「息子の浮気を許してくれてありがとう。本当にふかさんは最高のお嫁さんだわ」
義母が突然、会社にまでやって来て、にこやかにそう言った。私は訳が分からず、聞き返すしかなかった。
「お母さん、何の話でしょうか?」
「ひろつぐに聞いたわよ。浮気したけど許してもらえたって。愛する人の裏切りはショックよね。でも男は必ず本妻の元に戻ってくるものなの。自信を持って堂々としてればいいのよ」
「はあ……。仕事のことと夫婦のことは別ですし、お母さんもコロコロと態度を変えられると困ります」
「あら、そう?」
「結婚は女社長なんて向いてないって、散々おっしゃってませんでしたっけ? 会社にまで押しかけてきて、こんな小さな会社潰してしまいなさいと。社員の前で私を怒鳴ったのもお忘れですか?」
「言った記憶はないけど、言ってたとしたらごめんなさいね」
「なんか態度が違いすぎて怖いんですけど」
「私、やっと自分の間違いに気づいたの。確かに息子のことが可愛いあまり、あなたに強く当たってきたわ」
「はい。ゴリゴリに当たられました」
「でも間違ってた。可愛い息子が選んだ人だからこそ、大事にしなきゃいけなかったのよね」
「それに気づくのに三年かかったんですか?」
「そうなのよ。でも今からでも遅くないわよね。ね?」
「ええ、だいぶ遅いと思いますよ」
義母は話を変えた。
「ちょっと話は変わるんだけど、車が欲しいの」
「いきなり何の話なんですか?」
「人生で一度でいいからベンツに乗りたいのよ」
「買えばよろしいのでは?」
「え、いいの?」
「お好きになさったらいいかと」
「やった。嬉しい。若い頃からずっとベンツに憧れてたのよね」
そう言って義母は、足取り軽く会社を出ていった。翌日、今度は夫のひろつぐから連絡が来た。
「お母さんから連絡来たんだけど、どういう風に話をすればあんな勘違いになるわけ?」
「あ、何が?」
「息子の浮気を許してくれてありがとうって言われた」
「許してくれたじゃん」
「二時間バトった結果、あなたが逆切れして離婚届をプリントアウトして私に投げつけたよね。そのくらい反省してるって意味で書いただけ」
「は? そんなに怒るなら離婚だって叫んでたくせに」
「一瞬思ったけど、ママに相談したら反対されたんだ」
「なんで夫婦のことを全部相談しないと気が済まないの? ママは人生経験豊富なんだから、アドバイスを求めるのは当然のことだろう」
「そのママ呼び、どうにかならない? あなた今年三十歳なんだよ」
「アメリカ人はいくつになっても母をママと呼ぶぞ」
「ここは日本だし、三十男のママ呼びは意味が違ってくる」
「そうかな」
「お母さんだって勝手すぎるわ。離婚するかもしれないと思ったら、急に優しくしてきたのよ」
「本来はそういう人なんだよ」
「今まで私がされてきたこと忘れたの?」
「何だっけ?」
「コーヒーにタバスコ、お寿司に大量のわさび。何もしてないのに芸人並みの罰を食らってきたのよ」
「それはまあ、単なるコミュニケーションじゃないか」
「じゃあ私も同じことしてあげる」
「それは嫌だけど」
「幸いなことに子供もいないし、別れるなら今だと思う」
「だめだ。俺はふかのことを愛してるんだよ。君を失ったら生きていけない」
「じゃあどうして浮気なんてしたの?」
「スーパーでウィンナーの試食やってたら、つい食うだろう。どんな味かなって興味が湧くよな」
「うん」
「ね? 結局食っては見たものの、買わずに帰ることがあるよな」
「あるね」
「つまんで終わり。俺の浮気は試食と同じなんだよ」
「あー、なるほどね」
「だろ?」
「わけあるか」
「やっぱりだめか」
「試食は誰も傷つけないし、全然話が違う。ウィンナーを焼いてるおばちゃんは、食うだけ食って買わない客のせいで傷ついてるぞ」
「ウィンナー焼いてるおばちゃんには悪いけど、私はそのレベルじゃないくらい心をえぐられたのよ」
「だよな。ごめん。本当に悪かったと思ってる。でも後にも先にも、たった一度切りなんだ。言い訳なんて言葉じゃ軽々しいけど、ふかへの愛情は一ミリも減ってないんだ」
「少し時間をちょうだい。私も色々考えたいから、しばらく実家に帰ることにする」
「分かった。俺ずっと待ってるから」
数日後、私は叔父に連絡を取った。叔父は探偵をやっている。
「見た目はおじさん、頭脳もおじさんの探偵にちょっと頼みがあるんだけど、今時間いい?」
「断る」
「え? なんでよ」
「叔父が探偵やってるのに、今まで得したことないんだから」
「一度くらいその特権使わせてくれたっていいじゃん」
「お前を楽させるために探偵をやってるわけじゃない」
「じゃあ、あの子のお母さんに言っちゃおうかな」
「やめろ。姉さんには言わない約束だろ」
「そこまで私の母を恐れるってどういうことよ」
「うるさい。お前には分からない上下関係があるんだ。さっさと用を言え」
「夫が浮気してた」
「いかにもしそうな顔してるじゃないか」
「気づいてたなら早く言ってよ。初めて会ったのが結婚式だぞ。めでたい席でそんなこと言えるか」
「本人も認めて反省してるんだけど、なんか腑に落ちないのよね」
「女の勘ってやつだな」
「うん。あと姑まで突然コビへらをきき始めて、なんか変なの」
「分かった。三日追ってみよう」
「いくら払えばいい?」
「五億」
「分かった」
「絶対払えよ。お母さんに相談するぞ」
「やめろ。十五万でいい」
「激アツ。おじさん大好き」
「調子のいい奴め」
数日後、叔父から連絡が来た。声のトーンが重かった。
「黒だ」
「え?」
「真っ黒。漆黒。これ以上ないくらい黒」
「どういうこと?」
「三日張り込んだが、驚いたことに毎日違う女だった」
「は? 金髪ショートだけじゃなかったってこと?」
「黒髪ロング、茶髪パーマ、茶髪ロングだった。どこに行ってたかは、男女が行くところといえば決まってるだろう」
「もう二度としないって言ってたのに」
「信じたのか?」
「二割くらいはね。私が実家に帰ってる間くらいはおとなしくしてると思ったのにな」
「一度するやつは二度も三度も四度もする。俺はそういうやつを嫌というほど見てきた」
「病気みたいなものなのかな?」
「残念だがそうだ。だから俺は結婚なんてしないんだよ。一生一人の女に縛られるなんてまっぴらごめんだからな」
「その方が賢いよ。誰も傷つけないもん」
「おい、大丈夫か?」
「うん。へこんでる」
「何が食いたい?」
「寿司」
「分かった。付き合ってやる。お前の奢りな」
「はあ。普通そっちが奢るもんじゃないの?」
「だったら当日じゃんけんだ。土曜日開けておけ」
「おじさんありがとう。でも次も私が勝つよ」
「土曜日十五万も持ってこいよ」
「ちゃっかりしてんな」
一週間後、義母から電話が来た。
「ママが会社買ったから、今月八百万振り込んで」
「は?」
「ひろつぐから、ふかの許可はもらってると言ってたぞ」
「確かにそんな話はした記憶あるけど、なんで私が振り込まないといけないの?」
「嫁なんだから当然だろう。ママは今までの行いを反省してる。俺も浮気を反省してる。これから家族として再出発するのにぴったりなプレゼントだとは思わないか」
「だったらあなたが買ってあげたら? ふかの方が稼いでるだろう」
「もうあなたたち親子に付き合ってられない」
「そんなこと言うなよ。これから長い付き合いになるんだからさ」
その日の夜、夫が得意げに言ってきた。
「どんなベンツを買ったの?」
「赤いやつ。すげえかっこいいぜ」
「お母さんってペーパードライバーだよね」
「昔教習所で褒められたし、自信はあるってよ」
「何十年前の話よ。駐車場とか維持費とかかるけど大丈夫なの?」
「親孝行だと思って、そこら辺も面倒見てやってくれ」
「嫌だ」
「おいおい。断るなら離婚だぞ。なんつって」
「別に構わないけど」
「嘘だってばあ。冗談に決まってるだろう。いつまでも実家にいないで、そろそろ戻ってこいよ。今度ママのベンツで一緒にドライブ行こう」
「私はパス。勝手にして」
「まあ考えといてよ。やっとママに親孝行できるわ。ありがとな」
「私にお礼言われても困るんだけど」
三日後、また義母から連絡が来た。
「振り込みはまだかしら」
「何のことですか?」
「八百万よ。ひろつぐから車買った話聞いてない?」
「聞きましたよ」
「だったら早く振り込んでよ」
なんかずっと勘違いされてるなとは思いつつ、面倒なのでああはっきりとは言いませんでしたが、私はきっぱり言った。
「私払いませんよ」
「なんでよ」
「払う義理がないので。どうしてかって、都合のいい時だけ家族になるのやめてくださいね。じゃあ車は返品したらどうでしょう? できるかどうか知りませんが」
「いや、ベンツをやっと手に入れたのに」
「私、今役所にいるんです」
「住民票でも取りに行ってるの?」
「ええ、離婚届を出しに来ました」
「は?」
「ひろつぐが先日浮気した際に書いたものです」
「そんなの無効よ。今のひろつぐに離婚の意思がないなら、その離婚届は無効になるわ」
「でも次に浮気したら、ふかの一存で提出していいと一筆書いた書面もあります」
「だったら出せないじゃない。あの子はたった一度の過ちしか犯してないんだから」
「ああ、そうか。お母様は知らないんでしたね」
「何が?」
「彼が浮気してるのは一人や二人の騒ぎではありません。私の叔父が探偵業をしてるんですが、三日張り込んだだけで三人の女性とホテルに行ってました」
「そりゃホテルで打ち合わせすることもあるでしょうよ」
「どっかの市長じゃないんだから、ないでしょう」
「夫を信じられないの?」
「はい。二度としないと言った直後にこれです。今後も続くと考えるのが当然ですよね」
「私があの子を叱っておくわ」
「無駄ですよ。お母さんが徹底して甘やかした結果が今の彼を作ってると思うので」
「だから私が責任を取ると言ってるの」
「どんな謝罪文を書かれても、信じることはできません。ではさようなら。運転には気をつけてください」
「待ちなさい。絶対に離婚届を出しちゃだめよ」
数分後、夫から電話があった。
「離婚届を出すために役所にいるって本当?」
「うん。なんかおじさんに頼んで張り込みしたみたいだけど、そのことなら誤解だから」
「何が?」
「確かに三人の女性と会った。それは事実だ。でも何もしてない。相談に乗っていただけなんだ。誰にも聞かれたくないところがいいって言われて、思いついたのがそういうホテルしかなくて」
「どっかの市長じゃないんだから、無理があるって」
「誤解されても仕方ないよな。ごめん」
「どんな悩みだったの?」
「え?」
「何でもママに相談しちゃうあなたが、他人の相談に乗ることがあるのかなって」
「まあ色々だよ」
「それを聞いてるんだけど」
「旦那さんとのこととか、嫁トラブルとか……」
「は? 相手既婚者なの?」
「たまたま結婚してたってだけで」
「そんな人たちとどこで出会うわけ?」
「マッチングアプリ的な」
「ありえない。自分から出会いを探しに行ってんじゃん。でも本当に何もしてないんだって」
「じゃあ私が同じことをしても信じる?」
「それはちょっと無理があるだろう」
「同じことでしょうが。とにかく俺は何もやってないんだよ。旦那を信じられないのか」
「もう離婚したし、他人だよ」
「は?」
「たった今提出した」
「やめろ。取り返せ」
「納得がいかないなら裁判でも何でもして。私は約束通り、裏切ったら離婚届を出すってのを実行しただけだから」
「そんな……」
「私の資産しか見てなかったんだね。それがよく分かった」
「違う。俺はふかを愛してるんだ」
「じゃあ私の収入がパート十万になってもいい?」
「ふかならもっと稼げる」
「今ので本心がよく分かった。私が病気になったり会社が傾いたら、あなたは真っ先に私を見捨てるのよ」
「そんなことしない」
「それ以上の裏切りを食らったわ。二度とあなたなんか信じない。じゃあね」
数日後、叔父に会いに行くと、叔父は奇妙なことを言った。
「ふかと離婚したのか」
「なんで知ってるの? 今から連絡しようと思ってたのに」
「俺の事務所の前に大量の生ゴミが置かれていたから」
「なんでそれが私の離婚とつながるのよ」
「逆恨みでうちにいたずらしたり報復する奴がたまにいるんだよ。え? まさかひろつぐかお袋さんが、ゴミ袋ごと持ってきてぶちまけたんだろうが、その中に水道使用量の明細が入ってた」
「誰のだった?」
「滲んでるが、まり子という文字がかすかに見える」
「姑だ」
「自分の息子が浮気して離婚に至ったのになんで逆恨みするんだよ」
「きっとそのことじゃないわ。他に何があるんだ?」
「八百万もするベンツを買ったらしいの。そのお金を私が出すと思い込んでたみたい」
「そのベンツ何色だ? ひろつぐは赤って言ってたけど」
「昨日だったかな。別の対象者の張り込み中に、赤いベンツに乗ったひろつぐがホテルに入っていったんだ」
「はあ。離婚した直後よ」
「節操がないにも程があるな」
「義母の車を自分も乗り回してるの? 自分も使うのに親孝行だと言ってたわけか。なかなかの悪党だな」
「浮気にマザコンに嘘つき。最低な男だったわ」
「付き合う前はマザコンだって気づかなかったのかよ」
「最初はお母さんとかお袋とか言ってたんだけど、ここ一年で何を吹っ切ったのかママ呼びして。気づいたらママの言うことは絶対みたいになってたの」
「男を見る目がないなあ」
「ぐうの音も出ないわ。別れたなら遠慮なく言うが」
「しかし頻繁にホテルに通うなんてよっぽど稼いでたんだな」
「それはない。あの人の手取りは二十万くらいよ」
「じゃあ女性側が出してんのか。どっちにしろ行ってホテルって流れだから、それなりに金はかかってるはずだ」
「財布は別だし、カードも渡したりはしてないけど……」
「慰謝料請求も当然だが、金回りもちゃんと調べろよ」
「うん。ありがとう」
翌日、引っ越しのために久しぶりに家に戻ったら、ポストに身に覚えのない請求書が何通も入っていた。
「ねえ、なんで私の名義で多額の借金がされてるわけ?」
「ごめん。そのうち返す」
「勝手に私の名前使ったの?」
「ごめん。ここにある分だけで七社くらいあるんだけど、一社だけじゃ少ししか借りられないから、何社か回ったんだ」
「何やってくれてんのよ」
「お前は社長だし収入もあるからさ」
「ちょっと待ってよ。まともな金融機関なら本人確認の時点でアウトだよね? どの……てことは、まともじゃないところで借りたの?」
「ああ。ふざけないで。そんなところで借りるなんて。私の信用に傷がついたらどう責任取るのよ」
「それは大丈夫。母さんも働くって言ってるし。一緒に返していくからさ」
「お母さんとグルなの?」
「車買うのにローンが組めなかったんだよ」
「だったら諦めなさいよ」
「お前が買ってやらないからだろ。でも車だけなら八百万で済むのになんで千二百万も借りる必要があるわけ?」
「俺もお祝い事とかが続いて出費が多かったからさ、ちょっと多めに借りておこうかなって」
「信じられない。今すぐ車を売って返して」
「それは無理かな? 一度乗ったら愛着が湧いたみたいでさ。どうしても手放したくないって言うんだよ。俺にも貸してくれないくらい大事にしてるんだ」
「嘘ね。あ、あなたもそのベンツ乗り回してるよね」
「なわけないだろ」
「しかもそれでホテル行ってたでしょ」
「お前、まだ俺を張り込んでたのか? そんなに好きなら戻ってこいよ」
「違う。たまたまあなたを見かけた人がいたの」
「なんだよ。うるせえな」
「開き直ったわね」
「ごめんなさい。許してください」
「ち、ちょっと待って。借金は俺らも返す。でもふかも少し出してくれると助かる」
「何の義理があって、あんたらの借金を私が手伝わないといけないのよ」
「ママが喜ぶ顔を見たくないか」
「この世で見たがるのはあなただけだから。一生会うこともないし、笑ってようが泣いてようが私の人生に影響はない」
「冷たい女だな」
「嫁いびりした挙げ句、浮気の隠蔽を手伝ったような人に同情の気持ちなんかないわ」
「何言ってんだ。ママは何も知らないんだぞ」
「お母さんが女性とあなたをベンツに乗せて、ホテルに送り迎えしてる写真もあるから」
「それは運転の練習で」
「どこの世界に息子の浮気相手を乗せて運転講習する人間がいるのよ」
「ごめん」
「もう謝らなくてもいい。私たちは他人だから。ただ、勝手に名義を使い借金したことと、私を傷つけた件はちゃんと責任取ってもらう」
「責任って何? 頭を丸めろってことか?」
「アホなの? あんたの今後がどうなろうと知ったこっちゃないのよ。目に見えるお金って形で誠意を見せろって言ってんの」
「お前、俺の月収知ってるよな。払えないの分かるだろう。俺に金がないのを知ってて結婚してくれたじゃないか」
「そうよ。収入なんてどうでもよかった。結婚前は忙しい私を気遣ってくれて、仕事から帰ると肩を揉んでくれたり、温かいスープ作って待っててくれたよね」
「だって心から支えてあげたいって思ったから」
「でも今となれば、お金のためだったんだって分かったよ」
「違うんだ。浮気したのは気の迷いで。俺の一番は常にふかだけだったんだよ。もう一度だけやり直すチャンスをくれないか」
「二回も三回も気が迷ってしまう時点であなたは結婚に向いてない人間なの。そんなこと言うなよ。一生ママのそばで甘やかされてればいいわ。さようなら」
一ヶ月後、義母が会社に怒鳴り込んできた。
「くそ嫁」
「もう嫁ではありません」
「あんたのせいで車を手放すことになったじゃないの」
「うん。そうだったんじゃないでしょうか」
「ふざけるな。この年でやっと人生の夢を掴んだのに。たった一瞬で失ったのよ」
「息子さんとシェアして楽しそうにホテルにまで送り迎えしてましたもんね」
「練習してただけ」
「どうでもいいんですが、そもそも車を買うお金を自分たちで出してないことが問題なんです」
「そのことで文句があるのよ。あんた、どうしてひろつぐを警察なんかに突き出したの?」
「金融会社への詐欺に当たるからです。私の名前を使ってお金を借りるのは犯罪です」
「あんたに人の心はないの? あの子は今もまだ警察にいるのよ」
「あら、それは女遊びもできなくて暇で、ストレスが溜まってるでしょうね」
「煽らないでくれる? イライラするわ」
「ちなみにベンツはいくらで売れたんですか?」
「六百万もいかないくらい」
「うわ、中古扱いですもんね」
「残り六百万を返済するために家を抵当に入れて、銀行から借りたのよ」
「最初からそうすればよかったのに。勝手に人の名義なんか悪用するからこうなるんです」
「だって息子が、このまま嫁に払わせればいいって言ったんだもの」
「それを言うのも、それに乗るのも同罪ですね」
「ねえ、お願い。もう一度息子と再婚して」
「そんなに私のお金が恋しいですか?」
「そんなことないわ」
「結婚した当初、私は起業したばかりで売上どころか借金からのスタートでした。でも今は一億を超える年商です。それを知った途端私に優しくなったのは、決して偶然ではないですよね」
「偶然です」
「私が会社を売って無職になっても、また嫁として戻ってきて欲しいですか?」
「それはちょっと話が違うじゃない?」
「あなたもひろつぐも全く同じ反応をするんですね。お前には金しか価値がないと言われてるようで、さすがに落ち込みます」
「お金のあるあなたが素敵なんじゃない?」
「あ、そうだ。大事なことを忘れてました」
「何?」
「叔父の探偵事務所にゴミをばらまいた件ですが、仕事が落ち着いたので警察に届け出ると言ってました」
「え? 何の話?」
「ちゃんと証拠もありますよ。あなたの家の水道使用量の明細が入ってたそうなので」
「あ、親子揃って警察沙汰なんて恥ずかしすぎます。早々に離婚して縁を切っておいてよかったです」
「待ってちょうだい。私はもう七十歳近いし、警察の取り調べに耐えられないわ」
「近所の奥様たちにベラベラと私の悪口をおっしゃってたじゃないですか。あの調子で刑事さんとお話しするだけですよ」
「この年で捕まるなんて恥ずかしくて耐えられない」
「恥ずかしいことをしなければ、恥をかくことはないんですよ。七十年近く生きていて、そんなことも分からないとは。お願い。二度と車も欲しがらないし、何でもするから許して」
「何もしなくていいので、人生の免許証返してもらえます?」
「ひどい」
翌日、私は叔父に会いに行った。
「おじさん、色々ありがとう。全部すっきり終わったよ」
「お疲れさん」
「おじさんの言う通り、独身が一番だわ」
「そうでもないと思うぞ。お前の母ちゃんと父ちゃんが結婚したから、お前が生まれたんだ」
「そうだけどさ。生意気な姪っ子だが、お前がいる人生で良かったと結構真剣に思ってるぞ」
「やだ。ちょっと泣きそうなんだけど」
「俺の愛が伝わったか?」
「うん。伝わった」
「じゃあ、剣で脅すのはもうやめろ」
「なあ、あまりにも姉にいびられすぎて、その仕返しに高校生の時、お母さんに初めてできた彼氏に百年の恋も覚める顔を見せて別れさせたこと」
「言うなよ。絶対に言うなよ」
「どうしよっかな」
「さっきの言葉は取り消す。お前に愛情なんか一切ない」
「今後も可愛い姪をよろしくね、おじさん」
ひろつぐは私文書偽造や詐欺罪などで捕まりました。義母も共犯ですが、さらに廃棄物処理法違反などに問われて、二人仲良く塀の向こうへお引っ越しです。当然、不倫の慰謝料請求もしています。叔父のおかげで相手の女性たちも特定できたので、手始めに内容証明を送っておきました。二人とも塀の中なので、面会や差し入れをしてくれる人がいないらしく、なぜか私に手紙を送ってきて困っています。一通目の手紙では肌着や石鹸の要求だったのに、三通目では現金とか出所後の世話の要求まで書かれてあったので、それを機に受け取り拒否。二度と関わらないようマンションも売却し、署名も変えて、オフィスも移転しました。仕事ばかりの毎日で虚しくなる日もありますが、呼べばすぐ来てくれる叔父に付き合ってもらいながら、毎日をそれなりに楽しく生きています。
