「ああ、バレちゃった。少し借りただけだって。そんな怖い声出しちゃってさ」
翌日、私は葬儀場に連絡を入れ、忘れ物をしたからと偽って防犯カメラの映像を見せてもらうことにした。モニターに映し出されたのは、疑いの余地もないほどはっきりとした映像だった。あゆみが祭壇の隅に置かれた香典箱に手を伸ばし、中から幾つかの袋を取り出して自分のバッグにしまい込んでいる。その仕草は手馴れたもので、彼女がこれを計画的に行ったことを物語っていた。
私はその場で卒倒しそうになるのをこらえ、義父の岐阜に電話をかけた。事情を話すと、電話の向こうから義父の怒声が響いてくる。
「なんてことをしてくれたんだ!あの子は昔からどうしようもない子だったが、まさか兄の葬式で盗みを働くとは!もう娘として認めるわけにはいかない!」
義母も代わって受話器を取り、涙声で詫び続けた。
「みささん、本当に申し訳ない。あの子は昔からお金にだらしなくて…。今回ばかりは絶対に許してはいけないと私からもきつく言っておくから」
私は適度に相槌を打ちながらも、義両親に直接の追求をしないことを決めた。健太を失った悲しみの中にいる義両親に、これ以上の負担をかけたくなかった。香典を取り戻してくれるなら、それで十分だと思った。
実際、私たちが受け取った香典の総額は五十万円ほどだった。このお金は健太の葬儀費用に当てるはずだったものだ。しかし、その後に義両親が全額を私に手渡してくれて、結局、この件は表立った騒動にはならずに済んだ。
しかし、この一件があゆみとの関係を決定的に壊したことは言うまでもない。葬儀の日のことは、今思い出しても腹が立つ。健太との最後の別れを邪魔したのだから。私は感情を抑え、ただ静かに義両親に感謝の言葉を伝えるのが精一杯だった。
あれから一年の月日が流れた。涼は六歳になり、四月から小学校に入学する。健太が遺してくれたバスケットボール教室にも通い始め、優しい子に育ってくれた。私もようやく日常を取り戻し、少しずつ前を向いて歩けるようになっていた。
そんなある日のこと。ポストに一通の封書が届いた。
差出人を見て、私は固まった。あゆみからだった。開けるのが嫌になりながらも、私は封を切った。
中には、結婚式の招待状が入っていた。
「来月、私、結婚することになりました。式にはぜひ来てください。お世話になったお兄ちゃんの家族だから、絶対に来てほしいです。場所と日取りは一緒に相談してくださいね。お祝いの気持ちを忘れずに!」
私はその文章を二度読み返した。思わず笑いが込み上げてきた。香典泥棒の彼女が、よくもまあ図々しい。あろうことか「お祝いの気持ちを忘れずに」ですって?私はこの一年間、あゆみから何の謝罪も受けていない。おろか、連絡の一つすらなかった。それが今さら、馴れ馴れしい手紙を寄越してきて、結婚式に来いだと?
怒りを通り越して呆れてしまった。でも、その一方で、義両親がどう思うかが気になった。あゆみは義父母にも当然、結婚の報告と式の参加依頼をしているはずだ。義両親がどんな顔をするのか、私は電話をかけることにした。
「もしもし、母さん。あの…あゆみから何か連絡があったりしましたか?」
「あら、みさ。それがね、ちょうど今、手紙が届いて。結婚するから式に来てほしいって書いてるの。あの子、前のことを何にも触れてないのよ。私、あんまりいい気分はしないわね」
「はい。私のところにも来ました。あゆみは親不知を取ってもらったら勝ちだと思っているんでしょうか…」
義母はしばらく沈黙した後、重い口調で言った。
「ねえ、みさ。あの子に一度ちゃんと向き合って話してみてくれないかしら。あなたは被害者だから、無理にとは言わない。でも、私たち夫婦だけではあの子を止められない。どうか、お願いできないかしら」
私は迷った。しかし、このまま黙って引き下がるのも気持ちが悪い。それに、義母の頼みでもある。私はあゆみに電話をかけることにした。数回のコールの後、あゆみは出た。声には、少し警戒心が混じっている。
「もしもし…あ、みささん?どうしたの?まさか、私の結婚式に何か文句でもあるの?」
いきなりです。私、あなたに言いたいことがあって電話をかけました。
「何よ、改まって。もしかして、結婚のお祝いのお金、ちゃんと払ってよって言いに来たの?お兄ちゃんの時みたいに、香典を横領したくせに?」
彼女は笑いながら言った。腹が立ったが、私は平静を保つために深呼吸をした。
違います。香典のことは、もう済んだ話です。私はあなたが謝ることもないと思っていたの。でも、今回の結婚式の件。どういうつもりかしら。あなた、私に一言の詫びもなく、よく平気で招待状を送ってこれたわね。
「はぁ?詫びって何?私、お兄ちゃんから借りただけよ。あれは借りたの。返すつもりだったし、返したじゃない。」
返すつもり?返してくれてないじゃない。義理の両親が肩代わりしたのよ。
「だって、おじいちゃんたちが勝手に払ったんでしょ?私は頼んでないんだから。それに、お金のことはもういいでしょ。今は私の結婚式の話をしてるの。いい?私は、ちゃんと親戚の代表としてあなたにも来てほしいの。だって、私の結婚式なんだから。お祝いの返礼はきっちりするから、親戚の皆さんにもちゃんと伝えてね」
私は、受話器を握る手に力が入るのを感じた。
「あゆみ…。あなたがお金にだらしないのは、兄の健太も義理の両親も苦労してたわね。私の貯金から工面しろって言うの?」
「別に貯金を使えとは言ってない。あなたには健太の遺族年金やら、色々入ってるんでしょ?私が結婚したら、あなたたちの面倒はもう見られないんだから、これくらいのことで文句を言わないでほしいな」
私は、もう我慢の限界だった。
「あゆみ、あなたは反省ってものを知らないの?兄の葬式で香典を盗んで、謝りもしない。そして今度は結婚式でお祝い金を出せって?あなたに言っておくわ。私たちは、あなたの結婚式になんて絶対に行かない。行くだけ損よ!」
そう言って、私は電話を一方的に切った。背中を嫌な汗が伝っていくのを感じる。そして、この一件を親戚中に知らせることにした。あゆみがどんな人間か、はっきりと分からせるために。
翌日、私は義父と義母に電話を入れた。
「あの…あゆみの件、結局あれから何にも連絡が来なくて。ちょっと心配になってしまって。それで、もし良ければ聞いてほしいんですけど…」
「みさ、ちょうどいい。私も相談があるんだ。歩からな…手紙が届いて『結婚式は身内だけで執り行うから、ご祝儀は振り込みでお願いします』って書いてくるんだ。もう何が何だか…」
私は、義父が呆れ果てて言葉を失っている心中を察した。
「そうだったんですね。父さん、あゆみは手紙で『香典を盗んだことは親不知として認めない。お祝い金をきっちり出せ』って書いてきたんです。私は当然、断りました。あんな奴のために、ここまでして付き合う義理はありませんから」
「うむ…。わしには、どうしても信じられないよ。昔は、もう少し素直な子だったんだが。いや、すまない。お前さんの前で、奴の弁護をするつもりはない。がっかりした。本当に、がっかりしたよ…」
義父は続ける。
「みさ、決めた。あの娘の結婚式には、我々も欠席する。それで、みさには渡したいものがあるんだ。ちょっと実家に来てくれないか?健太の遺した財産の整理もある。どうしても話し合いたいことができた」
「はい…わかりました。それじゃあ、近いうちに伺います」
そうして、私は一週間後に義実家を訪れることにした。
一週間後。義実家の書斎に通された私は、応接セットのソファに腰掛けた。義父が神妙な面持ちで一枚の書類を差し出す。
「みさ。これはな、健太の遺産の一部だ。健太がお前さんと涼くんに残してくれた財産だ。正確には、健太が遺した生命保険の受け取りと、健太名義で預けてあった金の精算分になる。健太はお前さんたちのことを、誰よりも大事に思っていた」
私は、差し出された書類を見つめて首を振った。
「そんな…。そんなの、いただけません。健太が頑張って貯めたお金でしょう?私は、そんな…」
「いいから、受け取ってくれ。これはな、お前さんたちへの手切れ金でも何でもない。むしろ、わしらから涼くんへの予算だ。健太がいなくてきつい思いをしているのは、お前さんも同じだ。何より、健太の遺したものだ。遠慮なく使ってくれ」
私は、今にもこぼれ落ちそうな涙をぐっとこらえた。
「あ、ありがとうございます…!お父さん、お母さん…」
「うん。では、もう一つ良いか?みさ。実は、私からもお願いがあるんじゃが」
「健太の供養も兼ねてだ。涼くんが大きくなるまで、うちで一緒に暮らしませんか?いや、無理強いはしない。ただ、この家には健太が住んでいた部屋や思い出の品がたくさんある。みさが古いものを思い出して辛いようだったら、遠慮なく断ってくれていい。じゃが、もし本気でそうしてくれると言うのなら、私は嬉しいんだが」
私は、涙を拭いながら、力強くうなずいた。
「ありがとうございます。お父さん、お母さん。では、お言葉に甘えようと思います」
私は、義両親の深い愛情を感じ、しばらくの間、ぎゅっと義母の手を握りしめた。
この年の秋、私たち家族は義実家で暮らし始めた。涼は最初こそ慣れない環境に不安そうだったが、義父が毎週末に近くの公園へ連れて行ってくれたり、庭でバスケットボールを教えてくれたりするうちに、すぐに孫孝行のじいじの存在に懐いた。健太がいなくなってからというもの、ぽっかりと空いてしまった心に、義両親という新たな居場所ができた気がした。
あれから数ヶ月が経った頃、私たちの家の前に、一台の見慣れない車が止まった。降りてきたのは、懐かしい顔とも言える、あゆみだった。どうやら、私たちが義実家に身を寄せているという情報を聞きつけてきたらしい。
玄関先で鉢合わせた一瞬、あゆみは挙動不審そうに視線を泳がせた。
「あ…みささん、お久しぶりです。あの…えっと…」
「あゆみ…何の用?」
「えっと、その…この前は悪かったって思ってる。些細なことでもう一度謝りたくて…」
何を言い出すのかと思えば、以前とは別人のように殊勝な態度だ。私は、少しだけ警戒心を解いて、玄関の奥へ通した。
リビングには義母と義父がいた。あゆみを見て、義父は重々しい表情を浮かべる。
「歩みか。何の用じゃ。もう嫁入り前の娘だからといって、そう何度も会えるわけでもあるまい」
「そ、祖母の…違うの!おばあちゃん、お母さん、お願い! 今回の結婚、実はなくなってしまって…。少しの間でいいから、住ませてほしいの!」
その言葉に、私は耳を疑った。先月になって、彼女の結婚相手だった彼の家から、正式に結納金を返してほしいとの申し出があったと聞いていたが、まさか破談になったというのか。
「だって、あの人、バツイチで借金持ちだったんだよ!今さら、そんなの知らないよ。兄のお金をだまし取ったあの男に、絶対に払わないからな!」
あゆみは喚き散らしながら、ずかずかと上がり込もうとする。義母がすっくと立ち上がる。
「あゆみ、そこに座りなさい!」
義母の強い口調に、あゆみはピタリと止まった。
「今回のことは、貴方の身から出たことです。それに、あの男がどうこう言う前に、貴方には親として何が正しいのかを考えるべき車はあったはずよ。私とあなたの父は、この子(みさ)と涼くんと共に暮らすことを決めました。あなたの住む場所は、ここにはありません」
「な…何言ってんの!ここは私の実家よ!」
「あなたのものではない!この家を守ってくれたのは、健太の嫁であるみささんよ。何があっても健太の息子を守ると言っているの!」
義母はそう言い放つと、後ろを振り返って「ごめんなさい、みさ」と小さく言った。私は、その場は何とかおさめようと。
「…二人とも、落ち着いて。あゆみ、話があるなら、また今度にしましょう。今日は帰ってちょうだい。私たちも荷物があるし」
「今度って…!どうなるか分かってんの!あんたのせいで、全部、狂ったんだ!」
あゆみはヒステリックに叫んだ。すると、二階からでも分かるくらいの大声で、風呂上がりの涼の声が響いた。
「ねえ、お母さん!誰?なんで泣いてるの?」
涼が階段を下りてきた。私の足にしがみつく。
「大丈夫だよ。何でもないの。ね、おばさんは今帰るところよ。あゆみさん、帰ってくれませんか?」
「おばさん…だと?私はお前の…! 」
「帰ってください!あんたに言っておく!うちの息子に近づいたら、私の生命をかけてでも容赦しないから!どうしてもというなら、警察沙汰にするから!覚悟しておけ!」
私が凄むと、あゆみは悔しそうに唇を噛み、そっけなくバッグを拾うと、足音を荒げて帰っていった。
その背中を見送りながら、私は深いため息をついた。そして、義母がそっと私の肩に手を置いた。
「みさ、大丈夫。あの子のことは、もうこちらで何とかする心配はありません。急に来てすみませんね。本当に…」
私は、その言葉に首を横に振った。
「いいえ。もう何も言わないでください。母さん。私たちが家族なのですから…」
あれから数年が経ち、涼は無事に中学校に入学した。あゆみがどこで何をしているのか、私たちは知らない。ただ、もう二度と私たちの前には現れないだろう。健太の死を乗り越え、私たちは義両親と共に生きている。この温かい暮らしが、健太から私と涼に残された最後の贈り物なのかもしれない。
窓の外では、健太の好きだった白いユリの花が、風にそっと揺れていた。
