「まなみの結婚式にはちゃんと出席しなさいよ。いい?」母からの電話は、いつも通りの命令口調だった。私は義妹の結婚式なんて行きたくなかった。でも、まさかあの日、式場でとんでもない真実を耳にするなんて思いもしなかった。「お姉さん、私にはこうするしかないんです」そう言って諦めた顔で笑う十八歳のまなみ。彼女が望まない結婚を選んだ理由は、母の借金だった。でも、その借金はまなみの治療費のためじゃなかった。…

「まなみの結婚式にはちゃんと出席しなさいよ。いい?」母からの電話は、いつも通りの命令口調だった。私は義妹の結婚式なんて行きたくなかった。でも、まさかあの日、式場でとんでもない真実を耳にするなんて思いもしなかった。「お姉さん、私にはこうするしかないんです」そう言って諦めた顔で笑う十八歳のまなみ。彼女が望まない結婚を選んだ理由は、母の借金だった。でも、その借金はまなみの治療費のためじゃなかった。...

「まなみの結婚式にはちゃんと出席しなさいよ。いい?」
「何なんですか、急に。言われなくても義妹の式ですから、出席しますよ」
「あら意外。あれだけ結婚に反対してたから、てっきり来ないと思ってたわ」
「それを言うなら、私は今でも反対です。そもそもまなみちゃんの望まない結婚なんて、普通に気分が悪いですよ」
「望まない? 相変わらずバカなのね。恋愛映画ばっかり見てるから、頭の中がお花畑になってるんじゃない?」
「私の頭がお花畑なら、お母さんの頭はどうなってるんですか? 高校を卒業したばかりの十八歳の娘に、望まない結婚を押し付ける頭の中身って」
「分かってないわね。いい? 世の中、大事なのは結局お金よ。まなみの結婚相手の東郷さんは、個人経営とはいえ病院の理事長よ。結婚すれば、まなみはお金に困らない生活ができるんだから」
「だからまなみちゃんは結婚したほうがいいと。そっちのほうがよっぽどお花畑では?」
「頭に女装剤が足りないなら、貸してあげましょうか」
「すみません、私の頭は着脱式じゃないんで。女装剤は効かないんですよ」
「私の頭も着脱式じゃないわよ」
「空っぽそうなので、パカッて開くのかと思ってました。カプセルみたいに」
「バカにして。でもいいわ。そうやって偉そうな口を叩けるのは今のうちよ」
「どういう意味ですか?」
「あんたは裏切り者の俊介と結婚して、いい気になってるんでしょうけどね」
「俊介はあなたの息子ですよ。裏切り者って言い方はやめてください」
「裏切り者よ、あんな子。私が借金で苦しんでるのに、家を出てったんだから」
「仕送りは今でも続けてますよね。文句を言われる筋合いはありません」
「足りないって言ってるの。そこを東郷さんが補ってくれるのよ」
「ちょっと待ってください。まなみちゃんをお金で売る気ですか?」
「人聞きの悪いことを言わないでちょうだい。単純に、借金の返済と仕送りをしてもらうだけ」
「その条件として、まなみちゃんとの結婚ってことですか? やっぱり女装剤がいいですよ。その頭は腐ってるんだ」
「何とでも言いなさい。私はまなみのせいで壊れた人生を取り戻すの」
「子供の犠牲で取り戻す人生に、意味なんてないと思いますけど。そんなことも分からないくらいには、腐ってるんですね」
「黙りなさい。実の兄夫婦が欠席なんて、世間体が悪いの。出席は強制よ」
「……分かりました」

数日後。まなみは静香の家を訪ねていた。
「まなみちゃん、本当に結婚するの?」
「お姉さん、本気ですよ。私にはこうするしかありませんから」
「こうするしかないって、そんなことないでしょ?」
「幼い頃から病弱だった私の治療費のために、両親は多額の借金を背負いました。父は治療費を払うために自分を顧みず働いて、過労で亡くなって。母は今でも借金を背負ったままです」
「それは分かるけど、無理に結婚しなくても」
「お姉さんとお兄さんも仕送りをしてくれてますよね。そんなの、気にしなくてもいいのよ。俊介は医者で、お金に余裕はあるんだから」
「余裕があっても、負担じゃないわけではありませんよね。もう、こんな風に誰かに迷惑をかけるのはうんざりなんです」
「だから東郷って人との結婚を受け入れたの?」
「母が言うには、私が結婚すれば借金を返済してくれるそうです」
「やっぱりお金のためだったのね」
「ですが、そうでもしないと私は両親への恩を返せませんから」
「あの東郷さんって人、俊介の知り合いらしいわね」
「え、はい。母さん経由で知り合ったと言ってました」
「俊介から聞く限り、ろくな人じゃないわよ。病院の理事長って言っても、本人が優秀なわけじゃなくて、親から継いだだけ。しかも病院の経営方針はお金儲けばかりで、患者さんからの評判も悪いみたいね」
「学生だった頃から、自分と同じ境遇の人の力になりたいって、いつも病院でボランティアしてたまなみちゃんとは合わないと思う」
「だとしても、最善なんですよ」
「まだ十八の娘が最善を語るなんて、一万年早いわ」
「いや、それだと人類は最善を語れないんじゃ」
「そう、人類もまなみちゃんもまだまだ未熟なのよ」
「それを言えるのは神様だけですよ」
「だから、諦めたようなことを言うのはやめなさい。助けて欲しいならそう言って。あなたを助けるためなら、私は神様にでもなるわよ」
「神とゴッドは同じ意味ですよ」
「……なんだか元気が出ました。ありがとうございます」
「まなみちゃん。前にも言ったけど、うちであなたを引き取ってもいいのよ。うちは子供がいないし、治療費の借金だって私と俊介で払っても」
「本当に大丈夫ですから。お姉さんたちにはもう迷惑をかけたくないんです」
「分かった。まなみちゃんがそこまで言うなら、私ももう言わない。結婚式、楽しみにしてるわね」

結婚式当日。
「お母さん、すみません。今日の結婚式、無理そうです」
「はあ? なんで?」
「実は式に向かってる途中で事故に遭ってしまいまして」
「事故?」
「はい。俊介と電車に向かってるところでトラックに跳ねられまして。俊介は怪我とかはなかったんですが、私はちょっとダメっぽいです」
「ダメって、こうしてLINEできてるじゃない」
「足の骨折と全身の擦り傷や打撲だけなので、LINEくらいは。ただしばらくは俊介の勤める病院へ入院となります」
「ふざけないで。トラックに跳ねられたからって、まなみの結婚式を欠席するなんて許さないわよ」
「話、聞いてました? ただの車とかじゃなくて、トラックですよ」
「だから何だって言うの?」
「あんな大きな鉄の塊に跳ねられて。ああいう時って、走馬灯を見るって本当ですね。ちなみに私の走馬灯には、お母さんは未登場でした。残念」
「勝手に出されてたら、出演料を取るところよ」
「走馬灯の出演料って、お金に換算できないレベルでしょ」
「俊介も近くにいるんでしょ?」
「いますよ。お母さんの無茶な要求にひっくり返ってます」
「今回の結婚式には、東郷さんの病院への出資者も来られてるの。実の兄夫婦がいないなんて。私と東郷さんの顔に泥を塗る気?」
「泥パックって美容効果すごいらしいですよ。シワも取れますしね」
「呑気なこと言ってる場合じゃないでしょ。むしろシワが増えるわ」
「私、今回の事故で思ったんですよね。トラックに跳ねられるとか、異世界転生しないと割に合わないなって」
「何の話?」
「いや、トラックに跳ねられる経験って、そういうレベルのことなんですよ。なのにこの状態で結婚式に出るって、正気の沙汰じゃないですよ」
「さっきから言ってるでしょ。あんたのことなんてどうでもいいの。それよりも、この結婚式を成功させる方が重要なんだから」
「今の私って、全身包帯のミイラ状態ですよ」
「それでも来るの。というか、大げさ。足の骨折だけでしょ」
「全身打撲と擦り傷もあるって言いました」
「だとしても、化粧とかしてごまかせるでしょ」
「ええ?」
「いいから早く来なさい」
「……そんな」
その時、まなみからLINEが来た。
「ああ。いや、何でもありません。じゃあ、今すぐ向かいます」
「何よ、急に。まあ、来てくれるなら助かるわ」

静香は電話を切り、俊介と看護師たちが待つ病室へ視線を戻した。
「にしても、あれですね。なんだか映画のワンシーンみたいじゃないですか」
「はあ。何が?」
「ボロボロの体で式に参上して、花嫁を奪っていく。王道展開だと思いません?」
「なんであんたが新郎のライバルポジションなのよ」
「まあ、そのライバルって、全身包帯まみれのミイラ女なんですけどね」
「受ける」
「受けませんよ。あんたの相手してたら、あ、疲れてきた」
「いいからさっさと来い」

三十分後。
「すみません、こっちは式場前に着いたけど」
「おお、お疲れ」
「うちの看護師の運転は大丈夫だったか?」
「それは問題ないよ。骨折してるのにも配慮してくれて、安全運転だったし。それよりもさっきのって本気?」
「こっちは本気も本気。実際、もうみんな集めて、そっちに向かってるよ」
「そうなんだ。俊介のとこの理事長さん、思い切ったことをするね」
「理事長だけじゃなくて、患者さんも看護師たちもな。みんな、まなみのことを好きすぎだろう」
「まあ、ボランティアでそこの病院にはよく通ってたもんね」
「まあな。みんな、まなみのことは自分の子供みたいに思ってるよ」
「だからこそ、今回の私たちの話を聞いて動いてくれたんでしょ」
「だからって、理事長がこんなことの許可を出すか。杖をついてヨボヨボのくせに」
「その杖をついてるおじいちゃんが、一番乗り気だったけどね」
「それに関しては、さすがに笑うしかないよな」
「ネット記事を書いてる堀田さんも、弁護士の山内さんも、みんなガチだよ。最初は私と俊介の二人だけで乗り込む予定だったのにね」
「気づけば、突撃、隣の結婚式場、with病院のみんなだもの」
「とはいえ、それもこれも最初に先陣を切ってくれた静香のおかげだよ。勢いだけはあるから」
「じゃあ早く来てね。私の車椅子は俊介に押してもらうのでしょ? 旦那様」
「大丈夫だな。花嫁を奪っていく準備はいいか? ライバルポジションさん」
「ばっちりよ。憧れてたのよね、恋愛映画の王道展開」
「奪ってく側に憧れるなよ。静香は奪われる側じゃないのか」
「多様性よ。多様性」
「王子様が男じゃないといけないなんて、誰が決めたのよ」
「だとしても、車椅子に乗った既婚者で包帯女が王子様だとは、誰も思わないだろう」
「こういうのはインパクトが大事なの」
「B級映画みたいだな。式場の様子が今から楽しみだよ」
「大どんでん返しがあるから、B級よりちょっと上くらいはあるわよ。多分」
「自信ねえのかよ」
「ここまで引いてるなんて、お前らしくもない。静香には俺がついてる。みんながついてる。ビビる必要なんてねえだろ」
「ありがとう。ちょっと勇気が出た。いざ、出陣よ」

一時間後。
「ちょっと、静香さん。これ、どういうこと? というか、電話出なさい」
「電話は嫌です」
「だって、お母さんブチ切れでしょ。怖いですもん」
「そりゃ切れるでしょ。あんたら、何をやったか分かってるの?」
「お母さんのご要望通り、結婚式場へ顔を出しただけですが」
「出しただけじゃないでしょ。なんか入院服着た人とか看護師とか十数人で押しかけてきたと思ったら、花嫁であるまなみを奪って逃走。ふざけんじゃないわよ」
「映画のワンシーンみたいでしたよね。さすがに興奮しました」
「違う意味でね。こっちがどんな状況か分かってるわけ?」
「知りませんよ。私たちはもう、その式場から逃げてるんですから」
「花嫁が連れ去られたのは、もちろんあんたらが余計なことを言ったせいで」
「余計なこと? なあ、もしかして、お母さんと東郷さんの会話内容ですか?」
「そうよ」
「そもそも、なんであんたらがあれを知ってたの?」
「お母さんと東郷さんの間にかわされた契約。まなみちゃんとの結婚が成立したら、東郷さんが借金を肩代わりすること。これは前から私たちも知ってましたよね」
「もう一つのほうよ」
「お母さんの借金ってのが、実は治療費のせいではなかったっていうやつですか?」
「そうよ」
「あのことは、東郷さん以外知らないはずなのに」
「今日、式場であなたと東郷さんが話してるのを、まなみちゃんが聞いたそうです」
「え、まなみが?」
「ええ。お父さんは亡くなる前に治療費の借金を完済していた。その後にできた。つまり、今ある借金一千万はお母さんの個人的な借金。そのことを隠し、私たちからの仕送りを受け、まなみちゃんも犠牲にしようとしてることを、まなみちゃんが全部聞いたみたいです」
「そんな」
「じゃあ、あんたらが式場へ乗り込んできたのは」
「まなみちゃんからSOSが来たんですよ。助けてってね」
「この大事なタイミングで、まなみったら聞き耳を立ててたなんて」
「自分勝手な理由で娘を売り渡すなんて。それこそ映画の悪役の所業ですよ。知ってますか? 悪役ってのは、最後にやられるのがお仕事なんですよ」
「黙りなさい。まだまだ何とかなるはずよ」
「ご自分で言ってましたよね。今回の結婚式には出資者も多く出席するって。この騒動を目撃したその人たちは、もう東郷さんの味方はしないでしょうね」
「それは」
「そして、その東郷さんからの資金援助を当てにしてたお母さんも、どうなるか」
「ふざけんじゃないわよ。私の人生再生計画が」
「計画と呼ぶには杜撰が過ぎます。では、ここでお決まりのセリフを一つ。悪いが、花嫁は私がもらっていく。残念だったな」
「はあ?」

数日後。
「まなみちゃん、ごめんね。日中は一人にしちゃって」
「そんな。むしろ、あの結婚式の後、家に置いてくれてありがとうございます」
「気にしないで。勝手に花嫁を連れ去ったんだから、これくらいはね」
「本当にありがとうございます。あの時、静香さんに助けを求めてよかった」
「ずっと、お母さんへの罪滅ぼしをしなきゃって思ってたんだもんね。そこに、あの借金の真実が突きつけられた」
「大丈夫?」
「少し時間を置いて、今はすっきりしてますよ」
「そうなの?」
「ずっと自分が悪いんだって思ってましたけど、違ったんだって分かって。なんて言ったらいいんですかね?」
「適切な言葉なんて必要ないわよ。まなみちゃんが安心できてるなら、それで十分」
「ありがとうございます。ただ、完全に安心できてるわけでもないんです」
「何かあったの?」
「あの日以来、毎日のように母から連絡が来てるんです」
「ああ、お母さんならやりかねないわね」
「今まで無視してたんですけど、実はさっき、静香さんたちを訴えるって来てて」
「訴える? 私たちを」
「結婚式の場から花嫁を連れ去ったのは犯罪だって。だから、母と東郷さんで、静香さんやお兄さん、それにお兄さんの勤める病院も訴えるってことですね」
「なるほど。お母さんたち、相当焦ってるわね」
「焦ってる?」
「ええ、そうよ。あの式には東郷さんの病院の出資者もたくさん来てた。あの場で私たちが言った真実や、まなみちゃんが連れて行かれた事実、それらをその出資者たちに説明しないといけない」
「それは何となく分かりますけど、どうして訴えるって話に?」
「説明に正当性を持たせるためよ。簡単に言えば、花嫁に逃げられたのではなく、花嫁が連れ去られたってことにしたいの」
「でも、私の方から静香さんに助けを求めたんですよ。なのに、そんなことって」
「そう。現実的に考えれば、花嫁の同意がある以上、私たちを訴えることはできない。きっと、私たちを訴えることをまなみちゃんに伝えれば、帰ってくると考えてるのよ」
「そうなれば、私は本当は結婚したかったってことになる」
「そういうこと」
「結果として、私たちを訴えることは、まなみちゃんが反対するでしょ。けど、あれはまなみちゃんを思った私たちの暴走であり、ありがた迷惑な行動だった。そういうことにできれば、出資者たちに説明はできるでしょ」
「なるほど」
「とはいえ、まなみちゃんの同意があって訴えられないのは刑事事件だけ。民事になると、式のこととかもあるから、慰謝料の請求はされるでしょうね」
「そんな。静香さんたちを、私が巻き込んでしまったってことに」
「大丈夫。まなみちゃんを助けたことで、迷惑することなんてないから」
「でも、訴えられる可能性はあるんですよね」
「そうならないように、こっちも手は打ってあるわ。物語ってのは、ハッピーエンドじゃなくちゃいけないからね」

翌日。
「静香さん。まなみから聞いたでしょ。訴えちゃうわよ」
「ご機嫌ですね。何かいいことでもありました?」
「別に。ただ、これで私たちの勝ち。あんたらの負け」
「言っておきますが、まなみちゃんの同意がある以上、刑事事件にはできませんよ」
「そんなの分かってるわよ。でも、民事で訴えることはできるでしょ。今回の結婚式はかなりの金額を使っていたの。高級ホテルを貸し切って、出席者も多くがセレブ。加えてまなみちゃんのドレスも、遠くの高級品だったらしいですね」
「そうよ」
「それらを全部台無しにしたのがあんたら。それにあんたらのせいで、東郷さんの社会的信用も落ちることになった」
「周りくどいですね。さっさと金額を言ってください」
「可愛げのない子ね。じゃあ、はっきり言うけど。今回の慰謝料は一千万よ」
「自分の借金に合わせてるんですか? 見事ですね」
「ふざけんじゃありません」
「ゼロが三つくらい多いですよ。お母さんには過ぎた金額です」
「一円じゃない。子供のお年玉じゃないのよ」
「お年玉がもらえるだけ、喜んだらどうですか?」
「ふざけるんじゃありません。あんたらへの請求額は一千万。これは決定よ」
「そうですか。一千万なんて払えないし。うん。困りましたね」
「そうでしょ」
「そうでしょうけど、一つだけ助かる方法をあげるわ」
「助かる方法?」
「まなみを素直に私たちの元へ返しなさい。そうすれば、慰謝料を請求しないであげる」
「お母さん、何? 私の優しさに感動しちゃった?」
「パーフェクトです」
「はあ?」
「何が?」
「悪役としてのセリフ選びが完璧ですよ。まさにやられ役って感じで最高です」
「バカにしてんの?」
「バカになんてしてません。その演技力なら、私の走馬灯に出演してもいいですよ」
「誰が出演するか。もういいわ。あんたの相手してると疲れる。訴えます」
「お母さん、できませんよ」
「それ、できるに決まってるでしょ。負け惜しみはやめなさい」
「先日、私たちが結婚式へ突入した時のこと、覚えてますか?」
「忘れられるわけないでしょ。人生最悪の日よ」
「私と俊介以外に、患者さんや看護師さんたちもいましたよね」
「それが何?」
「あの患者さんの中に、堀田さんという方がいます。彼はネット記事の記者です」
「ネット記事?」
「あの時、動画も写真も撮ってましたよ。そして昨日、記事が書き上がったそうです」
「ちょ、ちょっと待って」
「記事が書き終わったってことは、今日、サイトにアップされるそうです。平均PV、つまり一日で見ている人の数の平均は、大体十万人くらいだとか」
「十万人? 十万人があの結婚式を見るの?」
「仮にお母さんたちが私たちを訴えたとしても、裁判官の心証は最悪でしょうね。元々、結婚とは両者の合意のもとで行うものですから、その点もマイナスです。さらに、まなみちゃんの置かれていた立場や背景を考えれば、勝てる見込みはゼロです」
「そんな」
「私たちが勝てないなんて」
「一千万は払いません。請求されてないお金は払えませんからね」
「いや、でも、まだ私には東郷さんがいる。まだ負けてないわ」
「ああ、そうそう。その東郷さんですが。今頃、病院の理事長から下ろされてますよ」
「ええ?」
「実はあの結婚式の後に、俊介が働く病院の理事長が出資者の方に働きかけまして。先ほどの堀田さんが撮った動画や写真、掲載予定の記事をお見せしました」
「それで、どうなったの?」
「結果として、東郷さんの病院は俊介の病院へ吸収合併が決定。東郷さんは理事長を首になり、晴れて無職となりますね」
「嘘でしょ? 最後の頼みの綱が」
「ついでと言ってはなんですが。まなみちゃんの方から、お母さんを訴えさせていただきます」
「はあ? 訴える?」
「結婚の同意もそうですが、何よりも、結婚する前提条件に嘘がありますよね。まなみちゃんが結婚しようと決意したのは、自分のせいで借金があったから。しかし、その借金が実は全てお母さんの個人的なものだった。これは、詐欺と一緒ですよ。結婚という人生において重要な決断を歪められた。親族からの精神的な圧迫に加え、東郷さんとお母さんによる欺罔。これらを加味して、三百万の慰謝料を請求します」
「三百万? 私個人の借金一千万と合わせて千三百万」
「十八歳の娘を騙して、罪悪感を利用して、望まない結婚まで決意させた。それがどれだけ苦しくて辛い選択だったか。あなたに分かりますか?」
「何よ、急に。そんなの私には分かんないわよ」
「でしょうね。だから、同じ気持ちを味わわせてあげます」
「え? 同じ気持ちって?」
「自分の人生を、誰かの手で望まない形にされる。それが今のあなたの状況です。これが、あなたがまなみちゃんに敷いてきた状況であり、人生なんです」
「そんな。ちょっと待ってよ。私は」
「今さら泣き言なんて結構です。子供の人生を好き勝手にする権利は、親にだってない。そのことを、自分が好き勝手にされる立場になって、少しは実感してくださいね」

一ヶ月後。
「まなみちゃん、大学受験へ向けた勉強はどう進んでる?」
「静香さん、本当にありがとうございます。まさか大学への進学ができるなんて」
「まだできてないでしょ。これから進学するんでしょ」
「でも、こうやって目指せるだけでも嬉しくて。本来だったら東郷さんと結婚して、すぐに家庭に入る予定だったので」
「喜んでくれるのは嬉しいけど、その感謝の気持ちはお父さんにね」
「お父さんに?」
「まなみちゃんが本格的にうちに引っ越してくる時、ご実家に行ったでしょ。ええ、私の荷物を取るのと、母との縁を切るために」
「その時に、俊介がお父さんの部屋で見つけたのよ。あなたへの手紙と、あなたの大学費用にって、別で用意していた通帳を」
「え、お父さんが」
「まなみちゃんの治療費を払いながら、コツコツと貯めていたみたいね。治療が終わって、まなみちゃんが健康になって、そして、やりたいことをやれるように」
「でも、お母さんはそんなことは一言も」
「お母さんはあんなだから、お父さんの個人講座までは気づかなかったみたいね。そして、お父さんもお母さんを信用しきれず、黙っていた」
「そうだったんですか」
「まなみちゃんの今までは、確かに辛いことが多かったかもしれないね。でも、その辛い部分を乗り越えて、ようやくここからがあなたの人生なの。私たちが結婚式から連れ出した時から、あなたは自由に生きていいのよ」
「本当にありがとうございます」
「みんながあなたの人生を応援してる。だから、一生懸命生きていこうね」

その後、ネット記事の記者である堀田さんの記事は多くの反響を受け、全国からまなみを応援する声が届いた。その声を力に変えて、まなみは大学受験へ向けて日々勉強中。将来は俊介と同じお医者さんになって、多くの人を助けたいと語っている。俊介がお医者さんを目指した理由は、病弱だったまなみのため。そのまなみが今度はお医者さんになって、また誰かを救っていく。誰かを助けること、手を差し伸べることは、大きな輪のようなものだ。自分がしたことが誰かのためになって、誰かのしたことがまた誰かのためになる。私たちはそうやって、日々を助け合いながら生きている。

ちなみに、この輪から外れてしまったお母さんたちはといえば。お母さんは、患者さんの一人だった弁護士の山内さんの活躍もあり、一千万あった借金に慰謝料三百万の上乗せ。それらの返済に追われる生活を送り、人生再生どころか人生終了へ。東郷さんについても、理事長の座を追われて無職へ。お母さん同様にこちらにも慰謝料請求を行ったため、金銭的にも困窮状態だ。ネット記事が出たこともあって、医者としての復活は絶望的なんだとか。

そして私たちは、無事にハッピーエンド。まなみちゃんのこれからの人生に、多くの幸せがありますように。

Thumbnail