「中卒の人間にお姉さんなんて呼ぶ価値はないわよ。でも、まあ便宜上そう呼んであげる。結婚、おめでとう」
その言葉は、祝福にしては聞こえ方が歪んでいた。嫌味が多すぎて、祝いの気持ちが全然伝わってこない。
「お兄ちゃんと結婚したのは、学歴が目当てでしょ。大卒の夫というステータスが欲しかったんでしょ」
「私がそんなもののために、かゆと結婚しなきゃいけないの? それに、かゆは中卒らしいじゃない」
「うん、そうだけど。それが何か?」
「学歴コンプレックスがあるんでしょ」
「ないよ。そんなわけないじゃん」
「見栄張らないで。ちょっと話にならないわね」
「ああ、こっちこそごめん。漢字が多くて読めなかった? ごめんね、中卒には難しいわよね」
「全部読めてるよ。私のことを何だと思ってるの? 中卒のことを」
「義務教育しか受けてない、哀れな人たちのことよ」
「哀れかどうかは、人が決めることじゃない。いろんな理由でそうなった人もいるし、自ら選んだ人もいる」
「綺麗に言えばそうでしょうね。でも結局は負け組じゃないの?」
「世の中には中卒で政治家になった人もいれば、社長になった人もいる。あなたはそのどれでもないんでしょ」
「とにかく、私は学歴でお兄さんを選んでいない。それだけは断言するわ」
「じゃあ、なんで結婚式もしないの?」
「別に、写真だけ撮れば十分かなって、2人で決めただけよ」
「隠さなくていいから。紹介とか、友人への挨拶で中卒ってバレるのが嫌なんでしょ」
「別に隠すつもりはないけどね。お兄ちゃんの友達には、黙っててあげようか?」
「大丈夫。気が済むまで言いふらしてくれていいから」
「またまた。恥を晒すわけないじゃん。とりあえず、5万でどう?」
「何のお金?」
「口止め料よ」
「洗いません」
「あっそ。まあいいわ。今後は、可愛い義妹としてよろしくね」
自分で言うかね、それは。
数分後、私は夫の妹、さらちゃんに、入籍してたった3日で、見事なまでの祝福を受けたのだった。
夫はと言うと、状況を察してか、ため息交じりに言った。
「おお、そうか。まあ、仲良くしてやってくれよ」
「冗談でしょ」
と、私は返す。その後、夫に事の顛末を話すと、彼は困ったように笑った。
「めちゃくちゃ嫌なこと言われた。……なんて、私も今まで中卒をこれでもかってくらい見下してきたけどね。まあ、事実だからな」
「へ? 私の味方をしてくれないの?」
「さらは悪意があって言ったわけじゃないんだよ。末っ子だからちょっとわがままだけど、可愛い妹なんだ。勘弁してやってくれ」
「これ以上攻撃してきたら、私も黙ってられないよ」
「兄を奪われた気がしてるんだろうな」
「なら、いいけど」
「ところで、さらちゃんはどこの大学を出たの?」
「ああ、あいつは高卒だよ」
「それであんなにマウント取ってきたの? 中卒と高卒とじゃ、運の差でしょ」
「もしかして、あなたも学歴主義?」
「違うし。だったら、あなたを選んでないから」
「今後も中卒いじりしてくるんだったら、嫌なんだけど」
「俺からも言っておくから。妹のことは気にしないでくれ」
「ちゃんと言っといてよ」
数日後。私は、自分の実家じゃなく、義実家に向かう前に、夫の家にいた。
「数日、冷静に考えたんだけどさ」
突然、彼が切り出した。
「離婚したら、中卒の底辺が親族とか、マジで恥ずかしいだろ」
「は? 何言ってるの?」
「妹が言ってたんだ。お前、仕事もしてないんだってな。最悪だよ」
「結婚を機に引っ越したから、仕事は退職したけど、落ち着いたらまた働く予定だよ」
「お兄ちゃんが言ってたけど、あいつ、文字もまともに書けないんだぜって、笑ってたよ」
「そんなこと言ってたの?」
「傷が浅いうちに別れた方がいいってさ。今後、正月とかで集まった時に、恥をかくのは自分だぞ」
「そんなことまで心配してくれてるの? よっぽど私のことが好きなんだね。ありがとう」
「違うし」
「私はね、自分が中卒であることは事実だと思ってる。でも、それで私が誰かに迷惑をかけることはないと思うの。だから、どうしてそこまで私を攻撃するのか、教えてほしい」
「……親族の恥だからだよ」
「あなたたちのお母さんも、中卒なんだよね」
「は? 調べたの?」
「うん、結婚の挨拶の時に教えてくれたの。『私と一緒ね』って、笑ってくださったわ」
「じゃあ、お母さんも親族の恥ってこと?」
「違うよね。……本当は、他に何か理由があるんでしょ?」
「それは……」
「お願い。何かあるなら教えてほしい。じゃなければ、実家にお伺いして、全員で話し合うから」
彼は、長い沈黙の後、観念したように口を開いた。
「分かったよ。言えばいいんでしょ。……うちの父さんが、介護状態なの、知ってるよな」
「うん。聞いてる」
「母さんがパートしながら、ずっと介護してて。俺も、安い給料の中から、家にお金を入れてたんだ」
「そこまでは知らなかった」
「父さんには借金があってな。その返済に追われてたから、俺も仕送りを続けてたんだ。……でも、エミさんとの結婚が決まってから、突然、仕送りはできないって言い出したんだ」
「え?」
「妹も、家の状況は分かってたから、怒ってた。たった数万でも、うちの家計にとっては大きい。母さんが体調を崩せば、その分働けなくなるし、俺がどんなに働いたって、手取りは20万にも届かない」
「なるほど。……つまり、あなたの妹は、私と離婚すれば、あなたの仕送りが元通りになると思って、私を攻撃したんだ」
「……そうなるな」
「ごめんなさい。体調の悪いお母さんが働いて、介護してるのに。そして、結婚して浮かれてるお姉さんを見てたら、腹が立ったんでしょ」
「……私こそごめん。そんなに大変な状況だって、知らなかったの。……もし、私の妹が嫌なやつなら、別れたくなるかなって思ったんだ。学歴しか見るところがないから、すごく嫌なことを言っちゃった」
「本当に、すごく嫌な気持ちになった」
「でも、もっと早く知りたかったよ。本当は、家の状況は言うなって、兄に言われててね。介護のことは知ってたけど、借金のことは知らなかったの」
「結婚する相手に全部話さない時点で、大して好きでもないんだろって思ったんだ。……だから、私のせいで離婚することになっても、別にいいやって思ったの」
「……ごめん」
「夫は、いくら仕送りしてたの?」
「5万くらいだ」
「とりあえず、私が10万振り込むわ。それで、お母さんをゆっくり休ませてあげてほしい。……あと、よかったら、私も介護のお手伝いに行くわ。今は無職だから」
「……ありがとう。本当に、ごめんなさい」
「あんなにひどいこと言ったのに」
「そうだね。どんな理由があろうと、人をあんな風に攻撃するのは、良くなかったね」
「分かってる。本当にすみませんでした。……この話は、一旦引き取らせてもらうから、お兄さんには、何も言わないでもらっていいかな」
「分かった」
「無理しないでね。介護は、本当に大変だから」
「はい。……母にも伝えます。ありがとうございました」
数日後、私は夫と実家を訪れていた。義父は体調が優れず、寝室で横になっているという。
「お姉さん、1つだけ伝えておきたいことがあるの」
義妹のさらちゃんが、私に話しかけてきた。
「何?」
「見せたいものがあるので、会えませんか? 週末になるけど、あなたのご実家に行ってもいい?」
「分かった。待ってるわ」
数時間後、私は夫に言った。
「明日、あなたの実家に行ってくるわ」
「なんで? 結婚の挨拶は、外で食事をしたでしょ。お父さんだけ来れなかったから、ご挨拶したいの」
「それはちょっと、やめてほしい」
「なんで?」
「うちはボロ屋だし、恥ずかしいから」
「そんなの気にしなくていいよ。うちも同じようなものだから」
「いや、お前の想像を絶するような、掘っ立て小屋なんだよ」
「私はあなたの実家の外観で結婚を決めたわけじゃないし、……まあ、いつかは伺う日も来るでしょ」
「……父さんが、ネタ切りだってことは言ったよな」
「ネタ切り? 何? 借金のこと?」
「……いや、違う。……分かった。何でも正直に話すよ」
「言ったわね。約束よ」
「分かったってば」
「どうしたの? 夜中に念を入れて聞くけど」
「念には念を入れておいただけ。……実家には、行かないでくれ」
「分かった。あなたがそこまで言うなら、行かないわ」
「分かってくれて、嬉しいよ」
その数日後、夫がスマホを見ながら、驚いた顔をした。
「おい、あの女から、10万振り込まれたんだが」
「あの女?」
「妹のだ。……よりにもよって、今更何のつもりだ?」
「……さあ? 何か、考えがあってのことじゃないの?」
「まさか、また何か企んでるんじゃないだろうな」
「……分からないわ。でも、きっと、何か理由があってのことよ。時間をおいてみたら?」
「……まあ、そうするわ。それにしても、ムカつく話だよ。俺とお前の結婚を、あんな風に邪魔して。挙げ句の果てに、金を送ってきて。何がしたいんだか、さっぱり分からん」
「……そうね。本当に、何がしたいんだか」
私は、窓の外を見た。夫の妹が、真意を伝えに来る日まで、きっとこの静かな時間は続いていくのだろう。私は、夫と共に、この何でもない日常を、穏やかに過ごしていくつもりだった。
だが、その何気ない日常が、いつ壊れてもおかしくないことを、私は知っている。
