「おい、早く妹の式場に来いよ。妊婦だからって言い訳はなしだぞ。もう安定期なんだし、きびきび動けっての」
「いや、安定期どころか臨月なんだけど」
「ああ、でも安定期には変わりないだろう」
「いつ生まれてもおかしくないのよ。今だってお腹が痛くて」
「はあ。便秘かよ。こんな時にやめろよな」
「違うわ。そういう痛みじゃないの。これ、多分陣痛かもしれない。そうじゃなくても病院に行かないと」
「なんだよそれ」
「うん。けどまあ、通っても仕方ないか」
「だから陣痛かもって言ってるでしょ。予定日はまだ先じゃないか。ちょっとお腹痛いからって、何でも陣痛ってするなよ」
「なんですって?赤ちゃんがいるのよ。少しのことでも不安になるのは仕方ないじゃない」
「はいはい。分かった。分かった。なら結婚式が終わり次第、病院に連れて行ってやるから、保険証持って来いよ」
「はい。今なんて。だから病院に送ってくれるって?」
「いや、その前よ。式の後に結婚式には参加しろってこと?」
「そうだよ。何驚いてんだ。今日は妹の結婚式なんだし、参加するのは当たり前だろう。ただの腹痛でドタキャンとか、非常識なことするなよな」
「だから陣痛かもしれないって言ってるでしょ」
「そんなの医者じゃないのになんで分かるんだよ。お前だって出産は初めてなんだし、腹痛と陣痛の区別なんて分からないだろう」
「あなたよりは分かるわよ。当事者なんだし。それに痛む箇所が違うんだから、間違えないわよ」
「ああ。うっざ。大体、LINEだって打ててるんだろ。元気だろ。さっさと来いよな」
「信じられない。お腹のこのことより結婚式を優先するなんて」
同時刻。
「みささん、今日は娘の大事な結婚式なの。絶対に遅刻しないでね。あの子は優しく言ってるけど、家族の結婚式に遅刻だなんて、そんな恥ずかしいことしないでちょうだい。つらよごしよ」
「お母さん、健太から何も聞いてないんですか?」
「何もって、何のこと?」
「実は陣痛の兆候があって。だから病院に行こうと思ってます」
「ちょっと待って。まだ予定日まで1週間あるでしょ。気のせいじゃないの?」
「でも本当に痛くて。それに臨月ならいつ生まれてもおかしくないですよね。もし陣痛じゃなかったら、それはそれで診てもらわないと」
「今日は娘の結婚式が最優先なの。陣痛くらいで大騒ぎしないでちょうだい。全く」
「はい」
「とにかく、絶対に来てね。お腹が大きいなら、多少無理しても大丈夫でしょ」
「待ってください。お母さんまでそんなこと言うんですか?」
「あなたも母親になるなら、子供の恥になるようなことしないこと。生まれてきた子に『あなたのお母さんはお腹が痛くて無駄に騒いで、人の気を引こうとしたの。だから大事な結婚式に遅刻した、恥ずかしい人よ』なんて言われたくないでしょ」
10分後。
「健太、やっぱり無理。赤ちゃんのことが最優先よ。病院に行くわ。お母さんにはうまく説明しておいて」
「はあ。陣痛ごときで妹の結婚式欠席とか、ふざけんの?」
「陣痛ごときって。お腹の赤ちゃんが心配なのよ。あなた、父親でしょ。家族が大事じゃないの?」
「赤ちゃんなんてまだ生まれてないだろう。それなら今いる妹の式の方が大事なんだよ。お前がいないと俺の立場がないんだ。嫁の席が空いてるとか、恥ずかしいだろう」
「そう。結局は自分のことしか考えてないわけね。私は私とお腹の子が最優先よ。あなたたちなんてもう知らない。許可なんて取ろうとした私が間違いだったわ」
同時刻。
「お母さん、やっぱりお腹の痛みが止まらない。陣痛だと思う」
「大丈夫。すぐ行くわ。今向かってるの」
「それで、旦那さんは?」
「あいつ、結婚式に来いの一点張りだった。自分のことしか考えてない」
「そう。やはりね。みさ、これで決心はついたでしょう」
「ついたよ。元々ついてたけど。でも、生まれるってなったら、少しはこの子のことを考えてくれるんじゃないかって、そんな淡い期待を持ってしまった私がバカだったわ。けど、おかげですっきりしたの。すっきり。もうあいつらに何の情も必要ないって。最低な人達だって分かったから」
「みさ、少し耐えられる?お母さん、今向かってるけど、まだ到着に時間がかかりそうなの」
「大丈夫。待ってる。最悪、救急車って手もあるから、絶対に無理しないで」
同時刻。
「みさ、まだ来てないの?式まであと少しなのよ。早くして」
「すみません。体調が本当に悪いんです」
「欠席します」
「欠席?ふざけないで。娘の結婚式よ。家族なんだから出席するのは当然でしょ」
「でも陣痛が来てるんです」
「陣痛くらいで休むなんて甘えよ。私なんて2人産んだけど、そんなに大騒ぎしたことないわ。息子の稼ぎで生活させてもらってるんだから、家族のために尽くすのは当然でしょ。今すぐ準備して」
「もう何を言っても無駄ですね」
同時刻。
「おい、いつまで待たせるんだよ。式が始まっちまうだろう。しつこい。いい加減にしろっての。この流れ、さすがに見飽きてきたわ。バカの一つ覚えで、恋だのなんだの、うるさいのよ」
「はあ。なんだと?俺の稼ぎで食わせてやってるんだ。こんな時くらい協力しろよ」
「あなたの稼ぎで笑わせないでくれない?もう何を話しても無駄。病院に行くわ」
「病院には絶対に行かないからな。ふざけんなよ。いいのか、そんなことして。来ないなら離婚だからな」
「離婚?それ本気なわけ?」
「当たり前だろ。妻として家族の大事な日に協力しないなんて最低だ。お前なんかいらない。離婚して慰謝料も払わせるからな」
「そう。分かった。じゃあ行くけど、覚悟してね」
「当たり前だ。早く来い。ここまで言われないと来ないなんて、どんな神経してんだよ」
同時刻。
「もう本当に頭に来た。お母さん、今こっちに来てるのよね」
「え?え?もうすぐ着くわ」
「それならお母さんは式場に行って欲しいの。私の代わりに。多分、このまま病院に行っても、あの調子だと健太たちが病院に来るかもしれない。それを止めて欲しいの」
「え、でもみさ、一人で出産なんて大丈夫?」
「タクシー呼んだし、実は今病院に向かってる。あいつらには『動けない』って大げさに言っといたけど、それでも来いとか言ったのよ。あいつらの顔なんて見たくもないから、病院に来られても迷惑。お母さん、あいつらを病院に来れなくしてほしい。そのための準備はずっとしてたから」
「分かった。あなたがそこまで言うなら。ごめんね。でも、本当に一人で大丈夫かしら?」
「そこは大丈夫。弁護士の先生にも連絡したの。お母さん一人だけだと、何したらいいか分からないから」
「準備がいいわね。頼もしいわ」
「なんかね、お腹の子を守らないとって思ったら、すごく冷静に色々考えられたわ。それがあの子の母親という生き物よ」
「じゃあ、すぐに式場へ向かうわ。でも何かあったらすぐに連絡して」
「ありがとう。あとは任せたよ。こっちも頑張るから」
20分後。
「おい、どうなってんだよ。お前の母親が来たぞ。お前は来るって言ったくせに来ないとか、約束破るなよ」
「まあまあ、健太。みさは体調が優れないのよ。私が代理で出席するわ」
「はあ?代理?そんなの認められるかよ。俺の嫁が来ないで、どうすんだよ。お袋、何とか言ってくれよ」
「そうよ、お義母さん。みさが来ないなんて、式が台無しよ。あの子、いつもそうなのよ。周りのこと考えないで、自分勝手なんだから」
「自分の結婚式より、娘の体調を優先するのが、何が悪いの?あなたたち、みさがどれだけ辛い思いしてるか、まるで考えてないでしょ」
「辛いだのなんだの、大げさなんだよ。どうせ仮病だろ。俺の立場を考えろって言ってんだよ」
「立場?あなたの立場なんて、どうでもいいわ。みさは今、病院で一人で戦ってるのよ。お母さんとして、これ以上、あなたたちの身勝手に付き合ってられないわ」
「おい、何言って……」
「いい?これ以上、みさに何かしたら、こっちも弁護士通じて、きっちり対応させてもらうから。そのつもりでいて」
「弁護士だあ?ふざけんなよ」
「ふざけてるのは、あなたたちの方よ。さあ、式を始めるわよ。新郎側の席は空いてるけど、やるならやる、やらないなら帰るわ」
その鋭い口調に、流石の健太も義母も言葉を失った。
一方、病院。
「はい、診察の結果ですね。残念ですが、やはり本陣痛です。このままお産が始まります。もう分娩室に案内しますね」
「はあ……ありがとうございます」
「旦那さんには連絡しましたか?」
「いいえ。連絡しなくて結構です」
「そうですか、分かりました。では、ゆっくり頑張りましょう。お母さんになるって、すごいことですから」
「はい。ありがとうございます。……赤ちゃん、会えるのね。楽しみだよ。お母さんはね、あなたのためなら、何だってできるの。もう、誰にも邪魔はさせないからね」
そう言って、みさは静かに分娩室へと進んでいった。
同時刻、式場。
「おい、ちょっと待てよ。これ、どうなってるんだよ。俺の結婚式だぞ。どうしてこうなるんだ」
「健太、落ち着きなさい。みさちゃんが来られないなら、もう始めるしかないでしょ。お母さんも、孫のためにお願いよ」
「……ええ。分かったわ。でも、礼ちゃんは後で許さないから。絶対に」
「おい、お前ら、そろそろ始めるぞ。場が白ける」
「ちょっと、なんであなたが仕切ってるのよ」
「俺の妹の結婚式だからな。まあ、新しい義母さん、これからよろしく頼むわ」
「ええ、こちらこそ。……ったく、とんでもないバカどもだわ」
そして、その後のこと。
数時間後、病院の待合室。
「みさ!大丈夫か!?」
「しっ。声が大きいですよ。奥様は今、分娩室です。無事、産まれそうですね」
「そうか。……あ、あの、奥さんは、俺……じゃなくて、一人で大丈夫ですか?」
「ええ。ちゃんと助産師さんもついてますから。それより、あなたたち、外で騒がないでくださいね。他の患者さんの迷惑ですから」
「……すいません」
「後でいいから。お母さん、ちょっと連絡してもいいか?」
「ええ、何を?」
「いや、こうなったら、もう帰るわ。あのバカ共、絶対に許さないから」
「まあまあ。まずは、無事に産まれるのを祈りましょう」
そして、さらに数時間後。
夜も遅い時間。
「ふう……終わったわ。元気な男の子よ。……本当に、よく頑張ったわ、みさ」
「お母さん……ありがとう」
「いやー、疲れた疲れた。まさか、自分がこんな大芝居を打つことになるとは思わなかったわ」
「ごめんね。無理言って」
「何言ってるの。あんたのためよ。それで、あのバカどもは?」
「さっき、式が終わって、慌てて病院に来たわよ。でも、こっちで面会拒否にしてもらったから、帰ったわよ」
「ふふ。正解ね。……本当に、よく気づいたわね。あのメール、よく気づいた」
「うん。健太があまりにもうるさいから、おかしいと思ったのよ。それで、普段から使ってない携帯を見たら、あの男の浮気相手とのやり取りが、ずっと残ってたんだ。どうやら、私が妊娠して落ち着いてる隙に、好き放題してたらしいのよね」
「……最低ね。で、どうするの?」
「どうするも、こうするも。離婚よ。弁護士にはもう依頼してあるし、慰謝料もきっちり取るわ。それに、証拠もいっぱいあるしね」
「よくやったわ。みさ、あんたは立派な母親になるよ」
「ありがとう。お母さん。……えへへ、それより、ちょっと見て。この子。すごくかわいくない?」
「ああ、こりゃあ、将来モテるわね。ちゃんとおばあちゃんの顔、覚えてるかしら」
「ふふ。もう、お母さんったら」
みさは、腕の中の我が子を抱きしめながら、静かに微笑んだ。
外には、満天の星空が広がっていた。
