義母の存在が、私の人生をここまで歪めるなんて思わなかった。夫の勇気は昔から母親思いだった。いや、思い通りすぎた。私の母ちゃんだって言うんだ。母ちゃんを最優先にできない嫁なんていらない。逆らうなら離婚だ。そう言い放った時の勇気の目は、本気だった。
私の名前は飯田里と。34歳の会社員。ここは地元の人間みんなが知り合いっていうような田舎町で、私は生まれてこの方、この場所を離れたことがない。家族は同い年の夫・勇気と、義母との三人暮らし。3年前に新築で家を建てて義両親との同居が始まったけど、義父は2年前に亡くなって、今は三人で暮らしている。
私はこの田舎町では数少ない大手企業の管理職として働いているけど、勇気は零細企業の社員で、給料はアルバイト同然。無職の義母も含めて、私は家族を養うために必死だった。離婚を考えるようになったのも、無理はないかもしれない。
発端は全部、同居している義母だ。
本当にろくでもない二人で、一日中家にいるくせに、家事は全部私に丸投げ。そのくせ文句だけは一人前だ。うんざりする毎日に、私の我慢も限界に来ていた。例えば、食事を作ればこうだ。
「味が薄い。年寄りだからってバカにしてるのか」
「しょっぱすぎる。お前は早う死にたいのか」
得意の難癖で、必ず何かしら文句を言う。先日なんて、せっかく作った味噌汁の出汁が薄いと言って、一口飲んだだけで流しに捨てられた。他にも、私が用意した料理があるのに、一目見ただけで「こんなもの食べられるか」と言って、カップ麺の方がましだと、私の目の前でゴミ箱に捨てた。そして、私にカップ麺のお湯を入れさせた。もちろん、私が作った料理を捨てた上でだ。
洗濯をすれば「汚れが落ちてない」とか「柔軟剤の香りが好きじゃない」とか「いつまで干してるんだ」と、毎回毎回文句ばかり。ひどい時には「洗い直せ」と言って、洗ったばかりの洗濯物を庭に投げ捨てたりする。
家事以外でも、いびりはある。それは子供のことだ。私たちは勇気の収入が増えるまで子供は作らないことに決めていた。家を建てた時に義母にも説明してあるのに、会うたびに嫌味を言うのだ。
「孫の顔を見せない嫁なんて、親不幸なやつだ」
そう言っては、私が服用している頭痛薬を指さして「こんなもの飲んでるから子供ができないんだ」と言って、勝手にゴミ箱に捨てたりする。さらに最悪なのは、私に金をせびることだ。
「嫁だったら、義母にいくらか小遣いを渡すものだろ」
そう言って、勝手に私の財布を漁り始める。一度、数千円がなくなったことがあってからは、小銭入れにしか入れないようにしていたけど、今では置き場所を頻繁に変えて、見つからないようにしている。数千円がなくなった時は大騒ぎになった。財布を漁られていたことがあったから、私は義母にお金を抜いたのかと尋ねた。すると義母は逆上して「人を泥棒扱いするのか」と怒鳴り出した。証拠もなくて、問い詰めることもできず、結局私は諦めるしかなかった。
そんな感じで、義母とのいがみ合いがない日はない。私はただひたすら我慢しているわけじゃない。ささやかな仕返しを毎日続けている。例えば、こんな感じだ。
「味が濃い」と言って食事を捨てられた次の日は、味が濃くて油っこい持ち帰り弁当にする。
「味が薄い」と言われた次の食事では、ドレッシングなしのサラダを出す。
洗濯で文句を言われた次の日は、わざと義母の洗濯物だけ忘れたふりをして放置する。
私のものを捨てられた時には、義母のお気に入りの習慣誌を、わざと見えるようにゴミ箱に捨てる。
明らかに仕返しだとわかるように、私も対抗する。その度に義母はギャーギャー騒ぐけど、私はとぼけて知らんぷりを決め込む。内心、鼻で笑って「ざまあ見ろ」と思いながら、自分の仕事に集中する。
お互いに罵倒し合う私と義母。でも、私の不満は夫の勇気にも向かっている。今まで私は、義母からのいびりを勇気に何度も相談してきた。でも勇気は、私の訴えには耳を貸さず「悪気はないから、うまくやってくれ」と笑って逃げるのだ。
時には逆切れして、こんなことを言われたことだってある。
「嫁なのに親を立てないからだろう。うまくやれないお前が悪いんだよ」
こんな感じの毎日に、私は嫌気がさしてしまった。まだ結婚して1年ほどしか経っていないのに、勇気に対する愛情は冷め切っていた。
年末の仕事納めの日のこと。うちの会社は仕事納めの日は午前中に社内の大掃除を行い、午後からは忘年会がある。毎年各部署に大掃除する場所が割り当てられるのだけど、今年の私の部署は社内の共有倉庫が割り当てられた。
各部署で使う備品や不要品などを保管しておく倉庫だから、広さもあり物も多い。みんなで手分けして、捨てるものと捨てないものを分別していた。私が一番奥の棚にカップ麺のダンボールがあることに気がついたのは、その時だ。その箱に貼ってある紙を見ると、大きな文字で「災害備蓄用」と書いてある。いつものだろうかと賞味期限を探してみると、すでに1年前で期限が切れていた。
これはもう食べられないのではないか。そう思ったけど、私はふとあることを思いついた。どうしようかと試案していると、一緒に片付けていた総務の女性から声がかかる。
「それ、一昨年の集中豪雨で災害が起きた時に、社長が買い込んだものなんですよ」
私はその頃のことを思い出しながら、こう言った。
「あれからは大きな災害はなかったですね。新しいのは買ってあるんですか?」
総務の女性は「備蓄用は数ヶ月前にすでに買ってあって、準備してありますよ」と答える。そして「賞味期限が切れたこの箱は捨てましょう」と言った。
「これ、私がもらってもいいですか?」
私の質問に少し驚いた総務の女性は、何に使うのかと尋ねる。まさか私が食べるとは言えない。とっさに思いついた嘘をついた。
「姪が冬休みの宿題で工作をするらしくて、カップ麺の容器を集めているんですよ」
その言葉に彼女は納得したようで、「そのダンボールだけは捨てないように、別の場所に置いておいてください」と言ってくれた。
大掃除が終わり、午後からの忘年会では色々な人と親交を深めた。普段あまり話さない上司を含め、別の部署の人たちと色々な話をして、楽しい時間を過ごした。
仕事納めが無事に終わり、帰宅した私は、一旦ダンボールだけ置いて買い物に出る。実家からのお母さん、上等な牛肉をもらったので、今晩はすき焼きにしようと考えていた。近所のスーパーで、二人分のすき焼きの材料を買って帰る。夕食の支度の前に、私は勇気と自分の分だけ洗濯を干し終わらせる。義母の分は干さない。風呂場の残り湯で洗うだけだ。
夕食の支度をしていると、義母が覗きに来た。
「あら、すき焼きなの? いい肉ね。私の分もあるの?」
「あいにく、二人分しか買ってないんで」
私は冷たくそう言い放ち、手を動かし続ける。義母は「ふん」と鼻を鳴らして、居間へ戻っていった。
すき焼きの準備ができると、私は居間のテーブルに二人分の鍋を置く。勇気がリビングから出てきて、テーブルを見て目を丸くした。
「おい、母さんの分はないのか?」
「私と勇気の分しか作ってないから。二人分しか買ってないもの」
「何言ってるんだよ。母さんにも食べさせろよ」
「残念だけど、この肉は私がもらってきた牛肉なの。実家の母から。それをどう使おうと、私の勝手でしょ」
勇気が何か言おうとするのを無視して、私は牛肉を鍋に入れる。甘辛い匂いが部屋中に広がる。義母がキッチンに来て、私の横で立っている。
「あら、本当に二人分だけなのね。私のは?」
「ありません」
「何よ、このくそあま」
「何を食べさせろと言うんですか? カップ麺ならありますけど。うちの義母さんは、カップ麺がお好きでしょ? 私の作る食事なんて、食べられないって言うんだから」
義母は顔を真っ赤にして、怒鳴り散らす。
「お前、この私を飢えさせる気か! 勇気! この嫁、何とかしなさいよ!」
勇気はうつむいたまま、何も言わない。昔からそうだ。喧嘩の時、勇気はいつも母の味方だ。でも、今回は私が譲らない。
「お母さん、いただきます。今日は私がもらってきたお肉で、すき焼きを作りました。遠慮なく食べてください」
私は意地悪く笑って、熱々の肉を口に運ぶ。義母のために作ったわけじゃない。この美味しい牛肉は、全部私が食べるためにある。義母は、舌打ちをしてから「ふん」と鼻で笑い、リビングから出ていった。
しばらく無言ですき焼きを食べていると、義母が何やら物音を立てて戻ってきた。手に持っているのは、カップ麺。それも、私が持って帰ったダンボールの中のやつだ。
「こんなもの、捨てるつもりだったんだろ? もったいないから頂くわよ」
義母はニヤリと笑って、カップ麺を一つ手に取る。私は箸を止めて、ゆっくりと顔を上げた。
「お義母さん、それ、食べるんですか?」
「ええ。あなたが私のご飯を用意しないから、これで我慢するのよ。せいぜい感謝しなさいよ」
「そうですか。でも、お義母さん。それはやめておいた方がいいですよ」
「何でよ?」
「それ、賞味期限が切れてるから」
義母の手が止まる。カップ麺の容器の裏を見て、賞味期限を確認している。私は笑みを浮かべながら、続ける。
「しかも、それ。1年前のやつですから。あんた、本当に食べるの?」
義母は「うっ」とうめき声を上げて、カップ麺をテーブルに置いた。思い通りだ。私は再びすき焼きを食べ始める。義母は悔しそうに、それでも私を睨みつけてくる。
「……っ、こんなの! 私はおかずだけでも食べるわよ!」
そう言って、義母はテーブルに置いてある大皿の肉に手を伸ばそうとする。私は素早く、その手をぴしゃりと叩いた。
「人の食事に何するんですか? したいことしないでくださいよ」
私の行動に、義母も勇気もあっけに取られている。私は最後の肉を口に運びながら、二人を静かに見渡す。食卓には、私がもらってきた上等な牛肉のすき焼きの鍋だけが湯気を立てている。
「おい、お前、母さんに何するんだよ」
勇気がようやく口を開いた。私はゆっくりと箸を置く。
「何って、食事の邪魔をされたから、追い払っただけよ。それとも何? 私がもらってきた牛肉を、あなたたちのために使わなきゃいけないの?」
「そういう問題じゃない。母さんが食べたいって言ってるんだから、分けてやれよ」
「嫌よ。どうしても食べさせたいなら、あなたが働いて、そのお金で買ってきなさいよ。あいにくだけど、うちの食費は全部、私が稼いできたお金で賄われてるの。その事実を忘れないで」
勇気は何も言い返せず、うつむいてしまう。義母も、悔しそうに唇を噛んでいる。沈黙が流れる中で、私はスマホを取り出して、メッセージアプリを開いた。
——離婚届、実家に送っておくわ。
その夜、私は義母の前でカップ麺のダンボールを見せびらかしながら、こう言った。
「お義母さん。ここにあるカップ麺、ぜんぶ期限切れなんですよ。もし私の家族に何かあったら、責任取れますか?」
義母は何も言えない。私は笑顔で続けた。
「大丈夫ですよ。私、ちゃんと新しいの買ってますから。備蓄用の。ここには絶対に置きませんけどね」
そう言って、私は自室に戻る。振り返りもせずに、ドアを閉めた。後ろから、勇気が何か言いかける気配がしたけど、私は無視して鍵をかけた。明日から、この家での生活がどう変わるのか。それはわからないけど、もう誰も私の人生を邪魔することはできない。
