金曜の夜、ソファでくつろいでいたら、同期の親友から電話が鳴った。出た瞬間、甘えた声で「私の代わりに働いてくれてありがとう」と。でもその声の奥に、違和感があった。旦那の看病で休むと言っていたのに、周りの空気はどこか冷たくて。私は一人で彼女の仕事を全部引き受け、毎日終電まで残業していた。なのに、一週間も既読無視。ようやく繋がった電話の向こうで、彼女は笑いながら言った。「実はね、今ハワイにいるんだ…

金曜の夜、ソファでくつろいでいたら、同期の親友から電話が鳴った。出た瞬間、甘えた声で「私の代わりに働いてくれてありがとう」と。でもその声の奥に、違和感があった。旦那の看病で休むと言っていたのに、周りの空気はどこか冷たくて。私は一人で彼女の仕事を全部引き受け、毎日終電まで残業していた。なのに、一週間も既読無視。ようやく繋がった電話の向こうで、彼女は笑いながら言った。「実はね、今ハワイにいるんだ...

「み、私の代わりに働いてくれてありがとう。あなたが私の仕事を引き継いでくれたおかげで、思う存分気兼ねなく休めるわ」

やっと返事が来た。同期だからって甘えすぎじゃない? 休み中だったんだから仕方ないじゃない? だからって一週間も無視する?

「ごめん、ごめん。電源を切ってて気づかなかったの」

「いきなり『旦那の看病のため休みます』って言うから、真矢の仕事を私が全部変わってあげたのよ。何か言うことはないの?」

「ごめんってば。幼なじみのよしみで許してよ。てか、何かあったの? やっぱり私がいないと大変?」

「大丈夫。真矢がいなくても仕事は回せるから。そんなことより、今どこにいるの? いつお見舞いに行ってもいないし。おばさんも真矢と連絡が取れなくて心配してたよ」

「あらら、いないのバレちゃったか。実はね、今ハワイにいるんだ。ショッピングモールで買い物してるところ」

「は? 旦那さんが病気で大変な時に、何やってるの?」

「ごめん。でもさ、こうでもしなきゃ休めないじゃん。ほら、普段から家事と仕事の両立でしょ。プラス、旦那が入院して色々と大変なんだから。休みたかったなら、素直にそう言えばよかったじゃない。休みは権利なんだから、真矢が休んだって誰も止めないよ」

「みんな口に出さないだけでしょ」

「そこはみんな大人だからね。思う人は思うんじゃない?」

「でも、『旦那の看病のため』って言えば、誰も悪い顔しないし、私の株も上がるでしょ」

「今、私の中で真矢の株はだだ下がりだけどね」

「長年の付き合いなんだから、今更気にしないでしょ。そんなことより、私が今誰といると思う?」

「いや、知らないよ」

「親友だから言うけど、私、彼氏と一緒にいるの」

「え、待って。真矢、既婚者だよね。相手はその…知ってるの?」

「知ってる、知ってる。てか、美春の知り合いだよ」

「まさか部長じゃないよね。仲良さそうだったけど」

「何言ってるの。誰があんなおじさん相手にするもんですか」

「じゃあ誰なの? 悪いことは言わないから、やめときなよ」

「じゃあ、クイズね。私たちより二つ年上で、身長は百七十五センチぐらい。髪型はちょっと長めの黒髪で、センター分けのパーマ。さあ、誰だ? ここで大ヒント。美春の大事な人だよ」

「まさか……太くんじゃないよね」

「正解。よく分かったね。まあ、分かるか。だって美春の旦那さんだもんね」

「太と一緒にいるってどういうこと? 太からは出張って聞いてたけど」

「ごめんね。実は取引先で出会って仲良くなって。美春の結婚式で顔を知ってたから、そのまま付き合っちゃった」

「つまり、親友の夫と知っていながら手を出したってわけ?」

「別にいいでしょ。あなたの夫と私、相性最高なの」

「気持ち悪いこと言わないで。ハワイで何してるの?」

「ハワイの高級ホテルで、二人で過ごしてます」

「親友の夫に手を出すなんて、親友のやることじゃないよ」

「ごめんね。親友だから好みも似てたのよ」

「それ、浮気していい理由にならないから。あとね、今そんなことしてる場合じゃないよ。旦那さん、危ないって。早く日本に帰って、旦那さんに会いに行ってあげて」

「人の命を利用して、そんな嘘をつくなんて最低」

「旦那さんの病気を利用して、『看病』と嘘をついて長期休暇を取った真矢に言われたくないわ」

「嘘じゃないし。出国前にちゃんと旦那の顔を見に行ったもん」

「それ、ただのお見舞いじゃない? その時は元気だったんでしょ。美春が嘘をついてるんじゃないの?」

「真矢の前では元気なふりをしてたんじゃない? 旦那さんを支えもせず、浮気旅行に行くなんて、妻として最低だよ。真矢に旦那さんはもったいないわね」

「それこそ、浮気された美春には言われたくないわ。親友に寝取られた美春の方が、妻として失格でしょ」

「美春、『あっちの方は満足できない』って言ってたよ」

「それだけで結婚生活が成り立つと思ってるの?」

「でも、破綻してるじゃん。最近、太の出張が多いなって思わなかった?」

「人の夫に手を出したからには、覚悟できてるんだよね」

「何の覚悟よ?」

「慶太と真矢に慰謝料を請求します」

「やってみれば? 太は私のことを愛してるから、全額余裕で払ってくれるはずよ」

「じゃあ、私が伝えるべきことは伝えたから。あとは自分の責任だからね」

「はい、はい。わざわざどうも。じゃあね」

五分後。

「おばさん、真矢と連絡が取れましたよ」

「娘は無事?」

「とりあえず、今はハワイにいるそうです」

「なんでそんなところに?」

「言いにくいんですけど、私の夫と旅行してるみたいで」

「どういうこと? なんで人様の旦那さんと旅行してるの?」

「つまり、浮気ですね。前から関係を持っていたみたいです」

「なんてこと……美春、本当にごめんなさい。こんなに迷惑をかけてしまって」

「そんな、おばさんには昔からお世話になってますから」

「それはこっちのセリフよ。美春、本当にごめんなさいね。あの子、昔から借りるだけ借りて返さなかったでしょ。鉛筆やらリップクリームやら」

「もういいんです。貸してしまった私も悪いので」

「本当にごめんなさいね」

「そんな、その度に新品で返してくれたじゃないですか。おばさんは悪くないです。だから謝らないでください」

「ありがとう……全く、『人のものを取ってはダメよ』ってあれほど厳しく教えたのに。どうしてこんなことに」

「私も、ちゃんと真矢のことを把握しておくべきでしたね」

「うん。私が悪いのよ。高校も大学も、ましてや職場なんて、真似してついていくとは思わなかった。もっときつく『やめなさい』って言えばよかった。いや、縛るべきだったかしら」

「おばさんがそこまで責任を感じる必要はないですよ」

「とにかく、真矢に連絡してみるわね」

「はい。お願いします」

五時間後、今度は真矢が突然電話をかけてきた。

「み春、ちょっと聞いてよ! お母さんがうるさくてさ。『いつまで遊んでるの』って」

「遊んでる? 真矢、旦那さんの看病のためって言って休んでたんじゃないの? 今どこにいるの?」

「……ハワイ」

「はあ? 本当に? 看病は?」

「それがさ、旦那、全然元気なのよ。入院すらしてなくて。ただの出張なのに、『看病』って言ってつけ込んだってわけ」

「じゃあ、嘘だったんだ。旦那さん、病気じゃなかったんだ」

「そういうこと。まあ、せっかく休めたからいいけど。てか、み春も本当に信じた? 私がそんなに尽くす女に見える?」

「……真矢、お前、それはいくら何でも酷すぎるよ。私、お前の仕事を全部引き継いで、毎日残業して。おばさんも心配してたんだぞ」

「ごめんごめん。じゃあ、お詫びに何か買ってあげようか? ハワイなら安いし」

「いらないよ。それより、ちゃんとおばさんに謝れよ」

「分かってるって。あ、もう切るね。向こうで友達が待ってるから」

そう言って、一方的に電話を切られた。美春はただ呆れるしかなかった。

そこから三日後、美春は職場で信じられない知らせを受ける。

「み春さん、知ってます? 真矢さん、旦那さんと別れるんだって」

「は? 別れる? なんで?」

「それが、旦那さんの方が出張先で知り合った女性と付き合ってるらしくて。真矢さん、『あっちが悪い』って言って慰謝料請求するんだって」

美春は思わず笑ってしまった。真矢がハワイで浮気をしていたこと、そして自分の夫も浮気をしていたこと。お互いに隠していたことを、お互いに知らなかったのだ。

「……因果応報ってやつだな」

美春はそう呟いて、目の前の仕事を再開した。もう真矢のために何かをしてやることはない。昔のように、困ったら泣きついてくる友達は、もういないのだ。

数週間後、美春はコンビニで買い物をしていると、見覚えのある女性が目に入った。真矢だ。それも、見知らぬ男性と腕を組んでいる。

「真矢?」

「あ、み春。久しぶり。あんたも元気そうじゃん」

「……旦那さんとは、結局」

「ああ、別れたよ。慰謝料ががっぽり入って、今は好きにやってるの。こっちは今の彼。ね?」

男性が軽く会釈する。美春は何と言っていいのか分からず、無言のまま彼らを見つめた。

「み春もさ、ちゃんと考えた方がいいよ。あちこちに手を出してないで、そろそろ落ち着いたら?」

「何言ってるの? 私は何も……」

「隠さなくてもいいよ。会社の人から聞いたんだ。最近、複数の男と遊んでるんだって? ほら、そういうの、やめなよ」

「は? 誰からそんな……」

「あれ? 違うの? じゃあ、ごめん、人違いだったわ。あ、そうだ。ついでに言っとくけど、うちの母さん、あんたのことを『いい娘』って褒めてたよ。あんたが私の仕事をフォローしてくれてるって。まあ、あんたが真面目ぶってるだけで、実際は違うけどね」

真矢はそう言って、高笑いしながら男性と去っていった。美春はしばらくその場に立ち尽くしていたが、やがてため息をついて、家路についた。

もう二度と、あの女のために何かをすることはない。裏切られた親友、壊れた信頼、失った時間。美春は、その全部に決着をつけるべく、ゆっくりと前を向いた。

それからの美春は、仕事に打ち込んだ。無理に笑うことも、真矢の代わりを務めることもない。ただ静かに、自分の道を進んでいった。

時々、真矢が関係した出来事を思い出す。だが、もう悲しみも怒りもなかった。あるのは、ただの虚しさだった。

「もう、あの人のことは忘れよう」

美春は心の中でそう呟き、今日もまた、静かに一日を終えるのだった。

完。

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