義母から「仕送りを月5万円増やして」と電話が来たのは、何の変哲もない火曜日の午後だった。月15万円で足りないなんてありえない。私は家計簿を開きながら、思わず「パートに出たらどうですか」と言ってしまった。すると義母は「この年でパートなんてみっともない。息子がベストセラー作家なのに」と鼻で笑った。その瞬間、背筋が凍るような嫌な予感がした。数分後、夫から電話。「母さんが怒ってる。みさ子、何言ったの…

義母から「仕送りを月5万円増やして」と電話が来たのは、何の変哲もない火曜日の午後だった。月15万円で足りないなんてありえない。私は家計簿を開きながら、思わず「パートに出たらどうですか」と言ってしまった。すると義母は「この年でパートなんてみっともない。息子がベストセラー作家なのに」と鼻で笑った。その瞬間、背筋が凍るような嫌な予感がした。数分後、夫から電話。「母さんが怒ってる。みさ子、何言ったの...

ねえ、みさ子さん、塩送りの件だけど、もっと金額増やせないの?物価も上がってるし、仕送りも増額してくれないと困るわよ。

塩送りなど家計の管理はひろさんがしてるので、でも月十五万円なんて十分すぎる額だと思いますよ。

まだ年金の受給も始まってないんだから足りないわよ。

じゃあパートをするとか。一日家にいても暇でしょうし、いい運動になりますよ。

いやよ、この年でパートなんてみっともないわ。ああいうのはお金に困ってる庶民がやることでしょ。私は違うの。なんたって息子がベストセラー作家の伊呂波なんですからね。その母親がパートのおばちゃんなんて格好つかないでしょ。メディアのインタビューとかが来るかもしれないし、美容にも手が抜けないんだから。

ひろさんは家族をメディアに出さない方針なので、お母さんのところにマスコミが来たことは一度もないじゃないですか。

変わるかもしれないでしょ。とにかく塩送りが足りないから増やすように言って。月五万プラスでいいわ。

数分後、ひろの携帯が鳴った。

お母さんから仕送り増額の相談が来たんだけど、月十五万で足りないなんてことはある?持ち家で家賃はかからないのよ。

あの家だってひろが出して建てたものじゃない?お父さんが亡くなってから、お母さんちょっとおかしいわよ。ごめん。俺が家計管理はみさ子に任せてるから、これ以上は出せないって言っちゃったんだ。

私に丸投げしないで。あなたの母親なんだから。

本当にごめん。もうみさ子に連絡しないように俺からも伝えるから。俺だって自分の家族を大事にしたいと思ってる。本当だよ。

分かったわ。うまくやってね。

数分後、今度はみつきの携帯が震えた。

ねえ、やばい。おばあちゃんからLINEめっちゃ来るんだけど。なんで三つも「パパとママにおばあちゃんを助けるようにお願いして」って。母親が貧乏暮らししてるのを見て見ぬふりするなんてひどいわって言ってる。

でもこの前会った時、おばあちゃん全身ブランド服だったよね。あれ何?おじいちゃんの遺産使い込んでんのかな?もしくは見栄を張るための振りまい。

さすがにそこまでは分からないけど、今回ちょっとしつこいわね。

増額の話は何回かあったけど、おじいちゃんが間に入って止めてくれてたの。十五万ももらっておいて、これ以上はひろたちの家計の負担になるからって。

十五万でも十分負担だっつうの。一年で百八十万だよ。それを結婚してから何年やってんだっけ?

結婚してから仕送り自体はしてるわよ。最初は五万だったんだけど。原作ドラマがヒットしてベストセラーになった辺りから少ないって言い出して、五万を三年、十万を十年、十五万になってから十一年かな。

五万は三年で百八十万でしょ。十万を十年で千二百万。それに千九百八十万。全部足したら三千三百六十万。

何?え、早いわね。

でもそうなの。毎月これだけの負担を私たちの家計から出してきたわ。そう考えると幻滅したいくらいなのよね。

だってお父さんが亡くなってお母さん一人になってるんだし。

それだよ。半額にしたっていいくらいじゃん。私、おばあちゃんに行ってきてあげる。

刺激しない方がいいわよ。あの人のやばさはみんな知ってるでしょ?

いいや。言わないと気が済まないね。そのお金が私たち家族の旅行を何回分潰してんのかって考えたら、むかついてきた。

数分後、みつきは祖母の家の前に立っていた。

おばあちゃん、仕送り半額になってもいい?

ちょっと、なんでよ。増やすって話はどうなったの?

だっておじいちゃんは三ヶ月前に亡くなってんだよ。二人分の仕送りで十五万円だったんなら、半分の七万五千円にしないと。

違う違う違う。そうじゃないって。

何が違うの?ちゃんとした足し算引き算の話をしてんだよ。物価高で増額して欲しいって言うなら、十五万円で十分でしょ。倍になるんだから。

それじゃ足りないのよ。おばあちゃんがかわいそうじゃないの?

全然。おばあちゃん六十歳で元気なのに、働きもしないで子供にお金せびってダサいよ。私なんて四月から就職したら家を出ることになってるし。お母さんたちに仕送りをしようかって言っても断られたくらいなのに。普通、子供からの仕送りって気持ちだけ受け取るもんじゃないの。もしくは受け取るにしても、もっと感謝するとかさ。おばあちゃん、お母さんに文句ばっかりだし、見てて嫌な気分になるんだよね。

数分後、ひろの携帯が再び鳴った。

ひろ、あんた今日絶対うちに寄りなさいよ。子供の教育がなってないわ。あんな失礼な娘に育つなんて。嫁も孫も最悪よ。誰のおかげで稼げる男に楽な生活を送らせてもらってると思ってるわけ?私がひろを産んだおかげでしょ。感謝しなさいよ。何なの?

早く出なさいよ。小説家なんて一日家にいるんでしょ?無視しないで。

数分後、ひろがみさ子に電話をかけてきた。

みさ子、母さんに何言ったんだ?ものすごい怒ってるんだけど。

塩送り増額どころか半額じゃないって送っただけ。

なんで。

だってそうじゃん。おじいちゃん亡くなってんのよ。じゃあおじいちゃん分なしにして半額の七万五千円が適正価格でしょって。

それはそうかもしれないけど、おばあちゃんはカッとなりやすいんだ。俺が話すから、みさ子はおばあちゃんに何も言わないでいいよ。ごめんね、本当に。

いい加減母親離れしたら?そんなに尽くしてる息子、ないと思うよ。

だって俺は一人だし、父さんも死んじゃったし。

十分すぎるくらい尽くしてきたよ。お父さんが大事にすべきはお母さんでしょ。しっかりしてよね。

数分後、ひろは覚悟を決めて母に電話をかけた。

ごめん、母さん。編集と打ち合わせしてて。仕送りの件だけど、やっぱり厳しいんだよ。ごめん。

だから、なんでみつきだって家を出るんだから、その分浮くでしょ。みさ子は専業主婦だから俺が養わないといけないし、この家のローンも残ってるし、この前車も買い換えたから。作家の収入だって毎年変わるんだよ。だからちょっと十五万が限界値っていうか。

あの女ね、やっぱりあの女が悪いのよ。みさ子さんがいなかったら、ひろは私のためだけに尽くしてくれるってことよね。

それは、そんなの無理だよ。俺だって家族がいるんだし。

母親に一番尽くすのが息子の役目でしょ。父さんが死んだんだから。あんたがしっかり責任持って私に贅沢させなさい。

みさ子は俺のマネージャーみたいなこともしてくれてるから。

あら、そうなの?じゃあこれからは私がその役目をやってあげるわ。でもメディア取材を受けるように、美容にも気を使ってきたのよ。任せなさい。

ちょっと待ってよ、母さん。頼むから俺の話を聞いてよ。

いいえ、急げないね。すぐあんな疫病神とは離婚しましょう。

その日の夜、みさ子の携帯に義母から連絡が入った。

ねえ、みさ子さん、予定してた旅行なんだけど、ちょっと地元のお友達がこっちに来るのと予定が被っちゃって行けなくなっちゃったから、代わりに行ってくれるかしら?ホテルに聞いたら、今なら部屋変更間に合うから、みつきも泊まれるわ。で、一泊二日、二人で行ってきてくれるかしら。

そのお友達と行くんじゃだめなんですか?

こっちに住んでるお友達も何人か呼んで、うちでホームパーティーするのよ。あなた専業主婦だし、みつきも大学の授業なんて適当に休めるでしょ。

みつきに聞いてみます?

数分後、二人は顔を合わせた。

何それ?怪しくない?

そうよね。

でも旅行は行きたいかも。私、もう家出ちゃうじゃん。いきなり一人暮らしするんじゃなくて、在学中から慣らしておこうってことで、もう荷物もほとんど向こうに置いてあるしさ。お母さんと二人でゆっくり過ごせるのも、次になるか分かんないじゃん。

そうね。じゃあ今回はお言葉に甘えて行ってきましょうか。と言っても、料金はこっちで支払いだし、なんなら仕送りのお金で行くつもりだったんだろうし、借り前とはしないけどね。

翌朝、みさ子は義母に連絡した。

お母さん、旅行の件ですが、娘と行かせていただきます。

あら、そう、よかった。ああ、支払いは現地払いだからよろしくね。

数分後、義母は電話を切ると、一人ほくそ笑んだ。

二人とも私の作戦通り旅行へ出かけるわよ。あとは全部こっちの思い通りに進めるわ。

ひろが電話口で叫んだ。

母さん、こんなことはやめようって。

うるさい。あんたみたいな頼りない子には、私がグイグイやるくらいがちょうどいいの。

一週間後の夜、みさ子の携帯が震えた。ひろからだった。

みさ子、ごめん。母さんの暴走を止められなかった。ごめん。

何?どうしたの?

俺のLINEは母さんにチェックされてるから、このやり取りも後で消さないと。とにかく一度電話して。全部聞くから。

数分後、電話の向こうでひろが全てを語った。みさ子は静かに聞いていた。

あ、分かった。あなたが断れなかったのもうしょうがないわ。

ごめんなさい。俺、本当にみさ子たちが大事だよ。でも母さんのこととなると、ごめん。

もういいわ。ただし、どんな結果になっても攻められる覚えはないからね。

旅行から帰宅した二人を待っていたのは、閉ざされた玄関だった。

そろそろ帰ってきた頃かしら?ひろに連絡しようとしたって無駄よ。今私が隣にいるから、返事なんてしないわ。

お母さん、これはどういうことですか?家に入れないんですけど。

寄生中の嫁の外出中に、家の鍵変えておきました。もっと早くこうすればよかったのよ。あんたがいるせいで、私がひろに贅沢させてもらえないんだから。

ひろも同じ考えということですか?

当たり前でしょ。他人の嫁より、血の繋がった母親の方が大事に決まってるわ。息子の稼ぎを当てにするダメ嫁はいらない。消えてくれる?

そうですか。分かりました。ではお達者で。

あら、聞き分けがいいのね。言っておきますけど、あなたの荷物は全部庭に出しておきましたから、勝手に持っていくといいわよ。

了解です。お手数おかけしました。

感じ悪いわね。二度とその顔見せないでちょうだい。

数分後、みつきがひろに電話をかけた。

ねえ、お父さん、お母さんどうしてる?

私に連絡してこないでくれる?見なったよ。お父さん、最低だから。

今、ばあちゃんの好きにさせておけばほぼ気も覚めるから。あと、ばあちゃんちは賃貸に出すことにしたんだよ。その家賃収入を全部ばあちゃんに渡したら、静かになるはずだから。母さんに伝えてくれないか?今、俺、母さんにLINEできないんだよ。

ばっかみたい。付き合ってらんないわ。

数分後、みつきはみさ子の部屋の前に立った。

お母さん、本当に私の部屋来なくていいの?

大丈夫。仕事部屋に借りてたところがあるから、しばらくそこに仮住まいするわ。荷物はレンタルロッカーに預けておけばいいし。それよりやることが山積みで、そっちの方がめんどくさいわ。お父さん、あんな人だけど、本当に私のことはよく助けてくれていたのよ。

こんな状況になっても、まだお父さんと夫婦でいたいと思ってるわけ?

お父さんとは高校時代からの付き合いで、出会って三十年になるわ。私が高三、彼が高一の時から交際して、お父さんが大学を卒業した年に結婚。出会って半年で付き合ってるから、本当に三十年近くなの。

そのお父さんが唯一ずっと切り離せずに苦しんでいたのが、おばあちゃんだった。

マジで何なの、あのおばあちゃん?

ひろから聞いた話では、おじいちゃんとは再婚でね、血の繋がりはないそうなの。本当の父親は知らなくて、再婚する前の間はシングルで育ててたらしいわ。おばあちゃんは水商売もやってて、その日の機嫌でひろにひどいことをしていたらしいの。

最低だね。

それでも時々優しくして抱きしめてくれた時のことや、手料理のオムライスを作ってくれたことが忘れられなくて、「お母さんの役に立ちたい」「偉いって褒めて欲しい」って気持ちが消えないって、彼自身も随分悩んでたのよね。その結果がこれなんだと思う。

同情するところはあったとしても、それでもおばあちゃんを選んじゃだめでしょ。自分の妻と子供が選べないなんて。

うん。だから私の立場をはっきりさせてやろうって決めたわ。今までお互い甘えて、共依存みたいになってたんだと思うの。嫌だけど。すっごい嫌だけど。やるしかないわね。

一ヶ月後、みつきがネットニュースを見て叫んだ。

ねえ、このネットニュース何なの?伊呂波を見ろ。「作家デビュー二十年を目前に衝撃の正体を暴露」って。なんであんたの顔が出てるの?ひろでしょ。伊呂波はひろなのに。なんでこんな嘘をつくんの?名誉毀損だわ。編集者に訴えてやるわよ。

私なんですよ、本当は。むしろ編集部に確認してもらえれば、全部確認が取れて楽なんじゃないですか。「お金に汚い粘着質な義母が連絡をしてくるかもしれません」と伝えてあるので。

嘘よ、嘘よ、嘘よ。じゃあひろは何だって言うのよ。

私の影武者として、顔出しやインタビュー取材に応じてくれていました。編集者とのやり取りは全部私ですよ。

なんでそんなことする必要があるのよ。

私、人が苦手なんです。もはや嫌いまでありますね。両親が三歳の時に離婚して、山暮らししてた祖父に引き取られて、中学二年生になるまで山で暮らしていました。学校までは歩いて二キロ、学年は全員で五人。そういう環境で育っていたのに、祖父が亡くなって親戚の家に引き取られて、大量の人。山育ちとは全く違う人間社会に、私は適応できなかった。

そんな私が唯一心を休めることができたのが、映画、ドラマ、漫画、小説でした。作家になって、人間と関わらずに生きていこうと決めたんです。

じゃあなんでひろと結婚なんかしたのよ。

ひろが申し出てくれたんです。「先輩はきっと売れっ子作家になる。売れっ子作家になったら人付き合いは必須だから、僕が全部引き受けますよ」って。

もちろんそんな下心丸出しの理由を受け入れたとかではなくて、元から私の小説を読んだ時、一番的確に感想をくれる人だったし、まだ何者でもなかった私に唯一「小説家の才能がある」と手放しで褒めてくれたんです。穏やかで優しくて、山の人たち以外で唯一信頼できると思ったから交際しました。で、高校を卒業してバイトをしながら小説を投稿し始めて、運良く出版社に拾われたはいいものの、人と喋るのが点でダメ。ストレスで倒れた私を見かねて、ひろが「高校時代の約束だから」と私の影武者兼マネージャーを引き受けることにしました。彼が私に出した条件は一つだけ。「代わりに僕が売れっ子作家だって、母親にだけ嘘をつかせて欲しい」ということ。

したら、やっとお母さんに褒めてもらえると思うって。まっすぐな目でね。

そんなバカじゃないの?

バカであっても、それが当時の彼にとっての最善策で、私もそれに乗りました。でも、さすがに家を追い出されてまで大人しくしている理由はないので、これを機に腹を沸かすことにしたんです。これからメディアにもどんどん私の夫と義母のことについて話しますから。

そんな、やめて。絶対にやめて。

私のことより、ご自分の生活を心配されてはいかがですか?生活用の口座、お金一円しか残ってないんで。

は?

そもそも、私がひろにお給料を渡すシステムで、ひろ自体はどこにも就職してません。彼は「全部みさ子が稼いだお金から。義実家に仕送りしてもらうなら、俺は食費とかで八万くらいもらえれば十分」って自分で言ったんです。だから彼の年収、百万ですよ。

信じられない。手だわ。

いや、月の仕送りが丸ごと彼の給料になれば、それなりになりますから。それだけ息子から搾取してるって、気づかなかったんですか?嫌ですね、逃げ場って。

数分後、ひろは母から激しい怒号を浴びせられていた。

私を騙したのね。何が人気作家かよ。

俺は母さんのこともみさ子のことも考えて、これが一番いいと。

冗談じゃないわよ。あんたのせいでさらし物にされるのよ。みさ子さんがいなかったら、あんたなんて無職のおっさんじゃないの。俺のことは金蔓でしかない。

真佐、何言ってるの?当たり前でしょ。

あ、本当に最悪。前々からこんな子供なら生まなきゃよかったと思ってたけど、ここまで最悪なんてね。私って本当についてないわ。とにかく絞り取るだけ絞り取らないとね。私が住んでた家は賃貸に出すんじゃなくて売りに出すわ。そのお金は慰謝料として全部私によこしなさい。それで縁を切ってあげる。人気作家じゃないあんたなんて、用済みだから。

数十分後、みさ子の事務所にひろが現れた。

これからお母さんとあなたのこと、インタビューで話していくけど構わないかしら。名誉になるようなことじゃなくて、ただ事実を話していくだけだけど。抗議したいなら、それはそれで受け止めるから編集者に連絡して。

抗議したいことなんてないよ。みさ子の稼ぎがみさ子のものになるだけだし。

悔しくないの?あなたは今までずっと私の代わりにいろんな面倒を引き受けてくれてたのよ。全部自分でやることになって、今にも吐きそうっていうか、やる気も削げるし。

そういう苦手なことに理想を使うのが、こんなにストレスとは思わなかった。あなたは毎日ものすごい大変なことをこなしていたのよ。

俺にとってはストレスでも何でもなかったよ。みさ子が売れていくために、俺にできることがあるんだって、嬉しかったし。

それでも、ひろは私じゃなくてお母さんを選ぶの。さっき「もういらない」って言われた。え、「こんな子供生まなきゃよかった。自分はついてない」。母さんに建てた家を売却して、そのお金を払って縁切らせてくれだって。

ひろはそれでいいと思ってるの?また「母さんはそういう人だから」って受け入れるつもりじゃないでしょうね。

俺にできることなんて、一つもないよ。全部みさ子に乗っかってきたんだから。

またそんなこと。

それでも俺だって、我慢できないことはあるさ。実は父さんから、「もう母さんのことを見切るなら、これを使いなさい」って残してもらっていたものがあるんだ。それを使うことにする。

それって一体。

俺に任せてくれないか?いつもみさ子に全部背負わせて、格好いいところ一度も見せられなかったから。

分かった。そっちはそっちで頑張って。

数日後、義母は不動産会社から突然の電話を受けた。

いつになったら家の売却が進むの?もう家の外にも出られないくらいマスコミが来てるのよ。ああ、ストレスでどうにかなりそう。早く引っ越したいの。

あの家の名義は俺になってるから、母さんには一円も払わないよ。

はあ?何言ってんの?誰に向かって口聞いてんのよ。

それから、母さんには今まで支払していた金額を返してもらうから。

ちょっと待ってよ。何言ってんの?バカじゃないの?もらったものなんだから返すわけないでしょ。仕送りに返済義務なんてあるわけないじゃない。借金じゃないんだから。

生前、父さんと交わした契約書があるんだよ。仕送りは贈与ではなく貸し付けにするってね。貸し付け主である俺が返済を希望すれば、仕送りはそこで終了。今までの仕送り記録は全て控えてあるし、書類も正式なものだから。

ま、待ちなさいよ。私はそんな書類知らない。あの人が勝手に作ったものでしょ。だったら私は関係ないわ。

父さんが死去した後、遺産を全て相続したでしょう。遺産っていうのはね、お金に関する全てのことが相続されるんだよ。残されているお金、つまり借金だってそれに含まれる。貸し付け主の返済請求権は、母さんに移ったんだ。

そんな嘘よ。そんなのありえない。とぼけないで。

仕送りは最初の三年間が毎月五万、合計百八十万。次の十年間は毎月十万、合計で千二百万。さらにその後十一年間は毎月十五万、合計で千九百八十万。全部合わせると三千三百六十万だ。今までこれだけの額を受け取っておきながら、母さんは「金がない、金がない」と言ってたんだよ。どんだけ派手に使ってたのか知らないけど、これ全部借金だからね。

そんなの借金じゃない。息子からの仕送りが借金になるわけない。母さんに対してひどいと思わないの?育てた恩を忘れたわけ?

父さんと再婚するまで、ろくなことなかったじゃないか。それでも俺は母さんが好きだった。子供って、きっとそういう生き物なんだと思う。ずっとずっと母さんに褒めてもらいたくて、愛してもらいたかった。でも、やっと目が覚めたよ。時間かかりすぎちゃったかも、しれないけどね。

待って。お願い待って。私はちゃんとあなたを愛してるからね。ねえ。

息子の稼ぎを当てにするダメ親は消えてくれ。二度とその顔見せないでくれよ。さよなら、母さん。

数ヶ月後の打ち合わせの席で、みさ子とひろは向かい合っていた。

家の売買決まったんですって。まさ子から聞いたわよ。いくらになったの?

耳が早いね。立地の良さと物価高騰の影響もあって、三千八百万になったよ。

すごい。仕送り分より高い。黒字じゃないの?

売却金は全部みさ子に返すよ。みさ子が建てた家なんだから。

それはありがたいけど。あと、今の家の名義はみさ子だろ。どうする?賃貸でも販売でも。

もうここ、マスコミに知れちゃって落ち着いて生活できないからさ。俺もウィークリーマンションに移ったし。

そうね。売却しちゃおうかな。ていうか、お母さんはどうしたの?

うちの庭に座り込もうとしたから、警察呼んで連れてってもらった。窓ガラスを割ったり、散々でさ。

うわ。どっちにしろ母さんには三千三百六十万の返済義務があるからね。刑務所に引き取りに行ったついでに、知り合いので繊維工場の住み込みパートにねじ込んできた。しっかり監視して、給料から天引きさせますって約束してくれたよ。

へえ。頼りになる人もいたもんね。それもこれもひろの人柄と人脈か。

大げさだよ。これしかないんだって。

ねえ、本当に離婚でいいの?

うん。一度けじめをつけたいんだ。みさ子こそいいの。俺をマネージャーとして雇うなんて。

正直、ひろ以上の人材が見つからないのよ。三十年一緒にいるんだもん。知らない人と話すだけで疲れるのに。それが一日に何人も来る日があるのよ。医者から薬大量に出されちゃった。よく眠れない日も増えたし、筆に影響が出てるのよ。

分かった。影武者はもうやめるけど、みさ子のサポートは続けさせてもらうよ。俺も何か自分でできる仕事見つけないとな。

今みたいなマインドで結婚中になって欲しかったけどね。

それは本当にすみませんでした。

もう謝らなくていいわ。結果で示してちょうだい。それじゃあ、また打ち合わせで。

その後、みさ子は自分の経歴を振り返りながら、静かに語った。

あれから義母は勤めている繊維工場から何度か脱走未遂を繰り返して、足を挫いたらしく、身動きも取れないまま大人しく働き、返済の日々。ひろは律義にそのお金を私に送金してくれています。義母に関しては、今まで散々人に迷惑をかけ続けたんですから、残りの人生は全て返済に当てて欲しいくらいですね。

ちなみに私はその後、売れっ子小説家としてメディアやインタビューに引っ張りだこ、ついには半自叙伝を出版することにまでなってしまいました。今まで静かに暮らしていたので、このギャップにはまだまだついていけそうにありません。

ちなみにひろは慰謝料なし、財産分与なしで離婚。お互い夫婦として区切りをつけて、ビジネスパートナーとして再出発することになりました。

娘は今までの話を聞いて納得してくれたのか、ひろとも交流しているようです。

お互い、また夫婦に戻りたくなる時が来るかもしれませんが、それはまた別のお話ということで。

ご視聴ありがとうございました。

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