「おい、早く妹の式場に来いよ。妊婦だからって言い訳はなしだぞ。もう安定期なんだから、キビキビ動けっての」
「いや、安定期どころか臨月なんだけど」
「ああ、でも安定期には変わりないだろ」
「いつ生まれてもおかしくないのよ。今だってお腹が痛くて」
「はあ、便秘かよ。こんな時にやめろよな」
「違うわ。そういう痛みじゃないの。これ、多分陣痛かもしれない。そうじゃなくても病院に行かないと」
「なんだよそれ」
「だから陣痛かもって言ってるでしょ。予定日はまだ先じゃないか。ちょっとお腹が痛いからって、何でも陣痛にするのやめろよ」
「なんですって? 赤ちゃんがいるのよ。少しのことでも不安になるのは仕方ないじゃない」
「はいはい。分かった分かった。なら結婚式終わりに病院に連れて行くから、保険証持ってこいよ」
「はい? 今なんて?」
「だから病院に送ってやるって」
「いや、その前よ。式の後って……結婚式には参加しろってこと?」
「そうだよ。何驚いてんだ。今日は妹の結婚式なんだし、参加するのは当たり前だろう。ただの腹痛でドタキャンとか非常識なことするなよ」
「だから陣痛かもしれないって言ってるでしょ」
「そんなの医者じゃないのになんで分かるんだよ。お前だって出産は初めてだし、腹痛と陣痛の区別なんて分からないだろ」
「あなたよりは分かるわよ。当事者なんだし。それに痛む箇所が違うんだから間違えないわ」
「ああ、うっざ。大体LINE打ててるんだろ。元気だろ。さっさと来いよな」
信じられない。お腹のこのことより結婚式を優先するなんて。
同時刻。
「美沙さん、今日は娘の大事な結婚式なの。絶対に遅刻しないでね。あの子は優しく言ってるけど、家族の結婚式に遅刻だなんて、そんな恥ずかしいことしないでちょうだい。面汚しよ」
「お母さん、健太から何も聞いてないんですか?」
「何もって、何のこと?」
「実は陣痛の兆候があって……陣痛です。なので病院に行こうと思ってます」
「ちょっと待って。まだ予定日まで一週間あるでしょ。気のせいじゃないの?」
「でも本当に痛くて。それに臨月ならいつ生まれてもおかしくないですよね。もし陣痛じゃなかったら、それはそれで見てもらわないと」
「今日は娘の結婚式が最優先なの。陣痛くらいで大騒ぎしないでちょうだい。全く」
「はい……」
「とにかく式には絶対来てね。お腹が大きいなら多少無理しても大丈夫でしょ」
「待ってください。お母さんまでそんなこと言うんですか?」
「あなたも母親になるなら、子供の恥になるようなことしないことよ。生まれてきた子に『あなたのお母さんはお腹が痛いって無駄に騒いで人の気を引こうとしたの。だから大事な結婚式に遅刻した恥ずかしい人よ』なんて言われたくないでしょ」
十分後。
「健太、やっぱり無理。赤ちゃんのことが最優先よ。病院に行くわ。お母さんにはうまく説明しておいて」
「はあ……陣痛ごときで妹の結婚式欠席とか、ふざけんなよ?」
「陣痛ごときって? お腹の赤ちゃんが心配なのよ。あなた父親でしょ。家族が大事じゃないの?」
「赤ちゃんなんてまだ生まれてないだろ。それなら今いる妹の式の方が大事なんだよ。お前がいないと俺の立場がないんだ。嫁の席が空いてるとか、恥ずかしいだろう」
「そう……結局は自分のことしか考えてないわけね。私は私とお腹の子が最優先よ。あなたたちなんてもう知らない。許可なんて取ろうとした私が間違いだったわ」
同時刻。
「お母さん、やっぱりお腹の痛みが止まらない。陣痛だと思う」
「大丈夫、すぐ行くわ。今向かってるの。それで旦那さんは?」
「あいつ、結婚式の一点張りだった。自分のことしか考えてない」
「そう……やはりね。美沙、これで決心はついたでしょう」
「ついたよ。元々ついてたけど、いざ生まれるってなれば、少しくらいこの子のことを考えてくれるんじゃないかって、そんな淡い期待を持ってしまった私がバカだったわ。けどおかげですっきりしたの。もうあいつらに何の情も必要ないって、最低な人達だって分かったから」
「美沙、少し耐えられる? お母さん今向かってるけど、まだ到着に時間がかかりそうなの」
「大丈夫。待ってる。最悪、救急車って手もあるから、絶対に無理しないで」
同時刻。
「美沙さん、まだ来てないの? 式まであと少しなのよ。早くして」
「すみません、体調が本当に悪いんです。欠席します」
「欠席? ふざけないで、娘の結婚式よ。家族なんだから出席するのは当然でしょ」
「でも陣痛が来てるんです」
「陣痛くらいで休むなんて甘えよ。私なんて二人産んだけど、そんなに大騒ぎしたことないわ。息子の稼ぎで生活させてもらってるんだから、家族のために尽くすのは当然でしょ。今すぐ準備して」
「もう何を言っても無駄ですね」
同時刻。
「おい、いつまで待たせんだよ。式が始まっちまうだろう」
「しつこい。いい加減にしろっての。この流れ、さすがに見飽きてきたわ。バカの一つ覚えで『妹だの』『なんだの』うるさいのよ」
「はあ? なんだと? 俺の稼ぎで食わせてやってるんだ。こんな時くらい協力しろよ」
「あなたの稼ぎで笑わせないでくれない? もう何話しても無駄。病院に行くわ。式には絶対に行かないから」
「ふざけんなよ。いいのかそんなことして。来ないなら離婚だからな」
「離婚? それ本気なわけ?」
「当たり前だろ。妻として家族の大事な日に協力しないなんて最低だ。お前なんていらない。離婚して慰謝料も払わせるからな」
「そう、分かった。じゃあ行くけど、覚悟してね」
「当たり前だ。早く来い。ここまで言われないと来ないなんて、どんな神経してんだよ」
同時刻。
「もう本当に頭にきた。お母さん、今こっち来てるのよね?」
「え? ええ、もうすぐ着くわ」
「それならお母さんは式場に行って欲しいの。私の代わりに。多分このまま病院に行っても、あの感じだと健太たちが病院に来るかもしれない。それを止めて欲しいの」
「え、でも美沙、一人で出産なんて大丈夫?」
「タクシー呼んだし、実は今病院に向かってる。あいつらには『動けない』って大げさに言っといたけど、それでも来いとか言ったのよ。あいつらの顔なんて見たくもないから、病院に来られても迷惑。お母さん、あいつらを病院に来れなくしてほしい。そのための準備はずっとしてたから」
「分かった。あなたがそこまで言うなら……ごめんね。でも私一人で大丈夫かしら?」
「そこは大丈夫。さっき弁護士の先生にも連絡したの。お母さん一人だけだと何したらいいか分からないから」
「準備がいいわね。頼もしいわ」
「なんかね、お腹の子を守らないとって思ったら、すごく冷静に色々考えられたわ。それが母親という生き物なのかな」
「すぐに式場へ向かうわ。でも何かあったらすぐに連絡して」
「ありがとう。あとは任せたよ。こっちも頑張るから」
二十分後。
「おい、どうなってんだよ。お前の母親が来たぞ。お前は来るって言ったくせに来ないとか約束破るなよ」
「行くって言ったわよ。でも私本人とは言ってないわ。代理人だって。本人の代わりよ。文句ないわよね」
「代理とか意味分かんねえよ。お前が来いよ。おい、無視すんな。返信しやがれ」
同時刻。
「美沙さん、あなたのお母さんが式場に来たのよ。しかも変なこと言ってるわ。やめさせて。これじゃ台無しじゃない。早く説明して、どういうことなの? 息子のLINEも既読無視してるし。早く返信しなさい」
その間、式場では。
「節子さん。娘は今、陣痛で大変なんです。これ以上LINEしないでください。迷惑です。私は娘の代理ですので、何かあるのでしたら私が対応します」
「何言ってるの? 美沙さんと話をさせて。私は美沙さんに用があるの」
「お断りします。娘を苦しめたあなた方と、これ以上娘が話す必要はありませんので。それよりも、もうすぐ大事な式ですよね。早くご準備されてはいかがですか?」
「あなたが美沙さんの席に座るからこうなってるのよ」
「美沙の代理ですので、美沙の席に座ったまでです」
「とにかく勝手なことしないでちょうだい。私は美沙さんと話したいの」
「勝手なこと? 陣痛中の娘に『式の方が大事』『来ないなら離婚』としたあなた方が言えることですか?」
「それは、娘の式が大事だったから仕方なかったのよ。そうでもしないと来ないと思って」
「陣痛中の妊婦を呼びつけることが仕方ないんですか? そこまでして娘を呼びたかったと。それはそれは、娘はとても愛されてるのですね」
「そうよ。美沙だから呼んだのよ。美沙は大切な家族で……」
「家族なら、なぜこの子の体調を気遣わなかったんですか?」
「あ、えっと……」
「それは、大切な家族ではなく、見栄えのためだけにあの子を呼んだのでしょ? だから健太さんは『こんなおばさんが隣じゃ』とか『空席になるのは恥だ』と言っていたんですから」
「文句は言わないでしょ……」
「どうします? 中止しますか? 私はどちらでも構いませんよ。あなたと息子さんのわがままで娘さんの式を遅らせる、そんな非常識で恥ずかしいことができるなら、ですけど」
三十分後。
「お前の母親、なんてこと言ってんだよ。早くなんとかしてくれ。式がめちゃくちゃだ。ふざけんな」
「ちょっと、今痛みが落ち着いたからLINE見たけど、一体何のこと? 何かあったの?」
「とぼけんな。俺と母さんのLINEを、参列者全員に見せやがったんだ」
「あら、そう。それが何か?」
「何かじゃねえよ。お前の母親のせいでみんなドン引きしてんじゃねえか」
「ドン引きしたのはLINEの内容でしょ。母には、あんたたちが病院に来ないように止めてって頼んだの。でもまさかLINEを見せるなんてね。そこまでするとは思わなかったわ」
「白々しい。お前、最初から仕組んでただろ」
「仕組んでた? 違うわ。あなたが送ったLINEをただ見せただけ。別に暴れたりしてないでしょ。何か問題でも?」
「問題だらけだろ。俺の立場が……」
「妹の式が、あなたの立場? はあ、そういうのは考えられるんだ。なのに私の立場は考えてくれなかったのね」
「お前のことを思って言ったんだぞ」
「はあ、そうなの? もし私が式場に行ってたら、陣痛が始まってたわ。そうなれば私もあなたも立場がなくなってたわよ。式を中断させることになってたんだから」
「でもそれは結果論で……」
「ならどうかしら? 『赤ちゃんなんてまだ生まれてない。陣痛ごときで欠席するな』——こんな発言が私のことを思ってなの?」
「それは言い方が悪かっただけで」
「言い方の問題じゃないわ。言い訳が見苦しいのよ。『来ないなら離婚だからな』『慰謝料も払わせるからな』、あと『陣痛は便秘と同じ』とか言ってたわよね。これ、全部あなた自身が書いた言葉よ。お母さんなんて『甘えてる』とか言ってきて、宇宙人かと思ったわ」
「それは母さんも怒ってたから、つい……」
「母親が言ったから何? 私はあなたの嫁よね。嫁を守らず母親優先って、そんなマザコン必要ないのよ」
「そんなつもりじゃ……」
「なら、どんなつもりなの? 説明してみて」
「えっと、それは……結婚式に来ないとお前が恥をかくと思って」
「あ、もういいわ。あのね、健太、私、我慢してきたの。あなたのシスコンもマザコンも、全部全部。『妹が』『母さんが』っていつも家族優先で、私の気持ちなんて考えてくれなかった」
「なら、その都度言えばいいだろう」
「言ったわよ。何? 覚えてないわけ? 私が散々言いまくってるのに、それすら記憶にないと?」
「あ……言ったっけ?」
「忘れてるなら教えてあげる。まずは結婚一年目。私の祖母の形見の指輪をお母さんが『古臭い』って勝手に捨てたの」
「あ、あれか。確かに怒ってたよな」
「あれは俺から母さんにちゃんと言っただろう。俺も寄り添ったし」
「ちゃんと言った? 『勝手に捨てるなよ』って言って終わりだったくせに。そのくせ私には『母さんは良かれと思ってやっただけ。そんなに怒ることじゃない。俺の母親に失礼だ』って、お母さんの味方して散々怒鳴り散らかしてたわよね。これのどこが寄り添ったわけ?」
「えっと、そんなつもりは……」
「私がどれだけ悲しかったか分かる? もうこの時に離婚してやろうかと本気で考えたわ」
「でもお前、俺から離れなかっただろう」
「それはね、妊娠が分かった時、お母さんが態度を変えて、あなたも優しくなったからよ。お腹の子のことを考えれば父親は必要。あなたも親になる自覚が芽生えたんだって、そう信じてた」
「そうだよ。俺は親としてちゃんと考えて……」
「嘘ばっかり。考えてないのは行動を見て分かったわ。それに優しくなったのは、あなたの大好きなお母さんが喜ぶ孫を産んでくれる存在だからよ。妊娠した時は確かに優しかったものね。でも安定期に入った瞬間、あなたは私を『存在』として扱ってきたわ。優しくするのが面倒になって、『安定期って名前だから大丈夫』と思ったんでしょ」
「それは……体も落ち着いて元気そうだったし、今までずっと家にいて寝てるしかなかったんだ。安定期に入ったんなら、少しくらい家族のために動けよ」
「体がしんどくても家事はしてたわ。何? それはやって当たり前だから家族のためじゃないわけ? 大体こっちは命を育んでるのよ。それ以外のことは自分でやれっての」
「私だってね、あなたとはずっと離れたかったわ」
「え……そうなのか」
「当たり前でしょ。ママ大好きなデカい子供なんて必要ないのよ。でもね、妊娠中に離婚を切り出すのが怖かったのよ。お腹の子に何かあったらって。だから出産まで待とうと決めてたの」
「そんな前から……」
「でもあなたは陣痛中の私に『妹の式の方が大事』って言った。もう待つ必要はないって分かったわ。離婚するし、慰謝料も払わせる。これからは自分のご飯は自分で作って、洗濯も掃除も何もかも全部自分でやりなさい。お母さんは高齢だもんね。介護もあんたがやることよ」
「そんな……そんなことって……」
一時間後。
「美沙、マジごめん。本当にごめん。だから離婚だけはやめてくれ。頼むよ」
「ここまで来ても、まともな謝罪もできないのね。まあ、今さらって言うか。っていうか、離婚はあなたも言ってたんだし、賛成よね」
「あれは……言い過ぎたっていうか」
「はあ……そっか。自分から言い出すのはいいけど、私からだと捨てられる身になるものね。そりゃ仕方ないか。陣痛中の嫁を引っ張り出そうとして捨てられるんだもの」
「お願いだからなんとかしてくれよ。このままだと俺、親戚中の笑いものだ」
「妹の式も、親戚中に今回のことが知れ渡ったものね。この状況で離婚となれば、あなたの有責は誰が見ても明らか。堂々と笑われちゃうかもね。いい気味だわ」
「そこまで分かってて、こんなことするのか……」
「私はあなたに『来ないなら離婚』って言われたのよ。お望み通りよ。離婚しましょう」
「ちょっと待て。そんな、いきなり……」
「待つ? 私はずっと待ってたわよ。あなたが変わるのを、義母が私を認めてくれるのを。今となってはバカだったなと思うけど、あなたに少しだけ期待があったのは確か。でももう待たない。子供のためにも一切の情を捨てたわ。そうさせたのは、あなたよ」
「でも、そんな急に離婚とか、準備とか色々あるだろう。子供が生まれて、そんな準備できるわけ……」
「そこはご安心あれ。弁護士も手配済みなの」
「あ? 弁護士って……まさかお前、前から準備してたのかよ」
「そうよ。妊娠してからずっとだから。言ったじゃない。元々離婚するつもりだったって。出産まで待つつもりだったけど、あなたが『離婚』って言ったから、予定より早く動くだけ」
「そんな……俺、知らなかった。お前、そこまで……」
「当然よ。あなたは私の気持ちなんて考えたことなかったもの。私も同じよ。もうあなたの気持ちなんて考えない。モラハラの証拠はもちろん、今回の件はDVに該当するって。あなたの稼ぎから計算して、慰謝料は二百五十万。養育費も払ってもらうけど、もう関わり合いたくないから一括で払ってもらうから」
「そんな、全部いきなり決めるなよ」
「いきなりと思う方がおかしいのよ。それだけのことをして、離婚されないと思ってるの? 頭おかしいんじゃない? 自分と大好きな家族しか見てなかったから、こうなるのよ」
同時刻、式場では。
「美沙さん、お願いだから式をなんとかしてちょうだい」
「なんとかって、何をですか? そもそも式場にいない私には何もできませんけど」
「参列者が帰り始めてるのよ。あなたの母親と弁護士のせいで」
「母はLINEのやり取りを見せて、私が来れない理由を説明しただけですし、弁護士さんは付き添いですよね。何もしてないと思いますが。結婚相手のご両親がすごく不機嫌で、婚約者と何か話してるのよ。このままじゃ娘の結婚が……」
「それは大変ですね。でも、私には関係ありませんよ」
「関係ない? あなたは家族でしょ」
「家族? お母さんは私とお腹の赤ちゃんより結婚式を選んだんです。なら、私もお母さんたちより自分と赤ちゃんを選びます。それだけのことです」
「それとこれとは話が別じゃない」
「同じです。私も子供を選んだ。先に自分の子供を優先したのはお母さんでしょ」
「それは……大体、家族って何ですか? お母さんの言う家族って、苦しんで動けない時にさっさと『腹痛』と罵倒することですか? それとも言うことを聞かないと『離婚させる』って脅すことですか? 私はそんな家族、必要ないので」
「でも、孫のことを考えたら。離婚だなんて、父親を奪う気? よく考えなさい。父親がいないのは大変だし、おばあちゃんがいた方がいいでしょ」
「いや、あなたたちと関わる方が何十倍も悪影響です。娘のためにもう関わりません。それに、私のお腹の子はお母さんの孫じゃありませんよ」
「え……ま、まさかよその男の子の……」
「違いますよ。お腹の子は確かに健太さんの子供です。ですが離婚するんですから、健太との関係も切れます。当然お母さんとも無関係になります」
「そんな……離婚って、まさか本気じゃないわよね」
「本気ですよ。健太が『離婚』って言ったんです。だから離婚するんです」
「ちょっと待って。息子はそこまで考えて言ったわけじゃ……」
「きっと言い過ぎたのよ」
「考えてない? 『言い過ぎた』? 三十二歳の大人が、考えずに『離婚』って言うんですか? それならなおさら夫として失格ですね」
「美沙さん、お願い、考え直して。孫に会えなくなるなんて、そんな……」
「あなたはその孫にひどいことをしたんです。合わせるわけないでしょう」
「私は何もしてないわよ。まだ生まれてもないのに」
「そうです。この子はまだ生まれていません。生まれる前から、命を軽んじられたんです」
「そんなつもりは……」
「お母さんは二人も出産してるから分かりますよね。母親の体調次第でお腹の子が危険になるってこと。だから食べてはいけないものも多いですし、薬だって何でも飲めるわけじゃない」
「それは……そうだけど」
「つまりあなたは、私を通してお腹の子を軽んじた。合わせない理由には十分ですよね。でも、さっきまでのあの態度のデカさはどこに行ったんですか? ああ、これ以上強く出て本当に離婚されたら困るから、弱気に出たんでしょ。もう何もかも遅いんですよ」
同時刻。
「節子さん、お願いです。美沙さんを説得してください。私にだって孫に会う権利はありますし、今はその……出産間近でナーバスでしょ。お互いちゃんと時間を置いて話した方がいいと思うんですよ」
「そうですね。娘はとてもデリケートな時期です」
「でしょう?」
「そのデリケートな時期と分かっていながら、式に強制参加させようとした。そうですよね」
「え、いや、そんなこと……」
「そういうことなんですよ。大体、説得? なぜ私がそんなことを?」
「だって、孫のことを考えたら、おばあちゃんに会えなくなるのは大変でしょ」
「会えなくなる? 当然です。娘は離婚します。親権は娘が持ちますよ。あなたは法的に他人になるんです。面会権もありません」
「な……でも、面会を断るのはダメなんじゃないの? あ、ほら、法律とかで」
「法律? 離婚した夫の母親には、孫の面会権は一切ありません。あるとすれば、それは夫である健太さんだけ。娘が許可しない限り、あなたは二度と孫に会えません」
「じゃあ……健太が許可してくれればいいってこと?」
「許可? ふざけてます。陣痛中の娘に『母親失格』と言った人に、娘が許可すると思いますか? 私の娘はそんなバカな子じゃありません」
「あの子の娘を……」
「二度と『孫』だなんて言わないでください。大事な娘と孫に関わるな。娘に拒絶されたからって、その母親を抱き込もうだなんて。浅ましいにも程がある。恥を知りなさい」
同時刻。
「美沙さん、本当にごめんなさい。謝るし、私も今後関わらないようにする。だからお願い、離婚だけはやめてちょうだい。娘の結婚式も台無しになったのに、離婚までされたら親戚の恥だわ」
「自分が困るから、離婚されたくないんですよね。離婚さえしなければ、この縁も切れない。実にお母さんらしい、自分勝手な言い分ですね」
「これからは、私も我慢するから。お願いよ」
「我慢? 何をですか? 嫁イビリを我慢とか、そういうレベルじゃないんですよ。お母さん、私がどれだけ我慢してきたか分かりますか? 散々罵倒しましたよね。同じ母親として、妊婦に言う言葉じゃないですよ」
「お母さんが大切にしたかったのは、娘の結婚式。私とお腹の赤ちゃんの命じゃなかったですよね」
「そこまでは言ってないわよ」
「行動でそう示していました。お母さんにとって私は最初から他人で、大事なのは家族で、私は家族を産むための道具。道具だから、『存在』として扱ってたんでしょ」
「そんな……」
「もういいです。お母さんとはもう関わりません。連絡してこないでください」
同時刻。
「母さん、どうしてくれんだよ。母さんが『姉を呼べ』って言うから、俺がこんなことになったんだろう」
「何言ってるの? あなたが妻を説得できないのが悪いんでしょ?」
「説得? 母さんが『娘の式が大事』『来ないなら離婚させる』って言ったんじゃないか。俺は母さんの言う通りにしただけだ」
「私のせい? あなたは三十二歳の大人でしょ。自分の判断で動けないの?」
「いつも母さんの言う通りにしてきたのに、今更俺のせいにすんなよ。あなたのせいで娘の結婚式が台無しになったのよ。責任取りなさいよ」
同時刻、病院にて。
「お母さん、また痛みが。これ、本格的に始まりそう。お医者さんが、これ以上長引くなら陣痛促進剤を使うって」
「本格的にはまだ始まってなかったのね」
「うん。だからLINEできたんだけど、さすがにそろそろきつくなってきた」
「もう大丈夫よ。あとは出産のことだけ考えて。結婚式はなんとか終わったけど、両家共に最悪の雰囲気だし、『説明しろ』って相手のご両親に健太さんたち詰められてるから、きっとしばらく病院には来れないわ。お母さんも今から病院に向かうから、もう少し頑張って」
「ありがとう、お母さん。実は結構心細かったんだ」
「そりゃそうよ。よく頑張ったわ。すぐ行くからね」
「迷惑かけてごめんね」
「何言ってるの? 母親っていうのは、いつも娘のことを思ってるのよ」
翌日。
「無事に女の子を出産したわ。しばらく忙しいから、あなたに構ってる暇ないの。用があったら弁護士にお願い」
「本当か? よかった……俺も会いに……」
「来るなって言ってるの。もう他人だから。離婚届にはサインしてよね」
「待ってくれ。話し合おう」
「話し合いするわけないでしょ」
「けどどうするんだよ。お前の稼ぎで子供を養うなんて無理だろう」
「はい? あなた、寝ぼけてるの? そういえば『俺の稼ぎで食わせてやってる』なんて言ってたわね。それ、本気で言ってたの?」
「事実だろ? お前、仕事してないし」
「それは産休に入ったからよ。実際はやめたわけじゃないわ」
「でも産休に入って、そのままやめた奴、多いぞ」
「それはあなたの職場が、子持ちには働きにくいからじゃない? うちは管理職も、子持ちの社員も多い方ばかりなの。だから復職するし、事情も話してる。母さんもこっちで面倒見てくれるから、復職しやすいわ。職場には託児所もあるしね」
「そんな……でも稼ぎは……」
「私の年収、六百万円あるけど?」
「はあ? そんな……」
「家計の管理は私に丸投げしてたものね。まさかあなたより稼いでるって知らなかったでしょう。というより、あなたと離婚したかったから、仕事頑張ってたんだけど」
「どういうことだよ」
「結婚一年目で形見を捨てられたって話したでしょ。あの時離婚を考えたけど、収入面で不安だったの。だからがむしゃらに働いた。そのおかげで、私、管理職まで登り詰めたわ。すごいでしょう?」
「そんなことまで……」
「そこまで準備しててもね、ふん切りがつかなかったわ。あなたとは好きで結婚したし。それに妊娠したらあなたもお母さんも態度が急変したもの。だからこのまま平和に暮らせると思ったんだけどな。やっぱりそうはならなかったわね」
「なら、俺は……」
「もう必要ないのよ。精神的にも教育的にも、悪影響しかないし。あ、慰謝料と養育費だけはしっかり払ってもらうから。それじゃあ、後は弁護士にどうぞ。貯金あるし、払えるわよね」
「う……そんな。それじゃあ、これからどうすればいいんだよ」
「自分で考えなさいよ。でも大変よね。だってお母さん言ってたわよ。『息子は長男だから、老後の面倒を見るのは当然』って」
「そ、そんなの……ヘルパーを雇えば」
「あらあら、現実が見えてないの? かわいそうに」
「なんだと?」
「なら教えてあげる。お母さんって、確かご主人の遺産で約二千万円もらったって自慢してたわよね。それくらいはあるはずだ。だからヘルパーくらい余裕でしょ。でも、毎年二百万円以上使ってるわよ、お母さん。旅行に、ブランド品に、娘さんの結婚式の援助もしてたし。あと十年で遺産は底を尽きるんじゃない?」
「なんでそんなにお金を使ってるんだよ」
「将来、あなたに頼るつもりだからでしょ」
「あ……あのさ、なんで私が一括であなたにお金を請求したか分かる? そうした方が、お母さんにもダメージがあるからよ。あなたの手取りは月二十万円程度。慰謝料と養育費で貯金を使い果たしたら、お母さんに援助する余裕なんてないわよね」
「う……確かに」
「でも、あのお母さんのことよ。何が何でもあなたからお金を絞り取ろうとする。だって、陣痛の妊婦を強制参加させようとしたんだもの」
「そんなこと、母さんはしない」
「本当? なら、今回の件、あなたは『責任取れ』とかお母さんに言われてないのね」
「それは……ほら、言われてるじゃない」
「これから大変よね。私への慰謝料と養育費の支払い、そしてお母さんに強制されて介護しないといけない。ヘルパーを雇えばお金もかかるし、施設なんてもっと。あなた、そんなお金あるわけ?」
「やばい……そんな未来、嫌だ」
「いや、でも親の介護は子供の責任なのよ。けど、私には関係ないわ。私は私の親の介護をするから」
「頼むよ、美沙。お願いだ。助けてくれ」
「ようやく自分の置かれた状況が分かった? でももう遅いの。それじゃあ、これから先の地獄を頑張って生きてね。私は生まれた娘と幸せに生きていくから」
その後、健太は慰謝料の支払いと生活費の減少で経済的に困窮。さらに、母親から「あなたのせいで全部失った」と今回の責任を追求された。妹の結婚を破断にさせたと、妹からも慰謝料を請求され、母親はその全てを健太のせいにしたというから、本当に凄い話だ。
しかし、それも無理のない話で。母親は親戚から追い出され、安アパートで暮らし始めた健太のところに転がり込もうとしたと聞く。しかし健太も健太で、余裕のない生活。マザコンゆえに母親を否定できず、ずるずると二人揃って極貧地獄に落ちているらしい。あと十年もすれば母親も介護が必要となり、より一層苦しい生活になるだろうが、私の知ったことではない。
一方、私は母のサポートを受けながら、娘と共に幸せな日々を送っている。仕事にも復帰し、経済的にも安定。人間、情に流されて決断が遅くなる時がある。それはとても人間らしいことだが、大きな決断を先延ばしにして苦しむのも、結局は自分だ。娘にはそんな思いはして欲しくない。だから、人間らしい心を育みつつ、自分と誰かのために決断できる、そんな強さのある人に育って欲しいと願っている。
