「ひ子、今日から義両親と義妹夫婦もこの家に住むからな。飯とか準備しとけよ」
「ちょっと待って。何の話?」
「だから俺の両親と妹家族が同居するって言ってるんだよ。難しいこと言ってないだろ」
「難しいことは言ってないけど、理解不能なこと言ってる自覚ある?っていうか、聞いてないんだけど」
「もう決まったことだから。それじゃあよろしく」
「この家、そんなに大きくないわよ。そもそも物理的に無理じゃない?」
「まあ確かに狭いけど、その辺は我慢してもらうよ」
「いや、そういう問題じゃなくて。それに、なんで急に?何かあったとか?」
「母さんが引っ越したいって言ったんだ。だからこっちに越してくる。それだけだ」
「それだけ?全然それだけじゃないんだけど」
「私に相談もなしになんで決めてるの?」
「だってお前、子供の面倒で忙しいし、話す時間とかないじゃんか。それに親がいた方が心強いだろう。そりゃ子供が生まれてすぐだし、大人がいてくれた方が助かるわ。でも私とお母さんは親しくないし、正直気を使うから助からないの」
「それはお前のわがままじゃんか」
「100歩譲ってお母さんが手伝いに来るなら分かるわ。でも同居は違うし、妹家族は関係ないわよね。あなた、どうしちゃったの?ちょっとおかしいわよ」
「おかしいのはお前だって。寝不足で頭回ってないんだろ。だから後のことは全部俺が決めた」
「何を決めたって言うの?」
「部屋割りとか」
「部屋割り?」
「誰がどこで寝るとかって大事だろう。えっと、親は主室、妹夫婦はリビングで、俺は和室」
「ちょっと待って。私は?」
「お前と赤ん坊は廊下で寝ろ」
「廊下?2ヶ月の赤ん坊の世話で一杯なのよ。何?赤ちゃんは廊下って。ていうか、そんなに親を住ませたいなら、あなたが廊下に出ればいいでしょう。あなたの都合で引っ越させてくるくせに、自分は和室って何様?」
「うるさいな。嫌なら離婚だぞ」
「離婚って、本気?あなた、自分の子供のことどう思ってるわけ?」
「ぶっちゃけどうでもいいわ。子供できてから忙しいし、お前も相手してくれない。それなら俺を大事にしてくれる親と妹の方が大切になるのは当たり前だろう」
「どこがどうなったら当たり前になるのよ」
「そりゃお前が俺に愛想を尽かすなら仕方ないわ。でも子供は違うでしょ。あなたは親なのよ」
「子供はできちゃったなくらいだったから、欲しかったわけじゃないんだよな。はぁ、育ててたら愛情湧くかと思ったけど、うるさいし寝れないし、マジ最悪。生まれたら母さんが喜んでくれたから、それまでは良かったけど」
「なんてことを言うの?許せない。つまり、あなたは自分勝手な理由で子供を作って、でも愛せないし、親の方が大切だからどうでもいいって、ふざけてるの?」
「てか、お前は最初から他人だろ。籍入れただけで家族とか思ってないし」
「そう。あなたは私のことを他人だと思ってて、血のつながった自分の子供はどうでもいいのね。よくわかったわ。このクズ男。ふざけんじゃないわよ」
「はいはい。ヒステリックだな。お前、荷物まとめとけよ。廊下狭いから最低限でいいぞ。お前どうせ家にいて暇なんだし。これ以上の話し合いは無駄だから、さっさとよろしく」
「いや、廊下にはないわよ」
「は?離婚すんの?」
「うん。じゃあ離婚で」
「おい、ちょっと待て。本気かよ」
「えって何?普通に考えて離婚するでしょ。だってあなた、私と娘を他人だって言ったよね。他人なら一緒にいる理由ないでしょ」
「でもお前、生後2ヶ月で赤ん坊抱えてどこに行くんだよ。実家だって頼れないだろ」
「何動揺してるの?あなたから言ったんでしょ?ああ、分かった。あなた、私が子供がいるから何しても離婚には応じないと思って、脅しで離婚って言ったのね。バカにしないでくれない?」
「え?いや、バカにしてるつもりは」
「そんな軽々しく言っていい言葉じゃないって理解できないわけ?見なったわ。大体、勝手に同居とかふざけんな。こんな家出てくわよ。赤ちゃんにも悪いし。家族大好き頭を鼻で育てやがろうなんて、こっちが願い下げ。本性に気づけなかったのが本当に悔しいわ」
数時間後。
「ひ子ちゃん、太郎から話は聞いてるでしょ?今日からよろしくね」
「話って何ですか?」
「同居よ。ひ子ちゃんのためにも大人が多い方がいいもの。これからは私が母親修行して、立派なお母さんにしてあげる。ああ、そうそう。あなたは廊下なのよね。廊下のスペースちゃんと片付けといてね。荷物邪魔だから」
「一応確認しますが、本当に来るつもりですか?まだ生後2ヶ月の娘がいるのに押しかけると。それが、すでに子供を2人も産んだ人がやることですか?」
「それはそれ。これはこれ。家族は支え合いなのよ」
「支え合いどころか、今私を平気で踏みつけてる。なんなら背中の上でジャンプして骨折るくらいのことしてますけど」
「そんなことしないわよ。やだ、私が悪者みたいに言わないで。ああ、それとね、夜泣きするようなら玄関でお願い。私たちの睡眠を妨げられたら困るから。あなたは若いんだし大丈夫よね」
「あの、もう面倒なので本音言いますね。本当に上がり込んでくるなんて無神経にも程がある。常識って習わなかったんですか?」
「知らないのはあなたの方よ。世帯主は私の息子。つまり、母親の私だって住む権利があるわ」
「なんていう暴論。話聞かないところは息子さんとそっくりですね。これから一緒に住むのに、ひどいこと言うわね。とにかくもうすぐ着くから、早く廊下に移動しなさいよ」
「すみません。今すぐ出ていきます。永遠に。え、私、廊下で過ごせと言われましたので、そのまま家を出ていきます。実家は遠いのですが、両親が急いで来てくれますし、幸い近くに親戚がいるので、しばらくはそちらでお世話になります」
「え、親戚の家?うん。まあ、それもいいわね。ゆっくりしてきたら、孫の顔を見せてあげた方がいいし」
「離婚することにしましたので、もう戻りません」
「ちょっと、離婚って、孫は?」
「あ、いいや。こんなことして、なんで離婚にならないと思ったんですか? でも好きだから結婚したんでしょ。太郎は子供が生まれるまでは優しくて頼りになる人でした。だから結婚したんです。でも今分かりました。彼が優しかったのは、母親が望んでいる孫がいたから。私のことなんてどうでも良かったんです。そんな人と暮らしたくないし、そんな父親は必要ないので。娘は私が育てます。当然ですよね。母親なんですから」
「ちょっと、勝手に離婚なんて許さないわよ」
「お母さんの許可とか必要ないです。それじゃあ、私も車に乗るので失礼しますね」
1週間後。
「おい、いつ帰ってくるんだ?母さんたちが家事やってくれると思ったら、誰もやらないんだよ。おかげで部屋もぐちゃぐちゃだし。みんな俺が世帯主だからって、俺の金で出前とるしで、早く帰ってきてくれよう。母さんが家事してくれると思ったのに話が違うんだ」
「離婚するって言ったわよね」
「そんな難しいこと言ってなかったんだけど。理解できなかったならはっきり言ってあげるけど。もう、あなたの言うことなんて何も信じない。私は娘と二人でやっていくって決めたの。あなたにできる仕事なんて、何もないでしょ。子育てなんて無理だって」
「私の年収、あなたの1. 5倍あるんですけど。知ってた?はい。だから、養育費だって払えるし、私が娘を養っていけるの。あなたが払うのは、せいぜい慰謝料くらいよ」
「…嘘だろ。そんな稼げるわけねえじゃん」
「どうしてそう言いきれるの?あなたが私の仕事を何も知らなかっただけよ。あなたは私のことを、ただの子育てに忙しいバカな女だと思ってたんでしょ?残念でしたね。私はあなたが考えているよりずっとできる人間よ」
「…!」
「それに、あなたの母親が家事をしてくれると思ったら、誰もやらないんだって?自業自得でしょ。あなたは家族を他人扱いして、自分の思い通りにならないなら、離婚だって平気で言うような男。そんな男に娘を任せる気には、絶対になれないわ」
「…で、本当に離婚する気か?」
「ええ。私の気持ちはもう決まってるわ。あなたに言われるまでもなく、あなたと結婚したのは失敗だったのよ。もう、あなたの顔も見たくない。娘を不幸にしないためにも、私がしっかり育てる。もう二度と、あなたの家族なんかに、私たちの生活を邪魔させない」
「…」
「私からは以上よ。さようなら」
その日、ひ子は三歳になる娘の手を引きながら、実家へと向かう道すがら、ふと思った。
「強い女になるって、決めたのよ。娘のためにも」
娘は母の言葉を聞いて、無邪気に笑った。その笑顔を見た瞬間、ひ子の目から涙がこぼれ落ちた。辛い決断だったけれど、このために、自分は強くなれたのだと思った。
「ママ、どうして泣いてるの?」
「泣いてないわよ。ただ、目に埃が入っただけ」
「嘘だー。泣いてたでしょ」
「泣いてないってば。さあ、行きましょ。じいじとばあばが待ってるわ」
ひ子は娘と手をつなぎながら、力強く歩き出した。新しい人生を、娘のために、強く生きていくために。
