弟の婚約者の父だと名乗る男性から、突然電話がかかってきたのは昼過ぎのことだった。相手は最初から苛立ちを隠さない口調で、失礼な言葉を並べたてた。私は高校中退で中卒だということを、どうやらどこかで知ったらしい。彼は弟が医者であることを誇りに思っている一方で、その血のつながった姉が中卒であることを許せないようだった。
両親は私が中学三年生の時に事故で亡くなった。保険金と私の働いた金で弟を学校に行かせた。幸い弟は国立大学に進み、医者になることができた。それなのに、彼は「覚醒遺伝」だとか「お前の能が孫に遺伝したらどう責任を取るんだ」などと、信じられないような言葉を並べた。私は最初から失礼な態度だったが、さすがに「お前」呼ばわりには我慢の限界だった。
「弟は自分の努力で道を開きました。血筋など関係ありません」
「何も成し遂げてないお前が偉そうに言うな」
「あなたも高卒だと聞いています。娘さんは自分で努力して医師を目指されたのでしょう。学歴で人の価値は測れません」
「それが全てだ」
話し合いは平行線のまま、電話は一方的に切られた。私は深いため息をついた。弟の結婚を認めてもらえないなら、式に参加できないかもしれない。そんな不安が胸をよぎった。
数日後、ハワイでの結婚式の準備が進む中、弟と私は電話で他愛もない話をした。彼は「必ず姉ちゃんを泣かせてやるから」と言い、私は「あなたが登場した時点で私は泣くの確定してるから」と笑った。そして「ここまで育ててくれてありがとう」という弟の言葉に、私は思わず目頭が熱くなった。
「やめてよ。私こそ、あなたが医者になって結婚してくれて、親のような気分だよ」
「結婚してない姉ちゃんも早く幸せになってくれよ」
「うるさいなあ。ほっとけ」
その日は穏やかな時間が流れた。弟の未来が、彼自身の手でしっかりと築かれていることを願った。
しかし、式が近づくにつれて、義父からの圧力はますます強くなった。私はハワイで行われる式に参加するつもりでいたが、彼は「お前は来るな」と言い放った。
「あなたにお前と言われる筋合いはありません。弟の幸せを壊す権利があなたにあるんですか?」
「お前がその態度なら、俺は娘の結婚を許さないぞ」
「あなたが反対することで、二人が不幸になってもいいんですか?」
「お前みたいなのが身内になるよりマシだ。お前さえいなければ、二人はこのまま幸せになれる」
「私に弟と縁を切れとおっしゃるんですか?」
「それがベストだろう」
あまりにも理不尽な要求に、私は怒りと悲しみが入り混じった。弟はたった一人の大事な家族だ。彼を失うわけにはいかない。私は何度も話し合おうと試みたが、義父は「一度会って話しましょう」という私の提案にも耳を貸さなかった。
「集合写真を撮るだろう。あれが片方はお前だけなんだぞ。格好がつかん」
「誰が誰に向けて格好をつけようとしているんですか? あなたのおっしゃる通り私が欠席したら、弟の隣は誰もいないことになります。その方がアンバランスではありませんか?」
「役者でも雇おう」
「冗談ですよね。弟の招待客は全員、両親がいないことを知っていますよ。見ず知らずの男女が並んでいたら、それこそ失礼でしょう」
「理由はもう一つある。お前のような生意気なやつと身内になりたくない」
「最初に仕掛けてきたのはあなたの方です」
「お前の方が目立つだろう。両親亡き後、姉一人で育ててきたなんてエピソードで、式の注目は全部お前に向く」
「そんなわけないでしょう。主役はあの二人です」
「来たら許さん。それだけ言っておく」
電話は一方的に切られた。私はスマートフォンを握りしめたまま、しばらく動けなかった。
結婚式当日、私は意を決してハワイへ飛んだ。しかし会場に到着した瞬間、義父がビールを私のドレスにぶっかけた。高級なドレスは台無しになり、私は急いで近くのモールへ買いに行く羽目になった。
「あれだけ警告しただろう。低学歴のくせに海外まで来るとは図々しいんだよ」
「だからってビールをかける? しかも人前でなく、トイレに行く途中の私を狙うなんて。育児も根性もないくせに、嫌がらせしないでください」
「うるさい。出ていけ」
「言われなくても帰りますよ。その代わり、道連れにしてあげる」
「あんた、誰の金でハワイまで来れたと思ってる?」
「そりゃうちの弟は医者だからな。そのくらい出すのは当然のことだ」
「そう思ってるんだ。じゃあ、その当然のことを思い知らせてあげる」
私はスマートフォンを取り出した。義父の娘さん、つまり弟の婚約者であるとみさんに電話をかけた。彼女の会社の社長がどうのこうのという話を聞かせてほしいと言った。彼女は困惑しながらも、私が社長であることを認めた。
「え、あなたが? ビールをぶっかけられて服を買いに行かされている私が社長だけど、何か?」
「嘘だろ?」
「なんら、弟ととみちゃんは私がきっかけで出会ってるのよ。医者を捕まえるなんてでかしたって、あなたはそればっかりで何も聞かなかったでしょ。自分が娘の結婚に浮かれて、周りが見えなかっただけよ」
義父は言葉を失った。私はさらに追い打ちをかけた。
「あなたが泊まっているホテルも、昨日食べたお肉も、私が全部お金を出しているわ。後日、請求書を送らせてもらうね。ざっと七十万ってところかしら。こちらも、あなたみたいな低学歴に奢られるのは嫌でしょ?」
「ちょっと待ってくれ」
「一応、義理の家族だからと思って、そこそこいいホテルの部屋を取ったのが間違いだったわ。お前なんて、ビーチの砂を布団代わりにすればよかったのに」
「お前って言うな」
「あら、自分がおっしゃったのに、もうお忘れ? おぼけになるにはまだ早いんじゃない?」
「ふざけやがって」
「これ以上宿泊すると、請求額が増えるわよ。さっさと帰国するか、自分で宿を探しなさい」
義父は顔を真っ赤にして怒り狂ったが、私が社長であることを知ってからは、態度が一変した。夕方には「気が変わった」と言って、私に謝罪の言葉を並べ始めた。
「この度は、娘を思うあまり暴言が過ぎました。誠に申し訳ありません」
「今更、誰がそれを信じると思いますか? とにかく、場に戻ってください」
式が終わった後、とみさんが私にすみませんと言った。彼女は義父が私にビールをかけたことを知り、詫びた。
「どうして言ってくれなかったんですか? こんな父だと知っていたら、ハワイにも連れてこなかったし、さっさと絶縁してたのに」
「そう言うと思ったからだよ。とみちゃんにとってのお父さんと、私にとってのあのお父さんは別人でしょ。あなたが大事にしている両親なら、あえて嫌いになるようなことは言いたくなかったの」
「きこさん、私たちもう家族なんですよ。私だって、きこさんが傷つくのは嫌なんです」
「ごめん。そうだよね。ありがとう」
とみさんは、今後また何かあったらすぐに知らせてほしいと言った。私は素直に頷いた。
翌日、義父は気持ち悪いくらいに愛想を振りまいてきた。ゴルフに誘われ、断るとジェットスキーに誘われた。彼は「身内と予約していたが、慣れない海外で体調を崩したらしい」と言い、キャンセルするのはもったいないから一緒に乗ってほしいと頼んできた。私は警戒しつつも、彼の提案を受け入れることにした。
翌日、海に出た瞬間、義父が私の背中を押した。私は海に落ちた。ライフジャケットを着ていなかったら、確実に死んでいただろう。必死で浮かび上がり、ガイドの助けを借りて岸に戻った。
「じまったな、くそ。生きてやがったか」
「ねえ、何を言ったか分かってる? 海に落とすって、どんな学校に通ってどんな勉強したら、金槌の人間を海に落とせるの?」
「手が当たっただけだ」
「今、言ったよね。生きてやがったかって。生きてよかったですねと言いたかったんだよ。結局は面白くなかったんでしょ。娘に怒られてしょんぼりしたふりをして、いつか仕返ししようとしてたんだよね」
「気のせいだ」
「ライフジャケットがなかったら、あの世よ。その時は、娘があんたの後を追うかもしれないわね」
「まさか」
「仮に私が死んでも、とみちゃんが社長になることはないわよ。弟の嫁だもの」
「なんでだよ」
「そこで無気になるってことは、やっぱり私がいなくなればいいと思ってたんだ」
私は彼に言った。学歴なんてどうでもいい。娘が私を崇拝していることが許せないんだろうと。彼は「ちっちゃい男だな」と吐き捨てたが、私は構わず続けた。
「男なら、実力でねじ伏せてみなさいよ。女に嫉妬して海外で海に落とすなんて、ダサいにもほどがあるわ」
「言いすぎだぞ」
「こっちは死にかけてるのよ。泳げもしないのに、ひょこひょこ海に来るからだ。自分が誘ったんでしょうが」
「このことは誰にも言うな」
「はあ? 何を取り引きしようとしてるの? 妻があなたとの浮気を疑って、慰謝料請求されるわよ」
「ちょっと待って」
「私だって、仮に不倫するなら相手を選ぶわ。あなたみたいな人は、こりごりよ」
「俺だって、不倫相手の一人や二人いるんだぞ」
「ん? 何て言った?」
「何が?」
「いや、こっちが聞いてるのよ。送信取り消ししてんじゃないわよ。何の話をしてるか、さっぱりだな」
「まあいいわ。スクショは取ったから、警察に行ってこようっと」
「なんで殺されかけたから」
「あれは事故だ」
「そういえば、英語が喋れるならだけど。じゃあな」
「待ってくれ」
結局、私は彼のことを警察に通報した。ホノルル警察は動きが早く、義父は式の後に七日間拘留された。保釈金は五十万だったが、妻と娘に縁を切られたせいで、すぐにお金が用意できず、拘留が長引いた。私は軽い打撲で済んだおかげで、彼も刑務所には入らずに済んだが、帰国後、私は彼に対して民事で百二十万の慰謝料請求をした。せっかくのハワイだったのに、首の痛みのせいで残りの時間はホテルにいたし、滞在費七十万も合わせて請求した。妻からの財産分与の請求もあり、彼の財布も口座もからっぽになった。
弟ととみちゃんは今も仲良く暮らしている。私は時々二人を訪ねては、ほほえましく見守っている。両親が孫を見ることができなかった分まで、祈るような気持ちで。ただし、弟の目があるので、甘やかしすぎないように気をつけながら。
