夕べもまた、ひとりで食卓に向かう私の耳に、二階からは「ご飯いらない」の一言。あの日、夫が突然「俺には真実の愛がある」と宣言して家を出て行ったのは、もう三年前のこと。でも今日、私は彼の目の前でこう言ったの。「あなたは、もうこの家の住人じゃない」って。そして、離婚届を突き返したの。彼は「お前は俺がいないと生きられないだろ」と嘲笑った。でもね、私の口から出たのは意外な一言。「あの子たち、あなたの存…

夕べもまた、ひとりで食卓に向かう私の耳に、二階からは「ご飯いらない」の一言。あの日、夫が突然「俺には真実の愛がある」と宣言して家を出て行ったのは、もう三年前のこと。でも今日、私は彼の目の前でこう言ったの。「あなたは、もうこの家の住人じゃない」って。そして、離婚届を突き返したの。彼は「お前は俺がいないと生きられないだろ」と嘲笑った。でもね、私の口から出たのは意外な一言。「あの子たち、あなたの存...

「ご飯できたわよ」
また今日も居間で一人で食べるの? 俺は忙しいんだ。そう言って、彼は二階の書斎にこもってしまった。
「たまには食卓で一緒に食べたら?」
「なんだよ、寂しいのか?」
「今さら夫婦の会話なんて要らないだろ」
「家族としての会話は必要でしょ。それに、まゆともみゆとも、ほとんど話してないじゃない」
「今プロジェクトを任されてるんだ。連日出張したり、会社に泊まり込むくらい忙しい。お前らのために働いてるんだから、グダグダ文句言うなよ」
「…分かったわ。じゃあ、今日もお皿は部屋の前に置いておくわね」

食事を運んだ数分後、彼は引き返してきた。
「やっぱり飯はいらねえ」
「どうして今頃言うのよ。せっかく作ったのに」
「捨てればいいだろ」
「食材だってタダじゃないのよ」
「飯るせえな。頭の中、それしかないのか。お前みたいな古臭い女にはうんざりだ」
「主婦なんだから、食事のことを考えるのは当然でしょ」
「もう限界だ。しばらく出ていく」
「どこに行く気?」
「俺にはな、こういう時に止めてくれる女が一人や二人いるんだよ」
「何それ、浮気してるってこと?」
「浮気とか、そんな軽い関係じゃない。タイミングが悪かっただけで、これは真実の愛なんだ」
「それを世間では浮気って言うのよ」
「とにかく、今から家出るから」

三十分後、彼は戻ってきて、リビングで仁王立ちした。
「エミ、大事な話がある」
「家族との時間を捨てて家を出た人が、何の用よ」
「ついさっき、俺は彼女にプロポーズした。だから、もう浮気じゃない」
「結婚なんてできるわけないでしょ」
「若い女と再婚するから、ババアのお前とは離婚だ。だから、今すぐ出て行け」
「まゆとみゆも連れて行けよ」
「私一人で高校生の双子の面倒を見ろって言うの? 無茶言わないでよ」
「どうしても出て行かないなら、ガキどもを先に追い出すぞ」
「あの子たちはまだ高校生よ。未成年を追い出せば、あなたは犯罪者になるわ」
「だから、お前も一緒に出て行けって言ってるんだろうが。とにかく、俺からまゆに連絡する」

五分钟后、まゆが電話に出た。彼は断定的に告げた。
「まゆ、話がある。お父さんとお母さんは離婚することになった」
「ああ、そうなんだ」
「驚かないのか? 無理しなくていいぞ」
「別に無理してないよ。むしろ、やっとかって思った。いつ離婚するのかなって、ずっと思ってたから」
「なんだと?」
「顔を合わせれば小言か嫌味ばかりだし、遊びに連れて行ってもらった記憶もないし」
「親の離婚を願ってたなんて、不孝なクソガキめ」
「そりゃ願うでしょ。だって、この家にパパのいる意味がないもん。みゆもそう思ってるよ」
「やっぱりあの女の娘たちだな。性格の悪いところがそっくりだ」
「パパに言われたくないんだけど」
「俺だって、お前らみたいな娘は願い下げだ。双子で俺の血が繋がってるはずなのに、懐かないなんてな」
「そういうことだから、お前が先に出て行ってよ。そうすれば、ママも出て行くでしょ。みゆにもそう伝えといて」
「出て行くのはパパだよ。何を勘違いしてるの?」
「は? なんでそうなるんだよ」
「理由を知りたければ、ママに聞きなよ」

彼は怒り狂って私に電話をかけてきた。
「みゆが、出て行くのはパパだって言ったぞ。俺が世帯主なのに。どういう教育をしてるんだ」
「人に迷惑をかけない、という常識は教えたつもりだけどね」
「なってねえよ。俺が養ってやってるのに、その態度は何だ?」
「私だって働いてるわ。養ってるのは、あなただけじゃない」
「在宅のくせに偉そうに。お前はいいよな、自由で」
「頼まれた仕事は、きちんと納品しないといけないから、まあまあ多忙よ」
「大して忙しくもないくせに、忙しいアピールすんな」
「それはあなたも同じでしょ?」
「いいか、俺は世帯主なんだぞ」
「だから何よ?」
「分からないのか? これだから世間知らずは。この家にいる権利があるのは、俺の方なんだよ」
「世間知らずはどっちかしら。世帯主ってのは、生計を共にする家族の代表者って意味であって、家の名義とは別の話よ」
「あ、そうなのか。いや、でも俺が代表者なんだろ。だったら俺が偉いんだから、俺の言うことを聞け」
「『主』って字が入ってるから、勘違いしちゃうのかしら。この家の所有者は私よ。出るか出ないかは、私が決めること」
「所有者ってだけで偉そうにされちゃ、たまんねえな。名前がお前ってだけだろ」
「全然違うわよ。それに、浮気するような人と一緒に暮らしたくないの。まゆとみゆにとっても、悪影響でしかないわ」
「もう高校二年生だろうが。大人の事情が分からない年でもないだろう」
「成人すらしてないのよ。大人が守らないでどうするの?」
「色々と言い訳して、出て行かないつもりか?」
「まだ分からないの? あなたに、私を追い出す権利はないのよ。本当に出て行ってほしいなら、手続きを踏んでもらわないと」
「ああ、もう分かった。分かったよ。俺が出て行けばいいんだろう。今から戻って荷物を詰めるから、ちょっと家に入れてくれ」
「それは、もう戻らないつもりってこと?」
「そうだよ。離婚届も今持ってくる。実は前から用意してたんだよ」
「本気なの?」
「なんだよ。今さら別れたくないって言うのか? 言っとくが、俺の決意は固いぞ」
「結構よ。むしろ大歓迎だわ」
「今までありがとうよ、あなた」
「強がらなくていいぞ。まあ、泣かれても戻るつもりはないが。じゃあな」

彼は出て行った。翌日、私は役所に離婚届を提出した。それから一ヶ月は、静かで穏やかな日々が続いた。まゆもみゆも、少しずつ私と話すようになった。あの人がいない生活は、思っていたよりもずっと楽だった。

一ヶ月後、まゆから電話がかかってきた。
「ママ、まだ仕事終わってない?」
「今、スーパーよ。まゆも学校終わった?」
「うん。今家に着いたんだけど、大変なの」
「どうしたの?」
「あいつが玄関の前にいる」
「あいつって…」
「パパだよ。もうパパじゃないけど」
「なんで家の前に?」
「私、どうしたらいい? あいつとは顔を合わせたくないんだけど」
「まゆは今どこにいるの?」
「お向かいの家の影にいるよ」
「みゆは?」
「多分まだ部活」
「分かった。とりあえず、一旦学校に戻ってみゆと合流してくれる? その後は、学校か近くのカフェで待ってて。大丈夫そうなら、後で私が迎えに行くわ」
「分かった。ママ、気をつけてね」
「ありがとう。まゆたちもね」

十分後、私は家の前に車を停め、窓を開けて叫んだ。
「あなたが家の前にいるのは分かってるわ。この家は、もうあなたの居場所じゃないの。帰ってくれる?」
「なんだよ。夫が帰ってきちゃいけないのかよ」
「あなたと私は、とっくに他人になったわよ」
「戸籍上は、俺とお前は法的に繋がった夫婦だろうが」
「だから、離婚したって言ってるでしょ。あなたが家を出た翌日に、役所へ提出したわよ」
「は? 俺は悩んだ上で、あの離婚届を渡したってのに。お前はあっさり提出したってのか。信じられねえ。なんて薄情な女だ」
「黙って離婚届を用意していたあなたに、言われたくないわ。離婚したかったんでしょ? 良かったわね。これで晴れて、私たちは赤の他人よ」
「そんなこと言って、本当は寂しいんだろ」
「いいえ、ちっとも。むしろ快適だわ」
「そうは言うが、やっぱり女だけの暮らしは不安だろう。やっぱり男の俺がいないと…」
「ご心配なく。ご近所さんとの繋がりもあるし、この辺りは警察のパトロール区域だから」
「本当、エミは強がるのが得意だよな。そうやってヘラヘラ笑って、後で困るのはお前なんだぞ」
「私が困ろうが、あなたには関係ないでしょ。それより、どうして戻ってきたのよ。彼女と再婚するんじゃなかったの?」
「あの女の目的は家だったんだよ。庭付きの一軒家が欲しかったんだとよ」
「なるほど。あなたが家を出たから、話が違うってこと?」
「それだけじゃねえ。あのクソ女、若い男と浮気してやがった」
「因果応報ね」
「俺は何も悪くねえだろうが」
「あなたの倫理感はどうなってるの?」
「とにかく、こうして帰ってきてやったんだ。浮気してたことは謝るから、全部水に流して家に入れてくれ」
「どの口が言うの。水に流すどころか、大詰めよ」
「いいから鍵を開けてくれ。玄関のドアが開かない」
「それはそうでしょうね。だって、鍵を変えたもの」
「なんでそんなことすんだよ」
「防犯のためよ。当たり前でしょ」
「俺が不審者だって言いたいのかよ」
「今となっては、そうね」
「冗談じゃねえよ。俺たち、家族だろう。まゆとみゆだって、俺がいなくて寂しいんじゃないか」
「お気の毒様。あの子たちは、あなたがいない方がいいみたいよ」
「なんでそんなことが分かるんだよ。可哀想だと思わないのか?」
「思わないわね。あなたがいなくなってから、まゆは肌荒れに悩まされていたけど、今はすっかり綺麗になったわ。だから、あなたが家に戻る必要性なんて、どこにもないのよ」
「お前の思い込みで、勝手に決めつけるなよ」
「客観的な視点で見た結果を述べてるだけよ」
「もういい。独裁主義のお前に話した俺が馬鹿だった。とりあえず、今日のところは諦めて止まる」
「どうぞ、好きにすればいいわ。ただ、あの子たちに危害を加えたら、その時は絶対に許さないから。そのつもりでいて」

翌日、まゆから再び電話がかかってきた。
「ママ、やばい。助けて」
「どうしたの? 何があったの?」
「校門の前で、あいつが私とみゆを待ち伏せしてる」
「何ですって? 家がダメだから、学校に来たのね。あなたたち、今どこにいるの?」
「教室だよ。みゆと帰ろうとしたら、窓から校門にいるのが見えたの」
「そこで気づいてよかったわ。何も知らずに鉢合わせしたかと思うと…」
「私が気づいたから、会ってないよ」
「よかった。じゃあ、すぐに迎えに行くから、そこにいて」

十分後、学校に着くと、彼は校門の前に立っていた。
「お疲れ。そろそろ学校終わりだよな。お父さんが迎えに来たぞ」
まゆが冷たく言い放った。
「ママのことをバカにして、私たちを追い出そうとして、あれだけのことしておいて。よく父親なんてできるね」
「それは謝るよ。すまなかった。これからはちゃんとするから」
「いやいや、どうせ口だけなの、分かりきってるから」
「そんなことはないぞ。父さんは約束を守る。もう一度、家族に戻ってやり直そう。みゆ」
「あのさ…私、まゆなんだけど」
「あれ? いや、違うんだ。打ち間違えたんだよ。ちゃんとまゆだって分かってたさ」
「双子を間違えちゃだめでしょ。友達だって間違えないよ」
「だから、ごめんって」
「とにかく、もう家族じゃないから連絡してこないで。みゆにも連絡しないでよ」

三十分後、私は仕事を終えて学校へ向かった。彼の姿はもうなかった。
「いないみたいね。一時間以上経ったし、さすがに帰ったでしょう」
「ああ、よかった。まゆとみゆに何かあったらと思うと…」
「心配してくれてありがとう、ママ。やっぱり私たちの親はママだけだよ」
「ありがとう。じゃあ、帰ろうか。買い物してから帰りましょう」
「じゃあ、怖い思いしたから高いアイス買っていい?」
「しょうがないわね。今日だけだからね」
「とか言って、いつも買ってくれるじゃん」
「わがままな双子を持つと、苦労するわね」
「いつもありがとうね、ママ」

その日の夜、私はリビングでくつろいでいた。ふと窓の外を見ると、家の中に明かりがついている。おかしい。電気は消したはずだ。

一時間後、玄関の鍵がガチャリと開く音がした。彼が立っていた。
「諦めたかと思ったら、なんで家の中にいるのよ」
「バレたか。なんで分かった?」
「車の窓から、明かりがついてるのが見えたからよ。それより、どうやって鍵を開けたの?」
「ああ、それ? 業者を呼んで、鍵を壊してもらったんだ」
「この家の住人じゃないのに?」
「免許証の住所がまだ変更してなかったからな。それを見せたら、通ったぜ」
「信じられない…勝手なことをして。入らないで」
「なんでだよ。よく考えたら、俺は一家の大黒柱だぞ。お前らにかかる金は、俺が稼いだものだ」
「あのね、前も言ったけど、私も働いてるの。養ってるのは、あなただけじゃないのよ」
「俺がいなくなったことで、収入は減っただろう。金に困ってるんじゃないか?」
「あなたみたいに無駄遣いしないから、困ってないわよ」
「可愛くねえなあ。素直になれよ。お前らのために、再婚しようと家に戻ってきたんだぞ。感謝こそあれ、文句を言われる覚えはない」
「感謝もしてないし、文句しかないんだけど」
「何回強がれば気が済むんだよ」
「私が困ってたら、嬉しいわけ?」
「俺を頼れって言ってるんだよ。本当、可愛げのない女だな」
「可愛げがなくて結構。あなたがいなくても、生きていけるもの」
「どうだか。ただの在宅に、そこまでの稼ぎと蓄えがあるのか?」
「在宅は在宅でも、フリーランスよ」
「フリーランスって言えば、かっこつくと思ってるのか?」
「別にかっこつけてるわけじゃないわ。自由な働き方を総称してるだけで、税務上の扱いとしては個人事業主っていう意味にもなるわ」
「あ、それってつまり、お前は社長ってこと?」
「個人で働いてるから、そう呼ばれることはないけど…まあ、そういうことになるわね」
「なんだよそれ。聞いてねえんだけど」
「ちゃんと話したわよ。あなたが聞いてなかっただけじゃない」
「結婚してからずっと専業主婦で世間知らずのお前が、社長?」
「あなたが専業主婦になってってお願いしたからでしょ」
「悪い悪い。結婚した後、ちょっとパートもやってたな。大した稼ぎもないパートをさ」
「そうね。稼ぎのないあなたを支えるために、パートをやってたわ」
「喧嘩売ってんのか」
「先に売ったのは、そっちでしょ。私はね、その傍らで資格の勉強をしてたのよ。一級建築士の勉強をね」
「力任せのお前が、資格に受かるわけないだろ」
「受かってなかったら、独立して在宅なんかやってないわよ」
「は? じゃあ、お前本当に一級建築士の資格を持ってるのか」
「だから、独立したのよ」
「独立したところで、どうせ大した稼ぎじゃないだろう。年収百万円とか、そんなところか?」
「それより、もっと上よ」
「はあ。いくらだよ」
「今年は大きな案件を頂いたから、一千万円を超えたわ」
「嘘つくなよ。見栄を張りたいのは分かるけどさ」
「嘘だと思うなら、通帳でも見る? 証拠はいくらでもあるわよ」
「本当なのか…」
「だから、さっきからそう言ってるでしょ」
「そうか。頑張ったんだな」
「そうよ。だから、あなたの助けはいらないの。分かったら、早く出て行ってくれる?」
「分かった。そういうことなら、再婚は諦めてやる」
「よかった。やっと分かってくれたのね」
「その代わり、財産分与をよこせ。この家を売った金を分けるんだ」
「ああ、どこまで諦めが悪いの? 言ったわよね。この家の名義は私。あなたにその権利はないのよ」
「お前はやっぱり世間知らずでバカだな。家ってのは、夫婦共同の財産なんだよ。離婚したら、ちゃんと分けなきゃいけないだろう」
「あなたって人は、もう忘れたの? この家は、私たちが買った家じゃないでしょ」
「そうだっけ? 確かに新築じゃなかったけど」
「私のお母さんのお姉さん、おばさんがもう使わないからって、譲ってくれたじゃない。その家をリフォームしたのが、今の家でしょうが」
「そう、そう、そう。そうだったな。二十年近くも前なら、忘れるわ。でも、リフォーム費用は出してるわけだから、その分は財産分与できるはずだ」
「できないわよ。リフォーム費用は、私の親族が出してくれたのよ。家を処分するつもりだったからって、その分のお金をリフォーム費用に当ててくれたの」
「あれ? そうだっけ?」
「どこまで記憶を改ざんすれば気が済むの?」
「してねえよ。お前が嘘をついてるんだろ」
「都合のいい頭ね」
「いいや。もしそう言うなら、家にかかった修繕費は対象になるかもな」
「じゃあ、それを半分寄越せ」
「いいけど、おそらく微々たるものよ。確か屋根の塗装費用が五十万円くらいだったから、あなたに入るのは二十五万円ってことね」
「そうなるわな。俺だって長年住んできたのに、納得いかねえ」
「そうだ。固定資産税は俺も払ったなら、共有財産になるんじゃないか?」
「ああ、それは私の独身時代の貯金で支払ってたわ。結婚当初、あなたには貯金がなかったから。仕方なく、私の口座から引き落としにしてたの。それからずっと口座を変えてないから、財産分与は無理ね」
「なら、お前の貯金を半分寄越せ。婚姻中に築いた財産は、夫婦のものだからな。いくらある?」
「いいえ、八百万円ほどあるけど」
「なら、四百万円は俺の分だな」
「あなたがそんなこと言える立場だと思ってるの?」
「なんだよ。そんなに金を渡したくないのか」
「あなた、浮気してたでしょ。だから、その分の慰謝料を請求させてもらおうと思ってたの」
「慰謝料? 証拠もないのに」
「証拠ならあるわよ。あなたが家を出た後、探偵に調査を依頼したの。浮気相手のところに通ってたでしょ」
「探偵に依頼とか、卑怯だぞ」
「プロジェクトを任されたことも、仕事で出張やビジネスホテルに行ってたのも、全ては浮気のためだったのね」
「もう別れたんだから、いいだろうが」
「浮気したことは事実でしょ。ということで、あなたに四百万円を請求するわね」
「待て待て。ちょっと高すぎやしないか。相場は二百万とか三百万って聞いたぞ」
「まゆとみゆの養育費込みよ。財産分与で相殺するなら、慰謝料と養育費の請求はしない。どうする?」
「…勝手にしろ。お前と結婚したのは、間違いだったわ」
「そうね。私もそう思うわ。ただ、あなたのおかげでまゆとみゆに会えた。それだけは感謝してるわ」
「馬鹿にしやがって」
「さて、そろそろ家から出て行ってくれるかしら」
「嫌だ。頼む。考え直してくれ。今まで家族として、長く一緒に暮らしてきたじゃないか」
「形式的にはね。まゆとみゆだって、まだ高校生だ。子供には父親がいた方がいいだろう」
「もう高校生よ。父親がいた方がいい時期は、とっくに過ぎたわ」
「なんでだよ。子供にとって、親はいつだって親だろう」
「そう思うなら、どうして私が助けてほしい時に助けてくれなかったの? 私はずっと昔から、SOSを出してたわ」
「何を、どう助けろってんだよ」
「まゆとみゆがまだ赤ちゃんだった頃。ミルクに授乳、お風呂、着替え。他にも色々、助けてほしかったわ」
「そんなの、当たり前のことだろう。できなかったのかよ」
「双子の育児よ。普通の育児とは訳が違うの。頭がおかしくなりそうだったわ」
「情けねえな」
「でも、おかげで今の絆があるんだと思うの。だから、私たち家族の中に、あなたのつける隙はないわよ」
「なんでそんなこと言うんだ? 俺だって身内だ。何より、血の繋がった親子じゃないか」
「本当にそう思ってるなら、離婚した時、あの子たちはあなたについて行ったはずよ」
「それは、母親の方に子供が懐くのが普通だからだろう」
「なら、どうして面会したいって言われないのかしら」
「年頃の娘だから、恥ずかしいんだろう」
「違うわ。答えは簡単。あなたのことを、父親とも何とも思ってないからよ」
「まゆもみゆも、俺のこと『パパ』って呼んでくれるぞ」
「あくまで家族関係における役割の名称を呼んでるだけで、心の底から『パパ』なんて思ってないわよ」
「そんなことないだろ」
「じゃあ、あなたに抱きついたことはある? 抱っこをねだられたことは? 『大好き』って言われたことは?」
「それは…ないけど」
「ないでしょ? 産んだだけじゃ、親にはなれないのよ。どう関わるかが、一番大事なの」
「だって、俺は俺で忙しかったし」
「とっくの昔から、私たちはバラバラだったのよ」
「嘘だ。そんなはずない。だったら、なんで今まで一緒にいたんだよ」
「いつか変わってくれるって信じてたからよ。でも、無駄な時間だったみたいね」
「そんなことない。俺たちは、仲良し家族だったはずだ」
「いい加減、この事実を受け止めなさい」
「嫌だ。頼む。もう一度チャンスをくれ。俺たち、やり直そう。今度はちゃんと父親をやるから」
「もう結構よ。どうしても出て行かないというなら、不法侵入として警察を呼ぶわよ」
「大げさな。俺だって、この家に住んでたんだ。だから、不法侵入にはならないだろう」
「もう離婚していて、赤の他人なのに何を言ってるの? そろそろ寝たいから、LINEを終わりにするわね」
「いやいや、それは待ってくれよ」
「さようなら。夫にも、父親にもなれなかった人。この家に住むのは、私たち家族三人よ。他人のあんたは、三秒で出ていきなさい」

その後、彼は警察に連れて行かれ、住居侵入罪に問われ、執行猶予付きの懲役三年という判決が下された。このことが会社にも知られ、彼は当然のように解雇された。実家からも追い出され、元彼女からも拒絶され、彼には行く当ても住まいもなかった。

そんな彼が行き着いた場所は、公園のホームレスだった。当然、お金もない。空腹に耐えかねた彼は、万引きに手を出してしまった。執行猶予中の再犯として、執行猶予は取り消され、彼は刑務所に入ることになった。屋根のある住まいができたようで、よかったですね。ただ、皮肉にもそこは刑務所ですが。

一方、私はまゆとみゆと三人で、あの家で幸せに暮らしている。今回の件をきっかけに、まゆとみゆは自分の進路を決めたらしい。まゆは困っている人を助ける弁護士に、みゆはたくさんの人に素敵な住まいを提供する建築士に、それぞれの道を歩んでいる。あの子たちの親である限り、まだ道のりは続くけれど、私自身が設計したこだわりのあるこのリビングで、一段落した子育てにほっと一息つくことにしよう。ああ、コーヒーは美味しい。

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