「り太、ごめん。ちょっと体調が悪くて。晩ごはん、自分で買ってきてもらえる? 」
ああ、またか。最近ずっとこんな調子じゃないか。一体どうしたんだよ。
「ごめんね。元気になったらすぐにやるから。」
買うにしたって金がかかるんだぞ。それに、俺だけじゃなくて母さんの分も買わなきゃいけないんだぞ。
「お母さんが料理をしてくれたら問題ないんだけどね。」
母さんはもう七十歳を超えてるんだ。そんなことやらせるのかよ。
「だったら、買ってきてもらうしかないわね。」
俺たち、生活費を切り詰めて貯金しようって約束しただろう。今はこうして実家で暮らしてるけど、ここも古くて、もう長くは住めないんだ。家を買うために頑張らないとダメだろう。
「それはもちろん分かってるわよ。」
お前がこの前教えてくれたあの家、良かったよ。立地もいいし、家もめちゃくちゃ綺麗だった。
「それって、お父さんが気になってたところ? 」
そう。あそこはかなりいいよ。お父さんってセンスあるんだな。
「でも、あそこはお父さんが住めないでしょう。貧乏な生活してるんだから。」
そんな言い方しないでよ。
「とにかく、あの家を買うためにすぐにでも金を貯めたいんだ。あそこは人気物件だから、すぐ売れそうだし。なんとか今すぐにでも契約したいくらいなんだよ。それなのに、お前がこんな調子じゃ、無理だって。」
あなたの仕事のサポートをするのは分かってるわよ。でも、体調がどうしても良くなくて。
「ずっとそんな調子じゃないか。」
言い訳をするな。家事もできない人間は、うちには置いておけないぞ。
「そんな言い方しなくても……。」
家族だからって甘えるのはなしにしようぜ。とにかく今日だけは、俺がなんとかするよ。でも、これ以上はやれないからな。
「うん、分かったわ。」
十分後。
「お母さん、すみません。体調が悪いので、今日は部屋で休ませてもらいます。風邪がうつると悪いので、部屋には近づかないでください。」
また風か。そう言って、家事をさぼってるんじゃないの? 「そんなことはしませんよ。やりたくてもやれない状況なんです。」
はあ、本当なのかしら。
「最近、お母さんって私に冷たいですよね。前はもっと仲良くできてたのに。」
そんなのは、あんたの思い込みでしょ。こっちは別にそんなつもりは一切ないんだから。もしそうなってるのだとしたら、あんたが役割を全うしないからよ。家事をしないのもそうだけど、孫の顔も見せてくれないしね。
「子供は授かり物だから、しょうがないじゃないですか。それに、お母さんが孫にこだわってるなんて、今まで一度も感じたことなかったですよ。」
最初はそれも仕方ないかなって思ったのよ。でも、やっぱりお先が短いって思うとね、どうしても孫の顔が見たいと思うようになったの。でも、あんたはそんな私の願いを叶えてくれなかったわ。
「私だけを責めないでください。授かりではありますけど、夫婦の力が必要なものです。り太は何も悪くないわ。」
あんたが原因に決まってる。
「すみません。もう、これ以上話したくないです。ただでさえ辛いのに、お母さんから責められるのは耐えられません。」
被害者ぶったこと言わないでよ。それに、いつまでも寝てるくらいなら、病院に行って薬でももらってきたらどう?

病気じゃないなら、薬をもらえるはずだよ。
「分かりました。明日、行ってきます。」
十分後、り太が戻ってくる。
「ももこ、今度はいつ帰ってこれるんだ? 」
今すぐにでも帰りたいよ。でも、ちょっと体調を崩しちゃって。
「え? ちょっと待ってよ。お前、大丈夫なのか? 」
私は大丈夫だと思う。明日病院に行って、いろいろ診てもらうけど、多分何ともないと思う。
「そうか……。」
お母さんの方こそ大丈夫なの?
私なんかより、お母さんの方が心配よ。
「とりあえず、なんとかやってるわよ。お父さんのお世話もしないといけないしね。私がくよくよしてるようじゃダメだから。」
強いんですね。
「そうじゃないと、やってられないってのもあるわ。多分、生まれつきの丈夫さってやつね。」
自分が情けないわ。私は大丈夫なんだから、私がこんなで伏せってちゃ。
「しょうがないわよ。でも、あなたは一人じゃないんだから、みんなに甘えなさい。」
そんなこと、させてもらえないんだよね。
「え? 」
夫から、直接甘えるなって言われちゃった。
「そうなの? それは許さないってことかしらね。私に家事を完璧にやるマシーンになれってことじゃない。」
そんなの、あんまりだわ。
「だって、あなたが置かれてる状況を考えたら……。あのことは、まだ誰にも言ってないの。」
言ってないの? そうなの。
「まだ、今はその方がいいかなって思ってさ。」
そうだったのね。あなたが一人で抱えて、それが一番いいのかなって思ってる。
「うん。まあ、話さないといけないとは思ってるんだけど。」
それはそうね。でも、あなたが体調悪いのに、甘えるなって言われたの?
「お母さんからも、同じようなこと言われたわ。」
そんな状況で暮らしてたの? 「うん……。でも、そんなことないよ。お母さんとは仲良くなかったけど、それなりにはうまくやってたし。り太とも、仲良くできてたと思ってたんだけどね。なのに、最近急に冷たくなってきて。」
そうなんだ。何かあったの? 「分からない。私に何かあったとかではないと思うけど。」
とにかく、無理はしないでね。何かあったら、すぐに実家に帰ってきなさい。私たちはいつでもあなたを歓迎するから。
「ありがとう。とりあれ、体調を治すよ。治り次第、すぐにそっちに帰るようにするから。」
そうね。お願いね。
翌日。
「り太、ごめんなさい。入院することになっちゃった。」
入院? なんでだよ。
「病院に行こうと思ったら、その途中で倒れちゃって。それで、搬送されたのよ。」
お前さ……。こっちはただでさえ忙しいんだぞ。それなのに、どうして入院なんてことになるんだよ。俺たちは、これからどうすりゃいいんだよ。誰が飯を作るんだ。
「私の心配はしてくれないんだね。どうせ大したことないって思ってるんでしょ。」
お前はいつも大げさなんだよ。専業主婦のくせに、何が大変なんだ。
「私がどれだけ苦しんでるか、考えもしないんだ。私は毎日、家事をやって、あなたのために頑張ってきた。それなのに、あなたは……。」
俺だって、毎日仕事をして頑張ってるんだぞ。専業主婦のお前の苦しみなんて、大したことないんだよ。
「どうして、そんなに悲劇のヒロインぶるんだよ。」
そんな言い方してない。
「だったら、何なんだよ。とにかく、俺はこれからどうすりゃいいんだ。」
り太、黙ってたことがあるのよ。
「黙ってたことだと?
」
私、予名宣告をされたの。
「はあ? 予名宣告だって? お前、そんなに悪い病気だったのか? 」
いや、そうじゃなくて……。あのなあ、急にそんなことを言われても迷惑だよ。俺も母さんも、超迷惑だって言ってんだよ。
「どういう意味?
」
お前が予名宣告されたってことは、これから治療費とか入院費とかかかるってことだろう? そういうことになるわね。
「そんな金がどこにあるんだよ。言っただろ、俺たちは金が必要で節約してるんだって。もう、この前言ってた物件の内見をする準備までしてたんだ。こっちは本気で買う気でいたんだよ。母さんにも写真を見せてさ。」
そしたら、大喜びで。そのために金が必要だって言うのに。
「もういいです。これ以上、あなたたちと話したくありません。」
あら、そう。それじゃ、これが最後のやり取りかしらね。
「そうなればいいですね。では、お願いします。」
金だけはよしなさいよ。
一週間後。
ももこのもとに、一通の封書が届く。差出人は、弁護士事務所。同封されていたのは、離婚届の写しと、一筆のメッセージだった。
「俺のことは忘れてくれ。お前には、何も期待していない。幸せになってくれ。」
ももこは、その紙を何度も読み返した。涙は、もう出なかった。ただ、一つの決意がゆっくりと固まっていくのが分かった。
「そう……。これで、自由になれたんだ。」
彼女は、病室の窓の外を見つめた。青い空が、どこまでも続いていた。ももこは、深く息を吸い込むと、静かに立ち上がった。新しい人生の一歩を踏み出すために。