式の直前、私は陣痛の痛みで携帯を握りしめていた。「おい、早く来いよ。妊婦だからって言い訳はなしだぞ」という夫のLINEに、私は必死に「陣痛かもしれない。病院に行きたい」と返した。なのに返ってきたのは「便秘かよ。こんな時にやめろよな」という言葉。臨月の私のお腹は、いつ生まれてもおかしくない状態だった。それでも夫も義母も「今日は妹の結婚式が最優先」と聞く耳を持たず、しまいには「来ないなら離婚だか…

式の直前、私は陣痛の痛みで携帯を握りしめていた。「おい、早く来いよ。妊婦だからって言い訳はなしだぞ」という夫のLINEに、私は必死に「陣痛かもしれない。病院に行きたい」と返した。なのに返ってきたのは「便秘かよ。こんな時にやめろよな」という言葉。臨月の私のお腹は、いつ生まれてもおかしくない状態だった。それでも夫も義母も「今日は妹の結婚式が最優先」と聞く耳を持たず、しまいには「来ないなら離婚だか...

「おい、早く妹の式場に来いよ。妊婦だからって言い訳はなしだぞ。もう安定期なんだし、きびきび動けっての」

「いや、安定期どころか臨月なんだけど」

「ああ、でも安定期には変わりないだろう」

「いつ生まれてもおかしくないのよ。今だってお腹が痛くて」

「はあ。便秘かよ。こんな時にやめろよな」

「違うわ。そういう痛みじゃないの。これ、多分陣痛かもしれない。そうじゃなくても病院に行かないと」

「なんだよそれ」

「うん。けどまあ、通っても仕方ないか」

「だから陣痛かもって言ってるでしょ。予定日はまだ先じゃないか。ちょっとお腹痛いからって、何でも陣痛ってするなよ」

「なんですって?赤ちゃんがいるのよ。少しのことでも不安になるのは仕方ないじゃない」

「はいはい。分かった。分かった。なら結婚式が終わり次第、病院に連れて行ってやるから、保険証持って来いよ」

「はい。今なんて。だから病院に送ってくれるって?」

「いや、その前よ。式の後に結婚式には参加しろってこと?」

「そうだよ。何驚いてんだ。今日は妹の結婚式なんだし、参加するのは当たり前だろう。ただの腹痛でドタキャンとか、非常識なことするなよな」

「だから陣痛かもしれないって言ってるでしょ」

「そんなの医者じゃないのになんで分かるんだよ。お前だって出産は初めてなんだし、腹痛と陣痛の区別なんて分からないだろう」

「あなたよりは分かるわよ。当事者なんだし。それに痛む箇所が違うんだから、間違えないわよ」

「ああ。うっざ。大体、LINEだって打ててるんだろ。元気だろ。さっさと来いよな」

「信じられない。お腹のこのことより結婚式を優先するなんて」

同時刻。

「みささん、今日は娘の大事な結婚式なの。絶対に遅刻しないでね。あの子は優しく言ってるけど、家族の結婚式に遅刻だなんて、そんな恥ずかしいことしないでちょうだい。つらよごしよ」

「お母さん、健太から何も聞いてないんですか?」

「何もって、何のこと?」

「実は陣痛の兆候があって。だから病院に行こうと思ってます」

「ちょっと待って。まだ予定日まで1週間あるでしょ。気のせいじゃないの?」

「でも本当に痛くて。それに臨月ならいつ生まれてもおかしくないですよね。もし陣痛じゃなかったら、それはそれで診てもらわないと」

「今日は娘の結婚式が最優先なの。陣痛くらいで大騒ぎしないでちょうだい。全く」

「はい」

「とにかく、絶対に来てね。お腹が大きいなら、多少無理しても大丈夫でしょ」

「待ってください。お母さんまでそんなこと言うんですか?」

「あなたも母親になるなら、子供の恥になるようなことしないこと。生まれてきた子に『あなたのお母さんはお腹が痛くて無駄に騒いで、人の気を引こうとしたの。だから大事な結婚式に遅刻した、恥ずかしい人よ』なんて言われたくないでしょ」

10分後。

「健太、やっぱり無理。赤ちゃんのことが最優先よ。病院に行くわ。お母さんにはうまく説明しておいて」

「はあ。陣痛ごときで妹の結婚式欠席とか、ふざけんの?」

「陣痛ごときって。お腹の赤ちゃんが心配なのよ。あなた、父親でしょ。家族が大事じゃないの?」

「赤ちゃんなんてまだ生まれてないだろう。それなら今いる妹の式の方が大事なんだよ。お前がいないと俺の立場がないんだ。嫁の席が空いてるとか、恥ずかしいだろう」

「そう。結局は自分のことしか考えてないわけね。私は私とお腹の子が最優先よ。あなたたちなんてもう知らない。許可なんて取ろうとした私が間違いだったわ」

同時刻。

「お母さん、やっぱりお腹の痛みが止まらない。陣痛だと思う」

「大丈夫。すぐ行くわ。今向かってるの」

「それで、旦那さんは?」

「あいつ、結婚式に来いの一点張りだった。自分のことしか考えてない」

「そう。やはりね。みさ、これで決心はついたでしょう」

「ついたよ。元々ついてたけど。でも、生まれるってなったら、少しはこの子のことを考えてくれるんじゃないかって、そんな淡い期待を持ってしまった私がバカだったわ。けど、おかげですっきりしたの。すっきり。もうあいつらに何の情も必要ないって。最低な人達だって分かったから」

「みさ、少し耐えられる?お母さん、今向かってるけど、まだ到着に時間がかかりそうなの」

「大丈夫。待ってる。最悪、救急車って手もあるから、絶対に無理しないで」

同時刻。

「みさ、まだ来てないの?式まであと少しなのよ。早くして」

「すみません。体調が本当に悪いんです」

「欠席します」

「欠席?ふざけないで。娘の結婚式よ。家族なんだから出席するのは当然でしょ」

「でも陣痛が来てるんです」

「陣痛くらいで休むなんて甘えよ。私なんて2人産んだけど、そんなに大騒ぎしたことないわ。息子の稼ぎで生活させてもらってるんだから、家族のために尽くすのは当然でしょ。今すぐ準備して」

「もう何を言っても無駄ですね」

同時刻。

「おい、いつまで待たせるんだよ。式が始まっちまうだろう。しつこい。いい加減にしろっての。この流れ、さすがに見飽きてきたわ。バカの一つ覚えで、恋だのなんだの、うるさいのよ」

「はあ。なんだと?俺の稼ぎで食わせてやってるんだ。こんな時くらい協力しろよ」

「あなたの稼ぎで笑わせないでくれない?もう何を話しても無駄。病院に行くわ」

「病院には絶対に行かないからな。ふざけんなよ。いいのか、そんなことして。来ないなら離婚だからな」

「離婚?それ本気なわけ?」

「当たり前だろ。妻として家族の大事な日に協力しないなんて最低だ。お前なんかいらない。離婚して慰謝料も払わせるからな」

「そう。分かった。じゃあ行くけど、覚悟してね」

「当たり前だ。早く来い。ここまで言われないと来ないなんて、どんな神経してんだよ」

同時刻。

「もう本当に頭に来た。お母さん、今こっちに来てるのよね」

「え?え?もうすぐ着くわ」

「それならお母さんは式場に行って欲しいの。私の代わりに。多分、このまま病院に行っても、あの調子だと健太たちが病院に来るかもしれない。それを止めて欲しいの」

「え、でもみさ、一人で出産なんて大丈夫?」

「タクシー呼んだし、実は今病院に向かってる。あいつらには『動けない』って大げさに言っといたけど、それでも来いとか言ったのよ。あいつらの顔なんて見たくもないから、病院に来られても迷惑。お母さん、あいつらを病院に来れなくしてほしい。そのための準備はずっとしてたから」

「分かった。あなたがそこまで言うなら。ごめんね。でも、本当に一人で大丈夫かしら?」

「そこは大丈夫。弁護士の先生にも連絡したの。お母さん一人だけだと、何したらいいか分からないから」

「準備がいいわね。頼もしいわ」

「なんかね、お腹の子を守らないとって思ったら、すごく冷静に色々考えられたわ。それがあの子の母親という生き物よ」

「じゃあ、すぐに式場へ向かうわ。でも何かあったらすぐに連絡して」

「ありがとう。あとは任せたよ。こっちも頑張るから」

20分後。

「おい、どうなってんだよ。お前の母親が来たぞ。お前は来るって言ったくせに来ないとか、約束破るなよ」

「まあまあ、健太。みさは体調が優れないのよ。私が代理で出席するわ」

「はあ?代理?そんなの認められるかよ。俺の嫁が来ないで、どうすんだよ。お袋、何とか言ってくれよ」

「そうよ、お義母さん。みさが来ないなんて、式が台無しよ。あの子、いつもそうなのよ。周りのこと考えないで、自分勝手なんだから」

「自分の結婚式より、娘の体調を優先するのが、何が悪いの?あなたたち、みさがどれだけ辛い思いしてるか、まるで考えてないでしょ」

「辛いだのなんだの、大げさなんだよ。どうせ仮病だろ。俺の立場を考えろって言ってんだよ」

「立場?あなたの立場なんて、どうでもいいわ。みさは今、病院で一人で戦ってるのよ。お母さんとして、これ以上、あなたたちの身勝手に付き合ってられないわ」

「おい、何言って……」

「いい?これ以上、みさに何かしたら、こっちも弁護士通じて、きっちり対応させてもらうから。そのつもりでいて」

「弁護士だあ?ふざけんなよ」

「ふざけてるのは、あなたたちの方よ。さあ、式を始めるわよ。新郎側の席は空いてるけど、やるならやる、やらないなら帰るわ」

その鋭い口調に、流石の健太も義母も言葉を失った。

一方、病院。

「はい、診察の結果ですね。残念ですが、やはり本陣痛です。このままお産が始まります。もう分娩室に案内しますね」

「はあ……ありがとうございます」

「旦那さんには連絡しましたか?」

「いいえ。連絡しなくて結構です」

「そうですか、分かりました。では、ゆっくり頑張りましょう。お母さんになるって、すごいことですから」

「はい。ありがとうございます。……赤ちゃん、会えるのね。楽しみだよ。お母さんはね、あなたのためなら、何だってできるの。もう、誰にも邪魔はさせないからね」

そう言って、みさは静かに分娩室へと進んでいった。

同時刻、式場。

「おい、ちょっと待てよ。これ、どうなってるんだよ。俺の結婚式だぞ。どうしてこうなるんだ」

「健太、落ち着きなさい。みさちゃんが来られないなら、もう始めるしかないでしょ。お母さんも、孫のためにお願いよ」

「……ええ。分かったわ。でも、礼ちゃんは後で許さないから。絶対に」

「おい、お前ら、そろそろ始めるぞ。場が白ける」

「ちょっと、なんであなたが仕切ってるのよ」

「俺の妹の結婚式だからな。まあ、新しい義母さん、これからよろしく頼むわ」

「ええ、こちらこそ。……ったく、とんでもないバカどもだわ」

そして、その後のこと。

数時間後、病院の待合室。

「みさ!大丈夫か!?」

「しっ。声が大きいですよ。奥様は今、分娩室です。無事、産まれそうですね」

「そうか。……あ、あの、奥さんは、俺……じゃなくて、一人で大丈夫ですか?」

「ええ。ちゃんと助産師さんもついてますから。それより、あなたたち、外で騒がないでくださいね。他の患者さんの迷惑ですから」

「……すいません」

「後でいいから。お母さん、ちょっと連絡してもいいか?」

「ええ、何を?」

「いや、こうなったら、もう帰るわ。あのバカ共、絶対に許さないから」

「まあまあ。まずは、無事に産まれるのを祈りましょう」

そして、さらに数時間後。

夜も遅い時間。

「ふう……終わったわ。元気な男の子よ。……本当に、よく頑張ったわ、みさ」

「お母さん……ありがとう」

「いやー、疲れた疲れた。まさか、自分がこんな大芝居を打つことになるとは思わなかったわ」

「ごめんね。無理言って」

「何言ってるの。あんたのためよ。それで、あのバカどもは?」

「さっき、式が終わって、慌てて病院に来たわよ。でも、こっちで面会拒否にしてもらったから、帰ったわよ」

「ふふ。正解ね。……本当に、よく気づいたわね。あのメール、よく気づいた」

「うん。健太があまりにもうるさいから、おかしいと思ったのよ。それで、普段から使ってない携帯を見たら、あの男の浮気相手とのやり取りが、ずっと残ってたんだ。どうやら、私が妊娠して落ち着いてる隙に、好き放題してたらしいのよね」

「……最低ね。で、どうするの?」

「どうするも、こうするも。離婚よ。弁護士にはもう依頼してあるし、慰謝料もきっちり取るわ。それに、証拠もいっぱいあるしね」

「よくやったわ。みさ、あんたは立派な母親になるよ」

「ありがとう。お母さん。……えへへ、それより、ちょっと見て。この子。すごくかわいくない?」

「ああ、こりゃあ、将来モテるわね。ちゃんとおばあちゃんの顔、覚えてるかしら」

「ふふ。もう、お母さんったら」

みさは、腕の中の我が子を抱きしめながら、静かに微笑んだ。

外には、満天の星空が広がっていた。

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