輩さんじゃない?」

「あ。えっと、なんかややこしくなってる。ごめん。とにかく今忙しいし、あんまりこの話題はしないでくれ」

「そう。一人なのに忙しいって、大変よね。今ちょっと体調がいいし、久しぶりに家に帰ろうかしら」

「う、それはやめてくれ」

「どうして?」

「家が汚いんだ。ごめん。俺、掃除が下手で」

「がほとんどなのに、家が汚れることってあるんだ」

「とにかく今は困るってさ」

「分かったわ。妊娠中なんだし、安静にしててくれって、俺も心配だから」

電話を切ったあと、み咲は兄に調査の進み具合を尋ねた。雇った探偵から、調査結果が出たという。

「そう。どんな感じ?」

「三週間前の調査だと、事実状態の浮気相手がいるってだけで、相手の家族構成とか調べる余裕はなかったけど、今回はばっちり調べてくれたみたいだ」

「ごめんね、依頼関係、お兄さんに丸投げして」

「妊婦なんだし、ストレスかかったらだめだろう。どうする? 調査結果を持って俺が実家に行くでもいいぞ」

「今ここで聞かせて。証拠は兄さんが持ってた方が都合がいいでしょ」

「まあな。それなら今伝えるぞ。浮気相手の名前はみかさんで、子供は息子さん一人。向こうは自分が結婚できると本気で思ってるみたいだ」

「そんなことってあるの? 法的に妻は私よね」

「どうやら、おめでたが分かった時点であいつが婚姻届を書いて、それを預かってるらしい」

「分かった時点で私と離婚すればよかったのに。慰謝料を払いたくなかったんだろう」

「浮気するようなバカな奴だ。自分だけ良ければいいって自己中な考えしかしてないだろうし。みかさんには、妻とは離婚定中って伝えて、仕事も海外出張の多い外し系と偽ってるみたいだ」

「嘘ってばれそうなものなのにね」

「実際、みかさんとの間にはまだ子供はいないし、離婚しやすいって言いくるめたんじゃないか。それか、浮気相手には子供がいるから、別れてくれるんじゃないかと信じてるか」

「なんだか現実を見れてない痛い人ね、そのみかさんって人」

「それはそうなんだけどさ。仕事柄、こういう女性はよく見るよ。クズに騙されてるって受け入れられなくて、いつか来るかもしれない幸せを待つしかできなくなってる人。実際はそんな幸せ来ないのにね」

「当事者っていうのは、物事だけじゃ考えられない、いろんなものを抱えてるからな」

「そうね。それに、あいつが誤爆した理由も分かったわ。私も浮気相手も、どちらもみーちゃんって呼んでたのね」

「だろうな。だからLINEを誤爆したんだろう。浮気がバレる原因で一番多いのは、名前の呼び間違いだしな」

「そうならないように同じあだ名で呼ぶだなんて、古いことをしてくれるわ。あいつはこのふざけた二重生活で、二人の人生をめちゃくちゃにしたんだ。しっかりけじめをつけないとな」

「私からも仕掛けてみる。証拠は多い方がいいでしょ」

「無理だけはするなよ」

一時間後、み咲はスマホを手に取り、かずにメッセージを送った。

「ねえ、かず。お願い。嘘はつかないで。あなた、浮気してるんでしょ?」

すぐに既読が付き、電話がかかってきた。出ると、声のトーンだけはいつも通りだった。

「はい。なんでそんなことになってるんだ?」

「ああ、もしかして前の誤爆か。そうだよな。あんなことがあったら疑われるのも仕方ない。本当にごめん、みさ。でも俺はそんなことしてないから」

「嘘だよね」

「本当だよ。信じてくれ」

「それなら、みかさんって誰?」

「あ、みかさんでしょ。息子さんが亡くなったの、全部調べたの。証拠だってあるわ。どうしてこんなことしたの? 私はあなたの子を見ってるのよ。私とこの子を裏切ったの」

「なんだよ。知ってたのかよ。めんどくせえ」

その瞬間、み咲の胸の奥で何かが冷たく固まった。かずの口調が、まとっていた仮面を剥がし落とすように変わった。

「え、しかもこのタイミングで言うとかなくね? 俺に息子がいたの知ってんだろ?」

「し太君だよね」

「そうだよ。が死んで辛いのにお前みたいな偽物の家族にかってる場合じゃないんだよ」

「偽物? どうして偽物になるの? 偽物ならみかさんの方でしょ。私はあなたと結婚してるのに」

「気持ちが覚めたんだよ。だってお前、全然妊娠しねえし。親戚からせかされて、それで手を出した。みさの方が先に妊娠ってさ、やっぱ年食ったバは何やるのも遅いな」

「なんですって」

「それにミカは妊娠中だったのにお前と来たらブクブク太って、女として見れなくなったわ。そんな奴の子より、翔太の方を俺は愛してたんだ。それなのにこのタイミングで攻めるなんて、人として終わってんな」

「終わってるのは、二重生活で隠し語作ってるあなたでしょ」

「今まで幸せだったんだよ。お前だって俺の誤爆がなかったら気づかなかったくせに」

「私のことは、ただの邪魔者としか思ってなかったのね」

「そうだよ。お前、目障りだからさ。消えてくんね。シ太じゃなくて、お前がいなくなればよかったのに」

沈黙が落ちた。み咲はゆっくりと息を吸い込み、冷めた声で吐き出した。

「今の流れ、全部画面録画したわ」

「は?」

「私が変信したタイミングで送信取り消ししてるみたいだけど。最初から全部録画済みだから、決しても無駄よ。証拠が欲しくて、何も知らずにショックを受けてるふりをしてみたけど、まさかここまで馬鹿にされるとはね」

「ショックを受けてるふり? 何言ってんだよ、お前。今まで何も知らなかったんだろ?」

「いえ、全部知ってたわ。三週間前に兄さんが調べてくれたの。それからはずっと証拠集めで、やり取りは録音してたわ。準備ができたから、里帰り出産を予想って実家に逃げたの。出なきゃ、あなたみたいな人と一緒にいたくないわ」

「そんな前から。それじゃあ誤爆は……」

「あんなのなくても、何とでもなったわ。気づいていないのはあなただけ。もうとっくに積んでるわよ。浮気の証拠。夫婦共有財産の使い込み。全部証拠があるの」

「くっそ。兄貴が弁護士だからって調子飲んじゃねえよ。妊婦のお前に何ができるって言うんだ? 時間さえ伸ばせば、お前はガキの相手で動けなくなるのが落ちだってのに」

「そうね。だから短期決戦で行くわ。そのために兄さんも動いてる。ずっと私の相手をしてくれてありがとう」

「は、負け惜しみか」

「違うわよ。すぐに既読がついてたから。LINEの画面に張り付いてたのよね。おかげで時間稼ぎできたわ」

同時刻、みかさんのスマホに一通のメッセージが届いていた。

「突然のご連絡申し訳ありません。先ほど電話した佐藤です。物質ですが給養のため、LINEにて再度ご連絡失礼します。現在安藤さんがお付き合いされている風沢かさんには、奥さんがいらっしゃいます。ご存知ですよね。既読がついてますので、すぐにご連絡お願いします」

十分後、みかさんから返信があった。

「あの、これは一体どういうことでしょうか?」

「安藤さん、急なご連絡で混乱させてしまい申し訳ありません。またお子様をなくされてすぐだというのに、このような話をするのは酷なのですが、あなたも騙されていた被害者なんです」

「騙されてた被害者。あなた何者なんですか? 確かによそから見れば、私たちの関係は不確かかなものだと思います。でも他人が土足で踏み入っていい話ではないはずです。もういいですか? 多少の事情は知っているようですが、今は服していますので」

「息子様の件はお悔み申し上げます。ですが、あなたはやはり騙されています。目を覚ましてください」

「うるさい。よく知らないくせに、あの人を馬鹿にしないで。もう私には彼しかいないの」

「かさんを信じたい気持ちは分かります」

「信じてますし、疑っていませんよ。彼は離婚するって言っていたんです。実際今も奥さんと揉めて LINE をしていますし」

「ああ、そちらにかさんがいらっしゃるのですか? 信じているとおっしゃいますが、奥さんが妊娠八か月だということはご存知ないですよね」

「嘘よ。だって奥さんは不人でレスだって」

「彼と今法的に婚姻関係にある女性は、私の妹です。現在は実家に戻り、静にしている状態ですが、あなたのことも、隠し後がいたことも、全て知ってますよ」

「そんなことって……子供もいないから、もうすぐ離婚できるって言ってたのよ」

「それじゃあ何? シ太は何も知らずに死んでったの? パパは毎日家に帰ってきてくれるって信じてたんですよ。病気になってしまって入院してる時だって、パパは忙しいから頑張って。あの子は父親を信じてたのに、全部嘘だったっていうの」

「冷静に考えれば嘘と分かるはずです。ですが、そう簡単に割りきれないでしょう。酷だとは思いますが、証拠の写真を添付いたします。そして私は弁護士をしています。今のあなたの力になれると思いますよ」

一時間後、かずのスマホに、みかさんから短いメッセージが届いた。

「おい、ミカ、急に実家に帰るってどうしたんだよ」

「少し一人になりたくて」

「辛いのは分かるけど、お前まで俺から離れるのか?」

「ねえ、かず。奥さんとはうまく言ってるみたいね。私はただショ太のお母さんだったから、一緒にいたんでしょ。私のことなんて愛してないくせに、心配するふりはやめてよ」

「え? いや、落ち着いてくれ。確かに離婚定が遅くなってて、籍を入れられてないけど、俺はお前も正太も愛してるんだ」

「もういい加減にして、この嘘つき。愛してないなら、どうして相手は妊娠してるの? 調査は二年前から行ってるはずよね」

「なんでそれを……」

「全部聞いたのよ。私とシ太を騙して、自分だけいい父を破って、さぞ楽しかったでしょうね。シ太はあなたを本当のパだと思って、天国に行ったのよ。つか、本当のパになってくれるって。ずっとあなたの写真を見て、パに会いたいって泣いてたのに。この人でなし。どうしてこんなことができるの? みんな不幸にして、あなた何がしたいって言うのよ」

「あ、落ち着けって。正太がなくなって気が目いってるのは分かるよ。でも証拠もないのに、そんなこと言われても」

「証拠なら全部もらったわ。奥さんのお兄さんから」

「は? 兄さんから?」

「だから私も、あなたとのやり取りを全て渡したの。会ってすぐの頃から、正太を見った日のやり取り。出産して戸惑いながら育児をしたメッセージも全部ね」

「なんでそんなの渡すんだよ」

「あなたとの思い出を捨てたかったから。あ、シ太がいなくなって悲しくてしょうがない。でもそれと同時に、掛けがえのない思い出もたくさんあるの。その思い出を踏みにじったあなたの存在はいらない。もう二度と顔を出さないで。私の前から消えて。あなたなんて大嫌い」

翌日、かずが実家に怒鳴り込んできた。

「お前、みカにも俺の両親にも変なこと吹き込みやがったな。みカは今大変な時なんだぞ」

「大変な時だからこそ、現実を見ることができるのよ。彼女は二年もおかしいと思いながら現状を維持していた。そんな状況の人に証拠を突きつけても、きっと信じないと思ってね」

「この人でなしめ」

「本当の人でなしが目の前にいるから、何を言われても平気よ。ああ。それと、ご両親には別にばらしてないわよ。かさんが最近仕事が忙しいみたいでって、前々から相談に乗ってもらってたのよ。で、兄さんが事情を話しに行ったわけ。私は何もしてないわ。だって、あまり遠くには行けないからね」

「くっそ。お前のせいで、両親にぶん殴られて大変だったんだぞ」

「でしょうね。お母さんは精神誠意ってくれたわ。息子を感動します。お腹の子は私たちにとって大切な孫号ですって言ってくれたし。親にまで見捨てられるなんて聞いてねえよ。どうしてくれるんだ?」

「実家がお金持ちで甘えてたものね。でも自業自得よ。あなたのお望み通り、私は消えるわ。もう他人になるんだから」

「お前みたいな薬病神、どうなろうが知ったことかよ。離婚すれば、ミカとよりを戻せるんだ。願ったり叶ったりだ」

「戻せる? それは無理よ。だってあなた、人生終わってるから」

「は?」

「慰謝料請求するわ。浮気の証拠は全て揃ってる。慰謝料五百万円と財産分用するから、拒否なら裁判するわよ」

「は? 五百万? そんな金ねえよ。最初から俺をはめるつもりだったのか。卑怯だろ」

「卑怯? 嫁と浮気いて、そして実の子供を騙していたクソ野郎よりはましよ」

三か月後、かずのスマホに、知らない番号から電話がかかってきた。出ると、聞き覚えのある声だった。

「かず君、久しぶり。健太だ。今日は兄系としてじゃなく、弁護士として連絡する。君は裁判の呼び出しを無視した。散々出席を促したが、どうやらことの重大戦に気づいていないらしい」

「ああ」

「君が欠席したことで、欠席判決となり、慰謝料支払いが確定した。しっかり支払うんだな」

「そんなの、ばっくれたら終わりだろ。み咲は子育てで忙しいはずだ。俺なんかに構ってる暇ないんだから、なーなーになるだろ」

「そう考えてんのが甘いんだよ。裁判になったんだから、法的手続きを取ることができる。給与の四分の一が差し抑えられるぞ。つまり強制徴収だ」

「は? なんだよそれ。つまり俺の稼いだ金が勝手に取られるってことか」

「そうなるな」

「そんな大事なことを勝手に決めるなんて聞いてねえよ」

「法的手続きを踏んだ正当な判決だ。欠席したお前が悪い。給料差し押さえに伴い、職場にもこの件がバレるだろうな。そうなれば会社での立場も危い。まあ、全部自業自得だけど」

「こんなの認めねえ。なんで俺だけ辛い目に合わないといけないんだ?」

「それはお前がたくさんの人を不幸にしたからだ。これからはそれを反省し、償うためだけに生きろ。それがお前にぴったりの人生だよ」

「このクソ野郎」

数か月後、かずから、また電話がかかってきた。声は擦れ、震えていた。

「頼む、み咲。もう限界なんだ。給料もほとんどなくなって、借金して。でもやばいとこから借りちまって、取り立てが怖くて眠れない。コンビニも見切り品しか買えなくて、まともに食べてない。この携帯だっていつ止まるか分からない。みさだけが頼りなんだ。復縁してくれないか?」

「今更何を言ってるの? あなた、覚えてる? 私のことを偽物の家族、目障りって言ったわよね。シ太じゃなくてお前がいなくなればよかったとまで言ったくせに」

「そんなこと言ってない。俺は感情的になってただけで」

「嘘ばっかり。全部証拠として残ってんのよ。私がどれだけ傷ついたと思ってんの」

「あの時はシ太が死んで、気が動転してたんだ」

「動転? 違うわよね。本音が出ただけでしょ。私と美かさんを同時に騙して、太君まで利用して、最低よ」

「みさ、お願いだ。俺はこんなに苦しんでるのに」

「それは当然の報いよ。あなたは私から夫を奪い、みかさんから恋人を奪い、し太君からは本当の父親を奪ったのよ。自分が巻いた種でしょ」

「俺だって辛いんだよ。ショ太がいなくなって」

「し太君を利用するのはやめなさい。子供がいなくなって悲しいって言ってたくせに、あなたはみかさんに離婚するって言ったじゃない。っていうか、結婚もしてないのに離婚? 気持ちは結婚してるつもりだったの? どこまでもふざけてるわね」

「それはその、あいつがいつまでも引きこもってたからで……」

「何? こう失った悲しみはとても大きいの。あなたは悲しいと言ってるけど、そんなの嘘。悲しみを分かってる人は、そんなことしないわ」

「許してくれよ、みさ。しつこい」

「いい。もう二度と連絡してこないで。あなたみたいな嘘つきに同場する気は一切ないから。借金取りに追われようが、ホームレスになろうが、知ったことじゃない。これがあなたの選んだ人生よ。最後まで一人で背負いなさい。さよなら。もう他人だからね」

その日を境に、かずから連絡が来ることはなかった。

一年後、かずは借金まみれでネットカフェ生活を送っているらしい。借金取りに追われながら点々としていたそうだが、それも限界が来て、ついに捕まったとか。その後どうなったかは、み咲も知らない。

一方、み咲は無事に出産し、兄や両親に囲まれて、幸せな子育て生活を送っている。

人は時に嘘をついてしまうことがある。でも、嘘は必ず暴れる。そして嘘の数だけ、人を傷つける。この子にはそんな悲しい思いをしてほしくない。み咲はそう思いながら、子どもに誠実さを伝えて、大切に育てていこうと心に決めたのだった。

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