「女の孫なんていらないのよ。家を継ぐでもないし、価値がないもの」
義母は夫によく似た息子だけを可愛がり、娘のことを徹底的にないがしろにした。私は腹の底から込み上げる怒りを隠すように、口元だけを笑みの形に歪めて義母を見つめた。
私の名前は金本七子。三十七歳。独身時代は営業事務として仕事に打ち込んでいたが、結婚後は夫の希望もあって専業主婦をしている。子どもが小さいうちはできるだけ親子の時間を大切にしたいという夫の考えに、私も賛成だった。働くこと自体は好きだから、子どもたちの手がかからなくなったらパートに出ようかとぼんやり考えている。
夫の弘市は私より三歳年下で、十年ほど前に知人の紹介で知り合った。少し話しただけで、人の話に耳を傾けられる優しい人だと好印象を持った。付き合い始めると自己主張がなさすぎて頼りなく感じることもあったが、二人の子を持つ父親になった今はそれも改善してきたと思う。私にとってかけがえのないパートナーだ。
私たちは二人ともこの土地の出身で、結婚後は夫の実家の近くのアパートに住んでいる。当時弘市が働いていた会社にも近く、地元を離れたことがなかった私たちは、特に他の地域へ移り住む必要性を感じなかった。今は昨年亡くなった義父が残した会社を継ぐために以前の会社を辞めてしまったが、当時の仲間とは変わらず仲良くしているらしい。弘市は今の会社で一番若いにもかかわらず社長という立場だが、年上から可愛がられる才能があるようでうまくいっており、傾いていた業績も少しずつ回復し始めた。
弘市に引き継ぐ前に一瞬社長をしていた義母は、今は相談役として名前だけを会社に残している。そんな義母は、義父を亡くした後のわずかな期間に会社の経営を預けたというのに、その時の損失を全く認めようとしない。あれはこれから大きく業績を伸ばすための必要な投資だったと言い、弘市が立て直した今の状況を自分と弘市の功績だと主張している。私は会社の人間でもないし、義母に相談することもないので放っておけるが、私たちは別の場面で非常に悩まされていた。
義母は一人息子の弘市にべったりなのだが、孫である相馬のことも異常なほど可愛がっている。私たちには息子の相馬と娘の詩という二人の子どもがいるのだが、義母はあからさまに相馬をひいきしていた。初孫だとか、家の後取りだとか、義母が挙げる理由はいろいろあるが、最大の理由は相馬が弘市によく似ているからだ。
「父ちゃんはお父さんに似て賢そうな顔ね」
耳にタコができるほど、弘市の出来の良さと相馬への期待を聞かされている。それだけならまだいいのだが、義母は毎回私や詩を引き合いに出した。「女の子なのに母親に似たから不細工だ」「誰かさんに似て性格も暗い」と、私を前にして言いたい放題にしゃべる。私は子どもたちをできるだけ義母に合わせたくないのだが、近所に住んでいる義母の訪問を完全に断ち切ることは難しかった。
弘市も義母のこういった発言は知っているし、本当なら実の息子である彼から注意してもらうのが望ましい。しかし弘市は昔から義母の期待に答えようと頑張ってきた人で、家庭を持った今でも義母と面と向かって対立することが苦手だった。本人も苦労していることは分かるので、私は自然と家族の防波堤として義母に接するようになっていく。
ある日の夕方、義母が大きな荷物を抱えて自宅にやってきた。私は相馬が公園に遊びに行って不在なことにほっとする。最近では相馬も義母からの愛が重すぎるのか、少し煩わしく感じているようだった。綺麗ごとばかりは言えないのは分かっているが、それでも祖母を嫌わないでほしいという思いも捨てきれない。
そんな私の葛藤など全く知らない義母は、持ってきた大きなトートバッグの中から、左上がホチキスで止められた紙の束を取り出した。机に並べられていくそれらが弘市の使っている営業資料だと気づいてどきっとしたが、義母は一部を手に取って私に持たせ、満面の笑みで中を見るように促した。真意が分からない私は、一体何を言われるのだろうと考えながら、言われた通りにぱらぱらとページをめくっていく。
「すごいでしょう。弘市はこういうセンスもあるのよね」
義母は誇らしげにそう言って説明を始めた。何でもこの資料を使って社長の弘市が自ら大口契約を取ってきたそうで、「さすが自分の息子だ」「弘市に会社を譲った自分は見る目があった」と自己賛美が止まらない。
「弘市の後は相馬ちゃんが継いで、我が家は安泰ね」
そこからはいつものように息子自慢と相馬を持ち上げる話が延々と続いた。今からそんな先の話をされても嫌だし、今後の会社をどうするかも義母の一存で決まることではない。わざわざ反論して面倒なことになるくらいなら、と思い黙っているが、頭の中では今晩の夕食のメニューを考えながら適当な相槌を繰り返してやり過ごしていた。
そうやって満足するまでたっぷり喋ると、義母は再び持ってきた鞄からガサガサと荷物を出し始めた。いつものパターンなら、次に出てくるのは相馬のプレゼントだろう。義母はよく子供向けのサプリメントや知育玩具などを相馬へ買ってきた。私の記憶では、詩が何かをもらったことは一度もなくて、こういった形ある不平等も親の私には辛い。義母は机に大量の古い絵本を出し終えると、「これを読ませて、相馬ちゃんを弘市のように立派な人間になるよう教育しろ」と言う。元は弘市に買い与えたという本たちは、小学一年生の相馬にはまだ難しいものばかりだったが、私がぺこりとお礼を言うと義母は満足したようで、まるで時間が巻き戻ったかのような息子自慢が再び始まった。
義母は遊びに行っていた相馬が帰宅するまで喋り続け、帰ってきた相馬の頭をこれでもかと撫で回して去っていった。
「あなたは賢い子よ。きっと父さんみたいに立派になるわ」
娘の詩は義母が来た時にはもう幼稚園から帰っていたが、まるで視界に入っていないように今日も相馬のことばかりだった。本人に兄と比べた発言をされるよりはずっといいが、詩に一言も声をかけずに帰っていった義母に、私は複雑な気持ちを抱いた。
「後で聞いてほしいことがあるんだけど」
そんなある日、義母から弘市が子供の頃に好きだったケーキを焼いたから、義実家に食べに来いと電話があった。甘いものが大好きな子どもたちは、ちょうどおやつ前の時間だったこともあり、大喜びでスキップをしながら義実家に向かう。しかし玄関で私たちを出迎えた義母は、とんでもないことを口にした。
「まあ、詩も来たの?母親に似ているだけあって、癪に障る女だこと」
私はぎょっとして義母を見た。この人はなんてことを言うのだろう。義母は電話をかけてきた時に「相馬ちゃんも好きだと思って」と言っていたが、まさか相馬にだけ振る舞うつもりだったのか。私のそんな考えを肯定するように、義母は続けて「相馬ちゃんだけを置いて、私たちは帰れ」と言った。
私はその瞬間、頭に血が登るのを感じる。幼い娘に対するあまりの言い草と失礼な態度に、黙っていることなどできなかった。もう二人を連れてすぐにこの場を離れようと思い、子どもたちの手をぎゅっと握る。その瞬間、相馬がにこにこして一歩、義母に歩み寄った。
「みんなで食べようよ」
美味しいものはみんなで食べるともっと美味しくなるのだと、相馬は家で教えられたことを義母に伝える。すると義母は途端に手のひらを返して、私たち三人に家へ帰れと言った。相馬の気持ちを考えると、ここで無理やり連れて帰ることはしたくない。結局私たちもケーキをご馳走になったのだが、気持ちは一向に晴れなかった。義母は相馬が本当に優しくてよくできた子だと褒めたたえるが、私にはそれすらも素直に受け取れないくらい、さっきのことが頭に強く残っている。
ケーキを食べ終えた子どもたちが、続き間になっている隣の部屋で遊び始めても、私はできるだけ早く帰ろうと何か言い訳を探していた。一方の義母は相馬のおかげですっかりご機嫌で、お決まりの話を始める。
「本当に相馬ちゃんは弘市にそっくり。弘市は私に似ているから、相馬ちゃんも将来が楽しみだわ」
そんな風に義母が相馬を褒めているうちは良かったが、今日は相馬と一緒に遊ぶ詩が目に入ったのか、義母の話は詩をけなす内容に変わっていく。大人しい性格の詩はお絵描きや室内遊びが好きで、義母に言わせれば「人見知りで子供らしくない」そうだ。それは今までも散々言われてきたが、本人に聞こえるようなところで我が子を悪く言われては我慢できなかった。私は募った苛立ちを爆発させるように、詩のいいところを挙げて義母の話を遮る。すると義母は、私が口を挟んだことが気に入らないようで、さらに口汚く詩のことを罵り、ついには「息子に似ていない子供なんて、自分の孫とは思っていない」とまで言い始めた。
「女の孫なんていらないのよ。家を継ぐでもないし、価値がないもの」
これには完全に堪忍袋の緒が切れて、私は静かに立ち上がって義母を見下ろした。
「おっしゃる通りです。だったら、女に生まれたお母さんも価値がないですね」
わざとらしいほどの笑みを浮かべた私が放った言葉を理解できなかったのか、義母は口を開けて固まった。私は家族のためにも自分のためにも、もう我慢するのはやめようと吹っ切れて、義母に言葉を続ける。女がいらないというのなら、私も義母も必要ないのだし、才能なんて幼稚園児の頃から見えるものばかりではない。もちろん義母は私の反論に顔を真っ赤にして怒ったが、私にとって大切なのは自分の家族だ。私は何かぎゃんぎゃん言っている義母には構わず、子どもたちが遊んでいたおもちゃを片付けて、すぐに二人を連れて自宅に戻った。
その晩、私はまだ義実家での出来事を思い出しては腹が立っていた。弘市には前から義母の相馬ひいきについて話しているが、今日のことは詳細に話す必要があるだろう。私がそんなことを考えながら夕食の支度をしていると、いつもより早い時間に玄関の鍵が開く音がした。子どもたちと一緒に弘市を出迎えに行った私は、思わず「え?」と声をあげる。弘市を押しのけるようにして義母が現れたからだ。
そのまま挨拶もせずにずかずかと上がり込んだ義母を見て、相馬はさっと詩の手を引き、部屋に隠れてしまう。やはり母と祖母があのように言い合いをする姿を見てショックだったのだろう。私がもう一度ゆっくり子どもたちと話さなくてはと考えている間に、義母はリビングのソファーに座って弘市に今日の出来事を話し始めた。しかしそれは捏造と言ってもいいくらいに事実とは違う内容だ。私は何度も口を挟みそうになったが、弘市がジェスチャーで静止するので黙って聞いているしかない。義母は自分が詩の聞こえるところでひどい発言をしたことには一切触れず、私が相馬への扱いに嫉妬しているかのように話した。
話し終えた義母が「弘市、嫁は親や祖父母から可愛がられなかった子だから嫉妬しているのか」と笑って言うと、それまで静かに聞いていた弘市はため息をついて私を振り返った。
「こんなことはもうやめよう」
私は弘市の目に浮かぶ怒りに気がついて、はっと息を飲む。義母は弘市が自分と一緒になって私を責めてくれると思ったのか喜んだが、弘市は自分の腕に添えられた義母の手を振り払って、義母とは親子の縁を切ると宣言した。
可愛い息子に突然突き放された義母は事態が飲み込めないようで、せわしなく視線を彷徨わせる。弘市は声を荒げることもなく、静かに義母に話を続けた。義母は私たちが義実家を出た後も腹の虫が収まらず、仕事中の弘市に電話をかけたらしい。そこで大体の状況を把握した弘市は、最初から絶縁するつもりで、即座に退職の意思を会社に告げてしまったそうだ。電話の内容はもちろん義母に都合がいいように報告されていたものの、今までの経験から義母が私の我慢ならないことを言ったと推測できたそうだ。
息子からの反撃に驚いた義母は「私と詩だけ放り出せば丸く収まるのに、絶縁なんて」と強く抗議する。しかし弘市はそれには返事をせず、机にそっと紙の束を置いた。
「これを作ったのは誰だと思う?」
あまりに唐突なことに、義母と一緒になって紙を見ると、それは義母に昼間見せられたのと同じ弘市の営業資料だ。これは以前の仕事でよく上司に資料作りを褒められていた私が手伝って改良したもので、弘市は「契約が取れたのは自分だけの手柄ではない」と義母に明かす。私は緊張した面持ちで話す弘市の覚悟を見て、自分も義母に真実を告げた。
幼い頃から義母に極端に褒められて育った弘市は、失敗して失望されないようにこっそりと周りの手を借りて、自分をよく見せてきた。それが可能だったのは、弘市が周りから愛されるキャラクターで、真面目な性格から来る人望の厚さがあったからだと思う。彼は「運がいいだけだ」と言うが、弘市の周りには自然と協力者が集まった。結婚前に深刻な顔をした弘市から「義母の期待がプレッシャーだった」と打ち明けられた時、私はこの事実を義母に話すことを決意した。私や後に生まれる子供が同じように苦しまないためだと言うが、義母が真実を受け止めてくれなかったら縁を切るとまで言った弘市を、私は「早まるな」と止めた。結果は予想できなかったが、まだ起きていない問題を心配して、親子の間に水を差すようなことをするのは気が進まなかった。しかし残念なことに、私の心配は的中し、さらに孫を差別して私の大切な娘を「いらない」などと発言する義母なら、今回、転職してまで縁を切ろうとしている弘市を止める理由はないだろう。
弘市は一息に全てを告白し終えると、義母に「思い通りの息子ではなかったことを謝って、あなたの息子は死んだと思ってくれ」と言った。
「だったら、だったら相馬ちゃんは私が育てるわ」
弘市の言葉にショックを受けた義母は、出来のいい息子への執着なのか、驚くようなことを言う。しかし私が何か言うよりも先に、相馬の「嫌だ」という声が響いた。隣の子供部屋から話が聞こえていたらしい。相馬が飛び出してきて、妹や母をいじめる義母の元へは行かないと答えた。相馬は涙をこらしながら、今日義実家から帰る準備をしていた際に、義母が彼に詩と私の悪口を吹き込んだと打ち明けた。私は子供にそんなことを言うなんて、と義母に対する怒りが爆発しそうになる。それは弘市も同じだったようで、激怒した彼は義母の腕を掴んで、無理やり外に引きずり出した。
それから義母はしばらく怒ったり泣いたりしながら玄関前で騒いでいたが、弘市が警察を呼ぶと告げるとすぐに大人しく帰っていった。
その後、私たちはすっかり義母と没交渉になった。弘市や相馬と会えないことが寂しい義母は何度も自宅に訪ねてきて私たちの機嫌を取ろうとしたが、ドアも開けずに取り合わないことを徹底した。そして義母との絶縁を決めた弘市の行動は早かった。しばらくは引き継ぎのために会社に行っていたが、その月の終わりには退職して、私たちは引っ越しまで完了する。新しく社長についた古株の男性は全く必要のない相談役のポジションを廃止し、義母は年金をもらうまでまだ先だというのに収入がなくなったらしい。今では早朝の清掃のパートとスーパーのレジ打ちを掛け持ちして、必死に生活費を稼いでいる。
弘市は昔から挑戦したかった技術系の仕事に就職が決まり、持ち前の人当たりの良さですぐに先輩たちと打ち解けて、毎日が楽しそうだ。私は引っ越し後も変わらず専業主婦を続けつつ、今は特に子どもたちのケアに力を入れていて、人としての大切なことを教えられる、信頼される母でありたいと思っている。
