「三人も愛人がいたって、何考えてるの?」
「怒ってんのか?」
「当たり前でしょ。結婚してまだ二年目よ」
「大丈夫だ。お前は選ばれし女なんだから。あの三人は妻の座を獲れなかった。でもお前はどうだ?制裁のポジションを得たんだぞ」
「だから何?戦いに挑んでもないから勝っても嬉しくないのよ。プロ野球だって二軍の試合は見ないでしょ。注目されるのはいつだって一軍の選手よ」
「で、お前は一軍ってこと?しかもエース?すごいじゃないか」
「褒められてるの?けなされてるの?」
夫は平然と言い放った。
「今後はオープンマリッジでやっていこう。夫婦が合意の上で、配偶者以外の人と恋愛したり関係を持つことを認め合うことらしいぜ」
「どっかのユーチューバーみたいなこと言わないでくれる?」
「俺もお前が誰と遊ぼうが許容する」
「私はそんなことするつもりはない。あなただけを愛すると決めて結婚したの」
「そっか。お前はそれでも構わないぞ。ただ俺は自由にさせてもらう。一方的な思いじゃ関係は続かない」
「私はそのなんとかマリッジみたいな考えには賛同できないから」
「なんでだよ。このままでいいじゃん」
「そんなに女遊びしたいなら独身でいれば。そうすれば慰謝料も請求されずに済むでしょ」
「お前、俺から金取る気でいるのか?」
「当たり前でしょ。三人の女にも請求するわよ」
「やめろ」
「は?むしろ払うのはお前の方よ」
「なんで?俺は離婚したくないと言ってるのに、無理やり別れようとして俺を傷つけてるだろう」
「何なのよ、その理屈は」
「俺は徹底的に戦うからな」
「じゃあ調停になるわね」
「調停でも離婚でもかかってこい」
「じゃあ遠慮なく行かせてもらうわ」
「待て待て待て。一旦落ち着け。お前が妻として堂々としてればいいじゃないか。お前は奥方のようなものなんだから」
「何時代の話してんのよ」
「一晩寝れば頭も覚めるだろう」
「お前が覚ませ。こっちは頭に血が登ってるのに、無理して冷静に話そうと頑張ってんのよ。これ以上怒らせないでくれるかな?」
「アイスと苺とケーキを食って寝ろ。女がご機嫌になる三大アイテムだ」
「女を舐めすぎでしょ」
数日後、電話の向こうで母が呆れていた。
「男の浮気ぐらいで離婚だなんて騒いでんじゃないわよ」
「お母さん、なんで知ってるんですか?」
「サトシに相談されたの。母親に泣きつくなんて情けないわね。男の浮気くらい許してあげなさいよ」
「冷静に考えてください。一人でも許せないのに、三人もいるんですよ」
「息子が愛人を作ったのは、あんたに魅力がないからよ」
「あの人の味方をするんですか?同じ女性として理解してくれると思ってました」
「私の夫は十八人も女がいたわ」
「何の自慢にもなりません」
「私は十八人のハーレムの頂点に立ったのよ。その優越感たるや、素晴らしいものよ」
「私には一切理解できない感情です」
「女が家庭をちゃんと守ってさえいれば、男は最後に必ず戻ってくるものなの」
「お父さんと離婚してるお母さんが言っても、何の説得力もないんですが」
「それは……あれよ。十五番目の女が妊娠して大騒ぎしたから、そいつに譲ってやっただけ。結果的に取られちゃったけどね」
「じゃあ取られちゃってるじゃないですか。とにかく離婚はやめません。こんな裏切り、許せません。絶対に離婚します」
「心の狭い女ね」
「何と言われようと無理なものは無理です。不潔すぎて顔を見るのも嫌なんですよ」
「あんただって別に聖女ってわけじゃないでしょ」
「他の誰かに触れた手で私を触れてると思ったら、鳥肌が止まらないんです」
「汚れてるのはお互い様じゃないの?」
「私は結婚してから裏切ったことなんてありませんから」
「とにかくサトシは離婚したくないと言ってるの。それでもするって言うなら、あんたが慰謝料を払いなさい」
「なんでですか?私は悪いことなんかしてません」
「離婚したいって言い出した方が払うのよ。そんなことも知らないの?」
「知りませんね。そんな常識は存在しないので」
「私だって可愛い嫁を失うことを考えたら、胸が引き裂かれそうに辛いの」
「可愛い?誰のことですか?」
「あなたしかいないじゃない」
「こんな状況で味方もしてくれないのに、可愛い?」
「そうよ。離婚なんかやめましょ」
「嫌です。絶対に別れます」
「じゃあ離婚の慰謝料は私にも払え」
「冗談やめてくださいよ。結婚の挨拶の時から、私の目を見て『子供に知能が遺伝するのは勘弁して欲しいわね』って笑ったのはお忘れですか?」
「うん。忘れた」
「新居にお招きして初めて手料理を振る舞ったら『ザリガニを生で食べた方が美味しいわね』って大口開けて笑ったのは?」
「冗談を言っただけじゃない。緊張してる嫁が笑うと思ったから言ったんだ。笑わなかったからがっかりした」
「そもそもお母さんと私は笑いのツボも考え方も何一つ合いません」
「でも夫婦仲は良かったじゃない?」
「それはサトシが私だけを見てくれていると思っていたからです」
「あんた、運転免許持ってる?」
「持ってますけど、何の話ですか?」
「正面だけを見て運転できる?」
「まあ、無理ですね」
「そうよね。右も左も後ろも見ないと安全な運転はできないわよね」
「何と何を一緒にしようとしてるんですか?」
「人間というものはよそ見をするものなの。三十過ぎた大人なんだから、それくらい分かるでしょ」
「もういいです。これ以上話しても無駄だと思います」
「離婚だけはダメよ。どうしてもするならお金を払って別れなさい」
数分後、今度はサトシが実家で母に泣きついていた。
「お母さんに泣きつくなんて、何考えてるの?」
「女性のことは女性の先輩である母さんに聞くのが一番だと思ったんだ」
「さすが親子ね。全く同じ思考回路で、遺伝の恐ろしさを感じたわ」
「母さんは俺の良き理解者だからな」
「お父さんは十八人の女性と浮気してたらしいわね。サトシもお母さんも辛い思いをしてきたのに、どうして同じことができるの?」
「あ、誰が辛いって言った?」
「苦しい思いをしているお母さんを見てきたのよね。辛くないはずがないでしょ」
「綺麗なお姉さんたちに可愛がってもらえたし、全く嫌なことはなかったんだよな」
「家庭環境が悪すぎたのね。ある意味あなたも被害者かもしれないけど、だからと言って許される問題じゃない」
「許さなくていいから黙ってりゃいいじゃん」
「なんで離婚したがらないの?」
「なんか既婚者の方が持てるんだよな。既婚者っていうのは、人のものに手を出してる罪悪感で燃えるんだって。悪い女たちだよな」
「同意を求めるな。左手の指輪に興奮するっていう子もいるんだよ。揃いも揃って悪女」
「なあ、頼むよ。離婚を考え直してくれないか」
「そこまで言うなら、仕方ないわね」
「本当?」
「家庭環境のせいでこうなったんだとしたら、あなたに責任はない気がしてきた」
「ありがとう。会社に報告するのが一番だるかったんだよね。マジ助かるわ。サンキュー」
三ヶ月後。
「なんだ、この内容証明は?」
「不倫の慰謝料請求だけど」
「八百万って何の数字だよ?」
「四人掛ける二百万」
「まさか探偵に依頼している間に一人増えてるとは思いもしなかったけどね」
「え?お前、探偵なんかつけてたのか?」
「そうよ。証拠がないと請求できないから。そのために離婚するのを延ばしたの」
「詐欺だ」
「詐欺の意味を調べてから出直してくれる?」
「ふざけやがって」
「ちなみに四人の馬鹿女たちにも請求するわ。探偵さんのおかげで全員の住所が特定できたし」
「はあ。可哀想だろ。やめてやれ」
「人の旦那に手を出した奴らが可哀想?」
「可愛い女の子たちなんだぞ」
「じゃあ私は何?浮気されても平気な、力の強いメスゴリラにでも見える?私だって女なのよ。裏切られれば傷つくわ」
「……ごめん」
「やっと謝ったね」
「そうだった。お前はゴリラじゃなくて、女だった」
「今気づいたのかよ。でも不思議なのよね。収入も顔も身長も全てが平均値のあなたが、どうしてこんなに持てるのか」
「俺も分からない。でも俺には、女を落とすホルモンが絶え間なく放出されてるんだと、二番目の愛人が言ってた」
「フェロモンじゃない?」
「そうとも言う。三番目の愛人が言うには、空気が読めて会話してて心地がいいんだって」
「それは分かる気がするけど」
「一番目の愛人は、ガツガツしてないところが好きなんだって」
「え、お父さんも金持ちイケメンってわけでもなく普通だったけど、遺伝子ってあるのかもしれないな」
「そんなもの存在しないし、遺伝してるとしたら理性がないところだけだと思う」
「まあ命ってやつだよな。我ながら罪な男だ。ただ、ちょっと慰謝料が多すぎるんで減額して」
「無理。一円も負けない。文句があるなら裁判でも何でもして」
「あー、めんどくせえな」
「離婚の件も弁護士通してください。ではさようなら」
「おい、金の話がまだだろ」
翌日。
「この強欲で力の強いメスゴリラ」
「息子さんにLINEを見せてもらったとしか思えないわ。見覚えのある悪口ですね」
「何が八百万よ。払うのはあんたでしょ」
「なんでですか?私は被害者ですよ」
「あの子たちにも請求するなんて、可哀想だとは思わないの?」
「思考回路が同じなんですね。さすが親子」
「男の浮気の一つや二つ、笑って許しなさいよ」
「三つや四つはさすがに無理でした」
「カッパを見たことある?」
「また始まった。今度は何の話ですか?」
「答えなさい。カッパを目撃したかと聞いてるのよ」
「ないですね」
「存在を信じる?」
「いえ、いるわけがないと思ってます」
「それよ。この世にカッパがいないのと同じで、浮気しない男ってのも存在しないの」
「お母さんの例え話は毎回極端すぎて理解に苦しむんですけど」
「それでも別れるって言うなら、離婚すると主張した方が慰謝料を払うのよ」
「すみませんが、どの国の常識ですか?」
「日本に決まってるじゃない」
「サトシにも言いましたけど、納得がいかないようでしたら裁判でも何でもしてください。受けて立ちますので」
「そんなことして損するのはあんたなんだから、さっさとお金を払って終わりにしなさい。五百万、今すぐよ」
「……はーい」
「え、本当?やっと諦めたの?」
「はーい。そうよね。最後くらい、立つ鳥跡を濁さず、綺麗に割りたいものね」
「素直でよろしい。じゃあよろしく」
「楽しみにしてるわ」
数日後。
「あんたの愛人は全員頭がおかしいのかな?」
「四人から一人当たり三百万の慰謝料請求が来たんだけど」
「へえ、そうなんだ」
「不思議なことに思考回路がお母さんと同じで驚いてるんだけど」
「俺に言われても分かんないな」
「お母さんが仕組んだとしか思えない」
「そんなわけないだろ」
「こっちが百万で勘弁してやったっていうのに、その三倍請求してくるって何なの?」
「知らないわよ。気持ち悪いわね。あんたも絡んでるんでしょ?」
「違うって」
「そもそもどうして私の実家の住所を知ってるの?」
「なんでだろうな」
「あんたが教えたからに決まってんでしょ」
「そんなことするわけないし」
「何が嫌って、実家の住所を知られたことよ」
「何かするってことはないと思うよ。それなりに常識はある子たちだし」
「常識があったらこんなことはしないのよ」
「まあまあ、そんなに怒るなよ。大体、お母さんが私に慰謝料を要求するのが間違ってるんだけど」
「なんで?」
「お前は母さんを傷つけたからだろ」
「絶対に違うけど。一億歩譲ってそうだとしても、愛人たちはどう傷ついたの?」
「慰謝料請求をされて精神的にダメージを受けた。だから私に請求してきたってこと?」
「うん」
「はあ。慰謝料請求に対して慰謝料請求するなんて、三十年生きてて初めて聞いたわ。弁護士から書類が届くということがどれだけストレスか、分かるか?」
「ちょっと驚いてるわ」
「何が?」
「大人六人が集まって、その結論に至ることがよ。さっさと金を払って終わりにしようぜ」
「やだ。この親子、同じことしか言わない。怖い。腹立つのを通り越して恐怖だわ。無視しよ。もう無理。さようなら」
「待てよ。金の話が終わってないぞ」
「さっさと離婚届にサインしなさい。じゃないと調停になるわよ」
「受けて立ってやるぜ」
二年後。
「まだ誰ですか?」
「もう忘れたの?サトシの母よ」
「ああ、そんな人もいましたね。調停で離婚が成立してから、挨拶にも来ないなんて」
「お金の話しかされないと思ったので行きませんでした」
「あなた今、何してるの?」
「言いたくないです」
「知ってるのよ。再婚したんでしょ?」
「いや、してませんけど」
「なんで隠すのよ」
「隠してないです。仮に本当だとしても、あなたに指図される筋合いはありませんよね、この……」
「このメス豚が。離婚して二年も経たないうちに再婚ですって。風船より軽い女ね」
「婚姻中に他の女性に手を出した息子さんのことは一度も叱らなかったのに、なぜ私だけの軽さを責められるんでしょうか?」
「他人だからよ」
「他人の再婚に口出ししてる現状をどう思いますか?」
「うるさいわね。いいから早く降りてきなさいよ」
「はい?今、あんたの会社の受付にいるの?」
「嘘でしょ?」
「このカウンターに座ってるブスが全然仕事しないから、今怒鳴りつけてやったところよ」
「なんでここまでするんですか?」
「別に意味はないわ」
何か事情があると直感した。
「お母さんはすごく非常識で変人のクソババアですけど、ここまでするのには何か理由があるんじゃないかと思って」
「あんた、今すごいこと言ったわよ」
「本当は事情があるんですよね」
「……や、それが実はね。サトシがあの後、愛人四人を紹介してくれたんだけど、私、今そいつらにいびられてるの」
「え?今笑ったでしょ?」
「いえ、咳です。気にせず続けてください」
「ご飯を作らされたり、四人のマンションの部屋を掃除させられたり、人気スイーツの行列に並ばされたり」
「大変ですね」
「毎日使われて疲れ果てるのよ」
「普通に断ればいいじゃないですか。お母さんなら言えますよね」
「サトシが築いたハーレムを私が壊したら、あの子が悲しむと思って、何も言えないの」
「お母さん、その気遣いは間違ってますよ」
「正直に答えてください。お父さんに十八人も女性がいて、本当に幸せでしたか?」
「それはね……人間というものは、男女問わず嫉妬するものです。男性ですら、あいつは俺より稼いでるとかで嫉妬するし、ママ友の子供が自分の子よりいい学校に入ったとか、大抵の人はそういうものに囚われてるんです」
「確かにそうね」
「本当は悔しかったんじゃないですか?」
「そうよ。嫉妬で狂いそうだった。でも、それも最初の五人まででね。あとはもう諦めるしかなかったの。叩いても叩いても湧いてくる虫みたいに、浮気相手がうじゃうじゃいたのよ」
「辛かったですよね」
「割り切るしかなかったわ。私は浮気されても動じない女だって。強がりを張っていれば、強くいられたのかもね」
「お母さん、かっこいいです」
「え?……ああ、ごめんなさい。もう離婚してるし、お母さんなんて呼んじゃいけないですよね」
「そんなことないわ。好きに呼んで。でも、私がかっこいいってどういう意味?」
「強がりを張るって、強くないとできません。自分は妻なんだってプライドを最後まで守ったこと、なかなかできることじゃないと思いますよ」
「お母さんが電気屋さんで洗濯機を買ったとします。来週の日曜日に配達と聞いていたのに、いつまで待っても届かなかったらどうします?」
「そんなの怒るに決まってるわ。約束が違うもの」
「そうなんです。不倫は契約違反なんですよ。民法上も不法行為として扱われます」
「そうなの?」
「あなただけを愛するって、結婚式で誓いましたよね」
「そうね。神父の前で誓いますって言ったわ。でもすぐに浮気されちゃったけどね」
「約束を守らず洗濯機を配達しない電気屋と同じです」
「確かにそうかもしれない。私が間違ってたわ。今更腹が立ってきた。夫にも、だけど息子に対しても」
「分かってくれて嬉しいです。結局、慰謝料は払われたの?」
「いいえ、時効が三年なんで、そろそろ裁判しようかと思っていたところでした」
「私、協力するわ」
「え?」
「女のプライドを守る戦いよ。浮気されて泣き寝入りなんて、あってはならないの。男と愛人たちに報いを受けさせましょう」
「お母さん、私、いいこと思いついたわ。また連絡するわね」
「何をする気ですか?」
「いいから任せてちょうだい」
二週間後、義母から連絡が来た。
「愛人Aに本命の彼氏がいることが分かったわ。結婚間近で、近々ハーレムを抜けるそうよ」
「お母さん、一体どうやって?」
「今までは嫌々あいつらに使われてきたけど、従順な家政婦のふりをすることにしたの。そうしたらあっさり騙されてくれて、何でも話してくれるようになったわ」
「さすがです」
「探偵を使ったから、あいつらの素性は把握してるのよね」
「はい。ただ、ここまで詳細までは知らなかったです」
「Bはモデルの卵なんだけど、来週CMのオーディションがあるらしい」
「へえ」
「愛人Cは看護師で、医師会長の愛人もやってる。医師会長は既婚者で有名らしいわ」
「ほお」
「愛人Dはマネーの猿にも出てる女社長なんだけど、近々上場を目指してるらしいの。スキャンダルには敏感な時期よ」
「こんな大物まで……妻の私が言うのも変ですが、どこにリスクを冒して付き合うほどの魅力があるんだろう」
「こういうタイプこそ、お金じゃない部分に価値を見出すのよ」
「なるほど。それにしてもすごいメンツだ。まずはハーレムの破壊ね」
「慰謝料も払わずのうのうと暮らしてる女たちに、正義の鉄槌を食らわせてやりましょう」
「お母さん、頼もしい」
「私たち、間違ったことをしたわ。本当に反省してるの。息子可愛さにあなたを傷つけてしまった。今更だけど、償わせて欲しいの」
「簡単に許しますって言えないくらいには傷つきましたけど、お気持ちはありがたく」
「許す必要なんかないわ」
「え?」
「これは私の戦いでもあるの。散々浮気して償いもせず逃げた旦那と、本当の意味で決別するための戦いよ」
「あんなに嫌いだったお母さんが、今では最高に素敵に見えます」
「あんたは昔から一言多いわね」
「すみません」
「よし、早速ハーレムという名の砂の城を踏み潰して壊してやりましょう」
「はい」
一週間後、元夫が怒鳴り込んできた。
「お前の仕業か?」
「はい」
「俺の元から女たちが去っていった。一気に四人全員だぞ。こんなのおかしいだろ。マジか。お前が何か吹き込んだんだろ。離婚して二年も経つのに、まだ俺に執着すんのかよ」
「私は何もしてないけど」
「嘘つけ。俺が確実に嫌がることをするのは、お前しかいないんだよ」
「それがね、やったのはお母さんなんだよね」
「何を言い出すかと思えば、今度は母さんのせいか。母さんは俺の味方だぞ。裏切るわけがないだろう」
「正確には『味方だった』ってのが正しいかも。つい先日、私の方に寝返ってくれたから」
「どういう意味だ?」
「ようやく気づいてくれたみたい。浮気される側がどんなに辛いかってことに」
「馬鹿言うな。母さんは父さんに十八人の愛人がいても動じなかった女だぞ」
「それすら間違ってたと、今になって分かったのよ。父さんと離婚してから十年以上経つのに。十年だろうと二十年だろうと、愛する人に傷つけられたことは忘れないわ。女ってそういう生き物なの?」
「そんな……」
「本当は嫉妬で苦しかったそうよ。でも割り切るしかなかったって、本音を教えてくれた」
「だからって、敵対してたお前と手を組むなんてありえない」
「私だって全て許したわけじゃない。でも、こうして実際に動いてハーレムを破壊してくれた。その点においては信用に値すると思ってるし、心から感謝してるわ」
「でもお前、再婚したらしいじゃん。今更俺のことなんてどうでもいいだろう」
「再婚なんかしてないわよ」
「え?知り合いの知り合いからそう聞いたぞ」
「仕事で結婚式場に出入りすることが多いから、それを見た誰かが誤解して拡散したのかもね。人の噂なんてそんなもんよ」
「そうだったのか」
「誰かを好きになって結婚するのが怖いのよ。また裏切られるんじゃないか。浮気しない男なんてこの世にいないんじゃないかって、どうしても疑ってしまうの」
「その通りだ。ようやく悟ったみたいだな」
「それでも、浮気しない人を求めてしまうのよ。それが女性なの」
「くだらない。そんなもの叶わぬ願いだ」
「そうかもね。だからせめて、あんたらみたいなゴミからお金を取ってすっきりしたいってこと」
「俺は払わないぞ」
「彼女たちは百万ずつ払ってくれたわ」
「嘘だろ。二年も五年も続けてきたのに」
「百万円よりも守りたいものがあったみたいね」
「俺には守るものなんて何もない。女だってまた見つければ済むことだし」
「うん。それはどうかな?」
「どういう意味だよ」
「最近、あなたのお母さんがSNSを始めたのよ」
「それがどうした?」
「初心者だからネットリテラシーが低くて、書いてはいけないことの区別がついてないみたいなの。過去に夫が十八人も愛人を作ってたこと。その遺伝子を息子が引き継いだことを、赤裸々に綴ってて結構人気あるみたい」
「別に個人が特定されるわけじゃないし、そのくらいなら自由に書かせておけ」
「言ったでしょ。ネットリテラシーが低いって。実名はやばいとか、顔出ししない方がいいとか、全く分かってないみたいでさ」
「はあ。俺の顔も名前も出してんのか」
「フォロワーに指摘されて焦ってたみたいだけど、消し方も分からないみたいで」
「嘘だろ?会社の人間に見られたらどうすんだよ。俺は愛妻家で通ってるっていうのに」
「は?離婚したことまだ言ってないの?」
「結婚してる方が警戒心が薄れて女が寄ってくるから」
「くだらない。まさか指輪もつけてる?」
「もちろんだ。これがあるから持てるんだよ」
「ここまで来ると病気だね。一生そうやって女の尻ばかり追いかけて、崖から落ちればいいわ」
「頼む。母さんにSNSを削除するよう言ってくれ」
「自分で言えばいいじゃない」
「それがLINEも既読にならないし、電話も出ないんだ」
「お母さんもあんたに見切りをつけたのね」
「お前なら連絡が取れるだろう」
「いいえ。私も着信拒否されてるみたい」
「なんで?」
「最後のLINEには、『私の仕事はこれで終わり。幸せにね』だけだった」
「どういうことだ?」
「実の息子には理解できないかもしれないけど、他人の元嫁の私には理解できる。まさかこんな結末になるなんて、あの頃の私は思いもしなかったわ」
「意味が分からない」
「私に慰謝料を払うまで、きっとお母さんはSNSの投稿をやめないわよ」
「そんな……あ、新しい投稿がされてる」
「何て書いてあるの?」
「『浮気するやつは地獄に落ちろ』」
その数時間後、二百万円が振り込まれたのにはさすがに驚いた。残りは分割で支払うとのことだった。ただ、お母さんと連絡が取れない状況なので、SNSの更新を止めるよう呼びかけることもできず、ひたすら更新されていくサトシの黒歴史を見守るしかなかった。小学生の段階で二股をかけていたとか、高校の頃に親友の彼女を三人も寝取ったとか、最低なエピソードばかりだった。義母はその全てを知っておきながら止めることもせず、正当化してきた自分を罰するかのように、息子の最低エピソードを吐き出し続けている。
サトシは会社での居場所をすっかり失ってしまい、家庭を大事にする上司の地位から転落した。社員からの、排泄物を見るような視線に耐えられず、三ヶ月後には会社を辞めたそうだ。SNSでもすっかり有名人になってしまい、表を歩くこともできなくなり、今は知り合いの印刷会社に就職し、男ばかりの工場で帽子を目深にかぶって働いているらしい。
お母さんとは連絡を取っていない。でも、たまにSNSを覗くと、不倫に悩む女性の相談に乗ったりと、楽しそうにやっているみたいだ。
サトシの言う通り、浮気をしない男性なんて少ないのかもしれない。でも、そんな運命の人に巡り合える奇跡を信じて生きていくのも、悪くないかと思った。私は気長に、出会いが訪れるのを待ちたいと思う。
