お母さん、暇でしょ?——義理の母がリビングに座って、にこやかに言った。夫は仕事、孫は部活。この家には私とみわさんだけ。昨年夫を亡くした私に、「生きがいがないでしょ?…

お母さん、暇でしょ?——義理の母がリビングに座って、にこやかに言った。夫は仕事、孫は部活。この家には私とみわさんだけ。昨年夫を亡くした私に、「生きがいがないでしょ?...

「お母さん、暇でしょ?」

いきなり何なの、と思った。義理の母・みわさんが、にこやかな顔で私のリビングに座っている。夫のまさは仕事でいない。孫の陸は部活だ。この家には、私とみわさんだけがいる。

「お父さんが亡くなって、生きがいがなくなったでしょ? ボケる前に、私たち夫婦が同居してあげましょうか?」

遠回しに、でもはっきりと、みわさんは言った。私のことを「老い先短い老婆」だと思っているのだろう。確かに夫は昨年亡くなった。寂しくないと言えば嘘になる。でも、私は私のペースで暮らしている。

「みわさん、お気遣いありがとう。でも大丈夫よ。確かに寂しいけど、お仏壇に向かって話してると、意外と気が紛れるの」

「嫁として、お母さんのことが心配なんです」

「お気持ちだけ受け取っておくわね」

「遠慮しないでください」

「いや、本当に大丈夫なの。一人の生活にも、随分と慣れてきたから」

「そんなのいつまでも続きません。寂しさで押しつぶされちゃいますよ」

「友達とお茶したり、旅行したりで気を紛らわすわ」

「頑固ですね。人の好意くらい、素直に受け取れないんですか?」

「私の都合も考えてほしいだけ。今は一人がいいの」

するとみわさんは、息を吸って、言葉を変えてきた。

「じゃあ、言い方を変えます。お願いですから、同居させてください」

「え、どうして?」

「借金返済のために、お金を浮かせたいんです」

「借金? いくら?」

「500万ほど」

「どうしてそんな大金が必要になったのよ」

「それはちょっと、陸の名誉に関わることなので、今はまだ言えないんです」

「なんなのよ。気になるわね」

みわさんは続けた。今住んでいる賃貸マンションに月12万も払うのがやっとで、生活が苦しいのだと言う。

「そんな状況なら、一緒に住むのは構わないけど」

「本当ですか?」

「ただ、私は私の生活を優先するわよ」

「もちろんです。お互い線引きは必要だと思ってますので。しっかりルールを作って、守ると約束するなら、いいわ」

「もちろんです!」

「だったら、仕方ないわね。孫が苦労するのは私も悲しいし。陸もおばあちゃん好きだから、喜ぶわ」

「ありがとうございます」

約束をした。自分たちの家事は自分たちでやる。それが最初に決めたルールだった。

一ヶ月後。

「話が違うわね」

「何がですか?」

「家事も育児も、全部私に丸投げじゃないの」

「仕方ないじゃないですか。私も仕事を始めましたし。お互い協力し合わないと」

「あなた、せめて陸のお弁当やご飯くらい作ったらどうなの?」

「夜遅くまで働いてるせいで、朝起きられなくて」

「毎晩お酒の匂いをさせて帰ってきてるけど、どんな仕事をしてるの?」

「接待とか付き合いとか、色々あるんですよ」

「あなたが頼み込んできたから同居したのに。これじゃ当初の話と全く違うわ」

「何でしたっけ? もう忘れちゃいました」

「自分の家族の家事は自分たちでする、っていうルールでしょ」

「え? お母さんは、夫も孫も家族だと思ってないんですか?」

「そういう意味じゃないでしょ。陸の部活の洗い物がたくさんあって、洗濯物も多いし、四人分の食事を作るのも大変なの。その上お弁当まで作ってたら、倒れちゃうわ。少しくらい手伝ってくれないかしら?」

「ええ、無理です。大体、無職で一日中家にいるんですから。そのくらいのことはやってもらわないと」

「友達とお茶する時間もないわよ」

「する必要あります? 明日生きてるかも分からないような人と会っても、仕方ないでしょ」

「なんてことを言うの?」

「じゃあ、そういうことなんで、引き続きよろしくです」

みわさんは自室に戻っていった。私は台所に立ち、溜め息を吐いた。もう限界だ。

まさが帰ってきた。もう我慢できない、と私はまさに言った。

「同居してから家事が増えて、疲れてるの」

「仕方ないだろう。協力し合わないといけないんだから」

「みわさんも、最初に言ってたことと随分違うことばかり言うし」

「年寄りのくせに、わがまま言うなよ」

「はあ? なんて言い方よ」

「残りの人生を孫と暮らせることを喜べよ。会いたくても孫に会えない年寄りが多いって聞くぞ」

「誰もが孫命だと思ったら大間違いよ」

「こうするしかなかったんだから、我慢してくれよ」

「大体、500万なんて大金を、どうして借りたの?」

するとまさは、声を潜めて言った。

「……陸が自転車で、人を跳ねてしまったんだ」

「え?」

「部活帰りの夜道だったから、見えなかったらしくて。相手の方は八十過ぎの高齢者で、骨折したらしい。うちの陸は、自転車保険に入ってなかったんだよ。義務化されてるのは知ってたけど、家の前に買った自転車だったから、無保険のまま乗り続けてたんだ。まさか子供が事故を起こすなんて、思いもしなくて」

「それで500万を請求されたってこと?」

「そう。貯金もないから借金したんだけど、金利ばっかり払って、元金は減らないし」

「事情は分かったし、同居が助けになるなら構わない。ただ、最低限、最初に決めたルールは守ってほしい」

「分かった。俺からもみわに言っておくよ。ただ、俺らも年寄りと暮らすのはストレスがかかるし、年金はできれば全部よこせよ」

「は? 何言ってんの?」

「母親ならそのくらいしたらどうだ?」

「どういう理屈よ?」

「頑固だなあ。母さんも年取ったね」

「そういう問題じゃない。ちゃんとみわさんと話して」

「分かったよ」

さらに一ヶ月後。

「いつになったら心を入れ替えてくれるのかしら」

「は? ルールを守ると約束したわよね。まさからも話があったはずよ」

「あー、なんか言ってたね。あなたがうちに来てから、洗濯機を回したのは一度だけよね」

「だから何?」

「洗い物も掃除も、一度もやってない」

「うん。あんたんちだからね。あんたがやればいいじゃん」

「ちょっと、何その言い方?」

「もう一緒に住んでるんだし、家族でしょ。夫も孫も、あんたには敬語使わないのに、なんで私だけ気を使わなくちゃいけないわけ?」

「敬語を使えとは言わないけど、最低限の礼儀はあるでしょ」

「年上ってだけで、尊敬するところ一つもないし」

「はあ……」

「大体、文句ばっかり言ってくるけど、同居してやってんだし、家事育児は全部やるのが当然よね。はい」

「何言ってるの? あなたが頼み込んできたから、こうなったんでしょ?」

「年寄りが一人で暮らしてたら危ないと思って、一緒に住んでやることにしたんじゃん。ご近所さんにも言われたのよ。優しいお嫁さんがいて安心ね、って。そうやって周りから固めてるんでしょ」

「なるほど。そういうことね」

「同居したくてもできない息子は山ほどいるのよ。あんたは幸せな方だと思うけど」

「私が望んでいたなら、そうかもしれないわね。でも違う。私は一人で暮らすことに、何の不自由もなかった」

「でもこの間、夜中に火をかけたまま忘れてたよね。あれ消したの私だけど」

「それは……たまたま」

「何が一人で大丈夫だよ。笑わせんじゃないよ。火も消せないほどボケてんのに、強がんなつうの」

「一度だけじゃない。それに自動で消えるコンロだから、大丈夫なの」

「この話、お隣さんが知ったらどう思う? 火の管理もできない年寄りが隣にいたら、怖くてたまんないよね。だって火事になったら、自分ちも被害に遭うかもしれないし」

「なっ……そうやって近所に言いふらしてるの?」

「私たちみたいな若夫婦がいるってだけで、周りの人は安心するものなの。年寄りがいくら強がっても、信用されないってこと」

「あなたね……」

「というわけで、今後は私に逆らったり説教したりしないで。ああ、年金も全額ちょうだいね」

「なんでよ」

「嫌なら出てって」

「分かったわ。もう出ていきますよ」

「はあ。出てったところで、どこに住むのよ。強がっちゃって。ろくに働いたこともないくせに」

「そうね。不安しかないわ。でも、嫁にここまでコケにされて、厄介者のように扱われる人生なんて嫌よ」

「人生って、残りわずかのくせに。ひどい人」

「こんなのと結婚した息子が情けないわ」

「あんたの息子も、稼ぎの少ないポンコツだけどね。それを選んだのは、あなたでしょ?」

「うん。すっごく後悔してる」

「じゃあ、さっさと出てってね」

数日後、陸が私のアパートに現れた。

「おばあちゃん、どこにいるの? 大丈夫?」

「陸、心配かけてごめんね」

「俺のせいでごめん」

「どうしてあなたのせいなのよ」

「俺の部活のことで、ばあちゃんに無理させたから出てったんだよね」

「何を言ってるのよ。そんなんじゃないわ」

「でも母さんにはそう言われたよ」

「違う。陸のせいじゃない」

「俺、部活やめようと思ってる」

「どうして? 朝も毎日行って、頑張ってたじゃない」

「サッカーは、入会とかあって金がかかるからやめろって、前から言われてたんだ」

「お金がないのは聞いてるけど、家賃が浮いた分、生活は楽になったはずよ」

「え? どういうこと?」

「母さんはばあちゃんに家賃を入れてるって言ってたよ」

「はあ。私、一円ももらってないけど」

「嘘だろ? 小遣いまでくれてやってるから、生活が全然楽にならないって言ってたのに」

「小遣い? あの人が?」

「ありえないわ。賠償金の借金で首が回らないのに、そんな余裕はないでしょう」

「賠償金って何?」

「あなたの自転車事故のことよ」

「……自転車事故?」

「保険に入ってない親が悪いんだから、あなたが気にすることはないの」

「ちょっと待ってよ。事故って何? お年寄りを怪我させたんじゃないの?」

「してないよ。試合に出場停止になるから、事故だけは気をつけてるんだ」

「じゃあ、嘘だったってこと?」

「そうみたいだね」

「ありえないわ。そのせいでお金がないから同居させてくれって言われたのに」

「そうなの。俺には、ばあちゃんから『家事も育児も全てやるから同居して』と土下座されたって言ってたよ」

「何それ?」

「なるほど……そういうことか。母さんは俺にもばあちゃんにも、嘘をついてたんだな」

「そうみたいね」

「陸、ご飯はちゃんと食べてる?」

「まあ、カップラーメンとかだけど」

「は? 食事も作ってくれないの? お昼のお弁当は?」

「ないよ。お金もくれないから、友達に分けてもらったり」

「そんな……ごめんなさいね。ばあちゃんが出てったせいで、そんな思いをさせちゃって」

「いいんだよ。引っ越してくるまでは、ずっとそうだったから」

「そうなの?」

「俺が高校に入ったくらいだから、ここ二年ちょっとかな。母さんは、家のことを何もやらなくなった。家の中はゴミだらけで、家賃も滞納してたから、大家に出ていけって言われてたみたい」

「それでうちに住みたかったのね」

「父さんも家には帰らなくなったし。この家族はもう終わるんだろうなって思ってたよ。でも、ばあちゃんちでうまい飯食えて、幸せだったんだ。迷惑だっただろうけど」

「そんなことないわ。もっと文句言わずにしてあげるんだった。本当にごめんなさい」

「謝らないでよ。……あーちゃんのところに来る?」

「あ、いいの?」

「その代わり、お母さんたちにはちゃんと言うのよ。心配して探すと困るから」

「うん。分かった。きっと俺がいない方が、喜ぶよ」

「そんなことないわよ。じゃ、待ってるわね」

数日後。まさとみわさんが、どやどやと私の家に押しかけてきた。

「陸、いるの?」

「もちろん。ちゃんと預かってるわ」

「まさか、河川敷のビニールハウスにいるんじゃないよね」

「さすがにそこまではひどくないけど。実は私、もう一つ家を持ってるのよ」

「は? 聞いてないんだけど」

「言ってないから当然ね」

「お父さんは知ってるの?」

「言ってないわ」

「どうせ中古のボロ屋なんでしょ」

「まあ、人によってはそういう人もいるかも。お父さんの遺産を隠してたのね。卑怯なババーだわ」

「だからそっちの家は、あなたたちにあげるわ」

「へ? いいの?」

「もちろんよ。遠慮なく受け取って」

「え、めっちゃラッキーなんだけど」

「さっさと名義変更してよ」

「構わないわ。知り合いの司法書士の先生に頼んでおく」

「やった! ババーは消えたし、家も手に入っちゃった」

「あなた、陸の心配をしてたんじゃないの?」

「そっちで世話してくれるなら、そのままよろしく」

「我が子が心配じゃないの?」

「そりゃ年寄りとボロ屋暮らしなんてかわいそうだと思うけど。もう高校生だし、親にべったりって年でもないから、どっちでもいいわ」

「なんて親なのよ」

「じゃあ陸は、引き続きこのままうちで面倒見るわ。なんならそのままもらっちゃってよ」

「はあ?」

「養子でも何でも入れてくれて構わないから」

「本気で言ってるの?」

「だって、ババーに無理させてまで大学に行きたいなんて言わなくなるでしょう?」

「あなた、進学させないつもりだったの?」

「だって、下手なサッカーを続けるより、働いて家にお金を入れてくれた方がマシだもん」

「子供の夢も応援できないのね。いいわ、私が面倒を見る」

「子育て終わった。家ももらったし、超最高。良かったわね」

「マジ最高」

翌月。みわさんから電話が来た。

「家の名義変更、終わったから」

「そう。こちらも養子縁組が終わったわ」

「へえ。陸は、うちの子じゃなくなったんだ」

「大事に預からせてもらいます」

「そんなもん、どうでもいいわ。これでこの家は、正式に私のものよ」

「え? まさの名義じゃなくて、あなたなの?」

「そりゃそうでしょ。夫はあんたが死んだら、他の資産を相続できるんだから。家は私がもらうことにした」

「……いいの?」

「何が? そんな家で十分でしょ。多少古いけど広いし。リフォームすれば、全然住めるわ」

「中途半端なリフォームじゃ、どうにもならないと思うけど」

「あ? どういう意味?」

「白蟻に相当やられてるのよね。だから私は、家を解体して、土地をお返しする予定だったのに。あなたたちが押しかけてきたから、計画が延期になったのよ」

「お返しって何?」

「その土地は借地よ」

「どういうこと?」

「夫が知り合いから土地を借りて、家を建てたのよ」

「何それ? そんなことできるの?」

「珍しい話じゃないわ。ただ、借地契約が切れたら、更地にしてからお返ししないといけないけどね。でも私に名義変更したわ」

「建物の名義は確かにあなたよ。でも土地は、更地にしてお返ししないといけない約束なの」

「何なのよそれ! 私、そんな説明は受けてないんだけど」

「特に説明する義務はないそうよ。建物の名義変更を頼んだんだから、仕事はちゃんとしたでしょ」

「確かにそうだけど……絶対、わざと隠してたよね」

「土地のことを聞いてくれてたら、教えてたわよ」

「普通はセットだと思うでしょうが!」

「そういえば、借地は年末が更新時期じゃなかったかしら」

「はあ! あと三ヶ月しかないじゃん! 延長すればいいのよね!」

「それは地主さん次第だわ。夫の親友で、私にもよくしてくれた方だから。私が住んでいない以上、更新してくれないかもね」

「ちょっと、冗談きついんだけど!」

「更地にするの意味、分かるわよね。建物は全て解体するのよ。数百万かかるらしいけど、頑張って」

「無理に決まってんでしょ! 夫はこのこと知ってたの?」

「知るわけないでしょ。私が住んでる限り、ずっと使っていい契約だったし、言う必要もなかったもの」

「あんたからその地主に頼んでよ!」

「いやよ。あなたのために頭を下げるなんて、ごめんだわ」

「じゃあ、こっちに戻ってきていいから、名義も戻して!」

「どんなボロ屋か知らないけど、そこよりこっちの方がマシでしょ」

「私は今の家を気に入ってるし、陸ともトレーニングジムがあるし。タワマン最高って喜んでるから、結構よ」

「は? タワマン? なんで貧乏老人がそんなとこ住んでんの?」

「十年前だったかしら。夫が亡くなってから、不動産デベロッパーが実家の土地にタワマンを建築したいから、売って欲しいと言ってきたの。惜しかったけど、家が二つあっても管理しきれないし。最上階の部屋をもらう条件で売ったのよ」

「陸が今住んでるのはタワマンなの?」

「そうよ」

「ずるい! 私はそっちの家が良かったわ!」

「私は、夫の思い出も詰まってるし、地域の皆さんともずっと仲良くやってきたからね。あのタワマンは賃貸に出して、家賃収入を得てたけど。たまたま空きが出たタイミングと、あなたに追い出されたタイミングが同じだったのよ」

「家賃収入って、タワマンの最上階なら相当高いでしょ?」

「200万くらいよ」

「それが毎月……十年近く?」

「ありえない……」

「だから陸を大学に行かせるくらいのお金はあるし、心配しないでと言ってるの。もっとも、そもそも心配なんかしてないか」

「騙したわね」

「何が?」

「あの家の存在を黙ってたことよ」

「自分が住むつもりはなかったし、あなたが欲しがったのはあっちの家でしょ? 願いが叶ったってのに、これ以上何の文句があるの?」

「文句しかないわよ! ふざけんな! 金持ちばあさんだと知ってたら、もっと優しくしてたわ」

「お金のあるなしで態度を変えてくれるの? 当たり前でしょ。だったら、いないと思われてよかったわ。おかげで、あなたの本性が知れたから」

「別にいいわよ。あんたが死ねば、夫が相続する。そうすれば、そのタワマンも私のものよ」

「婚姻関係が続いていれば、でしょ」

「続くに決まってんじゃない」

「浮気がバレても、息子はあなたと一緒にいるかしら?」

「え?」

「陸に話を聞いて、おかしいと思ったのよ。自転車事故の件も嘘だったし。生活が苦しくなったのも、ここ一年ちょっとの話でしょ? 何か変化があったんじゃないかと思ってたの」

「何もないわよ!」

「そうなの。でも探偵の調査結果では、あなたも息子も、外で浮気してたってことになってるけど」

「え……まさも?」

「二人とも外の愛人のことで忙しくて、我が子には見向きもしなかった理由が、やっと分かったわ。子供は敏感よ。親がこっちを向いてないかくらい、ちゃんと感じ取ることができる」

「私は……まさの浮気を許すしかない。じゃないと生活できない」

「あなたはそうでも、あの子はどうかしら? 男っていう生き物は、自分はいいけど女はダメ、だなんて都合のいいことを平気で言う生き物だから」

「離婚は嫌よ! だって解体費用も、全て私一人にのしかかってきちゃうじゃない! せめて息子の名義にしておけば、全部押し付けて逃げられたのにね……よくった結果がこれよ」

「笑いが止まらないわね」

「息子を返して!」

「あら、今度は陸が惜しくなったの? 返してもいいけど、これから進学費用で数百万かかるわよ」

「大学なんて行かせないわ! 今すぐに学校をやめさせて、働かせるに決まってんでしょ!」

「だったら陸の意思に任せるしかないけど。労働力にされると分かって戻るほど、私の孫は愚かじゃないわよ」

「親の権限で取り戻してやる!」

「ご存知ないようだけど、十五歳以上は自分の判断で養子縁組の意思決定ができるのよ。陸が嫌だと言えば、強制はできないわ」

「だめよ! 私の愛しい陸を返して!」

「何の冗談? 誰があなたの言葉を信じるのよ。兵器で我が子を見捨てた人が、愛なんて言葉を使わないで」

「やだ……一人になりたくない」

「彼氏がいるじゃない」

「お金も出せない私と付き合ってくれるわけないじゃない」

「そんなに貢いでたの?」

「家賃とか食費とか携帯とか、生活費まるごとじゃない!」

「彼も旦那も息子も失って、どうやって生きていけば……」

「知ったこっちゃないわ。覚えてる? あなたが自分で、全て選んだのよ」

「こうなるとは思わなかったもん……。ただせめて、陸との親子関係だけでも取り戻したいの。あの子と会えずに、このまま生きていくのは嫌なの」

「それは、本人と話しなさい」

「分かった。実の親子なんだから、必ず許してくれるはずよ」

数分後。

「陸! ……色々とごめんね。許してほしいの」

「許すかよ。ボケ」

「え?」

「タワマン暮らしが最高だとか、ばあちゃんの飯の方がうまいとか、洗濯も自分でしなくて済むとか、そういうことじゃなくて。単純に、俺のことを心から思ってくれるのが誰か、気づいたんだ」

「私よ!」

「違う。俺を産んだあんたらじゃない。本当に大事に思ってるのは、ばあちゃんだよ」

「パパも一緒よ!」

「何がママだ? 何がパパだよ。ふざけんな。俺がどんな思いでカップラーメンにお湯を入れてたか、お前らに分かるかよ」

「今度から心を込めて料理を作るわ!」

「そんな汚い手で作った飯なんて、食べたくもない。今後、LINEもブロックする。いつか和解できるとか、考えるなよ」

「そんなこと言わないで……陸……」

二十分後。

「母さん、みわに聞いたけど、家を解体するんだってな。俺が何も知らない間に、勝手に話が進んでるじゃないか」

「立替えでもするの?」

「さあ。私の名義じゃないから、知らないわ」

「は? どういうこと?」

「みわさんが家をよこせって言うから、あげたの」

「何考えてんだよ。俺ならともかく、嫁にやるなんて。それを俺に何も報告せず決めるのも変だろ。しかも陸を連れて、いつの間にか出てっちゃってるし」

「今更ごちゃごちゃ言われてもね」

「何も聞かされてなかったんだよ!」

「それは夫婦の会話がないのが悪いんじゃない? お互い浮気してて忙しいから、仕方ないわね」

「は? あの女、浮気してんのか?」

「怒る立場にはないでしょ。お互い様なんだから」

「俺は男だからいいんだよ! でも女が浮気なんて、絶対にありえない! 慰謝料取って離婚してやる!」

「取ったところで、相手にも取られてトントンよ」

「そんな……家まで奪われて、金ももらえないのかよ」

「その家も、解体するはめになるんだからいいじゃない」

「それ、どういうことなの?」

「あの家は借地の上に立ってるの。借地を返す時は、上物は取り壊すことになってるのよ。知らなかった?」

「知らなかった……でも、ちょっとざまだな。手にした瞬間、壊さないといけないなんて」

「なんてアホなやつだ。喜んでるところ悪いけど、あなたも家を失うのよ」

「あ、そうだ。母さんの家に住ませてくれよ。タワマン持ってるって聞いたぞ。俺に黙ってたなんて、本当意地悪だな」

「ごめんなさいね。いくら息子とはいえ、可愛い孫が嫌ってる人間を家に入れるわけにはいかないの」

「陸が俺を……? なんでだよ! みわと違って、怒鳴ったりしたこともないぞ!」

「その無関心が問題だって、分からないの。同じ男として尊敬できない父親を、ずっと見てきたのよ」

「俺は家族のために働いてきただろう!」

「そのお金の大半を、誰に使ってきたのか。もう一度振り返れば、答えにたどり着けるはずよ。大学進学を諦めかけた陸の気持ちを考えなさい」

「だって、教育のことはみわに任せてたから……!」

「はいはい。言い訳はもう終わり」

「今更何を言ったって、家族の絆は取り戻せないの?」

「まあいい。そのタワマンだって、いずれは俺のものだ」

「残念だけど、私はまだまだ長生きするし、いずれ陸に生前贈与する予定だから、あなたには一円たりとも残さないわ」

「嘘だろ? こんなのひどすぎる!」

「私と陸は幸せよ。今日は陸のサッカー部の仲間が十人来るの。準備で忙しいから、これでブロックさせてもらうわ」

「実の息子より孫を優先するのか! あんまりだろう!」

「親だから何でも許すと思うな」

その後、みわさんは借地権の延長を認められず、家を解体することになった。その費用はなんと300万。まさに泣きつくも、「自分が勝手にやったくせに頼るな」と一蹴されたらしい。せっかく手に入れたと思ったのに、数ヶ月で解体し、借金まで背負うことになった。

まさとみわさんは当然、離婚することになった。お互い不倫していたので慰謝料はゼロのはずだが、「自分の方が傷ついた」という意味不明な根拠と、夫婦で作った500万の借金の返済をめぐって揉め、ついに泥沼裁判に突入したそうだ。

みわさんの不倫相手は会社の若い子で、その子がSNSに謝罪と二人のラブラブ写真を投稿し、上司にバレて地方へ移動になったらしい。まさは彼氏に逃げられ、今は解体費用の返済のため、大人のデリバリーの仕事をしていると聞いた。一体何を配達するのか。最近の仕事は多種多様なんだな、と思う。

陸は最近、自分で選択をし、お弁当も作っている。先日は私に煮物まで作ってくれた。今まで自分は甘えすぎていたから、やれることは時間を作ってでもやるんだ、と言っていた。あの親の元でこんなに素晴らしい子が育ったのは、単なる奇跡としか言いようがないけれど。私は陸と過ごせる残りの時間を、大切にしたいと思う。

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