「ババー、赤ちゃんに触らないでください。」
山陰の病室。生まれたばかりの孫を抱かせてもらおうと、私がそっと手を伸ばしたその瞬間だった。私の手は空中で止まった。
「お母さん、不潔なんですよ。赤ちゃんに何かあったら責任取れるんですか?」
嫁の里子の冷たい声に、私はただ立ち尽くすしかなかった。その横で息子の順也が笑いながら言った。
「出産直後だから神経質になってるんだよ。ババー、受け流せよ」
母親が嫁から侮辱されているのに、それを笑いながら軽く流す。息子は私の気持ちなど、まるで理解しようとしなかった。病室では、嫁の母親が赤ん坊を抱いて微笑んでいた。私は孫に触れることさえ許されなかった。込み上げてくる涙を、私は必死にこらえた。
家に帰り、私は嫁から言われた言葉を反芻していた。
私は江藤春江、五十八歳。息子が結婚すると聞いた時、この家で一緒に住もうと提案した。新居を探す金もかかるし、家賃を払うより一緒に住んだ方が楽だと思ったからだ。そうして息子夫婦は私の家で同居することになった。
引っ越してきた初日、嫁の里子はバッグから除菌スプレーを取り出して家中を拭き始めた。そしてペットボトルの水をちびちびと飲んでいた。私が出した茶には手をつけず、手持ちのウエットティッシュで何度も椅子を拭いてから、ようやく腰を下ろした。
「お口に合うかわからないけど」
私が差し出した手作りの煮物に、里子は「あ、ダイエット中なんで」とだけ言って手をつけず、顔をしかめた。
「すみません。私、こういう古い家って苦手で。湿気とかカビの匂いがして気分が悪くなるんです」
そう言って里子はまた除菌スプレーを吹きかけた。息子の順也はその様子を見ても何も言わなかった。母親の家を侮辱されても、妻に同調するだけだった。
ある日、家の中で嫁が息子に話している声が聞こえてきた。
「お母さんの家って古くない? カビとかダニとかいそうだし、赤ちゃんに良くないよね。お母さん不衛生だから、赤ちゃんが病気になったら嫌だし」
嫁のSNSには、嫁の実家でくつろぐ写真が並ぶ。「お母さん来てくれてありがとう」「お母さんが一番安心できる場所」。私が孫に会いたいと言っても、息子の順也は「里子の体調が安定したら」「もう少し落ち着いたら」と曖昧な返事ばかりだった。いつも里子の都合が優先され、私の気持ちなどどこかへ置き去りにされた。
やがて私は何も言わなくなった。同居しているのに、孫に一切触れさせてくれない。おむつ替えもミルクをあげることも、全て許されなかった。
息子夫婦は家賃も生活費も一切入れず、全ての家事を私に押し付けた。掃除、洗濯、料理、買い物。全て私がやっていた。嫁の里子は週三日、一日午前中の三時間しか働いていなかった。それ以外は遊びに行ったり実家に行ったりしているだけだった。それなのに、家事の手伝いも感謝の言葉も一切なかった。
「お母さん、ベビーカーと哺乳瓶クッション買ってきてくださいね。こっちで選ぶ暇がないからお母さんにお願いします」
「あ、沐浴用のベビーバスも早めにお願いします。安っぽい中国製のものとかやめてくださいね」
スマホの画面に次々と届くメッセージ。当然のように要求する内容ばかり。まるで私が里子の召使いであるかのような命令口調だった。
「分かったわ。調べておくね」
そう返していたが、里子から「ありがとう」という言葉は一度も返ってこなかった。当然のように次から次へと要求だけが続いた。
出産祝いって、どれくらいが相場なんだろう。そう悩みながらも、私は高級ベビー服を一式買い揃え、バスタオルも注文した。なのに、嫁から返ってきた言葉はこうだった。
「実家の方で全部揃えてもらいました。こっちで選んだブランドじゃないと合わないかもしれないので、もういりません」
結局、私が選んだものは全て未開封のまま押入れに眠っている。心を込めて選び、相場も分からないながら調べて買ったもの。それがたった一言で「もういりません」と突き返された。嫁からのメッセージは次第に「お願い」ではなく「指示」に変わっていった。
ある日、私のスマホに嫁のSNS投稿が表示された。
「お母さんありがとう。出産の時ずっとそばにいてくれて心強かったよ」
隣には小さな赤ちゃんと、優しく見守る嫁の実母が映っていた。「お母さん」と呼ばれる存在は一人で十分なのか。自分はその中に入っていないのだと、突きつけられたようだった。
息子の順也からのLINEも届いていた。
「母さん、また里子の具合が落ち着いたら」
里子の体調、里子の都合、里子のことばかり。私のことなど頭の片隅にもない。
もう誰かのために生きるのはやめよう。
そう決めた私の最初の行動は、証拠を集めることだった。保存していたLINEの記録を整理した。嫁からの指示的なメッセージ。感謝の言葉一つないやり取り。そして、嫁が私を「汚い」「不衛生」と発言した録音もきちんと保存してあった。
そして、新しい住まいを探した。新しい住まいは、駅前のマンションだった。
ちょうどその頃、順也からLINEが届いた。
「お母さん、半年間旅行に行ってくるね。里子の両親と地球一周旅行に参加するから」
申し訳なさそうでもなく、真剣に考えている様子もない。軽い態度だった。家族旅行にも誘われることも、相談されることもなかった。私のことなんて本当に考えていないんだと、改めて思った。
その間に私は新しい住まいへの引っ越しを完了させ、家を賃貸に出した。
半年後、息子夫婦が旅行から帰ってくると、すぐに私の携帯に電話がかかってきた。息子の順也からだった。
「母さん、家に帰ったら他の人が住んでいて、どういうことだよ」
私は静かに答えた。
「家は賃貸に出したの。もうそこに住む必要がなくなったから」
嫁の里子が怒り狂った様子で電話を代わる。
「ちょっとどういうことですか? 家を賃貸に出したって、勝手に決めたんですか?」
私は静かに答えた。
「私の家よ。どうするのも自由でしょう」
「でも私たちはここに住んでたんですよ。急に追い出されたらどこに行けばいいんですか?」
私はあえて笑って答えた。
「あなた、本当に自分勝手ね。『ババー』って呼んで、召使いのように扱ったのは誰? 孫に一切触れさせなかったのは?」
電話の向こうから、嫁の息が詰まる音が聞こえた。
「あれは出産したばかりで気が動転して、神経質になっていたんです」
「出産直後の大変さは私もよく理解してる。でも、言っていいことと言ってはいけないことがあるでしょう」
そう言って、私は静かに電話を切った。
それから二週間後、私は親族全員にこれまでのことを話した。叔父や叔母たち、みんなに息子夫婦が私をどう扱ってきたかを話した。嫁の里子が「ババー」と呼び、「汚い」「不衛生」と発言したこと。息子の順也が私が侮辱されても笑いながら軽く扱い、私の気持ちなどまるで理解しようとしなかったこと。同居していたのに孫を一切触れさせてくれなかったこと。家賃も生活費も一切入れず、全ての家事を私に押し付けたこと。感謝の言葉一つないLINEの記録。そして、要求されたベビーグッズを心を込めて選んで買ったのに「もういらない」と言われ、無駄になったこと。家族旅行にも誘われなかったこと。全てを静かに話した。
離婚から一か月後、親族から聞いた話では、息子の順也と嫁の里子が親族からも責められ、近所の評判も完全に悪くなったという。息子は職場でも「母親を利用し続けて守らなかった最低な人間」と噂が広まり、同僚からも距離を置かれ、孤立しているらしい。仕事の話も立ち消えになり、いつ首を切られるか分からない状況だという。
嫁の里子の実家も大変なことになっている。里子の母親が順也と里子がやっていたことを注意しなかったことで、実家の父親の周りにも噂が広まり、父親は「俺は何もしていないのに、お前たちのせいで評判を落とした」と激怒し、離婚したという。
里子は順也の収入だけでは生活が立ち行かず、経済的に完全に追い詰められているらしい。突然家を追い出されたことで住む場所もなく、高額な敷金・礼金を用意するお金もない。借金も重なり、生活保護を申請する寸前だという。
息子の順也と嫁の里子は「お母さんのせいだ」と言っているらしい。私はただ真実を伝えただけだ。そもそも、息子夫婦が私にそんな扱いをしなかったら、こんなことにならなかったわけだ。なのに人のせいにして責任転嫁している。救いがない。
息子夫婦はまさに地獄のどん底に落ちていた。
その後、息子の順也からのメッセージが何度も届いた。
「母さん、合わせて車のローンの返済が厳しくて生活が苦しいんだ」
「里子の両親も離婚してもう頼る場所がないんだ。助けてくれ」
反省の色一つなく、変わらず要求だけは続ける。私は返信しなかった。
それから二か月後、私は新しい生活に慣れていた。新しいマンションでの生活は静かで穏やかだった。私は自分のペースで自分の人生を歩いていた。新しい場所での新しい生活。静かな充実感が胸の奥に広がっていく。穏やかな風が新しい住まいの窓を通り抜けていった。
誰かのために生きるのをやめて、自分のために生きる。それは裏切りでも冷たさでもない。もしあなたが今、同じような境遇に立っていたら、知っておいてほしい。自分を守るために境界線を引く勇気があっていい。年齢に関係なく、自分の人生を取り戻すことはできる。私が五十八歳で新しい人生を始めたように、あなたにもできる。
