「すみません、本日の結婚式は関係者以外お断りです。部外者はさっさと帰ってもらえますか」
「こんにちは、玲奈さん。部外者と言いながら、その部外者に連絡してくるのはすごく矛盾してるって理解してますか」
「いやいや、知り合いと関係者は別でしょ」
「そう言わせてもらうなら、私は人狼の姉です。あなたの義姉になる人間です。それを部外者扱いするのはどういうことですか。受付で私の名前がないって言われて驚いたのに、話しかけても無視して」
「いやいやいや、ちょっとさすがに厚かましすぎ。エリート一家の結婚式に紛れ込んだこのゴキブリ目。はい、きり」
「さすがにそれは言いすぎじゃないですか。あなた方が私をよく思っていないのは知ってました。高卒なので偏見を持たれるのは慣れてます。でもゴキブリ呼ばわりは初めてですよ」
「わあ、初体験おめでとうございます」
「全く嬉しくないわよ。とにかく、式に参加できない正当な理由を教えてください。大体、私は弟からきちんと招待されてます」
「え、招待が来たから来たって何それ? そんなの社交辞令に決まってるじゃん。高卒はそんなことも知らなくてかわいそうでちゅね」
「なんですって?」
「はっきり言ってあげる。低学歴女など誰も相手にしないわ。話しかけんな。匠は優しいから言えないだけよ。本音では、姉が低学歴のバカで恥ずかしいと思ってるわよ。かわいそうに。きっと今までも白い目で見られて、バカな姉のせいで恥をかかされたんだわ」
「弟がそんなこと言うはずありません。あなたに私たちの何がわかるって言うんですか」
「本音はそうに決まってる。低学歴のバカなんて、親戚にいるだけで恥ずかしいじゃん。とにかく、いるだけで人に迷惑かけてるので、さっさと消えてもらえる? 私は忙しいの」
「忙しいのに連絡してきたのはそっちじゃない」
その頃、控室では玲奈の母が待っていた。
「ちょっと美沙さん、あなた玲奈に意見したそうね。いいわ。外で騒がれても迷惑だから会場には入れてあげる。ただし、あなたは控室で待機よ。式には出ないでちょうだい」
「これはこれは、お母さん。また随分な要望ですね。せっかく式場に来たのに結婚式には参加するなと。私は新郎の唯一の親族ですよ。親族席を空ける方がどうかと思いますけど」
「あなたみたいな人はいない方がいいわ。だって、低学歴の人が親族席にいたら、うちのゲストに笑われるもの。高卒とか、この時代にありえない」
「お母さんが生きてきた、私が知らない世界線の時代ではそうなんですね。お母さんの暮らしていた時代って、肩身が狭くて大変でしたね。同情します」
「同じ時代を生きてるわよ。失礼ねえ」
「同じ時代ですか? それはおかしいですね。実際、高卒で社会に出てる人はいますし、学歴関係なく成果を出している人は大勢いますよ。逆に、あなたたちのように学歴主義のくせに、その学歴を生かさず小さなプライドにしがみついている。そんな惨めな人もいらっしゃいます。現に、お母さんもその類いですよね」
「そういう安い挑発には乗らないわよ。低学歴だからそういうことしか言えないのよね。どうせ頭が悪くて、真面目にできなくてやめたんでしょ。全く恥ずかしいわ」
「恥ずかしいと思われるような生き方はしてません。匠だって今は立派に成長しましたし」
「あら、何? 弟の成功は自分の成功だと思ってるの? なんて浅ましいのかしら」
「いえ、そんなつもりはないです。あの子が頑張ったから今があるんですし」
「そう、匠が頑張ったのも、そして私たちのおかげよ。匠が成功したのは、私たちエリート一家の教育のおかげ。あんたみたいな低学歴女が何かしてあげたとか、本気で思ってるの? 傲慢すぎ」
「ちょっと、何言ってるのかわからないんですけど」
「そうね。直接教育したのは私じゃないし。自分の手柄のように言うのは違うわね。頑張ったのは玲奈だわ」
「ますます意味不明なんですけど」
玲奈が母に代わって話し始めた。
「あんた、匠の成功を自分のおかげとか言ったんでしょ? マジで勘違いすぎて笑えないんだけど」
「それなら聞きますが、匠の成功が匠の努力だけじゃないという根拠は?」
「それは私と彼は高校から一緒なの」
「ええ、知ってますよ。家に遊びに来たこともありましたし」
「つまり、彼を支えたのはこの私。相談ごとにも乗って、彼の将来を一緒に考えたんだから」
「確かに、その点ではあなたが支えになっていたのは認めます。家族の私には打ち明けにくいことだってあるでしょうし。ですが、私が何年も働いて弟を支えたのは事実です。あの子は私が育てたようなもの。それなのに、結婚式で部外者扱いされて不愉快です。匠とも連絡つかないし」
「匠の携帯は今、私が預かってんの。後で写真撮りたいしね。彼、準備に遅れた前科があるから、取り上げるのは楽勝だったわ」
「そこまでするなんて」
「匠は優しいから。例え邪魔物でも、あなたに泣きつかれたらどうにかしないとって思うに決まってるわ。本当、いい人よね。だからはっきり言わせてもらうけど、あなたの弟は自分の努力で成功したの。あなたの自己満足に感謝する必要なんてないし。大体、面倒を見てふんぞり返るなんて性格悪いわ」
「自己満足? 自己満足ですって」
「そう言ったけど、何聞こえなかったの? てか、弟の学費出したとか言ってるけど、それって当たり前じゃん。家族なんだから。それなのに彼の努力を自分の手柄みたいに言うとか、人間終わってる。さすが低学歴」
「当たり前? 確かに家族なら支え合いは必要です。でも支え合いは当たり前じゃない。助けて当たり前だって、その考えも傲慢ですよ」
「いやいや、当たり前よ。常識ないわけ? 子供はお金稼げないんだし。金稼げる奴が養うんでしょ。それを今更恩着せるなんて、本当に品がないわね」
「あなたじゃ話が通じない。弟に合わせてください。どこにいるの?」
「匠は今、準備で忙しいから合わせられない。今支度中だしさ。空気読んでくれない? あんたみたいな恥晒しと話したら気分悪くなって、式が台無しになるじゃん」
「弟と直接話させてください」
「彼は今大事な時間なの。あなたみたいな非常識な人間に邪魔される筋合いはないわ。今、スタッフにも事情話しといた。非常識な姉がいて、無理やり会おうとするから止めてほしいってね」
「非常識? 会うことのどこが非常識なわけ?」
「あのさ、あんた今日どんな服着てきたの?」
「何ドレスですけど」
「それは知ってるけど、まさか安物のドレスとか着てないよね。うちのゲストみんなハイブランドしか着ないから、恥ずかしいのが来られたら困るんだけど。その安っぽいドレス、どこの?」
「普通の百貨店です」
「百貨店でもピンきりよね。あなたみたいな奴が買える階層のものは、初級その程度。まあ、恥ずかしい格好で来てる時点で、TPOもわからない非常識な人ってこと。せっかく来てるのに非常識呼ばわりされたくないわ」
「うわ、こわ。そんなんだから結婚できないんでしょ。ていうか彼氏もいないくせに。弟は立派に結婚するのに、お姉さんは独身。惨めねえ」
「分かりました。もう結構です。そこまで言うなら式には参加しません。あなたと話すのは疲れました。正直、顔も見たくありません」
「やっと理解したの? じゃあ、大人しく控室で待っててよね」
「いえ、スタッフの人にも迷惑になりますし。じゃあ帰りますね」
「報告するな。さっさと消えて」
式開始三十分前。
匠が玲奈にスマホを返してもらっていた。
「やっとスマホ返してくれた。玲奈、さすがにスマホ没収はひどくない?」
「前にスマホいじって電車乗り間違えて、私を一時間も待たせたのは誰だっけ?」
「う、それはそうだけど、昔の話だし」
「前科があるんだから、没収されても仕方ないでしょ」
「分かったよ。もうしないから、没収は勘弁してくれ」
「そういえば姉さんはもう式場に来てると思うんだけど、スマホ見たら着信があってさ。けどメッセージが消えてるんだ」
「ああ、ごめん。それ私」
「え?」
「操作ミスって消しちゃったの。本当ごめん」
「マジかよ。携帯は見てもいいって言ってるけど、消すなよな。姉さんにちゃんと謝っとけよ」
「謝ったわ。もう一回送信してくださいって。分かったって言ったのに送信してないってことは、きっとどうでもいい用事だったのよ」
「そうなのか。にしては、姉さんの姿が見えないんだよ」
「トイレじゃない」
その頃、匠は姉に電話をかけていた。
「姉さん、今どこにいるんだ? 着信くれてたのに出れなくてごめん。玲奈にスマホ預けててさ。要件何だった? あいつがメッセージ消しちゃったから見れなくて」
「ごめんね、匠。もう式場にはいないわ」
「え? いない? どういうこと? もう式始まるんだよ」
「低学歴はいるだけで恥ずかしいから参加するな。部外者は消えろって言われたの」
「へ? 誰に? なんでそんなひどいこと?」
「これが全てよ」
玲奈は送ったメッセージをすぐに送信取り消しして、スクショできないようにしていたらしい。だが、匠は画面録画をしていた。
「なんだよ、これ。本当に玲奈なのか?」
その頃、匠は玲奈を問い詰めていた。
「玲奈、聞きたいことがある」
「何? もうすぐ式なのよ。そんなの後でいいじゃん」
「姉さんに何をした?」
「お姉さん? 何もしてないけど」
「姉さんが帰ったって」
「そうなんだ。でも、勝手に帰ったんでしょ」
「これ、どういうこと? 説明してもらおうか」
「え? なんで? スクショ? 姉さんがくれたんだよ。そんなはずない。ほら、私、メッセージ消してるのよ。なんで消してるんだ? 保護よ。とにかくスクショなんて取れるはずない。これは偽物よ」
「動画だよ。送った画像は、動画を切り抜いて撮ったものだ。スクショじゃないんだよ」
「動画? あいつ、そんなことしてたの?」
「とにかく説明してくれ。これは何だ? 姉さんを侮辱して、式場から追い出すなんて」
「あ、あれは冗談っていうか。私がお姉さんのこと嫌いなの知ってるでしょ。だからちょっと当たりがきつくなっちゃったっていうか」
「冗談で人をゴキブリ呼ばわりするのか。大体、メッセージを消しているのだって、後ろめたい気持ちがあるからだろう。姉さんがどれだけ傷ついたと思ってるんだ」
「だって低学歴だし。匠だって恥ずかしい思いしてきたに決まってる」
「恥ずかしい? むしろ俺は姉さんを誇りに思ってるよ」
「なんで?」
「姉さんが高卒なのは、俺のためだ。姉さんは十八歳で就職して、自分の大学を諦めて、俺の学費を全額出してくれた。四年間で一千万円だぞ。大人になってよくわかる。そのお金を稼ぐのがどれだけ大変だったか」
「それは聞いたことあるけど、昔の話でしょ」
「昔の話? そのお金がなければ、今の俺はいないんだぞ。お前は匠は自分の努力で成功したって言ってたみたいだな。それは違う。俺の大学の学費、さっきいくらか話したよな。十八歳の高校生が自力で用意できる金額じゃない。できないよな。俺は努力で成功なんてしてない。姉さんのおかげで、努力できる環境をもらっただけだ」
「でも家族ならお金を出すのは当たり前でしょ」
「じゃあ玲奈は、自分の兄弟のために一千万円出せるのか。そこまで家族に尽くすことができるのか」
「う、それは極端っていうか。私だってボーナスが出れば、大きな金額を出せるわよ」
「姉さんは毎月十万円、四年間欠かさず俺の口座に振り込んでくれた。ボーナスとかそういうの関係なしにだ。俺が困らないようにって、自分のことは後回しにして。姉さんは働きながら俺を大学に行かせてくれた。自分は恋愛も遊びも全部諦めて。それを自己満足だ、恩着せがましいだって?」
「でも今は関係ないじゃん。結婚式なんだよ。もう終わった話されても」
「終わった話? 俺の今の全ては姉さんのおかげなんだぞ。休みもほとんどなく、自分のために使う金もなく、全部俺のために働いてくれた。それをお前はゴキブリ扱いして追い出したんだぞ。許せるわけないだろう」
「落ち着いてよ」
「落ち着けるか。お前は姉さんに何の恨みがあったんだよ。あれだけ侮辱して、人間として最低だ」
「だって、エリート一家のイメージがあるし。それに見るからに苦労してますみたいな人が来たら、結婚式の雰囲気悪くなるじゃん」
「イメージだの雰囲気だの、そんなもののために姉さんを傷つけたのか」
「でも、実際そうじゃない。確かにそんなにお金を支援したのはすごいけど。それだって、低学歴で頭が悪かったから肉体労働しかなかったんでしょ」
「姉さんのこと低学歴ってバカにしてたよな。でも姉さんは高卒で、IT企業の営業部長まで昇ってるんだぞ」
「へ? 何よそれ? そんなわけないでしょ」
「今じゃ年収一千二百万円以上だ。それくらい活躍してるし、姉さんは会社になくてはならない人なんだよ。それに比べて君の年収って、確か三百五十万だったよな。それでエリートなら、姉さんは超エリートだよ」
「それはえっと。でも私だって最近成果が上がってるのよ。この前大きな会社と取引成立して、私のおかげだってめちゃくちゃ褒められたの」
「そうやって努力してるのになんで姉さんを否定したんだ? 学歴しか誇れるものがない人が、実力でのし上がった姉さんを馬鹿にするとか、笑えるな。それにさ、ずっと思ってたんだ。一体何を持ってエリートって言うんだ」
「う、それは有名な大学に入って、いい成績を収めることでしょ」
「でも君が自慢してた有名私大卒って、偏差値五十の私大だろ。有名なのは、その地域に大学が少ないから。よくそれでエリート気取りできたな」
「やめて、馬鹿にしないでよ」
「他に誇れるところがないから、学歴にしがみついて、大した学歴じゃないって認められないんだろう。俺は玲奈に感謝してたんだ。家族は姉さんしかいなくて、相談相手もいなくて、俺のことずっと支えてくれてたから。結婚するなら、人を思いやれて、俺も支えたいと思える人がいい。だから、もう君とは結婚できない。式は中止だ。婚約も破棄してやる」
「婚約破棄? なんで」
「今、理由言っただろう。そこでなんでって出てくるのが不思議で仕方ないんだけど」
「だって、お姉さんを追い出したからって、婚約破棄まで言われるなんて」
「ああ、そういう認識なのか。もういいよ。分かった」
「待って。匠、謝るから。お姉さんにも謝るから」
「今更遅い。姉さんをあれだけ傷つけておいて、謝れば済むと思ってるのか」
「お願い。結婚式中止なんて、ゲストが、親戚がいるのに、恥ずかしい」
「自業自得だろ」
「匠、お願いだから考え直して」
「もう二度と関わらない。君と一緒に未来を歩けないのが残念だ。ゲストはほとんど玲奈の関係者だから、君から説明してくれ。俺は俺のゲストに説明するから」
その頃、玲奈の母が匠に詰め寄っていた。
「ちょ、ちょっと待って。匠君。玲奈から聞いたわ。婚約は考え直して。玲奈ちゃんは悪気があったわけじゃ」
「黙ってください。言っておきますが、あなたも同罪ですよ」
「え、私?」
「『弟は自分の努力で成功した。あなたの自己満足に感謝する必要なんてない』。僕にもそんなことが言えましたね」
「それは言い方が悪かっただけで」
「言い方の問題じゃない。姉さんの今までの努力と思いやりを完全に否定したんだ。絶対に許しませんから。とにかく結婚式は中止します。後のことは後日話し合います。お金の問題とか色々ありますから」
「待ってちょうだい。匠、お願いだから」
翌日。
「お姉さん、お話があります。あの、その、本当にごめんなさい」
「これはこれは玲奈さん、今更何のようですか?」
「あの時は本当に申し訳ありませんでした。許してください」
「えっと、すみません。高卒の低学歴には何の話かわからないので、失礼します。何に対して謝ってるのか、高卒の私にも分かりやすくご説明できますか? エリート一族のご令嬢さん」
「昨日は高卒と馬鹿にして申し訳ありませんでした。だから許してください」
「許す? あなたは私に何をしたか、本当に理解していますか?」
「調子に乗ってひどいことを言ってしまいました。反省してます」
「では、もう一度あなたが私に言ったことを確認しましょうか。どう送り付けてもいいんですよ」
「それは、あの、本当に反省してます。そればっかりですね。私に何言ったか覚えてないんですか? どの発言に対して謝ってるのか分かりません」
「一言一句、動画から文字起こしして送りましょうか? エリート様なので、会話も覚えてると思ったんですけどね」
「それは、その」
「そういえば玲奈さんって、会社で大きな功績を残したんですよね。すごいですね。さすがエリート。それなのに高卒に頭を下げるんですか? エリートなのに」
「もう本当にごめんなさい。許してください」
「それ、聞き飽きました。もういいですよ。ああ、そうだ。私はあなたより社会人経験があります。ですので、今から勘違いや思い込みで大きな失敗をすることを教えてあげますね」
「え?」
「実は私の会社、この前大きな取引が成立したんですよ。えっと、確か大掛け商事って、あなたの勤め先ですよね。まさか」
「あなたの取引を最終的に決定したのは、私なんですよ。しかし、高卒はいるだけで恥をかかせてしまうのですよね。そんな偏見を平気で口にするような方が取引担当というのは、本社の社員を危険にさらす危険性があります。ですので、本日あなたの会社に全てご報告した後、担当を変えていただくよう言いました」
「待って、本当にごめんなさい。お願いします。この取引に全部かかってたのに」
「ああ、あなた、会社で大きなミスをして、地方に左遷されそうになってたんですよね。それで今回の取引で成果を上げて、なんとか本部に残った。でも、その大きなミスも、取引相手に失礼なことを言って怒らせたからですよね。同じことをまた繰り返したんです。もう左遷は免れない」
「そんなことって」
「あなたは私を『低学歴女、誰も相手にするか』と言いました。確かに私は高卒です。でも、今のこの現状で、どちらが社会的に評価されていると思いますか?」
「それは、でも、学歴と収入は別で」
「別では、学歴で人を見下すのはおかしいですよね。矛盾していませんか? 大掛け商事との取引、私が提案すれば通ります。あなたの部署、大打撃ですよね。でも、それでは会社の迷惑になります。それくらい私の発言というのは影響力もあることを理解していますから、しません。でも『低学歴女、誰も相手にするか』とおっしゃっていたのに、その低学歴女があなたの生活を左右する立場にいるなんて、皮肉ですね」
「本当にごめんなさい。もう二度としませんから」
「二度としない? そもそも一度でもしてはいけないことでしたよね。お願い、許して」
「あなたは私をゴキブリ、低学歴女と呼び捨てにしましたね。私がどれだけ傷ついたか想像したことありますか? 十八歳から弟のために働き続けました。大変じゃなかったと言えば嘘になります。でも、あの子が自分のしたいことを、お金がないからという理由で諦めさせたくなかった。そのためなら何だってできました。何の権利があって、あなたはそんなことが言えたんですか?」
「本当にごめんなさい」
「謝罪で済むなら、誰も傷つきません。あなたのしたことは、私の人生そのものを否定したんですよ。もう何を言っても、私の決心は変わりませんよ」
結婚式場を出たあの時から数時間後。
「美沙さん、この度は本当に申し訳ありません。娘のことで謝罪させてください」
「今度はお母さんですか? でもちょうどいいです。あなたにも言いたいことがありましたから。あなたは『あなたの自己満足に感謝する必要なんてない』とおっしゃいましたね」
「さ、そんなことは」
「言い訳しても無駄です。証拠もあります」
「あ、えっと、それは、言葉が過ぎました」
「言葉が過ぎた? あなたは私と弟の努力を完全に否定したんですよ。あなたは私が学費を出したのは知っていましたよね。知っていて、それでも『私たちの教育のおかげ』とおっしゃった。面白い理屈ですね。でも匠は立派に育ちました。立派に育ったのは、私が必死に仕事をし、そしてそんな私の思いを受けて弟がやりたいことのためにしっかり努力した結果です。あなた方は何もしていません」
「それは」
「あなたは私のことを調べもせずに低学歴と見下しました。あなた方が自慢していたエリート一家って、具体的に何がエリートなんですか? ああ、いい大学に入ることがステータスで、確かにそういう考えで言うところのエリートでは、私はないですね。私はあの子のためだけに働き続けました。自分の青春も恋愛も、あの子を幸せにできるなら私には必要なかったからです。それを自己満足だ、恩着せがましいと言いましたけど。あなたは自分の子供のために一千万円出せますか? 自分の人生をかけて、大切な人を支えられますか? できないですよね。口では家族なら当たり前と言いながら、自分ではできない。それなのに私の犠牲を否定する。どれだけ傲慢なんですか?」
「ごめんなさい」
「本当に謝ったところで、何もかも遅いんですよ。それに、本当に謝罪したいならLINEではなく直接来るのが筋では? つまり、謝罪したい気持ちもその程度なんですよね」
「そんなつもりは」
「まあ、家に来られても迷惑だったので、来ないでもらえた方がありがたかったです。弁護士の打ち合わせで忙しかったので」
「弁、弁護士?」
「匠の弁護士は私が探しました。婚約破棄に強くて、かなりの凄腕ですよ」
「どういうことですか? なんで弁護士が」
「婚約破棄の慰謝料を請求するからですよ。もちろん、原因を作ったあなたにも」
「そんな、私が原因? あなたと玲奈さんが私を侮辱し、式場から追い出したことが全ての原因です。証拠もあります。逃れられませんよ」
「お願いします。それだけは。結婚式費用全額返金と、婚約破棄に対する慰謝料、合計三百五十万くらいですね」
「勘弁してください。そんな大金払えません。たでさえ近所や親戚にも全部ばれて、『娘の結婚を台無しにした母親』って陰口叩かれてるのにお願いします。許してください。匠にも謝ります。土下座でも何でもします。だから慰謝料だけは」
「『いちいち報告するな』と言われたんですよ。あなたの娘さんから報告は不要だと。ですから私もいちいち報告しません。弁護士が全て対応しますので。それと、『存在しないことにした』と言われましたので、私もあなたを存在しないことにします。これ以降の連絡は全て無視させていただきます」
「待って。本当にごめんなさい」
「エリート一家の結婚式に紛れ込んだゴキブリでしたっけ? でも知ってます。ゴキブリって、すごくしつこいんですよ。何度でも、気づいた時にはそこにいる。そのゴキブリに人生を壊されるなんて、すごく惨めですね。かわいそうに」
その後、玲奈さんは会社から問題行動を指摘され、今回の件も含め、最終的には解雇されたそうだ。さらには婚約破棄の慰謝料三百五十万円を請求され、お母さんも共同責任として百万円の支払いを命じられた。お母さんは玲奈さんから「ママのせいで全部めちゃくちゃ」と攻められ、冷たくされる日々。二人は必死に匠に泣きついたそうだが、匠は聞く耳を持たず、最終的には二人揃って借金をし、本人たち曰く「誰でもできる」と言っていた肉体労働を強いられる日々を送っている。
一方、私は今、静かに暮らしている。弟のためにとがむしゃらに働いた日々を後悔はしていない。しかし匠から「もう少し自分の時間を大事にしてほしい」と言われたので、今は少しだけ趣味と言えるものを探している。仕事ばかりだった私の人生だが、これからは私個人の生活も大切にしていきたいと思った。
