義母から電話が来たのは、披露宴が終わったその夜だった。「あんたが息子を離婚に追い込んだんでしょ」——スマホに並ぶ何通ものメッセージを見て、私はホテルの部屋で一人、指が震えるのを止められなかった。ほんの数時間前まで、私は花嫁だったのに。式の準備は全部私が一人でやった。仕事も両立させて、彼のお母さんに何度も嫌味を言われても耐えた。「大手に入れなかったから中小で働いてるんでしょ?」って面と向かって…

義母から電話が来たのは、披露宴が終わったその夜だった。「あんたが息子を離婚に追い込んだんでしょ」——スマホに並ぶ何通ものメッセージを見て、私はホテルの部屋で一人、指が震えるのを止められなかった。ほんの数時間前まで、私は花嫁だったのに。式の準備は全部私が一人でやった。仕事も両立させて、彼のお母さんに何度も嫌味を言われても耐えた。「大手に入れなかったから中小で働いてるんでしょ?」って面と向かって...

あねさん、結婚式は半年後って言ってたわよね。
ええ、そうね。いま準備の真っただ中って感じかしら。
そうなのよね。こんなに決めなきゃいけないことがあるのかって思うくらい。
式はもちろん大事だけど、あなたには仕事も頑張ってもらわなきゃいけないわよ。
仕事ですか? そうよ。あなた、サトシと同じで代理店で働いてるんでしょ。
そうですけど。私、女だからって仕事をサボっていいとは思ってないんです。昔の人は女は家庭に入れって言ったけど、いまはそんな時代じゃない。女だってちゃんとしたキャリアを積まなきゃダメなんですよ。
確かにそうかもね。うちの息子は大手でバリバリ働いてるわ。
それに比べてあなたはどう? たいしたことない会社で働いてるみたいじゃない。
そんな言い方、やめてください。会社の規模で人を決めるなんて間違ってます。
だってあなた、大手に入れなかったから、そんな中小で働いてるんでしょ? はあ。どうしてこんなに分かってくれないのかしら。私はね、いまのままじゃサトシの妻としてふさわしくないから、せめて結果を出しなさいって言いたかったのよ。なのに、こんなに現実を受け入れない人だとは思わなかったわ。そりゃ、仕事だって結果を残せないはずよ。
勝手なことばかり言わないでください。私はいまの会社に満足してます。成果だって、言われなくても出し続けてますから。
サトシは今、大きな仕事を取るために必死なのよ。それなのに、あんたは式のことばかり考えて。
私だって仕事も式も両方きちんとやってます。
私はあなたがサトシの妻として恥ずかしくない結果を残してくれる方が嬉しいのよ。
それも、ちゃんとやってますから。
とにかく、仕事で手を抜いたら許さないからね。これからも厳しくチェックするから。
そういうのは会社がやってくれてるので、結構です。

1時間後。
サトシ、ちょっと聞いてくれる?

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なんだよ。仕事中だって言ってるだろ。式のことは全部お前に任せたから、いちいち聞いてこないでくれよ。
式に対して非協力的なことには言いたいこともあるけど、今日はそうじゃないの。
じゃあ何なんだよ。
あなたのお母さんよ。ちょっとひどいの。
どうしたんだ。
私にね、「サトシの妻にふさわしくなれ」って言ってきたのよ。仕事で結果を残せって命令もされたわ。
ああ、そうなのか。
そうなのよ。前はそんなこと言ってこなかったのに。仕事に口出しされるのは、さすがに我慢できないわ。
お前が母さんを怒らせるからだろう。
怒らせる? 何もしてないわよ。
同居を断ったからだろ。
それが理由なの? 最初から同居はしないって言ってたじゃない。
そうだけど、母さんはやっぱりしてほしかったんだよ。
なのに、お前がきっぱり断るから。正直、お前の言い方も冷たかったぞ。断るにしても、言い方ってものがあるだろう。
変に期待させたら可哀想だと思ったから、しっかり断っただけよ。それに、同居が前提なら結婚だって考え直すところだったわ。
そんなに同居が嫌なのか? 嫌よ。あなたも分かってるでしょ。私は家でも仕事をするタイプなの。だから、できるだけ家では集中したいの。そのためには、家の中に人が少ない方がいいの。
それはさっきも聞いたよ。でもよ、お前から母さんに言ってくれよ。俺を巻き込まないでくれって。
誤解を解いてくれればそれでいいのよ。
いや、めんどくさい。お前ら嫁と姑の争いに、なんで俺が入んなきゃいけないんだよ。
味方してよ。
俺は中立だ。これはお前たちだけで解決しろ。
ああ、もういいわ。じゃあ、式の準備も、私一人でやるから。
ああ、それでいいよ。

それから数日後。
あね、元気か?

何よ、突然。別に普通にやってるわよ。
そんな冷たくするなよ。兄貴として、お前のことはいつも心配してんだから。
この前、実家で会ったばかりじゃない。
そうだけどよ。まあ、それより本題なんだけどさ。
本題? 珍しいわね。
今回、式を挙げるって言ってたじゃん。
うん、そうだけど。
あのな、その話を中学からの連中としたんだよ。
それで? そしたらよ、みんなが「俺たちも行きたい」って言ってんだよ。
いやいや、それはちょっと困るわ。式の人数はもう決めてあるのよ。
いや、それは分かってる。でも、俺たちのこともよくしてくれただろ。お前は妹みたいなもんだし、その晴れ姿を見届けたいって言ってるんだよ。
うーん。ありがたいけど、今回は遠慮してもらえる? マジかよ。
その代わり、食事会を開こうよ。私もみんなに久しぶりに会いたいし。
まあ、それならそうするか。
うん。お兄ちゃんの仲間を式に呼んだら人数がかなり増えちゃうから、別の日にちゃんとおもてなしするわ。もちろん、ご祝儀なしでね。
分かった。「お返しが大変だから」って言っておくわ。
あいつらがそれで納得するかな。
いざとなったら、お兄ちゃんがきつく言えばいいんでしょ。
まあ、そうだな。
とにかく、式には呼ばないってことでよろしくね。
分かったよ。食事会をするって伝えておく。
お願い。

結婚式当日。
披露宴も終わり、ホテルの部屋に戻ったその夜。
サトシ、いまどこにいるの?

早く帰ってきてよ。片付けもあるし、出席者へのお礼だってしないといけないことが山ほどあるんだから。
あね、俺、もうお前のところには帰らないよ。
は? 何を言ってるの? 式が終わったばかりで悪いけど、離婚してほしい。
何をわけのわからないことを言ってるの? こんなタイミングで離婚なんてありえないでしょ。
ごめんな。でも、やっぱり無理だと思ったんだ。
どうしてよ?

これからこの新居で、二人で幸せに暮らしていくんじゃなかったの? だって、お前の態度を見てたら、無理だって思ったんだよ。もう顔も見たくない。
何それ? お前、母さんに冷たかっただろう。あんなことをするやつと、結婚生活なんてやっていけるわけがないんだよ。

あの人が私に言ってきたのよ。式の前から、仕事のことを。だから「今は結婚式に集中させてほしい」って言っただけよ。それのどこが悪いの? あいつは俺たちのことを心配して言ってくれたんだろう。
いいえ、全然違うわ。あの人は世間体を気にしてただけ。私に嫌味を言いたかっただけよ。
自分が悪いくせに、よく言うよ。俺の母さんは、お前のことを息子の嫁としてふさわしいと思ってなかったのかもしれないけど、それでもお前の態度はどうなんだ?

私が悪いって言うの? そうだろうが。
ああ、もういいわ。話にならない。
だったら、離婚だな。こっちから離婚届を送るから、サインして役所に出しておけ。
本当にいいのね? ああ、誠心誠意頼む。

電話が切れた。しばらく、部屋には静寂が流れた。
翌朝、スマホを見ると、サトシの母から何通もメッセージが届いていた。
「あなたが息子を離婚に追い込んだんでしょ」
「せっかくうちの家の嫁になったのに、何がしたいの」
それが何通も続いている。それから、サトシの友人からも連絡があった。
「サトシから聞いたよ。あいつ、離婚するつもりみたいだけど、本当なの? 」
「よかったら食事でもしながら話聞くよ」
私は何も返せなかった。
というのも、実はあの日、式の席で、サトシの友人だという人から声をかけられたのだ。
「ねえ、あなたがサトくんの奥さん?

」
「はい、そうですけど」
「よかった。サトくん、昔から人に言えない仕事もしてたけど、今はちゃんと落ち着いてて安心したよ」
その言葉が、どうしても頭から離れなかった。
人に言えない仕事? 何のことだろう。
サトシは、何か隠している? いや、考えすぎか。今はそれどころじゃない。
私はコップの水を飲み干すと、書類の入った封筒を鞄にしまった。離婚届、もうサインしてしまおうか。いや、まだだ。
一度、ちゃんと話をしよう。
あの人の言葉が、たとえ本心じゃなかったとしても、私はもう、あの家のために自分の人生を縛られるつもりはない。
私は、そう決めた。

それから一週間後。
私は、サトシに会うために、彼が勤める会社の近くの喫茶店へ来ていた。
サトシは、少し疲れた顔をして現れた。
「何の用だよ。離婚届は出したのか? 」
「まだよ。その前に、聞きたいことがあるの」
「何だよ」
「あなた、私に何か隠してない?

」
サトシの顔色が、一瞬で変わった。
「何言ってるんだよ。そんなのないさ」
「本当に? 式の日に、あなたの友達だっていう人に言われたのよ。『サトくんは昔、人に言えない仕事をしてた』って」
サトシは、口をつぐんだ。
「……その人は、俺のことをよく知ってる人だよ。たぶん、昔のバイトの話だろ。ほっとけばいいんだよ」
「バイトで、人に言えない仕事なんて、あるの? 」
「もういいだろ。何を疑ってるんだ。俺はお前に何も恥じるところはない」
「だったら、ちゃんと説明してよ。今、私たちは離婚しようとしてるんでしょ。最後に、本当のことを教えて」
サトシは、しばらく黙っていた。
そして、ゆっくりと口を開いた。
「……分かった。全部、話すよ。その代わり、聞いても後悔するなよ」
私は、何も言わずにうなずいた。
サトシは、深く息を吐いてから、静かに語り始めた。

「俺はな、結婚する前に、一度だけ、仕事を失敗したことがあるんだ。いや、正確に言うと、大きな取引を任されたんだが、それを俺一人の判断で断ったんだ。お前はそれを、都合のいい逃げだと思うかもしれない。でも、あの時は、どうしてもその仕事を引き受けると、相手先に大きな迷惑がかかると思ったんだ。だから断った。そしたら、先輩に怒られてな。『お前はいつもそうだ』って。それから、ちょっと距離を置かれてる。今もな」
「それって、私に言えないことだったの? もっと早く話してくれてたら、こんなことにはならなかったかもしれないのに」
「言えるかよ。お前に弱みを晒したくなかったんだよ。お前は仕事にも完璧で、プライドも高い。そんなお前に、失敗した自分の話なんて聞かせられるか」
「サトシ……」
「だから、あの時、母さんがお前の仕事に口出しした時も、俺は何も言えなかったんだ。自分が同じ失敗をしてるからってな」
サトシは、目を伏せた。
私は、しばらく、彼の言葉を反芻していた。
そして、ゆっくりと口を開いた。
「言ってくれればよかったのに。私は、あなたの失敗を責めるために来たんじゃないの」
「じゃあ、何で来たんだよ」
「正直、私も言いたいことはたくさんあるわ。あなたのお母さんには、これ以上ないくらい嫌な思いもさせられたし。でも、それは結婚したら避けられないことなのかもしれない。それに、あなたが私に言えないことを隠してたのも、責められない自分がいる」
「あね……」
「だから、離婚はしない。今回は、二人とも言いたいことを言い合ったってことで、なかったことにしない?

」
サトシは、驚いた顔をしていた。
「……いいのか? 」
「その代わり、これからは、ちゃんと話してほしい。私にも、あなたにも、歩み寄る努力が必要だと思う。一緒にやっていくって、決めたんじゃないの? 」
サトシは、何かをこらえるように唇を噛んでいたが、やがて、小さく笑った。
「ああ、そうだな。俺も、ちゃんと話をするよ。こんな俺で、ごめんな」
「ううん。私こそ、ごめん。お母さんに、きつく当たってたって言われても、仕方なかったのかもしれないわ」
「あのことは、俺からもちゃんと言っておく。本当は、お前のことを悪く言うつもりはなかったんだ。お袋も、お前を自分の娘みたいに思ってるから、ああいう言い方になったんだと思う」
「分かってる。でも、私も変われないところは変われない。それはお互い様ね」
しばらく、二人の間に穏やかな沈黙が流れた。
そして、サトシが言った。
「ところで、式は延期になったままだろ。今度、やり直さないか? 」
「え?

」
「今度は、ちゃんと準備して。お前の好きなようにやろう。もちろん、母さんも呼んで。でも、余計な口出しはさせるな」
私は、思わず笑みがこぼれた。
「ふふ。それ、本当にできるの? 」
「ああ。お前がいいって言ってくれるなら、どこまででもやるよ」
「じゃあ、今度は誰も呼ばない式にしようか。私とサトシだけの」
サトシは、少し驚いた顔をしたが、すぐに優しい笑顔になった。
「ああ、そうしよう。そして、ちゃんとみんなに話そう。二人で決めたってな」
その時、私たちは、ようやく、同じ場所に立ったのだと思った。
離婚届の封筒は、私の鞄の中で、ずっと重たく居座っていたけれど、もう必要ない。
私は、その封筒を、サトシに手渡した。
「これ、要らないから。破っておいて」
サトシは、それを受け取ると、何も言わずに、二つに破いた。
その仕草が、なぜだか、すごく清清しかった。

それから一週間後、私は、サトシと一緒に、義母の家を訪れていた。
「……本当に謝りに来たの? 」
義母は、不機嫌そうな顔で私を見た。
「はい。この間は、きつく言ってしまってすみませんでした。私も、大人げなかったです」
「……あんた、サトシに何もされてない? 」
「え?

」
「この前までは、あんなに離婚離婚って騒いでたのに、急に仲直りって、あんたから何か言ったんじゃないの? 」
「私は何も。ただ、サトシが全部話してくれたんです。仕事のこととか、昔のことも」
義母の顔が、少し強張った。
「……あの子、話したのか」
「はい。私には話せないって、ずっと隠してたみたいです」
義母は、大きくため息をついた。
「あの子はね、昔からそうなのよ。いい子すぎて、全部自分で抱え込んじゃう。あなたみたいな、しっかりした女が来てくれたら、支えてくれると思ったんだけどね」
「支えるって」
「ええ。私は、あなたに、あの子を支えてほしかったの。仕事ばかりでなくて、たまには家のことも見てやってほしかった。私の言い方が悪かったのは、謝るわ。ごめんなさい」
思いがけない言葉に、私は目を見開いた。
「お母さん……」
「でも、今回のことは、お互いさまよ。あなたも、少しは落ち着きなさい。嫁と姑の争いなんて、してる場合じゃないんだから」
「……はい。ありがとうございます」
私たちは、ようやく、分かり合えた気がした。
義母は、サトシに向き直って言った。
「それで、式はどうすんの? 延期したきりでしょ」
「ああ、今度は二人だけで挙げようと思ってる。場所も、ちゃんと考えたんだ」
「二人だけで?

まあ、あんたたちの式だものね。好きにしなさい」
義母は、そう言って笑った。
その日、私たちは、何冊ものカタログを持ち帰った。
今度こそ、自分たちの手で、自分たちらしい式を挙げるために。
そして、それは、私たちの新しい人生の始まりでもあった。

あの時、離婚届にサインしなくて、本当に良かった。
そう思える日が、いつか来るように。
私たちは、ゆっくりと、歩き始めていた。