母さん、今年のお正月はうちで過ごさせてあげようか。そう電話で言ったら、あ、結構です、と即答された。え、可愛い息子と嫁に会いたくないの?と聞くと、あのね、言葉遣いも礼儀も知らない人たちに味付けから家の広さまで何から何まで文句を言われるのはごめんだわ、と母は言った。なんてひどい親なの、信じられない、と僕は思った。数日後、嫁の直美から聞いたんだが、帰ると言っているのに母が渋っているらしい。直美の要…

母さん、今年のお正月はうちで過ごさせてあげようか。そう電話で言ったら、あ、結構です、と即答された。え、可愛い息子と嫁に会いたくないの?と聞くと、あのね、言葉遣いも礼儀も知らない人たちに味付けから家の広さまで何から何まで文句を言われるのはごめんだわ、と母は言った。なんてひどい親なの、信じられない、と僕は思った。数日後、嫁の直美から聞いたんだが、帰ると言っているのに母が渋っているらしい。直美の要...

母さん、今年のお正月はうちで過ごさせてあげようか。

あ、結構です。

可愛い息子と嫁に会いたくないの?

あのね、言葉遣いも礼儀も知らない人たちに、味付けから家の広さまで何から何まで文句を言われるのはごめんだわ。

なんてひどい親なの。信じられない。

今年は直美さんの実家で過ごすんじゃなかったの?

うちの両親はお正月はハワイに行くんだって。

一緒に行けばよかったのに。

置いて行かれたんでしょ?暇してるんでしょ?

そうね。でも今年は夫と二人で静かに過ごすつもりなの。

年寄り二人だけじゃ新聞読むだけだろう。若いうちがいて盛り上げてやるからさ。

うちはミシュランなんか取ってないわよ。

そんなのいらないって。ふざけないで、ちゃんと接待しなさいよ。

急に言われても無理よ。とりあえず条件だけ言っておくわ。

私、寒いのは無理だから、暖房はガンガンでよろしく。貸し布団もいいやつを置いておいて。あと、布団は古いのは不潔だから新品を買っておいて。

それから料理はこだわってよね。松坂牛と特大のタラバガニはマスト。わかった?

やった。まとめて請求書を送ればいいのよね。

は?なんでこっちが払うのよ。

だって、そんなものを揃えるお金なんてうちにないもの。

貧乏すぎるんでしょ。若くて最先端を生きてる私たちと触れ合えるんだから、それくらい投資だと思って頑張りなさいよ。

投資先くらい自分たちで決めたいわ。

蒼太もたまには親孝行したいって言ってるのよ。息子の気持ちを無駄にする気?

まあ、息子が帰りたいって言うなら仕方ないけど、できればやめてほしいわね。

なんてひどい親なんだ。夫に言いつけてやる。

数日後。

母さん、直美から聞いたぞ。帰るって言ってるのに、なんで渋るんだよ。

直美さんの要求がひどすぎるからよ。

直美は実家が金持ちなんだから、少しは向こうのレベルに合わせろよ。

でも松坂牛に新品の布団なんて、うちにそんな余裕はないわ。

出し惜しみするなよ。将来俺たちに介護してもらうんだろう。直美に見捨てられても知らないぞ。

いつ、誰が、あなたたちに介護を頼んだの?

そうやって強がってられるのも今のうちだぞ。いずれ泣きついてくるのは目に見えてるんだから。

あなたも結婚して変わったわね。そんなことを言う子じゃなかったのに。

嫁の機嫌がいいのが一番だって母さんが言ったんだろ。

まあ、確かにそうだけど。

だったら奮発してくれよ。

おせちは毎年お父さんの好きなものだけ私が作ってるから。それでいいでしょ。

そんな安物で満足するわけないだろう。

とにかく直美の機嫌を損ねないでくれ。親なら息子の幸せを一番に考えろよ。

あなたの幸せって、親に無理をさせることなの?

長年暮らしてきたんだから、隠し持ってる金くらいあるだろう。

そんなものがあれば、もっと贅沢してるわよ。

借金でもして、ちゃんと持てなせてくれよ。

お父さんと相談してみるわ。

翌日。

親父、正月に帰る前に確認したいんだが。

和室の金庫ってまだあるよな。

あるけど、それがどうした?

暗証番号を教えてくれ。

はあ?

年の初めから金の話で揉めたくないから先に言っておくが、生前贈与してほしいんだ。

勝手なことを言うな。

俺、知ってるんだぜ。母さんに黙って、あの中にへそくりをためてただろ。

お前には関係ない話だ。

どっちみち全部、俺が相続するんだから。だったら今のうちに前渡ししても同じだろう。俺が働いて、俺が貯めた金だ。

それが目的なら、正月は帰ってくるんだな。

いやいや、冗談だよ。はあ。親の元気な顔が見たいだけだって。金庫とか遺産とか金とか、そういうのには興味ないから。

なんだ、お前は。意味がわからん。

じゃあ、来週楽しみにしてるよ。

数分後。

今、蒼太から変な連絡が来たぞ。

私にも来たわ。嫁の満足する料理を出せって。

俺には金庫の暗証番号を聞いてきた。

はあ?なんでそんなこと聞くのよ。

あいつら、金に困ってるんじゃないか。

まさか、金目当てで帰省するってこと?

俺はそう思ってるよ。あの嫁の要求もおかしいだろう。実家が金持ちなら、普段からいいものを食ってるだろうし。

だからって、うちに来たって隠し財産なんてないわよ。大した金品だってないし。

金庫って言ったって、飾りみたいに置いてあるだけでしょ。

いや、それが、実はあるんだ。

何が金よ。

お父様から相続した遺産のことだ。

あれなら三百万くらいだったじゃない。

実はその金を投資に回してたんだ。

あら、そんなことしてたの?

それが、驚くほど増えてしまったんだよ。

そんな話、聞いてないわよ。

あえて言わなかったんだ。

どうして?夫婦で隠し事しないって約束でしょ。

お前の夢だったクルーズ旅行を手配して驚かせたかったんだよ。サプライズってやつをやってみたかったんだ。

やだ、もう。でも、なんで今言っちゃうのよ。

家中を探されたら、通帳や座金のパスワードを見つけられるかもしれないだろう。

確かに。家以外に隠すと言っても、そんな場所ないわね。

あ、いや、それがある。

何?

金庫だよ。ドラマで見たことあるだろう。年間一万ちょっとで借りられるらしい。

意外と安いのね。

ああ。だから今日、銀行に行くって言ったんだ。

そうだったのね。……じゃあ、あの子たちはどうするつもり?

罠を仕掛ける。

何をする気?大丈夫なの?

心配は要らない。

ちょっと電気屋にも寄るから遅くなるよ。

お正月に、何を買うつもり?

まあ、ちょっとな。

なんだか気が重い年末年始になりそうね。

心配するな。もし何もしなければ、正月は無事に終わるだけだ。

確かにそうね。ただ、裏切ったらその時は容赦しないわよ。

わかった。君がそう言うなら、見守ろう。

この正月が、蒼太との最後の正月になるかもしれないわね。

ゆっくりする予定だったのに、飛んだ正月になりそうだな。

だな。でも、あの嫁の態度には、私も我慢の限界だったんだ。本性を暴いて、縁が切れるなら、それでいいよ。

まあ、どうなるか見物だな。

正月当日。

あれ?食事の支度はできたけど、どこか出かけるの?

お母さん、ごめん。出かけることにしたの。

どうしてよ?おせちを開けようと思ったのに。

なんでおせちが二つもあるの?

一つは私が作って、もう一つは夫が買ってきてくれたの。四人じゃ足りないだろうからって。

あ、そう。……食べないの?

あれを私が食べるの?笑わせないでよ。

どういう意味?

あんな地味なおせち、誰が喜ぶのよ。イラついたから、二つとも庭にぶちまけておいたわ。

はあ?嘘でしょ?

カラスが喜ぶわね。

よかったじゃない。

やだ、本当に捨ててる。なんてことするの?……食べもしないで判断するなんて。

見ただけでわかるわよ。それより、今から寿司屋に向かってるから。

あ、あなたたち、一体何しに帰ってきたの?

食べるものがないんだから仕方ないでしょう。貧乏人の飯で口を汚したくないの。

お正月だって言うのに、最低の気分よ。

それはこっちのセリフよ。

三十分後、高級寿司屋に到着。

やっぱり本物は違うわね。ネタが新鮮で、全部おいしいわ。

お正月に開いてる店なんてあったの?

……それはちょっと大げさじゃない?

何がよ。ああいう安物の料理を出されても、誰も喜ばないわよ。私たちはもっと上のものを見て生きてるんだから。

それを聞いて、母は何も言わなかった。代わりに、黙ってバッグからスマートフォンを取り出した。

何、その態度?

いや、何でもないわ。ただ、今日のことは忘れないでおこうと思っただけ。

はあ?意味わかんない。

いいのよ、気にしないで。さあ、食べましょう。

その夜、家に帰ってきた息子夫婦。

おかえりなさい。楽しかった?

悪くはなかったわね。まあ、あんたたちにはわからないでしょうけど。

そう。それで、お年玉は?蒼太から聞いてるわよ。

は?

金庫の話よ。お父さんからもらったっていう遺産。私たちにも分け前があってもいいと思うの。

あのな、それは俺が相続したものだ。お前たちにくれるつもりはない。

何よ、ケチね。どうせ独り身で死ぬんだから、持ってても仕方ないでしょう。

……母さん。

蒼太が口を開いた。

もういい。こんな家、二度と来ない。

何?

正月から気分が悪いわ。行くわよ、蒼太。

ああ。……父さん、母さん、長生きしてくれよ。金はないけどな。

そう言って、息子夫婦は去っていった。

母は、玄関の扉が閉まるのをじっと見つめていた。

……よかったの?

父が静かに尋ねた。

ああ。これでようやく、縁が切れるわ。

母は、そう言って冷たく笑った。長年抱えてきた不安が、ようやく消えたような気がした。

ただな、母は続けた。

あの金庫の中に何が入ってるのか、あの子たちは知らないんだろうな。

ああ。開けてがっかりするがいいさ。こっちには何もないんだからな。

その夜、父は玄関の鍵を二つ締め、母は家の中の金のありかを全て確認した。息子がまた来ることはないだろう。来たところで、もう誰も開けてやらない。

正月が終わり、静かな日常が戻ってきた。母は思う。あの子が、あんな人間になっても、それでも育てたのは自分たちなのだと。そして、その報いがこれなのだと。

しかし、それでもいいと思えた。これからは、夫婦二人だけで静かに生きていく。それで十分だった。

家は静かで、暖かかった。

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