「お姉さん……よく連絡してこれましたね。」3年ぶりに姉から電話が来た瞬間、嫌な予感しかしなかった。昔、妊娠中に蹴飛ばされて救急車で運ばれたこと、忘れてない。なのに姉は「まだ根に持ってんの?」と笑う。挙句、家賃を3ヶ月滞納して住む場所を失ったから、うちに住ませろと。断ると、今度は甥のレオを預かれと。数日後、レオがお風呂を極端に怖がる姿を見て、私は夫・大和に詰め寄った。「お姉さん、レオ君に何かし…

「お姉さん……よく連絡してこれましたね。」3年ぶりに姉から電話が来た瞬間、嫌な予感しかしなかった。昔、妊娠中に蹴飛ばされて救急車で運ばれたこと、忘れてない。なのに姉は「まだ根に持ってんの?」と笑う。挙句、家賃を3ヶ月滞納して住む場所を失ったから、うちに住ませろと。断ると、今度は甥のレオを預かれと。数日後、レオがお風呂を極端に怖がる姿を見て、私は夫・大和に詰め寄った。「お姉さん、レオ君に何かし...

「リカさん、久しぶり。元気してた?」
「お姉さん……よく連絡してこれましたね。」
「何? まだ昔のこと根に持ってんの? 散々嫁いびりしちゃったのはごめんって言ってるでしょ。」
「ごめんで済むと思ってるんですか? 私、妊娠中に蹴飛ばされましたよね。」
「だからごめんって。もう3年以上も前のことでしょ。水に流してよ。」
「無理です。」
「なんでよ。」
「ユアが無事に生まれたから良かったものの、最悪のケースだってありえたんですよ。」
「ああ、はいはい。当時散々言われたわよ。耳にタコができるほどね。」
「蹴飛ばされて転んで、すぐ破水して、救急車で運ばれたんです。」
「らしいね。私は母さんたちに速攻で家追い出されたから知らんかったけど。」
「本当に反省してませんね。」
「あなたみたいな人と話すことはありません。」
「ちょ、待ちなって。こっちだって何もなしに連絡してないから。」
「どういう意味ですか?」
「いや、実は今住んでる家に住めなくなってさ。悪いけど、3ヶ月くらい私を住ませてね。」
「……は? 本気で何言ってるんですか? 私の話を聞いてました?」
「聞いてたよ。聞いた上でお願いしてんの。」
「嫌に決まってます。」
「はあ。なんでよ。」
「さっき言ったことが全てです。あなたみたいな乱暴な人に、今度はユアが何をされるか分かったもんじゃない。」
「ユアちゃんには何もしないって。てか、もう3歳でしょ。大きくなったじゃん。」
「お姉さんには関係ありません。うちのレオは、今小学4年生です。面倒だって見てくれると思いますよ。」
「だから何だって言うんですか?」
「レオも家をなくすんだよ。レオ、あんたに懐いてたじゃん。かわいそうだと思わない?」
「そもそも、なんで家に住めなくなったんですか?」
「家賃、3ヶ月も払わなかったら大家がブチ切れてさ。」
「は? 嘘ですよね。」
「いや、マジ。来月までに出て行けって言われちゃった。」
「呆れて物も言えませんよ。レオ君が不憫でなりませんね。」
「そのレオが家なしになってもいいわけ? 短かったとはいえ、うちの実家で一緒に暮らした仲じゃん。」
「それは……確かに、レオ君のことはかわいそうだと思いますけど。」
「じゃあ決まりね。とりあえず、レオだけ先に預かっといて。私はこれから彼氏と1週間くらい旅行行くから。」
「は? 旅行? 家賃を滞納してたんですよね。どこにそんなお金が?」
「私には言えばお金を出してくれる“財布”がいるの。」
「意味が分からないんですけど。」
「分かんなくても大丈夫だから。ま、旅行から帰ったらそっちに引っ越すわ。じゃ、よろしく。」
「ちょっと待ってください。私は了承してませんけど。お姉さん、聞いてます?」
「さあね。」

数日後。リカはスマホを置いて、リビングで宿題をしているレオに声をかけた。
「レオ君、今日の晩ごはん、何がいい?」
「うーん、何でもいいよ。おばさんのご飯、何でも美味しいから。」
「お世辞が上手ね。じゃあ、レオ君の好きなハンバーグにしよっか。」
「いいの?」
「もちろん。帰ったら作るの手伝ってね。」
「ありがとう! あ、でも、本当にいいの?」
「どうしたの?」
「あの……リカおばさん、レオパパと喧嘩してるんじゃない?」
「え? 私が大和となのかな? あ、もしかしなくても、そういう雰囲気、出てた?」
「うん……その、おばさん、パパのこと、あんまり見ないでしょ。それに、パパも、おばさんのこと、なんか避けてる感じするし。」
リカは少しの間、レオの顔を見つめた。
「……そうだね。ちょっと、大人の事情ってやつよ。心配しないで。あなたには関係ないから。」
「そっか。……おばさんも、僕と一緒なんだ。」
「一緒って、どういうこと?」
「僕も、パパがね、お母さんのこと、あんまり好きじゃなかったみたいで、それがなんか分かるんだ。だから、今のおばさんとパパの間を見てると、昔のこと思い出すみたいで。」
リカは息を飲んだ。レオはもう一度宿題に目を落とした。

翌日、リカのスマホに夫の大和から連絡が入った。
「もしもし。レオ君、ちゃんと学校行った?」
「行ってるよ。送って行ったから。今日はどうしたの?」
「いや、姉貴がさ、『レオ君の反応が気になる』って言ってて。何か知らないか?」
「反応っていうと?」
「なんか昨日、お風呂に入ろうって言ったんだって?」
「ああ、それか。レオ君、ちょっと過剰な反応だったの。顔色が真っ青になって、ぶるぶる震え出して、『お風呂は後で』って何度も言うのよ。」
「は? お風呂を?」
「そう。あと、これも変なんだけど、レオ君が近くで腕を上げたりすると、ビクってして頭をかばうみたいな仕草をするの。」
大和はしばらく黙った。
「……それ、多分、何かあるな。」
「何が?」
「いや、姉貴が昔、あれだ。親に虐待されててさ。俺の家に引き取られるまで、よく途中で喧嘩したんだ。暴力振るわれるってどんな気持ちか、俺は良く知らないけど。」
「……大和、あなた、気づいてるの? レオ君、あの人に何かされてるんじゃない?」
「は? 何言ってんだよ。姉貴があのレオに何かするわけない。むしろ今まで、あの子の面倒をよく見てくれてたんだから。」
「じゃあ、あの反応はどう説明するの? お風呂に入るだけであんな怯える?」
「いや、それは、ただのお風呂嫌いとか?」
「大和。あなた、自分が言ったこと、覚えてる?」
「自分が言ったこと?」
「昔、『レオ君、水が怖いんだ』って言ってたじゃない。お風呂に入ると火傷しそうなほど熱いお湯に入れられて、嫌がると頭を押さえつけられてたって。」
大和が押し黙る。
「それは……姉貴に聞いた話だ。」
「レオ君に聞いた話じゃないんでしょ? お前、姉貴の言うことを真に受けて、レオ君のこと、虐待してるんじゃない?」
「してるわけないだろ!」
リカの声が強くなった。
「じゃあ、どうしてあんなに怯えるの? 私が知ってる普通の子なら、ちょっとやそっとで『お風呂は後で』なんて言わない。親がどんな顔で育ったか、子どもはよく分かってる。あの子、物心ついた時からあの人にいつ何をされるか分かんないって、ずっと怯えてたんでしょ?」
「……姊貴は、そんな人じゃない。」
「大和。あなた、今、自分で言ったでしょ。『暴力振るわれるってどんな気持ちか、よく知らない』って。でも、レオ君は知ってるんだ。あの人のそばで、暴力を目の当たりにして育ったんだよ。」
「……」
「あなたがお姉さんを守りたい気持ちも分かる。でも、それが子どものためにならないんだったら、意味がない。」
大和は長い沈黙の後、言った。
「……リカ。ごめん。ちょっと、頭を冷たくするわ。」

二日後。リカのスマホにまた大和から連絡があった。
「あのさ、レオ君、まだ家に預かってくれる?」
「え? どうしたの?」
「なんか……ユアの泣き声が聞こえた気がして、レオ君が夜中に起きてるの見てさ。それで、何でお前の家に預けたのかって、考えるうちに分かってきた。」
「大和、しっかりして。あなた、今までと全然態度が違うけど、本気?」
「本気だよ。レオ君は俺が守る。」
「じゃあ、なんでこの家に預けるの? 今度こそ、ちゃんと言って。」
「……姉貴が、『レオを連れて逃げる』って言ってるのを聞いたんだ。」
「は? レオ君を?」
「姉貴、最近ちょっと変なの。昔、俺の父さんが、姉貴にひどいことしてたことは知ってる? 次第に、誰かを支配したくなるんだって。レオ君が無垢でいるのが許せなくて、支配しようとしてるんじゃないかって。」
リカは息をのんだ。
「じゃあ、あなたは気づいてなかったの?」
「気づけなかったんだ……俺、自分のことで精一杯で。姉貴に支配されることに慣れて、姉貴の言い分を全て正しいと思うようにしてた。レオ君の気持ちを考えるより、姉貴を怒らせないことの方が大事だったんだ。それで、レオ君から目を背けてた。」
「大和……」
「レオ君を守ってくれ。俺がちゃんと話をつけるまで、あの子を姉貴に近づけないでほしい。」
リカは、電話越しに伝わる大和の真剣な声に、少し迷いながらも答えた。
「……分かった。でも、大和。あなたも気づいてるんだろうけど、もう、お姉さんは家族じゃない。レオ君が大切なら、あなたがちゃんと守りなさい。」
「ありがとう。ちょっと……あとで、レオ君に話をする。」
「うん。」
電話を切った後、リカは隣の部屋で静かに絵本を読んでいるレオの姿を見つめた。
彼は、何でもなかったかのように、リカに気づくと、にっこり微笑んだ。
「おばさん、今の電話、パパ?」
「うん、そうよ。」
「パパ、元気?」
「元気よ。ちょっと、レオ君に話したいことがあるんだって。また、遊びに来るって。」
レオは小さくうなずいて、また絵本に視線を戻した。

その夜。リカは大和から送られた長いメッセージを読んでいた。
「リカ、俺、ちゃんと話し合うよ。姉貴には、もう俺の家に来ることはできないって言った。レオ君には、本当に申し訳ないことをした。お前が言った通りだ。俺は姉貴から目を背けて、都合のいいことだけを見て生きてきた。でも、もう終わりにする。
レオ君には、全部話した。『君が何かされたら、俺が守る』って。そしたら、レオ君、初めて、俺の前で泣いたんだ。『パパ、おばさんが、パパを取ったらどうする? って言ったんだ』って。
あいつがレオ君にどんな言葉を浴びせてきたか、俺が知らないだけで、まだまだあるんだろう。レオ君を守るのは、もう姉貴じゃない。俺だ。」
リカは、そのメッセージを二度読んだ。
「……大和が、ちゃんとレオ君のことを考えられるようになったのね。」
リカは、そっとリビングを見渡した。レオはもうとっくに眠っていて、静かな寝息を立てている。
翌朝、リカはレオに聞いた。
「レオ君、今日は学校、休める? ちょっと、ゆっくりしたいなら。」
「ううん、大丈夫。学校、行く。……おばさん、あのね、パパが、『リカさんは大事な人だ』って言ってた。だから、おばさんも、僕の大事な人。」
リカは、グッとこみ上げるものを飲み込んで、レオの頭をそっと撫でた。
「……ありがとう。私も、レオ君は大切よ。さ、行きましょ。」
その日、リカがレオを学校に送り届けて家に戻ると、玄関の前に見覚えのある車が停まっていた。
大和が立っていた。
「おはよう。」
「……おはよう。レオ君、今行ったとこ。」
「ああ、知ってる。わざわざ、会いに来たんじゃない。……姉貴が、いなくなったんだ。」
「は?」
「今朝、姉貴の家に行ったら、誰もいなくて。荷物もだいぶ減ってた。置き手紙があって、『自分はしばらく家を離れる。レオ君を頼む』って。」
大和は苦い笑みを見せた。
「……結局、あいつは最後まで、自分の都合しか考えてなかったってことだよ。」
「大和……」
「ごめん、リカ。迷惑かけるけど、もう少しだけ、レオ君を見てやってほしい。俺が仕事終わったら、ちゃんと迎えに来るから。今日から毎日、送り迎えだけはする。」
リカは、大和の目を見た。そこに、迷いはなかった。
「……いいわよ。でも、大和。あなたがレオ君のパパで、あの人の弟である限り、私はあの人を責めることをやめないから。」
「それでいいよ。」
大和はそう言うと、少しだけ、ほっとした顔をした。
「……リカ、ありがとう。本当に、なんて言ったらいいか。」
「ちゃんと、レオ君を守ってね。」
「ああ。」
大和は、車に乗り込み、エンジンをかけた。リカはそれを見送りながら、胸の内で何かがストンと落ちるのを感じていた。

その夜、レオをお風呂に入れている時、レオがぽつりと言った。
「おばさん、ねぇ、パパは、おばさんと一緒に住みたいのかな?」
「え? 何でそんなこと思うの?」
「今日、パパが言ってた。『リカさんは、家族みたいなものだ』って。」
リカは、石鹸の泡で手を止めた。
「……レオ君は、それが嫌?」
「ううん。嬉しい。だって、おばさんといると、安心するから。パパも、おばさんのこと、大好きなんだと思う。」
リカは、笑顔を返した。
「……ふふ。レオ君は、やさしい子ね。」
「だって、お兄ちゃんになるのが、楽しみなんだもん。」
リカは一瞬、石鹸の泡の中で息をのんだ。
「……何て言った?」
「だって、パパとおばさんが結婚したら、ユアのことも、僕のことも、ずっと一緒にいられるでしょ? パパが言ってた。『いつか、一緒に住めたらいいな』って。」
リカは、何も答えられずに、レオの髪をそっと洗ってあげた。
その夜、布団に入る前にスマホを見ると、大和から短いメッセージが届いていた。
「今日は、レオ君のこと、ありがとう。お前の言う通り、俺もちゃんと向き合うよ。
それと、変な話かもしれないけど、もしよかったら、今度、3人で出かけないか? ユアも連れて。」
リカは、長い間、そのメッセージを眺めていた。

翌日、リカはスマホの画面をじっと見つめながら、レオに聞いた。
「レオ君、週末、どこか行きたいとこある?」
「えっ! パパと行くの?」
「……うん。よかったら、だけど。」
「行く! 行く! パパに言ってくる!」
レオがはしゃいでスマホを手に取るのを見て、リカは小さく笑った。
「……もう、しっかりしてよ、私。」
リカは、レオとユアを連れて、あの時のことを思い出していた。
姉の乱暴な言葉。
大和の迷い。
レオの小さな震え。
でも、今は違う。
リカは、スマホに『いいよ』と返信した。返信ボタンを押した後、彼女は、朝の光の中で笑った。
「さあ、これから、どうしようかな。」
そう言って、彼女は、リビングに駆けて行って、レオとユアを抱きしめた。
「今日のおやつは、何にしようかね。」
「ハンバーグ! ハンバーグがいい!」
「おじょうちゃん、ハンバーグって言えるんだ?」
「だって、うれしいから!」
その温かな声が、朝のリビングに響き渡った。

それから数週間後、大和は約束通り、仕事が終わると毎日のようにレオを迎えに来た。ある日、大和はリカに言った。
「なあ、リカ。あのさ、改めて言うけど、本当にありがとう。レオも、お前のことが大好きだし、俺も……お前のことが好きだ。」
リカは、少し顔を赤くして、大和を見た。
「……でも、いいの? 私、お姉さんとやり合ったようなもんよ?」
「あいつは関係ない。俺が、お前と一緒にいたいんだ。」
リカは、長い間、大和を見つめていたが、やがて、ふっと笑った。
「……バカね。じゃあ、今日から、レオ君もユアも、4人で暮らす?」
大和は一瞬驚いた顔をしたが、すぐに、破顔した。
「……ああ。一緒に暮らそう。」
「約束よ、大和。今度こそ、ちゃんと守ってよ?」
「ああ、約束する。」

その夜、リカはベランダに出て、空を見上げた。
星が綺麗な夜だった。
「……上手くいったね、お母さん。」
リカの姉の顔が、ふと頭に浮かんだが、彼女は首を振った。
「もう、振り返らない。」
そう言って、彼女はリビングに戻った。中では、大和とレオとユアが、楽しそうに笑い合っている。
「おかえり、リカ。」
「うん、ただいま。」
リカは、家族になった人たちの輪の中に、そっと加わった。誰も、もう過去の傷に苦しむことはない。
朝、窓を開けると、新しい風が入ってきた。

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