ただの日曜の夕方、夫と娘と三人で食卓を囲んでいた。そこに一本の電話が鳴った。母が明日、心臓の手術を受けるという。「つきそってほしいの。それが明日なのよ」—でも明日は、ずっと前から計画していたママ友五人との沖縄旅行。私はためらわず言った。「無理。予定あるもん」「命に関わる大手術なのよ」「つきそうだけで何ができるの?…

ただの日曜の夕方、夫と娘と三人で食卓を囲んでいた。そこに一本の電話が鳴った。母が明日、心臓の手術を受けるという。「つきそってほしいの。それが明日なのよ」—でも明日は、ずっと前から計画していたママ友五人との沖縄旅行。私はためらわず言った。「無理。予定あるもん」「命に関わる大手術なのよ」「つきそうだけで何ができるの?...

母が心臓の手術を受けると言い出したのは、突然のことだった。母は六十八歳。まだ若いとは言えない年齢で、しかも成功率は五分五分だと医者にはっきり言われているらしい。

「つきそってほしいの。それが明日なのよ」

母の頼みを聞いて、私は反射的にため息をついた。明日は、前々から計画していたママ友五人との旅行がある。キャンセルなんてできるわけがない。

「無理。予定あるもん」

「子供の行事か何か?」

「ママ友との旅行。絶対に外せないの」

「お父さんがいるでしょ」

「その予定だったんだけど、今仕事で海外なのよ。現地で感染症にかかって、出国できないらしいの」

「マジで使えないね」

母は無言になった。それから、おそるおそるこう言った。

「途中で何かあった時に、家族の同意が必要になるの。全部同意しますって伝えといて」

「ねえ、なんでそんなに適当なの? 命に関わる大手術なのよ」

「だって、つきそうだけで何ができるの? 病院にいたって私にできることなんてないじゃん。勝手に頑張ってよ。私は旅行に行くわ」

「もし、家族の同意が必要な場面があったら?」

「ない、ない。そういうのはドラマか映画の中の話でしょ。実際にそんなこと起こるわけないし」

「それがあなたの答えなのね」

「そうだけど」

私は話をそらすように、切り出した。

「あ、そうだ。ママ友旅行の間、子供を預かってくんない? 私、入院中なのよ」

「病室に寝かせといてよ。四歳だし、そんなにスペース取らないから」

「無理に決まってるでしょ」

「そっか。じゃあ予定通り旦那に預けるわ」

「他のママさんたちも子供を置いて行くの?」

「うん。五人全員、旦那さんが見てくれるって」

「最近の男の人はすごいわね。お父さんなんて、おむつも変えられなかったから」

「今はみんな育メンなのよ。困ったわね」

そう言ったあと、私はためらいもなく頼んだ。

「あ、お母さん。ちょっとお小遣いくれない? 旅行に行くのに欲しいんだよね」

「私の頼みは断るのに、自分は平気で頼むのね」

「それとこれとは別じゃん」

「たまにお父さんに頼んでお小遣いをもらってるの、知ってるんだからね」

「あれはエステとか、女磨きに使ってるんだもん」

「孫の教育費のためだって聞いてたけど?」

「そういう設定だったの」

「親を騙すなんて、何考えてるの?」

「そんなに怒ると心臓に悪いよ」

母は深いため息をついた。

「つきそいは、うちの旦那に頼んであげるから。許して」

「健斗さんには仕事があるでしょ」

「有給くらい使えるって」

「だったら、あなたが旅行をキャンセルすればいいだけの話でしょ」

「それは無理だよ。ママ友を失ったら、子供にも影響が出るんだから」

「もういい。あなたには何も頼まない」

「怒んないでよ。次の手術はつきそうからさ」

「次がないのを願うのが家族よ」

「そうだね。じゃあ、振り込みよろしく。十万でいいよ」

手術の前日。夫の健斗が、私の代わりに病院に行くと言い出した。

「明日は僕がつきそいます」

母は驚いた顔をした。

「え? 私は健斗さんには迷惑をかけられないと断ったのよ」

「いいんですよ。僕なんかじゃ頼りないと思いますが、手術が終わるまで待ってます」

「ごめんなさいね。お忙しいでしょうに」

「全然大丈夫ですよ。莉穂はその時間保育園ですし。娘はいつもあなたに子供を預けて遊び回ってるみたいですから、こういう時くらい羽を伸ばさせてあげないと」

「なんていい人なの? 私たちの時代は、女が子供を置いて遊びに行くなんて考えられない時代だったから」

「お母さん、大変な時代を生き抜いてきたんですね。病気を克服したら、好きなことをたくさんしてください」

「ありがとう。なんだか実の娘よりも温かい言葉をかけてもらって、泣きそうになるわ」

「え……ユナに何か言われたんですか?」

母はうつむいた。

「病院に行ったってすることないとか、つきそうがだるいって言われて、落ち込んでたの」

「ユナはそんなひどいことを?」

「私が産んで育てた子だから、愚痴って仕方ないんだけどね」

「そんなことないです。親にかける言葉じゃありません」

健斗は少し考え込んでから、尋ねた。

「あの……ママ友と旅行って、言ったんですか?」

「ええ、そうよ。五人で行くって」

「僕には高校の同級生と、三人で行くって言ってました。リナさんとユイさんと」

「そうなの? 私には、自分以外に五人って言ってたわ」

「今度話す時に、ママ友の名前を聞いてもらっていいですか?」

「構わないけど……なんで?」

「ママ友じゃなくて同級生だったと否定すれば、ユナの勘違いだと分かるので」

「確かにそうね。分かった。聞いてみるわ」

数時間後、母から電話がかかってきた。

「ねえ、あなた。ママ友って言ってたけど、誰と行くの?」

「なんでそんなこと聞くのかな?」

「前にいっしょに食事した時、田中さんてママさんに偶然会ったじゃない? あの方かなと思って」

「ああ、リナさんね。あの人は行かない」

「じゃあ誰と行くの?」

「ケイコさんって人と、マコって人」

「五人って言ってなかった?」

「そんなこと言ったっけ? 覚えてないわ。三人だよ。てかなんでそんなこと聞くの?」

「もし私に何かあって、あなたと連絡が取れない時に、その中の誰かにお伝えできればと思って」

「やめてよ。仮にそうなっても、連絡なんかしないで。その人たちは私が病気だって知ってるの? わざわざ言うわけないじゃん。親の手術より旅行を優先するとか、私が悪者扱いされるし」

「自覚はあるのね」

「連絡は取れるようにしておいてよ」

「分かった。沖縄土産を買ってくるから、手術頑張ってね」

手術当日。健斗から連絡が入った。

「お母さんの手術、終わった」

「あ、そう。そういう報告、どうでもいいから」

「良くないだろ。目を覚まさないんだぞ」

「麻酔で寝てるだけでしょ」

「とっくに切れてる。昏睡状態なんだよ」

「え……すぐに戻ってこれない?」

「無理だってば、沖縄だよ」

「飛行機なら二時間半でしょ」

「予定が詰まってるの? ママ友に迷惑をかけることになるんだよ」

「あ、同級生じゃなかったのか」

「間違えただけじゃん。実の母親が危険な状態なのに、友達を優先するのか?」

「うちの母なら大丈夫だって。心臓は昔から悪かったけど、どうにか生きてこれたし。今回だってどうにかなるから」

「なんで素人の君にそんなことが言いきれるんだ。医者が危ないと言ってるんだぞ」

「ヤブでしょ」

「なんてことだ」

私は腹が立って、まくしたてた。

「私は普段、子育てに追われてて、年に一度のこの旅行しか楽しみがないのよ。それを邪魔する権利は、死にかけのお母さんにもないの」

「本気で言ってるのか?」

「もちろん」

「分かった。じゃあいい。残り五日、楽しんでくれ」

「ありがとう。お土産、何がいい?」

「いらない」

翌日。今度は父から電話がかかってきた。

「お前、こんな時に何をしてるんだ?」

「次はお父さん? いい加減にして。母さんが危ない時に旅行だって? 自分だって海外から戻れてないくせに、偉そうに説教しないでよ」

「俺とお前じゃ事情が違うだろ」

「ああ、うるさい。邪魔しないでってば」

「本題はこんなことじゃない。お前の旦那さんが事故にあった」

「は?」

「母さんの容体が心配で寝てなかったらしい。それでふらついて歩いてたら、車道に出てしまって」

「生きてるの?」

「危険な状態だそうだ」

「まあ大丈夫でしょ。あの人、鍛えてるし」

「お前、正気か?」

「何が?」

「母さんも健斗も入院ってことは、莉穂はどうなる?」

「ああ……今すぐに戻れ」

「それはちょっと厳しいかな?」

「冗談だよな」

「今回の旅行はちょっと特別なんだよね」

「友達となんだろう? また行けばいいじゃないか。そのための金ならいくらだってくれてやる。今は莉穂を優先すべきだろう」

「うん。でもなあ……」

「今、病院で看護師さんが見てくれてるが、さすがにこれ以上は無理だと言われた。頼める親戚も近くにいない。施設に預けることになるぞ」

「ああ、じゃあそれでよろしく」

「は?」

「だって、その方が安心じゃん」

「ふざけるな」

「ああ、うるさい」

翌日。今度は健斗から連絡が来た。

「俺が事故にあっても、戻ってこないんだな」

「意識戻ったんだ。良かったじゃん」

「莉穂を一人にしてしまった。情けないよ。ただ、お母さんはまだ意識が戻らないみたいだ」

「へえ。で、何の用?」

「莉穂が入院した。熱も相当高いみたいだ」

「はあ。一体何なの? こんな立て続けに起こる?」

「突然両親がいなくなって、知らない施設に連れて行かれたんだ。ストレスで限界だったんだろう。今の俺は近くに行ってやることもできない。さすがに実の娘のピンチには駆けつけるよな」

「私が戻ったら熱が下がるの? 入院してるなら、その方が安心じゃん」

「お父さんからも連絡があったが、本当にひどいな」

「私から言わせれば、あんたらの方がひどいし最低よ。毎日毎日、連絡してきて病気だ事故だって言われたら、楽しめるもんも楽しめないじゃない」

「何を言ってるんだよ」

「年に一度のわがまま、聞いてもらえないの? 母親は何もかも犠牲にしないといけないの?」

「そうだよ。自分の楽しみなんて二の次だろ。優先順位も分からないのか」

「自分が事故にあったことを棚に上げて、私に切れるのは違くない?」

「それは悪かったと思ってるが、仕方ないじゃないか」

「自分のミスでしょ。自分でどうにかしなよ」

「そうだな。俺がどうにかするよ。じゃあな」

一週間後。母から電話がかかってきた。

「まだ旅行中なの? 何日いるつもりなのよ」

「ああ、お母さんじゃん。意識戻ったの?」

「昨日の夜にね。そんなことより、いつ戻るつもり?」

「楽しすぎて、ちょっと延長してるんだよね」

「他のお母さんたちも同じなの?」

「そうだよ。みんな旦那さんの理解があるからさ」

「それにしても長すぎるでしょ」

「それより、本当に心配したんだからね。良かった」

「よく言うわよ。話は全部健斗さんから聞いたわ」

「スマホなんか触ってて大丈夫?」

「嘘みたいに元気なのよ。なんでかしらね。怒りでパワーがみなぎってくるっていう感じ」

「誰に怒ってるの? うちの旦那が何かした?」

「あんたに決まってんでしょ」

「私が何したのよ。旅行してただけじゃん」

「家族よりも自分を優先したわね」

「当然でしょ。私にも自由はあるんだから」

「だったら、一生自由でいればいいわ。大体、立て続けに全員倒れる方が悪くない? 悪いことが続くことだってあるでしょ。意図的に怪我したり病気したわけじゃないのよ」

「そうかな。私には嫌がらせみたいに思えたけど。なんて子なの。こんな娘を育ててしまって、健斗さんにも世間様にも申し訳が立たないわ」

「ひどすぎ。もう勝手にしなさい」

「言われなくてもそうするわ」

数日後。自宅に帰ると、健斗が冷たい目をしていた。

「まだ入院してるの?」

「もうとっくに退院してるよ。今日帰ってきた」

「そうか。長い旅行だったな」

「莉穂は、お前には関係ない」

「ちょっと、あんたまで怒ってるの?」

「怒りの感情すらないな」

「自分が旅行していいって言ったんでしょ? 終わってから文句を言うとか、ありえないでしょ」

「じゃあ、聞かせてもらうが。俺には同級生との旅行だと言ったな」

「そうね」

「でも、お母さんにはママ友旅行だと言った」

「適当に言っただけよ。お母さんには、誰と行こうが関係ないから」

「じゃあ、同級生の女三人旅ってのは間違いないんだな」

「当たり前でしょ。そんな嘘つくわけないし」

「現地で男漁りしたか?」

「は? するわけないじゃん。女三人で楽しく健全に遊んでただけよ」

「じゃあ、写真に映ってた男は誰なんだろうな」

「え? 何の話?」

「俺の手元には、たくさんの写真がある。お前が男と腕を組んで歩いてるところや、抱き合ってるところの写真だ」

「え? なんで? どうしてそんな写真があるの?」

「こっちが聞きたいんだが。写真には、同級生の女性らしき人物は一切映ってないんだ。これはどういうことなんだろうか」

私は観念して白状した。

「実は二人とも都合が悪くなって、ドタキャンされたの。ね。一人で行ったけど、暇だから現地で会った人とちょっと仲良くしただけよ。はあ。何疑ってるの?」

「疑惑というレベルではなく、浮気を確信してるよ。大体、何なの? 写真って誰が撮ったのよ。まさか探偵を使った? 最低ね」

「俺じゃない。お父さんだ」

「あの人、海外にいるのになんで?」

「母親の手術より旅行を優先する娘を怪しんだんだ。どうせ男といるに違いないって。知り合いが探偵業をやってるらしくて、すぐに沖縄で手配してもらったらしい」

「どうやって探したの? 私、宿泊先なんて言ってないのに」

「ホテルの予約サイトは、俺と共有で使ってるよな。俺も改めて見て驚いたよ。女三人グループのはずなのに二人になってたからな」

「あっそ。バレたんなら仕方ないわね。ごめんなさい。許してください。魔が差しました」

「今のは何だ? 謝罪のつもりか?」

「そうよ。これで終わり。いいわね」

「何を言ってるんだ? 許されるわけないだろ」

「なんでよ。私がいてもいなくても、母の手術は医者にしかできない。あなたの事故だって莉穂の病気だって、私の不在と因果関係はないでしょ」

「俺が怒ってるのは、それだけじゃない」

「何?」

「分からないだろうな。しばらくそうやってモヤモヤしてろ」

その後、私は父に電話をしても、健斗に連絡をしても、無視され続けた。数日後、ようやく父と話ができた。

「お父さん、帰国できたの?」

「昨日戻ってきた」

「よくも探偵なんか使ってくれたわね」

「海外からの依頼に対応してくれて、助かったよ」

「ふざけないで。そのせいで、私は何もかも失いそうなの」

「自業自得だろ。俺のせいにするな」

「もういいわよ。それより、病院は?」

「病院? なんでそんなことを聞くんだ」

「お見舞いに行って、お母さんのご機嫌を取りたいの」

「もう会えないぞ」

「え? 母さんには、会いたくても一生会えないんだ」

「なんで? 分かるだろ?」

「いや、だって、私ちょっと前に話したよ」

「あの時は、一瞬意識が戻ったらしいな。家族よりも浮気相手を優先する娘を、恨んだだろうな。こんな娘に育ててしまったのは自分だと、自責の念に駆られただろう」

「そんな……」

「お前でも一応後悔するんだな」

「当たり前じゃない。私は白状だったかもしれないけど、お母さんのことは大事に思ってたのよ」

「会話の履歴を見たが、とてもそうは見えないぞ。あんな会話が娘との最後だったなんて、悲しかっただろうな」

「ごめんなさい。本当にごめんなさい。健斗君にも散々ひどいことをしたみたいだな。子供を預けて男と旅行だと」

「全部私が悪いの」

「健斗はいい人だけど、あまりにも優しすぎて刺激がなくて……お腹が空いたら万引きしていいのか? 腹が立ったら人を殴っていいのか? いや、お前の理屈はそういう犯罪者と同じだ。自分の理性を抑えられなかっただけの話を、正当化しようとするんじゃない」

「はい。すみません」

「二度と小遣いなんかやらん。連絡もしてくるな」

「お父さん、そんなこと言わないで」

「健斗君は離婚を望んでいる。離婚届を渡して、全て相手の条件に応じろ」

私は健斗に電話をかけた。

「離婚は考え直してくれないかな?」

「なぜ?」

「母を失って、今一人になったら生きていける気がしないのよ」

「素敵な彼氏がいるじゃないか」

「あの人はダメなの? 相手も既婚者なんだろう。そこまで調べがついてるの?」

「慰謝料を請求しないといけないんだから、当然だ」

「離婚のこと、考え直してよ」

「無理だ。顔も見たくない相手と暮らすことはできない」

「じゃあ、莉穂だけは渡さない」

「そんなに娘が大事か。旅行を中断して迎えに行くこともしなかったのに」

「あれは悪かったと思ってるわ」

「莉穂から、驚くべき話を聞いたよ」

「何よ」

「男とのデートに莉穂を連れて行ったな」

「そんなわけないでしょ。子供だから分からないとでも思ったか?」

「だから、そんなことしてないって」

「おもちゃ売り場に何時間も放置して、迷子として何回も保護されてるそうだな」

「莉穂の妄想だってば」

「デパートに行って確認してきた。担当の方がよく覚えてたぞ。迎えに来ても焦る様子もない母親を見て、通報してやろうかと思ったけど、子供が悲しむと思って思いとまったって」

「違う。莉穂が売り場から動かなかったの」

「だからと言って、置き去りにする親なんていない」

「仕方ないでしょ。痴漢は怖いし、ホテルに連れて行けないんだから」

「そんなに男と遊びたければ自由にしろよ。俺が莉穂を育てるから、それでいいだろう」

「たまに会える?」

「莉穂が望めばな」

「あの子、なんだかんだで私のこと好きだから、悲しむと思うわ」

「だといいけどな。離婚届は俺が用意した。これで離婚でいいな。財産分与は、お前に家計を預けた結果、貯蓄は三十万のみ。十五万でよければ持っていけ」

「分かった」

「慰謝料は、お前と男に二百万ずつ請求する」

「高くない? 裁判すれば、二人で二百万で済む可能性はあるが、その代わり公開されるから人にバレるぞ。病気の親や子供を置いて旅行してたクズだと。世間に自己紹介したいなら、俺は構わない」

「もういい。離婚でも何でも応じるわよ。彼氏も離婚させて、絶対に幸せになってやるんだから」

「頑張れよ」

三ヶ月後。私は実家に戻っていた。母が生きているという情報を聞きつけて、居場所を突き止めるためだった。しかし、家には誰もいない。郵便受けには、母からの手紙が入っていた。

「私のバカ娘は、今頃どうなったかしら? お母さん、どうして? いや、そんなはずない。私は死んだはずよ。誰がそんなこと言ったの? お父さん? 俺はそんなことは言ってないって、隣で言ってるけど。もう会えないとしか言ってないそうよ。そう言われればそうだけど、あの状況じゃ勘違いするでしょ。資料が足りないのよ。だから早とちりするの。お母さん、生きてたんだね。良かった。嬉しいよ。術後は色々大変だったけど、どうにか復活したわ。健斗君や莉穂ちゃん、お父さんが帰ってきてくれて、力がみなぎってきたの。私もこれからは支えるよ。でも、実家には誰も住んでないよね。どこかに引っ越したの? 残念ながら、それは教えられないわ。どうして? 夫婦には離婚届ってものがあるからいいけど、親子にはそんなものがない。だから、物理的に縁を切るしかないと思ったの。あなたには想像もつかない土地で、四人仲良く暮らしてるわ。四人って、健斗と? そうよ。あいつは他人でしょ。可愛い孫を全力で守ってくれた、最高の息子だわ。どういう意味? 財産を残せるよう、お父さんと養子縁組をしたの。なんでなの? 私という娘がいるじゃない。あなたを子供と認めたくないから、こうしたのよ。分からない。ひどい。私、浮気しただけじゃん。なんで女が遊ぶとこんなに世間は厳しいの? 男なんて誰だってやってるし、女友達でも浮気してない子なんてほぼいないから。それは、あなたの周りにそういう人が集まってきてるだけじゃない。願いだから、縁を切るとか言わないでよ。こうして連絡してくるってことは、心配だからでしょ。違うのよ。じゃあ何? あなたの後悔を確認したかったの。はあ。後悔してるに決まってるじゃん。彼氏は奥さんが大事だからって離婚せずに家庭を選んだし。旅行で名前を使った友達やママ友からも絶縁された。あんたたちの願い通り、私は一人ぼっちよ。そう、それは良かった。意味が分からないんだけど。あなたの後悔を、私も一緒に抱えて今後生きていくわ。そんなことしなくていいから、私も一緒にいたい。だめよ。あなたのようなクズを生み落とした私にも責任はある。相手の奥様や健斗君は、本来ならば傷つかなくて良かった人たちよ。その方々のために、私もあなたを産んだという後悔を一生抱えて生きていくことにする。お願い。一緒にいさせて。孤独なの。今になって、莉穂の笑い声が耳から離れないのよ。せめて莉穂ちゃんが入院した時に駆けつけていれば、こうはなってなかったのにね。だって、旦那がいると思ったから。健斗君も入院で動けなかったのよ。もう忘れたの? そうだけど。これを後の祭りというの。今更後悔しても、何も始まらないわ。ねえ、どこに住んでるの? 莉穂は風邪引いてない? 保育園は通ってるの? ああ、そうそう。莉穂ちゃんと言えばね。何? ごめんなさい。これ以上は言えないわ。は? 一生そうやって考え続けなさい。今頃何してるのかな、元気かなって思うだけの人生ね。ひどいわ。あなたにできることは、娘の年齢を数えることくらいかしら。プレゼント一つ送ることもできないのよ。謝ってるじゃん。めちゃくちゃ反省してるから。慰謝料も養育費も一円も払わずにいるくせに、今から払う。言われてからじゃ遅いわね。ただ、そのお金も不要だと健斗君は言ってるわ。なんで? 例え小額だろうと、あなたの力で莉穂を育てたくない。そう言ってた。そこまで言うの? そこまで言わせたのは誰か、よく考えなさいね。お母さん、ごめんなさい。これを最後に、LINEはブロックするわ。電話番号も変えるし、二度と話せない。最後の言葉は、ごめんなさいでいいの? 居場所を教えろって言ってんだよ。クソババア。そうでなくっちゃ。じゃないと、後ろ引かれて辛い思いするところだった。これで心置きなく娘と縁を切れるわ。今のは嘘。ごめんごめん。ごめん。家族を敵に回した結果、家族を失っただけの話よ。この世はシンプルにできてるの。お母さん、じゃあ、この子をたっぷり満喫してね」

その後、その会話を最後に、私は娘の連絡先を削除し、スマホを新規契約して番号も変えた。娘は、私や夫の親戚に手当たり次第援助を求めていると聞いたが、決して甘やかさないよう事前に伝えていたせいか、誰とも連絡が取れずに絶望しているそうだ。今は夜の世界でお客さんにお酒を作ったりカラオケを歌ったりしているそうだが、そんな華やかな世界でも、決して満たされることのない孤独を抱えているだろう。

家族という存在は、時に疎ましく感じることもある。しかし、いざ一人になってみると、何よりも心の支えなのだと気づくものなのだ。

健斗君は、普段から家事を押し付けられていたせいか、料理がとても上手だ。莉穂ちゃんは、ただそこにいるだけで可愛い癒しだ。夫も定年退職を迎え、散歩の相棒に保護犬を迎えた。私も定期検査での異常もなく、元気でやっている。四人と一匹の家族で、支え合って生きていく。

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