来月から母さんの金はこっちで管理する。通帳も全部渡してもらうからな。
弟夫婦が母に媚びを売っていることは知っていた。だが、まさかここまで話が進んでいたとは思わなかった。今まで支えてきた私を、弟夫婦と一緒になって貶める母を見て、私は静かに心を決めた。望み通り、全てを彼らに任せよう。私は何も悟られないように、平然とした顔で頷いた。
私の名前は松川京子。若くして結婚し、娘と息子の子育てを終えた四十七歳の今は、夫と二人で暮らしている。楽しみといえば、近所のパン屋が毎月出す季節の新商品を買うことくらいで、あとは毎日会社に行って家に帰って家事をする生活だ。それでも仕事は嫌いじゃなかった。三年後に幼子を保育園に入れて働き始めた私は、小さい会社ながら部長職に抜擢されるまでになった。
住まいは二LDKのマンションで、新しくはないが夫婦が暮らすには不自由ない設備が揃っている。子供たちの独立後に住居をサイズダウンしようと引っ越した物件は、手頃な家賃が魅力的だった。そして何より、この物件に決めた一番の理由は、私の実家に近いことだ。四年前に父を亡くし、実家には母が一人で住んでいる。夫が何かあった時にすぐ駆けつけられる距離の方がいいだろうと、今のマンションを選んだのだ。
私は母のことがあまり好きではないが、やはり置いていく親を支えるのは長女である自分の責任だと思い、家を出た後もこまめに実家に顔を出している。母は昔から厳しい人で、父の稼ぎは悪くなかったのに小さな贅沢も許さなかった。子供の時はそれが嫌で嫌で、どうしてみんな持っているのに自分だけ買ってもらえないのかと泣いた記憶ばかりが残っている。私は常に母から「女らしく、慎ましく」と言われ、食事の量を減らされたり、何でもお下がりをもらってきたりと、質素な生活を強いられてきた。
それでも育ててもらった恩は感じているし、母を嫌っているかと言えば、そうではない。人の心は簡単に割り切れるものではないということだ。母は父のことが大好きだったので、父が亡くなってからの気落ちがひどく、私は以前にも増して実家に顔を出すようになった。負担に感じることはあるが、一人残った母の世話をすることは当然だと納得できている。しばらくは塞ぎ込んでいた母だったが、今ではすっかり元気を取り戻し、以前と変わらない生活を送れるようになった。
そんな母の最近の関心は、弟の嫁のようだ。弟の年則は車で二十分ほどの隣町に住んでいる。妻と高校生の息子の三人家族で、弟嫁のかすみさんは短時間のパート。息子は県外の高校で寮生活を送っているそうだ。具体的に聞いたことはないが、きっと年則は稼ぎがいいのだろう。母は近所の人を捕まえては年則の自慢をしていて、よく顔を出している私と合わせて、ご近所さんたちは「姉の方が甲斐性があるのに」と言う。しかし母は、女の身で夫と同じかそれ以上に稼いでいる私のことは気に入らない。
兄弟の扱いには明らかに差があって、子供の誕生祝いから入学祝いまで我が家には一切なしで、年則の家庭にだけ渡してきた。別に慣れたものだし構わないが、今までもらうものだけもらって両親にノータッチだった弟夫婦が、最近になって頻繁に母に連絡を寄越すようになり、私には困ったことがある。母がかすみさんに「教子の子供たちはこうだった」とありもしない話をしているようで、「本当ですか」と度々聞かれるようになったのだ。子供たちが大学生の間は私が家事をしに通っていたとか、アルバイトばかりで単位がギリギリだったとか、かすみさんの口から実態と違う話が出るたびに、いちいち訂正しなければならないのが煩わしい。
母は勘違いなのか、悪意を持って捏造しているのか、うちの子供たちを貶める話ばかりしているようだ。私が何度「事実と違うことを話さないでくれ」と頼んでも、母はあまり深刻には受け取ってくれなかった。
ある日、珍しいことに年則から私に電話がかかってきた。要件は母の経済状況を尋ねるもので、私は少し身構える。年則の口からは、母の年金がいくら出ているのかや貯金はいくらあるのかなど、具体的な質問ばかりが私に投げかけられた。私はなぜそんなことを聞くのかと理由を尋ねたが、年則はぐらかしてばかりで答えない。そのくせ、私には質問に答えるまで話は終わらないと言わんばかりの口調だ。
「なあ、母さん、結構ためだろ。それに親父の保険も出てるはずだよな。」
年則は明らかに母の財産を当てにしている物言いで、私は直感的に警戒した。何かあったのか、どういうつもりなのかは分からないが、用心するに越したことはないだろう。母のためにも、決して真実は話せない。私は年則から何を聞かれても「個人情報だから」と言って答えなかった。
「姉さんがお金の管理してるんだろ?何か言えない理由でもあるの?」
年則の言う通り、母の通帳は私が管理していて、母には小遣い込みの生活費を十日分ずつに分けて手渡ししている。母は「手間になるから月に一度まとめて渡してくれればいい」なんて冗談を言ったりもするが、もう二年近くこのやり方でやってきた。年則は母からその話を聞いたそうで「心配している」という口ぶりだが、あまりにしつこい。そこで私は、たとえ介護が必要になろうとも年則に金銭負担を強いることはないと断言した。今まで通り母のことは私が何とかするし、兄弟の心配なら完全に遮断するつもりだ。後から母にかかった費用を請求するなんて真似はしないと、心配する必要がないことを告げる。
さらに年則は「母は最近うっかりや物忘れがあるし、もう誰かが代わりにお金の管理をしなければならないのだ」と自身の正当性を主張した。しかし私の説明を聞いた年則は、私が今のうちに母のお金を使い切ろうとしていると誤解したらしい。この電話を境に、年則はあからさまに母に取り入ろうとするようになった。
妻のかすみさんと二人で変わる変わる実家に顔を出し、やれ旅行の土産だ、やれ何だと母に食べ物を差し入れる。「困っていることはないか」「行きたいところはないか」と、私からすれば露骨な財産目当ての擦り寄りにしか見えなかった。しかし当の母はまんざらでもない様子で、近所の人たちに「息子夫婦がよくしてくれる」と自慢している。急に財産を気にしたり媚を売ったりし始めた年則は気になるが、母は嬉しそうだし、何より様子を見に行ってくれるのはありがたい。この時の私は、自分がしっかりしていれば大丈夫だと思い込んでいた。
ある休日、家事を片付けてリビングでのんびりしていた私は、やっとパジャマから着替えたばかりの夫に大きな声で名前を呼ばれた。夫は寝室で充電されたままだった私の携帯を持ってきて、電話が鳴っていたと教えてくれる。どうやら母からだったようで、「出てくれればよかったのに」と思いながら私は電話をかけ直した。本当はLINEかメールで要件を送ってくれれば助かるのだが、小さな画面に文字を入力するのは面倒らしい。すぐに出た母は外にいるのか、普段よりも大きな声で早口だ。私に今から駅のあちら側にあるお店に来て欲しいというのだが、指定されたのはおしゃれなイタリアンの店だ。
母にしては珍しい店を選んだなと思いながら了承し、私は夫に昼食は好きなものを食べてくれと伝えて家を出る。母は少し前にもフラッと店に入ったら財布を忘れていたと連絡してきたことがあるので、きっと今回もそんなことだろう。とにかく私が休みの日で良かったと思いながら店へと向かった。
しかし、用事は私が想像していたものとは違うらしい。母は年則とかすみさんと一緒だったのだ。私が席に着くと三人はニコニコしていて、なんだか嫌な雰囲気を感じる。促されるがままに料理を注文し、ある程度食事が進んだところで私の不安は的中した。
「姉さんさ、母さんのこと、いじめてるんだろ。」
突然何を言い出すのかと思えば、年則だけではなく母とかすみさんまで真剣な顔で私を見ている。私は状況が飲み込めなくて、ただ聞き返すことしかできなかった。「え?何?私が母さんをいじめてる?」
年則はやれやれとでも言いたげな顔をしてフォークを置くと、母から聞いた話だとして喋り始める。最初に挙げたのは、母が買ったホームベーカリーを「無駄だ」と言ったこと。母は父を亡くしてから買い物のハードルが下がって、気になったものやいつか使うかもしれないものを買いたがるようになった。父の前ではしっかり者の妻であったからこそ、今になって何かが解放されてしまったのだろうか。年則は続いて、私が健康のためだと言って母の通院に車を出すのを渋ること。一日一回などと子供の小遣いのようなお金の渡し方をすることなど、つらつらと例を挙げていった。
私にとってはそれら全てが正当な理由があっての行動で、中には母の勘違いも含まれている。しかし年則の横に座る母は、完全に被害者面で私を悪者だと罵った。
「まさか娘にこんなひどいことをされるなんて。この子は母さんをいじめて楽しんでるんだよ。」
年則の方を向いて訴えかけるように言う母を見て、私は耐えきれず深いため息をついた。母は私の苦労も心配も分かっているはずだと思っていたが、買いかぶりだったのか。そんな私の心情など気にもしていない母は、「優しい弟夫婦が同居しようと誘ってくれたのだ」と嬉しそうに報告する。私はそこまで話が進んでいたのかと驚いて年則の顔を見たが、年則は得意げな顔で頷き、母がさらに言葉を続ける。
「もちろん遺産は全部年則たちに渡すからね。私にはそれくらいしかできないけど。」
私はその言葉にぎょっとしたが、どうやら母は本気で言っているらしい。年則はニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべた。
「来月から母さんの金はこっちで管理する。通帳も全部渡してもらうからな。」
「もうお姉さんの好きにはさせませんよ。」
遺産には直接関係のないかすみさんが口を挟むと、母と年則も同調して私への総攻撃が始まった。内容は先ほどと変わらず、私がいかにひどい娘であるかという誹謗や、母のお金を私物化しているという根拠のない誹謗中傷が続く。三人から一方的に罵られていたが、特に傷つきはしなかった。ふと幼い頃からの母の厳しい態度や最近の面倒を思い出し、ただ責任感だけで母の面倒を見てきた私は、すっと心が軽くなる。もう私が我慢する必要はないのかと、肩の荷が降りた気分だ。
それから私は三人の言い分を受け入れて、母と母の財産を全て弟夫婦に任せることにした。すでに色々と決まっていたようで話はどんどん進み、翌月には年則たちが実家に引っ越してくるらしい。母の財産が入った通帳は、最後の生活費と一緒に母に預けた。
あれから一か月余りが経った頃、私は自分でも忙しくしていたところに一本の電話がかかってきた。年則の名前が映る画面を見て「そういえばまだ連絡先を消していなかったな」と思いながら携帯を耳に当てた途端、大きな声が響く。
「姉さん!母さんの金はどこにやったんだ?」
電話口の年則は大慌てだ。母の通帳にほとんどお金が入っていないと叫び、そればかりか借金まであるじゃないかと詰め寄った。全てを知っている私は深くため息をつく。これこそが、私がお金の話を年則に隠し続けた理由だった。
実は母は、年則が思っているような人ではない。嫌な言い方だが、目先のお金が大好きなタイプで、父の生命保険さえ掛け金を惜しんで解約するような、後先考えない貯金マニアだった。昔は本人でなくとも手続きができたらしく、保険は早い段階で解約してしまい、父に黙って掛け金を拝借してへそくりに回していたらしい。だから父の没後も保険なんて一銭も出ていない。幼い頃から私に「姉はしっかりしなさい」と言って質素すぎる生活をさせ、その分で浮いたお金は全て母の懐へ入る。
しかし、そうして貯めたお金がどうして通帳に残っていないのか。一言で言うなれば、はしごが外れてしまったからだ。元々母が貯金していた一番の理由は、父のいなくなった後にお金に困りたくないという気持ちからだった。それが節約生活の中でいつの間にか歪んでいって、「これでようやく自由にお金が使える」と解放された気分になったらしい。母はすぐに羽振りが良くなり、それを見た友人から「父の年金がなくなって減った年金を補える」というビジネスに誘われた。それは友人や知人に商品を紹介すると自分も儲かるという、よくある商法で、結果は言わずもがな。ここで世の中にそんなうまい話はないと気づけば、少々貯金を減らすくらいで済んだのに、その後も母は「お金が増える」と聞いては様々なことに手を出した。しまいには「長い目で見れば絶対に儲かる」と言われてアパート投資に手を出したが、共同経営するはずだった人が資金を持って雲隠れしてしまう。
私が気づいたのはこの頃で、父が亡くなってからわずか二年での出来事だった。母は父の遺産を含めた財産を全て失い、数百万の借金を負ったと、涙を流しながら私に打ち明ける。それでも「年則に心配はかけたくないから」と黙っているように頼まれたのだ。そんな状況でも母はどうしても家を売るのは嫌だと言い張り、破産ができない。古いがそれなりに利便性のいい土地に立つ実家は、資産価値があるとされてしまったからだ。私はなんとか借金を片付けながらやっていたが、何しろ最近まで大学生を抱えて教育費に家計が圧迫されていた家庭だ。まだ借金の完済には至っていない。
私が順序立てて母のお金事情を説明すると、真実を知った年則は信じられないようだった。電話からは、かすみさんと一緒に母を問い詰める声が聞こえる。しかし母は「そういえばそんなこともあった」と悪びれもしない返事だ。
「俺は姉さんが使ったのかって聞いたよな。そうだって答えたんだろ。」
母は年則に「私のせいでお金がないのか」と聞かれて、よく考えもせずに「そうだ」と答えていたらしい。年則は「本当に金はないのか」と母に怒っている。
母のお金を当てにしていたことは知っているが、あまりにも必死だと思ったら、なんと年則は会社が倒産して就職活動中だという。そして生活費や来年に迫った息子の大学進学費用を、母の財産で何とかしてもらおうと思っていたらしい。「せっかく無職になったから、しばらくはゆっくりしたいと思っていた」と聞いて、私はあ然とした。年則はかすみさんにも「母が何とかする」と大口を叩いていたようで、あちらでは夫婦喧嘩が勃発している。すると年則はとんでもないことを言い出した。
「今までは姉さんが金を出してたんだろ。じゃあこれからも頼むよ。」
年金で足りない生活費は私が負担していたと知って、それならばこちらで母の面倒を見るのだから、代わりに金を負担しろと迫る。呆れた私ははっきりと年則を突き離した。
「遺産は全部あんたのだって言ったよね。負の遺産もご遠慮なくどうぞ。」
今回の同居話が出た時に私は「今後弟夫婦に全て任せて、母の財産には関与しません」と一筆書かされている。家計も面倒も押し付けたのは向こうなのだから、私は堂々と見捨てていいはずだ。それに年則が同居するのだから、もう母の様子を見に行く必要もないと思って、私たちも引っ越しを決めたので、今後は住所も教えるつもりはない。
「姉さん」だの「何だ」だのと叫んでいる三人を無視して、私は電話を切って着信拒否に設定した。これで完全に私は解放されたのだ。
その後、仲の良かった親戚経由で年則の助けを求められたが、きっぱりと拒否した。どうやら母はさらに物忘れがひどくなり、認知症と診断されたものの、施設の空きもお金もないので自宅介護状態らしい。かすみさんは自分の実家に帰ろうとしたが、年則が「一人だけ逃げるつもりか」と激怒して、あるものをかすみさんの親族に送り付けた。それは今回の財産を狙った計画をかすみさんが音声として録音していたデータだ。それも、ターゲットがうちの母なのか向こうの実家なのか分からないように編集されたものだったらしい。
かすみさんは実家から縁を切られ、今も年則と一緒に父が残した家で、近所の噂話に耐えながら暮らしている。最近は息子が「奨学金を借りて大学に行く」と言い出し、再就職したものの給料が下がった年則と、パートでしか働く気がないかすみさんは、必死になって息子に就職を勧めているそうだ。
私は交通の便がいい地域に引っ越し、夫婦それぞれの職場や子供たちの家にも行きやすい場所に住んでいる。母を支えている間は夫にも随分協力してもらったので、これからは夫婦二人で自分たちの人生をもっと楽しんで生きるつもりだ。
