「ねえ、啓介。あんた朝帰りってどういうこと?玄関で寝落ちしてたからびっくりしたわよ。私も朝急いでて話す時間がなかったけど、その歳で何やってるの?」
「俺の金で俺がいつどこで飲もうが、何を買おうが俺の勝手だろ。」
「結婚して15年目、親歴13年目の言うセリフじゃないわね。そんなのは独身時代にやるものよ。いい加減にして。酒臭いおっさんが玄関で寝落ちなんて、中一の娘に対して悪影響だと思わないの?」
「うるせえな。もうガキじゃねえんだから、気にしすぎなんだよ。そのうち彼氏でも作って家に寄りつかなくなるんじゃねえの。ガミガミ言うババアは嫌われるぜ。」
「きこはそんな子じゃありません。」
「ああ、頭痛えから今日は半休取るわ。」
「そんな理由で半休取るなんて恥ずかしくないの?」
「恥ずかしかったら、45になって役職なしの平社員になんて甘んじてねえよ。俺は今の暮らしが楽しいんだ。いちいち口出しすんな。更年期じゃねえの。」
数分後、きこがため息混じりに言った。
「今日お父さんが半休取って家にいるんですって。最悪すぎるね。」
「きこ、今日は確か学校は午前中で終わりだったわよね。」
「そうだよ。私が学校に行く時は玄関にはいなかった。トイレにこもってたみたいだけど。」
「ああ、もう本当に情けない。ごめんなさいね。」
「お母さんが謝ることじゃないよ。もうお父さんのことは諦めてるっていうか、そういう生き物だと思ってるし。お母さんの方が心配だよ。当たり散らされてない?」
「ありがとう。大丈夫よ。でもお父さんと一緒はしんどいでしょ。おばあちゃんにお願いしとくから、一旦おばあちゃんちに帰りなさい。それで晩ご飯は美味しいものを食べに行きましょう。」
「やった。でもお母さん、本当に私に気を使ってるなら、気にせず離婚していいんだよ。お金なら私も高校生になったらバイトするし。あんな人と一緒に生活してるなんてお母さんがかわいそうだよ。」
「ありがとう。そうね。きこもちゃんと大人になりつつあるものね。離婚する方がめんどくさいなんて、いつまでも言ってられないか。」
「私、何でも手伝うから。」
「ありがとう。きこがいてくれてよかった。」
数分後、裕子は義母のたまきに電話をかけていた。
「たまきさん、すみません。ちょっと助けていただきたいんですが。」
「あら、いいわよ。何でも助けるわ。どうしたの?」
「きこが午前中で帰宅するので、たまきさんのお家にお邪魔させていただきたいんです。」
「まあ、それは構わないけど……また啓介のせい?」
「はい、まさにそれです。朝帰りしてベロンベロンに酔っ払って、玄関で寝落ちしてたんですよ。それだけなら自己責任だからまだいいんですけど、頭が痛いから半休取るなんて言い出して。」
「ああ、絵に描いたようなゴミクズムーブね。池に落としたら、綺麗な啓介になって出てこないかしら。『あなたが落としたのはこの綺麗なケース?それとも汚いケース?』って感じで。」
「綺麗でも汚くても、どっちもいらないです。」
「ねえ、裕子さん。本当にね、啓介のことなんて捨てちゃっていいんだよ。15年も夫婦やってられたことが奇跡だと思ってるからね、私は。」
「たまきさん……あの子の両親は学生結婚して、二十歳の時に啓介を産んで、五歳の時にバイク事故で死んじゃったの。私が四十五歳の時にあの子を引き取ってね。親がいなくなった寂しさのせいもあって、とにかく暴れん坊だった。手のつけられない時もあったけど、夫と二人で頑張って育ててきたつもりだった。裕子さんっていう素晴らしい人と結婚して、きこちゃんという孫にも恵まれた。それなのに、あのバカは私の目から見てもどんどんひどくなってるのは分かるんだよ。」
「何か心当たりがあるんです。」
「何が心当たりかね? あの子は生き様が卑怯なんだよ。倍返しでも足りないくらいじゃないか。」
「仕事があまりうまくいってないのかなとは思うんです。それのストレスかなと。」
「とにかく私はいつだって裕子さんときこちゃんの味方なんだから、離婚するなら私に気を使わず進めていいからね。」
「はい、ありがとうございます。」
一ヶ月後。啓介が珍しく早く帰ってきた夜、裕子は思い切って聞いてみた。
「啓介、最近仕事で変わったことはない?」
「ああ? ないよ、別に。なんだよ、急に。」
「ないならいいんだけど。」
「俺、今日も遅くなるから、勝手に飯食って寝てて。」
「もう年なんだから、あんまり無茶な飲み方しないでよ。」
「まだ四十五だっつうの。お前だって四十三のババアのくせに。ああ、マジでなんでお前なんかと結婚しちゃったんだろうな。俺、まだまだいい女狙えたかもしれねえのに。」
「あの日の自分に会えるなら、止めるわ。こんなしみったれた結婚生活やめちゃいたい。」
「何、もう酔ってるの?」
「酔ってないわよ。」
「ふざけんなよ。お前、どうせ俺のことバカにしてんだろ。営業から製造部に移動になった俺を見下してんだ。」
「いつの話してるのよ。私が妊娠する前の話じゃない。」
「どうせ、俺と結婚したと思ってんだろ。お前だって営業に戻れなかったくせに。」
「それは……お前を見てるとイライラするんだよ。」
翌日、学校から帰宅したきこが、青ざめた顔で裕子に電話をかけてきた。
「ねえ、お母さん。お父さん、大丈夫じゃなくない?」
「え? 待って。きこに何かしたの?」
「今朝、急に洗面所に入ってきて、『誰のおかげで生活できてると思ってんだ』って大声で怒ってきたの。酔っ払ってるのかと思ってスルーしてたら、『無視してんじゃねえ』って壁を殴ったの。さすがにちょっと怖くて。」
「嘘でしょ? 怪我してない?」
「してないよ。直接何かされたとかじゃないから。お母さんが会社行った後だったし、言えばいいか分かんなくて。」
「ごめんね。教えてくれてありがとう。そんなの絶対やっちゃだめよ。今日は学校帰りにそのままおばあちゃんちに行って。必要な荷物は私がまとめて移動するわ。今、あの人と一緒にいたらどうなるか分からないから。」
「お母さんは? お母さんは大丈夫なの? 私、怖いよ。」
「大丈夫。任せといて。怪しまれない程度に家には戻って、何かあればすぐおばあちゃんちで暮らせるように準備を整えましょう。その間に私もいろいろ動いておくわ。」
二ヶ月後。啓介はまた遅くに帰ってきた。裕子は食卓で待っていた。
「啓介、今日も遅いの? 大事な話があるんだけど。」
「何なんだよ。うるせえな。黙れよ。」
「首になったのよ。」
「は? 会社首になったの? お前、会社首になったの? やった。最高。会社首になったとか、お前本当にだせえな。今日は酒がうめえぞ。」
「啓介、話を聞いて。」
「よし、決めた。」
「何を?」
「稼げない嫁とは離婚だ。お前と一緒にいた理由なんて、生活費が半分になるからに決まってんじゃん。ただでさえ子供がいるせいで無駄な金がかかってたけど、お前を養うとか無理だから、子供連れて出てけ。」
「はい、わかりました。」
「言ったな。言ったな。」
「ええ、言ったわ。だって困らないもの。最近あなたの様子がおかしかったのもあって、きこはずっとたまきさんちで暮らしてたの。気づいてなかったでしょ。このまま私の荷物もまとめて、たまきおばあちゃんの家に行くわ。」
「あんな年寄りのババアしか頼る当てがないなんて、かわいそうだな。まあ、そのババアもいなくなれば、あの家も遺産も俺のもんだから。長くいるなよ。早く消えろ。」
数分後、裕子はたまきの家に着いた。
「たまきさん、ごめんなさい。助けてもらえますか?」
「もちろんよ。何がごめんなさいよ。喜んで。何をすればいい?」
「私、啓介と離婚します。しばらくたまきさんの家に住ませて欲しいんです。今もお世話になってるんですけど。」
「なるほど。理解したわ。待ってたわよ。この時をね。」
「あの、私が言うのもなんですが、なんでそんな孫息子の離婚に乗り気になってくれるんですか?」
「何度も言ったでしょ。私は裕子さんときこちゃんの味方なの。あの子はいろんな人との出会いに恵まれた人生だったのに、それを全部自分で壊してきた。これ以上、構いもしないし守るつもりもないわよ。」
「私、ずっとたまきさんとの関係が壊れるのが嫌で……本当にたまきさんが大好きだから。」
「あら嬉しい。そういう私たちじゃないの。さあ、忙しくなるわよ。」
数日後、たまきは啓介の家を訪ねた。
「啓介。あんた、離婚するんですって。情けない。」
「うるせえな。ババアは黙って棺桶で寝てろよ。」
「やだやだ。あんまり強い言葉を使うと弱く見えるわよ。それで離婚の件だけどね。財産分与とか養育費とか、今の家のこととか、話し合うことが山盛りなの。あなた、そういう面倒さを理解してるのかしら?」
「知らねえよ。養育費なんか払わねえし。俺はこの家から出ていかねえぞ。俺の家だ。金だって今までずっと財布は別だったんだから、財産分与なんかしねえ。」
「財布が別って、営業から製造部に移動して給料が下がったあんたが言い出したことでしょ。人の家庭にグチグチ口出ししてんじゃないわよ。」
「とにかくあんたは離婚して一人になりたいけど、家からも出ていかないし、財産分与もしないし、養育費も払わないってことね。だったらなんだよ。弁護士でも呼び出すか?」
「ああ、その前にやることがあるから、あんたの意思を確認しただけよ。全く、昔から気の短い子だったけど、今のあんたは鬼滅の刃みたいに滅烈だね。両親も天国で胸を痛めてることだろうよ。」
「子供置いてバイクで事故って死ぬ親なんかいらねえんだよ。もうほっといてくれよ。俺はあんたの息子でも何でもねえんだから。」
「だめよ。離婚するまで手続きは見守らないとね。それよりあんた、最近ちゃんと会社行ってるの?」
「うるせえんだよ。母親面すんな。ババアのくせに。」
「はいはい。わかりましたよ。」
数日後、たまきは離婚届を手に裕子のところへ来た。
「裕子ちゃんが書いた離婚届、啓介にも記入させたわ。」
「すごいです。さすがたまきさん。本当にありがとうございます。」
「こんなの、お休みだけど行くの。本当に取らなくていいの?」
「今は離婚が最優先ですから。それに財産分与がないだけでもだいぶ楽です。後からやっぱり離婚しない、ってなる方が嫌なんですよ。」
「それもそうね。離婚しちゃえばこっちのものなわけだし。そうしましょう。役所に出したらお祝いよ。」
翌日、離婚届は無事に提出された。裕子は啓介に最後の言葉をかけた。
「これでもう他人だからな。会社で万が一すれ違っても、話しかけんなよ。」
「はいはい。」
一週間後。啓介の家に、見知らぬ男が訪ねてきた。
「三島啓介さん。ご自宅に届いた書面についてご確認いただいておりますでしょうか?」
「は? 何の話だよ。お前、誰だ? なんだよその喋り方?」
「人事部の烏帽子です。三島さんの解雇が決定したため、人事部との面談を通達しているのですが、四回すっぽかしていますよね。しかも三日間に渡る無断欠勤も確認されておりますので、ご自宅に解雇通知を郵送させていただきました。」
「ちょっと待てよ。なんだよ。何の話をしてんだよ。お前が人事部? はあ?」
「元々営業でしたが、三年前に勤務形態を相談した際に、人事部の部署異動を受けたんです。十時十七時勤務で、在宅勤務とのミックスも可能と柔軟に対応いただきました。なので人事部に勤めてもう十三年になります。社員の勤務態度や営業成績等を管理して、給与や賞与、そして勤務態度による解雇等も担当しております。」
「嘘だ。そんな話信じるわけねえだろ。なめんなよ。」
「先日、会社を首になったと言いましたよね。あなたは勝手に私が会社を首になったと勘違いされたようですが、あれはあなたのことです。啓介さん、度重なる遅刻、欠勤、勤務態度の未改善。以前から、これ以上の勤務態度の悪さが続けば解雇もあり得ると注意を受けていたはずです。それでも改めなかったことから、来月一杯での解雇が決定となりました。」
「そんなことで解雇できるわけねえだろ。今の企業は簡単に人材を解雇できないってネットに書いてあった。俺だって最低限働いてたんだぞ。犯罪も何もしてねえのに解雇になるわけないだろう。」
「犯罪なんて犯さないのが大前提です。あなたの解雇理由は、会社にとって損害になっているからですよ。一日五分、十分の遅刻を繰り返せば、一時間、二時間分の遅刻になる。それでもあなたには働いていない分を支払う。つまり会社の損害になるんですよ。何より、あなたは製造部に移動してから仕事らしい仕事が確認できていません。それは聞き込み調査や監視カメラの映像でも確認が取れています。特に二年前から急速に悪化しており、会社側としても看過できなくなりました。全てあなたが招いたことで、自業自得です。」
「だからってこんな急に、あんまりだろ。ひどすぎる。不当だ。不当を主張するようでしたら、一度会社に出社してください。」
「それすらせず逃げるおつもりですか?」
「うるさい。うるさい、うるさい。俺は解雇なんて受け入れないからな。今すぐ抗議に行ってやるから待ってろ、てめえ。」
「はい、お待ちしております。」
数時間後。啓介は会社のエントランスにいた。しかし、そこには警備員が数人立っていた。
「警備がいるなんて聞いてねえよ。」
「会社なんだから当たり前でしょ。あなた、本当にどうしちゃったの? そんなことも分からないくらい錯乱して。そこまでバカじゃなかったはずだわ。」
そこに裕子が現れた。啓介は叫んだ。
「うるさい。俺は会社はやめない。やめない。やめない。」
「子供みたいにダダをこねるのはやめて。会社としても今回エントランスで大声を出して暴れたことをかなり問題視してる。来月付けだったけど、即日付けで退職処理するそうよ。」
「嫌だ。認めない。こんなの会社が悪いんだ。」
一時間後。きこが再び裕子に電話をかけてきた。
「お母さん、やばい。何? どうしたの? お父さんっぽい人がなんか学校の前にいるっぽくて。」
「はあ?」
「ボロボロのよれよれシャツとスウェット履いてて。明らかに不審者だから、先生が話しかけたら逃げ出して。慌てて写真撮っててね。心当たりはないかって見せられたんだけど、多分お父さんだった。」
「きこ、先生に相談して学校から出ないで。タクシーを呼んであげるから、それに乗っておばあちゃんちに戻って。」
「でも、おばあちゃんちにも来るんじゃないの?」
「おばあちゃんちは大丈夫。きこも知ってるでしょ? おばあちゃん最強だから。」
二時間後。啓介はたまきの家の前にいた。
「なんだよ。何なんだよこの家。あのマッチョ軍団、誰だよ。」
「やっぱりたまきさんの家に来たわね。」
たまきが玄関から声をかけた。
「たまきさんの家は今、マッチョなセキュリティによって守られてるから。あんたなんかひと捻りよ。」
「金で雇ったってか? ふざけんな。」
「いいえ。たまきさんが働いてる介護会社の、介護職員さんたちよ。」
「ふざけんな。そんなわけあるか。ボディビルダーみたいだったぞ。俺の腕をグイって曲げて地面に投げられたんだぞ。過剰防衛だ。」
「きこの話では、家に向かって『出てこないと売り飛ばしてやる』って言ったんでしょ。脅してきてるのはそっちでしょ? 正当防衛じゃないの? そもそも実の娘に対してそんな暴言を吐くような人。さっさと警察に捕まればいいんだわ。二度とたまきさんの家の周りをうろつくんじゃないわよ。あの二人に何かしたら、私が容赦しないからね。」
数分後、家の中でたまきは裕子と言っていた。
「たまきさん、やっぱり啓介さん、家に来ました。」
「読み通りだね。全くバカな子だよ。」
「多分、会社にも来ると思うんですけど、そしたら問答無用で警備から警察に通報してもらいます。」
「それがいいわ。裕子ちゃんも身の安全を第一にね。私はちょっと、死ぬ前に片付けないといけないものができたわ。でかいゴミがあるから、言ってくるわね。」
「演技でもないことを言うのはやめてくださいよ。危ないこともしちゃだめですからね。」
「大丈夫よ。ほら、私、十年前に交通事故で一回死にかけたじゃない? その時ガチで三途の川まで行ったんだけど。」
「あれ、マジの話ですか?」
「そう。臨死体験ってやつかしら? そこでね、閻魔大王様に会ったのよ。そしたら閻魔様が手帳みたいなやつを見ながら言うのよ。『ああ、ちょっと待った。まだこっち来なくていいわ。三十年くらい先でいいわよ。』って言われちゃって。」
「事故から数えてあと二十年でしょ。百歳は超えるわね。でも私の目標は百二十歳だから、ここから三十五年粘るわよ。」
「たまきさんが言うと、冗談に聞こえないんですけど。でも、それくらい長生きして欲しいんです。絶対、無茶しないでくださいね。」
数十分後。たまきは車で移動していた。前方に、歩いている啓介の姿を見つけた。啓介は裕子の会社に向かっているようだった。
「啓介。あんたがどこにいるかはお見通しだよ。裕子ちゃんの会社に向かってるんだろ。バカなことを考えるのはやめなさい。」
「ああ? どこから見てやがる。」
「あんたは徒歩でも、こっちは車に乗って移動してんだよ。勝ち目ないからね。」
「邪魔すんな。俺は裕子と復縁するんだ。あいつと復縁すれば、ひとまず生活できる。」
「なんであんたみたいな自己中物件と復縁すると思うのさ。バカも休み休みに言いなさいよ。」
「あいつは俺のことが好きなんだ。大好きなんだ。だから十五年も夫婦でいられたんだろ。俺が製造部に移動になった時も、財布を別にしたいって言った時も、生活費を出せないって言った時も、ずっと離婚しないでいたのは俺が好きだからだろう。だったら今回だって、見捨てないで俺のことを受け入れて、また結婚してくれる。」
「ああ、どうしたらこんな脳みそからシが消せるのかしら。特別な美容液でも塗ってるの? それ、私にも教えてくれるかしら。最近、小じわが気になり始めてね。」
「バカにしてんのか。ふざけんなよ。」
「バカにする以外の何があるって言うんだ。このバカタレ。営業から移動になったのも、あんたが取引先と揉めて手を出しそうになったからだろうが。全部知ってるんだ。私の人脈を舐めるんじゃないよ。」
「お前みたいなババアに何が分かる。」
「私は八十五歳だけどね。現役で介護事務所で働いてるんだ。経理だけど事務員やっててね。SNSで広報もやってるんだよ。『元気すぎる八十五歳』ってテレビの取材も来るんだから。」
「だったら何だって言うんだよ。」
「分からないのかい? 私に話を聞きたいっていう大企業の社長さんや、いろんな企業の関係者さんが挨拶に来てくれたり、DMをくれるんだよ。ああ、あんたの会社の営業部長さんとも知り合いでね。普段どれだけあんたに手を焼いていたか、移動後の話も聞いてるよ。」
「嘘だろ。なんでそんな。」
「自分の情けなさから移動した先での仕事は手抜きばかり。最低限やってれば解雇されないと会社に甘えて、給料泥棒になり下がって。本当に情けない。ここ数年はもっとひどかったみたいだね。酒で何度か会社の飲み会でトラブルになってるそうじゃないか。裕子ちゃんからも、最近飲み歩くようになって困ってるって聞いてるよ。」
「それこそ、あんたに関係ないだろう。」
「今こうして実害が出まくってんだろうが。あんたは私が預かった保護者としての責任がまだ果たされていないようだからね。せめて人様にご迷惑をかけないようにさせてもらうよ。ほら、グレーのワゴン車が見えるかい?」
「何? 何する気だよ。おい、やめろ。こっちに来るな。」
「裕子ちゃんがこの十五年、どんな思いであんたに寄り添ってくれていたと思う? 愛情は冷めてしまっていたとしても、あったんだよ。毎日あんたのシャツや下着を洗濯して、アイロンをかけて、気持ちよく出社できるようにしてくれていた。あの日々が愛じゃなかったら、何だって言うんだ。息子たちだってそうだよ。どれだけ啓介を愛して育てていたか。あんたはすっかり忘れちまったようだけどね。すぐ大きくなって着られなくなるのに、高くて可愛い服を買って、チェックのいいっていうおもちゃを買って。保育園の発表会は両親揃って出席して。自分であんたを育てたかったに決まってるだろうが。それも忘れて。この恩知らず。」
「そんなこと俺に言われたって……もう、どうすればいいんだよ。」
「あんたが向き合ってこなかった大切な人たちの思いを、しっかり背負って責任を果たすんだね。私にはそれを見届ける義務がある。閻魔大王様曰く、あと二十年は死なないらしいからね。覚悟しな。」
数日後。裕子はたまきと話していた。
「啓介だけどね。とりあえずカウンセリングに連れて行ったら、やっぱりアルコール依存症だったよ。」
「そうでしたか。私、全然気がつけなくて、本当にごめんなさい。私が気づいていたら、もっと別の何かがあったかもしれないのに。」
「仕事がうまくいかないストレスをお酒で紛らわしているんだと思ってたよ。もう済んだことだから。それに飲み代を捻出するのに借金も作ってたみたいでね。後始末が大変そうだよ。」
「そんな私に何かできることは?」
「そんなの、あのバカを忘れて楽しく生きることに決まってるでしょう。あのバカはこれから私の監督下で、住み込みで働ける場所を探してなんとかするよ。養育費もしっかり吸い上げるから、任せておいて。」
「あの……やっぱり私たち、たまきさんの家に住みたいです。それで身の回りのお手伝いをさせてください。生活費も入れます。お願いします。啓介にできなかったことを、たまきさんに返したいんです。」
「裕子さん。あなたは十二分に頑張ってくれたよ。まあ、でもお言葉に甘えようかしらね。最近さすがに食欲が落ちてね。それなのに作りすぎちゃうから、みんなでご飯を食べるのが夢だったのよね。宅配ピザも頼んでみたいわ。これで乾杯。ああ、ワクワクするわね。」
「きこもきっと喜びます。楽しみです。」
それから、啓介は治療を続け、今は真面目に工場の製造の監視員として働いている。たまきさんの言葉が聞いたのか、毎月養育費が五万円振り込まれている。裕子にすれば離婚できただけでも十分だったが、たまきさんが代わりに落とし前をつけてくれたことで報われた気分だった。ちなみに啓介が働いている工場は、たまきさんの知り合いが経営していて、屈強な警備員たちに囲まれているから逃げることも不可能。お酒もSNSも給料も制限され、落とし前の付けはかなりのものになったという。
裕子は離婚後、たまきさんと娘との新しい三人暮らしをスタートさせた。たまきさんは本当にパワフルで、つい先日、きこを誘って「たまきばあちゃんときこがパフェを食べる動画」を撮影していた。アップされるのが今から楽しみだという。
