夕食の後片付けをしているとき、洗面所から娘と孫の会話が聞こえてきた。「さあ、手を洗いましょう」と娘が言うと、孫が小さな声で答えた。「お母さん、おばあちゃんのタオル、何日も使ってるよね。ぼく、それで手を拭くの、やだなあ」「そうね。でも、おばあちゃんも一緒に住んでるから、仕方ないわよ」私は手を止めた。誰も、その言葉を注意しなかった。
その夜、リビングから娘の夫の声が聞こえてきた。「そういえば、最近お母さんのタオルがちょっと気になるんだよね」「何が?」「共用のタオルを使ってるから、衛生面が心配でさ。やっぱり高齢の方って、清潔感が……」「確かにね。でも、直接言うのは気まずいし」「そうだよね。何とかしないと」
私は震える手で、包丁を置いた。三十五年前から総合病院で看護師として働いてきた私が、衛生観念が低いと言われている。翌朝、朝食の準備をしていると、娘が話しかけてきた。「お母さん、タオルの使い方について、子供が気にしてるみたいなの。共用のタオルを何日も使ってるって言ってるの」そのとき、九歳の孫が大きな声で言った。「おばあちゃんのタオル、汚いから触りたくない。あ、ごめん」娘は困ったように笑った。「子供の言うことだから、気にしないでね」私は何も言えなかった。毎日タオルは取り替えているのに。それでも、家族にとって私は汚いものだった。
その後、リビングから二人の会話が聞こえてきた。「やっぱり、お母さんとは距離を置いた方がいいかもしれないね」「でも、育児も手伝ってもらってるし」「分かってる。でも、来年の春までには、何とか考えよう。お互いのためにも」
翌日の夕方、私は一人で自分の部屋にいた。手にしていたのは貯金通帳だった。三十五年間の看護師生活で貯めた退職金と、亡くなった夫の遺産。娘家族と同居してから三年間、家計費としては一切使わず、年金も全て貯金していた。かなりの額が残っている。私は深呼吸をした。もう決めた。心の中で、何かが固まっていくのが感じられた。
夕食後、家族がそれぞれの部屋に戻ってから、私は行動を開始した。近所の二十四時間営業のドラッグストアに向かった。個別のタオル、歯ブラシ、コップ、洗面用具を、家族全員分、それぞれ異なる色で選んだ。家に戻ると、深夜十一時を回っていた。家族は皆、もう寝ている。私は静かに、しかし迷わず作業を始めた。洗面所から全ての共用タオルを取り外した。歯ブラシ立て、コップ、全てだ。そして、新しく買ってきた個別専用のタオルを、それぞれ名前を書いたタグをつけて掛けた。娘の夫の分、娘の分、孫の分、そして私の分。歯ブラシもコップも、全て個別にした。それぞれの収納場所を完全に分離した。
作業をしながら、私の心は不思議なほど静かだった。怒りも悲しみも、通り越してしまったのかもしれない。最後に、洗面所の鏡にメモを張った。「タオルは全て個別専用にしました。清潔で衛生的です。これで誰も汚いと感じることはないでしょう」書き終えると、私は自分の部屋に戻った。ベッドに入りながら、スマートフォンで不動産情報サイトを検索した。来週には内覧に行こう。小さく呟いて、私は目を閉じた。
翌朝六時、いつものように起きた私は、静かに朝の準備を始めた。昨夜の作業の痕跡は、きれいに片付けてある。ただ、洗面所だけが完全に入れ替わっていた。六時半。最初に起きてきたのは娘だった。「おはようございます」洗面所に向かった娘が、突然立ち止まった。「お母さん、これは?」洗面所の様子を見て、娘は絶句している。「おはようございます。洗面所の準備ができています」「なんでタオルが全部個別になってるの?」「清潔でいいでしょ。個別専用ですから、誰も汚いとは思わないはずです」
そのとき、娘の夫も起きてきた。「おはよう。って、なんだこれは?」娘の夫も洗面所の様子に驚いている。「お母さん、どういうことだ?」「昨日、あなたが私のタオルは不衛生だと言いました。娘も、共用タオルは毎日取り替えた方がいいと言いました。だから、全て個別専用に変えたんです」「よ、でも、これは極端すぎるだろう」「極端でしょうか? 皆さんが望んだことを実行しただけです」そこへ、孫もやってきた。「わあ、なんでタオルが全部別々なの?」「あなたが、おばあちゃんのタオルは汚いと言ったでしょ。だから、新しい清潔なものに変えたのよ」娘が口を挟んだ。「お母さん、これはちょっとやりすぎじゃないですか?」「やりすぎ? 個別の方が衛生的だと言いましたよね」娘は答えに詰まっている。娘の夫が、慌てた様子で訪ねた。「お母さん、本気なのか?」「ええ、本気です。家族の皆さんが清潔を求めるなら、これが一番でしょう」「お母さん、昨日のことは……」「昨日のこと? ああ、別居の話ですね。それについても考えました。来週、不動産屋さんに行く予定です」娘と娘の夫が、同時に驚きの声をあげた。「えっ?」「早い方がいいでしょ。皆さんも、汚い、不衛生、細菌がつく、私と一緒にいるのは苦痛でしょうから」そう言って、私は自分の部屋に戻った。
翌日の夕方、私が夕食の準備をしていると、娘の夫が仕事から早めに帰ってきた。娘も子供を連れて、慌ただしくダイニングに集まってくる。「お母さん、話があるんだ。そのタオルのことだよ。朝から会社でも集中できなかった。これは、どう考えてもおかしいだろう」私は振り返り、家族全員を見渡した。「おかしい? 何がおかしいのでしょうか? 皆さんが望んだことを実行しただけです」「誰も、こんなこと望んでいない」「そうでしょうか? あなたは私のタオルは不衛生だと言いました。娘は、共用タオルは毎日取り替えた方がいいと言いました。孫は、私のタオルは汚いと言いました。違いますか?」私の言葉に、三人とも黙り込んだ。「言葉のあだで、人を傷つけていいんですか? 汚い、不衛生、細菌がつく。これらは全て、私という人間を否定する言葉です。あなたは、娘の夫として、母親が汚いと言われたとき、どうしてかばってくれなかったのですか? 子供の言うことだから、済ませていいことですか?」娘の夫は、答えられない。「私は三十五年間、看護師として、患者さんに清潔の大切さを教えてきました。でも、自分の孫にそう言われ、それを容認する。これほど悲しいことはありません」
「でも、実際にお母さんの衛生管理は、何が問題なのですか? 具体的に言ってください。これは、最近ですか? 病気ですか? 犯罪ですか? 私は毎日入浴し、清潔を保っています。それでも不衛生と言われるなら、もう一緒に暮らすことはできません。あなた、本当のところ、私に出ていって欲しいんでしょ? でも、今まで育児を手伝ってもらった手前、直接は言えない。だから、子供を使って汚いと言わせた。違いますか?」娘の顔が真っ赤になった。「そんな、人聞きの悪い……」「では、なぜ孫が汚いと言ったとき、注意しなかったのですか? 普通の親なら、祖母に対してそんな失礼なことを言えば、厳しく叱るはずです」娘は口をパクパクさせているが、言葉が出ない。
「お母さん、私たちは感謝しているんです」「感謝? 毎朝五時に起きて朝食と弁当を作り、週五日八時間の育児をして、家事全般を引き受けて。その私に対して、汚い、不衛生、細菌がつく。これが感謝の表現ですか?」そのとき、孫が泣き出した。「おばあちゃん、ごめんなさい」私は優しく言った。「あなたは悪くないのよ。大人たちが、間違った見本を見せてしまっただけ」娘の夫が、うつむきながら言った。「分かった。お母さんの言う通りだ。俺たちが悪かった。だから、元に戻してくれ」「元に戻す? 何を元に戻すのですか?」「あ、タオルだよ。共用のタオルに」「もう戻せません。一度、汚いと言われたものを、また使うことはできません。それに、来週には私はここを出ていきます」「お母さん、そんな急に?」「急ではありません。昨日、あなたが、来年の春までに、と言いました。でも、よく考えたら、お互いのために早い方がいいでしょう。実はもう、不動産屋さんに連絡を取りました。明後日、内覧に行きます。ちょうど良い物件があったんです。駅から五分、一DK。家賃も、年金で十分払えます」「でも……」「お金は、三十五年間の看護師生活の退職金と、夫の遺産があります。それに、この三年間、あなたたちに家費として、一円も要求していません。年金まで、全て貯金しています。一人で暮らすには、十分すぎるほどです」
娘と娘の夫は、顔を見合わせた。「引っ越したら、しばらく連絡は控えさせていただきます。汚い、不衛生、細菌がつく人間と関わるのは、皆さんにとっても苦痛でしょうから」孫が叫んだ。「おばあちゃん、行かないで!」「おばあちゃんは、汚いんでしょ。汚い人と一緒にいたくないでしょ」「違う! 僕、そんなこと思ってない!」「でも、言葉にしてしまいましたね。言葉は一度口から出たら、もう取り消せないんです」部屋のドアを閉める前に、振り返って言った。「ああ、そうそう。孫とは会いたいので、月に一度くらいは会いましょう。でも、家に呼ばれても、もう行きません。汚い人間が上がると、迷惑でしょうから」そう言って、私は静かにドアを閉めた。
あれから一週間後、私は新しいマンションへの引っ越しを完了させた。引っ越しの日、娘と娘の夫は最後まで引き止めようとしたが、私の決意は変わらなかった。孫は玄関で泣いていた。私は孫の頭を優しく撫でた。「月に一度、第一日曜日の午後二時に、中央公園で会いましょう。約束よ」
新居での生活が始まって、最初に取りかかったのは洗面所の整理だった。娘の家から持ってきた個別専用のタオルを、一つ一つ丁寧に並べていく。誰に汚いと言われることもなく、堂々と使うことができる。その晩、私は久しぶりに心を込めて料理を作った。煮物、焼き魚、お味噌汁。誰に文句を言われることもない、自分のための食事だ。「いただきます」静かな部屋に、私の声だけが響く。少し寂しいけれど、これが私が選んだ生活だ。
数日後、初めての日曜日がやってきた。約束通り午後二時に中央公園へ向かうと、孫が待っていた。「おばあちゃん!」孫は駆け寄ってきて、私に抱きついた。娘と娘の夫は少し離れたベンチに座っていた。気まずそうな表情で、こちらを見ている。公園で過ごした時間はあっという間だった。孫と遊具で遊び、手作りのお菓子を一緒に食べ、学校の話を聞いた。「おばあちゃん、また来月も会える?」「もちろんよ。約束は守るわ」別れ際、孫が小さな声で言った。「おばあちゃん、本当にごめんなさい。汚いなんて言って」私は孫の頭を撫でた。「もういいのよ。でも、これからは、人を傷つける言葉を使わないって約束できる?」「うん。約束する」
アパートに戻ると、郵便受けに手紙が入っていた。差出人は、昔の看護師仲間からだった。「先生、お元気ですか? 先日、娘さんから、先生が引っ越されたと聞きました。実は私たちも、看護師の先生を囲みたいと思っています」涙が溢れた。私を必要としてくれる人たちがいる。それだけで十分だ。
その夜、日記を書いた。「今日から、新しい生活が本格的に始まりました。一人暮らしは、確かに寂しい時もあります。でも、誰にも否定されることなく、自分らしく生きられる喜びの方が大きいです。私は、汚い、不衛生、細菌がつくと言われました。でも、それは他人の評価に過ぎません。私は私として、堂々と生きていきます。三十五年間の看護師生活で培った経験も、夫との思い出も、全て私の宝物です。誰にも否定させません」日記を閉じて、窓の外を見た。町の明かりが優しく光っている。「あなた、見ていてね。私、強く生きるから」夫の写真に話しかけて、私は静かにお茶を飲んだ。少し欠けたけれど、世界で一番美しい茶碗で。
