「夫婦なんだから妻の貯金を使って何が悪いんだ。これは家族のお金だろう」
夫の工事は悪びれもせず言い放った。隣では姑が偽の住宅の見積もり書を広げている。
「そうよ。3000万円も隠していた方が悪いでしょ。これで年金だけで暮らさなくて済むわ」
私は二人の顔を見て、静かに尋ねた。
「ところで、その通帳の名義は確認しましたか」
その瞬間、夫と姑の笑顔が消えた。
私の名前はみほ、四十二歳。工事と結婚して十七年になる。結婚を機に会社を辞めて、今は近所のスーパーでパートをしながら家事をしている。姑との関係は最初から悪かったわけではない。むしろ初めて我が家を訪れた日、姑はとても優しかった。
「急に来てごめんなさいね。これ、駅前で評判のお菓子なの。みほさんと食べようと思って」
私は少し緊張しながらもお茶を入れた。姑は部屋を見回し、「綺麗にしているのね。工事にはもったいないくらいのお嫁さんだわ」と笑ってくれた。これならうまくやっていける。そう思ったのだ。
姑が帰った翌日、引き出しに入れていた小さな真珠のネックレスが見当たらなかった。高価なものではない。でも結婚する時、母がくれたものだった。私は前日につけた記憶もなく、家の中を何度も探した。それでも見つからず、念のため姑に電話をした。
「お母さん、昨日こちらに来た時、白い真珠のネックレスを見かけませんでしたか」
取ったとは一言も言っていないのに、姑の声は急に冷たくなった。
「何それ。私を疑っているの」
「違います。ただどこかで見かけていないかと思って」
「人を泥棒扱いしておいて、よくそんな言い方ができるわね」
一方的に電話を切られ、その夜、夫から責められた。
「母さんに謝れよ」
「私は見なかったか聞いただけよ」
「同じだろ。母さんは傷ついてるんだぞ」
「でも家に来た翌日に無くなったのよ」
夫は目を細めた。
「お前、自分でなくしたんじゃないのか」
その日から姑の態度が変わった。まるで別人のように、連絡もなく我が家に来ては部屋を見回し、「泥棒扱いされる家は落ち着かないわね」と嫌味を言うようになった。料理を出せば味が薄い、工事がかわいそう。掃除をすれば「見えるところだけ綺麗にしても意味がない」。私がパートから疲れて帰っても「少ししか働いていないのに随分偉そうね」と言う。夫も姑に同調した。
「母さんはお前のために言ってくれてるんだぞ。少しは素直に聞けよ」
「私のためなら、どうして毎回傷つく言い方をするの」
「また被害者ぶるのか」
二人は私の作った夕食を食べながら、私の悪口を言った。夫は食べ終わると食器も下げず、「風呂を沸かせて、着替えも出しておいてくれ」と言った。それを聞いた姑は満足そうに笑う。
「男を立てるのが妻の役目よ」
私は何度か夫に相談した。夫は穏やかで、姑とは正反対の人だった。姑が来た時、私は何度か夫に相談した。夫は穏やかで、姑とは正反対の人だった。
「すまない。あいつには俺から言っておく」
夫が注意すると、姑はしばらく来なくなった。けれど数週間すると、また何事もなかったように現れた。しかも今度は、夫が姑に家の鍵を渡していたのだ。
「どうして勝手に渡したの」
「母親に鍵を渡して何が悪いんだ」
「ここは私の家でもあるのよ」
「嫌ならお前が出ていけばいいだろう」
その言葉を聞いた時、私の中で何かが覚めた。最初に無くなった真珠のネックレスは、結局見つからなかった。それから半年ほど経ったある日、今度は亡くなった祖母から譲り受けた翡翠のネックレスが無くなった。赤い緑色の石に金色の小さな留め具。世界に一つしかない、私の大切な宝物だ。私は家中を探した。まさかと思い姑の家へ行くと、姑はそのネックレスを首につけて玄関に出てきた。
「お母さん、それ、もしかして」
姑はわざとらしく胸元を抑えた。
「あら、素敵でしょ。それは私のです。祖母の形見なんです」
「何を言っているの。これは昔友人にもらったものよ」
「いえ、留め具の裏に祖母の名前が彫ってあります」
私が手を伸ばそうとした時、姑は大声をあげた。
「やめて。誰か助けて」
ちょうどそこへ夫が来た。姑に呼び出されていたのだろう。
「みほ、何してるんだ。そのネックレス、私のものなのか」
「まだ母さんを泥棒扱いするのか。見れば分かるだろう」
夫は私の腕を掴み、強く突き離した。私は玄関の壁に肩をぶつけ、その場に座り込んだ。姑は夫の後ろに隠れながら泣き真似をした。
「私はただみほさんと仲良くしたかっただけなのに」
「母さん、もういい。こんな女と話す必要ないよ」
二人が私を見下す姿を見て、ようやく分かった。この人は私の夫ではない。母親に褒められることしか考えていない、ただの息子なのだと。
その夜、私は義父に全てを話した。義父は長い間黙った後、深く頭を下げた。
「もう謝るだけでは済まないな」
そして義父は通帳を一冊、私の前に置いた。残高は三千万円。
「どうして私に」
「あの二人は言葉で注意しても認めない。また繰り返すのは間違いない。だから自分たちで穴を掘らせるしかない」
義父の提案で、私は寝室に小型の防犯カメラを設置した。通帳は鍵付きの引き出しに入れた。姑が来た日、私はわざと買い物に出た。
「二時間ほど留守にしますね」
「ゆっくりしていっていいのよ」
姑は不自然なほど優しく笑った。帰宅すると、姑と夫は何事もなかったように夕食を食べていた。その夜、映像を確認すると信じられない様子が映っていた。二人は引き出しの前に座り、細い工具で鍵をこじ開けていたのだ。
「やっぱり隠してたのね。ここだけ鍵がかかってるから怪しいと思ってたのよ」
「みほのくせに、こんなにため込んでたのか」
姑が通帳を持ち、夫が残高を見て笑っている。それでも私は何も言わなかった。そして一週間後、夫と姑にリビングへ呼ばれた。テーブルには偽の住宅の見積もり書と申し込み書が並んでいる。
「いい家が見つかったんだ。一階に私たち夫婦、二階にあなた。老後も安心でしょ」
「どういうこと。誰が住むと言ったの」
「誰が住むとかじゃないだろう。もう申し込み金も払ったよ」
そして夫は勝ち誇った顔で通帳を出した。
「お前の貯金からな」
私は言葉を失ったふりをした。姑は楽しそうに続ける。
「三千万円も持っていたなんて驚いたわ。まさか私を差し置いて、そんなに貯め込んでいたなんてね。でももう安心よ。これからは私たちがちゃんと面倒を見てあげるから」
私はゆっくりと立ち上がった。心臓は激しく打っていたけれど、もう震えることはなかった。
「その申し込み書、止めてください」
「はあ? 何言ってるんだ」
「その通帳の名義は私。そして、この家の登記名義も私です」
夫と姑の顔から血の気が引いていく。
「何を馬鹿なことを。家のローンは俺が払ってきたんだぞ」
「ええ、だから夫婦で折半するはずだったのよね。でも、あなたが払っていたのはローンだけ。光熱費も食費も、あなたのお小遣いも、全部私のパート代と貯金から出していた。それは覚えているわよね」
私はバッグから書類を取り出した。
「これは私の弁護士宛ての書類よ。あなたたちが無断で通帳を開けようとした映像もある。これは窃盗未遂よ」
「ふざけるな。俺の金だって言ってんだろ」
「いいえ。私の貯金よ。あなたは十七年間、私の働くお金を当てにして何もせず、お母さんの言いなりになっていた。それなのに、三千万円のお金を自分のものだと思っているの?呆れて物も言えないわ」
姑が立ち上がった。
「よくもそんなことが言えるわね。この家を出て行きなさい!」
「私が?なぜ?」
私が冷たく微笑むと、姑は一瞬怯んだ。
「この家は私の名義よ。あなたの息子さんは無収入。結婚当時、あなたの息子さんが貯金を全くしていなかったから、私が全額頭金を出したの。もちろん旦那さんも知っているわ」
姑が夫を振り向く。
「工事、これは何?」
夫は青ざめて何も言えない。姑は理不尽に手を挙げた。
「何よ、ふざけないで」
「お母さん、もういい」
その時、初めて夫の声が沈んでいた。それは私が十七年間、聞いたことがない声だった。夫はゆっくりと頭を下げた。
「みほ、すまなかった。俺が悪かった。母さんを許してやってくれないか」
「何を言ってるの、工事!」
「お母さん、黙って!」
珍しく夫が大声を出した。姑は何かを言おうとしたが、息子の剣幕に何も言えず、そのまま座り込んだ。
「ごめん、みほ。本当にごめん。俺はずっとお前を傷つけて、大事なものをなくしてしまっていた。この家を出て行く。もう俺たちは来ない」
そう言うと、夫は部屋に行き、荷物をまとめ始めた。姑もそう言われると、何も言えず。しばらくして、夫はキャリーケースを転がして玄関に向かった。
「工事、待って!」
息を切らして義父が駆け込んできた。義父は大量の書類を持っている。
「工事、これは何だ」
義父が差し出したのは、夫の借金の明細だった。
「あなた、借金なんてしてなかったはずよ」
「はあ!?知らないのか?この息子は、十五年前から月に一度、生活費とは別に金を借りに来ていたんだ」
義父は悲しそうに首を振った。私はそれを聞いて、何も言えなかった。この家を出て行く夫を見て、何も感じなかった。
「これはすべてあなたのせいです」
夫が初めて姑を見て、そう言った。姑は何も言えず、その場に座り込んだ。夫はそのまま出て行った。最後に一度、私の方を振り返ったけど、結局、何も言わずにドアを閉めた。
それから数週間、夫は何の連絡もなく、私のところには離婚届と署名済みの書類が届いた。義父が手続きをしてくれたのかもしれない。私はサインをして、それを出した。姑からは、それ以来、何の連絡もない。
「みほさん、本当にすまなかった」
義父は何度も謝った。私は首を振った。
「お父さんは何も悪くないです。あの二人のことは、もういいんです」
「何か手伝うことはあるか」
「ええ、庭の植木の手入れを覚えたいんです。これから一人でやっていかなきゃいけないから」
義父は笑った。私も笑った。少しずつ、新しい生活が始まる。私はこれからもこの家に住み続ける。家というのは、誰かのものではなく、自分で守るものだ。誰から何を言われても、もう無理に合わせて生きて行きません。自分自身で立てる足で、ちゃんと立って、ゆっくりと歩いていく。
