ともこさん、来月の義父の一周忌、分かってるわよね。ちゃんと一緒に参加してよ。
はい、もちろんですよ。それよりお母さん、お一人で大丈夫ですか。寂しいとか不安とか、そういうのはないですか。
何それ。バカにしてるの。私がたった一人では何もできない女だとでも言いたいの。
いえ、そういう意味じゃなくて。私はあなたとは違うんです。自分で仕事もしてるし、生活だってちゃんとできてます。あの人の収入に頼って暮らしてる人とは違うんですから。
頼ってないって言うけど、間違いはないでしょ。でも私だって家事だってやってるんです。
ふん。ああ、やっぱり不便ね。せっかく大手に入社して出世もしてるっていうのに。その妻がこんな地味で何の取り柄もない人だなんて。どうせならもっと美人な人の方が良かったでしょうに。
勝手なこと言わないでください。私たちは仲良くやってますから。
あらあら。何も知らないのね。
どういうことですか。
あなたみたいな人とうちの息子が結婚したのが信じられないって言ってるのよ。
お母さんにとやかく言われる筋合いはありません。私たちは幸せですから。
幸せなのはあなただけよ。息子の稼ぎでぬくぬくと暮らせてるんだからね。
私はやれることをやってます。それに専業主婦になったのだって、ちゃんと話し合った結果です。もし文句があるなら、結婚する時に言えばよかったじゃないですか。どうして十年も経った今頃になって言うんですか。
なんか、亡くなったお父さんが生きてた頃はあなたのことを嫌いじゃなかったから、あえて言わなかっただけよ。
お父さんがいなくなってから態度を変えるなんて、そういうのやめてください。私はあの人のためにやってるんです。
余計なお世話よ。もうやめてください。
あんたね。
もういいです。一周忌に関しては参加しますから、失礼します。
三時間後。
悪いな、今日も残業になった。飯はいいから先に食っててくれるか。
また最近そればっかりじゃない。出世して仕事量も増えたんだよ。それに勤務外でもやらないといけないことが増えたし。
食事とかそういうこと。
そうそう。でもそれをサボるわけにはいかないんだ。俺はまだまだ出世したいし、ようやく出世コースに乗れたんだ。ここで緩めるわけにはいかないんだよ。
あなたが昔から仕事で成果を上げたいって言ってたのは知ってるわ。私だって応援するつもりよ。でも、あんまり仕事ばかりで心配なのよ。全然家に帰ってきてないじゃない。
そこまで頑張ってるんだ。そんな俺を応援してくれよ。
心配の方が強いわ。
それと、お父さんの一周忌のこと、話したかったの。
そうか。もう一年も経つのか。お母さんから参加するように連絡が来たわ。ちゃんと休みを取ってくれるわよね。
まあ、なんとかするよ。
お母さんからも嫌みを言われてるんだから、私を一人で行かせるようなことはしないでよ。
母さんから何か言われたのか。
そうよ。お父さんが亡くなってからすごく厳しいの。前はあんな感じじゃなかったのに。なんかお母さんを怒らせたのかな。
そんなことするわけないでしょ。
とにかく母さんとは仲良くしてくれよ。俺にとっては大切な母親なんだからさ。
分かってるわよ。
それじゃあ、俺は遅くなるから。
うん。体には気をつけてね。
三日後。
お姉さん、今度の一周忌、来られますよね。
ええ、もちろんよ。久しぶりにお姉さんに会えるのを楽しみにしてるわ。
そうね。何度か一緒に遊ぼうって約束してたのに、結局叶わなかったわね。ごめんなさい。私からお誘いしたのに。
いいのよ。お仕事も大変でしょ。あなたみたいに仕事を頑張ってる人は素晴らしいと思うわ。私なんてただの専業主婦だからさ。
そんなこと言わないでくださいよ。お姉さんがやってくれてることは、私もよく知ってますから。
そんな大したことはやってないわよ。
そんなことありません。私もお父さんも本当に感謝してるんです。
それなら救われるわ。
お姉さんは絶対に参加してくださいね。正直、お姉さんがいないなら行きたくないくらいですから。
え、そうなの。
お父さんの一周忌は大切ですよ。それにしても、お母さんと会うのがあんまり好きじゃないんです。
へえ、そうなんだ。
なんかね、肩書きとか年収とかで自慢してくる人じゃないですか。別に普通の人なのに、兄さんのことを利用してマウント取ってきて。
確かに、そんな感じはあったわね。
兄さんもそれを全然嫌がってない感じでさ。
嫌がってないわけじゃないと思うわ。きっと気を使って何も言ってないだけよ。
どちらにしても、あんまり好きじゃないんです。だからずっとお姉さんのそばにいさせてください。
こちらとしても大助かりよ。私もあんまりお母さんと話したくないしね。
何か言われましたか。
ちょっとね。まあ、本当ありえないわ。でも、起こるほどのことじゃないわよ。
それじゃあ、当日はお互い必ず参加ってことで。
お願いします。
一ヶ月後。
お母さん、これ以上私のことを馬鹿にするなら、今すぐここから出て行かせてもらいます。
あら、何よ。文句があるなら直接言いなさいよ。こそこそとLINEで言ってくるなんて見苦しいわ。
親族の皆さんの前で私のことを馬鹿にするのは、見苦しいと思わないんですか。
全然。私はただ報告してるだけよ。親族なんだから、家族がどんな状況かは知っておかないとでしょ。私はそれを共有してるだけよ。
どこがですか。あんなの全部お母さんの思い込みですよ。私が夫の稼ぎを使って生活してるなんて、どこにそんな事実があるんですか。
私はあの子から直接聞いてるのよ。
そんなの嘘です。私はそんなことしてません。夫だってそんなことを言うわけがありません。
うるさいわね。そうやって一々つっかかってくるのがありえないって言ってるの。あの稼ぎで生活してるくせに。
だとしても、私はお母さんに養ってもらってるわけじゃありません。お母さんにそんなこと言われる筋合いはないです。
私はあの子をここまで育て上げたのよ。それなのに、そんな言い方はないでしょう。
その部分に関しては尊敬してます。だからって、こっちにも限界があります。
じゃあどうするつもり。私はこのままあんたのことを悪く言い続けてやるから。親族の前であんたを罵倒するの、最高に楽しいわ。これからこれを趣味にしちゃおうかしら。
最低ですね。もういいです。あなたに話しても無駄なようです。
三分後。
あら、どうして止めてくれないの。
お母さんが私のことを言ってるんだろ。
機嫌よく話してたんだから、別にいいだろう。
嘘なんだから、そこはちゃんと否定してよ。周りの親族の人たちが冷たい目で私を見てるのよ。
別に、そこまで本気にはしてないって。
なんでそんな感じなのよ。
正直なところ、お前があんまり母さんを悪く言うからさ、ちょっと腹が立ってんだよ。
私がどこを悪く言ったの。
俺は母さんに感謝してるんだ。その母さんが楽しそうにしてるんだから、それでいいだろう。
良くないわよ。嘘ばっかり言って。私を罵倒するのが楽しいって言ってるのよ。
嘘ばかりじゃねえだろ。実際に俺の金でぜいたくな生活をしてるだろう。そのくせに母さんを嘘つき呼ばわりすんなよ。
ちょっと待ってよ。それ本気で言ってるの。
ああ、本気だ。
私、あなたの収入で生かされてるわけじゃないわ。私だってちゃんと働いてた。結婚する前からずっと。
でも今は働いてないだろう。俺の稼ぎで生活してるだろう。
それは、子供ができてからはずっとああして暮らすって、あなたが言ったことでしょ。私は最初から反対してた。でもあなたが、俺の稼ぎで家族を養いたいって、そう言ったんじゃない。
言ったかもしれない。でも今はそうじゃない。
今はそうじゃないって、どういうことよ。
母さんが言ってるように、お前は俺の金で楽をしてるだけじゃないか。
楽をしてるって……私は毎日家事も育児もしてきたわよ。あなたが何もしてこなかったのを、私が全部やってきたんだから。
うるさいな。母さんの悪口はもういいんだよ。
悪口じゃない。事実を言ってるだけよ。
もういい。話にならないわ。俺は母さんと一緒にいるから、お前は適当にしててくれ。
あなた、それ本気で言ってるの。
本気だ。
私、帰るわ。子供も連れて行くから。
好きにしろよ。
それから数時間、ともこは義母と夫の姿を遠くから眺めながら、ただ立っていた。涙はもう出なかった。代わりに、心の中は驚くほど静かだった。
もともと、この結婚を決めた時、周りの反対はあった。年の差もあったし、お互いの実家の事情もあった。でもそれでもいいと思った。彼となら、二人で何でも乗り越えていけると信じてた。最初の何年かは、本当にそうだった。穏やかで、優しい時間があった。
でも、いつの頃からか、彼は帰ってこなくなった。仕事だと言って、休みの日も出かけていった。私の話は聞いてくれなくなった。気がつけば、私の居場所は家の中のどこにもなかった。
義母の言う通り、私は彼の稼ぎで生活してるのかもしれない。でも、それは私が望んでそうしたわけじゃない。働きたくないって言ったのは、彼の方だった。家にいてくれって、そう言ったのは。
「お姉さん、どうしたの。こっちにおいでよ」
声をかけてくれたのは、夫の妹だった。彼女はいつも私の味方でいてくれた。
「大丈夫?」
「うん……ちょっと空気を吸ってくる」
外に出ると、冷たい風が頬に当たった。空には星が一つ、ぽつんと浮かんでいた。
これからどうしよう。家に帰ったって、あの人と顔を合わせるのが辛いだけだ。でも、子供がいる。子供のことを思うと、簡単には決められない。
しばらくその場に立っていると、後ろから足音がした。
「あんた、こんなところで何してるの」
振り返ると、義母が立っていた。
「何って……少し外の空気を吸ってただけです」
「ふん。今のうちに言っておくけど、あの子は私がいないと駄目なのよ。あんたみたいな人間が嫁に来たから、余計に苦労してるのよ」
「お母さん、それ、さっきから何度も聞きました。でも、もうたくさんです。私はあなたに嫌われるために結婚したわけじゃない。あなたの息子を好きになって、一緒に幸せになりたくて結婚したんです。それなのに、どうしていつもこうなっちゃうんですか」
「何言ってるのよ。あんたがもっとしっかりしてれば、こんなことにはならなかったんだよ」
「……そうですね。認めます。私がもっとしっかりしてれば、あの人が仕事ばかりすることもなかったんでしょうね。でも、私は精一杯やってきました。それだけは、どうか分かってください」
義母は何も言わず、ぎろりと睨んでから、中へ戻っていった。
ともこは深く息を吸った。もう、何も言わない。言ったところで、どうせ分かってもらえないのだ。
その夜、帰宅した夫に、とは言えなかった。ただ、リビングで待っていた。
「遅かったわね」
「ああ。母さんと少し話してた」
「……お母さんと、何を話してたの」
「別に。たいしたことじゃないよ」
彼は目をそらしてそう言った。ともこはもう聞かなかった。聞いたところで、また嘘を言われるだけだ。
「ねえ、私、考えたんだけど」
「何を」
「しばらく、妹さんのところに身を寄せようと思うの。子供を連れて、少し落ち着くまで」
「はあ?何言ってるんだよ。いきなりそんなこと言われても」
「あなたはお母さんを取るんでしょ。私はあなたとお母さんの間で、ずっと板挟みにされてきた。もう、うんざりなの」
「それは、お前だって母さんのこと悪く言うからだろう」
「私は事実を言っただけよ。それなのにあなたは、私の話を一度もちゃんと聞いてくれなかった。いつもお母さんの味方ばかりして」
「だって、母さんは母さんだから」
「じゃあ、私は私よ。私はこの家を出ていくわ」
「お前、本気か」
「本気よ。これ以上、ここにいたら、私まで壊れてしまいそうだから」
彼は何か言いかけたけど、結局何も言わなかった。
ともこは荷物をまとめ始めた。頭の中で、ずっと義母の言葉がこだましていた。
「あんたみたいな人間が、うちの息子の妻だなんて、恥ずかしいわ」
もう、そんなこと言わせない。私は私の人生を生きるんだ。
そう決めたら、不思議と涙は出なかった。代わりに、これまでに感じたことのないような、静かな覚悟が、心の奥に灯った。
部屋の隅に置かれた旦那との写真を、彼女はそっとはずした。少し迷ってから、その写真を、そっと机の上に置いた。それで、ようやく一歩が踏み出せそうな気がした。
振り返らずに、玄関へ向かった。夜の闇の中、一歩、また一歩と、彼女は自分の足で歩いていった。
