3日前、私は祖母に「卒業式には来ないで」と言った。お椀を置いた祖母はしばらく私を見つめ、「わかったよ」とだけ答えた。私は友達の若い母親たちに混ざる祖母を、見られたくなかったのだ。母は5歳で、父は中学1年で亡くなった。引き取ってくれた祖母は、スーパーの総菜売り場で早朝から働き、荒れた手で私の制服を洗い、弁当を作り続けた。三者面談で油の染みた服を恥じた私に、祖母は「次から気をつけるよ」と小さく言…

3日前、私は祖母に「卒業式には来ないで」と言った。お椀を置いた祖母はしばらく私を見つめ、「わかったよ」とだけ答えた。私は友達の若い母親たちに混ざる祖母を、見られたくなかったのだ。母は5歳で、父は中学1年で亡くなった。引き取ってくれた祖母は、スーパーの総菜売り場で早朝から働き、荒れた手で私の制服を洗い、弁当を作り続けた。三者面談で油の染みた服を恥じた私に、祖母は「次から気をつけるよ」と小さく言...

その言葉を口にしたのは、卒業式の三日前だった。私は祖母を見ようともせず、台所のテーブルに向かって言った。卒業式には来ないで。祖母は手に持っていたお椀をそっと置き、しばらく私の横顔を見つめていた。どうしてだい。会場も混むし、おばあちゃん、長く座ってるのも疲れるでしょ。私は気遣うふりをした。本心では、友達の若い母親たちに混ざって年寄りの祖母がいる姿を見られたくなかった。祖母は少しだけ目を伏せた。それでもすぐに、いつものように穏やかな笑顔に戻った。わかったよ。じゃあ、帰ってきたらお赤飯でお祝いしようね。あの時、私は知らなかった。その言葉を取り消す機会が、二度と来ないことを。

私の名前はまゆ。十八歳。私が五歳の時、母は病気で亡くなった。それから父が男手一つで私を育ててくれた。父は料理が苦手で、味噌汁は濃すぎるし、朝食はいつも焦げた目玉焼きだった。それでも毎朝、眠そうな顔をしながら私の髪を結び、今日も元気に行ってこい、と背中を押してくれた。けれど、私が中学一年生の時、その父も交通事故で亡くなった。一瞬で、何もかも失ってしまったような気がした。葬儀が終わった夜、私は仏壇の前で泣き崩れた。そんな私の肩を抱いたのが、父方の祖母だった。祖母は、たった一人の息子を失ったばかりだった。本当は、私よりずっと泣きたかったはずだ。それでも祖母は涙を拭い、私に言った。今日からは、私が家族だからね。

祖母は私を自分の家へ引き取った。古い平屋で、冬になると隙間風が入り、雨の日には廊下が少し湿った。祖母は近所のスーパーの総菜売り場で働いていた。朝はまだ暗いうちに起き、私の弁当を作ってから仕事へ向かった。卵焼きは少し焦げていて、煮物が二日続くこともあった。それでも私が空になった弁当箱を台所に置くと、祖母は嬉しそうに笑った。今日も全部食べてくれたんだね。夕方、帰ってくる祖母の服からは、揚げ油と洗剤の匂いがした。手はいつも赤く荒れていて、冬になると指先が割れて、絆創膏が何枚も貼られていた。それでも祖母は、その手で私の制服を洗い、ほつれた靴下を縫い、毎晩温かい夕食を作ってくれた。一度、私が高熱を出したことがある。祖母は仕事を休み、何度も私の額に濡れたタオルを置き換えてくれた。明け方に目を覚ますと、祖母は布団の縁に座ったまま眠っていた。荒れた手が、私の手を握っていた。

あの頃の私は、祖母の手が好きだった。けれど、成長するにつれて、私は周りの目ばかり気にするようになった。友達の母親は若くて、おしゃれだった。学校行事には綺麗な服を着て、流行のバッグを持ってきた。祖母はいつも同じ古いカーディガンだった。耳が少し遠いから、声も大きかった。中学三年生の三者面談の日、祖母は仕事帰りの服のまま教室へ来た。袖には小さな油の染みがあり、髪には白いものが目立っていた。遅くなってごめんね。祖母の声が廊下に響いた。近くにいた同級生たちがこちらを見た。誰も笑ってはいなかったけれど、私は笑われたような気がした。帰り道、私は祖母に言った。次から、仕事の服で学校に来ないで。祖母は立ち止まり、自分の袖を見た。そんなに、汚れていたかい。そういうことじゃない。みんなのお母さんと、違いすぎるの。口にした瞬間、祖母の顔から笑みが消えた。それでも祖母は怒らなかった。そうだね。気をつけるよ。小さくそう言うと、祖母は私の少し後ろを歩いた。

高校へ進学してから、私は祖母の作る弁当まで隠すようになった。友達に見られないように、昼休みになると弁当の包みを急いで開けた。ある日、祖母が弁当袋に短い紙を入れていた。午後も頑張ってね。丸い文字で、それだけ書かれていた。私は周りに見られる前に、その紙を小さく折ってポケットへ押し込んだ。捨てることはできなかったけれど、祖母にありがとうと言うこともなかった。高校三年生になると、進学費用の話が増えた。私は県外の大学へ行きたかった。祖母は一度も反対しなかった。まゆがやりたいことをやりなさい。そう言って、祖母は早朝勤務を増やした。帰宅が遅くなり、膝をさすっている姿を何度も見た。私は心配するより先に、自分の学費のことで頭がいっぱいだった。

卒業式が近づくと、祖母は誰よりも楽しみにしていた。卒業証書を持ったまゆを、いっぱい撮らないとね。古いスマートフォンを持ち、近所の人に写真の撮り方を教わっていた。画面を押すたびに指が震えて、何度も失敗していた。それでも祖母は笑っていた。一枚くらい、綺麗に撮れるだろう。ある夜、祖母の部屋の前を通ると、淡い藤色の着物がかけられていた。少し色褪せていたけれど、綺麗に手入れされていた。それ、卒業式に着ていくの? そうだよ。お父さんの卒業式にも着た着物なんだ。祖母は懐かしそうに、その袖を触った。もう古いけどね。近所の人が着付けを教えてくれるって言うから、お願いしたんだよ。祖母は着物を自分の体に合わせて、照れたように笑った。まゆの隣に立っても、恥ずかしくない格好をしないとね。その言葉に、胸の奥が痛んだ。祖母は気づいていたのだ。私が祖母を恥ずかしがっていることに。しかも、その着物は父の卒業を祝った日に、祖母が着ていたものだった。それでも私は謝らなかった。そして、卒業式の三日前。私はあの言葉を口にした。卒業式には来ないで、と。

卒業式当日。私は名前が呼ばれ、壇上で卒業証書を受け取った。式が終わると、体育館の空気が一気に明るくなった。母親から花束を受け取る子。父親と肩を並べて写真を撮る子。祖父母に囲まれて、泣きながら笑っている子。私は卒業証書を抱えたまま、一人で立っていた。一緒に帰ろうと思っていた親友に声をかけたけれど、親友は両親と食事へ行くという。私は平気なふりをした。来なくていいって言ったから。年寄りだし、友達に見られるのも恥ずかしいから。言い終えた瞬間、親友の表情が変わった。それ、本気で言ってるの? だって、みんなのお母さんとは違うし。親友は、私から目をそらさなかった。毎朝お弁当を作って、まゆを育ててくれた人でしょ。私は何も答えられなかった。おばあちゃんより、そんなことを言うまゆの方が、私は恥ずかしいと思う。近くにいた友達も黙ってこちらを見ていた。笑う人は一人もいなかった。別の友達が、小さな声で言った。気づいた時には、もう遅いと思うよ。

その瞬間、私はようやく、自分がとんでもない過ちを犯したことに気づいた。私は急いで体育館の外へ飛び出した。祖母は、もう帰ってしまったかもしれない。それとも、まだ待っていてくれるだろうか。校門へ向かって走りながら、私は自分の愚かさを呪った。どうして、こんなことを言ってしまったんだろう。どうして、祖母の気持ちを考えられなかったんだろう。母もいない、父もいない。それでも私の隣に立とうとしてくれた人が、たった一人だけいた。その人の気持ちを、私は踏みにじったのだ。

校門の前に、私は息を切らして立ち止まった。探しているのは、あのベージュのカーディガン。でも、視界に入ったのは意外な光景だった。校門のすぐ脇に、あの淡い藤色の着物が立っていた。そう、祖母は立っていた。行き交う人の波に流されながらも、真っ直ぐに体育館の方を見つめていた。袖には、何度も手入れした跡のある小さな染みがある。髪は、いつもより丁寧に整えられていた。近所の人に着付けを教わったのだろう。あの古びた平屋で、朝早く起きて準備をしたのだろう。私は見てしまった。祖母が、体育館から出てくる人たちを目で追っている姿を。そして、誰かを探すように、首を少し傾げている姿を。おばあちゃん、と呼ぼうとした。声が出なかった。腺が決壊したように、涙が溢れてきた。とぼとぼと歩く私に、祖母が気づいた。めっきり明るい表情になったと思うと、そっと笑った。まゆ。卒業、おめでとう。声は少し震えていた。言うべきことは、たくさんあった。ごめんなさい。来てほしかった。写真を撮ってほしかった。隣に立ってほしかった。私の、おばあちゃんでいてほしい。でも、出てきた言葉は違った。来なくて、いいって言ったのに。私は下を向き、証書をぎゅっと抱きしめた。

ほら、せっかく着物着てきたんだから。写真、撮らせて。祖母は、古いスマートフォンを取り出した。操作に慣れようと、必死になってきたはずだ。近所の人に教わった通りに、慎重に構えた。でも、指が震えて、うまくピントが合わない。すみません、すみません。私は少し立ち止まり、祖母の手からスマートフォンを受け取ろうとした。その時、隣の木の影から、親友たちが顔を出した。まゆ、おばあちゃんと写真撮りなよ。撮ってあげるから。くすくす笑いながら、私の隣に立った。私たち、一緒に写真撮ってもらえばよかったんだよ。俺のモノ。親友は、そう言ってスマートフォンを手に取り、カメラアプリを起動させた。まゆ、おばあちゃんの隠れてないで、もっと寄り添え。わ、わかった。私は恥ずかしそうに一歩寄った。祖母と肩が触れる。祖母の体は、服の上からでも分かるくらい温かかった。そして、あのスーパーの総菜売り場で働いていた頃の、石鹸と油の匂いがした。ああ、これだ。私がずっと見ないふりをしてきた、私の家の匂いだ。

パシャリ。祈りが切れて、俺たちはクラス中の写真を撮りました。

その帰り道、私は祖母の隣を歩いた。普段は、少し離れて歩いていたのに、今日は違う。私は祖母の小さな手を握っていた。指が、少しだけ絡むように。握り返してきた。ついさっきまで、震えていた手だった。おばあちゃん、今日はありがとう。素直にそう言えた。祖母は、一瞬驚いた顔をしたけれど、すぐに目を細めて笑った。こちらこそ、ありがとう。私、まゆの卒業式に来られて、幸せだよ。家に着くと、台所には、前日の夜から準備しておいてくれたお赤飯が、湯気を立てて蒸し器にのっていた。何も言わなくても、こたつには私の好物が並んでいる。卒業式の日の特別な味。私は、初めて、祖母の目の前で、お赤飯をほおばった。涙で、一気に食が進まなかったけれど、それでも嬉しかった。空いたお茶碗を見て、祖母は何度も何度も、よかった、よかった、と呟いた。

あの夜、部屋に戻ろうとした私を、祖母が呼び止めた。まゆ。ベージュのカーディガンを着た祖母が、申し訳なさそうに立っていた。その手に、一枚の写真があった。さっき、娘さんたちが撮ってくれた写真だ。私は、スクリーン越しに見た。写っているのは、藤色の着物を着た祖母と、無理に笑顔を作っている私。でも、目は真っ赤だ。私、ね。卒業式に来るのは、これで最後にするよ。何言ってるの?

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最後って。私が大学に行ったら、遠くへ行くから、来たくても来られないかもしれないけど、と言おうとした。でも、祖母は首を振った。だって、まゆ。私、恥ずかしかったんだよ。そう言って、祖母は写真の上にそっと手を置いた。周りは若いお母さんばかりで、私みたいな年寄りが座っているのが、なんだか申し訳なくてね。その言葉が、ぐさりと胸に刺さった。違う。違うよ、おばあちゃん。私は、卒業式に来てほしくなかった。来てほしくなかったんじゃない。来てもらったら、自分が恥ずかしいと思ってしまう自分が嫌だったんだ。そしたら、おばあちゃんに笑顔でいられなくなると思ったから。私は言いかけて、やめた。何を言っても、言い訳にしか聞こえない気がしたから。

しばらく沈黙が流れた。台所の、古びた時計の音だけが聞こえる。そして、祖母がぽつりと言った。あのさ、まゆ。私ね、まゆのお父さんが死んだ時、もう何もかも終わったと思ったよ。でも、君がいたから、君のためにお弁当作って、帰ってくるのを待って、夜が明けるのを待って、死ぬ気になれたんだよ。見て、この手。しわしわで、油で光ってる。この手はね、まゆのためにあるんだ。私はつい、祖母の手を握って、泣いた。離すまいと、強く、強く握った。あの時、卒業式に来てって言えなかったことは、一生の恥悔だと思った。でも、代わりに、今、握った。遅かったかもしれない。それでも届いたと、信じたかった。

翌朝から、私は少し大人になった。あれから、私の宝物は増えた。藤色の着物の祖母の写真と、その前で笑う私の写真。ポケットの中の、あの丸い文字の二行のメモは、今も手帳に挟んである。あの日、私は言えなかった。来てくれて、ありがとう。でも、あの夜、強く握った手が、少しだけ、その言葉の代わりをしてくれた気がする。かすかに香る、揚げ油と洗剤の匂い。私は、それも含めて、祖母の匂いだと思って生きた。あれから私は、あの日の約束を守っている。たぶん、これからもずっと。