美ゆ、お前また残業してるのか?」
「かずや。なんで私が残業してるか分かってる?」
「なんでって? この前、俺が持ってきた契約の後始末に追われてるんだろ?」
「後始末って? あの契約は俺たちにとって良い契約だったはずだ」
「表面上はね。でも実際には話にならないわ」
「そこまで言わなくてもいいだろ。美ゆ、お前また相手の話を鰤呑みにしたんだろ?」
「いや、向こうはうちと手を組みたいって言ってきたんだ。詳細だってちゃんと確認したぞ」
「じゃあ、あの会社の去年の業績は確認したの?」
「してないけど、大幅な黒字だったはずだ」
「黒字寸前ってだけよ。あの会社が定型契約を頼んできたのは、うちの契約で一時しのぎをしたいからよ。それで何とかしようって魂胆なの」
「そうだったのか……」
「かずや、あなたは人を信じすぎよ。人を信じることは素敵なことだけど、次期社長としてもう少し疑うことも覚えないと」
「悪い。本当にそうだな」
「私はね、あなたの妻として支えていきたいと思ってる。でも、それにも限界があるってことは分かっておいて」
「親父みたいなことを言うんだな」
「お父さんと私は現実主義なのよ」
「つまり、俺は理想家だって言いたいのか?」
「そこが悪いって言ってるんじゃないの。私とは違う視点で物事を見られることは、素直に尊敬してるわ」
「それは分かってるよ。けど金だけが全てじゃないだろ。会社経営だって、もっと人と人の関係を大事にすべきだ」
「その気持ちも分かるわよ。でも、ただいい顔をするだけじゃ会社は経営できない。あなたの判断ひとつで社員の人生が変わるんだから」
「そうだな。気をつけるよ」
「かずやは優秀なんだから、もっと自分に自信を持って」
「お前は俺の母ちゃんか」
「母ちゃんじゃなくて妻よ。いい奥さんがいて、俺も嬉しいよ」
「私もよ。あなたみたいないい旦那がいて幸せだもの。まあ、ちょっと夢見がちすぎるけどね」
「悪かったって。……そういえば、なんだけど」
「何?」
「今度の俺たちの結婚式だろ。あれ、アカも呼んでいいか?」
「アカって、あなたの幼馴染みの?」
「そうそう。あいつからも参列したいって連絡が来たんだ」
「ええ……私、あの人苦手なのよ。なぜか私のことを目の敵にしてるし」
「そう言わずに頼むよ。俺にとってアカは家族みたいなもんなんだ」
「それは知ってるけど……」
「頼む。美ゆ」
「あ、かずやがそこまで言うなら、いいわよ」
「ありがとう」
「けど、私が何か言われてたら、ちゃんと助けに来てよ」
「分かってる。まあ、さすがのアカも、めでたい日に何かすることはないだろ」
「そうだといいんだけどね」
数日後。
「美ゆさん、あなたは本当に最低な女ね」
「アカさん。いつも言ってますよね。LINEしてくるなら、せめて会話をしましょうって」
「はあ? 何よ、それ」
「アカさんはいつも一方的なんですよ。分かってます? LINEはコミュニケーションツールです。コミュニケーションは取ってるでしょ?」
「取れてないから言ってるんです。『私はかずやにふさわしくない』とか『離婚しろ』とか、一方的に罵倒するのは会話じゃありません」
「黙りなさい」
「黙れって、どこのお嬢様ですか。私は怒ってるんですよ。大体、私に連絡してくるときは、いつも怒ってるじゃないですか。私、知ってるんですから」
「何を知ってるっていうの?」
「あなた、金のためにかずやと結婚したんでしょ?」
「はい。どういうことですか?」
「あなたの母親が病気を患ってるらしいわね」
「はあ……そうですけど」
「その治療費を、かずやのご両親が払ってるんでしょ」
「そうですね」
「それが。かずやから聞いてるわ。あなたはかずやのご両親の勧めで結婚したって。元々、私がかずやの後輩として働いてたんで、面識はありましたけどね」
「そんなことはどうでもいいの。かずやは次期社長ですからね。私に、かずやを支えて欲しいと打診されたのよ。それってつまり、略奪結婚ってことじゃない?」
「そんな大層なものじゃないですけど」
「これではっきりしたわね」
「え? 何がですか?」
「あんたは、かずやの遺産目当てで結婚するクズ女。私の白馬の王子様を奪ったゴミ女よ」
「クズかゴミか、はっきりしてください。……というか、白馬の王子様って何ですか? 知らないんですけど」
「女はね、白馬の王子様に迎えに来て欲しいものなのよ」
「人によると思いますけど。あと、会話してくださいって言いましたよね。私の疑問への返答になってません」
「白馬の王子様といえば、かずやに決まってるでしょ」
「決まってるんですね。知らなかった」
「私とかずやは子供の頃からの幼馴染みなのよ。これはもう運命の赤い糸で結ばれてるってこと」
「その赤い糸、もう切れてません? かずやは私と結婚するんですから」
「黙りなさい、この泥棒猫」
「にゃんにゃん」
「ふざけてるの?」
「クソ真面目です」
「じゃあ、どういうことか説明してみなさいよ」
「確かに私の母の治療費を払ってもらっているのは事実です。お父さんたちから結婚の話をもらった際、約束したんです。ほら、見なさい。ですが、治療費のためだけに結婚はしません」
「あら、どういうこと?」
「好きでもない相手とは結婚しないってことです。治療費のことは事実です。でも、かずやを好きだから結婚するんですよ」
「この後に及んで、まだ減らず口を叩くのね。いいでしょう」
「え? 何が?」
「かずやを助けるため、結婚式をめちゃくちゃにしてやるわ」
「はあ?」
「愛のない結婚なんて、私が壊してやるんだから。覚悟しておきなさい」
結婚式当日。
「かずやさんはようやく落ち着いたよ」
「そう。ああ、本当に最悪。ありえないでしょ。人の結婚式に乗り込んできて、号泣しながら暴れるとか」
「それはまあ、アカもかわいそうだったな」
「かわいそうって? あの人、私が金目当てのクズ女に騙されたとか言いながら泣いてたのよ。はめられたわ」
「そこから、ウェディングケーキに突っ込んだんだろ? ケーキも驚いたでしょうね」
「ケーキ入場どころか、ケーキダイブよ」
「まあまあ。アカにも事情があったんだし」
「事情って何よ。挙句の果てに、あの騒動でケーキはぐちゃぐちゃ、参列者はみんなドン引きだわ。今回は取引先の重役も来てたのよ。考えただけでも頭痛くなってくる」
「それはまあ……式をやり直すにしても、まずは謝罪に行かないと」
「旦那の幼馴染みがケーキにダイブしました、すみませんって? 私が行くの?」
「いや、俺が行く」
「ふん。まあいいわ。……で、アカはどうするの?」
「どうするって?」
「あの騒動で、かずや、もう会うこともできないでしょ。私、あの人を恨んでないから。むしろ、ああいう形で縁が切れてよかったと思ってる」
「美ゆ……」
「かずやは優しいから、情があって、またアカを許したりするかもしれない。けど、私は許さないからね。あの女に、かずやを取られる気はないわ。……結婚、やり直すんだから」
そして、数日後。今度は、かずやの方から切り出した。
「美ゆ。……なあ、ちょっと話があるんだ」
「何? 改まって」
「あの日、アカが式をぶち壊した日だ。俺、アカの話を聞いて、自分の間違いに気づいたんだ」
「間違い?」
「ああ。俺たちの結婚のことだ」
「何を言い出すの?」
「美ゆき。お前、治療費のために俺と結婚するんだろ?」
「……その話? アカさんに聞いたの? あの人、私に言ったこと、全部あなたに話したのね」
「そうだ。本当のことだろ」
「アカさんにも言ったけど、私は別に、そのためだけに結婚するんじゃない」
「でも、実際、治療費は出してもらってるんだろ」
「それは事実よ。でも、好きでもない男と結婚するわけないでしょ。美ゆ、尊敬してるって言ったでしょ? 私も、あなたのことを」
「……ごめん」
「何がごめんなの?」
「やっぱり、俺たち、結婚するのをやめよう」
「は?」
「アカの今日の言動を見て思ったんだ。俺を心から愛してくれてるのは、アカだって」
「はあ? 何言ってるの、かずや。まさか、アカのことをまだ……わかった。まあ、あの人は白馬の王子様が好きみたいだから、そういうのも分からなくはないけど」
「元々、俺はアカと結婚する約束だったんだ」
「……え、そうなの?」
「ああ。子供の頃から、ずっとそういう約束だったんだ」
「……そうだったんだ。知らなかった」
「だから、ごめん。俺たちの結婚は、なかったことにしてほしい」
「……かずや。ちょっと聞いて」
「何だ?」
「私は、あなたの妻よ。愛してるから結婚するって言ったの。治療費のためだと思われたら、それは悲しい」
「でも、アカが……」
「アカはあなたのことを、何も分かってないわ。あの人、あなたのことを何も知らない。ただ、自分の理想の王子様を重ねてるだけよ」
「でも……」
「私はアカに言ったの。『あなたは白馬の王子様を探せばいい』って。あの人は、そういう夢を見てる女の子なのよ」
「美ゆ……」
「私は、あなたを取られたりしない。たとえ、あなたがアカのことを大事に思ってても、私はあなたの妻よ。そこは譲れない」
「……本当に、それでいいのか?」
「いいも悪いも、もう結婚したでしょ。私は、一生、あなたのそばにいるって決めたんだから」
かずやは、それ以上何も言えなかった。
「……ただし、これで終わりだと思わないでね」
「え?」
「私が選ばれた意味。それを身をもって味わわせてあげる。あなたのために、私は一番の妻になる。アカには負けない」
数日後。
「どう? 美ゆさん。真実の愛の勝利よ」
「はあ。真実の愛って、何ですか、それ」
「私とかずやは、運命の赤い糸で結ばれてたんだよ。あなたは、最初から勝ち目なんてなかったの」
「……そうですか。……というか、この状況で、その余裕は何なんですか?」
「この状況か、その答えよ。かずやが、あなたのことを、金目当てのクズ女だって見抜いたってことが、嬉しくて仕方ないのよ」
「あの、アカさん。ひとつ言わせてください」
「何よ」
「私は、かずやのことを愛してます。あなたが絡んでくるまでは、ずっとそうだった。でも、あなたが来たから、私は、改めて自分の気持ちを確認できた」
「何言って……」
「あなたは、かずやのことを何にも分かってない。単なる幼馴染みでいるから、いつまでたっても何も始まらないんですよ。結婚したいなら、大人しく身を引くことね」
「……よくも」
「まあ、あなたに言っても無駄かもしれないけど。……というか、その、かずや?」
「な、何だ?」
「あなた、ずっとアカさんのこと見てたでしょ。私、ちゃんと怒るからね?」
「い、いや、違うんだ、美ゆ」
「違わない。目で追ってたじゃない。……ふん。まあいいわ。今日から、あなたは私以外の女の目を見ちゃダメよ。いいわね?」
「ああ……分かった」
「じゃあ、契約成立ってことで。……ふふ、冗談よ。そんな顔しないで。あなたは、私の旦那なんだから、これからもよろしくね」
かずやは、苦笑いを浮かべるのがやっとだった。
「……美ゆ」
「何?」
「ありがとう」
「何が?」
「全部。俺と結婚してくれて。これからも、そばにいてくれて」
「当たり前でしょ。私はあなたの妻なんだから。……さ、もうみんな待ってるわ。行きましょう」
「ああ」
二人は、手を繋いで、式場へと続く扉を開けた。その背中は、もう揺るぎないものだった。アカの騒動は、二人の絆をかえって強くしていた。かずやは、自分が本当に大事にすべきものを、ようやく見つけたのだった。
