「旅行当日にごめんね。あんたの高級車、バットでボコボコにしといたわ。これで旅行に行けないでしょ。あんたが来なくて嬉しい。ざまあみろ」
電話の向こうで、義姉の舞が勝ち誇った声をあげた。けれど、私はまったく心当たりがなかった。
「え、お姉さん、何の話ですか? 私、車なんて持ってませんが」
「は? 嘘つかないでよ。この前の親戚の集まりでも運転してたじゃない。今だって空港に向かって運転してるんでしょ」
「今は夫と電車で空港に向かってます。車は持っていません。この前のは父の車を借りていただけです」
「え、マジで? じゃあ、私が壊したのは……誰の車?」
「ボコボコにしたって言ってましたけど、いったいどこでやったんですか?」
「あんたの家の駐車場だと思ったのよ。昨日酔ってて、よく覚えてないけど」
私はため息をついた。おそらく、あれは父の車だ。父は車が趣味で、何台も所有している。
「きっとパパの車よ。パパも高級車持ってるでしょ?」
「ええ、借りる車はいつもいい車ですよ。たまに自分で洗車もしてますし。でも、何台も壊したって言うんですか?」
「1台のつもりだったんだけど、酔っ払っててふらついちゃって、もう1台ガラスを割っちゃったんだよね」
「何台も壊したのか。それ、いくらなんでもやりすぎですよ。パパが許しても、さすがに……」
「大丈夫よ。昔、パパの50万円の花瓶を割った時も許してもらえたし。パパは私には甘いから」
「さすがにそれは……。それに、そもそも車が壊れてたかしら」
その頃、空港では父が電話をかけてきていた。
「とみちゃん、もう着いたかい? すまないね。私だけ別行動で」
「いいんですよ。お父さんと一緒に暮らしてますけど、昨日は親戚の集まりで泊まってましたし。私のスケジュールミスで法事と旅行が続いてしまって、すみません」
「立て続けで大変なのはお父さんの方でしょ。娘に気を使わせてしまって」
「いやいや、爺は酒を飲んで話をするだけで済むから、楽なものだよ。ところで、とみちゃん。実はちょっとまずいことがあってね」
「まずいことですか?」
数分後、私は父に舞の話を伝えた。すると父は軽く笑った。
「なるほど。どうやら舞は、とみちゃんの車と勘違いして壊したらしいね。とみちゃんに被害がなくてよかった」
「でも、これどうしますか? やってることは明確な器物破損ですよ」
「しかし君に被害はないんだ。娘のしたことだから、許してくれないか?」
「でも、お父さん。被害がなくても、他人の財産を壊したことは犯罪ですよ」
「まあまあ、娘のことだから大目に見てくれ。どうせ壊したのは私の車なんだろ?」
「本人はそう思ってますけど、酔っててよく覚えてないって言ってるんです。それに、そんな状態なら、別のものを壊してるかもしれませんよ」
「もしそうだとしても、ご近所さんとは仲がいいし、私が誠心誠意謝るさ」
「私が被害者じゃなくても、重大な犯罪を、娘だからってかばうんですね」
「とみちゃんも大切だが、やっぱり実の娘の方が可愛いんだ。分かってくれるだろ?」
「私も、娘だって家族だって言ってくれたじゃないですか」
「ああ、とみちゃんは大切なお嫁さんだよ。でも、血のつながった娘とは違うからね。とみちゃんには悪いが、やっぱり実の娘の方が心配になってしまうんだ」
「何ですか、それ? 結局、血のつながりが全てなんですね。家族というのは、嘘だったんですか?」
「そんなことないよ。とみちゃんも家族だ。ただ、実の娘とは愛情の質が違うだけで」
「愛情の質が違う……。少なくとも今回のことは、舞さんが私に悪意を向けてやったことです。それを笑って許せって。つまり、私には我慢しろってことでしょ?」
「そこまで言うつもりはないが、やっぱり実の娘の方が大事なのは事実だ。とみちゃんには申し訳ないが、親の本音なんだよ」
「どんなに頑張っても、実の娘には叶わないということですね」
「まあ、そうかもしれんが、とみちゃんにはとみちゃんの良さがあるじゃないか。それに、舞を許してくれれば、俺もとみちゃんには感謝するよ」
「分かりました。施設育ちの私がどれだけ努力しても、血のつながりには勝てないんですね。一緒にいる時間も舞さんの方が長い。よそ者は、比べ物にもならないですよね」
「とみちゃん……」
「お父さんも知ってますよね。私が舞さんから嫌がらせを受けてたの。親戚の集まりでは無視されるし、物を壊されたり、目の前で罵倒されたり。でも私はずっと耐えてきました。我慢してきたのは、家族だから。家族になりたいから。娘と言ってくれたお父さんを悲しませたくなかったからです」
「君が我慢してくれていたのは知ってるよ。私からも言っておくから。それでいいだろう」
「もう十分、分かりました。お父さんにとって、私は所詮他人なんですね。血のつながった娘の犯罪をかばうために、私に我慢を強いる。そんなの、家族じゃないです」
「そんなことはない。家族に決まった形はないだろう。私たちには私たちの形があるはずだ」
「もういいです。疲れました。夫とも話し合って、今引き返してます。旅行には参加しません。お父さんとお姉さんで楽しんでください」
「とみちゃん、そんなことを言わないでくれ」
「家族旅行なのに、家族じゃない人が参加するのはおかしいでしょ。血のつながった本当の家族だけで楽しんでください」
「でも……」
「私も家のものを整理したかったので、ちょうどいいです。大掃除もしたかったんです。お父さんたちがいない間に片付けておきます」
「そんなことをしなくてもいいじゃないか。本当に一緒に来てくれないのかい?」
「はい。お父さんと舞さんの親子水入らずで楽しんでください。私は遠慮させていただきます」
「そうか。うん。分かった。でも、帰ってきたらちゃんと話そう」
旅行から戻った父は、家に誰もいないことに気がついた。そこへ夕方、私と夫が買い物から帰ってきた。
「お帰りなさい、お父さん。今、夫と必要なものを買いに行ってました。ですので、車を借りてます」
「車ね。ああ、舞が壊したやつか。まあ、凹んでても走行には問題ないだろうね」
「はい。全く走行には問題ありません」
「しかし、車がボコボコじゃ見栄えが悪いから、後でディーラーに持っていくか」
「怒らないんですね」
「舞には旅行中、注意をしておいたよ。反省してたし、これからはとみさんとも仲良くすると約束してくれた」
「そうですか」
「旅行から帰る時に昼は済ませてあるんだ。だから、とみさんたちも好きなものを食べておいで」
その夜、私は夫と新しい携帯電話を買いに出かけ、何時間も帰らなかった。父が呆れていると、私は言った。
「すみません。夫婦でこれを機に携帯を変えようって。今、窓口で手続きをしてるんです」
「携帯の手続きは時間がかかるね。私もこの前変えた時に2時間くらいかかったよ。それならゆっくりしておいで」
「すみません。夕飯までには帰ります」
「いいよ、いいよ。それより帰りは気をつけて。隣の家に今、すごいパトカーが止まってるんだ。大勢の警察官も来てるし。泥棒でも入ったのかね」
「へえ。隣の家に警察が入るようなことがあったんですね。そういえば、ここ最近パトカーをよく見ます」
「だろうね。ちょっと騒がしくなってるよ」
「それはそれは。でも、私には関係のないことです」
「それはそうだが、ご近所だし気になるだろう。後で様子を見てみるよ」
数時間後、携帯電話の手続きを終えて帰宅すると、舞が青ざめた顔で待っていた。
「やばい。マジでやばいことになってるの。ちょっと、パパの車って壊れてたよね?」
「何ですか? 突然」
「いいから答えて。パパの車は壊れてたんでしょ?」
「いいえ。綺麗な状態でしたよ。走行もなくて、今日は買い物で使わせてもらいました」
「そんな……そんなことって」
「ああ、今気づきました。舞さんが壊したのが、お父さんの車じゃなかったってことですね」
「さっき警察が来たのよ。防犯カメラに私が映ってて。このままじゃ不法侵入と器物損壊で逮捕だって」
「そりゃ、それだけのことをしたんですから」
「私はちゃんとタクシーに住所を教えたのよ。家を間違えるはずなんて……」
「実家とはいえ、お父さんは私たちと同居するためにこの新居に引っ越してきました。つまり、この家はあなたの実家ではない。外観とかあまり覚えてなかったのでしょ。この辺り、みんな同じような家ですし」
「それはそうだけど……」
「住所だって、ちゃんと覚えてなかったのでは? この前、別の人の家に、あなたがお父さんに送った年賀状が届いてましたし」
「そんな……」
「マジで、今、やばいの。逮捕されたくなかったら、修理費を払えって言われたんだけど。損害額は合計1000万円とか言われて、こんなの払えない」
「え、良かったじゃないですか」
「は? 何が良いのよ」
「だって、お金さえ払えば逮捕は免れるってことでしょ? 勝手に家に入られた挙句、愛車を壊されたのに、それで許してくれるなんて。隣さん、神様みたいに優しいじゃないですか」
「それはそうなんだけど……。そんな高い車だと思わなかったの。ただの嫌がらせのつもりだったのに」
「と言われても、私は知りませんよ」
数時間後、舞は土下座のような勢いで私にすがりついてきた。
「お願い。お金を貸して。このままじゃやばいの」
「そりゃ、犯罪歴がついたら、この先まともに生きていけませんもんね」
「それだけじゃないのよ。夫から離婚を言い渡されたの。犯罪者の妻とこの先生きていくのは無理だ。子供もいないし、お前とはやっていけないって」
「まあ、普通そうなるでしょうね。これまた不幸中の幸いというべきですか? お子さんがいないので、養育費で揉めなくて済んでよかったですね」
「お願いします。助けてください。頼れるの、あんたとパパしかいないのよ」
「なら、そのパパに頼めばいいじゃないですか。私に頼むのって、ちょっとバカすぎでは?」
「え?」
「どうせ私には、いくらお金を出させても両親が痛まないから頼んでるんですよね」
「それはその……」
「ふざけんじゃないわよ。そもそも今回の件は、あんたがしょうもない嫌がらせをしようとしたからでしょ」
「ちょっとした出来心だったのよ」
「1000万円の損害が、ちょっとした出来心で済むと思ってるんですか。そう思えないから、旦那さんに見限られたんでしょ?」
「旦那も出てって、連絡も取れないの。お願い、なんとかして」
その同じ夜、舞は父にも同じように泣きついていた。
「パパ、助けて。夫に離婚されて、住むところもないの」
「離婚だって?」
「そうなのよ。犯罪者とは一緒に暮らせないって。ひどいわ。私が大変なのに。家は彼の名義だから、今すぐ出て行けって」
「そうか。そんなことでは、若い女性を家から追い出すなんて、いくらなんでもやりすぎだろ。このままじゃホームレスになっちゃう」
「パパの家においでよ。まだ部屋も余ってる」
「でも、とみさんがいるんじゃ……」
「私の部屋には、とみさんも勝手に入ってこない。だからバレないさ。安心しなさい」
「ありがとう、パパ」
「当然だ。娘を見捨てるなんてできるわけないだろう」
数日後、父は舞に頭を下げていた。
「舞。すまない。あと数日したら、出て行ってくれ」
「なんで? 家に置いてくれるんじゃなかったの?」
「近所にお前をかくまっていることがバレたんだ。そのせいで、近所で完全に孤立してしまって。今日なんて、近所を散歩してたら陰口が聞こえたよ。犯罪者の父親、甘やかしすぎた結果、って」
「でも、パパなら何とかできるでしょう?」
「いや、もう無理だ。私だってご近所付き合いは大切にしてきた。でも今じゃ、買い物に行ってもみんな避けて通るし、挨拶も無視される。村八分にされた気分だ」
「そんなの、気にしないで。私のために頑張ってよ」
「舞。お前のせいで、私の人生もめちゃくちゃだ。すまない。でも、私にも生活がある。お金だって、自分が暮らしていくのでやっとだ」
「パパ、まさか。そんなお金なら、パパの車を売ったらいいじゃない。家にある金目のものを売ったら、少しは足しになるでしょ」
「1000万円なんて集められない。それに、家にあるものは私が一生懸命稼いで、やっとの思いで買ったものだ。それを売れと言うのか」
「だって、そこまで大きな被害だとは思わなかったの」
「もう縁を切らせてもらう。そうしないと、今後、私の立場が危ないんだ」
「え、嘘でしょ? パパが私を見捨てるわけない」
「私だって人間だ。これ以上は無理だよ」
「お願い、パパ。見捨てないで。頼れるのはパパだけなの」
「もう決めたんだ。すぐには追い出さないが、できる限り早く出て行ってくれ」
「そんな……パパだけは味方だって信じてたのに」
「すまんな、舞。でも私にも生活があるんだ」
舞が家から出て行った後、私は静かに言った。
「あんたのせいで、何もかもめちゃくちゃよ」
「私のせい? お父さんに追い出されたからって、逆切れしないでくれます? まあ、自業自得ですけどね」
「うるさい。とにかく、あんたのせいなの。他人のくせに旅行に来るとか言って、私をイライラさせたから」
「ふざけないでください。私があなたに何をしたって言うんですか?」
「だって、あんたがいなければ、こんなことには……」
「結婚してからずっと、あなたの一方的な嫌がらせに耐えてきたんですよ。嫌がらせじゃないわよ。ちょっと注意しただけ」
「へえ、注意。結婚式では『施設育ちのくせに』って、散々言ったでしょう。それは親戚の集まりでも、私だけ仲間外れにして。夫婦の記念日にまで文句をつけて、父の前で『言い嫁』って罵倒して。私が何か悪いことをしましたか? あなたに嫌がらせなんてしてませんし、関わらないようにしてたのに。そっちから絡んできて」
「それは……そんなつもりじゃ……」
「あなたが勝手に私を敵視して、勝手にイライラして、勝手に犯罪を犯しただけでしょ。それを私のせいにするなんて、最低です。今まで家族の輪を保つために我慢してきましたが、もう限界です。あなたのような人と家族だなんて、考えただけでも吐き気がします」
「そこまで言う? 私だって、施設育ちのあんたを家族だと思いたくなかったのよ。それなのに、パパと同居して甘い汁を吸ってるのが、気持ち悪いのよ。寄生虫だから駆除しようとしたのに」
「でも、今回、駆除されるのはあなたの方ですね。自己破産者になって、借金まみれですからね。自己破産がつけば、世間からは白い目で見られます。仕事だって、定職につけない可能性の方が高い。それを回避するには、1000万円の借金。ああ、聞きましたけど、1000万円は最低限払うお金で、示談金は追加で500万円でしたっけ? 低賃金で働いて、一生借金人生、終わりですね」
「そんな……人生、嫌……」
「お願いだから、助けて。もう誰も味方がいないのよ」
「知りませんよ。自業自得でしょ。パパにも見捨てられて、本当にどうしたらいいのよ。借金しても、逮捕されても、困るのはあなたです」
「施設育ちの私でも、あなたよりまともに生きてます。血のつながりがあっても、人を思いやれない人は家族じゃありません。家族でもない人を助ける理由はないので」
「お願い、もう反省してるから」
「反省してるのなら、1000万円を払ってから言ってください。そんなお金ないのよ」
「一生かけて償ってください。『旅行に行けないね』って私に言いましたけど、結局どこにも行けなくなったのはあなたの方でしたね」
舞が去った後、父が私を呼び止めた。
「とみちゃん、考え直してくれ。いきなり家を出ていくなど……」
「血のつながりがない私たちは、家族じゃないんですよね。なら、他人同士、適切な距離を保ちましょう」
「そんなことを言わないでくれ。家族だろう? 私は君を娘と思ってるんだ」
「そう言いながら、実の娘をかくまってましたよね。被害者の私と同じ屋根の下で。それだけでも、私より舞さんが大切なことはよく分かります」
「それは……」
「それに、今さら家族扱いですか? 私は施設で育ちました。ずっと本当の家族に憧れてきましたよ。だから、お父さんが家族だと言ってくれた時、初めて居場所ができたと思ったんです。でも、結局、実の娘が犯罪を犯しても『娘のしたことだから』で済まされて、私には我慢を求める。実の娘の方が可愛い。血のつながった娘とは違うって、はっきり言われましたよね」
「それは……」
「血のつながりがない私は、どこまで行っても家族にはなれないんですよね。もう、十分分かりました。なら、私ももう家族として我慢する必要はありませんね。これからは、他人として適切に対処させていただきます」
「待ってくれ。とみちゃんがいないと、生活が回らないんだ。家事も全部やってもらってるし、買い物も……」
「それは私が家族だと思って、やってきたことです。今さら困ると言われても知りません。それに、困る理由が自分の生活を守るため、っていうのは……お父さんは私を便利な家政婦だと思ってたんですね」
「そんなつもりじゃ……」
「舞さんには何も求めなかったのに、私には家事も介護も当然だと思ってた。違いますか?」
「それは……」
「結局、私は家族として受け入れられなかった。大切な家族だから耐えてきましたが、これからは私を家族だと思ってくれる大切な人と暮らします。ですので、もう二度と連絡しないでください。私たちはもう、他人ですから」
その後、舞は1000万円の損害賠償により自己破産者となり、社会復帰も困難になった。離婚により住む場所も失い、父からも縁を切られた。結局、家も追い出された舞は、今はボロアパートで質素に暮らし、1日1食を雇いのお給料でしのいでいるという。服も満足に買えない様子だ。
父もまた、娘を追い出した挙句、さらに印象が悪くなり、近所から孤立した。生活もままならず、何日も洗濯物がたまり、見苦しい姿になっていたと聞く。
私は夫と二人で、静かに暮らしている。この世界には、実の家族なのにうまくいかない人たちも大勢いる。家族は血のつながりよりも、おもいやりが必要だ。だからこそ、私はこれからは人を思い合って、家族以上の絆を築いていきたいと思う。
