「今日の検診、どうだった?」
「問題ないって。お腹の子も順調に育ってるって言われたよ。」
「いや、そうじゃなくて。性別は?」
「まだ十二週だよ。まだ分かんないって。」
「まだ分かんないのかよ。次の検診で分かるってこと?」
「多分ね、って言ってた。」
「四週間後か。遠すぎる。」
そこで夫の年也は、ちらりとこちらを窺うように言った。
「もしかして、母さんが何か言ってきたのか?」
「そうだよ。結婚してもう八年だろ。今回、男じゃなかったらどうするんだって、ずっと言ってる。」
義母の家は代々、男しか後継ぎを認めない。この辺りの地主だった頃からの決まりで、今の会社を興した曽祖父の代からも、その流れは変わらない。女は経営者に向かない、というのが義母の持論だった。
「言っとくけど、今回がラストチャンスだからな。」
「ラストチャンス?」
「お前ももう三十二だろ。今回の妊娠だって八年かかったんだ。次はない。」
「つまり、女だったら離婚ってこと?」
「母さんがそう言ってるんだ。」
「あなたの気持ちは関係ないの?」
「俺は今、実家の会社で社長だ。母さんは会長だ。つまり、俺より母さんのほうが偉い。八年も待たせた上に、これ以上わがままを言ったら、俺が切られる。」
夫は、立場を取ると言った。八年間も持ったのは自分のおかげだ、と。
「お前が男を産めば問題ないんだよ。」
「性別はコントロールできないでしょう。」
「できなくてもやれ。」
「私は子供を産むための道具じゃない。」
「感情論はどうでもいい。男を産めないなら、お前とはそれで終わりだ。」
それから二週間後。義母が突然、家に乗り込んできた。
「莉香子さん、あなたには失望しました。」
「何でしょうか。」
「年也の袋が切れたって言ってるのよ。」
義母は、年也が女の子だと言っていた、と言い出した。しかし私はまだ検診も受けていない。
「いや、でも、そんなはずは。」
「私の可愛い息子が嘘をついたっていうの?」
義母は続けた。
「私はあなたが妊娠するのを八年も待った。なぜ分かる? あなたの遺伝子が優秀だからよ。有名大学を卒業して、頭も回るし、顔も悪くない。あなたの子供なら、優秀な孫になると思ったから、八年も我慢したの。」
「私はモルモットですか?」
「その結果が女。八年かかって妊娠したと思ったら、女なんて許せるわけがない。」
「なぜ女の子じゃダメなんですか?」
「我が家の伝統よ。それに女は経営者に向かない。感情論で話すから。」
「お母さんも十分感情的だと思いますけど。」
「そんなことないわよ。」
義母は言い放った。
「後継ぎを産めない役立たずとは離婚しなさい。年也にはすぐ新しい嫁を用意するわ。」
「分かりました。なら、とっとと離婚して。お腹の子はくれてやるから。」
その日の夜、年也が帰ってきた。
「なあ、俺、お前に子供の性別って言ったっけ?」
「言ったでしょ。多分聞いた気がするけど。」
「私、まだ検診受けてないんだけどね。」
「え? じゃあ俺が勘違い?」
「そうなるね。」
「あ、やばい。」
「何がやばいの?」
年也は、すでに義母に「女の子だ」と伝えてしまっていた。
「母さんには離婚しろって言われたよ。」
「うん、今日、直接言われた。」
「よし、分かった。離婚しよう。」
「は?」
「母さんがそう言ったんだろ。なら仕方ないだろう。」
「これ、あなたの勘違いが原因でしょ。今から勘違いだったって説明したら?」
「バカ。そんなことしたら俺が怒られるだろう。」
「怒られろよ。」
「母さんがどれだけ孫の性別を気にしてると思ってんだ。俺の勘違いがバレたら、首どころじゃ済まないかも知れない。」
「前にも言ってたもんね。私よりも立場を選ぶって。」
「そういうことだ。」
「正直、口ではそう言いつつ、最後は私を選んでくれると思ってた。現実は厳しいね。」
「多少は悪いと思ってる。けど、母さんに逆らうのは無理だ。」
「そう。私もようやく諦めがついたよ。」
離婚が決まった。だが、年也は最後にこう言った。
「あ、そうだ。子供が生まれて、もし男だったら、俺に渡してくれ。」
「何言ってるの?」
「女だったら知らない。男だったら連れてこい。母さんへの面目が保てるんだ。」
「ふざけないで。男の子でも女の子でも、この子は私の子よ。あなたたちには絶対に渡さない。」
それから二週間後。今度は慰謝料請求の書類が届いた。義母がまた怒鳴り込んできた。
「莉香子、あんた、これ何?」
「慰謝料請求です。離婚したから。」
「同意の上だったじゃない。」
「割と一方的だったと思いますけど。それに、養育費はともかく、慰謝料を請求される筋合いはないわ。」
「いや、されることですよ。夫が不倫してましたから。」
義母が固まった。
「そもそも、私にはお腹の子の性別は言ってないんですよ。まだ分かってない。なのに、どうして年也さんは『女の子だ』って断定できたんでしょう。」
「それは勘違いとか。」
「普通の状況ならありえますけど、我が家の状況ではありえません。年也さんにとって、お母さんは母親であり上司です。お母さんには逆らえない。そしてお母さんは孫の性別をすごく気にしていた。年也さんは、私が妊娠してからずっとソワソワしてた。神経質になるくらい。そんな状態で勘違いするはずがない。」
「つまり?」
「不倫してた相手が妊娠して、その子供が女の子だと言われた。その事実を、私との子供の話と混同したんですよ。」
義母は青ざめた。私は続けた。
「裏は取ってあります。秘書の咲さん。妊娠して育休中です。妊娠したのは私の二週間前。性別が分かる十四週目はもう過ぎてますから、咲さんの子供の性別は分かってる。」
「なんで……我が家の社長が社内不倫だと? しかも妊娠?」
「不倫の証拠もありますよ。二人が揃って咲さんの家に入っていく写真が。」
「こうしちゃいられないわ。揉み消さないと。」
「もみ消せるといいですね。無理でしょうけど。」
十分後、年也が電話で叫んだ。
「母さん、それどころじゃないんだ!」
「あんたの不倫が原因でしょ。」
「それは本当に悪かった。でも車内で俺の不倫が噂になってる!」
「なぜよ?」
「私が莉香子に会社の手伝いをさせてたのは知ってるだろ。でも給料は出してなかった。それも含めて莉香子から社員に漏れたんだ。」
「なに?」
「社員が俺と莉香子の離婚を気にしてたみたいで。離婚理由を正直に教えたんだと思う。莉香子は社員にも頼りにされてたから。」
「あの女…頭の回転は悪くないから。」
義母は震えながら言った。
「こうなったら、あんたが泥をかぶりなさい。」
「俺が辞めるのか?」
「今さら噂を消そうとしても遅い。社外に広まるのも時間の問題よ。あんたが責任を取って会社を守るの。」
「そんな……俺は自分で巻いた種だしな。」
「それと、莉香子さんを無給で働かせてたのも、あんたが主導したってことにするから。」
「なんで俺がそこまで。」
「私は会長よ。経営には口を出すけど、人事は別。社長だったあんたの責任でしょ。」
慰謝料三百万。養育費は月六万。全部、年也が一人で負うことになった。秘書の咲さんも、責任を取って解雇。
数日後、年也が私の実家に転がり込んできた。
「莉香子、やっぱり俺にはお前しかいない。」
「急に何?」
「知ってるだろ。俺が母さんに切られたこと。不倫が表に出る前に即任だ。あのクソババア、今まで俺がどれだけ言うことを聞いてきたと思ってんだ。」
「お母さんのやりそうなことね。」
「しかもさ、あの咲とかいう女もクソだぞ。俺が社長じゃなくなった途端、連絡も無視だ。ありえないだろう。」
「あっちにも捨てられたんだ。」
「違う。俺が捨ててやったんだ。」
「状況的に、捨てられたのはあなたでしょ。」
「そんなわけないだろ。確かに見た目はそうかもしれないけど、あいつらから振られてたら、俺から言ってたよ。もうお前らとはやっていけないってな。」
「はいはい。」
何度言っても、年也は他人のせいばかり言う。
「結局、母さんも咲も俺を見てなかったんだよ。母さんは後継ぎが欲しかっただけ。咲は俺の立場と金が欲しかっただけだ。」
「なんというか、情けないね。」
「はあ? 俺のどこが情けないんだよ。」
「お母さんには逆らえないから、私と離婚したんでしょ。咲さんとの不倫だって、あなたが勝手にしたこと。私よりも咲さんのほうがいいと思ったからじゃないの? なのに、自分の立場が悪くなった途端、『お母さんが悪い、咲さんが悪い、俺が捨ててやった』って。情けない上ないでしょ。」
「莉香子だって、母さんに苦労させられてたろ。」
「させられてたね。でも、それとこれとは別よ。咲さんとあなたが不倫してたのは事実でしょ。私にとっては、お母さんも咲さんもあなたも、みんな敵だよ。」
「なら、なんで俺を攻めるんだ。」
「あなたたちが同類だからよ。」
「どこがだ。」
「自分勝手で、人の人生を何とも思ってない。お母さんには逆らえないって平気で言って、不倫して、相手を妊娠させて、あげく自分のせいで全部台無しになったら、今度はその人たちを下げる。あなたは本当にクズな男だったのね。」
「いや、でも今回は俺、本気なんだ。色々あったけど、やっぱりお前しかいない。だからやり直そう。」
「ごめんだけど。私にはあなた以外にもいるから。」
「は?」
「お腹の子がいるもの。あなたなんかがいなくても、問題ないわ。」
「でも子供を一人で育てるのは大変だろ。」
「大変でもやるわ。それが母親だから。」
「俺も父親だし。」
「知りません。」
「知りませんって?」
「あなたは自分がいい思いをしたいだけよ。お母さんも咲さんも私も、あなたの立場や自尊心を満たすための道具扱い。そんな人が父親だなんて、冗談やめて。この子がかわいそうでしょ。」
「そんなこと言うなよ。」
「私はこれから、この子と二人で生きていくわ。そこにあなたが入る隙なんて一切ない。分かったら、自分一人で生きていって。自分大好きなあなたには、それがお似合いよ。」
翌日、病院で最後の検診を受けた。医師が言った。
「性別は……男の子ですね。」
その報告を聞いたのか、義母が病院に現れた。
「莉香子さん、立派よ。ちゃんと後継ぎを産んだんだから。」
「そうですか。」
「じゃあ、生まれたらちょうだいね。」
「何をおっしゃってるんですか?」
「私の孫でしょ。うちの後継ぎでしょ。私が育てるわ。」
「ふざけないでください。私の息子です。」
「めんどくさいわね。いくら欲しいの?」
「は?」
「お金よ。子供を渡してくれるなら、一千万まで出してもいいわ。うちの後継ぎの値段としては破格よ。」
「そんな売り物みたいに。」
「じゃあ、咲さんの子供と交換はどう? あの子が産む子、女の子だって聞いたわ。可愛いでしょ。あの子は五百万でいいって言ってるから。大丈夫よ。」
「そんなバカな話があるか。」
「まあ、あなたに拒否権はないけどね。私はお金も地位もあるの。あなたから息子を取るくらい余裕よ。かわいそうだから、交渉してあげてるのよ。分かる?」
「──分かりました。お話だけでも伺います。」
数日後、義母とレストランで会った。
「この前はありがとうね。有意義な話し合いができて、私も満足よ。」
「私も満足してますよ。」
「出産はいつだっけ?」
「今、十六週くらいなんで、あと半年後くらいですね。」
「今から待ち遠しいわ。早く後継ぎの顔が見たい。」
「いや、無理ですね。」
「は?」
「お母さん、逮捕されますから。」
義母の顔が強張った。私はバッグからスマホを取り出して見せた。
「この間のレストランでの話し合いを録音してました。」
「何を…?」
「『子供を交換してくれたら五百万出す。交換しないなら無理やりにでも奪い取る。それができる社会的地位とお金がある』って。あれ、あなたが言った言葉ですよ。ついでに、子供の交換に関する契約書も渡してくれましたよね。」
「それが何よ。」
「日本では、というか法治国家において、人間の売買は禁止されてます。提案した時点で罪に問われるんですよ。」
「そんなバカな。」
「ついでに脅迫罪も適用されます。子供を奪えると名言しましたよね。録音にもLINEにも残ってます。咲さんのほうも、未遂とはいえ合意してますから、逮捕されるでしょうね。」
「あいつのことはどうでもいいわよ。」
「よくありませんよ。お母さんも合意してるんですから。」
「え?」
「複数人への人身売買の提案、一方への同意、私への脅迫。警察の話では、全部合わせて懲役五年は堅いそうです。」
「ちょっと待って。今、警察って言った?」
「もう通報してあります。証拠も全部渡しました。」
義母は机に手をついて立ち上がった。
「私が捕まったら、この会社は株価暴落で終わりよ。つい先日、社長が辞任したばかりなんだから。」
「お母さんの代で終わりですね。ご先祖様方も、ぶち切れてるでしょうね。」
「ふざけてる場合じゃないわ。今すぐ取り下げなさい。」
「できません。お母さんが社会にいることが怖いからです。」
「怖い?」
「私の息子を付け狙ってる人がいるんです。恐怖でしかありませんから、排除します。」
「排除って…やめてよ。」
「やめませんよ。自分の子供のためなら、何だってします。」
「どうして…どうしてこうなったの…」
「教えてあげましょうか? お母さんが感情的なバカ女だったからですよ。経営者は理論的に考えられないと務まりません。感情的なだけでは、こうして道を踏み外すんです。」
「…あんたに言われるなんて、いい勉強になったわ。」
「まあ、この学びを生かす機会は、一生来ないでしょうけどね。」
その後、義母と咲さんは逮捕された。咲さんは懲役三年、義母は懲役七年。ニュースにも大きく取り上げられ、義母の会社は株価が暴落した。年也は社長辞任後も一応、会社に席は残っていたが、息子の不祥事とその後の混乱で四面楚歌。会社は倒産し、義母と年也は巨額の借金を背負った。咲さんの子供は、咲さんの両親が引き取ることになった。
私は、この事件から約半年後に女の子を出産した。生まれたばかりの娘を連れて実家へ帰り、両親と家族四人で暮らしている。
自分のことだけを考えて、他の誰かを利用して、利用されて。その果てに辿り着いたのが、あの人たちの末路だった。
私はそうならないように。娘がそんな人生を歩まないように。この経験を、しっかりと学びに変えて、伝えていこうと思う。
